00:05
アニーマ物語。今日は、実家の物干しというタイトルというかな、そのことで話をします。
えっと、28まで住んでおりまして、今は亡き実家の物干しなんですけどね、2階にあった。
そこでいろんなことあったなぁなんていうのをちょっと話したいと思いました。
はい、小じんまりとした家だったんですけど、その割にはまあまあ広めな横長の物干しだったんですよね。
今物干しって言わないのかな、ベランダ? エモン掛けとかチリガメとか出てきちゃいましたけど、はい。
小さい頃はね、そこで、近所の子とよくおままごと遊びしましたね。
なんか弾いて、ごっこ遊びとかでしました。
中学時になると、覚えてるのがね、朝出かけにボーイフレンドができてね、迎えに来てくれるんですよ。
9歳でなんとかさんとか、その声聞くと、うちの父が、もういないよ、もう行ったよとか言って、追い返しそうとしてたんですよね。
で、その映画聞こえると、2階で支度してバタバタしてた私が、物干しに出てってね、上から、彼に向かって口パクしたりジェスチャーやったりして、あっちあっちとかやってね、やりましたね。
またまたある時にはね、白菜か大根とか切って干してみたいな、そのスペースがね、使われちゃったなんていう時もありました。
ぬか味噌が漬けっていうのが昔の人だったのかな、好きで。
で、父も母も作る側だったんですよ。なので2つあってね、樽が。
で、一人っ子当時の私はですね、どっちが美味しいとか言われて、どっちも美味しいなんて気を使ってた記憶もありますね。
あとその物干しって言えば、2階まがしをしてたので、その人たち、2人の人が洗濯物干すのに半分を使っちゃいけないような暗黙のルールがあってね。
あっち側はお兄さんたち、こっち側だけで干すみたいなことで工夫をしてね、干してた記憶もあります。
布団なんかもね、干したりしてですね。
まあまあそんな物干しだったんですけども、ある時、ある時っていうのは中3で父がね、他界していろんな変化が起きた時から、私の中でその物干しという場所の役割が変わってたような気がします。
03:00
例えば迷った時には物干しとかね、悲しくなったら物干しとか、怒りでふっとしそうな時も物干しに行って、なんか気を収めたのかな、いわゆる干しを眺めながらってことがありました。
なんだか急に寺内勘太郎一家の物干しシーン思い出しましたけど、あれ屋根の上だっけ?
時間ですよでしたっけね、ちょっと記憶が朧ですけど。
フォークソング歌って、西条秀樹と浅田美穂子の深夜は出てきてるんですけど、屋根の上だったかな。
なんか、昔のいわゆる物干しっていうのは、洗濯を干す場所でもあったけど、なんかやりとりがあった気もしますね。
そこでパセリとかも作って、2階から取ってきてなんつってやってた気もしますしね。
私の喜怒哀楽のどちかつと愛ですね。
どもあったけど。
私の記憶をたどると、まあまあ部屋の電気もつけられないで一週間動けなかったなんて時もあって、
で、そんな時に窓開けて物干しに出るとかね。
まあ母のその彼、じっちゃまって呼んでたんですけどね。
彼がだんだん止まっていくようになって。
で、ふと下に降りてってお風呂入ろうかなと思ってチラッと見たら父親の短前着ててすごくショックを受けた時、
2階にぱわわっと行って物干しに出たとかありましたね。
ただね、物干しそこで星を見上げて思ってたのは、いろんなことがあったにもかかわらずですね。
なんか思ったのがね、この経験全部もこやしにしてやるって思ったんですよね。
前にもね、どっかの放送で言ったかもしれませんが。
あともう一個はね、なんだかな50になったら自分史書いてやると思ってたんですよね。
でも実際50になった時は、振り返って自分史を書くというよりも、まだまだやりたいことたくさんあって。
そんな感じじゃなかったですけどね。
60の声を聞いた時、父が60で言ったんでね。
それを越えた時に、うーん、自分の人生がまた新たに始まる感じもしていて、
その時に一つまとまりとして、何か残しておきたいなぁなんていう感覚は起こったりしましたけどね。
今もその一環として喋っているのかもしれません。
はい。
今日はですね、もうたまにない話ですが、物干しをちょっと思い出して、つらつら出てきたことを話しました。
06:02
ここまでお聞きいただきましてありがとうございます。
皆さんにもありますか?物干しの記憶、あまりないか。
またおしゃべりします。続く。