AirPodsの復活
ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て末輩中の私が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ここでちょっとお知らせ、お知らせじゃないか、ご報告があるんですけども、私のAirPodsが無理に復活しました。よかった。
ここから聞き始めた方はね、初めましての方は本当になんのこっちゃという感じかもしれないんですけども、前回から前々回ぐらいかな、の時に、
つえっ子のね、幼稚園のバス停のお迎えに急いでダッシュしていたら、肩からかけていた携帯とAirPodsのケースと車の鍵があるんですけど、なぜかAirPodsのケースがボチって切れて、そのまま私が走っていた横にあるドブ川にポーンって落ちたっていう話をしてたんですよね。
で、ドロドロになったAirPodsを乾かしたりなんかいろいろしてみて、治るかわからんみたいな風に言ってたんですよ。そこから乾かした方がいいんじゃないかとか、完全に乾くまでは電源入れたらあかんとかいろいろな情報をいただきまして、結果途中で電源入れちゃったんだけど、無事に完全に乾いて完全に復活をしました。
よかった、本当によかった。本当によかった。ありがとうございます、皆さん。
ただね、泥だけは落ちてなくって、AirPodsパカッと開けたときの口が空いた状態のときのそこの中のところが真っ黒なんですよね。びっくりするくらい真っ黒なんです。
除光液で拭いたりとか綿棒を突っ込んでクリクリしたりとかしたんですけど、その汚れだけは取れない。どうしても本当に外では開けないぐらい真っ黒なAirPodsになっちゃったんですけど、とにかく機能が復活したからよかった。
よかったな、アップルすごいなと思ってます。
ご心配してくださった方々、本当にありがとうございます。
はい、そして次が大事なお知らせです。もうAirPodsのことはいいんですよ、別に。次が大事、本当に大事。
またまた、ポッドキャスト番組、コラボをさせてもらって、大好きな番組、子育てのラジオティーチャーティーチャーという番組にお邪魔をさせてもらいました。
この大好きな番組っていうのが最近多すぎて、すごい嘘っぽいし、うさんくさいんですけど、そんなことないからね、全部大好きな番組なんですよ。本当に本当です、これは。なんかうさんくさいように聞こえてそうで、今自分で言いながら大丈夫かなと思ったんですけど。
元をたどると、この子育てのラジオティーチャーティーチャーっていうのは、ポッドキャストが始まる前に私はインスタの方をフォローしていて、インスタの方を知ってたんですよね。
インスタは世界を回る先生というアカウントをされていて、このアカウントは最初私フォローしてなかったんですけど、オススメでめちゃくちゃ上がってくるんですよ。
どういうものが上がってくるかというと、ディズニーに出てくる顔のエフェクトをつけた男の人がゴリゴリに上手なダンスを踊っているっていう動画がまずあるんですよね。
その上に文字で、僕は小学校の先生っていう文字が書いてあって、そこからこういう子がいるんだけど、そのお母さんに聞いてみたところみたいな感じで動画が終わるっていうような動画、このパターンの動画がオススメに何度も何度も何度も何度も出てきてたんです。
だから私はすごい気になっていたんですよ。
これ私のインスタのアカウントも含めてなんですけど、今子育てのアカウントってもうあふれ返ってるじゃないですか。本当にあふれ返ってるし、同じような内容のものばっかりあふれ返ってるんですよね。私のも含めてです。
だから、もうなんかインスタで子育てのアカウント、もうええわ、お腹いっぱいやわって思ってたところもあったんですよね。
私自身がその子育てのアカウントをしてるから、アルゴリズム的にもそういうものばっかりが出てくるっていうのももちろんあるんですけど、なんかみんな結局同じこと言うてるやんみたいな、同じやんと思ってたんですよね。
もうええわ、お腹いっぱいやわと思ってた。
だけど、このディズニーの顔をしてめちゃくちゃゴリゴリに上手に踊っているこの動画が、もう一度見たら忘れられない。
でも目を引くわ、目を引くわ、なんだこれはと思って。
だからもちろん内容もね、その子育ての内容だったり教育的な内容で勉強になるためになることなんですけど、
それよりも私は発信者として、なんかすごい上手だなと思ったんですよ、この目を引く。
いろんないっぱいのこのアカウントがある中で、こうやってこう何度も目を引かせるような仕掛けを作れるってすごいなっていうところにすごくなんか惹かれて、
フォローさせてもらいますみたいな感じでフォローをしたわけなんですね。
そしたら少ししてラジオが始まって、ポッドキャストが始まって、ポッドキャストが始まったと思って、あそこからポッドキャストを聞かせてもらうようになったんですよ。
そしたらもう私はもう断然インスタあるポッドキャストの方がいいなと思って。
で、何がいいってね、この番組ティーチャーティーチャーは春香先生という小学校の先生と、あと木利くんっていう2人の方でされている番組なんですよね。
で、私イメージとしてですよ、これは本当に偏ったイメージですけど、先生と呼ばれる方とか教授とかが言われている子育て論みたいなもので結構ね、
基調の空論というのか、正論というか、教科書に書いてそうなことを発信しているっていうイメージが強かったんですよ。
実際にそういうものも多いなと感じてきたんですよね。
だけど私の子育てをしている中での葛藤って、それもわかってる、それもわかってる、それもよく聞く、でもそれができひんから困ってんねんっていうところが結構一番苦しいところではあったんです。
だから、結局そういう子育て論みたいなものを聞いても、聞いたら余計に自分がしんどくなるっていうループになることが多くて、だから苦手意識が若干あったんですけど、
でもこのティーチャーティーチャーに関しては、やっぱり実際に現場を経験している先生、現場を経験してそこでいろんなことを感じて、いろいろ悩んだりとか葛藤したりっていう経験があるからこそ、こちらにも寄り添ってくれるっていう、
大変よな、お母さん大変よなっていう気持ちもちゃんと汲み取ってくれるっていうのをすごく感じて、
だからすごくスッと入ってきやすいし、もちろん内容としてもためになるものばっかりなんですよね。
だから好きで全エピソードを聞いてるんですけど、そんな番組にですね、なんと呼んでもらいまして、出演コラボさせてもらいました。
内容もそうなんですけど、このね、春香先生と人志君の2人のやりとりが本当に良い。
優しい世界線、柔らかな世界線という感じなんですよ。もう2人のね、なんかこうやり合いやり合いじゃないか、掛け合いが本当に私は好きで、いい空気感やなって思って聞いてるんですよね。
だからなんかその2人の優しい空気感の中に、私が入っていて大丈夫かしらという気持ちもあったりとか、
「かわいい」ってなんなん?
もともとそのティーチャーティーチャーがすごく好きで聞いている親御さんたちからしたら、もう誰やねんこいつみたいな感じにならんやろうか、大丈夫やろうかと思いながら、
そうは言いつつもめちゃくちゃしゃべり散らかしてきたんですけども、すごく楽しかったです。
全部で3つエピソードがあるのかなと思うんですが、第1回目のエピソードがティーチャーティーチャーの方で公開されておりますので、ぜひそちらを聞いてみてください。
テーマは、もうテーマもこれ面白いよ。
協調性が大事?個性が大事?というテーマです。面白そうでしょこれ。ほら好きそうでしょ。
面白かった、ほんとに。
しかも、これはあまりネタバレしたくないし、実際に聞いてもらうのがいいなと思うんですけど、
私自身はすごく日本の教育に対して、私なんとか語れることはないわとかとも思うんですけど、
どっちかっていうと、世の中で日本の教育ってネガティブに語られることが多いのかなって思ってたんですよね。
だけど、実際にその先生から日本の教育についての話を聞くと、全然ネガティブなことだけではなくて、希望が持てるような内容だったんですよ。
だからすごく嬉しかった。私はこの話を聞いてよかったなって思ったのでね。
ぜひ聞いてみてください。URLは概要欄に貼っておきますので、ぜひね、飛んで行ってみてほしいなと思います。
そして、まだ今日の本題には入っておりません。
今日のテーマは何かと言いますと、「かわいいってなんなん?」というテーマでお話をしたいと思います。
これさっきも危うく、はるか先生とひとし君の二人のやりとりが、かわいいって言ってしまいそうになったんですよ。
でも確かにかわいいんです。
かわいいっていう言葉、いやわからない。
もしかするとね、かわいいと言われてお二人が不快な思いをされるかもしれないし、これを聞いている方が不快な思いをされるかもしれない。
だけど、私の感覚としては、なんかすごいかわいい雰囲気やなって思っちゃったんですよね。
でも、かわいいってなんなんって思う?最近。
その前に結論を言おう。
結論から言うと何が言いたいのかと言いますと、今回は、かわいいって言葉っていろんなことを片付けすぎていないかということ。
「かわいい」の意味とは
片付けすぎているがあまりすれ違いが起きてるんじゃないかっていうことなんですよね。
かわいいに限らずかもしれませんけど、ちゃんと言葉使おうぜってことですね。
何があったのかと言うと、
私、少し前に読んだ本があって、またまた西かな子さんの本なんですが、西かな子さんのキリコについてという小説を読んだんですよね。
これは出たのは2008年とかかな、2009年か、かなので結構前に出ている本ではあるんですけど、
初めて文庫本で買って読んでたんですよ。
このキリコについての始まり、出だしがすごくて、
一番最初の出だしを何の目次とかもなくて、
本当にね、2ページ目とか一番最初の出だしが、
キリコはブスであるから始まるんですよ。
衝撃ですよね。
ブスである。ブスって言葉最近聞かんし、その始まりへ?と思って読み進めて読み終わったんですけど、めちゃくちゃ良かったんですけどね。
すごい良かったんだけど、
そのブスという言葉ですごく私自身自分のことを振り返ったんですよね。
これもう1文目から振り返ってるから、全然進まない本が。
私どっちかというと、結構その外見によくも悪くもめちゃくちゃ、
外見のことをよくも悪くも気にするタイプなんです。
今はだいぶ触れなくなったんですけど、
10代の頃、20代の頃とか、
あとまあでも30代入ってからもかな、
数年前くらいまで本当に外見のことについてめちゃくちゃ気にしてたんですよね。
結構そのいろんなものの判断基準とかも、
自分と「かわいい」の関係
可愛いか可愛くないかとか見た目が良いか良くないかとかで決めてしまっていたことも多いなと思うし、
なんやったら旦那さんとか顔で選んでますもんね。
これ言ったらあかんけど。
もちろん顔から入って、そこで話して、話があって、
あかちかん、会うなってなって好きになったっていう流れがありますよ。
だけど一旦最初はもう顔よ。顔がドタイプだったんですよ。
だから好きになったって言っても過言じゃないぐらいです。
何の告白を今してるんやという感じなんですけど。
でも自分のこともそうだし、
男性というかお付き合いする人のことも結構そういう感じで判断してしまってたなっていう風に振り返ってたんですよね。
それはずっと思っていて、私ってすっごい見た目にこだわるなみたいな。
なんでこんなにこだわるんかなってずっと思ってきたんですよ。
最近それとは別に、
末っ子がね、普通にYouTubeかNetflixを見てる時に、
ダメになるクッションに沈んでダダーンってテレビを見てたんですよね。
その横顔を見て、めっちゃ可愛いって思ったんです。
毎日毎秒可愛いんですよ、3人とも。
いつも可愛いの。どの角度から見ても全員可愛い。
後姿とかも全員可愛い。
それは承知の上なんです。
これも話しだすと長くなるけど、自分のメンタルがやられてる時は、
可愛いなんて全然思えなかったけど、今は比較的メンタルが整ってきているから、
毎日毎秒、どこの角度からも最高に可愛いっていう感じなんですよね。
末っ子なんて最上級よ。
ちっちゃいし丸いし、まだ赤ちゃんっぽいのが残ってるから。
だから可愛いなと思って、
可愛いって言葉に出てたんですよね。
気がついたら、もう溢れててたんです。
それを言ったら末っ子もフフンみたいな感じで喜んでたんですね。
ただ、その可愛いって口に出して言って、末っ子が喜んだっていうそのやりとりで、
私はまた違うことを思い出したんです。
何を思い出したかっていうと、
私、おじいちゃんおばあちゃん子だったんですけど、
おじいちゃんおばあちゃんから死ぬほど可愛いって言われて育てられたんですね。
一人娘の一人孫だったから余計に、
一人息子の一人娘の一人孫だから、
おじいちゃんとおばあちゃんのありあまるその愛情は、
私にだけに向けられ続けてたんですよ。
ずっと、今もですけど。
今は非孫がいるからあれか。
でも孫だけの時は、
全愛情というか、全可愛いが私に集まっていて、
可愛い、可愛いって育てられたんですよね。
私は、おじいちゃんおばあちゃんが私に向けてる可愛いっていうのは、
顔が可愛いっていう、造形的に可愛いっていう意味だと、
長年思ってきてたんですよ。
中学校入る、
高校、いや結構大きくなるぐらいまで、
結構大きくなるぐらいまで、造形的に可愛いって言われてると勘違いしてたんですよね。
だけど今ならわかるんです。
我が家の末っ子、私が可愛いって言う時って、
造形的に可愛いって言ってるんじゃなくて、
もうその存在すべてが可愛いっていう意味での可愛いなんですよ。
末っ子の顔面よりも可愛い子供たちなんて、
世の中にいっぱいいること知ってるし、
なんなら近所の子とかと比べても、
末っ子の顔より可愛い子をしている子供たちなんて、
いっぱいいるんですよね。
だけど私は、末っ子が可愛いって思うんですよ。
それはもう我が子だから。
でも愛情で可愛いって思ってるわけなんですよね。
そのことに本当の可愛いの意味、
「かわいい」の意味の変化
おじいちゃんとおばあちゃんが言ってた可愛いの意味に、
親身になって初めてぐらい気づいたんですよ。
で、私ちっちゃい頃って本当にブサイクで、
ちっちゃい頃って言って、今は可愛いみたいな言い方するけどさ、
写真見てもびっくりする。
本当にお先生でも可愛いと言えないお顔なんですよね。
顔面なんですよね。
だけど、その私をおじいちゃんおばあちゃんは、
可愛い可愛い可愛いって言ってくれていて、
私はね、可愛いって言われてるもんだから、
私は可愛いんだと思って育つわけじゃないですか。
で、ある時目が覚めたことがあって、
小5か小6の時に、
あんまりにもおじいちゃんとおばあちゃんが可愛いって言うから、
私自分のこと可愛いと思ってるから、
雑誌のね、ニコラの、
ニコラを愛読してたんです、私。
小学生の女の子雑誌みたいなやつ。
愛読してたんですけど、
ニコラのモデルのオーディションを受けたいって
おばあちゃんに言ったことがあったんですよ。
そうしたらおばあちゃんが、
えー、あんたー、みたいな感じで笑ったんですよ。
そんな、確かにおばあちゃんは可愛いと思うで、
やけどそんなのモデルなんてあんたー、みたいな感じで
すごい笑ったんですよ。
だから私は、え?って思って、
え、だっておばあちゃん、私が生まれてから今日までずっと
私のこと可愛い可愛いって言い続けてきたやん、みたいな。
可愛い言うてたやん、可愛い言われたから
モデルになろうと思ったんやんって
思ったんですよ、小さい頃の私は。
この話初めてするかもしれへん。恥ずかしい。
いや、どっかでしてるかな?忘れた。
で、そこで私は、はぁーって気づいて
おばあちゃんが言ってる可愛いってそういう可愛いじゃなかったんや、みたいな
風に気づいて、
で、でもその頃にはもう私の中で
可愛いは正義、みたいな
可愛いが全て、可愛いか可愛くないかが全て、みたいな風に出来上がっていたから
ちょっとでも可愛くなろうと、化粧とかもすごい頑張って
やり始めたし
遅刻してでも化粧はする、みたいな
精神になり上がりましたし
なんかね、その可愛いっていうところにめちゃくちゃ執着して
いたんですよね、ずーっと。
で、まぁそこから高校に入って付き合ってた彼氏とかに
なんかお前は中の芸やでとか言われたりとかして
ってなったりとか、今の旦那さんとかにもなんかちょっと喧嘩したらブズとか言われたりとかして
ってなったりとか
色々を経て
なんか私の可愛いの概念って何なん?
ってなったんですよ
で、ぼんやり思ってたところに
このキリ子についてを読んだんですけど
もうこれ読まれてない方は是非ね
読んでもらいたいなと思うし
近所に住んでいる私のお友達は全然化粧なので
言ってくださいって感じなんですけど
全く同じ感じなんですよ
このキリ子の人生が
ずっと可愛いって言われて育って
でもある時目が覚める時が来てみたいな
それを読みながら自分の人生と重ね合わせながら
今、なのにも関わらず
我が子に可愛いってむやみ当たりに
よく言っている自分を振り返って
可愛いって言葉は便利すぎて
可愛いに頼りすぎてるなと思ったんですよね
私の言ってる可愛いって
もうアイラブユーなんですよ
私が末っ子に言ってる可愛いは
愛おしいとか
大切だとか
なんかもう
誇りに思うとか
アイラブユーなわけですよ
私の可愛いは
だけどきっと末っ子には
アイラブユーとは伝わってないと思う
「かわいい」の定義とすれ違い
本当にキュートみたいな感じ
ビューティフル
いや、キュートみたいな感じかな
っていう伝わり方をしてる気がするんですよね
なんか
何かができた時
なんかサッカー上がりはできへんか
縄跳びが飛べた時とか
早く着替えられた時とかに
え、すごいかっこいいみたいな感じで言ったら
かっこいいじゃなくて可愛いでしょって
すごい言ってくるんですよね
年齢的なこともあるけど
すごく長女は今可愛いという言葉に敏感で
そんな敏感な時に
私がアイラブユーの込めて
可愛いなんていう言葉を使っちゃったら
これ同じことが起きるなと思ったんですよ
思ってることには変わりないんですけど
でも私の可愛いは
多分
キュートビューティフルみたいな
造形的に美しい
というよりも
とにかくあなたを愛しているとか
とにかくあなたが愛おしい
という意味の方が断然に大きいから
だから
こちらがちゃんと日本語を使わなあかんな
と思ったんですよね
それで言うと
親子のすれ違いとか
夫婦のすれ違いって結構
言葉選びを間違えたせいで
起きているすれ違いも
多いんじゃないかなと思うんですよ
この可愛いとかにも限らず
言葉の定義がそもそも違うから
私が思っている
可愛いの定義は
アイラブユーなんだけど
受け取る側の末っ子の
可愛いは
アイラブユーではないってなったら
やっぱりそこですれ違いが起きるし
同じようなことに
なってるんじゃないかな
いろんなところで
結局人間のすれ違いって
言葉のすれ違い
言葉の概念のすれ違いなんじゃないかなって
すごくね
感じました
結構そのリアルタイムで
あーせいこ可愛いなーって思って
可愛いって言葉に出しちゃった
あ出してる自分
関西弁を使った小説について
無意識に可愛いって出してる
って思ったことと
もう絶妙なタイミングで
読んだこのきりこについて
っていう小説があまりにもリンクして
さらにリンクした中で
私のこれまで感じてきたこと
経験してきたこととも重なって
すごくねなんか不思議な
感覚になっておりました
西香菜子さんの小説は
いろいろな方から
多分私好きやと思うで
ってずっと言われていて
だから3年前かな
4年前ぐらいから
ちょっとずつちょっとずつ読んでるんですけど
なんかね
関西弁
だからいいのかな
関西弁が
出てくるんですよね
いろいろなタイミングで
蜘蛛を探すもそうですし
だからかなすごくすっと
入ってきて
忘れていた
思い出とか経験とかを
一瞬にして引き戻して
くれるような感覚があって
小説っていいなっていう
風に
思っておりました
ということで今日はですね
「かわいい」の便利さと日本語の使い方
可愛いってなんなん
というテーマでお話をしました
可愛いって
すごく便利な言葉だし
なんだったらもう
いろんなことに対して
この間コラボさせてもらった
日本語工房の青柳さん
という方とかも
すごい可愛いとか思っちゃうんですよ
だけど可愛いってなんなん
みたいな便利に使いすぎやろ
可愛いに全部まとめすぎやろ
って思っていて
それでいい時もあるんだけど
でもやっぱり
人とのコミュニケーションの中で
なんかおすれ違ってしまう
きっかけにもなりかねないなと思うので
しっかり日本語が
使える人になりたいなという風に
思いました
ということで最後まで聞いていただきまして
本当にありがとうございます
冒頭にお話ししました
子育てのラジオティーチャーティーチャー
ぜひ聞いてください
1エピソード目が
今日火曜日の朝6時に配信されてますので
ぜひこのまま
そっちに飛んでいってもらえたらなと思います
ということで
今日も素敵な一日になることを願っております