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皆さんこんにちは。今昔俺物語です。
早速なんですけども、昨日こんなポストをしたんです。
俺は全般性不安障害だった。不安が原因で動けなかったんじゃなく、きっと動かないために不安を使っていたんだ。
その生き方が病気にまでなった。というつぶやきをしました。
おかげさまで、非常に多くの反響をいただきまして、これを少し深掘りして話してみようと思います。
不安が原因で動けなかったんじゃなくて、動かないために不安を使っていたんじゃないかということについてです。
アドラ心理学とかで出てくる考え方に、目的論っていうのがあるんですよ。
簡単に言うと、人は原因で動いているんじゃなくて、目的を達成するために今の感情や行動を選んでいるっていう考え方なんです。
当時の俺は全般性不安障害だったんですけれども、今振り返ると、不安があるから動けてなかったというより、不安があることで失敗しない、傷つかない、否定もされない、評価もされない。
今のそういう状況ですけど、あんまり好ましくないと思っている状況でさえも壊されない。
こういう目的を守ってたんじゃないかなっていうことです。
つまり、動かないことで自分を守ってた。
自己の評価とか、自分の安全を守ってた。
そのために不安という感情を無意識に脳が使っていたという考え方です。
そういう生き方をしてたんですけども、これを続けていくうちに、不安を使って動かないでいること自体がもう維持できなくなってきた。
不安だらけになってきましたので。
それが続いて、私は先に全般性不安障害が診断されて、その後うつになったんですけれども、
もう不安で動かない、心のブレーキをかける余裕すらもなくなって、
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自分が生きられる速度そのものを極端に落とした状態、それがうつ。
自分の感覚ですけども、守るための不安が、守るとかそういうレベルじゃなくて、
もう停止、生きるのが停止、脳が停止という変わったような感じ。それも目的。
ここで大事だなと思ったのが、回復していく中で、不安は悪者じゃなかったんじゃないかなっていう。
不安はその時の、今もそうですけども、自分を守るためにちゃんと役割果たしてくれてたんだなって思います。
不安がなかったらとんでもないことになりますよね。
危なくても、例えば行っちゃったりとか不安があるからやめておこうかなっていう、
ちゃんとブレーキや判断をする手助けになっているはずなんです。
ただ自分の場合はその不安が、その目的と手段が結果的に自分を苦しめることになったと。
いうことに気づいて投稿しました。
これはあくまで僕の感想なんです。
みんながそうだとは思わないんですけど、でももしご自身の中で不安があるから動けてないんじゃないか、
動かないために不安を使っている部分もあるかもしれないとか、
そう思えることがあるなら、自分を責めなくても済む人もいるんじゃないかなと思います。
不安が治る過程で不安があってもいい、動けなくてもいい、
それは怠けたりとかそういうことじゃなくて、
その時に守ろうとしている自分があったんじゃないかなって、そんな風に思ってポストしました。
最後まで聞いてくださいましてありがとうございます。
もしこういうのが良ければまたXの投稿から補足なりしていきたいと思います。
良かったらいいねやコメント、リクエストなんかもお待ちしております。
皆さんに役立てるような、喜ばれるような、気づきがあるような、
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生きやすくなるようなことが発信できればと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。
それではまた。