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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、子育てを通して自分を見つめ直す方法や、母親として過ごす中での気づきや学びをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。
また旦那さんのお話なんですけれども、絶賛バス釣りにハマっている旦那さんはですね、
これまでまだ1匹しかバスを釣ったことがないんですね。
道具が本当にどんどん届いていて、家で毎日釣り竿振る練習をしてるんですよ。
イメトレみたいな。
振る練習をしていたら末っ子にね、釣り竿を折られて、また新しい釣り竿を買ったりとか、
本当になんか、道具と知識ばっかりが増えていって、実際にはまだ1匹しか釣れていないっていう現状なんですけど。
最近、かかるけれども釣り上げた時に逃げてしまうっていうのが続いてるらしくて、
次は網がいるって言ってたんですよ。
で、網がいるって言ってたのは知ってたんで、また網届くんかなって思ってたんですけどね。
なんかめちゃくちゃでっかい箱が届いて、本当に2歳の末っ子2人分ぐらい入るぐらいの大きい箱届いて、
何頼んだと思っていたら、
その中に網が入ってたんです。
で、私が想像してた網の、もうね、冗談抜きで10倍ぐらい大きい網で、
私が今までの人生の中で見た網の中で一番大きい網が我が家に届きました。
長さで言うと、もう20メートル、30メートルぐらいあります。全部伸ばしたら。
で、網の部分は小さんの息子、小児の娘、2歳の末っ子が3人とも入るぐらいの網の大きさなんですよ。
もうこれガチのやつやんと思って、
いやもうこんなん持って川でバス釣りしてる人いる?みたいな。
言ってたんですよ。
で、旦那さんもね、いやなんか思ってたより大きかったとか言って、
本人も予想外の大きさだったらしくてね。
で、本当に恥ずかしいぐらい大きい網なので、
こんなん持って行って一匹も釣れへんかったらほんまに恥ずかしいでって言ってたんですけど、
でまぁそんなことで、そのね巨大網を持って、
今朝も4時頃から起きて行きました。
結果、ゼロ匹でした。
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成長しない。
もうね、このポッドキャストでバス釣りの話絶対需要ないやんって思ってるんですけど、
もうネタにしようと思って、
ちょっとここでバス釣りの経過も子育ての様子とともにお伝えしていければと思っております。
今日のテーマなんですけれども、
今日のテーマは言葉にできない思いや経験っていうテーマでお話したいと思います。
でこれは、たまたま最近お友達におすすめしてもらった、
吉本バナナさんの体は全部知っているっていう本を読んでいて、
その中の短編集がいっぱい入ってる本なんですけど、
その中のサウンドオブサイレンスっていう話を読んでいて、
なんかふと思ったことなんですね。
で、言葉にできない、言語化できない思いとか経験とかって皆さんありますかね?
なんか小さくても大きくてもそういうのってみんな少なからずあるんじゃないかなと思っていて、
そんな思いは持っててもすごくいいなって思うんですよ。
いいなというか人間味があるなってすごく思います。
でそれは必ずしも言語化する必要はないと思うし、
向き合っても向き合わなくてもいいんじゃないかなって思うんですよね。
それを選択するのは自分だし、
でも自分で向き合わないのか向き合うのかみたいなことを自分自身で分かっておいた方がいいのかなとは思うんですけど、
それは別に向き合わなくてもそれで過ごしていけることも十分にあるんじゃないかなっていうのは思っています。
逆に向き合うって決めて、言葉にできない思いとかっていうのを言語化しようと思うと、
その思いっていうのと正しい向き合い方とか正しい環境、それを言語化するにあたっての正しい環境っていうのがすごく大切になってくるなって思ってるんですね。
その正しい向き合い方環境っていうのは、きちんと自分と向き合うとどうしても自分のないものとかに目が行きがちだったりとか、
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自分の短所に目が行きがちだったりとかする傾向があるかなと思うんですけど、
そうではなくてちゃんときちんと自分の持っているものあるというところに目を向けるということと、
もう一つは他者の視点で自分自身の言葉にならない思いとか経験とか自分自身というものを見つめてもらったり意見をもらったりするということと、
もう一つがその言葉にならない思い経験と向き合う時の向き合うだけのエネルギーがあるかどうかっていうのがすごく大事かなって思います。
だからこの3つあることに目を向けるあるものに目を向けるということと、他者の視点を入れるっていうことと、
あとはその向き合うだけのエネルギーがあるかどうかっていうことが大切じゃないかなって思うんですね。
なんでこういう環境とか向き合う姿勢が大事かって思ったかっていうと、
今まで言葉にせずに言語化せずに思ってた思いを言葉にすると、よりねずっしりと重く感じるんじゃないかなって思うんですよ。
例えば、
なんかちょっと好きかもみたいな、すごい昔の経験で語るんですけど今から好きかもみたいな人がいたら、
好きかなどうかなって思ってる時って自分でも気持ちわからないけど、それってまさしく言葉にならない気持ちだと思うんですけど軽めのね。
でも友達にね、あの人好きかもって言っちゃったらめっちゃ好きになりません?
例え方間違ってるかな?大丈夫かな?でも私いろいろ考えた中でこの好きかもっていう例えが一番わかりやすいんちゃうかなと思ってこれを選んだんですけど。
言葉に、一度言葉に自分の口から言葉にして出したり、自分の頭で考えた言葉を自分から発することによって、
その気持ちってずっしりと自分の中に入ってくるように思うんですよ。
だからこそその言葉にならない思いとか、そういう今までね、別にそれを言語化しなくても向き合わなくてもなんとなく過ごせていた気持ちと向き合った時って結構こう、
時と場合によってはダメージをものすごく受けたりとか、
すごく凹んだり落ち込んだりとかっていう状況に陥るなって思ったんですよ。
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なので、この正しい向き合い方とか正しい環境っていうのがすっごく大事だなっていうふうに思ってます。
例えばそんな気持ちとね向き合わないと決めたとします。
決めてなんとなく過ごしていけることも十分にあると思うんですけど、
それがねなんとなく過ごせなくなるのが子育てしてる時なんじゃないかなっていうのをすごく感じてるんですよね。
子育てをしている中で今まで別にこう蓋しても大丈夫だった、蓋しておいても大丈夫だった自分の過去とか思い出とか気持ちとかが、
なんかね、すっごいこうツンツンされるんですよね。
そこを蓋してんでみたいな、見て見ぬふりしてること知ってるでみたいな感じでいろんな角度から刺激されるから、
だからこう見て見ぬふりをできなくなったっていうのが私の経験上のお話です。
で、やっぱりねその向き合わなくても向き合わないままで言葉にできない状態の思いのままで
ふわっと置いておいたとしても結構こう仕草とか言葉とか思考っていうところで、
そのプシプシに影響するんじゃないかなと思っていて、
必ず人って点で繋がっていると思うんですよね。
3歳の時の自分と10歳の時の自分、20歳の時の自分、30歳の時の自分で、
全然違うように思いますけどいきなりパンパンパンパンって切り替わったわけじゃなくって、
あの時の自分があったからこの時の自分がいてこの時の自分があったから今の自分があるっていう感じで、
ちゃんと線で結ばれてるからこそ、
言葉にならない思いとか思い出とかちょっとこうモヤモヤしてたなぁの時はっていう経験とかね、
考え方っていうのが自分の今の言動とかに影響してるんだろうなって思います。
こんなこと言っていると向き合ってもいいし向き合わなくてもいいって言ってるくせに、
めっちゃ向き合う方に持って行ってるやんって今自分で喋りながら思ったんですけど、
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でも今のままでいいって思っているのであれば全然もうその今のままで大丈夫だと思いますし、
その方が楽に子育てができて暮らせるなって思うのであればそのままでいいと思うんですね。
でも今のままではちょっと辛いなとか、なんか子育てしにくいなとか、めっちゃイライラしてしまうなとか、
イライラはしますけどね、イライラはするんですよもう絶対。
でもなんか辛いなって思うのであれば、その言葉にならない自分の思いみたいなのがないかなって考えてみたらいいんじゃないかなっていう風に思います。
要するにね、今日言いたかったのは、その言葉にならない思いがみんな少なからずあると。
それは向き合っても向き合わなくてもいい、それを選択するのはあなた自身ということ。
ただその向き合うって決めたのであれば、その正しい向き合い方、正しい環境っていうのが大事で、
なんでかっていうと、言葉にならない思いを言語化した時にすごく落ち込んでしまったりとか、
ずっしりと重く這い上がってこれない可能性もあるなって思ってるので、
正しい向き合い方で自分と向き合う、安全な環境で自分と向き合うっていうことが大事かなっていうふうに思っております。
今日も最後まで聞いていただきましてありがとうございます。
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では今日も素敵な1日になることを願っております。