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  2. #002 TOMOさんがやってきたRU..
2025-12-28 2:26:33

#002 TOMOさんがやってきたRUN!RUN!RUN!

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2025年12月13日に、はまよう主催で行われた、井原知一(TOMOさん)✖️ハタのトークショーを全編お届けします。

サマリー

今回のエピソードでは、プロトレイルランナーの伊原智一さん、通称トモさんをゲストに迎え、彼のウルトラランニングやリタイアの経験について深く掘り下げています。また、浜幼稚園主催のイベントでのトークセッションの様子も紹介されています。ウルトラランニングの魅力やパークレーマラソンへの挑戦について語られ、トモさんは自身のリタイア経験を通じて学びや成長を感じ、失敗から得られることの大切さを伝えています。仲間との絆や自己証明を追求する姿勢も描かれています。 TOMOさんは、子供時代のスポーツに対する情熱やランニングとの出会いについて語り、さまざまな経験や過去の職業について触れています。アメアスポーツでの仕事が彼の人生に与えた影響が強調されます。トモさんが体験した山登りやトレイルランニングの思い出を語りながら、スコットランドでの生活や学校生活を回顧し、特に自然の中での遊びや友達との交流が彼の成長に与えた影響が印象的です。 エドモンズ短期大学への留学を経てアメリカで人生の転機を迎えたTOMOさんは、ランニングやトレイルランニングの魅力に目覚める様子を語り、レースを通じて仲間との絆を深め、挑戦を通じて自身が成長するストーリーが展開されます。このエピソードでは、トモさんが自身のウルトラランニングの経験や100マイルレースへの挑戦について掘り下げています。アメリカのレースの背景、彼のモチベーション、達成感についても詳しく語られます。 ランニングを通じての挑戦や成長について、トモさんが自身の経験を語る場面があり、特にさまざまなレースでの難しさを乗り越えることで新たな自分に出会う様子が描かれます。ゲストのTOMOさんはウルトラランニングの目標や挑戦について語り、100マイルの完走の意義や自己表現について説明しています。また、年齢に対する考え方の変化や親としての子供との関わりについても触れています。 このエピソードでは、ウルトラランニングを通じての挑戦の重要性や人生の学びについて議論され、ゲストがバークレーマラソンにおける一人での挑戦や失敗から学ぶことの意義についても触れられます。RUN!RUN!RUN!エピソードでは、TOMOさんがランニングコーチとしての道を歩んできた過程や、挑戦し続けることの重要性を語り、自分の人生を豊かにするための挑戦や夢が年齢に関係なく続くことができると伝えています。トレイルランニングレースに参加する準備やボランティア活動について語り、豊かな子供時代の体験を重視する姿勢が強調されます。

浜幼稚園のイベント紹介
ラジオ版、今日も浜ようび。私になる、僕になる。
食うのも恥じる人生。
この番組は、浜幼稚園の61歳のチーフディレクターで、
トレイルランナーのハタが、
幼児教育とランニングに満ちた毎日の中で、
今語りたいと思ったことを気軽にお話しする番組です。
僕の経験や考え、そしてささやかな挑戦が、
聞いてくださる誰かの心に、少しでも響いてくれたらいいなと思って届けます。
どうぞ、あれこれしながら気軽にお聞きください。
今、12月28日、日曜日です。
昨日で幼稚園は終わりましたね。
12月27日、昨日は朝は寒くて、
毎朝幼稚園の前を、水をまいて、
ホースで水をまいて掃除をしているのですけども、
昨日は初めて凍結をして、
ホースの中が凍結をして水が出ませんでした。
今年初めてですね。
前庭っていう園庭にも水たまりの水が凍っていました。
寒くなってきました。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今日28日は朝、ゆっくり起きて、
そして昼からバイクに乗りました。
グラベルバイクですね、自転車です。
向こう側まで行って、
向こう側で全部含めて2時間半ぐらいかな、
走りましたけども、
昨日は稲川の河川敷の舗走路ですね。
舗走路を1時間40分か100分、
ゾーン2っていうゾーンで、
ゾーン2というのは心拍数が122以上、
150未満というところなんですけども、
そこを守って走ったんですけども、
16キロぐらいかな、17キロぐらいかな。
今日バイクに乗ったんですけども、
なかなかバイクの調子が上がらなくて、
レースでは心拍数を上げれるんですけども、
練習ではなかなか足が回らなくてしんどいんですね。
足がしんどくて回りません。
今日はダメでした。
今日は前回予告いたしました、
12月13日土曜日に行いました
浜幼稚園主催のイベント。
プロトレイルランナーの伊原智一さん、
トモさんですね、を招いて
トモさん主演のメインクエスト2の上映会と、
その後旗川インタビューするトークショーを行いました。
トークショーは約2時間行ったんですけども、
たっぷりトモさんがご自身のことを語っていただいて、
参加者の皆さんも質問していただき、
濃い内容のインタビューができたんじゃないかと思っています。
今日は第2回目なんですけども、
浜幼ラジオスペシャルセッションということで、
100マイルを100回走る男、僕らが走り続ける理由、
というタイトルで行ったこのトモさんとのトークショーを
ここで全編オンエアというか録音を配信したいと思いますので、
この後聴いてください。
トモさんの挑戦
では今日はその後で、
その後に全部流した後にまたお話しさせていただきます。
ではお楽しみください。
改めまして皆さん今日はありがとうございます。
ここからはトークショーということなんですけども、
実はこのトークショーをセッティングする、
まずトモさんの自主上映、このバークレイマラソンズのね、
メインクエスト2の自主上映というのがトモさんから発信されて、
僕がクラウドファンディングですね、
クラウドファンディングを募られていて、
映画上映のクラウドファンディングがあって、
そのスロットに僕がエントリーして実現したという経緯があるんですけども、
ただ自主上映を上映会をするだけでは原因がないのに、
わざわざ東京から来ていただいてということがあったので、
僕とトークショーをセッティングさせてもらって、
さらにはオープニングに、
やっぱりウリモスさんにオープニングだろうということで演奏していただきました。
このトークショーとこのイベントは、
お気づきの方はいらっしゃると思いますけど、
タイトルに浜洋ラジオスペシャルセッションと書いてあるんですね。
これはどういうことかというと、
我々浜幼稚園は年度の初めにそれぞれの1年間の目標というのを立てるんですね。
その時に仕事の目標とプライベートの目標というのを立てるんですけども、
今年の僕の目標は、
一つは、今日もお話ちょろっと出るかもしれないですけども、
毎年フランスのレースに出ているTDSという、
UTMBという世界最大のトレーニングレースの中の
一つのTDSというレースを3度リタイアしていて、
今年4回目なんですけども、
そのTDSを完走することが一つ。
そして今年、半分仕事面半分プライベートということで、
ポッドキャストを自分で解説しようと思って、
僕はコンテンツを持っているので、コンテンツを話すんだけど、
幼稚園の我々のスタッフ、今日も色々音響とか映像とか、
スタッフが活躍してくれてますけども、
今幼稚園の中にスタジオ、ポッドキャスト用のスタジオを作って、
そこで僕が語っていくというのをしたいと思って、
その第1回の放送に今から話す話を収録して流そうかなというのがことなので、
また今日皆さんライブで聴いていただいて、
ほとんど編集することなく流すと思うので、
またポッドキャストでも楽しんでいただけたらいいかな、
YouTubeも流すかな、ビデオを撮っているので。
ちなみにいつ配信予定なんですか?
年内にできたら、今機材調達中かな。
年内にできたらいいかなと思っているんですけども、
そんな形でやりたいと思います。
では改めまして東さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
スケジュールも順調に予定通り進んでいるんですけども、
5時まで今から。
このトークセッション最後は質疑応答を取りたいと思いますので、
皆さん質問とか考えながら聞いていてくださったらいいかなと思います。
ではまず最初に東さんの紹介を僕の方からさせていただきます。
1977年長野県生まれ、
アメリカの大学を卒業を入社したスポーツ用具機器メーカーで
ダイエット企画に参加し、ラインニングに目覚められました。
マダラオフォレストトレイル15キロへの出走をきっかけに
ロングレースに魅了されて、
初めての100マイルは2010年に自ら企画した100マイルチャレンジ
TDTツールドともで完走されたのが第1回の100マイルですね。
そして100マイルにのめり込んで
生涯で100マイルを100本完走を掲げて走り続けて
今現在82本完走されているところです。
2023年にはアメリカでグラウンドスラムオブウルトラランニングのタイトルを掲載
このグラウンドスラムオブウルトラランニングのタイトルってどんなタイトル?
ウルトラランニングはアメリカから始まったという起源が
起源はイギリスだったらしいんですけど
アメリカで初めて100マイルレースが開催されたのは50年前だったんですけど
グラウンドスラムっていうのは当時
今となってはもう年に300本以上100マイルレースとかウルトラレースがあるみたいなんですけど
その50年前に遡って一番古い4つのレース
5つのレースのうち4つを3ヶ月以内に完走すると
グラウンドスラムの称号っていうのが得られる
これは日本人で初めてだったんですか?
僕で3番目とか4番目だったと思います
そして今見ていただいたバークレーマラソンスですけども
過去30年のレースの史上で26人だけ完走した
26回で延べ21名
いくつか完走している人がいるんで
このレースは2018年から挑戦し続けておられて
今映画の中でありましたように5回出られたけども
ゴールはまだされていないというところですね
現在はご自身の会社トモズピットを通して
オンラインコーチングやウルトラランニングに特化したギアの開発
国内各地でのレースなどを手がけているということで
実はトモさんとは
トモさんがオンラインコーチを始められたのは2018年ですね
僕がトモさんにコーチングをお願いしたのが2019年なんですね
そういうご縁があってトモさんとは6年のお付き合い
バークレーマラソンへの挑戦
リアルにこうやってお出会いすることは本当に少なかったんですけども
昨日来てくださって
昨日もたっぷりご飯も食べながらもいっぱいお話しして
さまざまに行き届をしたところなんですけども
普段は僕のランニングコーチとして
オンラインでミーティングをして
メニューを作っていただいて
日々トレーニングに励んでいるという関係の中で
先生ですね
ということで始めたいと思います
早速ですけど映画
僕今日初めて見たの
皆さんと一緒で初めて見ました映画
感動的でしたねやっぱりね
自分自身のウルトラトレイルの
今までの経験も振り返りながら見させていただきましたけども
まず最初にズバリいきたいと思います
全然予定外の
トモさんにとってリタイアとは?
リスタート
リスタート
その心は?
やっぱり失敗しに行くわけではないんですけど
正解を求めてたくさん練習して練習して望むんですけど
失敗すると自分が
これでもかっていうところまで練習するんですけど
それでもやっぱり宿題が出てくるんで
そうするとスタートをまた再挑戦する前に
得られなかったものがリアルに得られるので
それをまたクソっていう気持ちで
自分を磨いていって
また再び挑戦するためのリスタート
ウルトラトレイルをされるまでに
そういったリタイアっていう体験ってそれまでありました?
そう感じる体験
人生においてはたくさん失敗してきたと思うんですけど
ウルトラランニングに関しては
唯一この
僕82本走ってるんですけど
完走できてないレースなんで
初めて走った時は
その時は100マイル40本以上走ってきて
完走できなかったっていうレースはなかったんですね
なのでウルトラランニングにおいては
バークレマラソン初めて
失敗というか
完走できないレースになりました
ランニング以外でそういうリタイアみたいな経験っていうのは?
もう多分ほとんど
何ですかね
幼少時代も学校に行ってた頃も
周りが小学校中学校高校大学と
目標をちゃんと持って生きてるのに
僕はふわふわ浮いたままで
チャランポランのような気がしたんです
その時点で僕は負け組なんだなっていう風には思ってました
この映画の中で
ラズが言っていたことが書き留めたんですけども
諦めることっていうことがね
これリタイアする時にすごく考えますよね
そうですね
諦めることで諦めないことを学ぶって言って
ラズは言ってました
リタイアする時すごく葛藤するじゃないですか
僕はリタイア経験がむちゃくちゃ多いんですよ
ウルトラで言うと100キロ以上で言うと
多分僕完走率50%ぐらいかな
かもしれない
本当に自分は全部出し切ったか問いかけますよね
まだいけるんじゃないかとか問いかける
これは諦めたら負けかなとか
なんでここで辞めなあかんのかっていうことの理由探しとか
してしまうんだけど
そこでバークレーマラソンズって
わざわざリタイアしに行くようなもんじゃないですか
1%の完走率って
そもそもリタイアして当たり前みたいな
どんな心境でバークレーマラソンに最初チャレンジしようと思われたのか
このウルトラランニングをやっていると続けていくと
やっぱり人間慣れて自分の生き地に対して慣れてくるので
最初の一歩目はもちろん難しかったんですけど
もう二度と走るかっていう時期もあったんですけど
でも日が経つとまた挑戦してみようかな
どんどん前まで過酷だったことが過酷じゃなくなって
もうちょっと上を目指して
食事でも辛いものが好きな人はどんどん辛いものを食べていく
と同じような過程の中で
ウルトラランニングにもやっていくと
もうちょっと長い距離
もうちょっと上りがあるレース
もうちょっと辛いレース
もうちょっと完走率が悪いレースで
ちょっと何とかやってみたいなという気持ちになっていくんですけど
その過程の中でアメリカのレースとか走っていると
ウルトラランニングの挑戦
バークレーマラソンを走ったことあるのかと問われるんですよね
ちょいちょい会話の中で出てきて
その時はあまり気にも止めなかったんですけど
ある時日本のウルトラランナーの友達が出て完走できなかった
え?あの人が完走できないの?
その当時トモさんよりも強い人なんですか?
僕よりも先にウルトラランニングを始めた
そういうのを聞くと
今まで左から耳に流れたのが気に止めるようになるんですよね
それがまずきっかけ
そこからどんなレースなのか調べていくと
ルールも面白いですし
今となっては35年間で
21名しか完走できないと
どんなに難しいんだと
でも僕は40回で100マイル走ってきて
全部クリアしてきたから
僕には完走できないなんてあり得ないでしょうと
じゃあ僕も出てみようと
そしたらこのレースというのは
いろいろルールがあるんですけども
コースマーキングもないし
時計も使っちゃいけないとか
GPSもないので
自分でコンパスと地図をもとにナビゲーションして
1周40キロの中に
木のホラーの穴とか岩の下とかに隠されている本ですね
そのページをちぎってきて
回ってきたよということを証明するルールがあるんですけども
それで募集しなきゃいけないんですけど
僕は初年度1周もできなくて
終わってしまったっていう
僕としては本当に悔しいというか
失敗からの学び
もう本当に屈辱というか
初めてですよね
だから出られるときは
もう完走するぞという思いの中で
初めて挑戦した
ところが募集するところを1周で
時間切れだったということですか
もう時間切れですね
体力はまだあった?
体力はありました
そのときの初めてのリタイアしたときの気持ちって覚えてます?
なんか狐につままれたような
こんなはずじゃなかったのに
でも日本に帰ってどうやって言い訳しようと
仲間にどうやって言い訳しようと
そればっかりそんな嫌なことばっかり考えた記憶があって
帰りの飛行機でずっと窓側の席で外を眺めながら
なんて言い訳しようかな
かっこ悪いし
そればっかり考えて
そういう気持ち悪い自分がいて
でも結局ダメだったものはダメだったんで
考えれば考えるほど別に言い訳というよりも
自分がダメなことをどんどん考えれば考えるほど出てきて
ナビゲーション力が足りなかった
総力が足りなかった
募集のプランもダメだった
もっとテントをこうできた方が良かったんじゃないかとか
いろいろバーッとあって
どれも足りなかったなと
もう裸の王様だったなと
そういう王様でもないんですけど
裸の王様だなと
ただ唯一自分の中で証明できることは
体力的にパークレーマラソンは200キロ
累積2万なので
富士山を7回分ですかね
200キロ走りながら富士山を7回登り降りする
というぐらいのタフなコースなんですけど
でもそれを僕は60時間以内には
せめて地図読みしなくても
フィジカル的に感想できるんじゃないかということを
誰かに証明したいと
自分にも証明したいし
誰かにも証明したいし
ラズにも証明したいし
という気持ちで終わって
1週もしていないんで体力もないし
1週間後か2週間後か忘れたんですけど
東京の八王子の高尾というところに住んでいるんですけど
有名な山があって
そこで1週15キロのコースを
14週すれば同じぐらいの累積と距離になるんで
せめてこれを60時間以内に
もし僕が感想できなかったら
もう二度とパークレーマラソンは挑戦しないですし
でも感想することができたら
僕は来年もう一回挑戦する権利は少なくてもあるだろう
ということで挑戦して
それで53時間2分で感想したんですね
それを感想した翌日にすぐにラズにメールを送って
ちょっとパークレは感想できなかったんだけど
フィジカル的にできることは証明できたから
来年はまた出るつもりで
1年間練習するからよろしくお願いします
という手紙をラズに送ったことを覚えています
そこから4度の挑戦ですね
毎年毎年リタイアし続けて
これが2024年の大会
メインクエスト1というのもあって
2があるということは1もあって
YouTubeではメインクエスト1というのが見れるんですけど
それが2023年の映像
これが2024年の映像
今年も3月に6度目の挑戦で行ってるんですけど
感想がまたできなくて
帰ってきた映像もまた来年の2月ぐらいに
メインクエスト3として
結果はちょっと出落ちしてるんですけど
どう映像化するかは
映画監督の腕にかかってるんだと思うんですけど
そういった6回挑戦してます
映画にこのようにしましたけども
そのきっかけって
映画にしたのは3度目?
3度目です
3度目の挑戦の年に1をしたんですよね
映画にしようと思ったきっかけは?
そうですね
僕ではなくて
1回目からフォトグラファーで
藤巻翔さんという方がいるんですけども
トレイランの中ではすごく有名なカメラマンなんですけど
その方がバークレイマラソンってちょっと謎だし
世界一過酷だし面白いから
2018年からフォトグラファーとしては
ずっと毎回来てくれてたんですね
この写真じゃ伝わらないものを
映像にしたいというので
僕のアイディアというよりも
藤巻君のアイディアで映像化するということでした
なるほど
友さん自身がこの映画で
自分が一番伝えたいなって
観客の人に我々に伝えたいなっていうことは
どういうことだったんですか?
当初
その企画が持ち上がった時
そうですね
今まで人生を生きてきて
失敗することってダメだよって育ってきたような気がしてならないんですね
だから大人になっても失敗することはダメだ
でもバークレイマラソン
ウルトラランニングを通して失敗をすると
学びがものすごく多いんですね
それでもちろん今回のメインクエストのタイトルなんて
負け犬の遠吠えなんて
まさに負け犬なんですけど
失敗することって別に悪いことではなくて
そもそも失敗することがおそらくスタート
ラズから言わせてみれば
そこがスタートだよと
失敗して終わりなんじゃなくて
失敗してそこが始まりなんで
そこからどんどんまた自分を向上していって
良くしていって
っていうところなんで
私としてはそういったところを
ウルトラランナーだけでなく
ランナーだけでなく
他の関係ない人も
共通することだと僕は思っているので
それを共感してほしいなとは思っています
仲間との絆と成長
ふと今思いを起こしたんですけど
誰だっけ
安藤忠夫さんやね
安藤忠夫さんが99敗1勝みたいな
そんな本を書かれていたと思うんですけど
建築家として今世界的に有名な方ですけども
ほとんどのコンペで負け続けているという
それを経て今の自分があるというのを書かれていて
そういった失敗を恐れず挑戦していく
ということだと思うんですけど
そういうふうでは先ほど
幼い頃はそうではなかった
そんな目標を持たずに
若い頃はやってきたというふうにおっしゃったんですけども
思い返してみて
ここ浜幼稚園で子どもたちが
幼稚園は人の人生で最初の学校と言われている
学びの場なんですね
それをこのポッドキャストではベースにしているので
友さん自身もそういった幼少期はどんな子だったかとか
どのような幼少期から自分が子どもの頃育ってきたかな
みたいな
そんなことをちょっとお話いただいていいですか
生まれは長野県で生まれて
兄弟は2人
姉が4歳離れたお姉ちゃんがいまして
2人兄弟です
幼稚園は
僕は保育園に行ったんですけど
長野で育ちました
保育園は
浜幼稚園は朝7時から夜7時までやって
子どももいるんですけども
友さんはどれくらいいらっしゃったんですか
何歳から保育所だったんですか
それもちょっと忘れません
保育所のときの一番の思い出って何かありますか
予防接種のときに
駐車がやで保育園から家まで逃げて脱走したらしいんです
最初のバークレーマラソンみたいになってますね
バークレーマラソンね
線路を越えて
僕も長野駅の横の山西駅ってところなんですけど
昔逃げた記憶がすごくあって
すごい遠くまで逃げたなっていうのを覚えてるんですけど
大人になって行ってみたんですよ
全然遠くなくて
でもこの線路を渡ったんだな
家に帰ってきて鍵は開いてないし誰もいないんで
道具のところで座って待ってたら
大人の人に友君って言われて
それが先生だったんですよね
それがもうすごく怖くて
そのまま連行されて駐車を打たれて
うわーっていうのがすごく覚えてますね
最初の敗北体験みたいな感じ
そうなんだそれが一番の思い出
そうですね
あとはお姉ちゃんとも仲いいようで悪いようで
ハサミの取り合いの喧嘩で
僕が歯の方を持ってしまって
お姉ちゃんがパチンってやったら
指から血が出て
っていうような兄弟喧嘩もあったり
でもそんなよく喧嘩したお姉ちゃんとも
お姉ちゃんが今となってはそんな裕福ではないところで
生まれたと思うんですけど
お姉ちゃん20円もらって
僕が10円親からもらって
それで駄菓子屋さんに一緒に帰りに行ったりとか
あとはお姉ちゃんが小学校でミルミルとか
焼くると飲んでたらしくて
それが美味しいから
自分が飲まずに家に持ち帰ってきて
僕に一緒に飲ませてくれたり
そういう優しいお姉ちゃんでした
どんなことが好きな子供でした?
そうですね
人を喜ばせるというか
びっくりさせるということがすごく好きだったような気がします
親戚同士の親の集まりでも
ティッシュボックスの空き箱を
ハサミで切って昆虫を作ったら
ともくんすごいね
ティッシュ箱で虫みたいなのをよく作ったねとか
親戚のおばちゃんが濃い紅茶が好きで
ティーパックを2つ使って
すごい濃い紅茶を作ってあげたら
ともくんこれうまいわ
すごい渋い紅茶だなって言われたら
すごく嬉しかったりとか
冗談を言って人を笑ってもらったら
すごく喜んでもらったりとか
褒められるということがすごく好きだったような気がします
それが喜びだったような
そうやって
誰か他の人大人とか家族とかに
いろんなことを自分が思いついたことをやって
喜んでもらえたりとか
すごいねって言ってもらえたということが多かったような感じですね
その分ヘマこくこともあったので
よく怒られてたような気もしますけどね
でもすごいねとか面白いねとか言ってもらったら嬉しいですもんね
そういうふうに共感したり
こうしてくれる大人がいることが僕たちも大事で
幅一園でも子どもたちにそういうことを声かけしていますけど
大人になってもやっぱり嬉しいですね
嬉しいですね
褒められると
誰でも褒められて嬉しいと思うんですけど
褒めてくださいという人がいたりするじゃないですか
褒められて伸びるタイプですとか
自ら宣言する人とかいるじゃないですか
そういうことは言いますか
あんまり言わないですね
それは言わないですね
ちょっと困りますけどね
そう言われても
子どもの頃の夢とか大人になったらこんなになりたいなみたいな
そうですね
TOMOさんの幼少期とスポーツ
幼稚園小学校中学校高校っていろんな幼少時代が
子どもの時代があったんですけども
その年々でいろいろな
例えばちっちゃい頃は
僕6歳から11歳までイギリスに父親の関係で
イギリスの北のスコットランドに住んだんですけど
その当時は飛行機に乗る
初めて乗る機械があって
パイロットかっこいいから
パイロットになってみたいな
コクピットに入らせてもらったら
パイロットかっこいいなとか
その頃コクピットに入らせてもらいましたよね
はい
時計みたいなのがいっぱいあって
どうやって操縦してるんだろうなみたいな
あとその時すごい感動しました
あとはやっぱり本国のスコットランド
イングランドって言ったらサッカーなんで
サッカー選手になってみたいなとか
ラグビー選手になってみたいなとか
その頃はまた成長していくと
空手キットってベストキットって言うかと思ったりすると
空手してる人かっこいいなとか
割と影響を受けやすい
いろんな外界の刺激に
いろんな夢を持ちながらも
熱しやすくて冷めやすいんですけど
親は僕サッカーもやらせてくれましたし
ラグビーもやらせてくれましたし
空手もやりましたし
いろんなことはやってきたんですけど
あんまり続かなかった
中学校時代もサッカー部で
高校時代もサッカー部入ったんですけど
でも高校1年生で辞めてとか
社会人になってからサーフィンもやりました
長野に住んでたんで
やっぱ山ってなんかイモ臭いしダサいなっていう
その頃
海への憧れがすごく強くてですね
海のないところで育ったからゆえ
海への憧れが強かった
サーフィンももう15年くらいやってたんですけど
ストレダンと同じくらいやってたんですけど
全然上手くならなくて
いろいろやってきたんですけど
唯一今続いてるのがランニング
仕事と転職の経験
長野からサーフィンにどこに通ってたんですか?
まず小学校1年生から5年生までイギリス
小学校6年生から高校卒業までは長野
短大はアメリカのシアトル
シアトルからまた帰ってきた時に
親が埼玉に住んでたんで
埼玉に住みました
結婚してからは神奈川に住みました
いろいろと移動してるんですけど
サーフィンはどの?
サーフィンはアメリカからで覚えて
日本に帰ってきてからだったので
その当時は埼玉県に住んでました
千葉とか行ってたんですか?
千葉行ったり湘南行ったりとかしてました
興味あることって子どもの頃から
やっぱり今お聞きしたら
スポーツ 体を動かすことばかりが興味あった
そうですね
さっきポサノバのアーティスト
音楽とかは全然何も弾けないですし
やっぱり体を動かすスポーツっていうのが
走ることだったりっていうのが
やることが多かったかもしれないですね
僕の年 今61歳ですけど
僕らの時は幼少期とか小学校の時に
あんまり習い事
例えばスイミング
スイミングすごい流行ってたじゃないですか
僕らの時はそんなに流行ってなかった
友さんの時はどうでした?
流行ってました
それぐらいからだんだん流行り始めて
スイミングは?
やりました
母親が水泳が得意でやったんですけど
あまり続かなかったですね
よく保護者が続けることが目的みたいになって
いろいろ習い事をしてね
もう辞めたいって言ってるんですけど
今辞めさせたら辞め癖がつくんじゃないでしょうか
そんな相談が来たりするんですよ
どう思われます?
辞め続けてきた友さん
僕すごくやっぱり
ランニングに出会うまではフワフワした人生で
最初の冒頭にも僕はずっと負け組だったんじゃないかな
そういうコンプレックスはあったんですよね
やっぱりずっと何かを続ける人ってすごいなと思いましたし
何か興味があったらすごく上手な人もいて
僕は頑張ってるつもりでも全然上手くならないんで
その当時いろいろやったけど
どれも自分の思うようにはならなかったり
スポーツ以外では勉強でも周りも勉強もできる方も多くて
勉強もしながらも私はこれになりたい
明確な目標が中学からある人もいたし
高校でもいたし
大学になるとほとんどの人がおそらく会ったりもする中で
僕はアメリカで留学させてもらってるのに
僕は旅行業を勉強したんですけど
なんで旅行業を勉強するかって言ったら
先輩がやってるからっていうもうほんとしょうもない理由で
結局卒業しては帰ってくるんですけど
親からお金もいただいて留学させてもらってるのに
自分がやりたいことじゃない先輩がやってるからみたいな
そんなことだったんで
やっぱり何がやりたいのかっていうのは
ずっと社会人になってからも
旅行業の勉強してきたのに
旅行業にも就かなかったですし
シュワード フライトアテンダントになりたいという時期もあって
留学から帰ってきて就職活動もするんですけど
それも心からやりたいことではないので
もちろん採用されないですし
面接も落ちますし
そんなことをしてバイトしてたらうちの妻と出会って
そこで出会うんですけど
たまたま僕がアメリカ行っていた時の先輩が
IT系の勉強をしていて
日本帰ってきた時にITバブルだったんですよね
仕事がたくさんあるから
旅行業もいいんだけどちょっとこっちの手伝いとかやってみない?
ワードもエクセルも分からないけど大丈夫?って言ったら
誰でも入れる世界だから来てみなということで
僕はIT系の業界に入っていって
仕事をするようになってITを覚えて
ランニングとの出会い
今入った会社がフジフィルムだったり
デルコンピューターだったり
そこから今度アメアスポーツっていう
僕が今の職業を自分でコーチングをやる前に入っていた会社が
そこもIT系の会社でやっていて
結構職場も変わってるんですね
そうですね
2年働いたらまた転職して
5年働いたら
唯一アメアスポーツは12年間続いたので
続いた方かなと思うんですけど
その時もやっぱり仕事をやってるっていうよりも
やらされてるっていう感じの方が大きくて
入った当時も僕も今とは想像もできない
98キロぐらいあって100キロ近くあったんですよ
走れるような体型でもないですし
その転職したアメアスポーツが28歳の時に転職して
それがたまたまIT系で採用されたんですけど
スポーツ商社だったんですね
ウィルソン
アークテリクスとかサロモンとか
アトミックとかそういったブランドを掲げてるんですけど
僕はその中でもプリコっていう
フィットネスジムに置いてあるランニングマシンだったり
重りのストレングス機器だったり
そういったのを取り扱ってる会社に採用されたんですけど
その時に採用されていったら
やっぱり周りが体育会系で
もうアフターファイブになったら
よし仕事終わってジム行って
人合わせ書いて走ってビール行くぞみたいな
その先輩方の姿がものすごくかっこよくて
中学校時代に先輩に憧れてた
ユニフォームやってもらったっていうような
そういうのが蘇って
かっこいいなあ
僕もああなってみたいなって思えたんですよね
初めてそこでこうなってみたいな
目標みたいなのが生まれたっていうこと?
そうですね
かっこいいなって
それまではいろいろやってきたこと
スポーツもそうだけど
就職してからも変わっていたときも
そうなりたいなとか
やりたいなとかっていう
あんまり強く思わずに
誰かがやってるからとか
今ちょっと興味あるかな
そういう興味の感覚が
ちょっとその時よりも低いことで
いろいろ移ってきた感じですか
毎年プリコ事業部っていうのが
展示会をやってるんですね
僕も今お世話になってますプリコ
トレートミル
あれ入れてたりしたんですよ
年に1回の展示会で
僕が入った年に自分たちのマシンを使って
BMIを減らそう体重を減らそうっていう企画があって
そこで僕は新人だったんで
一番年下なんで
伊原お前太ってるからよしやれって
新人だったんですか
はいわかりました
いつでも好奇心があるんで
やっぱり昔から人をびっくりさせることも好きなんで
そこがちょっとバカにされてるけど
でも俺がもし一番体重を落としたら
びっくりするんじゃないかな
っていうそういう好奇心でやって
もう体重が100キロ近くあるんで
最初トレートミルの上で
走るっていうことなんてできないんで
もう歩くのが精一杯だったんですけど
1ヶ月間もすると歩きが多少走れるようになった
最初は歩きだったんですか
はい
ちなみに今僕メニューもらって
15%で5.2ぐらいでやってますよね
そのときどれぐらいだったんですか
もう3キロぐらいとか時速3キロとか
傾斜なんてつけないですね
0%で3キロから始めたんですか
はいそうです
あまりわからないと思いますけど
むちゃくちゃ遅いですよ
止まる寸前みたいな
それでだんだんと走れるようになって
やっぱり100キロ回ると自分に自信が持てないんですよね
今何キロですか
今70キロぐらいです
30キロ超えてたんですね
こっからプラス30キロ
自分の姿を鏡でも見たくないですし
今日ちょっと写真持ってきたらよかったね
メインクエスト1を見るとチラッと写真が出てきて
あれはまだ痩せてる頃なんですけど
あれ痩せてる頃なんですか
ほんまに普通の人ですよ
全然別人
見ましたよね皆さん
それでだんだんとやっぱり痩せてくると
鏡を見出してちょっと痩せたな
ちょっといい男になり始めたな
体重計を持って
持ってまた減ってるまた減ってる
そして走れるようになると爽快感もあります
そのコンテストは3ヶ月間で
7キロ僕が痩せてやっぱり僕が勝ったんですね
3ヶ月間は
今日聞いてくださっている方の中には
今日常的にランニングをされていない方も
多いかなと思うんですけど
今トモさんのスタートラインですよ
走っていない
それでプレコーでトレッドミルで
0%で3キロから歩き始める
まず歩きですね
その3キロ0%で歩くのはどれくらい
週何回1回何時間何分
毎日30分
毎日30分です
3ヶ月間
毎日30分を3ヶ月休みなし
休みなしです
そこから始めてください
毎日30分3キロ走り続けて
3ヶ月でどれくらいになった
7キロ痩せた
7キロ痩せた
98キロか91キロになりました
元が多すぎるからね
皆さんはそれほど効果がないかもしれない
それでやった
走ることが嫌いだったことが
顔を洗うような習慣化されて
走らないと気持ち悪いみたいな形になって
職場の先輩に目標終わったんで
次何やりましょうかと言ったら
社内に貼ってあった
マダラオフォレストトレイル
広木さんがやっている
トレイルランニングレースの
15キロと50キロのレースなんですけど
この15キロこれだいはらと言われて
終わりました
最初からトレイルをやったんですか
そうなんです
そうなんだ
ロードじゃなかったんです
マラソンとかそういうのじゃなくて
社内にやったトレイルランニングのレース
そのトレイルランニングのレース
出る前に1回ぐらいは山に行っておかないと
ダメだから
それで違う部署の清水さんという方が
トレイルランナーだったんで
山登りの思い出
山に1回連れて行ってもらって
それも高尾さんではなくて
隣の神馬さんというところに行ったんですけど
往復で15キロ
その時はやっぱり本当に
初めて山を登るんで
きついったらもうあれやしないというか
きついし足も痛くなるし
ただその時はすごく天気が良くて
空も青くて
トロジのサイズリもして
泥の匂いだったり森の匂いだったりというのが
大人になってから
そういうところに行ったことがなかったので
小学生の頃の匂いが戻ってくる感じがして
とても新鮮で
頭の中に雷がダダーって走るような感じがあって
山頂に行ったら山小屋のしょっぱいうどんもめちゃくちゃうまくて
その時おばあちゃんがサービスでくれたうねぼしがしょっぱくて
すごく美味しくて
帰りはもう足が痛くて帰れないんじゃないかなというぐらいだったんですけど
なんとかゴールに帰って
つらかったなって思って
それでみんなでお風呂に行ったら
お風呂も気持ちいいですし
終わった後にみんなでビール飲んでご飯食べて
つらかったけどもまた次の山へ行く話になっていって
すごく楽しくて
つらいんですけどつらいから楽しいっていう
反面教師みたいな感じなんですけど
そこからどんどん
じゃあ次はこの山行ってみよう
あのレース走ってみよう
もうちょっと距離を増やそう
そしたら今度それをトレイルランナーっていう
トレイルランナーの山を走る人たちが好きな人との交流もあって
じゃあ今度一緒に山へ行きましょうとか
一緒にレース出ましょうって
どんどんどんどんちっちゃな雪だるまが転がって大きくなって
距離も伸びていくし
自分も強くなっていくし
スコットランドでの生活
自分も痩せていくし
人との繋がりもどんどん増えて
大人になってからも
友達なんてできるなんて想像もしてなかったんで
それからもう結局
太ってた頃からだんだんとトレイルランニングのスポーツに足を入れてから
15キロから20キロ
30キロ
50キロ
70キロ
100キロ
そして100マイルという風に増えてきました
ちょっとゆっくり聞きたいんですけど
最初の15キロ走って
そこの神馬山ですか
走って
今おっしゃったように
少年の頃の自然の中で
遊んだ感覚みたいなのが
呼び覚まされてきた感じ
6歳から11歳まで
スコットランドに行った時のお話を聞きたいんですけど
そこは自然の中
自然の多い町
村ですね
どんな生活だったんですか
スコットランドでエジンバラというところが結構有名なんですけど
エジンバラからおそらく2,30キロ離れたところに
ハディントンという小さな町があります
そこにうちの父親が三菱電機で働いていて
長野の工場で働いたんですけど
そこでもう一個工場をスコットランドに建てるから
そこのオペレーションマネージャーがやってくれということで行った
僕たち家族も行ったという経緯があるんですけど
そこは本当に工場があるので田舎の
かといって草原のような
僕映るのはすごくなだらかな草原
お家はポツンポツンとあるんですか
お隣まで何百メートルとか
そういう感じですね
遊ぶ野原は羊もいたりとか
そこに
見渡す鍵
こういう山という感じではなくて
ぬーんとしたところで住んでいました
そこで友達と
森の中に入って基地を作ったりとか
そういう遊びをしていたので
芝生の匂いとか土の匂いとか
泥んだらけになって家に帰ってくるので
虫とか生き物とか
日本だと夏になると蚊がいたりとか
お邪魔虫とかいっぱいいるじゃないですか
走ってたらバーンと
そういうのはどんな感じですか
そういうのはあんまりなかったかも
あんまりいない
植物で皮膚が当たると痛くなる
トゲトゲのやつは
茨みたいなのがいっぱいありましたけど
何かにヘビに噛まれたりとか
友達との交流
そういったものはなかったような気がします
学校は現地の一般的な学校
現地の人が行く学校
日本人は
僕だけでした
現地の学校に月曜日から金曜日に行って
うちの母親が日本に帰った時に
日本語に不自由しないように
通信教育をやっていて
それがもう嫌で
言葉の?
そうですね
国語だったり算数だったり
そこにイギリスにいる時に
スコットランドにいる時に
日本の学習を通信でやってたってことですか
そうです
学校終わった子たちがみんな遊びに行くぞって
僕は宿題をやらないと
その通信教育?
そうです
じゃないと遊びに行けないというのは
本当に苦痛で泣きながらやったような覚えがあります
学校では全部英語でされていて
最初わからない状態ですよね
それで学校にいる時って
そんな時って
うちは別に幼稚園だからね
遊んでるだけだから馴染んでるけど
どんな心持ちで?
僕は好奇心が多いので
うちの母親が悲しい思いをしたとか言ってたんですけど
外現地の子に僕が行こうとすると
黄色い肌の色で目もパッチリしてないし
鼻もつぶれてますし
そういう子が行くとみんな逃げるんですよね
僕から逃げるんです
その地域日本人あんまり少ない?
初めて見る
初めて見る?
そのくらい珍しいので
変わった人だなという
その好奇心
子どもたちもすごい見に来たりするじゃないですか
でもやっぱりその頃って結構差別もあるんで
日本人だみたいな
そういう
日本人だっていうよりも
日本人だみたいな
そういうのもあったらしいんですけど
それでもやっぱり僕は好奇心で
そういうのにも伊原少年はそんなにめげなかった?
やっぱり言語伝わらないんで
めげなかったらしいですね
何言われてるのか分からない
分からない
それで3ヶ月くらいすると子どもなんで覚えるのが早いみたいで
それで現地の子たちと仲良く
その頃も走るのが好きだったんで
だからそういったこともあって
ちっちゃい頃って足が速いと思ってたりもするじゃないですか
そういうことだと思うんですけど
それで認められるというか
走ることが速いことによって
子どもたちのコミュニティの中で認められるのか
ような気がしますね
授業というか
学校の中で走る授業というか体育みたいな
そういうのあるんですか
そうですね。英語のそういうやつが分からないんで
だから僕だけずっと覚えているのが
絵を描かされたんですよね
友はあっちで絵を描いていて
ずっと船の絵を描いていた記憶があるんですけど
そこで馴染みようになってから
言うことも分かるようになって
でも体育はしゃべらないんで
それだけは参加していたっていう
そこでちょっと足が速かったから
すごいな、友、友
それで一目を変えて仲間入り
はい、というような
それはちょっと残りますね
自分は足速いかなと
だからイギリスの小学校時代のときも
やっぱり走ることですごく友達ができて
日本に帰ってきたからも
イギリスから帰ってきたら
僕触るとイギリスキンだみたいな感じの
そういういじめもあったんですけど
帰ってきたでもあったよね
帰ってきたでもあって
初めてそこで僕は親に
あんまり学校に行きたくないな
みたいなことをボソッと言ったらしいんですけど
でもうちの親は
6年生ですね
6年生ですね
6年生の途中に帰ってきた
そうです
まあ行きなさいと
で、まあ行き続けて
やっぱり行くと今度体育もあるし
サッカーの授業もあったり
そこでもスポーツで認められて
また助かったな
ちょっと足が速くて助かったな
サッカーができるか
友達もキャプテン翼世代
スコットランドジコミのサッカーだ
サッカーだっていう
生きたんですね
はい、生きました
それに助けられたって思いがありますね
そうするともうみんなと溶け合って
もう普通の
という感じでした
6歳
6、7、8、9、10、11
6年間草原の中で
それを原風景として持っていて
大人になって
今のプロフィールの中でいうと
中学はサッカーやって
で、高校は
1年生までサッカーで
あとはもうスポーツはやってなかったですね
1年生までサッカーで、あとはやってなかったですね
だからそこから
スポーツと少し距離を置く生活になったのはどういうことなんですか
おそらく仲間が変わって
おしゃれ、ファッション
東京かっこいい
高校は地域はどこに?
上田っていうところが
長野県の
上田の方向に行ったんですけど
そこでできた友達が
ファッションかっこいい
その頃のファッションはどんなファッションですか
石田一世とか
わかります?
石田一世?
石田一世とか
わかんない
武田信二とか
それはアーティストの名前じゃなくて
芸能人の名前か
その頃は
その人が着ている服がかっこいい
かっこいいっていう時代で
モッズ系
それでそういったファッションがかっこいいから
でも東京行くと
いろんなかっこいいブランドがあって
そこに行って
お金もないんで
そんなにいっぱい買えないんですけど
バスで行って
上田からバスで東京まで行って
長野に住んでたんで
長野から通ってたんですね
上田まで
長野から上田に学校は行って
通ってました
東京に遊びに行った?
福岡に
週末とか休みに行って
渋谷のセンター街
高速バスで
行って
センター街のマクドナルドの2階で
センター街って何でしたっけ
渋谷のセンター街に行くと
マクドナルドがあったんですけど
そこに行って
6時間くらい7時間くらいずっと
窓から東京の人
おしゃれだなーって
かっこいいなーって
高一の伊原智和が
色気づいて
都会に行っても
ふぬけになって
みたいな感じ
やっぱ東京かっこいいね
長野はダサいね
うちら田舎もんだね
そういうのをやってましたね
でも楽しかった
楽しかったですね
それは高2から
高3まで
スポーツやらないで
他に良からぬことには
手出さなかった?
よくナンパはしてましたね
ナンパだけですか
成功率は本当にバークレーぐらい悪かったです
その当時から
もうちょっと良かったかもしれない
もうちょっと良かった
そうなんだ
そこからアメリカ行くんですよね
そうです
その時に友達が高校時代に3名いて
その2人はちゃんとした目標があって
なんか裏切られたんじゃないけど
いいなーすごいなー
ちなみにどんな目標やったんですか
1人は建築家になりたい
今も建築家になっていて
1人は弁護士になりたい
そういう方法的な勉強をして
その人は方法的な勉強をして
2人ともかっこいいですね
僕はなくて
ただもう1人別のクラスで
1人友達がいた
友達がアメリカ留学に行くと
アメリカへの留学とランニングの出会い
僕は英語は多少できたので
勉強はできなかったんですけど
数学と英語だけはすごくできて
それで英語だけはできて
彼が神戸にある日本校
エドモンズ短期大学というのがあるんですよ
そこに行くと
そこに行くと
まず1年目は日本の神戸の
エドモンズ校で勉強して
そこで勉強したら
2年間アメリカの短期大学に行って
帰ってくるというのに行くと言ったから
自分も友達に行くから
親に
親はもう本当に就職しなさい
というぐらいのレベルだったんですけど
じゃあ最後のチャンスとして
アメリカに行っていいよとなったら
僕は英語ができたので
1年目からアメリカに行ったんですね
その友達は1年
日本で勉強しなければいけなかったので
その時点で別れてしまったんです
結局その友達は
1年間勉強中途中退してしまって
結局アメリカに来ることもなく
そこで会えることもなくなったんですけど
僕は目的がないまま
アメリカに留学させていただいたということで
勉強した科目も旅行業
それは何でかと言ったら
僕がやりたいというよりも
先輩がやっているからという
そういう理由でしたね
アメリカではどんなふうに
学生生活を
そこでも全然走らなかったんですね
レースでの挑戦と成長
走らなかったですね
走ってもなかったし
本当に学校は卒業しましたけど
最後までやりたいなというものもなく
ただ友達は多かったので
とにかく友達と楽しい
何して遊んでたんですか
他の州に行ったりとか
サーフィンもその頃覚えて
サーフィンもしましたし
ナンパもしたかもしれないですね
成功率も相変わらず悪くて
本当にせっかく親にお金を出してもらっているのに
今となっては本当に恥ずかしい
恥ずかしいですかね
ダメダメですね
本当に人生
そこまで
就職もなんとなくみたいな形で
転職されて
アミュアスポーツでランニングに出会って
半ば仕事として走り始めたんですよね
実験台みたいなね
それで初めて行ったトレイルの練習
トレイルランニングのレースが決まった後に
練習のために行ったところで目覚めたんですね
スイッチ入ったんですね
6歳から11歳まで草原で走り回って
遊んだ体験というのは
これか
つながった感じがあったんですか
ありましたね
本当によく漫画で稲妻が走るというのがあるじゃないですか
それが走ったような気がしましたね
なんでこんな楽しいことを今まで知らなかったんだ
もっともっと追求したい
それ以前も6歳までも長野ですもんね
山に緑に囲まれた
自然豊かなところで育って
戻ってきた感じでしたね
戻ってきた感じはしましたね
15キロなんて僕が普段走っている距離の3倍も長いので
想像もつかなかったですし
でもそれをクリアした時に
15キロと50キロのレースがあって
15キロは我々が先輩と死ぬ思いで完走したのに
50キロをのんのと完走する
1位の選手から最後の選手まで
ずっとゴール前で先輩と2人で芝生の上で見てたんですよ
かっこいいなと
来年先輩ここで50キロ一周目指しましょう
みたいな会話をしたのを覚えていますね
かっこいいなと思う他者を
いろいろいろんなことをやっている人
最初の友達建築やりたいとか
そういう人もかっこいいなと
かっこいいなと思う人を憧れたり
羨んだりすることって
僕は大事かなと思うんですね
ある種の美学みたいな
あんな風になりたいなとか
かっこいいなとか憧れやなというのを持つのって
僕は生きる一つの希望になると思うんですけども
トレイルランニングとかランニングレース
ただ走るだけでもいいと思うんですけど日々ね
別にレース出る必要はないですよね
レース出なくてもいいと思うんですけど
レース出るとより走っている人
ゴールしてくる人のかっこよさとか
走っている人のかっこよさというのを
僕は感じるんですけども
そのかっこよさをどういう姿に感じるかというのは
人それぞれだと思うんですけども
トモさんとか僕は
人が走っている姿がかっこいいなと思った
というところだと思うんですけども
そのようにしてスイッチ入って
15キロから始めたところから
徐々に伸ばしていたんですか
そうですね
15キロ完走して
その次の年に50キロ完走するんですけど
その前にじゃあ20キロ走ってみようとか
同じレース?
別のレースで50キロ
15キロ次の年50キロ
その間に15キロと50キロの間に
30キロとか20キロのレースがあって
徐々にステップアップ
練習も徐々に0%の3キロから
15キロの後はちょっと増やしていたんですか
増やしていったり
負荷を高めていったり
そうですね
30分走れるようになったのが
45分走れるようになって
1時間止まらずに
走るようになれたりという
そういう過程もありました
最初50キロ走って
100キロ走ったのは
15キロから何年後ぐらいですか
そうですね
翌年に50キロ走って
その次の年2年目の
2年目で
すごい飛躍ですね
はい
その時に50キロ走り終えて
やっぱりなんか
昔から人をびっくりさせたりするのが
多分好きだったのか
先輩と一緒に続けてきたんですけど
当時OSJって
アウトドアスポーツジャパン
という団体があって
そこが10個年間レースをやると
それを10個完走したら
10個完走したら
称号が得られるというのをやってたんですね
それで先輩に
僕これ10個完走したらどうしますか
無理だろうね
だけどしたら
何か奢ってあげるよ
みたいな話だったと思うんですけど
それでじゃあ僕やりますから
ゴールしたら
じゃあご飯は奢ってくださいね
みたいなそんな話で
10連戦20キロとか50キロとか
中に100キロがあったりとか
いろんなカテゴリーの距離のレースがあって
それを挑戦することになるんですよね
人生初めてのなんかでかい
でかいプロジェクト
なんか聞いてた
それを一個一個クリアしていくと
半信半疑だった先輩も
やるなと
またやるなと
10個戦完走したじゃん
すごいなと
最後になっていけばなってくると
頑張れできそうじゃないかみたいな感じで
応援してもらって
最後は10戦完走した後に奢ってもらって
その当時車内でトレイルランニングをやってた数名と
リタイヤと再挑戦の経験
みんなでご飯食べに行って
走行会もやったし
お疲れ様会もやったし
また誰かをびっくりさせたことに
僕自身が満足を得ているというような感じだったと思います
最初のレースから4年後ぐらい
最初の15キロから2年半後ぐらい
2年半後ぐらい
もう最初はこれだ
走ること自分好きだったんだっていうのを思い返して
走り続ける時には
もう辛さとか
よくあるのはいきなりもうそれで
ちょっといい気になって
すごく負荷を上げて
しんどくなって
また続かなくなるみたいなことがあると思うんですけど
それはそういうふうに途中で
辛くなるとか
今日は辞めておこうかとか
もうちょっとやっぱり辞めたくなるとか
いうことはなかった
どんどん
走るってことは自分の体を使うんで
やりすぎると怪我もするんですよね
怪我をすることによって
自分の体の弱さだったり強さも学んでいくんですけど
自分が走り始めた頃って
走る筋肉も備わってないですし
最初はよく怪我したことがありますね
なかなか3ヶ月くらい治らない怪我も
疲労骨折とか
はなかったんですか
長期人体炎とか
長期人体炎
ランナーズ2って言われてるやつがあるんですけど
そういったのもあったりして
そういうストレーランニングを続けていくと
いろんなクレイジーなことをやってる先輩方とかにまた出会って
みんなでまたこんな挑戦しましょうとか
レース以外の挑戦でも
例えば延山100キロのウルトラマラソンがあったら
そのためにみんなで週末70キロ走ろうっていう企画を
企画してくださる先輩とか友達が出てきて
そこに行って途中で走るもん
40キロくらいで足が痛くなって
僕はやめざるを得ない状況になって
僕は辞めて家に帰るんじゃなくて
その先輩たちを迎えるためにゴールに先に回って
その先輩たちがゴールする姿もかっこいいなって
その頃には延山はリタイヤした?
延山のレースはしてない
練習会はリタイヤして
悔しい思いもしたんで
やっぱりゴールする
週末に勝手にやってる70キロのイベントなんですけど
そういうのをゴールする方がすごくかっこよくて
ああなってみたいなっていう眼差しで見てました
僕も何度もリタイヤしてるんですけど
遠く群馬の穂高
その当時UTMFよりも厳しいと言われていた
一番厳しいレース
紹介から出てるんですけど
うまくいく年もあればうまくいかない年もあって
うまくいかない年に夜中にリタイヤして
やっぱり体動かなくなって
寒い中リタイヤして回収バス乗って
臭いみんな汗臭い回収バス乗って
落ち込んで帰ってきて
夜中宿に帰って寝て
寝てる間みんな今走ってるんだよなと思いながら寝るでしょ
寝て朝起きて
朝ゴール地点行って
帰ってくるランナーを迎えて
おめでとうと言って迎える時に
めちゃめちゃみんなかっこいい
普通の人がね
80キロでリタイヤしたのを
この人たちは130キロかな
130キロ走り切って帰ってきてるんや
この人も帰ってきて
こんな人も帰ってきて
その当時まだ若かったからもっと年いった人
こんな人も帰ってきて
なのに自分は80キロでリタイヤしてしまった
情けないのとかっこいいのと
名案がすごいですね
リタイヤした時の気持ちと帰ってくる人の名案が
それで今日ラースが言っていた
諦めてしまったことに反省して
諦めないことを学ぶ次のレースで
次のレースは諦めないで前に進もうと
いうふうに思うわけなんですよね
そういううまくいかないことを
僕の場合ね
トモさんはバークレーマラソンで
うまくいかないことを味わって
そこから学ぼうというところが
プロでありながらすごいなと
プロだからこそかもしれないですけど
僕らはままならない練習量で
それでも完走できるかできないかという中で
スタートして
今日も完走できなかったとなると
なんか癖みたいになっちゃう
リタイヤ癖が
あれは魔物みたいにね
もうリタイヤした
今日もリタイヤか今年がみたいになって
どんどんどんどん
これ以上走られなくなっちゃうかな
ウルトラランニングの始まり
みたいな感覚になってしまうんだけど
その走り続けるモチベーションというのは
これまでトモさんは全然落ちることなくずっと
100回走るということ
100マイルを100回走るということを決めたのは
どれくらいのあたりで決めたのか
100マイルを14本ぐらい走ったぐらいに
100マイルを完走すると
まず100マイルの最初は聞いてなかったかな
100マイルの最初はどういう
最初の15キロから何年後で
そうですね
3年半後ぐらいですかね
10連戦の中に100キロもあって
その頃に100マイルという概念がなかったんです
100キロが最長だと思ったんです
世の中の
それ何年ですか
2010年ぐらい
UTMFがまだない
日本に100マイルレースがない頃ですね
その時に一緒に練習していた友達に
アメリカに100マイルあるらしいよと
えーっ
やばいね
でも日本人で走っている人がいるらしいよ
ブログがあるよとリンクを送られてきて
見たら鉄路君というブログの方が書いている
もうそれに惹かれて
えーっと100キロが上だと思っていたので
ある意味制したと思ったんですね
それを知ることになって
うちらもアメリカの100マイルを走ろうよという話になって
それで友達はハワイのハートという100マイル
僕はアメリカのキメラという100マイルを走ることになるんですけど
でも100マイル走ったことないから
一回ちょっと練習で100マイル走ってみようよという話になって
普段練習している東京の玉川
羽田から青梅までずっと続いている川があるんですけど
そこと青梅の山高水山というところをよく練習トレランしていたので
それをつなげたら50マイル80キロ
折り返したら100マイルだからちょっとこれやってみない
というのがきっかけで走ったのが初めて
その時はもう会社の人たちだけじゃなくて
トレランのコミュニティの友達とかができていた
そうですね
でもアメリカに行っていた時に
自分はアメリカで学校大学に行っていたじゃないですか
その時には全くアメリカで
そんなレースが何十年前からやっているということは
全然アンテナにかかってきていなかったんですよね
不思議なもんですね
初めてのレースはカリフォルニアだったんですけど
その後何回かアメリカのレースを走ったんですけど
僕が学生時代だったシアトルの近くのレースも
僕が学生時代よりもっと前からあって
こんなことを僕が目標もない時期に
ふわふわしている時期に
こんなことを楽しんでいる人がいたんだなという気持ちにはなりました
初めての100マイルレース
全然情報としては自分の中にその頃は入ってこなかったんですよね
その時に学生時代にいた町にも寄ったんですよね
寄りました
感慨深いですね
ここでつながるんだという
羽田からのやつを思想として試しに
それが最初の100枚です
友達3人で仕事を終わって金曜日の夜11時くらいにスタートして
それで3人でスタートしたんですけど
1人は70キロで足がちょっと眠くなって
やめざるを得なくなって2人になって
2人で進んでいったら
僕はオーロの60キロ地点くらいのコンビニで
ローソンでもうやめようかなと思って
そのもう1人の方に言ったら
もうちょっと続けようよという話になって
じゃあもうちょっと頑張ってみようかなって
今度は山の山頂に行って折り返したら
同じローソンくらいで励ましてくれた方が
足痛いからやめると
えーみたいな
俺1人?みたいな
その時120キロ地点で
残り40キロ
途方もないんですよね
でもその頃は
トレイル仲間もいたんで
メールで40キロだけど
もう僕1人だし
どうしようかなって思ってるんだけど
って言ったらみんないろんな仲間が
あと40キロなんて10キロ4回じゃん
確かにそうかな
そう聞くとちょっと楽かなと思ったりとか
途中で駆けつけて応援に来てくれたりとか
それでつなぎつなぎ
上り取って駅で先輩が
ちょっとラーメンでも食べれば元気になるから
中華のラーメン屋さんに連れてくれて
それで食べて
それでまた肩を押してくれたり
ということでゴールを目指して
最後もラスト5キロなんかも
やっぱり時間が
24時間目指して25時間だったら
もう夜中の0時ですよね
そこをまた往路で止めた友達が
また応援に駆けつけてくれて
もう住宅街
足も痛かったんで
引きずるザッザッザッみたいな音が
響き渡る中で
最後ラスト
ゴール見た時に
ゴールが赤い鳥居なんですね
その時見た瞬間もう号泣して
感動して
その時の今でも
匂いも風の強さも
情景も全て思い出せるくらい
今でも新鮮な思いなんですけど
その時にすごく感動して
でも二度ともうやりたくないな
という気持ちにもなったんですけど
やっぱり達成すると
辛かった反動で
喜びも大きくて
達成感も大きくて
それからまたグッと
ウルトラランニングに
ハマってしまいましたね
最初から25時間ってすごい早いんですよね
そうですね
それは何か根拠があったんですか
24時間
アメリカのレースとかって
24時間以内に完走すると
100万円を24時間以内に完走すると
シルバーバックルって言って
今日も聞いてもらっている中にある
バックルをもらえるんですね
ゴールすると
その起源というのが
もともと100マイルレースというのが
馬のレースだった
カウボーイがやるレースだった
だから馬に乗ってカウボーイがゴールすると
バックルをもらえるというのが
ユーザーの起源なんですけど
それである年
ウェスタンステイスという馬のレースで
馬が故障して
馬主が歩いて完走したら
すごいねってなって
じゃあ人間も走れるレースにしようよ
ってなって
それ以降アメリカではウルトラランニングというのが
流行ってブームになって
ゴールするときはバックルをもらえる
どのレースもだいたい
制限時間が
36時間くらいのレースが多くて
24時間以内にゴールすると
シルバーバックルがもらえる
というので
24時間というのを目指した
それでも一発で
100マイルが飲み込んで
そうですね
100回走ろうと思ったのは
14回目くらいで
14回はレース
それは1回
1回目走ったのは練習じゃないですか
レースを
それを含めて14回
最初のレースはどこだったんですか
アメリカのキメラ
キメラ
まだ日本に100マイルレースがないから
その年
そうですね
なかったからですね
2010年
11年だからUTMFはあったんですかね
UTMFは
11年に開催する予定だったけど
11年が飛んで
12年になったんですね
開催される前ですね
11年
それで
そのレースが最初のキメラですね
最初のレースはどんな感じだったんですか
本当に100マイルは
3本目の100マイルがレースだったんですね
10月にTDTを始めて
自分の100マイルを始めて走って
その3ヶ月後にもう一回やるんですね
その次に
3本目に走ったのがアメリカのキメラで
そのバックルが憧れていたので
ゴールするや
レースレクターが握手してくれて
握手した手の中にはバックルがあって
初めての憧れのバックルだ
すごく感動した思いがありますね
その最初のレースとしての100キロキメラは
どんなレース
自分自身のレースとしては
そうですね
やっぱりウルトラランニングって
走る以外にも食べなきゃいけないし
自分のちゃんとした足もケアしてあげないと
マメもできますし
そういった知識が全くないので
マメがすごいできて
足が痛くて
走り方もどうですかね
まだ脚力も備わっていないのか
無理した走りをしたのか
足も痛いし
とにかくボロボロの状態でゴールをした
というイメージですね
よくこのウルトラトレイルをやっていたり
ウルトラマーソンをやっていたり
超耐久レースをやっていて
時によく聞くのは
走っている最中に
夜中とか
挑戦の理由とモチベーション
僕らで2晩超えるじゃないですか
トモさんは1晩だけど
なんでこんなことをやっているんだろう
時間が終わって
やっていて
そういうことって
トモさんは
最初のレースで
何回も何回も思いますね
ただやっぱり
アメリカのレースに行くよ
って友達にも宣言したし
絶対リタイアなんて
できないし
やっぱりやったんだぞ
ということでまたびっくりするかな
そういうモチベーションが
とにかく強くて
なんでこんなことをやっているんだ
という気持ちで挑んでいました
だからそういう浮き沈みもありながらも
大きな怪我をしてしまったら
もちろんリタイアすると思うんですけど
気持ち的なものだったり
多少だったら我慢できるような
痛みだったので
そういった浮き沈みもありながらも
なんとかゴールにたどり着きました
メンタルとしては
なんでこんなことをやっているんだろう
と思うけど
体は大丈夫なんですよね
リタイアしてしまうかな
みたいなところまでは
行っていない感じですよね
やっぱりそこまで
フィジカルは持っているから
3本目の100マイルも
この前走った82本目の100マイルも
必ず
フィジカルが強くても
弱くても
どんな状態でも
必ずウルトラランニングというのは
自分自身が
なんでこれをやっているのか
と問われる瞬間って
どのレースもありました
その理由というのが
はっきりしないと
ポキッと終わられちゃう
何のために走っているのか
何のためなんですか
僕は
今となっては100マイル100タイムという
目標を掲げているので
レースって
一日か二日じゃないですか
レースの過程というのは半年間かけたりとか
レースによっては一年間かけるので
やっぱり
よっぽど怪我すること
という状態じゃなければ
気持ち的なものであれば
必ず
沈んだ時には浮気が来る
というのも
知っていますし
でもそんな二日のために
6ヶ月1年間を犠牲にできない
そういう気持ちはありますね
なぜ走るのか
そうですね
難しいから面白いというところに
楽しさを見出して
まだ難しいですか
難しいですね
バークレー以外
バークレーは難しいというのは分かります
1%だから
レースの難しさ
でもそれ以外は
全部乾燥しているじゃないですか
乾燥しているだけじゃなくて
上位で乾燥している
その人が
思う難しさと
僕みたいな
テールエンダーが思う難しさって
違うと思うんですけども
どんな
トモさんにとっての難しさって
どういう難しさなの
レースによって全然難しさの
加減が違くて
例えば
優勝とか上位を狙いたいレースだったら
速く走り続けなきゃいけない
ということに対しての難しさも
レースごとに
自分で立てる目標が違うから
はい
バークレーだったら
速さというよりもそもそも乾燥
4周目僕まだ突破していないので
そういう難しさも
ありますし
気候的に熱いレースの難しさもあるし
寒いレースの難しさもあるし
フラットで累積はないけど
速く走らない難しさ
起伏が多くて
登るつらさも
ありますし
いろいろとつらさがあって
僕はレース以外にもトレッドミルって
ランニングマシンの上で100マイルを走る
ということも
とにかく100マイルが好きで
どんな形でやっても
楽しいんじゃないかと思って
ランニングマシンの前の中で
22時間ずっと走り続けて
そういった
つらさもあるし
ランニングとの出会い
400mトラックを400周
するっていう
楽しさだったりつらさもあるし
いろいろとやってるんで
特に400m
400周
なんでっていう
絶対痛めますよね
同じ方向にずっとやってたら
最初同じ方向で走ったら
絶対左足が短くなるんじゃないかな
という風に思って
途中で変えるんですか?
変えましたね
そうすると変わるんじゃないか
いろいろ試してきて
いろんなつらさが
ありますね
つらさっていうのも
つらくなっている状態って
綺麗事じゃないんですよね
眠い時は眠いし
気持ち悪い時は吐きますし
足も痛い時もあるんですけど
綺麗事じゃないんですけど
やっぱり
そういったものを乗り越える
自分の気持ちを乗り越える
やめたい
諦めたい
っていうものを乗り越えると
新しい扉が開くような
気がしますね
次に同じことがあったとしても
それはもう通過点で
以前つらかったことが
つらくなくなっている
自分になっていて
またその上のつらさっていうのが
またつらいんですけど
またその扉を開けると
また新しい世界になって
ウルトラランニングを
新しい仲間に出会ったり
新しい景色が見えたり
他の海外のレースに
行った景色が見えたり
そういって常に
つながってきて
正直
伊原智一少年が
アメアスポーツに入る前に
転職する前に
ランニングに出会ってなかった
前の職業の時なんて
もう日曜日
サザエさん見たら仕事行きたくないな
なんて言い訳しようかな
なんでこんな仕事してるんだろうな
なんかこう
夢も何もない自分って
なんかやだな
太ってて自分に自信ないな
そんな自分だったんですけど
そんな時に
天使が前に降りて
あなたは18年後に
ウルトラランニングで
日本一走ってるんだよ
日本一走ってるんだよ
とか言われてもわけ分からないです
でもランニングを
5キロから続けて
続けていった先には
自分も想像もこうやって話すなんて
想像もつかないですし
こういう世界が埋まってるんで
続けるっていうことの
ことってすごいな
という風に思います
その頃の自分に
今のトモさんが
声を掛けるとしたら
どんな言葉を掛けますか
大丈夫頑張れって
何が大丈夫やね
そうですね
何が大丈夫なのか
その頃のトモさんが
大丈夫頑張れって言われても
わからない
何が頑張っていいのか
わからないですよね
もう本当に目標
何もなかったんですけど
だからこそ
ちっちゃい頃に
最初の話もあったように
何かやって続けなさいって
それが自分が得意か
わからないのに
それやれって言われても
なかなかそういうのって
見つからないですよね
人から言われてること
おそらく僕は
いろいろな扉を
開けては閉めては
また空だった
何か入ってたな
ここでちょっと違うなとか
それが
開け続けたら
ランニングっていうのがあって
それをやり続けたら
仲間がいて
続けた結果
今があるんで
それが僕にとっては
ランニング
挑戦の繰り返し
ウルトラランニングなんですけど
別にそれが
ギターを弾くだろうと
ボサノバをやるだろうと
歌を歌うだろうと
将棋をやるだろうと
勉学をするだろうと
読書をするだろうと
パイロットだろうと
何でもいいと思うんですけど
自分が本当に夢中になれるものを
見つけて
また学んでっていう
繰り返し繰り返しやっていくと
本当に自分も想像できない
場所に行けるんだなって
思います
友さんは
今のお話の中で
出会うことを
もう一回思い出すことができた
自分の強みを走るということを
思い出すことができたんですけど
見つけられなかった頃に
見つけられなかった頃に
悶々としていたというか
何も成し遂げられていない
時代に
いつか
道は開けると思いながら
いたのか
どんな思いで
その時代を生きていたのか
思い当たることってありますか
やっぱり周りが
成長していく中で
みんな目標を置き去りに
されている感じは
ありましたね
焦りとか
そうですね 焦りもあったと思います
その時に
今のお話を聞いて
特に自分からアクション
それでも自分からアクションは
転職
それも
そんなに能動的に
転職している感じはなかったですけど
何が
今の
いわゆるともかずに繋がっているのだろうな
その変わり目みたいなのは
とにかく
いろんな
好奇心はあったので
いろんなことは試して
何かをやったけど
点で終わってしまったということは
たくさんあったと思いますね
だから呼ばれた者に
やってみようかと
それは毎回
拒否することはない
何かやるんですけど
結びつかない
また終わっちゃったなという感じは
ありましたね
そこにたどり着くまで
いろんなことを
やりますよと
乗っかっていったということが
一つありますね
最後の扉
今に繋がる扉を
やることに繋がったのかな
それを
自分がやりたいものが見つかったときに
全て点で中途半端に終わったものが
全部繋がって
線になるんですよね
無駄では全くないですね
それは感じられましたね
それぞれで
どんなことが無駄ではなかったのか
あのときのこんなところとか
アメリカ時代とか
高校時代の
原宿時代
渋谷時代の
こととか
渋谷時代の
あれは今のこんなものに
生きているなとか
ダメだった自分も
いるし
もしかしたら
人を傷つけてしまった自分もいるし
すごく
誰かに優しさを
与えた自分もいるし
いろんな自分がいるんですけど
やっぱり
いろんな状況の自分が
いたからこそ
もうあれはやっちゃいけないなとか
これはいいんだなということが
全て繋がるという瞬間は
あったような
感じがします
だから
そのときは
今となっては
繋がるという意味では
仕事も
私も
アメリカで
旅行業の勉強をしていて
別にやりたくもない
ものを専攻して
日本に帰ってきて
転職しようとしても
就職つけないわけなんですけど
でもアメリカにいたときの
先輩のおかげで
IT系の仕事に
引きずり込まれて
そこが一つ
線になって
そこでまた点で終わるんですけど
でもそれがなかったら
僕はIT系にもいなかったですし
転職を重ねてまた
路頭に迷うんですけど
でも前の会社に就職した
きっかけで
ランニングというものと出会って
またそこが点から線に
繋がって
ランニングをやったら今度
自分が
目覚めたスポーツに出会って
それをどんどん繰り返していった
結果
アメアスポーツという会社は
辞めるんですけども
それで自分で
ランニングコーチになろうと
オンラインコーチの先生になろうと
いう気持ちで脱去して
そして会社を立ち上げて
というところがあるので
全て
終わってたことも
でもそれを行うことで
繋がって今がある
今考えたら
生まれた長野から
全部
繋がってたんだな
無駄な経験というのは
なかったですし
トレイルランニングに
イナズマが走ったのも
イギリスにいた草原で
走ってた頃の
あの思い出が繋がったと思うんですよね
あの頃楽しかったっていう
その頃に
走るなんて
6歳とか11歳の
イハラ少年は
思って野原で遊んでるわけじゃないんで
でもそれが
大人になったら
ビビビってきて
僕の場合はそういう感じなんですけど
おそらく皆さんにも
何か無駄だったんじゃないかな
という風に
追われるものが
あるかもしれないんですけど
それが繋がる瞬間っていうのは
じゃあ何かって言ったら
僕は分からないです
その厳選の一つが好奇心
それと
来たものに
乗っかっていく
自分を拒否したことはない
というところ
そういって
前向きに捉えていく
ことが
最終というか
今に繋がってきているのかな
というような
否定的に見ない
肯定的に受け入れていく
自分の置かれている
流れてきたものを
ただ受け取っていく
一つ一つ試してみて
やっぱり違うかなと思ったら
また次流れてきて
ものをキャッチする
そういうのを受け入れてきたのかな
という風に思いますけど
100回の目標を立てたのは
14回目の
時ですけど
それはどういう思いだったのか
100マイラーを感想すると
マイラーという
ウルトラランニングの挑戦
マイラーだね
100マイラーの100個を
感想したら
1万マイラーと言われるのかな
かっこいいな
それだけの
軽いのに
1万マイラーかっこいいな
そんなことを言い始めたら
お前バカだね
っていうことに対して
僕は
やってみせましょうと
100マイルを
生涯
14本目の時に
100本走るよと言った時は
いくつだったんですか
約15年かけて
100マイルを82本走っていて
14本だから12年前ですかね
目標としては
何歳までに
あと18本
何歳までに
年間5本やったら
4,5年くらいなので
今40歳
今年間5本ぐらい走っているんですか
4本ぐらいは走っています
今48歳なので
5年経ったら53歳で
100マイル100本走り終えると
そこは
僕は通過点でしか思っていない
100マイル100本走ったら
翌日に101本目走るって決めている
ですよね当然
100回走るために
100マイル走っているんじゃないですかね
じゃないです
100マイル100タイムと掲げながらも
100回したらどうするんだ
とは
周りの仲間とかも思っていると思うんですけども
そこは通過点にしすぎなくて
翌日に101本目を走って
要は
100マイルを
連続でずっと通して走ると
200マイルになるので
そういったところにまた距離を
どんどん伸ばしていったりとか
また100マイルではない
過酷なチャレンジとか
レースじゃなくても過酷なチャレンジって世の中にいっぱいあるので
そういったものを走りながら
あとはもう本当に
日本国内にも今となっては
レースだと10本ぐらいしかないと思うんですけど
レース以外の
勝手100マイルっていって
自分たちで開催する
勝手に開催する100マイルっていうのは
何個もあるので
そういったのを毎週
誰かを訪ねて
とも散歩じゃないけど
年間の60周かけて
毎週なんか
走ってみたいなっていう
そういう目標もありますし
でもやっぱり
友達で月岡かなおさんっていう
87歳の友達がいるんですけど
その人も86歳で100マイル
完走してるんで
90歳になったら100マイル絶対完走するっていう
もう月岡さんが86歳で
やってるってことは僕は90歳でも
やれないとはもうやってるんで
なので90歳で100マイル
走ってみたいな
それ今みたいな過酷なやつはできなくても
その年相でも
楽な100マイルでも
90歳になった時に
僕のウルトラ人生にとって
一番難しい
100マイルになるぐらいのことは
90歳でやってみたいなとか
っていう夢はあります
年齢に対する考え方
いくらでも考えられそうですね
目標は
いつか
やっぱり僕まだ
18年とか19年しかウルトラランニングやってないんですけど
まだ42年間も
楽しめると
今日生まれたお子さんが
100マイルを走ったとしたら
42歳になってるわけですよね
そうですね
朝子どもたちといっぱい走りますけど
その子たちと同じレースに出れますよね
彼らが48歳になった時に
僕が90歳で
一緒に
100マイルのレースのスタート地点に立てるなんて
もう最高じゃないですか
そうですね
僕もいつまでも走りたいですけど
そんな夢はありますね
ちょっと時間もだいぶ経ってきたんですけど
別名があるんですよ
トモさん
フィジカルアーティスト
それはどういうことなんですか
フィジカルアーティスト
フィジカルアーティスト
自分で言ってるだけなんですけど
言ったもん勝ちじゃないですけど
フィジカルアーティストっていうのは
僕は地球っていうキャンバスの上を
走ることによって
軌跡を残して
アートを残す
フィジカルアーティストということです
走ることって
僕も
自分が走ることっていうのは
自己表現の一つだと思っていて
自分が走ることによって
自分自身を
更新していくというか
感じることとか
考えることとか
思うこととか
更新していけるなということで
別に誰かに見てほしいとか
称えてほしいとか
自分自身の自己表現として
一番しっくりくる
自分の自己表現としては
一番しっくりくる
文章を書いたりとか
いろんな自己表現の仕方はできますけど
一番走ることが
しっくりくるなと
僕も思っているんですけど
これからの
話なんですけども
とはいえ
僕自身が
今61歳で
ぶつかった
だいたい55歳くらいからの
フィジカルの衰え
特に
フィジカルの中でも
マッスルの方で
筋力の方ではなくて
内臓とかもあるし
要は
落とすんですよ
ありません?
今までこんな
持ったと思ったのに落としちゃうとかね
今までやったこともないような
ミスを日常生活の中で
やったりするんですよ
だんだん衰えてくるのが
これから
出てくるんですけど
それにどう
対応していくかというのは
すごくこの10年
友さん知ってはるように
四苦八苦してたんですけども
そういう老いに対する
構えみたいな
今なんかあります?
まだない?
年取ることって
マイナスのことだなって
イメージはありましたね
おじいちゃんになっていくと
そういうマイナスなイメージがあるんですけど
でも今は
年を取って
カッコよく生きたいな
年を取ることってカッコいいんだな
その年を取っても
その年相当の目標とか
挑戦を決めて
挑戦し続けている姿を
見るラズみたいなおじさんもいる
ああいう生き方って
カッコいいなって思うんで
年を取ることへの恐怖感とか
はないですね
何かしら
自分なりに楽しいことを見つけて
挑戦し続けたいな
というのは思います
お嬢さんが今やりますよね
うちも一人いるんですけど
お嬢さんと一緒に
走ったりもされる?
普段はないんですけど
うち犬飼ってて
オレオっていう犬なんですけど
ジャック・ラッセルの犬なんですけど
娘が犬が大好きで
犬と一緒に走るトレイルレースが
今最近あるんです
それはオレオとだったら
走りたいということなので
毎年一緒に
三人で走る機会はありますね
クライミングを頑張っているので
それを頑張ってほしいなと
思っています
自分の父親が
プロトレイルランナーであって
この世に活躍している人
お父さんとして
どう見られているんですかね
彼女が僕が
走っている人っていう感じだと思います
普段お家にいらっしゃるんですよね
仕事で
僕も夏になると
髪長髪で
上半身裸で
走りに行くので
嫌だ
嫌だと思っているんじゃないですかね
さすがにパパは
Tシャツくらい着て
走りに行ってとは言われますけど
彼女は別に
ランニングが好きではない
犬と走るのは好きだと思うんですけど
別に強制することもなく
走ってほしいとも思わない
心はありますね
いつか僕が100マイル走って
ペーサーなんてやってくれたら
最高だし
僕がペーサーをするような
ペーサーって搬送するんですけど
そういったルールがあるので
そんなことができたらいいなとは思うんですけど
別に押しつけることでもないし
僕も小さい頃に
押しつけられても
それがいいか悪いか
ないと思うので
本当に自分が好きって思うものを
一つでもいいから
見つけてほしいな
とは思いますね
レースに一緒に行くことってないんですか?
つい先週
タイで
家族で
旅行がてら
レースを走ってきたんですけど
そこには来てくれました
その時はエイドステーションで
サポートとか
ゴールに一緒に手をつないで
家族との関係
ゴールして
その時に初めて
私も20キロだったら
走ってみようかなと
言ったことが
すごく嬉しかったです
18歳以上はレースに出れないので
いつか
18歳になった時に
そんな日が来たらいいなとは
思いました
20キロというのは
タイのレースの一番短いのが
でも普通に考えたら長いですけどね
犬と走るレースも
21キロなので
経験はあるんだ
僕も今回
100マイルじゃなくて50キロの
レースを走って
ありがとうございました
最後に
浜幼稚園は
何のために
こういう教育を
子どもたちに
一緒に
毎日遊んでるんですけど
生涯に渡って
幸せになってほしいなと
その幸せになる根っことして
自分を幸せにしていく根っことして
こういう中で
友達を作って
いろんな遊びをして
その中からいろいろ学んでいくということを
大事にしているんですけど
ウェルビーングという
言葉がありますけど
友さんにとってのウェルビーングというのは
どういうイメージを
持っていますか
何か夢中な
自分が本当に心の底から楽しい
と思うことを見つけて
それに夢中になって
失敗を恐れず
繰り返し学んでいって
行く過程が
ウェルビーングだと思います
僕にとってのウルトラランニングの
メインクエストってバークレイマラソン
いつか完走してみたい
完走したらまた違った目標が
またメインクエストができると思うんですけど
人生においては
正直どんな未来も来るかも
よくわからないんですけど
そうですね
挑戦し続けて
どう生きていいのかって
正直わからないですよね
正直僕も
走る前は
10年前は
今日ここで秦さんと一緒に話して
皆さんの前で一緒に話す
こんなことがあるなんて
想像もしていなかったので
5年後も
10年後なんてのは
想像できないんですけど
でもやっぱり何か
大好きなものを見つけて
それを
追求していって
挑戦していった
先には
僕はランニングっていうツールを使ってるんですけど
想像もしなかった世界が
待ってるんで
僕はウルトラランニングっていう
カテゴリーの中で
挑戦の意義
人生も学ばさせてもらってると思うんですよね
最初はランニングを通して
速くなりたい
強くなりたい
って思って
走ってきたんですけど
でも
それもそうなんですけど
その先には
生き方も学ばせてもらったような気がするんですよね
ウルトラランニングっていう
おそらく
僕はウルトラランニングですけど
バスケだろうが
剣道だろうが
読書だろうが
料理だろうが
そのカテゴリーで何かを追求していくと
生きていくことって
学べるような気がして
ならないんですよね
挑戦し続ける
っていうことが
その先はどんどん
何が見えるか分からないけど
見えるものを
期待したり
別に何もせず
ただ今挑戦するっていうことが
幸せ
そうすると勝手に
自分と似たような人が
集まってくるような気がします
その人たちと
また
バカなことやってるね楽しそうだね
っていう話で盛り上がった
先にはまた
誰かが現れて
また違った景色が見えて
集まっていくと
僕はここに来れたんで
何か別にランニングじゃなくても
何でもいいので
挑戦することを
失敗を恥ずかしがらず
何か続けて
いけばいいんじゃないかな
僕は少なくとも
娘には
何か見つけてほしいなとは思います
そうやって人生を
その何かで豊かにしてほしいなとは思います
見つけられるまで
いろんなものを受け入れ
好奇心を持って
いろんなことを
バークレーマラソンの体験
体験するということ
で今
ここにいるということですよね
ありがとうございました
では
めっちゃ時間を押したんですけど
止まらないんですけど
質問を
受けたいと思います
ご質問は
どうぞ
平林と申します
浜幼稚園の卒園時の保護者を
させていただいて
今日はお話ありがとうございました
最初のオープニングで
ウリボーサさんが
寺尾明のここのイメージの
音楽流されて
映像を見ていても
お一人かなと
思ってたんですけど
今畑さんとのトークショーを聞いてたら
走るところであったり
スポーツであったり会社に入って
トレーランニングとの出会いであったり
ずっと人とつながって
仲間っていうイメージがすごくあったにも
関わらず
バークレーマラソンについては
メインクエスト2の中では
一人で走ることを選んだというか
意図的に集団で走らずに
一人で走るっていう
選択をしたっていうのが
イメージと違うような気がしたんですけど
そういう
ご判断というか
実行というか
されたっていうのは
どういう背景があるのかなって
ちょっと不思議に思ったので
お尋ねできればと思いました。
そうですね、集団で走った方が
集団で走らないと
難しいレベルまで
になっているレースなんですね。
もう誰かが
完走すると難しくなっていって
30年前のバークレーって
今では16冊本が
隠されているんですけど
10冊しかなかったりとか
距離も短かったので
本当に100マイルだったりした時代も
あったんですね。
それがどんどん
陸上流ボータカトビのように
バーが今上がっていって
今のところのバークレーマラソンというのは
歴史上一番
誰も超えられないバーまで
高くなっていて
そうなってくると
一人の力じゃ絶対完走できない
というのは
分かっていたんですけども
僕自身
人と走るというのは
メリットもあってデメリットもあって
メリットとしては
やっぱり協力し合えるという
メリットもあって
デメリットとしては
相手のペースに合わせなきゃいけない
というデメリットもあったりもするので
最初は
みんなで完走しなければ
絶対完走できないなという
気持ちで挑んだにも関わらず
一周目走ったときに
これ自分でも
一人でも行けるんじゃないか
という気持ちと
自分で
一人で探し出したい
という
色気ですかね
そういうものが出てきてしまって
それで一人で行くことを判断して
やっぱり二周目
本の隠されている場所は今分かるので
行って回るんですけど
やっぱりその
12時間
24時間
36時間
48時間となってくると
脳とかも朦朧として
眠さも出てきたりとか
トラブルとかも出てきたときに
全て自分で対応しなきゃいけなくて
それで
ちょっとした判断ミスが
ちっちゃなミスが大きなミスになって
結局4周行くタイムに
4周目を終えられないぐらいの
タイムになってしまって
諦めてしまったというのが
感想できなかったという理由なんですけど
質問に対しての答えとしては
そうですね
レース途中に自分の
なんかこう
一人で探して
なんかこう
見つけ出したいという
そういう
なんか色気だったり
そういうものが出てきてしまった結果
やっぱり感想できなかったのかな
というふうに思っています
次出るとしたら
これが24年だったので
25年今年も走ってきたんですけど
それは感想できなくて
ランニングを職業にする理由
その時はもうみんなで一緒に行くということで
行ったんですけど
今度はコースがもっと難しくなってしまって
みんなで行ったけど
ダメだったという結果に終わりました
多分本当に長いので時間がね
その中で
自分のレースプランと違うことが
これやってみようかな
みたいなことが浮かびますよね
こっちの方がいいかもしれない
それは何の根拠もないのに
そういう選択してしまうみたいなところで
やってみた方
やってみないよりも
やってみて失敗した方が
今日の失敗を恐れずにやってみる
思い浮かんだのに
そのプランをやらずに済ませるよりも
思い浮かんだらやってみる
やってみたら失敗したみたいな
それはしゃーないだみたいな
そんなことが多いかなと
人の手を使っていけば
完走できるというシナリオがあるにもかかわらず
自分一人でやってしまいたいという
迷い
迷いと
間が刺すことがいっぱいありますよね
状況に応じて本当に
ありがとうございます
では他には
ご質問
ありがとうございます
柏木です
ありがとうございました
私は一個も走らないので
こんだけ走る人が
どんなことを考えているのかなというのが
すごく気になった時がきました
映画の中で
素直さが足りなかったなというのがあったんですけど
話を聞いていると
こんなに素直な人なのに
なんで素直さがまだ足りないのか
というのがめっちゃ気になったんですけど
どんなところが逆に足りていない
素直さなのかなと
素直さの100%の中でもわからないんですけど
90%はもしかしたら足りているのかもしれないんですけど
バークレーマラソンスが1%の完走率なので
おそらく素直さが100%足りていないと
ダメのような気がするんですよね
そういう意味で足りていないんだと思います
だからその素直さ賢さ
いろいろ出てくるんですけど
足りているとは思っているんですけど
やっぱり本当に狭きもんを行くためには
その1%のために練習しているというか
そこが普段からできなければ
レース当日もできないと
そういう欠陥になるんだなというのは思いますね
やっぱり僕も完璧じゃないんで
神様でもないですし
神様なんて到底遠い存在ですし
だからそうですね
普段の練習もそうなんですけど
生活の面から正していかないと
ああいう難しいレースはクリアできないんじゃないかなと思います
リタイア経験豊富な僕から言いますと
リタイアした時に
全てが足りていたら
その先ないじゃないですか
全てが足りているのにリタイアしたら
もうそれは絶対できない
100%無理
挑戦権が奪われてしまうんですよね
なのでリタイアした時に考えるのは
何が足りなかったか
それが足りなかったら
次そこを努力して満たせば
次は完走できるかもしれない
その一縷の望みを
そこに足りなさにかける
足りなさを見出してそこを埋めていく作業を
次のレースまでしていく
ということが僕はありますね
ですからどこかに何かが足りなかったから
完走できなかった
リタイアした
僕の場合はたくさんあるんですけど
それが1%じゃなくて
50%くらい足りないんですけど
だからこそ次走れる
そこを満たすために
どうすればいいかということを考えるので
そこを1年かけてまた考える
足りないところという感じかな
よろしいですか
はい ありがとうございます
トレーヤーランナーです
お話ありがとうございました
福井平と申します
ランニングを職業にされようとしたきっかけを
伺いたくて
私がリクルーティングを職業にしていることもあって
興味があるのと
あとはアメアスポーツにいらっしゃるときから
ランニングとは向き合ってらっしゃったと思うので
あえてリスクを取って
ランニングを職業にしようと
された理由を伺いたいです
ちっちゃい頃から何か自営業とか
何か会社を起こしたいとか
そういったことは思ってたんですよね
でもそれが何なのかよく分からないまま
ふわふわしてて
何かやりたいなというのはあったんですよね
その点というのがまず幼少時代にあって
何かやってみたい
それがアメアスポーツに入って
走ることが人生を変えて
走っていく過程の中で
アメリカが盛んなウルトラランニングで
ウルトラランニングのアメリカの世界では
オンラインコーチング
大陸がでかいので
コーチも直接コーチするんじゃなくて
オンラインでコーチするというのがあるんだ
というのを知って
自分が大好きなランニングを
仕事に結びつけたら
というのがその点と点が
ランニングと何かやりたいというのが
結びついて
その当時はオンラインコーチングというのが
なかったんですけど
これだなというのがあって
妻に相談してもやっぱり反対は
何考えてるのと
新しい会社辞めて
そんなよわけがない
事例もないビジネスやって
私たち増えなくなったらどうするの
という話にもなりましたし
結局それを振り切ってやめて
最初からオンラインコーチングといっても
誰もクライアント
ランニングコーチの始まり
今は生活できるくらい
生徒さんがいるんですけど
その当時は本当に
5人いるかいないかぐらいだったので
収入もやっぱりガクッと下がりますし
だけどその分
ランニングコーチじゃなくて
物販とかして
生計を立てたんですけど
それなりの自分のプランも
Excelが好きなので
Excelに何年になったら
クライアントが5名から10名になって
15名から20名になってみたいな
そんなプランをすると
1人いくらだったら
このくらい生徒さん
5年後には生計立てられて
じゃあそのまでの穴埋めとしたら
Tシャツ何枚売らなきゃいけない
キャップなんか売らなきゃいけない
イベントで稼げなきゃいけない
そういうのをExcelに入れていって
そうするとなんとなく
クライアントさんが
1年目は5人しかいなくても
ランニングイベントとか
物販をすれば
なんとか生計立てるなみたいな
こういうExcelを妻に見せるんですけど
という感じだったんですけど
いろいろとお諮問度もありながらも
なんとか今の妻には感謝しているんですけども
結局ダメダメって言いながらも
今ついてきてくれているということは
応援してくれているのかなと思うんですけど
そういった過程があったんですけど
すみません質問何でしたっけ
質問されて
プロになったきっかけは
プロになったきっかけ
独立した
ランニング自体は
プロにされながらでも
向き合えることだと
思うんですけど
きっかけになるようなことが
あったのかなと思って
聞きました
そうですね
サラリーマンをやっていながらも
本当に自分がこれを
ずっと続けたいのか
って思ったときに
そうなりたくないと思ったんですよね
サラリーマンやってきて
あと僕がその当時
36歳で起業したので
起業したのが40歳なので
あと5年間15年間保証されているのと
今仕事を辞めて起業して
そうするとずっと仕事ができるので
リスクもありながらも
ずっとできる方が
僕にとっては好きなこともできるし
いいんじゃないかという判断をして
辞めましたね
本当に最初は怖いですよね
でもやってみて今思うのは
本当に自分が好きなことをできていて
今はとても幸せなので
踏み切ってよかったなという
また8年前に戻って
迷っている自分がいたら
背中を押してあげたいなとは
思えるまでになったので
だから好きなことを仕事にできるって
僕は本当に幸せだなって今は思います
素敵なことだと思います ありがとうございます
起業の決断
それではもう時間が過ぎたのでこれで
まだまだ聞きたいことがたくさんあると思うんですけども
時間を押しているので
これにてトークショーは終わりにしたいと思います
ありがとうございました
ではトモさんありがとうございました
本当に今日はこのような機会を与えてくださって
普段はランニングしているので
ランナーさんがオーディエンスで
ランナーさんに話すことが多いんですけども
今日はそうじゃないオーディエンスで
走っている方ももちろんいらっしゃいますけど
普段話し慣れていない方に向けて話すということで
僕も緊張したんですけども
こうやって迎え入れていただいてありがとうございます
そのことがきっかけで
僕自身も質問していただいて
自分を振り返る
自分を勉強する機会にもなったので
こうやって機会を与えてくださって
本当にありがとうございます
ありがとうございます
皆さんも本当に40歳50歳の方どうですかね
30歳の方いらっしゃいますかね
まだまだもう30歳だから
もう夢がないとかそういうことはないと思うんですよ
全然30歳でも40歳でも50歳でも
まだまだ遅くないと思うんですよ
僕18年間かけて100キロ渡った人が
ここまで来たって偉そうなつもりはないんですけども
自分の人生を変えられたので
絶対に遅いってことはないと思うんです
何事も遅いっていうのはないと思うんで
何か挑戦する勇気があれば
きっと何か進んで
何か自分で好きなものがあったら
そうしたら是非続けて欲しいですし
そうやって続けることで
勇気を人生を豊かにしてもらって
また皆さんなりのメインクエストを見つけて
何か挑戦していただければと思います
ありがとうございました
ありがとうございました
おはようございました
私ココナハマイオテの園長の小寺ゆきと申します
初めましての方
お忙しい中高校に参加していただきありがとうございます
うちの主人です
自分の肩が取れるランニングを始めて
公園でトムさん今日お越しいただく形になりました
私にとって肩高いのがとってもクレイジーで
もっと先にやめたらいいのにっていうことを
諦めずにリタイアリタイアリタイアで
ずっとここまで来ています
なんてクレイジーなんだろうと思って
もっともっとクレイジーになってきている
っていうのを
昨日からちょっと一緒にさせていただいて
感じておりました
トムさんが今お言われたように
それぞれの人生とそれぞれのチャレンジがあると
ひしひしと私は昨日から今日感じていまして
諦めるということの美学と
諦めないということの美学を
昨日から今日にわたって
ちょっと頭がごちゃごちゃしています
諦めないことの格好悪さと
諦めるということの
リタイアすることの格好良さも感じたりして
子どもたちの中で
諦めなくてザザと寝ているかわいさ
諦めないことに宿泊しているママとも付き合ってたりして
その辺のところをいましできずにいまいつ
ただでも幸せっていうことを
人生っていうことを大きなスパンで考えたときに
すごく軽くなれたような気がしているところも
うまく言えないですけど
それぞれにおかれることもいっぱいあると思いますので
諦めずに
諦めるときは諦めて
また新しい年を迎えていただければなと思いますし
私も何とこつと始めたいなと思ってますが
海外1年の初めにそれを踏み立てて
1月か2月でも終わっちゃっているので
来年は何か新しいことが始められるかなというのを
ちょっと凡人的に思っているところまであります
でもクレイジーな方に出会うと
ちょっとしたクレイジーがまともに見えてくるので
もっといろんな人を知っていきたいなというのを
ちょっと今凡人ながら感じております
本当にどうもありがとうございます
そして今日参加の皆さんありがとうございました
ありがとうございました
聞いていただきました
いかがでしたでしょうか
友さんは事前に撮る前に打ち合わせしていて
こういう内容で質問していきますねというのをお伝えしたら
こういう内容で今までインタビューをされたことがないので
楽しみですと言ってくださっていたんですね
こういう内容になりました
かなり振り返る内容になったと思うんですけれども
聞けば聞くほど興味が湧いて
僕も止まらなくなって
時間があっという間に過ぎた2時間だったんですけれども
この後ね
これが土曜日だったんですけれども
友さんは金曜日に入ってくれて
金曜日の夜に僕たちと
僕と雪園長ですね
雪園長と3人でご飯を食べて
そこでもたっぷり話して
そして土曜日を迎えて
この後に日曜日ですね
日曜日に友さんと走ろうということで
浜幼稚園の在園児親子対象で一緒に30分走って
小学生対象で30分走って
そして中学生以上対象で1時間一緒に走るというイベントを
浜小学校でしました
こちらも大変みんな楽しんでいただいて
楽しい会になりましたね
これをきっかけに後日走り始めましたという人もいて
嬉しかったですね
そこで友さんが驚きの宣言をしてくれたんですけれども
それについてはご自身から
またいろんなところで報告というか
お話があると思うので
また探してみてくださいというか
またお伝えできたらいいかなというふうに思っています
参加者はどんな宣言があったかというのは知っているんですけれども
僕自身も全然聞かされていなかった話なので
日曜日の最後に突然宣言されましたけれども
そのくらいインスピレーション
友さんが受けてくださった3日間らしくて
人生の挑戦
僕たちも企画してよかったなというふうに思っています
本当にピュアな人ですね 友さんね
ピュアですごく一生懸命に生きているということが
ひしひしと伝わってきますよね
家族のこともっと聞きたかったんですけどね
なかなか時間がなくて
でも娘さんについてもお話いただいたし
ご自身のことを振り返って長くお話いただきましたけれども
皆さんにお聞きになっていかがでしたでしょうか
いつからでも朝鮮は遅くないと言われるというところとか
やっぱり幼少期
幼稚園の時というか小学校の時ですかね
6歳からのスコートランドでの経験とか
そういうことが今につながっているというお話でしたけれども
やっぱりそういう幼い頃
幼少期の原風景というのを
僕も大事にしたいなと思っていて
それが経験体験が
人生に大きく響いてくる時がいつか来ると思うんですね
今 結果が出なくても
幼稚園時代 小学校時代に何か素晴らしい結果が出なくても
もっと言うと中高大と
友さんはほぼ30歳ぐらいまで大きな成果
自分が自分を認められるような大きな成果はなかったという話でしたけれども
目標もないという中で
外からのチャンス
自分に外から来たチャンスをつかんで
今に至っているという話をしてくれました
その時に思い出したのが
幼少期の体験ということでしたけれども
僕たちは幼稚園をやるときに
そういうような子どもたちの体験 原風景として
残っていくことを信じて
今の幼稚園での毎日を豊かに過ごしてほしいなということで
幼稚園を毎日ある子で考えて遊んでいる
みんなと遊んでいるところです
皆さんも別に走ってほしいとか
これで走りましょうということではないんですけど
何かご自身の興味あることとか
好奇心を絶やさず興味あることにチャレンジする
チャレンジというとまた大げさかもしれないけど
仕事 家庭
もちろん子育てに力を注ぐとか
力を注ぐというか
一番大事にして
他のことは特に趣味はないんですみたいなところは
いいと思うんですけども
自分自身で何かやりたいことが他に見つかれば
より人生も豊かになるかな
もっと言うと子育ては子どもが独立すると
終わるというか
一旦区切りがついて
自分の人生を歩まないといけない時期が
誰しも来ると思うんですけども
その時に何もしたいことがないとか
何をやっていいのかわからないとか
という状態になるのではなくて
何か自分が興味を持ってやれること
楽しめることですね
好きで楽しめること
そんなことが見つかったらいいかな
というふうに思いますよね
そのために好奇心を絶やさないということ
それから子どもたちには
子ども時代の体験を豊かにする
ということをやっていきたいな
というふうに思っています
はい ではそんなところですね
皆さんも富野さんのお話を聞いて
どんなことを思われたでしょうか
またよかったら聞かせてください
トレイルランニングレースのボランティア
では今日28日
これから今からお風呂に行きます
銭湯に行きます
昭和温泉に行って
サウナに入ります
腰がむちゃくちゃ固まっているので
これをほぐして
明日は京都グレートラウンドという
トレイルフェストというところが
主催しているトレイルランニングレース
年末のこの時にたくさん走る人
何百人も走る人がいるんですよね
70キロ
70キロ 80キロ
100キロ
130キロ 100マイル
200キロというカテゴリーがあって
僕は出ないんですね
ランナーとしては出ないんですけども
エイドステーションでボランティアを
明日しようと思っています
トレイルフェストのレースには
僕自身は何回か出ているんですけども
ボランティアするのは初めてなので
いつも走らせていただいていることへの
ささやかな感謝の気持ちで
明日はランナーたちをサポートして
したいと思います
嵐山 京都の嵐山で僕は
サポート エイドステーションで
働かせてもらいます
では今日はこんな感じで
ありがとうございました
さようなら
02:26:33

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