1. ママが自分を取り戻すラジオ
  2. 492.【こどもの日part2】何故..
#Spotifyで話そう

・サムネイルはお母さんだよ
・頑張ったアピール
・プログラミングされている私達
・お風呂入ってよ!問題
・おばあちゃんとの関係
・邪魔って言うな!

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私が話せること、私だからこそ話せること
ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私がイライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。 前回に引き続きまして、今回も子供の日ということをテーマにお話をしていきたいなと思っております。
まずサムネイルの話からしたいと思いますが、今回もとてもかわいいフレームの中に女の子がおりますね。今回は白黒の女の子がいるんですが、これはですね私ではないんです。
母です。
母に私のちっちゃい頃の写真何枚か送ってって言った時に送られてきた、母のちっちゃい頃の写真です。送られてきたから使っていいってことかなぁと思って使わせていただきました。
適当にその母の写真を選んだわけじゃなくて、今回話す内容が結構母とかおじいちゃんおばあちゃんお父さんお母さんの話も結構関係するから、
あえてねせっかくあの素材があるのでね、母の幼少期の写真を使わせてもらってます。顔はほとんど一緒なんです。お母さんの方がちょっと可愛いかな私よりも。
顔はね同じなので私って言ってもわからないかなと思ったんですけど、一応母です。しかもあの私の写真はすごいなんかクリームとかね
ケーキ食べた後でクリームとかついてすごい汚い感じなんですけど、母が送ってきた自分の写真すんごい綺麗なんですよ。
装い着のなんか服を着て、ドレスみたいなのを着て、なんか帽子みたいなのを被ってこう気をつけしてる写真なんですけど、
いやいやいや自分の写真の方が可愛いやんかと思っておりましたが、はいあの母の写真を使わせてもらっております。
あのですね、前回私はあのゴールデンウィーク家が騒がしすぎてポッドキャスト撮れへんから、夜抜け出してきてローソンの駐車場で暗闇の中で喋ってますっていう話をしていました。
で今回のこのエピソードも駐車場で話してきたんですよ。本当は話してたんですよ。
なんだけど、ああ終わったと思ってパッてスマホ見たら充電が切れてたんです。
だから私はいつ充電が切れたかわからないまま一人でひたすら真っ暗な携帯に向かってね喋り続けてたんですよ。
そうで電源入れ直したらね私が喋った2,30分何にも残っていなくて改めて帰ってきて夜中にこれを撮ってます。
なんでこの話をしたかというと、そんだけ大変な思いをしたから絶対最後まで聞いてねっていうことでね。
こんだけ頑張ってるよっていうアピールをさせてもらいました。すいませんが。最後まで聞いていただけたら嬉しいです。
前回に引き続き子供の日をテーマにしたお話なんですけど、前回はねちょっと軽めのテーマ、ポップなテーマでした。
今回は子供の日のテーマについて考え始めたらすごい重い内容になってしまったので、今回はね若干重めです。
私の幼少期のことを振り返ると結構重たくなるんですね。すいませんが。
ですがあの重たい気持ちを引きずらないようにスッキリして聞き終わってほしいなと思っているので、安心して最後まで聞いていただけたら嬉しいです。
はい、今日のテーマはですね、子供の時の気持ちをなぜ私たちは忘れてしまうのかというテーマでお話をしたいと思います。
結論から言うと、もうプログラミングされてるだけっていうことなんですね。
順番にお話ししていこうと思います。
まずね、この子供の日をテーマにして、私が話せること、私だからこそ話せることって何かなって最初に考えたんです。
なった時に私が思ったのは、私はお母さん歴11年ぐらいになるので、親としての立場も11年間あるわけですよね。
で、もちろん私は両親の子供でもあるので、子供の立場、子供の視線、子供の目線で色々物事を考えたこともあるわけですよ。
だから、親の気持ちも11年分はわかる。で、子供の気持ちもわかる。そこが私の持っている視点なのかなって思ったんですよね。
だからその視点、2つの視点を使って話せることって何かあるかなって思ったんですよ。
で、考えていくうちに、いやでも待てよと。 子供の気持ちも知ってるはずなのに、親になってから子供の時の気持ちをめちゃくちゃ忘れてしまってないかっていうことにも気づいたんですよね。
子供の時の気持ち知ってるはずだから、こんなん言われたら嫌やとか、こんなん言われたら腹立ったとか、こんなことをされたくないとかって全部わかってるわけですよ。
子供の立場で。なのに、なのに言っちゃうんですよね。子供にこれ不思議やなと思うんですけど。
子供の気持ちを忘れる
軽いもので言うとね。
なかなかお風呂に入らないと。でもお風呂入ってくれないと順番使えてるし、最後の人とか遅くなるから、お風呂入ってよ入ってよって言うっていうやつとか。
これ私子供の時にお風呂入ってお風呂入ってって言われるのめちゃくちゃ嫌だったんです。 だって入ろうと思ってるから入ろうと思ってるのにお風呂入ってよとかって言われると
言われるまではもう99%入りたい気持ちで入ろうとしてたのに言われた瞬間でそのねお風呂に入り たい気持ちがゼロになるんですよ
でもそんなん言ってから入りたくなくなったやんかとか言ってました。 エレクトの練習とかもそうなんですけど、練習したんとか
練習してよみたいな風に言われるともうねもうそんなこと言われたらもうやりたくありません しませんみたいな感じになってたんですよ
なのに言うんですよね。同じこと言うんですよね。子供たちにねお風呂入ってよってすごいしつこく言っちゃうし
なんかピアノの練習がどうのとかドラムの練習がどうのとかね言ってた。言ってしまっていた。 で言った後にうわこれ言われたら嫌な奴って分かってるのにまた言ってもうたって
いつも思うんですよ。でそれに気づいてからはかなり意識して特にドラムとかね 言わないようにしてたんですよ。もうあのあんまりこうなんでしょうね
気にしないようにというかもう失敗したら失敗したでそれは彼の失敗みたいな 発表会で間違えたら間違えたでもそれは彼の学びみたいな風になるべく思うようにしてたし
もう言いたい気持ちを抑えてもうなんかもう口もうテープで貼りたいぐらいの気持ちになったりしてたんです だけど
まあまああの軽いことから重いことまで 言われたくないと思ってたことをそのまんま同じ言い方で言ってるなぁって思うんですよね
いいこともありますよ 言われてよかったなって思うこともあるからまあそれは子どもたちにも
引き続き言ったりするけどまぁよくも悪くも親が言ってたこと私の場合はおじいちゃん おばあちゃんとも敷地内同居してたのでおじいちゃんとおばあちゃんが言ってたことっていうのをそっくりそのまま言ってしまうんですよ
で そうなってわかったことなんですけどこれって本当に言ってるのは私ですよ
私の体を通して私の声を通して言葉が出てるんですよ だけどこの言葉の背景にあるものって私だけのものじゃなくって母だったり
おじいちゃんおばあちゃんだったりお父さんもそうですけどとか育った環境とかっていうのがこの言葉の後ろにはめちゃくちゃあるなっていうふうに思うんですよね
だから 例えば
なんでしょうなんか練習しなさいとかお風呂入りなさいとかっていうのはもうね 私にプログラミングされてると思う
もうプログラミングされてしまってだから同じような状況に出くわすともうその言葉がねもう自然と ポロッと出ちゃうんですよなんかも a のボタンを押したらもビームみたいな感じで
もうお風呂に入らなあかんのに入ってない子供たちを見るとビームみたいなお風呂入った みたいな感じで出ちゃうんですよこれ
過去と現在の価値観
ね そう
って思うとこれ母とかおじいちゃんおばあちゃんとかもプログラミングされてたわけなんですよ そのプラグのプログラミングされる
にはその当時のねなんかそれこそ社会の流れがあったりとか 当時の価値観があったりとかお母さんにもお母さんがいるわけだからそのお母さんの
言葉とか っていうのが全部そのプログラミングに組み込まれていて
それが母だったら母のおばあちゃんだったらおばあちゃんの体とか声とかを通して出てき てるんですよね
だからその発言とか行動っていうのはその人を通して出てきているように思えるけれども その背景とかを考えるとその人だけの問題じゃないなっていうふうに思うんです
我が家のねおばあちゃんは私が一人孫なんです で
私がね髪の毛を長く伸ばしたりとか髪の毛を明るく染めたりとか ネイルをしたりとか化粧派手な音なんかまつ毛つけたりとかすることに対してにすごく
大反対する人なんですよね まあ今もいるんですけど実家に
a 私はねそういうことをするのがすごく好きだから結構早い段階から化粧をしたりとか なんかまつ毛をまあ時代もありますけどなんかまつ毛を名前をつけたりとか
ネイルしたりとかしてたわけですそしたらもうなんかそれに対して私は好きでしてるんだ けど
めちゃくちゃ高否定的な言葉を言ってきたりとか なんか
遠回しにすごいこういや見たらしい感じなことをね言ってきたりするんですよ だけどおばあちゃん私のことめちゃくちゃこう大事にしてくれてるし好きだしまあ愛して
くれてるのは知ってるんだけどそうやってもチクチクチクチクね言ってくることが私は すごく嫌だったんですよね
まあそれなりに傷ついたりもしたし嫌な思いもしてたんです だけどその話をした後におばあちゃんがいつも言うのは
自己肯定感の大切さ
おばあちゃんの頃はそんな戦争中やったから髪の毛にそんなにちゃらちゃらしてたら怒ら れたわとかそんなところにかけるお金はなかったわみたいなも食べるので必死
やったからみたいな話をするんですよねおばあちゃんが でまあ確かにそうよなって思うんですよ
私は戦争を経験したことがないし食べ物にはね苦労するみたいな経験もありがたい ことにないです今まで生まれてから今まで
だからやっぱり私が経験してこなかったことをおばあちゃんは 時代の流れもあって経験しているしそこで私が感じたことのないような感情とかも感じ
できているわけなんですよね だからそういう経験を持ったおばあちゃんが私がなんか何も考えてなさそうな感じで髪
の毛を明るく染めたり なんかすぐもうねなんか色もコロコロ変えたりとか爪いろんな色にしたりとか
なんかまつ毛にねどんだけのせる年ぐらいのまつ毛を載せたりとかしてるのを見ると そりゃあんだそんなところにお金かけてってまあなるようなと思うんですよね
当時はただなんかなんでそんなこと言うのとか 好きでやってるんやから好きにさしてやとかなんか私がバイトで稼いできたお金でやってるん
やからとかなんかもういろいろ言いたいことはあったし今言ってたかもしれない だけど
まあそれはおばあちゃんから出てきているそういう否定的な言葉なんだけどその後ろには 歴史があったりとか社会の流れがあったりとか
当時の価値観があったりとか今のね当時のおばあちゃんの価値観があったりとかっていう のがあってのその発言
だから だからなんていうのかな
その 言葉が出てくるっていうのはおばあちゃん自身もプログラミングされてたんだろうなと思うん
ですよね
そうそう なのでまぁちょっと話を戻すとそうやって言いたくないことを言ってしまう
なんか親とか周りの大人から言われて当時子供の立場で嫌だったことを同じように我が子に 言ってしまうことに対して
うわもう私言ってしまってるやってしまってる嫌やったのにあんだけ嫌やったのに 同じことやってしまってるって
思いますよ思うけどでももうそこで自分を責めたって何にもいいことないから じゃあどうするのかじゃあどうしたらいいのかっていうと自分を責める労力を
プログラミングされた言葉
違う方向に向けてその方向っていうのは私はこういうふうにプログラミングされてるんだなって なんかこういう場面を見たらこの言葉が出る
っていう風にプログラミングされちゃってるんだなっていうことをまず知ること
例えば言葉で言うとなんかこう子供たちがわちゃわちゃキッチンとかに行ってご飯 作ろうとしている時に子供たちがいる時に
正直そこにいられるとすごい困ると邪魔だと でなった時にね子供たちに向かって邪魔っていうのって私すっごいそれ嫌なんですよ
邪魔って言葉を使うの だけどそういう状況に対してとっさに邪魔って出てしまう人ってたくさんいると思うん
ですよねまぁちょっとのその話なんですけど 大きな声ではないですけど旦那さんの話なんですけど邪魔っていうのがすごい
邪魔って言わんといてって思うんですよ だけどこれも旦那さんの中でプログラミングされてしまっているから
言っちゃうんですよね悪気なく言っちゃうんですよ だったら邪魔って言葉が出そうになったらその言い換えの言葉を自分でリストアップして
おいて この言葉はこの言葉に言い換える例えば邪魔なんだったら邪魔って言わずにちょっとそこ
時計てとかちょっとそこも言えないんだったら時計てに変えるとかだけでも全然 違うんじゃないかなと思うんですよ
だから自分が言いたくない言葉とか言いたくない言い回しがもしあるのであればそれを
どうやったらどういう言葉で言い換えられるかなっていうのをね冷静な時にちょっと リストアップしといた方がいいなと思うんですよね
これだってもイライラしてる時とか本当に邪魔って思うときにこれを言い換えるとなんて思え ないですよ絶対思えないそんなものも全然思えない
だから冷静な時に私ってこの言葉結構言っちゃうな言った後に自分のことめちゃくちゃ嫌 になるな本当は言いたくないのになっていう言葉とか言い回しがあったら冷静な時にそれを
言い換えるような言葉を自分の中でストックしておく あとはなるべくそれを使うように日々のね暮らしの中で
癖にして習慣化していくっていうのが トレーニングですよねこれねほんとね
あれかなって思いますね 私はずーっと子供たちがちっちゃいお兄ちゃん姉ちゃんがちっちゃい時からやってるのは
その否定的な言葉を使いたくないなっていうのはかなり意識していて なんでかって言うとねこれもまた長い話し出す長くなるんですけど
上野兄ちゃんは本当にね起こる機会がめちゃくちゃ多かったんですよ 怒らないといけない場面が本当に多かったんですよね
当時そう思ってたんです私はだからめちゃくちゃ怒ってしまっていて だからちょっとでも否定的な言葉を使う機会を減らしたかったんです
だからも走らんといてとかも走ったあかんとか言うんじゃなくて あの歩いてって言うっていう
否定の言葉じゃなくて走らないでじゃなくて歩いてっていうまぁこれはよくね育児書 とかでも書かれてたりまあインスタとかもとかでもよく言われてたりしますけど
何なにしないでないなにあかんじゃなくってじゃあどうするかの歩いてっていうのに いうように癖付けたんですよね
そしたらもう最近はもうそれが勝手に口からねあの上書きプログラミングされてるので 走ってたら歩いてとか言って歩いてで言ってるやろうみたいな感じで言えるようになったんですよ
でもねこれあの走ったらあかんっていうのと歩いてっていうのとどちらとも止まりませんよ わが子たちは子たちは言い方を変えてもあの止まらないよ止まらないけどでもあの
ネガティブな言葉をかけ続けるよりも私はポジティブな言葉をなるべくですけどなるべくね 子供たちにはかけたいなぁと思うから
なんかこうやってちょっと意識するだけで 癖になっていって習慣化されていくから
これはねぜひぜひ 必要な方はと言えて見られたらいかがかなと思いますね
はい ということで
今日は子供の時の気持ちをなぜ私たちは忘れてしまうのかというテーマでお話をしました
途中ねあの子供の日のテーマなのにおばあちゃんのなんか幼少期の話とかまで言って しまってどうなることかと思いましたけれども
何が痛かったかというと子供の気持ちを忘れてしまっているというよりも私たちは その良くも悪くも育った環境だったり当時の社会の流れだったりとかいろいろなこと
両親もそうだし私だったらおじいちゃんおばあちゃんもそうなんですけどいろいろなことが 合わさって自分の中にプログラミングがされていると
だから 言われて嫌だったこととか本当は言いたくないこととかもとっさに口に出ちゃったりする
でじゃあどうすればいいのかっていうとプログラミングされてるんだなっていうことを まず知っておくこととそれが嫌なんだったら
言葉の選び方のトレーニング
言い換える言葉を自分の中にストックしておくでそれをなるべく普段の生活で使えるように 癖をつけたりとか習慣化していくっていうのができることなのかなと思えますね
という 今日もね
テレビ消して寝てみたいな言っていた私なんですけどどの口が言ってるんでしょうかという感じ なんですけどねとりあえずあのゴールデンウィーク皆さん本当にお疲れ様です
ねあのゴールデンウィークの方が疲れるっていうご家庭もあるんじゃないかなと思います 我が家はあのここ数年ゴールデンウィークだったり夏休み冬休み
もうそんなに疲れなくなってきたんですけども 6年前とかはねもう土日が来るたびに祝日が来るたびに長期休みが来るたびに本当に
私ゲッソリしていたのでもしかするとそういうご家庭もあるのかなと想像しております もう休めるときに休んでね
はい寝れるときに寝て もう家とか散らかってても全然大丈夫もう洗濯物とかも洗い物とか溜まってても全然大丈夫
そんなも全然大丈夫なのでねぼちぼちやっていけたらなと思っております はいということで最後まで聞いていただきましてありがとうございます
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