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2024-04-07 53:36

#5 中国駐在の振り返り <自由編>

今日は2024年4月6日。約5年前の2019年6月から3年間、中国の上海に駐在していました。その頃の記憶が残っているうちに声で記録をとっておくことにしました。前編は<自由編>と題して、駐在開始からパンデミックが始まるまでのはじめの半年間の記憶を中心に辿っています。


出演: ともひろ


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こんにちは。今日は奥さんが出かけていて、僕家に一人なんで、ちょっと前からやってみたいなと思っていた一人ポッドキャストっていうのをやってみようと思います。
で、何について喋ろうかなって思った時に、ちょっと前から喋りたいなというか、声で記録を残しておきたいなと思ってたことがありまして、
それが僕、中国に駐在してたことがあるんですけど、その時の出来事とかをちょっと忘れないうちに記録しておきたいなと思って、
それについて思い出しつつ喋ろうかなと思います。
で、中国に駐在してたのが2019年の6月からの3年間。ちょうど3年間なんで、2021、22年の6月に日本に帰ってきました。
中国に駐在してくれないかと言われたのが、入社3年目の冬に、当時所属していた開発部の部長から言われました。
で、翌年の6月から、なんで、入社4年目の6月から3年間中国に駐在しました。
で、最初駐在してくれないかって言われた時に、すごい意外で、まさかそんな駐在のチャンスがもらえるというか、駐在してって言われるなんて思ってもみなかったんで、
僕ですか?みたいな感じですごいびっくりしたんですけど、結構いい勉強になるし、力になるし。
で、当時独身だったっていうのもあって、身軽だったっていうのもあるんで、ちょっと行ってみようかなと思って、
次の日か、次の次の日ぐらいに行きますということで、返事をしました。
で、最初言われた時は、一応親に連絡して、心配かけるといけないんで、中国に駐在しようと思いますっていうことで連絡して、まあいいんじゃない?みたいな感じだったんで。
で、当時付き合ってた彼女、今の奥さんなんですけど、にもちゃんと言っとかなあかんなと思って。
それで、行かんといてとか言われたらちょっと考えるなと思ったんですけど、意外といいやん、行ってきたらっていうので、軽い感じで背中を押してくれたんで、じゃあもう行こうかなということで駐在を決めました。
そう、だから6月かな、6月に駐在、上海に渡って、で、中国行って最初の2週間はもう家もないんで、ホテル暮らしで、
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で、その2週間の間に、ビザ、正式なビザ取ったりとかもしたのかな、とか住む家も決めないといけないんで、日本語喋れる中国人の不動産屋さん、会社が付けてくれたんですけど、
その不動産屋さんと一緒に、まあいろいろ家見て回って、どの家に住むかっていうのを決めるっていうのがその最初の2週間でありました。で、最初、そっか、健康診断もしたかな、なんか行って、いきなり病院行って、次の日ぐらいに病院行って、血液検査とかなんかいろいろ体に問題がないかとかっていうのを見られて、
なんで見られたんですかね、なんかビザ取るのに必要だったのか、まあなんかやらないといけないプロセスだったみたいですけど、まあそういうのを最初の2週間でやって、で、まあ家決めるときに、まあいろんな物件見て回ったんですけど、まず上海って結構広くて、
まずどのエリアに住むかっていうのがまず1個あって、で、まあもちろん土地感もないんですけど、不動産屋さんとか、先に駐在してた駐在院とか日本人の駐在院とかにいろいろ話を聞いて、で、まあ選択肢としては2個ぐらいあって、1個が日本人街っていうのがあるんで、Goobeっていうんですけど、
日本人街があるんで、そこに住むか、そこ結構日本人の駐在院たくさんいて、まあうちの会社だけじゃなくて、いろんな会社の駐在院が、日本人駐在院がよく住む町っていうのがGoobeっていう日本人街。で、まあもう1個選択肢がその会社に通いやすい。
そのどっちかかな、どっちか決めてはそのどっちかかなと思ってましたね。
まあ日本人街も良かったんですけど、ちょっと、あの、物件がどれも古くて、で、
まあ、なんて言うんですかね、まあ別に汚いわけじゃないんですけど、まあちょっと古さが目立つ物件だったので、まあ住んでてそんなにテンション上がんないというか、
あの、物件以外、町はすっごい住みやすくて、もう日本語も、レストランとか行ったら日本語も普通に通じますし、まあ日本食レストランもたくさんあるんで、すごい今思えばGoobeに住んどきゃよかったなって思うんですけど、
まあちょっと物件に古さがあったっていうので、そっちはやめて、会社に通いやすいところにしました。
で、会社、ちょうどオフィスが変わるタイミングだったんです。オフィスが移転するタイミングだったんですけど、
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あの、最初の3、4ヶ月ぐらいは古いオフィスに通って、で、その後は新しいオフィスに通うことに、もうその時点で決まってたんですけど、一応どっちのオフィスにも通いやすいところに決めました。
最初のオフィスからは徒歩10分弱で、で、新しいオフィスには、まあ最寄駅から電車1本で行けるみたいな、
上海のあの遊泳館っていうスイミングセンターの最寄駅が上海遊泳館っていう駅なんですけど、そこから徒歩10分ぐらいのところのサービスマンションに決めました。
で、ここ物件がめちゃくちゃ綺麗で、多分シンガポールの会社かなと思うんですけど、
まず敷地が広くって、その敷地の中にマンションの1棟とか2、第2棟、第3棟みたいなのが、えっと13棟ぐらいまであったのかな。
結構広いマンションで、で、敷地の中にもなんか噴水があったりとか、やっぱ上海のマンションですごい豪華なんですよね。結構規模も大きくって。
で、普通に敷地内にランニングコースあったりテニスコートあったり、ちょっとバスケットできるようなところとかジムもあるし、
プールもあるし、遊具もあるしみたいな感じで、かなりいい物件だった、物件で、で、
部屋も結構広くて豪華で綺麗な感じだったんで、ここいいなーっていうので、そこに決めました。
今もとグーベーってやっぱ人気エリアなんで、同じ値段出しても、その建物自体はちょっと古さあったりとかちょっと狭かったりするかもなんですけど、
そこはちょっと外れてるというか、別に人気のあるエリアでもないんで、そういうのもあって同じ値段出しても結構いいところに進めたのかなとは今になって思いますね。
シャンハイの物件ってめちゃくちゃ高いんで、そういうとこ住んでるのって、僕らみたいな駐在員、外国から来た駐在員か、もともと中国のシャンハイにいる小金持ちみたいな人が住んでて、
ちょっとこういい会社乗ってるみたいな感じの人が住んでる、なんかそんなマンションに住ませてもらいました。
で、そこサービスマンションで掃除も、掃除の人も週に2回入ってくれるみたいな結構いいところで、
掃除自分でしなくて楽やなと思ってたんですけど、掃除のおばちゃんが掃除してくれるんですけど、
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留守の時は勝手に入って掃除して、留守じゃない時もピンポンピンポンって何回もピンポン鳴らして、
ちょっと取り込んでたりリモートワークしてたりしても、いや掃除やからみたいなんで結構ガツガツ入ってくる、
中国人っぽい感じで結構面白かったんですけど、
まあなんか、まあなんせよかったですね。シーツも替えてくれるし、助かりました。
名前は、えっと、 シュウフイガーデンサービスアパートメントみたいなところで、11号棟の2階に住んでました。
そうそう、そのマンションまたいいところがあって、そのさっき言ったグーベイっていう日本人街まで送迎バスが出てて、
毎日何本も出てるんですよね。
でその、もちろん無料なんですけど、そのバスに乗ったら何個か主要スポットもあってくれるんですけど、
日本人街まで行って、まあ日本人街高島屋とかもあるんですけど、
まあその高島屋の前までつけてくれたりとか、そういうところもあって結構いいなと思って。
あと敷地内に日本のコンビニ、日系のコンビニもあって、
日本のカンビールとか、キリンとかアサヒとか、なんか知らないですけど、向こうのキリンとかアサヒって安いんですよね。
現地で作ってるからか知らないですけど。
とか、なんかポテチとか、ポテチとか、なんか入れろ、置いてるような日本のコンビニもあって、
洗剤とかもいちとかの、まあ何でもありましたね。
そんなのも敷地内にあったんで、結構良かったですね。
そう、そのさっき言ったグーベーっていう日本人街の方は、クオリティの高い日本料理屋さんもたくさんあったし、もちろん日本語通じるし、
なんかそば屋とかも、すごい一見好きなそば屋居酒屋みたいなのがあったんですけど、
そこもそば以外にも、普通になんかいろいろ居酒屋メニューあったんですけど、すごい美味しくて、
しかも、普通日本食レストランって割高なんですけど、そこはそんなに高くなくて結構好きでしたね。
とか、焼肉屋さんとか寿司屋さんとかいっぱいあるんですけど、
なんかそういうところって、さっき言ったみたいに日本食レストランって基本割高なんですよね。
その向こうの人からすると、日本人駐在員って、それなりになんかお金持ってる人が来るんで、駐在されるこう、
役職が上、僕みたいな若手で行く人って少なくて、どっちかというと役職が上のこう、おじさまとかが行くんで、
そういう人って駐在手当とかは、もともと役職高いっていうのもあって、お金持ってるし、
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食にこだわったりする人も多いんで、結構羽振りがいいんですよね、飯に対しては。
そういうのもあって、日本食レストランって基本割高のプライスで、価格で設定されてるんですけど、
でも一方でその、焼肉屋さんとかお寿司屋さんでちょっといいところに行ったりすると、逆にめちゃくちゃ美味しいんですけど、
このレベル、日本の、例えば東京とかで行ったらもっと値段するで、みたいなところでも、ちょっとこう、
お求めやすい値段で美味しいものが食べれるみたいなのもあって、そういうのすごい良かったですね。
だから、僕も中国で食べた、うなぎとか、
焼肉とか寿司とかが多分人生で一番ええもん食ったんちゃうかなと思いますね。
日本で逆にそんなの食べたらすごい値段いくんで、食べれないですけど、なんか中国で、その、
現地のボスとか、あの、
先輩駐在員とかに連れて行ってもらったご飯屋さんとかすごい美味しかったですね。
行って、中国最初行った時に、行く前にちょっと馴染めるかなって結構不安だったんですけど、意外とすぐ馴染めて、
中国の雰囲気に。
中国ってお隣の国ですし、同じアジアの、文化とか、
その、雰囲気とかは基本すっごいよく似てますね。
アメリカとかと比べたりすると、アメリカとかって全然違いますけど、文化とか雰囲気とかって。
でも中国って、なんか、日本の、なんていうんですか、その、
ルーツが中国から伝わってきたものがあったりもするんで、そういうのもあって、かなりこう、
近い雰囲気、相対的にはかなり近い雰囲気でしたけど、それでもやっぱり違うところっていうのはいっぱいあって、
例えば、基本、中国人って周りを気にしないですね。
周りを気にしないというか、他人を気にしない。
身内大事にするみたいな、なんかそういうところありますね。だから、地下鉄とかでも、
基本周りを気にしないから、なんか、
日本人だったらエスカレーターちょっと混んでたら列作りますけど、もうそんなの基本作らないんで、
エスカレーターね、我先にと登ろうとするし、
で、日本人、日本人というか日本やったら片側に並びますよね。
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関東と関西で並ぶ方向違うと思います。右並ぶか左並ぶか違うと思いますけど、
基本片側に立って並んで、急ぐ人はもう片方の、もう片方をこう歩いて登っていくみたいな、なんかそういうのはありますけど、
中国はもう基本そんなのないですね。真ん中に立って、で、後ろから、
あ、なんか急いでる風の人が登ってきたなと思っても、もう意地悪してるとかじゃないんですけど、絶対どかないですね。
その、どいてあげるっていう、そういう感覚が多分元からないと思うんですけど、
意地悪してるとかじゃなくて、そもそもどかないですね。
独問でもないみたいな。なんかそういうのが、その、
そういう雰囲気が結構逆に、まあ、
あの、慣れてしまえばすごい楽で、なんか、周りをこう気にしすぎることもなく、自分のことだけ考えて、
で、それが別に、なんか日本で自分のことだけ考えて行動したりすると、
こう、周りからの視線がちょっと怖かったりするんですけど、中国はみんなそういうもんなんで、すごいそういうところは楽でしたね。
で、そういう雰囲気に意外と自分が、あの、すぐに慣れたというか、意外とフィットするんやなっていうのは、自分でも意外でしたね。
そう。
で、基本みんな愛想悪いですね。
あの、店員さんとかも、あの、基本愛想悪いですし、
まあ、でもそれでもいいですよね。別に、こっちも、あの、愛想振りまかなくてもいいんで、
まあ、なんかコンビニで買い物する時も、欲しい商品ポーンってレジのとこに置いて、で、店員さんもはいはいみたいな感じで、
あの、会計やってくれて、で、はいどうもみたいな感じで、こう、お互いなんの愛想も、愛想振りまくこともなくレジが終わるみたいな、なんかそれは楽です。楽ですけどね、慣れちゃえば。
で、そう、で、最初の2週間、まあ、また最初の2週間なんですけど、最初の、あの、2週間で、
家決まる前に、こう、初めて訪れた週末というか、中国に駐在して初めて訪れた週末。
で、その時どうして過ごそうかなと思って、まあ、平日はね、会社行ったら仕事するんで、仕事して、してたら時間過ぎるんですけど、
週末来ちゃったなと思ってどうしようかなと思ってたら、先輩日本人駐在員がすごい気使ってくれて、洗濯物大丈夫ですかとか聞いてくれて、ちょっと
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僕の家洗濯、洗濯機あるんで、まあ洗濯機はあると思うんですけど、洗濯機使ってくれていいんで洗濯してくださいねみたいな、
すごい気使って言ってくれて、ありがとうございますみたいな感じで使わせてもらって、で、洗濯回してる間にちょっとどっか行きましょうかとか言ってくれて、
で、さっきから何回も出てきてるそのグーベ、日本人外に連れてってくれて、
で、そこで、あの、初めて日本人外グーベに行った時に、高島屋とか連れてってもらったんですけど、
あの、これも中国で暮らしていけるなってその時思いましたね。
もう、日本語を通じるし、
で、日本の食材売ってるし、日本のお弁当とか売ってるし、もうこれ、中国で暮らしていけるわって、もうその時に、
その初めての土日でも、そこで確信しましたね。
これ、なんとかなると思いました。
で、まあ、中国って、あの、ちょっとしたトラブルはもう起こりますね。
まあ、あの、結構いい物件に住ませてもらえることになったって言ったんですけど、まあ、それでもやっぱり、
まあ、水回りとかはちょっとこう、壊れたりとか、
まあ、トイレのウォシュレット壊れちゃったりとか、シャワーの水圧が異常に低かったりとか、
あれ、なんなんですかね、時間によって全然水圧が違って、
たぶん、みんなが使う時間帯っていうのがあるんでしょうね。
夜とか朝とか、
その時は異常に水圧低いんですけど、なんかちょっとこう、隙間時間狙ったりすると、めちゃくちゃ、
あの、元気よく水出てきたりとか、
なんかそういうちょっとインフラっぽいところも弱いし、
なんか排水溝からイシュがしたりとか、なんで、僕はもう排水溝のとこにラップ敷いてましたね。
で、なんか間違った荷物とか普通に届くし、
梱包とか、その配達とかめちゃくちゃ雑やし、
なんかそんなのはまあありますね。
やっぱ日本はそういうところすっごいしっかりしてるんで、
すごい綺麗ですよね。綺麗だし、そういうところの品質もすごい高いし、
サービスも丁寧やし、まあもう世界一ですね、日本は。
で、中国行って驚いたのが、その現金ほとんど使わなかったですね。
日本とは比べ物にならんぐらいギャッシュレス決済っていうのがすごい進んでて、
現金使わないですね。現金使おうとすると逆にちょっと迷惑な顔されるぐらい。
例えばタクシーとか乗ってて現金出したりすると、もうお釣りないとかって普通に言われますからね。
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まあ現金使う人いないんで、お釣りももう用意してないんだと思うんですけど。
法律的にはもちろん使えるんですけど、実際問題使ってる人ってそんなにいなくて、
結構おじいちゃんおばあちゃんとかで使ってる人いたんですけど、基本はみんなもうキャッシュレスですね。
ほんで、なんか週末とか、同僚と山登りとか行ったこともあるんですけど、山の中にちょっとした山小屋、山小屋というか、
ちょっとした売店みたいなのがあったんですけど、結構な山だったんですけど、そこでも普通にキャッシュレス決済でしたね。
それぐらいもうキャッシュレス決済が浸透してました。 なんかもうこんな感じでちょっと思い出を思い出した順番に語ってるんですけど、
あとはもう道路の水はけが悪かったですね。 だから大雨とか降った時は、
あっちの道から回っても、こっちの道から回っても、もうどの道から行っても絶対水たまりに足首までつからんな、向こう側行けへんみたいなところがありましたね。
もう迂回できないみたいな、その迂回しようがないみたいな、道全部水たまりみたいな感じだったんで、
もうぼっとぼとになりながら出社して、 同僚に笑われたことありましたね。
なんかぼっとぼとの日本人が出社してきたんで面白かったんでしょうね。
で、あと治安はすごい良かったです。意外と。
なんか僕、学生の時も学会発表とかで中国の上海に行ったことあったんですけど、
その時よりも治安がかなり改善してた印象で、 監視カメラ増えたからでしょうね。
治安はすごい良いです。夜も安心して歩けるぐらい治安はいいですね。
この前名古屋に遊びに行ったんですけど、その時夜とか飲んで、 ホテルに帰る時とかも、なんかちょっと怖かったですね、名古屋は。
名古屋の方が怖いんちゃうかなっていうぐらい、あの上海は治安良かったですね。
で、古いオフィスの思い出は、古いオフィス行った初めの数ヶ月だけだったんですけど、
えっとねー、あれ何階建てかなぁ。
20階、結構大きいオフィスで20階建てとかだったんかもしれないんですけど、
うちのあの会社が入っている、うちのオフィスが入っているのはそのビルの結構上の方、上層階の方に入ってて、
で、だからエレベーター乗って行くんですけど、 朝めちゃくちゃエレベーター混んでましたね。
もうめちゃくちゃ混んでて、すごい列を成してて、
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で、想像してもらったらわかるかもしれないんですけど、もうめちゃくちゃギュウギュウになりますね。
基本距離近いんで、中国人はもう。
列並んでる時も近いし、
エレベーター入る時もすっごいギュウギュウやし、あれちょっとしんどかったですね、毎朝。
ちょっと時間ずらしたりして行ってました。
で、1階にタピオカミルクティー屋さんありましたね。
結構中国すごいタピオ、中国というか上海すごいタピオカミルクティー屋さん多いですね。
上海だけじゃないかな、他のエリアもタピオカミルクティー屋さんすっごい多くて。
スタバも向こう多かったですけど、同じぐらいの量タピオカミルクティー屋さんありましたね。
そう、で、オフィスが入ってたビルの1階にもあったんで、もうちょっとハマっちゃって。
毎日、毎日というか2日に1瓶ぐらい飲んでたら、
なんか同僚にそれあんま飲みすぎたら砂糖いっぱい入ってるから気付き合って、ちょっと現地の同僚に心配されましたね。
それぐらいちょっとハマってましたね。
ほんで、このオフィスの近くに毎度大きに食堂、日本にもあると思うんですけど、地名が入った食堂で毎度大きにって書いてるところがあると思うんですけど、
これ、オフィスの近くにもあって、ここもよくお世話になってましたね。
ランチの時間とかは、日本人駐在員と、あと日本語ペラペラの中国人の同僚と連れ立ってよくそこの食堂に行ってましたね。
で、1回このオフィスでビル全体で夏、夏に空調が潰れたことがあって、もうビル全体が空調効かないみたいなことになって、もう夏なんでめちゃくちゃ暑い。
もうその日本の夏より暑いんじゃないかなっていうぐらい、まあ同じぐらいかちょっと暑いぐらいになるんですけど気温が。
めちゃくちゃ暑くて、でもクーラーも効かないし、でも仕事もしないといけないし、でもみんな汗だくになりながら1回仕事したことあって、
その時あのオフィスの管理会社の人が、あのすいません空調壊れててって言って、信じられんぐらい大きい氷持ってきたことありましたね。
もうなんかそんなどこに売ってんのっていうぐらい大きな洗面器に、あれどんぐらい高さ、1メートルとか、1メートルかけ1メートルかけ1メートルぐらいのごっつい氷持ってきて、
で、これでちょっと進んでくださいみたいなんで、どこまで意味あるかわかんないんですけど、すごいあの誠意を感じられたというか、
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大きい氷と、あの業務用の扇風機みたいなの持ってきてくれて、扇風機の風を氷に当てて、あの冷気を、
まあそんな全然オフィスの中冷えないんですけど、なんかそれすごい入ってるオフィス1個1個に大きい氷配ってましたね、管理会社の人が。
あれはいい思い出ですね。
で、あとUberEats的なやつがめちゃくちゃ普及してますね。
キャッシュレスと同じぐらい普及してて、もうアプリからすごい簡単に頼めるんですけど、で、UberEatsってちょっと配送料高いと思うんですけど、
向こうはすっごい安くて、その場の配達員さんが発給っていうのもあるんで、そういうのは安いからといって手放しに喜べないかもしれないんですけど、利用する側としてはありがたいんで、結構みんな利用してましたね。
だいたいこう、配達のメーカーって2大挙党で、1つが青いユニフォームなんですよね。で、もう1個が黄色のユニフォームなんですけど、もうお昼とか夜とかご飯時になったら青と黄色のユニフォームの人がもう町中そこら中にいっぱいいてっていう感じでしたね。
で、新しいオフィスは、最初オフィス移転したときあまりに何にもなくて、ご飯屋さんとかももうほとんどなかったんですけど、移転して数ヶ月ぐらい経ったらすごい栄えてきて、で、複合施設みたいなのもたくさん建ってきて、
たぶん当時のそのボスが、先見の命があったのかもしれないですけど、ここにオフィス構えようって言って、で、途中ですっごい大きな複合施設できて、そこ上海中で何か話題になったのか知らないですけど、その複合施設に来るために上海の違うエリアからこう人がいっぱい来たりして、
日本で言うと何なんですかね、大阪とかで言うと、なんやろうな、まあ、ルクワとかグランフロントとか、なんかそんなノリなんですかね。結構違うエリアからみんな集まるみたいな感じで、結構栄えましたね。
これなんか駐在員あるあるかもしれないんですけど、駐在員ってやること多いんで、やっぱり仕事溜まっちゃうんで、日本人駐在員は遅くまで仕事してましたね。そう、だから平日とかはもうなんぼでも時間潰せるんで、仕事なんぼでもあるんでいいんですけど、週末とかが結構しんどかったですね。
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しんどかったっていうか、まあ、暇っていうか、なんかやることなかったですね。外国なんで、友達とかもいないですし、で、まあ、なんか友達作ろうと思ったら作れたかもしれないんですけど、中国人と友達になるのはかなり難しいですね。
中国人やからっていうわけじゃなくて、その外国人と友達になるのがかなり難しいっていうのにも途中で気づきましたね。
基本仕事は英語でやってたんですけど、で、中国の現地のスタッフも英語を使って僕らとコミュニケーション取って、だからお互い第二言語を使ってコミュニケーション取るんで、コミュニケーションの質がすごい低いんですよね。
仕事はできるんですけど、なんか心を通わせられるレベルにはならないというか、コミュニケーションが。
だからやっぱり、僕が中国語をペラペラになれたらよかったんですけど、中国語はちょっと難しくて、全然ペラペラにならなかったですね。
そういうのもあって、中国人のなんかほんまに友達っていう友達作るのは難しかったですね。
だから日本語が喋る同僚とか中国人の同僚とかとはすごい仲良くなって、一緒に山登りとか行ったんですけど、でもすごい数少なかったですね。
そんなのもあって、週末一人で暇やなと思ってて、何しようかなと思った時に勉強をしてましたね。
中国語の勉強したり、英語の勉強したり、本読んだり、ランニングしたり、たまに同僚とどっか連れ立ってどっかご飯行くとか、山登り行くとかっていうのはありましたけど、普段はあんまりないんで、そういうの。
勉強とかしてましたね。もう人生で一番勉強してたかもしれないですね。
なんか本当に仕事に直接関係ある勉強もですし、普通に興味、仕事とは関係ないけど、ちょっと興味あるようなことを勉強してみたりとか、なんかいろいろやってましたね。
この時の習慣からか、今も本は結構読むの好きで、ちょっと民族学、今ハマってるんで、民族学関連の本読んでみたりとか、純粋に娯楽のためだけの本っていうのももちろん読むんですけど、ちょっとそういうためになるような本っていうのも読むっていう習慣ここでつきましたね。
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あと、僕日本行った時、ボルダリング結構好きでやってたんで、中国行ってからもボルダリングやろうと思って、あれやったら一人でできるんで、ボルダリングなんか良さそうなジム探して、最初ジム巡りみたいな、ボルダリングジム巡りみたいなしたんですけど、
どのジム通おうかなと思って、近場のジム行ってみたりとか、ちょっと電車で10分、15分ぐらい乗ったところにあるジムとか、いろいろ巡ってみたんですけど、1個良さそうなとこ見つけて、
日本人もちらほら行ったし、店員さんとか中国の人だったんですけど、英語も通じるしで、結構壁もね、良い壁で、良い壁っていうか、ボルダリングってルートがあるんですけど、ルートセッターみたいな人がいるんですよね、あれって。
ルートを決める人というか、ボルダリングって壁にたくさん穴が開いてて、で、その穴に、あれなんていうのかな、なんか石みたいなカラフルな石みたいなのを取り付けていって、で、その石もいろんな形とかいろんな大きさがあって、その石をどのように配置するかっていう、ルートを決めるっていう、あれすごいセンスが試されるんですけど、
ルートセッターっていう人がいて、ルートセットする人なんですけど、そのルートセッターも結構良いルートを作ってるようなジムで、ここ良いなと、ここやったら楽しくボルダリングできそうやなと思って、そこをボルダリング通い始めて、最初のうちはそんなのよく通ってたんですけど、コロナが始まっちゃってね、そっからジム行けなくなってしまって、そっから行かなくなりましたね。
だから、僕3年ぐらい中国行ったんですけど、そのうち2年半はもうコロナでしたね。最初の6ヶ月だけ自由な時間で、後の2年半はもう大変でしたね。
そんなのもあって、週末とかは、あんまりどっか観光行ったりとかもなかなかしづらくてっていうのもあって、家にいましたね、結構。
だから最初の6ヶ月とかは、中国語を勉強するために家庭教師お願いしてたんですけど、家に来てもらって勉強してたんですけど、一緒に。
もうコロナ始まってからは家にも来てもらえなくなったんで、なんか中国版LINEみたいなのがあって、それWeChatって言うんですけど、WeChatでテレビ電話繋いで中国語の勉強してましたね。
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そう、だから、withコロナだったのがかなり悔やまれますね、中国駐在は。
そう、だから最初駐在日期決めたときに、その日になったら日本にすぐ帰れるからいいやと思って、だから中国駐在しようと思ったのに、もうコロナになっちゃって一切帰れなくなっちゃって、2年半はもう日本ほとんど帰ってないですね。
最初の6ヶ月の間は、1ヶ月に1回ぐらい日本帰って、彼女に会って、旅行とか行けたんですけど、お出かけとかできたんですけど、
コロナ始まってからはもう一切会えなくなったんで、だからもう代わりにテレビ電話して、なんとか遠距離恋愛頑張ってましたね。
幸い無事、彼女のおかげもあって、なんとか遠距離恋愛乗り越えて無事結婚できたんで、それはすごい良かったし、彼女様様というか奥さん様様で、頭が上がらないですね。
テレビなかったですね。テレビあったんですけど見なかったというか、中国語のテレビなんで見ても面白くないというか、テレビ見なかったですね、この3年間は。
そこから日本帰ってからはもうテレビないですね、家には、我が家には。テレビ見なくなっちゃって。
YouTubeとか見てましたね、代わりに。
これも厄介なのが、ネット事情がかなり厄介で、中国って外国のサービス使えないんですよね、例えばYouTubeもそうですし、TwitterとかFacebookとかLINEも使えないですね。
基本も使えないんですよ。
そういうの使おうとするとVPNっていうネット回線を保護してくれる。
YouTube見るときとかそれ使わないといけないんですけど、それ使うとすごい回線速度が遅いというか、すごいストレスフルでしたね。
そういうのもあって本読んでましたね。YouTubeとかもなかなかカクカクするし、調子悪いとき全然繋がらないとかなんで。
最初のコロナの前は日本の出張とかもあったんですけど、そのときに1個覚えてるのが、あれ1週間ぐらいの日本出張やったのかな。
出張行って、久々に帰ってきたからって言って、同期とかが飲みに連れてってくれたりするんですけど、毎日飲みだったんですっごい体調悪くなっちゃって。
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で、日本に出張で帰ってきてるんで適当に仕事するわけにもいかないというか、ちゃんと仕事しないといけないから、飲みで体調悪いけどプレッシャーはかかるしみたいなんで、
なんかすっごいしんどくなっちゃって、たぶん自律神経が乱れちゃったりとかで過呼吸、初めて過呼吸になって、人生で初めて。
でも全然息吸っても吸っても苦しくって。で、もう医務室駆け込んで、なんかすっごい酸素薄いんですとか言って。
指に酸素濃度測るやつとかつけてくれたんですけど、なんかそれ壊れてて。
医務室の人もなんか壊れてるけど、まあたぶん大丈夫っぽいですとか言われて。
まあとりあえず寝ててくださいとか言われて、寝て休ませてもらいましたね。
まあそれでも、めちゃくちゃしんどかったですけどね。
まあ多少マシになりましたけど、ちょっと喋るだけで息切れるみたいなのが。
その日はそんな感じで、まあ大変な出張があって中国戻ったら、すごいなんかホームに帰ってきたみたいな感情になって、
なんか今の自分は中国がホームなんやなと思って、その時ちょっとすごい不思議でしたけどね。
そしたらなんかインフルになっちゃって、免疫下がってたのか。
ホームに帰ってきたけどインフルになってしまって、外国で一人でインフルになってすっごいしんどかったですね。
がすごい覚えてるな。で、そっからなんかしばらくは自立神経ちょっとおかしくなって、
なんかプレッシャーがかかるようなシーンになるとちょっと息苦しくなったりとかで、
そこで結構これ自分に無理させたら仕事できなくなると思って、すごい自分をこういたわるようになりましたね、そっから。
緊張してピシッとした姿勢で仕事したりすると、なんかプレッシャーかかってるって自分で思って、
呼吸が荒くなったりするんで、なんかわざとこうだらけた姿勢で仕事したりとかなんかいろいろ工夫して、
なんとかこうメンタルコントロールしてましたね。で、そのうち治ったんで大丈夫でしたけど、
でも中国いるときは何回かなんか自立神経やりましたね。片耳聞こえにくくなったりとかバランス感覚悪くなったりとか。
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やっぱり知らず知らずのうちに外国で一人暮らししてるってプレッシャー、というかストレスすっごいかかってるんでしょうね。
日本帰ってきてからはもう全然そんなことなくなったんで、良かったです。
とはね、コロナ入る前は結構いろんなとこ出張行ったりしてましたね、中国の。
コロナ後も落ち着いてからは行けたりしたんですけど、出張の数は減りましたけどね。
でも入る前はいろんな、コロナになる前はいろんなとこ行って、
なんか安寄生とかは有名な料理があって、発酵させた魚がなんか有名なんですよね。
すっごく臭いんですけど、納豆も臭いですよね。納豆も臭いんですけど、その魚も発酵してるんですごい臭いんですけど、
コロナちょっと食べたりとか、やっぱ出張行って現地の料理食べますよね。
それが一個醍醐味みたいなところもあるんで、あとどこやったかな?
重慶?重慶の方行ったら、すっごい辛い火鍋食べたりとか、
で、あと避けては通れないのがカエルの肉ですよね。
カエルの肉も食べたくなかったんですけど、
もうお鍋の中に入っちゃってるし、ほぐれてるんで、それがカエルなのか何なのかっていうのはもう分かんない状態なんで、
もう知らないうちに食べてましたね、カエルの肉は。
カエルの肉って、別にまずくはないんですけど、魚と鶏肉の間みたいな食感ですね。
鶏肉よりは柔らかいけど、魚よりは硬いみたいな、なんかすごい。
抵抗がなければ普通に美味しい食べ物なんだと思います。
あとはもうマーラーシャンゴーっていう辛い、
唐辛子辛いっていうのもあるし、マーラー辛いっていう、なんていうかな?
山椒?山椒のこう痺れる辛さみたいなのがあるんですけど、
それが結構辛い、鍋があって、鍋って水分がないんですよね。
マーラーシャンゴーっていろんな、そういう料理名なんで、いろんなレストランがあるんですけど、
大体そこの店に入ると、ショーケースみたいなところに食材が並んでて、お肉と野菜と。
そこでこれ入れてください、これ入れてくださいみたいな感じでオーダーして、
そしたら裏で辛いスパイスかなんかと一緒に和えて炒めて、
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鍋ごと席に運んでくれるみたいな、そういうスタイルのご飯なんですけど、
これ美味しかったですね。すっごい美味しかったですね。
これもたまにすっごい食べたくなるんですけど、日本になかなかなくて、
なんかナンバーかどっかにあるってこの前調べたんですけど、まだ行ったことないですね。
これまた食べたいな。
あとご飯で言うと、中国川魚丸々出てきますね。
大きい川魚が一尾丸々出てきて、
それを中国なんで円卓でみんなで囲んで、みんなで包いて食べるんですけど、
こういうのって川魚ってだいたい臭いんで、臭みがあるんで、
唐辛子で臭み消してたりとか、結構きつい味付けにして臭み消してたりとかっていう感じでしたね。
あとホイコーローが辛かったですね、向こうは。
日本のホイコーローって辛くはないと思うんですけど、どっちかというと甘い味付けだと思うんですけど、
向こうも味付けはそんなに変わんないかな。甘みそんなになかったかもしれないですけど、
あと唐辛子辛かったですね。
多分向こうで使ってるピーマンみたいな緑色のやつがちょっと辛みあるんですかね。
なんかピーマンではないみたいな、青唐辛子でもないみたいな、
なんかよくわかんない、中国にしかないやつかもしれないですけど、
辛かったですけど、これすごい美味しかったですね。
中国料理美味しかったなぁ。
やっぱ中華料理は美味しいですよね。
で、やっぱ日本で出てくる中華料理ってあれなんか日系中華だなと思いましたね。
中国では日式って言うんですけど、日本の日に、数式の式で日式。
日式、日本系のことを日式日式って言うんですけど、
日式中華はあれはやっぱ日本人の口に合うように作ってるし、
よく言われるのがあれですよね。天津飯?天津飯か。
天津飯とか、あれ中国にはないですね。
あれまさに日式中華で、日本オリジナルの中華だと思うんですけど。
なんかやっぱり日本人の口に合うように作ってるんで、
本場の中国のやつとはちょっと違うんですけど、
本場の中国のやつも結構美味しかったですね。
口に合わないのもあるし、合うやつはめちゃくちゃ合うみたいな。
ホイコーロとかマーラシャンゴーとかすごい美味しかったですね。
喋り始めると色々思い出してくるんで、全然止まらないですけど、
週末暇やったとか言ってる割には、コロナの前はいろいろ出かけたりしてましたね。
48:03
嬉しくなって、中国嬉しくなる。
観光客気分で、最初の方はいろいろ行ったりしてて、
彼女が中国、上海に遊びに来たこともあったんですけど、
上海って有名なワイタンっていう、外にナダって書くんですかね。
ワイタンっていう有名な川を、有名な景色があって、
ザ・上海の景色で川を挟んで対岸に背の高いビルがたくさん並んでる。
そこに上海の特徴的なパールタワーっていうのかな、
ランドマーク的なタワーが建ってるっていう、そのザ・上海っていう景色があるんですけど、
そこを見に行ったりとか、
あと上海にディズニーあるんで、上海ディズニー行ったりとか、
でもこれ最高でしたね、上海ディズニー。
何がいいかって人がめちゃくちゃ少ない。
だからもうほとんど並ばずにアトラクション乗れるみたいなんで、あれ良かったですね。
あれ楽しかったな。
で、あとなんかヨエンっていう伝統的な上海の街並みみたいなところが、
あれは再現してるんですよね。
本当に古い街並みがずっと残ってるっていうよりかは、多分再現してるんだと思うんですけど、
そこに行って、こうトラディショナルな風景見ながら、こう中国茶を飲むみたいな。
で、小籠包食べるみたいな、あれ良かったですね。
あとは、出張ですけど、北京行ったりとか、
甲州行ったりとか、武漢、コロナ収まってからですけど、武漢行ったりとか、
パンダで有名な聖都行ったりとか、
これ黄色に山で、中国ではファシャンって言うんですけど、日本では鉱山。
ちょっと読み方わかんないですけど、なんかすごい有名な山があって、
このファシャンに登ってなかったら山に登ったとは言えないみたいな、
なんかそういう言葉もあるぐらい有名な、中国では有名な山で、それとかも登りましたね。
なんか中国ってめちゃくちゃ広いんで、その上海から北京行くのも自転、あの自転車じゃない、飛行機で2,3時間。
で、上海から甲州行くのも2,3時間。
上海から武漢行くのも2,3時間みたいな、もうどこ行くにも飛行機で2,3時間乗らないといけないみたいな。
すっごい遠かったですね。どこに出張するのか。
で、あと、そんだけ広いとエリアによって話されている言葉が違うし、
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その標準語はもちろん一緒なんですけど、イントネーション違いますけど、
で、あと方言があって、で、その方言って、もうその違うエリアの人からすると、
もう全然何言ってるかわかんないレベルで伝わるんですよね。
もうその違うエリアの人からすると、もう全然何言ってるかわかんないレベルで伝わらないです。
日本とかやったらその、まあ方言ありますけど、
まあ青森の津軽弁とかそうすっごいきっついのはしんどいかもしれないですけど、
まあだいたいなんとなくこう伝わるじゃないですか。
でも中国とかだと、もう本当に何言ってるか全くわからないっていう風になるみたいですね。
方言も、だから言葉も違うし、
その地方に住んでる人はその自分とこが住んでる、自分とこの町の言葉と標準語と、
で、あと、なんか一人あの甲州に住んでる同僚がいたんですけど、
その人は中国語だけで多分4種類くらい喋ってたんかな。
標準語、で、その人の生まれ故郷の言葉、で、もうちょっとこの広いエリアの言葉、
で、関東語、なんか香港とかで喋られる言葉みたいな、なんか3つか4つくらい喋ってましたね。
プラス英語みたいな。この人すごいなと思って。
で、結構みんなそんな感じらしいですね。自分とこの言葉と標準語喋るみたいな。
上海とかも上海語っていうのがあるんですけど、
上海で、上海オフィスで働いてたメンバーって、ずっと上海に住んでる人もいれば、
その地方、地方というか他のところから上海に出てきて、上海で働いてるっていう中国のスタッフもいたんですけど、
上海生まれのスタッフは上海語で喋って、で、他のエリアから来たスタッフが会話に入ると標準語に変わるみたいな、なんかそんな感じでしたね。
いろいろ興味深いですね。
じゃあ、ちょっと一旦終わります。
で、コロナ大変でしたっていう話もしたいんで、ちょっと次回はコロナの苦労話したいと思います。
じゃあ、とりあえず今日はこの辺で。
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