コロナウイルス流行の開始と駐在生活の苦境
みなさん、こんにちは。今日は中国駐在期の完結編です。
2019年6月から始まった駐在生活、19年の年末からコロナウイルスが流行を始め、コロナに苦しめられた駐在生活でした。
22年の4月に、ようやく日本に帰国することが決まりました。
今回は、この頃つけていた日記を見返しながら、帰国前の期間を振り返りたいと思います。
2022年3月6日、朝から急遽、マンションの全住民が一斉にPCR検査を受けることになりました。
最近、上海で陽性件数が増えていて、不穏な空気が漂っています。
3月10日、日本に起任するための諸々の手続きをしました。
携帯電話の名義を会社から自分へ変更したり、中国の銀行口座から日本の銀行口座へ海外送金したり、
加えて、仕事の引き継ぎも忙しくて、この頃は帰宅が遅くなりがちでした。
起任前に北京旅行を計画していましたが、北京で急に、
上海から来た人は隔離となる可能性もなくはなかったので旅行を中止。残念でした。
3月11日、帰国のフライトを4月5日に決めました。
3月15日、上海がコロナ限界体制に突入しました。
マンションが明日から閉鎖管理になるかもしれないという情報が入りました。
短くて2日、長くて2週間、詳しいことは不明。
明日の朝からPCRテストが実施されるようです。
4月5日までに帰国の準備が完了するか怪しくなってきました。
3月16日、マンションから正式に連絡があり、緊急でマンションを閉鎖管理するとのことです。
閉鎖中はマンションの敷地の外には出られませんが、敷地内であれば活動可能。
48時間以内に2回の全住民一斉PCR検査が実施され、
全員陰性であることが確認されれば、閉鎖が終了するとのことです。
マンションの閉鎖管理とPCR検査
マンションがバリケードで閉鎖されている映像が日本で報道されました。
映像を客観的に見て、まるで刑務所に閉じ込められている犯罪者のようだなと感じたのを覚えています。
3月19日、朝10時、閉鎖開始から3日後、解放の連絡が来ました。
予定通り日本に帰れると安堵しました。
3月21日、中国南部で中国東方航空の飛行機が墜落したとのニュースが入りました。
自分も何度も利用したことがある航空会社でショックを受けました。
会社の同僚は万が一にでも乗っていないよなと心配。早く日本に帰りたい。
3月23日、6月に北海道で新婚旅行に行くことにしました。
北海道のどこがいいかなと妻と相談。
日本に帰ったらどこに遊びに行くか考える時間に癒されていました。
3月25日、お世話になった中国人の同僚と夕食。
中国の伝統的なお酒である白酒をプレゼントしてもらいました。
3月27日、上海が大変なことになってきたとの噂が入ります。
詳細は不明ですが、もしかしたら4月5日のフライトで帰れないかもしれません。
4月1日、上海全土でロックダウンが始まりました。
部屋から一歩も外に出てはいけない。いつまで続くかはわからない。
大都会なのに人が一人も街にいない映像を見て信じられない思いでした。
4月4日、朝からPCRテスト。
4月9日、今日もPCRテスト。
4月10日、オレンジを購入することができました。
約10日ぶりのフレッシュなフルーツに涙が出るほど嬉しかったです。
4月11日、ケチャップとパスタでグナシナポリタンを作る。
政府からの配給は不定期で、いつ食材が尽きるかわからないという恐怖感から食材は節約。
4月12日、政府から米と麺の支給がありました。
ロックダウンと帰国の準備
これで飢え死にの心配がなくなった。助かった。
久しぶりにお腹いっぱいになった。
夜9時にPCR検査。自分が住んでいるのとは別の塔で陽性者が出たよう。
4月13日、食材のネットショッピングサイトを見つける。
販売が始まるとすぐに売り切れるため、サイトに貼り付いてすぐに購入する必要がある。
仕事が手につかないが仕方がない。
4月15日、政府から野菜や調味料など大量の食材が届き始める。
中国の食材なので作る料理も必然的に中国のローカルメニューになる。
食材が連日送られてきており、冷蔵庫や冷凍庫はすでに満杯。
一人暮らしのため消費しきれない。
4月16日、朝からPCRテスト。早起きしたため2度寝。
4月20日、今日もPCRテスト。
他の区域は解放されたところもあるらしいという噂を聞く一方で、
うちのマンションは5月3日まで隔離延長との噂もあり、情報が削走。精神的に疲れる。
政府から頭がついた鶏肉が届く。怖くて触れない。
部屋の前に鶏肉を置き、他の住人に譲る。
みんな食材が余ってきており譲り合っている。
4月27日、日本にいる妻がコロナにかかる。
でも日本なので収容施設に送られることはない。
当たり前ですが日本と中国のギャップに、
改めて中国が過激な政策をしているのだなと認識をしました。
5月の2日、マンションの敷地内から外の世界を見る。
人が全くいなくてまるでゾンビ映画のよう。
5月6日、日本への帰国のフライトを6月14日に決める。
1ヶ月後ならさすがに帰れるだろう。
5月7日、午後5時、マンションから緊急通知が届く。
5月7日から5月15日まで再度部屋から一歩も出てはいけないという連絡が来る。
どうやら正念ばらし。
5月15日、日本のニュースで上海の感染者数は減少傾向だが、
陽性者が確認された地区の住人は、
陰性でも強制的に市外の施設に移送する事態が起きているとの報道あり。恐ろしい。
5月16日、日本のニュースで上海市は6月中に企業の生産活動と
住民生活を全面的に正常化するとの方針を示したとの報道あり。
5月22日、朝からPCR検査。
いい天気だったのでマンションの敷地内を思い出に写真を収める。
ロックダウンに疲れていたが、妻との電話で元気が出る。
5月25日、申請すると通行証が発行され、
1日1回マンションの敷地から外に出られることになる。
6月のロックダウン終了に向けて政策を緩和し始めているのだろうか。
ただ、申請はあまりに複雑なので敷地外には出られない。
5月29日、日本の報道から、
上海市が6月1日に多くの帰省を解除すると発表したことを知る。
このようなニュースが日本の報道経由で入ってくるのもおかしな話だが、
こちらではそれほど情報が取りにくい。
5月31日、6月1日からロックダウン緩和と正式に連絡あり、
住んでいる地域がリスクエリアに指定されている場合を除いて、
住人はいかなる理由においても移動を妨げられないとのこと。
移動履歴のトラッキングは引き続き行われる。
鉄道などの交通サービスも再開予定。
公共の場へ入場する際は72時間以内の陰性証明。
上海市街への移動は24時間以内の陰性証明が必要。
6月1日、長いロックダウンがようやく終わる。
人が街に解放される。
6月6日、起任の手続き再開。
6月10日、起任の手続きが完了。
ギリギリ。後は帰国するのみ。
陽性者が出ないように神頼みをする。
6月13日、部屋を退去。
明日はようやく日本に帰るフライト。
ここまで本当に長かった。
6月14日、日本に無事帰国。
中国から脱出成功。
新婚旅行の6日前。ギリギリ間に合った。本当に良かった。