ということで数年間その情報を教えてくれたフランスのアーティスト2人とずっと連絡をコンタクトを取り続け、
女性機に一緒に応募してみたりとかしたんですけど、今回ようやくビザもエージェントにお願いをして取れて、
むちゃくちゃ日本から遠いし高いんですけど、飛行機がね、でもええやと言ってきました。
そのアーティスト2人がやっているサヘルスタジオっていうアーティストインレジデンスがあって、
アーティストインレジデンスって言っても民間のマイクロレジデンスというか、その2人が出資してやっているレジデンスで、
主に国内の、そして他のアメリカの地域のアーティスト、いろんな分野のアーティストを支援している場所みたいなんですけど、
そこに初アジア人として2週間かな、滞在をしました。
第1印象は、とにかく砂っぽい、西アフリカなんで、すごいなんかサハラ砂漠を感じるというか、なんか砂っぽい風が吹いてて、
大地もすごいオレンジ色だし、日本ってやっぱりすごい水っぽい湿気もすごいし、水っぽいエネルギーを持つ国だな、島国だしねって思うんですけど、
ナイジェリアの地に足を踏み入れた時は、これは砂だなというふうに思いました。
人が多い、むっちゃ人口多かったです。もちろん行くエリアにもよるんだけど、子供がむっちゃ多かったな、
特にまた別の回で話そうと思うんですけど、マココスラムっていうラゴスの方にある水上都市があって、
みんな水の上に家作ってボートとかで移動してるみたいなエリアがあるんですけど、そこに行った時も本当子供だらけ、赤ちゃんだらけみたいな感じで、
実際、平均年齢が、アフリカ全体で10代とかすごい若いんだけど、ナイジェリアはさらに若かった、たしか16とか17とかだったかな、
うろ覚えですけど思います。ちなみに日本はもう49とか50歳とかなので、すごい年齢差がある若い国だなというふうに思います。
滞在場所は新しく、タンゲ建造がマスタープランを担当した中心部、
住む場所というよりは政府のための施設が並んでいるような、いわゆるガバメンタルコンプレックスみたいな形なので、
その中に住むのはちょっと難しくて、その外、車で20分くらいかなのところにあるレジデンスなんですけど、
まさに開発が盛んな地域で、私が滞在したところも、周りが建設現場みたいな感じでした。
何もない大地、アブジャは岩っぽいというか花崗岩の岩、山、丘みたいなのがたくさんあるランダスケープなんですけど、
そこをガンガンブルトーザーとかで開拓というか切り開いて、もう何もないゼロのところから新しい家をガンガン建てているような場所でした。
なので正直めっちゃうるさかった、工事の音が。
あとはGoogleマップにまだ認知されていない道みたいなのがたくさんあって、新しいので、
本当毎日のように新しく道路を敷いて開拓してみたいな感じなので、
なので当然Uberとかグラブかな、そういう歯医者アプリもうまくいかなくて、
そもそもデータで認識されていないストリートに滞在してたので、
なのでどこかに行きたいみたいな時は15分ぐらいもうめちゃくちゃカラカラの炎天下の中を歩いて、
ようやくUberが知っているミーティングポイントみたいなところに行って、そこでようやくアプリから配車をして、
どこかに行けるみたいな感じで、結構そのモビリティの不自由さみたいなのを感じました。
なかなか食べるものもすごい辛いし、慣れるのに時間がかかったかなという、
今まで私もいろんな国に行ってきたんですけど、その中でも特にハードな環境だったなっていうのは正直思います。
今回は滞在の目的がすごいはっきりしてたので、
なんでアブジャーのマスタープランを日本のモダニスト、モダニズム建築家が担当したのかみたいな、
全然ナイジェレート日本そんな今まで繋がりとかないし、今もそこまでないし、何でだったんだろうみたいな、
かつそこでどんなものがデザインされて、それが今どう機能しているのかみたいなものを見てみたかったっていうところにあるんですけど、
そもそものいきさつとか、アブジャーのマスタープランがどういうふうに作られたかみたいなところは日本ではほぼ資料がなくて、
これはパリで見つけた資料なんですけど、2020年に出版された、おそらくナイジェレ系の建築士の方、
先生がもう引退されている方なんですけど、アメリカの方が書かれたナイジェリアアブジャーの1900年から2016年までの都市計画士建築士、
そしてその政治みたいな本を書かれていて、2020年に出版されていて、そこの1チャプターにタンギ建造のアブジャー建設に対する貢献というのがしっかりまとめられているんですね。
全部英語なので、私も英語で読んだんですけど、いつか日本語にもなってほしいなと思うし、この章だけでも翻訳担当してみたいなというふうにも思います。
すごく面白くて、歴史的な史実だけじゃなくて、その著者が実際に東京を訪れて、タンギ建築都市設計を訪ねて、その当時担当者だった人にインタビューに行くとか、
そういうシーンとか、あとタンギ建造が設計した東京のいくつかの場所を訪ねて、そこにアブジャー川の方にアプライされたデザインプリンシップルみたいなものがないかっていうのを観察する様子とか、結構フィールドノートとしても面白いチャプターでした。
ここで大体の歴史的な流れみたいなところをまずインプットしてから現場に出ていったっていう感じなんですけど、まずそもそも、なんで新しい都市を作ったの、新首都を作ったのかみたいなところで、
ナイジェリアがイギリスからようやく独立をして、これから新しい政府でやっていくぞみたいな時に、首都を作らなきゃいけないと。もともとラゴスが首都だったんだけど、人口が多すぎるとかちょっと飽和状態で、新しく市から作ろうってちょっと雑な説明ですけど、
政府のいわゆるフェデラルキャピタルディベロップメントオーソリティ、FCDAと言われる都市計画を担当する政府の機関が中心になって進めたらしいです。
そうですね、それが1970年代にナイジェリア政府が推進した新首都建設計画ですね。いわゆるせっかく、せっかくというか、植民地主義の時代が終わったので、ポストコロニアル国家におけるシンボルとしてこの街を作りたいっていうのがあったらしいです。
細かく話していったらもうすごい長くなっちゃうので、ざくっと説明すると、いろんなコンペだったりとか右翼曲説があった末にコンペに勝ち抜いたのが短期建造案で、基本的にはその都市の象徴的な中心部、セントラルエリアの計画を彼が担当したらしいです。
特徴としては、スーパーブロックっていう、ちょっとブロック式に、彼がいわゆるモナニズムの流れを受けて、彼自身コルビジェに実際に支持はしてなかったのかな。
でも彼に影響を受けてデザインをしてきた、設計活動をしてきたっていうところもあって、いわゆるモナニズム、近代都市の作り方に習っているっていうのが、このアブジャンのセントラルエリアの特徴かなと思います。
大規模なスーパーブロックと、いわゆるグリッド状の設計。車がそこを通る設計になっている。回想化された都市構造とか、あと行政空間もすごい記念碑的にシンボリックに作られていて、
私も今回、ガバメンタルビルディング、いわゆる日本でいう国会議事堂みたいなところ、特別に入れていただいて見てきたんですけど、そこもタゲケゾがデザインをしているんですけど、シンボリックに、モダンなデザインなんだけど、ナイジェリアの伝統的なパターンとか色とかを取り入れて作られてたりとか、すごい記念碑的な権力を感じるような空間になっているっていう感じです。
実際、面白かったのが、この期間中にいろんな人にインタビューをしてたんですね。
例えば、さっき話していたFCDAか、政府の都市計画局とか、あと今皆さんご存知のJICA、世界中にありますけど、日本のJICAが、この短期建造マスタープラン案をアセスメントしているみたいで、見直しと精査とアップデートみたいなのを担当しているみたいで、JICAの担当の人にもインタビューをしてきたんですけど、
言うことはたくさんあるので、今後少しずつまとめていきたいなとは思うんですけど、印象的だったのが、短期建造マスタープランって、一部はできたけどまだできてないらしいんですよ。
数十年も経った今でも、まだできてはいなくて、完成はしてなくて、走行している間に時代がどんどん変わってしまい、なので途中でアセスメントというかアップデートをして、今の時代に合わせるように修正していく必要があるっていうのが、今のステータスでした。
特に一番大きい話がインフラが間に合ってないみたいなところで、もともと近代都市ってインフラがあり、それこそ道路とかエネルギーの電気、ガス、水道みたいなところとか、人間が生活するための都市が成長するためのインフラっていうものが土台にあって、
そこが都市の成長を助けるっていうのが近代都市計画で土台となる考え方の一つで、ただアブジャの場合はインフラが全然ないところからいきなりゼロから都市を作り始めて、
街の都市の成長スピードにインフラの整備が全然追いついてないらしいんですよ。で、インフラの整備が追いついてないってどういうことみたいな、私行く前思ってたんですけど、実際アブジャ滞在すると毎日停電とか、
毎日、そうね、毎日でしたね。毎日停電して、そうするとネットも切れるのでむっちゃ困るみたいな。で、あと断水もすごいあった。水が止まっちゃうみたいなのもすごいあって、1回止まったら2時間とか3時間とか止まりっぱなしみたいなすごいあったし、そこが頑張ってはいるんだけど彼らも。
人口増加もそれに追いつかないスピードですごい進んでるし、私が滞在したエリアみたいな感じで、もう新しい開発みたいなのが、タンゲさんがセントラルエリアをデザインした当時からもう何倍にも膨れ上がっていて。
いわゆるスプロール現象というか、高外現象みたいな感じで、セントラルかららせん状にいろんな住宅地みたいなのが、開発がどんどん進んでいってインフラもそれに間に合ってなくてみたいな状態らしいです。
それが結構ちょっと印象的だったなと思って、当時設計していた時代からの時間軸のずれというか、例えば50年後にこうなってるみたいなことが意図できていなかったみたいなところ。
それはタンゲさんのマスタープランが悪かったっていう話じゃなくて、やっぱり都市ってこれぐらいのスピードでむちゃくちゃ変化をするものだから、一つのプロトコルの移植だったりとか、いわゆるポストコロニアルのアフリカに近代都市計画のプロトコルをどんと当てはめるだけではやっぱり全てが解決しない。
なんかそこら辺の都市計画の移植性とか、時代の動き、時間軸のずれとか、すごい考えさせることがたくさんあったなというふうに思います。