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#1686 神と街道
2026-08-15 09:23

#1686 神と街道

#1686 神と街道

江戸時代、人々は何百キロもの道を歩いて伊勢神宮を目指しました。その道中に、宿屋や食事処、土産物屋などができました。

神様に向かう人の流れが、商売の流れになったのです。

日本の商業の発達は神社仏閣に向かう道と、深く結びついています。

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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。 本日もよろしくお願いします。
江戸時代になると、人々は何百キロの道を歩いて、伊勢神宮を、伊勢参拝を目指したと。
これは、結構有名な話ですよね。
その道中に、宿屋や食事所とか、お土産物屋とか、こういうのができていったということです。
神様に向かう人の流れというのが、商売の流れにそのままなっていたんだよ、ということなんですけどね。
日本の商業の発達というのは、前回もお話ししましたけれども、社寺仏閣、神社仏閣に向かう道ですね。
こことですね、すごく深く結びつきがあるんですね。
鎌倉時代、今日は鎌倉時代からのお話ですけど、鎌倉時代になるとですね、商売人が集まる座ですね。
座ると書いてですね、座なんですね。
この座がですね、本格的に形成されていくわけですよ。
座っていうのは、特定の寺社、社寺仏閣ですね。
それと、あと貴族のですね、庇護の下で商売の独占権を持った商人集団なんですね。
前回もちょっとお話しいたしましたね。
これがですね、例えば菌を扱う座は菌座、魚を扱うところは魚座、米を扱う米座という感じですね。
品目ごとに座が組まれてですね、組まれてですね、商人たちは組織的に動き始めるんですね。
ここで重要なのは、座がですね、自社の経内や賛同を商売の拠点にしていたという、こういう部分なんですね。
だから神社とかお寺の門前に売り手たちの位置が立ったりとかさ、お寺の経内で商人が並んでですね、これを門前町って呼んだんですね。
だから、門前仲町とか東京にもありますけどね、門前町って呼ばれているところっていうのは大体商売がやってますよね。
いろんな商品と並べてお店結構ありますもんね。
あなたもね、行ったことあるかもしれないですけどね、
大秘設はもちろんなんだけど、禅郷神社の門敷だとかさ、成田山の門敷だとかさ、伏見稲荷の賛同だとかね、
今でもさ、にぎわっているね、これらの場所はですね、全て中世から続くですね、神仏と商売の共存という、これ原風景なんですね。
なんで賛同に商売が集まったのかと言うと、もちろん人が集まるからなんですけども、それだけではないんですよ。
参拝者はですね、人は清らかな、参拝する人がね、清らかな気持ちで来てるっしょ。
そこで行われる商売っていうのも、また当然ね、誠実さっていうのも求められてたんですよね。
だからこの門敷でですね、門前でですね、飽きないようにしている商売人として襟を立たす必要性があって、
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だいたい神様は仏様が見てるまんまりですからね、そこでって言うね。
そこで嘘をついたりとか、ごまかしたりとかする商人はですね、信頼を失うだけじゃなくて罰を受けると信じられてたんですね。
でもまあそうだと思いますけどね、本当にそうだと思いますよ、本当にそうだと思います。
これは今、いろんな門前町だとか見ててですね、思いますもの、
ここはすごく神様が大切にされてるとこなんだなとか、ここは何がしろにしてるんだとか、
そういったものがですね、やっぱりね、お店を見てるとですね、わかるんですよね。
この門前町ではですね、ご神仏の存在っていうのは商売の倫理っていうですね、その側面を支えていたっていうことでもあるんですね。
でね、もう一個は商業の道ということですね。
何がどんどんできていったかというと、街道なんですね。
鎌倉時代になるとですね、武家政権の成立とともにですね、全国つなぐ道がですね、どんどん整備されていくわけですよ。
整備って言っちゃって、今はアスファルトとかね、そんなんじゃないですけどね。
獣道を開いてみたいな、そういう感じですね。
鎌倉街道とか東海道の原型になる道っていうのをですね、
物資を運ぶ問丸っていう方たちですね、呼ばれる運送業者たちがですね、行き交うようになってきたんですね。
この問丸っていうのはですね、年貢とか一般の物資ですね、この運送保管委託販売、卸売とかって行っててですね、
これまあ今で言うですね、物流業者と倉庫と豚やか、こういう役割を兼ねてたわけですね。
人が行き交う街道沿いにはですね、宿場が生まれて、その宿場に商人が集まって、街も形成されていくわけですよ。
だから街道というのはね、単なる移動の道でもないんですね。
だから物とか人とか情報が流れる日本における商業、商売の大動脈だったんですね。
室町時代になるとですね、商業というのもさらに活発化するわけですね。
定期市っていうのが立つようになるんですよ。
6歳市って言ってですね、これ制度化されて月に6回ですね、この市、市場が開かれるようになったんですね。
また馬借、馬を借りるといった馬借ですね、車を借りるで車借って呼ばれるんですね。
これ運送業者さんです、もう完全に。
物流の仕組みも整っていくわけですね。
この頃になると、遠いあの原型が生まれ始めるんですね。
さっきは混合だったんですけどね、だけどだんだん分業になっていくということですね。
生産者さんから物を買い取って小売商人に売るっていうですね、仲買いする商売が現れたんですね。
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これで商業の構造っていうのが一気に複雑化されていったんですね。
だんだんだんだんややこしくなる、直売じゃなくなっていくっていう感じですね。
その代わり、多分この辺から便利になっていくわけですね。
そこの問屋さんに行けばすべて揃うみたいなね、便利というものがですね、生まれてくるっていう感じですね。
この時代に特筆すべき商人はですね、この商人、大山油座っていうですね、商人軍団があるんです。
大山崎、大山崎油座ですね。
商人軍団なんですけども、これどこにあるかというと京都府のですね、大山崎の町で、今の島本町ですね、大阪ですね。
この辺拠点にしてて、岩島津八幡宮さんの庇護の下で全国にですね、食用油を販売した商人集団なんですね。
これはもう神社の権威をですね、背景にしてですね、全国レベルでですね、商売網を構築したんですよ。
これはもう単なるでも商人でもなくて、やっぱりその岩島津八幡宮様への奉仕ですね、
ご奉仕と商売の誠実さっていうところをですね、ちゃんと一体にしながら捉えて広げていった、ある意味日本的な商人道の先駆けだったりもするわけですね。
こんな感じでですね、山道と街道ですね、道ですよ。
この2つの道がですね、当時の日本の商売を育てた根幹なんですね。
神様、仏様に向かう道には誠実さと清らかさというものが認められて、
だって神様のエネルギーはね、清き明き直きですからね、まっすぐなものですね。
こういったものっていうのが当然求められ、人と者が行き交うこの道にはですね、信頼とか継続性だとか、相互扶助だとか、文化だとか、交流だとか、
こういったいろんなものが行き交いながら、お互い求め合ったりとかってなったんですね。
で、どっちにしてもこの道は正直じゃなければね、商売続かないっていうですね、
基本的にはこの共通の原則っていうのが自然に生まれていったのは確かなんですね。
で、孔子はですね、信なくば立たず、信頼なくして人は社会に立てないと唱えたんですね。
鎌倉時代から室町時代の商人たちはですね、この言葉をですね、哲学として知ってたわけではなくてね、
商売の現場で、体でね、体感で、空気で知ってたわけですね。
賛同いくさ、人々のね、清らかな気持ち、心、目がですね、
そのご神仏にですね、ちゃんと経営しているですね、その気持ち、心がですね、商売人を自ずと正直、素直、誠実にさせて、
で、街道を往来する人々の厳しい目っていうものはですね、これまた商売人を誠実にさせてたと、こういうことなわけですね。
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ということで今日はですね、鎌倉時代、室町時代の商売人のお話をザザザとご紹介いたしました。
ということで、明日もこの続きからになります。
ということで、また明日。バイバイ。
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