公開収録の告知
つばきファクトリーの今夜だけウカレディオ
約1年ぶりの公開収録の開催が決定しました。タイトルは
今夜だけ超ウカレディオ3夜目
出演メンバーは、小野水穂、よふうるの、鳥ふうかの3人
2026年1月22日木曜日の夜、西新宿鳴門劇で2回開催します。
そして、公開収録の模様は動画でも配信予定です。
詳しくは、公式サイトやSNSをチェックしてください。
来場者プレゼントも準備して待ってますよ。
わあ、私も行きたい!
お楽しみに!
東京バックステージのチャットセッションは毎週金曜日に開催されます。
東京ミュージックラブやポッドキャストアプリで検索してください。
番組の冒頭には言いましたけど
ポッドキャストで聞いてる方はここだけ聞いてると思うんであれなんですけど
実は今回と次回で
一旦は我々は終了というか卒業するということで
そうなんですよね、樋口さんが
一区切りと言いますか
そういうことなんですけど
ただね、我々はこれで終わりじゃないぞって思ってるし
いろいろと考えてることはあるんですけれども
一旦、来週が最終回ということですね
あえてこのシーズン1と言っておきましょう
シーズン1は少なくとも今回と次回で終わるということなんで
で、一応最終回、次回はちょっともうやること決めてて
今までの哲学を振り返ってまとめをしたいと思ってます
まとめられるんですか?
まとめっていうか、感想言いやって終わるっていう
こんなのあったよねっていう
壮大な哲学よ
いやいや、もうだから
あーこんなのあったなーぐらいの感じで
最後なんか雑談振り返りみたいなものをやりたいと思ってるんですよ
良いですね
だから実質、今日が哲学を語る最後の回になると思うんですよ
最終回と思ってもらってもいいと思います
ということで本日のテーマはこちらです
終わり
シンプル?
ズバリ
ズバリですね
終わりですね
終わり?
物事が始まるとほとんどのことは終わりが来ますよね
いつかは必ず何事も終わりは来ますよ
で、終わりだなと思ってやっぱりこの番組をね
で、終わりについてなんか話したいなと思いながら
昨日ボーッと考えてたんですよ
で、大体僕このコーナーですか?
このコーナーってある程度話したいことバーッて考えて
で、構造とか構成作ってこの順番でやろうとか
ここはある程度フリーで話すけど最終的にこういう結論に持っていこうみたいな
大体考えて持ってくるんですよ
メモして持ってくるんですけど
なんかもう昨日考えてたら最後かってなって
今日が
なんかもういろいろ考えるのやめようって思って
なんとなく
ほう
なんで雑談して終わろうと思います
哲学
そうです
そんな哲学
なんかあえてなんすかね
もうなんかそんな終わり方がいいなって思ったって感じもあります
なんか僕の中で
はい
ばしーっと
樋口が思う終わりはこれですバーンっていうのよりも
なんかこれで終わりっすぐらいの感じで終わりたいなと思って
いいじゃないですか
だってまだ第1章ですから
そうそうそうそう
第2章が控えてるはずですから
そうなんですよ
なんで終わりについて
今日は鞘師さんと適当に語りたいなと思ってます
ほほほほほ
ほう
なんすけど
適当感一番苦手だな
えー適当にしか生きてないのに
はい終わり
いやいやいや終われない終われない
終わりって聞いて
じゃあなんか思いつくもあります
死と納品
もうそんぐらいのライトな感じでいきたいです
終わりって言われたら
もう卒業学校の終わり
あー卒業とかそうっすね
小学校卒業中学校卒業高校卒業
でやっぱり一つ一つの区切りで
終わりっていうのを強く感じてきましたね
そうなんすよ
いいですね区切り
僕なんか終わりって聞くと
そこでバツンと終了みたいなイメージがあるんですけど
なんか区切りっていうのを作る
えーまあ一個のイベント
はい
っていう捉え方できるなっていうのは
実は僕も思ってたんすよね
木の棒と考えながら
そうなんすよ
で僕多分どっかで抱負の話をしたと思うんですよ
今年の抱負は許すですみたいな話をするんですけど
抱負とかってやっぱり終わりがないと
考えないなと思っていて
だし終わりがなければ抱負にはならないですよね
そうなんすよずっと積み重なっていくから
今年の抱負これです来年の抱負これです
その次の抱負これですって
終わりがなければ
ずっとただただ増えていくわけじゃないですか
そうですよね
だからちゃんと終わらせて次へ行くっていう
でその区切りになるっていう意味では
終わりってめちゃくちゃ大事だなと思ってるんですよ
なるほど
そうだから終わりが来て始まりがあるってなると
区切りを作るっていう意味で終わりがある
みたいなことは結構あると思いますね
はい
でその区切りっていうものがあると
儀式っていうのを行いやすいなって思ってます
あー
そうですよね
その今行った学校を一つとっても
卒業式とか
あとはセレモニーお別れの会とか
そうそうそう
そういうね出発式とかできますもんね
でやっぱり何かに終わりがあるってなると
みんながその終わりを共有するっていうことはできますよね
うーん
大事だわ
確かに卒業式一番いい終わりの例だと思うんですけど
全員一緒に終わるから
あーそうですね
同学ね
まあね僕の友達には留年したやつもいましたけど
基本的には全員一緒に終わるじゃないですか
それをその瞬間のその感情のピークみたいなものを
同時にこうなんていうんですかね
味わえるっていう意味では
終わりっていいなと思うんですよね
そういう終わりは確かにね
寂しいんだけれども
そうそうそう
これがだってバラバラだったら
あお前行くんや
あ俺遅れて行くわだったら
卒業式のあの涙みたいなものって
一緒に共有できないなみたいなものがあって
ないない全然ない
だからその儀式っていうのはまず重要で
それで相手とかいろんなそのコミュニティの感情みたいなものを確認したりとか
集まってコミュニケーションを同時に取ったりするっていう意味では
まず儀式がとても大事だなと
それで言うと葬式とかもそうだと思うんですよね
あーそれはかなりありますよね
悲しい時間ではあるけれども
その個人のためだけじゃないなとよく思うんですよね
それ結構言いますよね
これから生きていく残った自分たちが
その死を受け止めながら
また生きていくための一つのセレモニーだなって思います
だから受け入れるっていうことがあるんですよ
悲しみみたいなものを受け入れるし
葬式っていうのってやっぱり
なんて言ったらいいんですかね
その人が主人公になれますよね
なかなかある一人の人間が主人公である儀式ってないですよね
あーないですね
よく言われてるのが生まれた時と結婚式と葬式っていうのは人生の主人公になれるっていう
誰かが言ってたやつがあるんですけどまさにそうですよね
やっぱりそこって全て全部何かの終わりがあると思ってるんですよね
生まれた時はその始まりですけど
結婚式ってやっぱり独身という自分に終わりを告げる行為じゃないですか
新しい世界に踏み入れるために
過去の自分に終わりを告げるという行為
その覚悟だし
生まれる時はスタートであると同時に
それまでは世に出てなかった
そのお腹の中という世界にずっといて
外にはまだ出てなかった
だからその内なる存在に終わりを告げて
外に出るっていう
一つの終わりは経験してますね
そうですね
だからやっぱり終わりがあると儀式が行われ
儀式があるとその人のことがどういう人だったのかを考えるきっかけだったり
その人の周りの人が一同に会するっていうことが起こりますよね
さゆさん結婚式しました?
しました
結婚式ってこの人とこの人が一緒の空間におる
うわやばおもろみたいな感覚ありますよね
高校の同級生と仕事でめっちゃお世話になった人とかが
それで一同に会することによって
僕って私ってこんなにいろんな人に囲まれて育ってきたんだっていうのを
一瞬でバッと一覧できるみたいな
ありますね
だから儀式ってそういう役割があるなって
その儀式のきっかけに終わりっていうのがなるなっていうことはまずありますよね
ちなみに言うと僕やっぱり終わりって聞いて
パッと思い浮かぶのはやっぱり人間の死なんですよね
究極ですよね
さっき葬式っていう話もありましたけど
僕やっぱ死っていうのがまずパーンてきて
生きるとか死ぬかっていうことをどう捉えているかなって自分で思ったんですよ
その時に僕これずっと言ってるんですけど
死ぬことってある意味納品だと思ってるんですよ
ピンとこないですよね
僕自分という人生を一個の作品のようなものだとまず思っているんですね
死ぬっていうのってその僕という作品が完成する瞬間だと思ってるんですよ
これちょっと説明いると思うんですけど
生きているうち
僕樋口清之という人間が人間として生きているうちって
ずっと開発を続けている段階みたいなイメージです
よくなんかウェブサービスとかでベータ版っていう言い方するの知ってます?
知りません
知らないですよね
例えばじゃあ○○っていうウェブサービス始めました
ウーバーイーツでも何でもいいんですけど
ウーバーイーツ始めましたってなった時に
ベータ版ベータBですよね
あれがついてるのってまだまだ開発途中ですよっていう意味なんですよ
だから皆さんからいただいたレビューとかをもとに
どんどんどんどんまだまだブラッシュアップしていきますよっていうのが
ベータ版という意味なんですよ
だからこれで完成じゃないですよ
まだまだ良くなりますよっていうのが
ベータ版の意味なんですけど
ベータ版っていい言葉
そうなんです
だから僕は人生生きている以上
人生ベータ版だと思ってるんですよ
毎日毎日が
そういうことです
完成していないんです僕って
まだ見ぬ完成の何かしら目標に向かって
毎日毎日走らせてるような状況なんですよね
だから死ぬって僕からするともう開発できない
もう行くところまで行きましたってこと
これ以上手を加えることができませんってことです
最終形になりましたってこと
そういうことです
だからウェブサービスとかだと
ネット上でずっとリリースをしながら開発できるんですけど
機械製品とか分かりやすいですよね
ずっと改良に改良を重ねて
これでもう完成しました
これで皆さんの元にお届けしますって言って
市場にバーンって製品を出したら
もう例えば僕ここにスマホありますけど
これもうアップル社はスマホを基本的にはいじれないわけです
自分の元に来てしまった以上
これが完成した納品したっていうことだと思うんですよね
だから僕にとって死ぬっていうことって納品なんですよ
なんかねそう捉えると
不幸とか意味嫌われるものっていう印象から
ちょっと変わるんですよね
だからやっぱり世間的には
死生観の考察
慣例的には死ぬことイコールとても悲しいことでしかないと
不幸だし意味嫌われるものみたいなイメージあると思うんですけど
僕の中ではそこに向かって人生を走らせてるみたいなイメージすらあります
死ぬ瞬間に向かって僕の人生をどこまで完成できるかみたいな感覚あるんですよね
これは僕の1個の人生の捉え方だと思います
全然違う捉え方していいし
だから意味嫌ってもいいと思います
僕はそう捉えると面白いと思ってる
この辺の人生観ちょっとさやさんに聞きたいんですけど
僕だからさっき言ったように生きるっていうことを
人生っていうことを映画とか小説とか
もしくはそのロールプレイングゲームみたいな感じで捉えてるんですけど
さやさんってどう捉えてるんですか?
人生を
あんまりじっくりと見つめて考えたことがなかったかもしれませんが
だけどやっぱり私はみんな幸せだって感じるために存在してると思っているんです
だからほら私の座右の銘だっていつもこの番組で言ってますけど
一番いいようになるっていう言葉が私の座右の銘というか
信じてる言葉なんですよね
だからいろんなことがあっても
辛いこととか悲しいことがあっても
最終的に一番その人にとってベストな道につながっていくっていうのを
本当に信じてるんですよね
ここももうちょっと細分化して聞きたいと思っていて
じゃあ一回図形で考えてもらっていいですか?
グラフがあります
縦軸と横軸がパーってXYがあるとするじゃないですか
Y軸の上の方に行くとなんかいい感じの人生っていうか
ポジティブで下がネガティブみたいな感じです
人生横軸を時間にしましょうか
左から右に向かってグラフが描けますよね
中学の時はすげー楽しかったなとか
高校の時ちょっと嫌なことあったな
でもまた働きだしてすごい楽しいなみたいな感じで
曲線がブーって描かれていくと思うんですけど
幸せをこの曲線に対してどう定義するかって
人によっては違うと思っていて
例えばですけど人によっては
死ぬ瞬間MAX行ってたら
それが幸せでそこを目指してるって思う人もいるかもしれないし
幸せな時間が多くて不幸な時間が少ないって思う
つまり面積みたいなものですよね
より上に長い時間いることが幸せで
最終的にゼロの状態で死んでも
そこまでの人生がなるべく上の方にずっといたら幸せっていう人もいるし
それでいうと鞘師さんってどういうイメージですか
そういうと両方だと思う
欲張りかもしれないけれど
一つ今話を聞きながら思ったのが
たぶん私
人と比べることでもないんだけど
意外とどんな状況でも
ドーンと落ち込むことももちろんありますけど
ドーンと落ち込んだ状況でも
でも私ラッキーって結構思うタイプなんです
こんなんで済んで良かったとか思うタイプ
こんな怪我してしまった最悪や
じゃなくてこの程度で済んでまだ良かった
痛かったけれども何日かしたら治るから
この程度で守られてるわみたいに思うタイプなんですよ
だからおそらくグラフでうねうね書いてみると
もちろん下がるところは下がるんですけど
意外とその下がり方が
人からしたらそれもっと下がってるやんって
グラフとしてはもっと落ち込むはずやろっていうところが
意外と自分の中ではちょっとした落ち込みにしか記さないかもしれない
ちょっとしたことでも幸せやわと思って浮上する方だと思うので
最終的にあれみたいです
株式のグラフのように
ちょっと下がるけど最終的に上がってる
遠くから見たらすごく右斜め上になってるみたいな
そんなグラフでいってる気がするので
波の部分も結構山がトータル多くて
最後は上がってるような気がします
それを目指しているし
それを幸せだと定義してるみたいな
目指しているかっていうとどうだろう
結局幸せは幸せになるためにっていうより
一つ一つの積み重ねが結果幸せみたいな
感覚かもしれません
なるほど
例えば
お勉強を頑張ったから
何かをしたから成績が良い
成績が良くなるために何かをする
そうなんじゃなくて
同じとほら
勉強頑張って理解できるようになれば
同じと成績も良かったみたいな感じですよね
それと一緒で
こういう私の理想形の幸せという形があり
そこに向かって走るんだじゃなくて
一つ一つ
今日これも幸せやね
あれも幸せやね
こんな楽しいことがあったねっていうのが
気づいたら本当私
終わりと新たな始まり
幸せやね
振り返っても幸せやねっていうタイプかもしれませんね
いいですね
だから地図上に目的地を指して
ここに行くことが幸せだって定義するわけではなくて
日々幸せだと思う方向に一歩ずつ踏み出してたら
幸せ方面に気づいたら行ってたみたいなイメージですね
みたいな形
だからもちろん最終的にグラフでは
右斜め上になり最後命果てる時は
幸せだったなって思いたいなと思うけど
その右斜め上を目指して行ってるわけじゃないかなと
なるほどいいですね
日々ただ歩いてるだけなんですね
さゆさんっぽいね
とてもいいです
落ち込みますし失敗も多くしますけれどもね
でもそうだなって思う
ありがとうございます
一応じゃあ僕も言っとくと
どっちでもないんですよ僕
僕だから人生を映画や小説やゲームのように思ってるから
なるべくガーンって上がったりなるべくダーンって下がって
その曲線のダイナミックな形が面白いっていうのが
僕の幸せなんですよ
だから一個またメタから見てるんですね
樋口さんはドーンって下がった時も
それをやってしまったとか不幸だって捉えるんじゃなくて
どうやってクリアしよう面白いってなるタイプでしょ
この番組でも何度もそんなお話もしましたけれども
そうやっていかに楽しめるかっていうマインドを持っていて
実際に楽しめることが幸せだなって思えることなんでしょうね
不幸と一見
本当に僕不幸と思ってる時もあるんですよ
でもその不幸みたいな感情を最大限感じたいみたいなところがあって
全部体感してみたいっていうのがある
グラフのそのZコースターの上に乗っている自分は不幸だと本当に思わないと
リアリティがないからそのグラフを横から見てる自分からすると
こいつマジで不幸やんって落ち着いた表情を
そっからのカメラで撮っときたいんですよ僕
みたいなところがあるから
だからそういうグラフを描きたいから変なことになるんですよね
っていう思ってるんですけど
終わりの話から気づいたら幸福炉みたいな話になりましたけども
ただ終わりも区切りだっていう話でしたし
セレモニーを行うことでまた次に繋がっていくというお話もありましたので
じゃあ来週は最終回ですから
樋口祭りを開催しましょうかね
いいですねそれ
そしたら終わりの中のいい区切りになって
第2章に繋がっていくと思いますから
だから本当にこの番組も1個の区切りが多分来ると思うんですけども
だから結構ダイナミックな曲線は結構描けてたんじゃないかなと
今振り返って思いますね
だって鮭とば食われて腹立つみたいな話もしたし
と思ったら今日は死ぬ瞬間はどうよ
死生館と言いますかね
いいグラフが描けたんじゃないかと我ながら思ってますけども
そんな感じで今日は雑談トークでしたね
ワッフルーム今日は樋口祥之の我を思い入れに我あり
テーマは終わりでした
東京ミュージックラブのポッドキャストアプリを探してね
間違えないでね
来場者プレゼントも準備して待ってますよ
わー私も行きたい
お楽しみに