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日大アメフト廃部ニュースにつらつら談義
2023-11-29 11:22

日大アメフト廃部ニュースにつらつら談義

目に飛び込んできた🏈のニュース
そして、、



BGM:MusMus

#日大アメフト
#時代の移り変わり
#ICF認定プロフェッショナルコーチ                            #鈴木安子
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00:05
はい、皆様こんにちは。安子はんです。安子はんです。11月の29日、火曜日、じゃないや、水曜日ですね。
曜日の間隔本当に厳しい。危ないんですよ。 ちょっとやらかしちゃうようなこともたくさんありまして。はい、そんな中ですけど、
さっき目にしたニュースがあって、それで話したくなってポチッとしました。 何か、日大の
フェニックスですね。アメフトの廃部ということの記事です。 とても
私の中では
近いというか、恋というか、 お世話になったというか、
なのでね、 何でしょう、一つ終わっていくんだなぁ
という思いとか、いろいろ思い出すことがあったので、しゃべりたくなりました。
日大フェニックスっていうのは、私がチアの土台としていたところだったんですね。
40年以上前ですけどね。 先ほど見たら、カリスマであった篠竹さんっていう監督がいて、監督がね、
超ボスマネジメント、パワハラなんてもんじゃないですね。
昔だったら当たり前かもしれませんけど、
彼がコーヒーにミルクを入れなければ、全員ミルクは入れない。
彼が右と言って、次の瞬間左と言ったら、分かりましたと言って左に行くみたいな。
それがまかり通ってた部で、 その中で
私もひょんなことで関わることになるんですけども、
それもそうまとうのようじゃないけど、思い出しつつ一つの時代がこうやって終わるというか、
ここまで来て、来ないとなかなか作り変えられないんだなっていうものも感じたりしていますね。
日大のね、私が学生だった昭和の54年から58年ですね。
58年ちょうど卒業の年にディズニーランドができたんでね、
あと1年早かったら、社会人じゃなくて時間もあって行けたのにと思った、そんな時でしたが、
私は分理学部の心理学科というところにいたんですが、
その心理学科の教授、ある教授が篠竹さんととても仲が良くてですね。
今思うと、ある日教授に呼ばれまして、お前卒論はフェニックスで書けと。
なんだそれはって感じだったんですが、
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どうやらフェニックス100人くらいいたんですけども、アメフトのね。
それの運動能力と適性検査、ポジショニングというところで相関性があるかどうかっていうそのことを出論にして、
うまくいけば多分学会に発表したんだと思うんですよね。
結論かいうと相関関係出なかったので、ということでそのままになっちゃいましたけどね。
そのことで、ただもうノーとは言えない空気というか。
卒論をするにあたり、夏はずっとグラウンドに通って、
選手の空き時間に運動能力テストと適性ということをやったわけですね。
一方、その心理の教授の奥様が20くらい下で何番目かの奥様だったんですが、
その彼女にどうやらフットボールのチアを作りたいということで、
それの白羽の矢が立ってね、それも入れと言われて。
ノーが言える時代ではないというか言えなかったですね、私はね。
それで体が硬い私は何をやったかというと土台をやったわけですよ。
今みたいにアクロバット的なことをやらないんですよ、全然。
ポンポンとは違う、ダンスとは違うんですけど、ある程度肩に乗せてみたいなことをやってましたね。
それも込みで割とフットボールのところにグラウンドに通ったり、
土台をやったり、途中から足を削りましてね。
ちょっと土台もできなくなったのでチアのマネージャーになり、
コーシエンボールとか横浜スタジアムっていうのは、
今もとメガホンを持って観客とグラウンドを一体化させるみたいな役割で、
大きな声を張り上げてタッチダウンTDっていう感じでやってましたね。
ハーフタイムショーっていうところでは結構芸能人の方が来てて、
ご一緒になったりとかもしてましたけど、
あのフェニックス、黄金時代でしたね。赤いブレザー作って、
フェニックスのエンブレムつけて関西に乗り込んだ時には、
感覚が青だったので、だいたい感覚対日台だったんですよね、トップ争いは。
最後の年だけ兄弟が出てきて、兄弟勝ったんですよね。
その時くらいからちょっと変わってきたっていうのは感じてましたけど、
いずれにしても篠竹監督が一軍の選手と住む寮、
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ここは女性禁制だったんですが、
唯一私たちの舞台だけは入ることができたのがお正月の4日。
呼ばれてね、着物を着て行くわけですよ、ご挨拶に。
その時くらいしか入れませんでしたけども、
監督の周りにはコーチ軍が10人くらいいて、
何かと言うとみんな担当専門なんですよ。身の回りのお世話をする人。
コーチと呼ばれてる人がマネージャー系の人。
ブランドのマネージングもするし、
あと寮生活、身の回り、メンタル系、運動系とかいって、
いろんな人たちがたくさんいましたね。
ただ今みたいに専門的な分野でっていうよりも、
お前これやれあれやれっていう風に指示メールが飛んでっていうことだったんだと思いますね。
それがまかり通ってた昭和の終わりの頃ですよね。
私も4大卒業は就職口がなかった。
生意気だ。単卒って言われて、単大卒業が受付秘書っていうのが花形でしたね。
高卒の方は工場でっていうようなそれが当たり前で、
銀行とか25になって読みに行かないと肩たたきをされるみたいな、
普通にそれがまかり通ってた時だったのかななんて思ったりもしますね。
あれから10年経てば変わりますけど、
まだまだボスマネジメントというか、今だったらパワハラという言葉が出てきてますけども、
いわゆる昔はスパルタ、そこで根性を鍛えていくっていうのが当たり前から、
要は海外からコーチングという指導法も入っていって、
こうやれではなくお前はどうしたいんだっていうそこのところを聞いていくっていうスタイル。
それから人を尊重する、その人の人生をその人が生きることを応援するというような、
こちらを思っているものに思い通りにさせるんではなくてね。
この辺のところが移り変わりにうまくバトンが渡っていく、変わっていく、
いいところは残しながら新しいものを取り入れていくっていうところ。
その移り変わりを知っているメンバーはやっぱり年を取っていくわけですから、
それは知らない人たちがメインとなって世の中は動いていくわけですよね。
だから知らないわけですから比較のしようがない。
でもそこで言っていることがそんなはずではないという、
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自分がされたことないことを人にしなきゃいけない常識みたいなね。
この辺をやっぱり感じてしまいますね。
今日テレビ見たら市長、ちょっとちゃんと見てないですか、
どこかの市長がパワハラで訴えられたっていうことで、
ちらっと画面に出てましたけども、
何て言うんですか、思い出しましたね。
いろんな、私も上司を、保険会社の上司では、
やっぱり彼が言うことが正しいことなので、
それに歯向かうのは灰皿が飛んでくるような会議室だったような気がします。
なので、イエスマンじゃなくて違う人を採用したいとか、
絵に描いた餅ではないですが、そうやって言いながらもなかなかそれがままならなくて、
また今飛んじゃった。
どうするイエスの戦わない国づくりなんかできるわけがないといった、
前提がないところに何かを作っていくっていうのは、
本当に志がないとできないんだろうし、
圧力は大きいですかね。
勇気も必要ですし。
ただ、変え時があるんでしょうって思ったりもしました。
あちこち飛んじゃいましたけど。
今日、日大アメフトの配布というニュースを受けて、
ちらちら私の思い出話もしてしまいました。
一人一人が自分を生きて、自分の人生が選択できるような、
本当にその世界を見つけられるような情勢で今日本はあるので、
そうではなくて、住むところも食べるものもないというところで
生きていらっしゃる人もいるし、
本当に感謝していきたいなと思っています。
お聞きいただきましてありがとうございます。
ここまでお聞きいただいた方、本当にありがとうございます。
また、たまに喋ります。
では。
11:22

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