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RT どうせ死ぬ三人「#039 コミュニケーションを信じ過ぎていませんか?」

サマリー

福岡市の自宅から北九州市小倉クロスFMに向かって車を走らせている話から、樋口さんは最近参加した番組やイベントについて話します。それは樋口家実家片付けプロジェクトの配信や、愛の楽曲工房でのゲスト回です。そして、話題に移るのです。樋口さんは田川という町で生まれ育ち、バンド活動を通じていろんなジャンルの人と接する経験をしました。その後、東京で仕事を始めた際に文化の違いに戸惑ったのです。

目次

自宅からラジオ局までの話と最近の活動紹介
今、福岡市の自宅から北九州市小倉クロスFMに向かって車を走らせております。
時刻は朝9時18分でございます。
いつ以来撮っているか忘れたんですけど、色々告知したいことがあるような気がするんですよ。
だいたいこれ冒頭どうでもいい話をするので、その時に告示的なことをしておきたい時は入れるっていう風にしてるんですけど、
それをするためには前回のこの配信が何月何日だったっけっていうのをまず調べて、
そこから今日に至るまでのスケジュールとかを見て、これとこれとこれがあったなみたいな、
これ全部言ったら言い過ぎだから、特に言っておいた方がいいのはこれとこれやなみたいなものをある程度頭の中でまとめて、
喋り出して、4つ言いたいことがあったとして、2つ言ったくらいの時に結構時間経っちゃったなと思ったら、
3個目と4個目もういいかとか考えながら、じゃあもうちょっとカットするかみたいなことを考えるのが、
やったらいいと思うんですけど、めんどくさいのでしません。
言っておきたいなっていうことを、今パッと思いつけた順に言うと、
愛の楽曲工房って僕がやってる番組で、樋口家実家片付けプロジェクトっていうのを今配信中でございます。
そのシリーズをですね、今第2回まで配信して、多分今日の夕方ぐらいにシーズン2-3っていうやつが配信されるんですけど、
これは結構聞いてほしいなと思っています。
実家片付けプロジェクトっていう名前なんですけど、やってることは本当に片付けのドタバタ劇のレビューとか、
面白いエピソードとかでは全くなくて、片付けプロジェクトっていう、樋口系ですよね、
僕、清則家ではなく、僕が長男としての樋口家ですね。
だから僕と僕の弟の太陽と僕の両親、父母の4人の話なんですけど、
この樋口家4人が片付けプロジェクトという一大イベントを通してコミュニケーションをずっと取り続けて、しかもずっと取れない。
その中でいろいろ感じたことだったりとか、何が巻き起こったかっていうのを振り返って話していくっていうやつなんですけど、
「樋口家実家片付けプロジェクト」の紹介
ちょっと壮大なやつになってるんで、コミュニケーションと何かとか、
あとは分かり合えるってどういうことかとか、家族ってどういうことかみたいなものを考えるきっかけになれればなと思っています。
ですかね、あと愛の楽曲工房、最近ちょっとゲストをお呼びすることが多くて、
杉部さんっていう、これもママが自分を取り戻すラジオっていうポッドキャストをやられてる方なんですけど、
この間、ポッドキャストアワードで、ウェルビーイング賞で受賞されてたんですけど、
そのやられてる杉部さんをゲストにお呼びして、子育てとは、みたいな。
子育てにおける様々なお話みたいなことを話したりとかしました。
これもちょっと面白いので、全3回かな。
1回目、2回目は愛の楽曲工房で配信しまして、3回目は杉部さんの番組にお邪魔して話してるんですけど、これも結構面白いです。
あと楽曲工房で言うと、僕がやってるSAEのワッフルのSAEさんをお呼びして、
RKBの現テレビ局、現ラジオ局のプロのアナウンサーですよね。
僕の相方でもあるんですけど、今はラジオの。
をお呼びして、普段インタビュー側に回ることが多いSAEさんをインタビューEにお呼びして、
いろいろ聞いていくっていうのをやったりとか、
あとは普段僕が哲学を言ってSAEさんが聞くっていう企画があるんですけど、我思いゆえに我ありっていう。
それをSAEさんの哲学を話してもらうみたいなコーナーをやったりとかしたので、
これはまだ配信されてないのかな。
だから結構最近楽曲工房が企画がいろいろあって、面白いなと思ってますね。
ダラダラ話すのももちろん面白いんですけどね。企画も企画で面白いですね。
ゲスト回とかはやっぱり必ず違う色が入るので、番組に。僕は結構好きですね。
どうせ死ぬ3人というポッドキャストがあって、僕はおそらく全部聞いてるんですよ。
必ず配信されたら1週間以内に聞くんですよね。
ちなみに言っておくと、僕が配信されて1週間以内に必ず聞く番組って2つあって、
どうせ死ぬ3人とジロンラジオという番組なんですけど、
これはポッドキャストなんですね。
この2つ共通点あるなと思ったんですけど、
2つとも僕がやってる番組の作家が出てるっていうのが1個共通点としてあるなっていう。
どうせ死ぬ3人は愛の楽曲工房の作家のイムがやっているし、
ジロンラジオはギチの完全人間ランドの作家の原田君がやってるんで、
なんか聞いちゃうんですよね。
なんか聞いてしまう。
なんでかわからないんですけど。
なんなんかな。
普段聞いてないからかな。
イムや原田君の思想や思いみたいなものを聞く機会が少ないから聞きたいと思ってるのか、
なんなのかわからないですけど。
単純に番組が好きだから聞いてるのかもしれない。
わかんないんですけど。
わかんないです。
で、その中で、
ちょっと待ってよ。
「コミュニケーションを信じすぎていませんか?」の話題
39、コミュニケーションを信じすぎていませんかっていう回があったんですね。
どうせ死ぬ3人っていう番組の中で。
この回面白かったんで、
喋ってみたいなと思うんですけど、
コミュニケーションに作動型と剣道型っていうのがあるみたいな話をしてます。
これ、要約するのも大変なんで、もしよかったら聞いてみてください。
思ったことを言うと、
僕はまずどっちかなっていうのを考えたんですよ。
おそらく、
僕、生まれ落ちたときは、
茶室型と剣道型。
おそらく生まれ落ちて、しばらく生きてきて、
茶室型がデフォルトとして身についているような気はするんですけど、
後天的に道場型になっていってる感覚があるっていうのが僕の自己自認ですね。
で、これ何なのかなってぼーっと考えてたんですけど、
おそらく、まず日本の文化っていうものが茶室型がデフォルトとなっていることが多いんじゃないかって思ったんですね。
日本の文化って言っていいのかな、そこまで主語を大きくしていいのかわからないですけど、
とにかく田舎の文化かな、どっちかというと。
あんまり0から1までバシンと説明するのは、
おしゃれじゃないよねというか、意気じゃないよねというか、
言わなくてもわかるでしょっていう文化がとてもあるような気がしていると。
これってでも、何で成り立つかって考えたんですね。
それで言うと、道場型になっていったきっかけっていうのはやっぱり、
東京でフリーランスで仕事を始めてからじゃないかなと思ってるんですよね。
あとはバンドを始めてからっていうのもあるかな。
バンドを始めていろんな人と関わったりとか、
東京に出てフリーランスで知らない世界で仕事を始めてからっていうのがでかい気がしていて。
これ何でかなって考えたときに、
言わなくてもわかるでしょっていう世界観がちょっと入ってると思うんですよ。
やっぱり茶室型って。
言わなくてもわかるから0から1まで言語化する必要ないわけで、
分からないなら分からないで困らない場合は、
茶室型のコミュニケーションで全然問題なく生きていけるっていうことだと思うんですよね。
掛け軸掛けてます。人入ってきます。実はこういうのを表現してますって言われて。
相手が全然異文化だったり、そもそも競技を持ち合わせていなくて、
全然理解できなくてもお茶を飲んで帰る。
で、招く側は別にそれで全然分かり合えなくても大して問題にならない場合は、
このコミュニケーション型で全然問題ないわけですよね。
ただ、それで問題があるケースがやっぱり出てくるわけですよね。
まず、分かり合えない確率が低いのって、ずっと同じ文化圏で同じような人たちに囲まれて生活している場合って、
分かり合えない確率が低いし、分かり合えなかった場合、分からない奴が悪いっていうことになると思うんですよ。
普通分かることをお前分からないのって、とても素養がない奴だ。
空気が読めない奴だっていうことになるので、
同じことが分かり合えている前提の環境で育っているとそうなりがちだなと思うんですよね。
だからこれつまり、会う人が固定されている、
あとは文化がかなり高確率で共有されている田舎の文化圏とかだとそうなると思うんですよね。
だから高輪で茶室型のコミュニケーションが増えていくってそうな気がするんですよ。
あとは、もう一個は言語化するとまずい場合っていうのがあって、
例えばヤクザ同士の闘争みたいなところって言語化されたらまずいと思うんですよ。
つまり、どう言ったらいいんだろうな。
じゃああるおじきがいますと。
その鉄砲玉みたいな若頭がいます。
おじきは○○組の奴ら最近調子に乗って、
ただ、若頭はそれを指して動かないといけないわけです。
なぜなら、そこで何か責任問題になった時に
おじきから指示をされたっていうことが
明確におじきの口から出ちゃったらまずいわけですよね。
何でやったんやってなった時に、自分がそうした方がいいからやりましたっていう風にすると
おじきに迷惑をかからずに済むわけです。
警察から誰の指示やって言われた時も
おじきは本当に若頭に指示をしてないですし、若頭も本当に指示を受けてないから
察して動いたわけです。
だから、責任問題を追求された時に泥がかからないっていうのがあって
明確な指示を受けないっていうことのメリットが双方にあったというか
いもずる式にならないで済むというか
そこでバチッと断絶するというところで
無関係性みたいなものを担保するために言わない方がいいみたいなことってあるわけですよね。
これは結構大企業とかでも行われている気がしますね。今現代とかでも。
部長が部下にこうしたらいいのになーって言った時に
明確な指示をしないっていうことが部長の立場を守るっていうことになるわけですよね。
トカゲのしっぽ切りっていうことができるかできないかみたいな話があるということですよね。
だから、茶室型のメリットもあるというのがあると
もっと前提がいるな。
コミュニケーションを取るということの目的から
定義というか擦り合わせをしないと
これって話できないっていうことになるわけですよね。
コミュニケーションを取ることだったとしたら
茶室型でも道場型でもあんまり
どっちでもいいみたいなことになるわけです。
ただ、コミュニケーションの目的が何かしらの問題解決だったり
一個のプロジェクトを前に進めるということになると
分かり合えないという状態をそのままにしておくことにデメリットがあるから
そういうのが前提としてありました。
分岐点が二つあって、最初からもう一回言うと
コミュニケーションの目的がコミュニケーションそのものであるというパターンの場合は
そもそもコミュニケーションの型の擦り合わせをする必要がないし
その先の情報を擦り合わせする必要がないということになります。
嫌だったらその場にいなきゃいいということになるんですね。
コミュニケーションそのものに限定すると分かりやすいんですけど
いろんな人がいる会社の中で、一個のプロジェクトに向かっていて
情報供給が前提とされないといけない場合、茶室型の人と道場型の人が混ざっていて
情報伝達の精度や解像度が違っていることで
前に進まなくなるということが問題になる場合がある。
そういう場合どうすればいいかというところがまずあります。
やりたいのはやっぱりビジネスで物事を進める場合で
道場型の方がよく聞く場合が多いという話だと思うんですよね。
それでいうと、なんで、話をガッと僕の話に戻すと
えっと、わ、もう15年経ったな。
田川での成長とバンド活動
もともと田川という町で生まれ育ちました。
田舎のコミュニケーションの場合は特に茶道型の方がみんな多かったし
周りに。それで問題なかったですよと。
それで問題があった場合は個人の問題にされていました。
お前空気読めないやつやな、アハハみたいな感じで
個人の問題にされていたから個人が頑張って文化を理解するということを
頑張りました。それで文化を理解できるようになると
うまく生きていけるから。だから正解が文化を理解することであって
個人はそれを分かるために努力をするということが
デフォルトとして組み込まれていたような気がします。
気がします。わかんないですけど。
その中で、例えばじゃあ、バンド活動を始めます。
だからいろんなジャンルの人と接することになったりとか
するわけです。で、フリーナスで東京に出てきたら
今までと全く違う前提の中で仕事をしないといけないとなったときに
文化レベルで分かるよね、分かると思いますみたいな
これって普通だよね、普通そうだからこうだと思いますという前提で
仕事をして失敗した経験というものをめちゃくちゃ積み重ねるわけですよね。
例えば、じゃあなる早いでお願いしますみたいな言葉もそうですよね。
じゃあなる早いでお願いしますって言われたときに
はいはいわかりました。じゃあ早めに行きます。
早めに返事しますってなったときに
向こうの早めが今日中なのにこっちの早めっていうのが
今月中かもしれないみたいなことってめちゃくちゃあるんですよね。
これびっくりするくらい違うから感覚が。
東京での仕事と異文化の違いへの適応
で、なんかゴリゴリの、例えば広告業界とか
しかも第一線の広告業界とか、あとはビジネスパーソン同士の
ものすごい、すごいそこでやり取りしてるときってなる早くて
まあ明日の朝までに送ってくれればいいですよ
くらいの感覚でなる早くって使う場合もあるんですよね。
でも当初僕、なんかそういう温度感やスピード感でやってないから
なる早くって言われて、まあなんとなく思いついたら送るか
みたいな感じで捉えられてたら、下手したら1週間、2週間、1ヶ月とか
かかったりするわけですよね。
なんかなるべく早くって、なるべくとしか言われてないから
どう言ったらいいんだろうな、早く送れなくてもしょうがないと
だって期限がないんだからみたいな感覚で言うと
うっかり忘れちゃっても別に問題ないというか
送ることくらいの世界観で動いてるから
だから向こうからすると普通なる早って
今日順ぐらいに来るよねと。
しかもこれぐらいの分量、このぐらいの決定するようなことしかないんだったら
このぐらいは判断できるのになんで押せんだろう
忘れてるに違いないとか舐められてるに違いないってなるわけですよね。
これは本当に未だにありますね。
僕は元々やっぱり東京の広告業界で働いてると
ものすごいスピード感で動いてるから
本当に3日後に第一弾のデモ送ってみたいなことが余裕である世界だから
でもこっちで言うと
福岡だと同じ広告業界でもタイム感が遅いし
広告業界じゃない場合はまためちゃめちゃ遅かったりするから
あとはどこのタイミングで確認をするかみたいなところもすごく違ったりするから
確認の回数もめちゃくちゃ確認をしないと失礼っていうパターンもあるし
そんな何回も確認させるなんて
そんな何回も確認させるなんて
作業コストがえぐいというかめんどくせえみたいなこともあるから
じゃあどこにバランス持ってくるかって
どれくらいの規模だったら事前にどの段階で何回確認したほうがいいですよねみたいなことって
でも分かんないわけですよね
言語化できないし
来るとある程度名文化しないとトラブルっていうことがあるわけですよね
そういう経験していくとビジネスを
特にビジネスですよねを突き進めるときって
なるべく数字にしたほうがいいしなるべく思っていることを伝えたほうがいいし
嫌だったら嫌って言ったほうがいいしみたいな
嫌だったら嫌だって言わないとそのまま改善されないままどんどんその状態で進んでいくっていうことが起こるから
自分が損するっていうことなんですね
それどう言ったらいいんだろうな
なんで分かってくれなかったんですか分かっててくださいよって言ったときに
言わないあなたの責任でしょって言われたときに
どう言ったらいいんだろうな
契約とか裁判みたいな文脈になると言わなかったほうが悪いというか
言わなかったからそれは対処しますよね当たり前ですっていう感じになるんですよね
それはだって言わないでも分かると思ってたからと言われても
その分かると思ってた証拠は何ですかって言われたときに証拠ないですけどみたいな
じゃあダメですよねって普通になるから
だからこれは異文化で目的があるプロジェクトに
どれだけの数関わってきてどれだけの数失敗してきたかっていうところが
剣道型にならざるを得なかった背景があるなって思ってるんですよね
こんな簡単なことを説明するのに20分くらいかかったのは
これくらい分かるだろうと思っていることが分からないからという
分かってくれないからという経験を繰り返してるから
どうしても情報を伝えるときに説明型になっちゃうし
何回も同じことを違う言葉で言っちゃうなと思ってるから
シンプルなことでもめちゃくちゃ長くなるっすね
だからちょっと異文化と指摘してきすぎてるかもしれないですね僕が
特にツイッターとかでもそうやな
話全然それるかもしれないですけど
先日もあって
どこまで明文化しないといけないんやろみたいなのがあることが多くて
例えば何やったかな
息子がサッカーに習うことになったんですね
サッカーを習い始めるんですけど
サッカーの試合で
サッカーの試合で
サッカーの試合を息子に見せたことないなと思ったんですよね
息子にサッカーの試合を見せたいと思ったときに
YouTubeに意外と丸々1試合分上がってるやつなくて
僕はそのとき
ハイライトとかじゃなくて
90分全部フルで入場のところから
ハーフタイムの様子を見て
しかもそれをスタジアムに行く前に
本当は全部見せたいんですよ
でもスタジアムに行く前に
1回テレビで
映像で見せたいと思ったんですよね
YouTubeとかで
スタジアムに行く前に
1回テレビで
映像で見せたいと思ったんですよね
それを見せるのを諦めたんですよ
なぜかというと
見せれなかったんですよ
なぜならYouTubeにフルで上がってなかったからなんですけど
そのときにあるツイートをしたんですけど
そのときに思ったことがあるんですけど
ちょっと長くなりすぎちゃったので
これどうしようかな
また帰りに撮ります
じゃあ続きは次回でということで
どうせ死ぬ3人略して
4人の会についての思ったこともろもろでした
ちょっともっと言いたいことがいっぱいあったんですけど
一旦
24:06

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