横浜DNAベイスターズの優勝
こんにちは、はまの雑声第13回ですね。今日は2024年11月の19日火曜日です。
なんか急に今日から寒くなりまして、ここ横浜なんですが、朝ですね、
えっと、表示が8度だったんですけど、北風が吹いて、体感温度は2度だったそうで、
寒いんですけど、まあ、私、夏の暑いのがとても嫌いなので、夏に比べれば全然
冬の方がいいんですけれども、はい、そんな季節になってきました。さて、今日はですね、
野球の話をしようかなと思います。 11月3日の日曜日ですね、横浜DNAベイスターズが日本シリーズで
4勝2敗で優勝しましたね。 なんだか26年ぶりらしいですね、日本シリーズ優勝はね。
で、今日ちょっとポッドキャストを聞いてましたら、ホットテックっていうポッドキャストをやっていらっしゃる陽平さんがベイスターズの大ファンで
祝賞会、祝賞配信をされていましたね。 私が野球とどういうふうに付き合ってきたかっていうことなんですけれども、
まあ年から言って結構野球は小さい頃からなじみのあるスポーツでしたね。 まず小学生の頃かな、わかるようになった、物心ついた頃からもう巨人ファンだったん
ですね。 巨人の帽子をかぶって学校行ってきましたけれども、まあ大阪だったので、小学校中学校ここ、まあほぼ小学校ですね。
巨人の帽子をかぶって行ってたのは。 その頃はですね、巨人ファン対半身ファンっていう風にしてチーム分けをしてドッジボールしたりしてましたね。
まあ大阪だったんですけど、まあ巨人ファンが半分ぐらいいたっていうことですよね。まあそういう時代だったんですかね。
今だったら多分大阪だと半身とかが、半身とかオリックスとかかな、が多分ファン圧倒的に多いのかなという気がしますけどね。
でまあなんで巨人ファンだったのかというとですね、これはもう明らかにえーと北海道出身だった親父の影響ですね。
まあ親父はずっとスポーツを見るのがとにかく好きで、何でも。 例えば日曜日のお昼とかだとゴルフとかやってますよね。そういうものからラグビー、
相撲、野球、そういうものをテレビでやってたら必ず見てましたからね。
でまあ巨人ファンだったということで私も巨人ファンに自然になった。まあ当時まあ巨人戦がテレビでよくやっていたっていうこともあると思うんですけれどもね。
40年以上前の話ですけれども。でですねその親父の、さらに親父、私から言うと祖父、おば、おじいちゃんになるわけですけれども、
これまた大の巨人ファンでですね、明治の方なのでちょっと今では考えられないですが、巨人が負けるとですね、おばあちゃんに灰皿を投げつけてたっていうような、
それぐらい激しい人だったらしいですね。私は投げつけられたことはないですが、小さい時に輝かせてもらった経験しかないですけれども、まあそういうそれぐらい巨人に対して
異常を持ってたって言うといい、そこまでいいものかどうかわかりませんが、なんか北海道はあの巨人が来て、巨人が主催、主催試合って言うんですかね、なんか
巨人がホームっていう形で試合をするんですよね。スタルフィン球場とかあって。でそういうこともあってか、北海道には何だか巨人ファンが多いという、
まあ今はちょっとわかりません。日本ハムとかもありますからわかりませんが、多かったということを聞いてますね。で、ただその小学校、中学高校ぐらいですかね、まあ
再び野球を楽しむ
親父と見てた頃は見てたんですけれども、だんだんと見なくなってしまったんですね、野球を。まあテレビの放送が減ったっていうことももちろんあると思うんですけれども、
いつぐらいに見なくなったかなぁと思ったんですが、はっきり覚えてないんですけれども、多分ですね、あの
もうあの巨人の監督を何度もされている原さんですね、原辰典さんですね。が現役の頃ぐらいが最後だったんじゃないかなと思うんですね。
でちょっと調べてみたんですけれども、えっと原さんが引退したのが1995年だそうですね。
ですからもうほぼ40年前ですね。ん?違う違う、30年前か。30年前ですね。30年ぐらい前にはもうほとんど見なくなってたということですね。
でですね、まあ30年経って、野球とはほとんどまあ縁のない、まああの日本のサムライジャパンですか、なんかの試合とかはまあ見てたんですけれども、それ以外の普通のプロ野球の試合というのはほとんど見なくなってしまったんですけれども、
この間ですね、この間っていうのは何月だったかな、今年の7月か8月、夏だったと思うんですけれども、えっとあの
息子がですね、ちょっとなんか野球の話なんかをしてたんで、一応一回野球見に行ってみるかっていうんで横浜スタジアムへ誘ったんですね。
で、えっとオリックス戦だったと思うんですけれども、それで行ったのがきっかけで野球を見るようになったっていうことですね。
でまぁ野球見るのは、もちろんそのプレーを見てっていうのは楽しいんですけれども、まあどっかに堅いでして、どっかが勝ったら嬉しいみたいなの方がちょっと見る、
なんかモチベーションがわくというか、そういう感じがするので、でただもう巨人に思い入れも特にないですし、
まあ選手も知らないですし、なので、じゃあ横浜に住んでるし、子供たちはえっとまぁ2人とも横浜生まれなので、じゃあベースターズ応援しようかなということで応援し始めた。
だから本当ににわかもにわか、本当にまだ1年もベースターズファンになってたってないような感じなんですけれども、でいきなりセリーブ3位だったのに日本シリーズ優勝してということで結構びっくりしましたね。
で結局ですね横浜スタジアム、まあそんなに多くはないんですが3回行ったんですね、えっとオリックス戦、ヤクルト戦、巨人戦だったかな。
でまあ勝敗は1勝2敗だったんですけれども、まあ最初のオリックス戦だけは勝ったけど後は負けたんですが、あれ違ったかな、ヤクルト戦だけ勝ったのちょっと忘れちゃいましたけど、1勝2敗だったんですね。
でただですね私子供の頃も含めて野球はテレビで見てはいました、山ほど見ましたけれども、球場にはほとんど行ったことないんですよね。
まあ親父もそんな連れて行ってくれるようなそんな親父でもなかったですし、なのでまあ見てるようになったのは多分社会人になってからですかね90年代、研究が90年代になってからっていう感じだと思うんですよね。
でそれも回数かなり少ないので、こうやって見に行くっていうのは本当に異例な特別なことだったんですよね。
でもまあスタジアムいいですよね、あの雰囲気、それから横浜スタジアムでDNAのベーサーズを応援する時の、なんていうかな、一体感みたいなものだとか、
それから打った時のその感性だとかですね。で私はそういう時にですね、なんか自分が感動しているのかどうか、まあみんなそうかもしれませんが、感動しているかどうかのバロメーターとしてはですね、背筋がゾクゾクっとするかっていうのが一番わかりやすいと思ってて、音楽とかでもそうなんですよね、本当にコンサート行って良い曲を聴くと、
コンサートでまあライブですけど、ライブ行って聴くとなんか背筋がゾクゾクするんですよね。必ずしもそのバラードだからとかそういうわけではなくて、なんかこう、なんか内から出てくるものがあるような、そういう感じがして。
でまあスタジアム行って、例えば薪が打って、うわーってなる。そうするとなんか背筋がゾクゾクして、本当にこれは感動している、本当に気持ちいい状態なんだなっていうふうに思いますね。
で、えっとですね、30年ぶりに見るようになったということを言いましたけれども、困るのはですね、選手の名前がわからないんですね。
で、昔小学生の頃とかはですね、だいたい12球団の選手、スタメンの選手ぐらいはだいたいわかってたんですよね。覚えていたっていうんですかね。巨人ファンだったんですけど、巨人の選手だけじゃなくて、
パリーグも含めてほとんどの選手の名前はけは知ってたんですけれども、ただで最大ですね、年を取ると名前が覚えられなくてですね、よく今でも人に会って、顔は覚えてるんだけれども名前が出てこないっていうのが、もう本当に結構よく会う人でもそういうことが起こってですね。
そんな状態なのにね、野球で、でも選手の名前を知ってるとちょっと面白いですよね。面白いというか、この選手はこうこうという話ができるんで、でも名前覚えたいなというふうに思ってはいるんですけれども、ベイスターズの主だった選手はだいたい覚えたかなという感じではあるんですが、それでもまだまだですね、これから相手チームの選手もいろいろと覚えていきたいなというふうに思ってますね。
で、スタジアムは今年3回だったわけですけれども、来年もう少し行きたいなというふうに思っててですね、まあ今年優勝したので結構盛り上がって、座席取りにくいとこがあるかもしれませんが、まあなんとか、そんな良い席じゃなくてもいいので、息子と2人で行きたいなと。
あ、そうか、言い忘れましたけど息子はもうそれ以来結構野球にハマっててですね、結構ベイスターズ戦は見てましたね。なんかまあ地上派ではあんまりやらない、時々テレビ神奈川でやってるかなっていう感じなんですけれども、まあBSとかBSのTBSでやってることもあるので、そういうのもよく見て、野球やってれば、ベイスターズ戦やってれば見るみたいな、そういう感じになってきてますね。
ベイスターズが2連覇なるかっていうのが楽しみですので、来年も、まあまだ庭科ですけれども、2年目のシーズンをベイスターズを応援していきたいと思います。
はい、ということで久しぶり、30年以上ぶりですね、に野球にハマってる、野球楽しいなぁと思ってるっていうお話でした。
それでは最後まで聞いていただきありがとうございました。