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第59回 何もできなかった頃の俺には、価値がなかったのか?
2026-10-23 12:25

第59回 何もできなかった頃の俺には、価値がなかったのか?

精神疾患で苦しかった頃。
ベッドで横になりながら、
「世の中は動いているのに、自分だけ何も変わっていない」
そんなふうに感じることがありました。
あの頃の僕に、
「そんなこと思っちゃダメだよ」
と言ったところで、たぶんそうは思えなかったと思います。
でも、回復した今だから持てるようになった、別の視点があります。
もし、大切な人が何もできずに苦しんでいたら。
その人に対して、
「何もできないから価値がない」
と、僕は思うだろうか。
そして、もう一つ。
あの頃、リビングで横になっていた僕が、あることをしたとき、思わず自分で少し笑ってしまったことがあります。
状況はほとんど変わっていない。
それでも、ほんの少し視点や場所を変えるだけで、見える景色が変わることもある。
今回は、
「何もできなかった頃の俺には、価値がなかったのか?」
という一つの問いから、台本なしで話しました。
僕自身の経験が、今苦しんでいる誰かにとって、一つの違う視点になれば嬉しいです。
※僕自身の体験について話しています。心身の状態がつらいときは、無理に行動する必要はありません。必要に応じて医療機関などの専門家に相談してください。
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サマリー

全般性不安障害やうつ病を経験し、ベッドで過ごすだけだった頃の自分を振り返り、「何もできない人に価値はないのか」と問いかける。家族や子どもが同じ状態なら価値がないとは思わないのに、自分にはそう思ってしまったという当事者としての苦しさを語る。リビングで寝転び、窓の方へぐるぐる移動して外を見たことで、思い詰めた感情から少し離れられた体験も紹介する。辛い気持ちを否定せず、可能な範囲で別のことをして、少しずつ優しく過ごすことの大切さを伝える。

何もできなかった頃の苦しさ
みなさん、こんにちは。 今昔俺物語の生き直しラジオのお時間です。
人生は本望への旅、全般性不安障害、うつ病心肌症を経験しました。
精神疾患には本当になってみないと、この辛さはわかんないですよね。 しかも長い。
このラジオでは、回復した今の自分が、あの頃の自分が聞いたら、少しでも楽になることを語っています。
今日はですね、何もできなかった頃の俺には価値がなかったのか、
そんなテーマで語っていきたいと思います。 自分が一番何もできなかったのは、
心肌症と不安障害、全般性不安障害を患ってまして、
そこからうつを併発したんですよ。
その診断される前からもうおかしかったんですね。
めんくりにも、行きたくない。
弱い自分を認めるとか、
頭がおかしい人が行くとかいうものすごい偏見があったんで、 行きたくないって当時思ってたんですよ。
先延ばしにしてて、
どうにもこうにも仕事もいけなくて、
行ったとしても、今日のわんこで、
車の中のテレビをつけながら、今日のわんこで涙が垂れている。
もうおかしいぞって、辛くて朝も起きれなくて眠れなくて。
で、うつと、うつ病を併発してますと言われたんですよ。
その時が一番動けない状態で、
で、最近のXにも投稿してるんですけど、
ベッドの上で眠れないくて、頭がすごい重くて、
しんどくて、
もう考えれなくなって、頭がぼーっとしてるような、
めちゃくちゃ泣いた後みたいな感じの時は、
ぼーっとして寝てるか起きてるか、スマホをただ見てるだけとか、
で、考えられるようになるとちょっとでもまた不安なことを想像して、
もう頭がどんどん脳内トークっていうんですか、声っていうんですか、文字っていうんですか、
そういうので埋め尽くされて、また頭がテレビの砂嵐みたいに、
もう考えれなくて、またこう涙を流しながら天井を見て、
朝そんなんだったと思ったのに、夕方もずっとそんな風で、
で、日中車の音は聞こえてきたり、朝も学生の声とか、子供の声とか、
夕方になるとまた、帰ってくるような音っていうんですかね、
慌ただしくなるような音を聞いて、
自分はずっとこのベッドの上とトイレと水と、
ご飯食べれたら食べるみたいな、そんな生活をしばらく続けて、
子供がお嫁さんと一緒に帰ってきたときは、
起きてるんだけど寝てるようなふりをして、
子供たちはちょっと寝室を覗いて、
リビングでテレビを、子供用のテレビを当時見てて、
で、嫁さんが保育園とか送り迎えして仕事もして家事もしてっていうようなときに、
自分は家で寝てるだけ、寝れてもいない、
世間から取り残されてるっていうか、何もやれてなくて、
そんな自分に不安も感じて、
家族の将来も感じて、
自分はダメなやつとか、どうしてこうなったとか、
原因を探ったりしてどんどん、
さらにネガティブになっていくんですよね。
できない状態と人の価値
で、今思うとですよ、
何もできなかった頃の俺には価値がなかったのかって、
そんな風に思ったりもしたんですよ。
こんなんだったら、みたいな良くない想像をしたりもして、
ダメだダメだみたいな、
自分に話すような感じにして、
日々を過ごしてたんですよ。
で、今はそう思えるんですけど、
当時はそう思ってしまってたんで、
中には皆さんもそう思ってしまうような方もいらっしゃると思うんですけど、
嫌われる勇気だったですかね。
また違う本だったかちょっと覚えがないですけど、
赤ちゃんとか病人とか、
例えば親が調子悪かったとか、
おじいさんが調子悪いとか、
おばあさんが調子悪い時とかで、
何にもできない。
特に子供なんてこちらが世話をしないと、
生きていけないじゃないですか。
そんな時に、
例えば働けないとお金を稼げない。
パパ業ができないと、
パパ失格だとか、
旦那としても何もやれてないとか、
家事もやれてないとか、
家族の一旦を担えてないとか、
そんな風に思ってたんですけど、
そういうできない状態とか、
状況の時に、
自分を果たして、
そう価値がないと思うだろうか。
他人からするとですよね。
当然、それは調子が悪くても、
親には生きていてほしいですし、
長く。
子供でも何も生み出せないかもしれないけど、
お金とか価値とか、
そういったものを生み出せないかもしれないけど、
もちろん子供にも元気でいてほしいし、
例えば病気になったとしても、
看病とかしていくんだろうなっていうのは、
想像がつくんですけれど、
自分に対しては、
そう思ってしまう。
ただ、当事者の立場からすると、
そう思ってしまう自分もいるなっていうのは、
視点を変える小さな動き
思ってしまうもんだから仕方がないことだと思うんですよ。
ただ、自分の大切な人がそうなった時に、
価値がないとか、
良くないことを想像するだろうか、
そうしてほしいだろうかって、
ただすごく辛いんで、
そう思ってしまうのは否定できないんですけれど、
そういう視点が、見方があるだけで、
少しそう思ってしまうところから、
離れたところで、
見れることによって、
また違った見方、
違った考え方ができるんじゃないかなって、
や笑いだり、
少し頑張れたりというか、
気晴らしできたり、
そんなこと考えても良くないから、
ちょっとベランダ出てみようかとか、
リビングで寝転んでた時があったんですよ。
で、動けなかったんですけど、
この窓をちょっと、
吐き出し窓を開けてて、
ぐるぐる回転するように、
吐き出し冊子の方に行って、
外の様子を見た時があったんですよ。
そんなことやってる自分に、
ちょっと面白くて、
なんて言うんでしょうね、
思い詰めてた感情が、
ちょっと、
自分がやってることなんですけど、
ぐるぐる回って、
吐き出し窓に行ったことに対して、
ちょっと違う見方ができた瞬間も、
あったんですよね。
だから、
できる範囲で少しずつ
辛い気持ちを否定するのではなく、
否定もしちゃうとは思うんですけど、
そういう風に思ってしまうのは仕方がないと、
ただ、そういう視点も持ちながら、
気晴らしできること、
ずっとそれを考えちゃうと、
ドツボにはまっちゃうし、
考えないようにしても考えちゃうじゃないですか。
だから、動くっていうか、
なんか違うことをやれること、
できる範囲でやってみるっていう、
のがやっぱり、
そこの視点から、
考えから、
映るきっかけにも、
なり得るのかなって思います。
今日はですね、
何もなかった、
できなかった、
頃の俺には価値がなかったのか、
という問いに対して、
回答をしてみました。
台本もないので、
取り留めない話になってしまったかもしれませんが、
何かご質問ありましたら、
聞いていただければ、
NEXT STAND FM、何でも結構です。
また拝見した時に、
お返しできればと思います。
お分かりいただけましたでしょうか。
そんな時にですね、
いつも言っている、
少しずつ優しく、ゆるく、
できる範囲で、
大体で、
やっていくことが大切なんじゃないかなと思って、
今も続けています。
今は病気ではないんですけど、
そう思ってしまう瞬間もありますので、
その精神疾患に得た教訓が、
今も生きているなって、
自分なりに勉強したなと思っています。
では、終了させていただきます。
また来週、
今昔を俺物語の生き直しラジオでお会いしましょう。
さようなら。
12:25

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