1. オトコの子育てよももやまばなし
  2. 子どもより車が優先される国で..
子どもより車が優先される国で【移動と危険と子育てをめぐる座談】w/門田岳久(立教大学観光学部)+富永京子(立命館大学産業社会学部)
2026-08-25 1:12:34

子どもより車が優先される国で【移動と危険と子育てをめぐる座談】w/門田岳久(立教大学観光学部)+富永京子(立命館大学産業社会学部)

spotify

文化人類学者と社会学者の先生がゲストです/車ヘイトな森田/移動と社会運動/電動自転車とともにある子育て/それぞれ事情がある/そっちが止まれよ/車のことをずっと気にかけて歩いてる/どうやったら仲良くやれるか/自転車の地位があやふや/車と自転車と歩行者のコンフリクト/狭い大都市/行動制限/想像の中ですぐひかれる/車=何を考えてるかわからない存在/わきまえて動けや/弱者優先という大原則?/横断歩道で止まる車が偉く見える/優しい車?/ヨーロッパの車事情/奴隷根性/なぜのうのうとできないのか/車工業社会/交通戦争/歩行者天国ってなんだよ/車社会の利便性を享受してる/子供を守りたいから車を買う/SUVの社会学/ボディーの硬い車/競争的になっていく/自転車のグレーゾーンが広がった/タクシーと性格/受動的な消費者/車と自由な生き方/修士号<普通免許/東京在住ゆえ/車格/あおり運転/不可視性/安全に移動するための車/アルファード+旭日旗シール/あおり運転防止アイテム/あおり運転専門チャンネル/あおり運転映画/マスキュリニティ/車と子供/トロい歩行者/イライラ車/私道=俺んち/金を払ってるのに快適な目に遭ってない/首都高速の渋滞イライラ/早く行く権利/土地から切り離された存在/助手席男子/運転すると人が変わる/ダイニングルーム的空間/他者化/車のDIYは難しい/強さではなく優しくなる工夫/外部の音を取り込む/ヨーロッパのボロボロ車/離島の車/車で保育園のお迎え/塾と車/保護者同士の相互監視/見えないようにすることも自治/生活の不可視化/ボルボとヤリスの2台使い坊主/あらゆる車格の下に歩行者がいる/財としての自動車?/瞬間的で顕示的な消費/自動運転/衝突回避システム/本当に優しい車とは?/車は巨大バッテリー/ヘイトがちょっと緩和/免許返納の民俗学/車と子育ての民俗学もぜひ/ヘイターとコラボしてください/

-

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠メゾン桃山はこちらから!⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

-

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠親番組⁠⁠⁠⁠⁠ 桃山商事⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

-

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠おたよりフォーム⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

-


感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、文化人類学者の門田岳久氏と社会学者の富永京子氏をゲストに迎え、現代社会における「車」と「子育て」の関係性について深く掘り下げています。子育て中の親が車に対して抱く恐怖や、車社会の利便性とそれに伴う問題点、さらにはヨーロッパの交通事情との比較などを通して、車が単なる移動手段に留まらない、個人のアイデンティティや社会構造と深く結びついた存在であることが語られます。 特に、狭い都市部での歩行者や自転車と車の間のコンフリクト、子供を守りたいという親心が車購入の動機になること、そしてSUVの社会学的な分析などが紹介されます。また、煽り運転や車の「車格」といった現象を通して、車社会における競争原理やマチズモとの関連性も指摘されます。さらに、地方における車の必要性や、都市部での車の「見えない生活」といった側面も浮き彫りにされ、車との共存の難しさや、より優しい社会を目指すための工夫について議論が交わされました。

はじめに:車と子育てをめぐる座談会
皆さんこんにちは、オトコの子育てよももやまばなし。 この番組は、現在6歳の双子を育てる清田と、3歳の子供を育てる森田が、育児のよもやまばなしを 座談していく番組です。
メンバーシップサービス、メゾン桃山のサポートでお届けします。
はい、今回もゲスト会ということで、スポーティファイさんにお邪魔しておりますけれど、今回は何か、車の話をする上に、研究者の方を招いてってことですね。
はい、そうですね。もう肝入りの私、念願のね。
なんかすごい圧を感じるんだけど。
ずっと、数年ずっと言ってるっていう。
ちょっと、ざっくりどういうことを。
あの、車と子育てっていうね。
車と子育て。
車と子供。
車、子育てラジオですからね。
カネガネから森田さんはね、車のせいで子供と自由に歩けないとか、怒り狂ってるんで。
ヘイトがね。
前、車の関係で働く方から、そんな怒らないでよみたいなお便りも頂いてましたね。
そう、頂いてたし。
そういう。
あとは、車に厳しいけど、自転車には甘いんじゃないかみたいなお便りをもらったりね。
そうですね。
ちょっとこう賛否ある。
そうですね、賛否あるんじゃないですかね。
今日は二人の素敵な。
そうです。
ちょっと森田さんがゆっかりのあるゲスト。
じゃあ、呼び込みお願いします。
門田先生と富永先生です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いつもお世話になっております。
富永さんも連続でぐらいの勢いで。
帰るたびに出させてもらって。今ウィーンにおります。すみません。
社会運動の研究者の富永さんと、文化・人類学と民族学をやられている門田卓久先生を。
お招きして、車の中で。
初めましてです。
初めましてですね。
お会いしたばかりなんですけれど。
ゲスト紹介とそれぞれの立場
じゃあちょっとお二人、自己紹介。自分の子育て状況と自己紹介を富永さんからお願いします。
今ウィーンで、ウィーンと東京行き来しながら4歳の子供を育てております。
移動状況に関しても。
私は東京都とウィーンで育ってているので、割に大都市っていうこともあって、そもそも免許を持ってないんですけれども。
だから、車ヘイト、そうですねっていうか、アクセスする権利を持ってないから、もっぱら見る側か見る側って感じですよね。
自転車も2年前にようやく乗り始めたのかなっていう感じで、基本タクシーが子供とは多かったような気がしますよね。
ただ割と社会運動ってやっぱり交通の権利を求める運動ってメジャーで、
でも車、自転車が、自転車もないけど邪魔ですというか、歩行者に対して別の乗り物が邪魔ですみたいな運動も結構あったりするわけですよね。
交通ってどうしても収入性別みたいな属性、あとは民族ですよね、による属性的な格差もあったりするので、
そういう点で割と社会運動をやっていると、社会運動研究者なんですけど、避けては通れないっていうのかなっていう感じがしますね。
すみません、長くなっちゃいました。
深田さんお願いします。
深田です。よろしくお願いいたします。
私はですね、14歳、もうすぐ15歳になる子供がいるんですけども、子育てというにはちょっと大きくなってますけども、
そうですね、私の子供が保育園に入った頃にちょうど電動自転車みたいなのが、バッテリー付きの自転車が広まり始めたんですよね。
なので結構ちっちゃい頃から、そういう自転車とともに子育てあったんですけど、一方で私は車通勤で首都高で大田区から埼玉県まで通っていて、車とともに生活をしているというとこもあって、
さらに私は民族学の観点から日本の離島でフィールドワークをよくやってるんですけれども、そういったところでは当然電車がないので、車ないと生きていけないというところがあって、
今日はですね、別に車の立場を擁護するというわけじゃないんですけど、それぞれに事情がありますよということをですね、ちょっと子育ての観点から情報提供できたらなというふうに思ってます。
「そっちが止まれよ!」森田さんの原体験
よろしくお願いします。なんでこのお二人をこの車というテーマでそもそも呼んだんですか?
ちょっと3人でおしゃべりする機会があって、ご飯を食べながらですよね。自分の最近の関心事として、車と子育てというのがあるという話をして、
それはちょうどその時、前後でそういうことがあったんですよね。ワイちゃんと一緒に道を歩いていたら、ワイちゃんが止まってって言ってきて、
なんだろうと思ったら、すごい遠くに車がいて、こちらに来ると。車が来るから止まってって言われて、
ずいぶん遠いなと思いながら止まるじゃないですか。でビューって通りかかって、でいいよって言われて、また歩き出したんですけど、
なんでこんなに子供に気付かせるんだと。気をね。
というかそっちが止まれよって。道歩いてる子供が見えたら、そっちが止まって待てよってその時すごい思って。
止まってっていうのは、保育園でそういう風に言われてるっていうのもあるし、自分たちも言うよね。
いわゆる車道と歩道がはっきり分離しているところ以外の道を歩いているときは、常にやっぱり手を繋がなきゃいけないし、
車のことをずっと気にかけていると。でちょっと走ったりしたら、危ない危ないって言って、
でも安心して過ごせる場所だって外だったら公園しか基本的にはないっていう風に思うんだけど、
そういう状況に対する行き通りみたいなものをお二人に話したら、
たまたま知らなかったんだけど、カッズ先生がモビリティの研究を最近結構されてるっていうことで、
その話がとても面白かったので、じゃあちょっと来てくださいって言って。
モビリティ研究と都市のコンフリクト
飛躍がある。なんでそこでちょっと来てくださいって。
最近なんですかそれは。
私は観光学の学部に勤めているので、モビリティっていうのは人の移動を支えるすごく重要なインフラなので、
その研究っていうのは非常に盛んなんですけど、どうやってやったら人が大量に効率的に移動できるかっていうよりも、
運転したり自転車乗ったり歩いたりしている人たちがどういう風にしたら仲良くやれるかとか、
対立しないように街を作っていくかとかっていうことにすごく興味があるんですよね。
というのもやっぱり去年、今年ですかね、歩道を自転車が走れない。
なるべく基本的には車道を走るという崩壊性があったじゃないですか。
それで東京はますます自転車と車がちょっと対立している感じはあるんですよね。
お互いにどっちか邪魔だなみたいな感じがあって、実際危険なこんなところで自転車を走るの?みたいな国道沿いとかですよね。
というところがあって、だんだん感情的なものが出てきていて、それはただ本人たちといいますか、
運転している人、車運転している人、自転車運転している人そのものというよりは、
どうも日本全体で自転車の地位があやふやなのかなという気もしているんですよね。
なのでそういう運転している人の立場からもう少し見ていくと、
もうちょっと構造的に見えてくるというか、
社会の仕組みのところで私たちがこう思っている危ないなとか不快だなと思っているのが、
そこに原因があるんじゃないかということを考えるようになったんですよね。
それでちょっと地方でもですね、
お父さんもう運転やめてよって言われている高齢者の方とかが、なかなかやめないのは何だろうとか。
多分それは不便とかっていうだけじゃなくて、ちょっとプライドもあったりするんですよね。
男は車運転するもんだみたいな。
そういう感情的なところにちょっと関心を持って、文化人類学的に聞き取り調査したりとかですね。
そういうのをやるようになったんですよね。
さっきのコンフリクトの話が面白いなと思って、
つまり本当に素人的に考えると、東京ってめちゃめちゃテリトリーが小さい大都市じゃないですか。
だから例えば森田さんがめっちゃだだっぴろいところで子育てしてたら、
車と自転車と歩行者、あるいはループみたいなものはそうかもしれないですけど、
のコンフリクトっていうのは解消されるんですかね。
やっぱり人口密度の問題ってすごくあると思うんですよね。
それって例えば満員電車と同じで、人が狭いところに集まっていると、
それだけ自分が占有できるスペースって減るじゃないですか。
距離感も減るので、物と物の距離がすごく縮まるので、
自分が自由に動くと他人の自由に動けるスペースをもらわないと動けないわけじゃないですか。
そうすると自転車と車の距離感と言いますかね、
それも東京だと本当に30センチみたいなところでみんなが生きてて、
それがやっぱり郊外とか地方だともうちょっと隅あけられてますよね。
自転車専用道路っていうところも地方ちょっと郊外ってありますし、
そもそもみんなが車に乗ってドアを開けるスペースだって都心と郊外で全然違うっていうぐらい、
やっぱりスペースの問題はすごく大きいと思いますよね。
子供の行動制限と車の「他者化」
確かにね、道も狭いですしね、子供が自由に歩けないっていうストレスは多分あれだよね、
行動制限を相当することになるじゃん。
そうだね。
そっち行くな、横をちゃんと見て、前を見て、後ろを見て、走んないでとか、
保育園の帰りとか、みんなでお友達と帰り時間が重なって帰るとやっぱ、
みんなで一緒に帰りたいっていうのがあるじゃないですか。
なんで、ちょっと遠回りして帰るみたいなこともしょっちゅうあったんですけど、
うわーって走り出して。
走りますよね。
ゲートが開いた馬みたいな。
スタート感じでね、ダッダーンってなって、
もう親たちがみんな走んないで待ってとか、なんとかぐんとかって自転車乗ってる人はちょっと先回りして行ったり、
ほんとそういう日々、小学生になると自分たちで通学していくからさ、
いちいちこうだこうだっていう機会は前より減ったけど、やっぱり自分も、
例えばなんかこう、男は車道が悪いって彼女は、
イニシエのやつとかが、こういう感じかみたいな子供だとね、
なんか想像してるじゃん、車が急に歩道に突っ込んできたらどうしようとか、
そんなこと普段見るわけではないのに、
信号待ちもハンドルを間違えて切っちゃって、歩道に車が突っ込んできたらどうしようみたいなのをちょっと考えるから、
ガードレールとか電柱の影に立たせるのよ。
こっち側に立ってた方が一応。
それは子供のためもあるんですけど、想像の中ですぐ惹かれちゃう。
想像の中で惹かれちゃう。
すぐ惹かれちゃうから、こうしておいたほうがいいんじゃない?って勝手に思って。
すごく車が他者なんですよね。
ブラックボックスというか、何考えてるかわからない存在。
確かにそうですね。
ブラックボックス怖いし、なんならちょっと乱暴なものみたいな風に、
特に子供を連れてる歩行者の時は思う。
車の利便性と「弱者優先」の原則
けど一方で自分も免許持ってないので、
一応お父さんが、電気屋なんですよ、もともと商店街。
だから車でいろんなとこ移動して、車乗るの少々好きだし、車も大きいんで、
しょっちゅう、ちょっとお父さん連れてって。
お父さんあれを運ぶから、つって。
実家は下町のほうにあるんですけど、千住のほうから杉並区のほうまで来て。
やっぱり車があるとあれば、あったらあったら便利。
それはそれでめちゃくちゃ頼っているっていうところもあって。
あとそれこそAmazonとかヤマトとかそういうので運んでもらって、
享受してるっていうのも、物流っていうのはそもそも全部そういうものだから。
見えてるものがAmazonっていうことであって、
基本的に自分たちの暮らしがモビリティ、車によって支えられてるっていうのは認識してあるんだけど、
歩行者としての自分としてはやっぱりどうしても、
そういう歩行者、あるいは自転車に乗ってる自分としてはどうしてもそういうふうに、
ただ怖いものだし、もっとわきまえて動けや。
だから確かにこの抱えてる悩みは一緒なんですけど、結構ラディカルに森山さんはお前らがわきまえて。
だって弱者優先っていうものすごい大原則があるのに全然守ってないじゃんって。
その横断歩道だってビュンビュン。横断歩道ちゃんと止まってくれる車がすごく偉く見える、
尊く見えるぐらいみんな止まらなかったりするわけ。
優しい車だなってね。
それっておかしいよね。そもそも止まるものなのに、止まるべきものなのに。
そういうのは運転する側からしてのが。
インフォーマルマナーが妙に多いですよね。
インフォーマルマナーがね。そうなんですよ。話が違うじゃんっていう。
そうですよね。横断歩道で車が止まってくれるとか、
止まってくれた車に子供たちがお礼をするとか。
あれはやっぱりおかしいですよね。
神社で一礼するみたいで、いつできたのかわからないマナーでしょ。
ヨーロッパとの比較:当たり前のルール
以前は多分止まらなかったんですよ。
なるほど。
なので今は過渡期で止まってくれたいい人がいるので、お礼をしないといけない。
殴らない彼氏優しい。
結構これ過渡期だと思うので。
ヨーロッパだと当たり前のように歩行者って何もお礼しないできます。
何にせよお礼しないですから。
そういう意味じゃなくて。
要はお礼しましょうみたいなのって消費者というかこっちが従順になってるわけじゃないですか。
お礼するっていうあたかもいいことにおいて、
失ってるものっていうのを日本社会はあんま考えないんですよね。
その分減り下り、自分たちを下の立場に置き、
相手を不当に上の立場に置いてることって結構あるわけですよね。
まさにそうじゃないですか。車をね。
イキイキしてますね。
イキイキしてますね。
そこが過渡期っていう意味で言うと今までがデタラメすぎたってことなんですかね。
そうですね。私子育てしてるときに子供が小学校3年生くらいのときに
家族で1年間フィンランドにいたんですけども、
行った当初、学校から家に子供連れて行くときに帰るときに横断歩道で渡ろうとしたら
車が止まってくれたんですよ。
あ、止まってくれたんだと思って。
ちょっとお礼を言ったり手を挙げたりしたんですよ。
そしたら止まってくれた運転手さんが変な目で見るんですよね。
こっちがお礼をしてるからもっと普通に行けよみたいな顔をするんですよ。
それでちょっと私が奴隷根性だったってことに初めて気づくんですよ。
なるほど。
これは当たり前なんだと。
それはもう止まってくれたじゃなくてそういうもんなんだという
これインフォーマルマナーじゃなくてルールなんですよね。
ルールですよね。そうですよね。
実は日本もあれインフォーマルなものじゃなくて
横断歩道で誰か渡ろうとしてたら止まらないといけないんですよ。
そうですよね。
にもかかわらずまるであたかも止まってもらった方が
ヘリクダってやるべきだみたいな。
確かに。
あれおかしいですよね。
ちょっと気を使って急いで渡ろうとしちゃいますよね。
車を待つ時間を。
なのでお年寄りのちょっと足がなかなか早くない人なんかは
気を使わせるのが申し訳ないという先に行ってくれという風に
ジェスチャーを出す年配の方いますよね。
むしろその気を使わせているのは車の方なんですよね。
車社会の規範と「交通戦争」
それはどういう、なんでそうなっちゃったんですかね。
なんでノーノートできないんでしょうね。
パブリックスペースでその人間は。
どういうところに。
やっぱり日本の道路とかさまざまな規範って
やっぱりこう車、工業社会のルールでできてますよね。
なるほど。
やっぱり道だって自転車道がないのも同じで
いかに車を、車生産を中心として
この日本の戦後社会ができたかっていうのが
すごくそこに現れてる気がしますよね。
なるほど。
交通戦争とかっていう言葉が昔ありましたけど
交通戦争も歩行者が気をつけましょうっていうのに
すごく子供の頃から教えられてきたじゃないですか。
車はもうなんというか牙もいった存在だから
あなたたちが気をつけるんだよみたいに。
それって被害者が気をつけないといけない。
そうですよね。
やっぱりその社会の規範が車中心すぎたんですよね。
校舎天国って言うけど別に天国じゃねえじゃん。
ジョージだろうみたいな。
確かに確かに。
そうなんですよ。
自分がこういうことを言ってると
さっきの自分の語りの中にもあったと思うんですよ。
自分の生活を支えてくれてるのが車っていう意識が
一応持ってるよみたいなエクスキューズって言ってたけど
こういうこと言ってると
なんで今の暮らしが
誰のおかげでこの日本の豊かな暮らしが
っていうようなことを言う人も多分いて
そう感情的に思っちゃうよね。
お前だって車社会の利便性を教授してるじゃん。
そもそも日本が豊かなのは車を先頭とする
そういう工業社会ですよね。
本当にそれは
トヨタ、日産、ホンダっていうのがあるから
こんだけ豊かなんだみたいな。
でも原発のおかげで豊かになったかもしれないが
子育てと車の選択:SUVの社会学
原発の問題点を指摘するのはそれとは別に重要
という話に近いのでは?
っていうのは一つ
でもずっと自分が話す上でも
そこはずっと気になっている
気にしちゃうやっぱり
それはそうだなと思うし
そこら辺の矛盾や葛藤は
基本的にはあるはあるんですけど
確かに子どもを
子育てをするということがなければ
こんなに気にしなかったかな
そう思う
やっぱ脆弱なんですよね
子どもが
何回も頭の中で事故
分かる分かる
実際に一回
本当に轢かれそうになったことがある
そう言ってたよね
駐車場だっけ
駐車場で
本当にバーってこう
たぶん子育ての中で
子どもを守るっていうところから
車を買うっていう選択をする人も
結構いると思うんですよね
なるほど
子どもをいかに守るかっていうのと
どういう交通手段を取るかって
すごく関わってくるじゃないですか
アメリカの自動車社会の分析で
ミミシェラっていう社会学者が
SUVの分析してるんですよ
なぜSUVっていうのが
アメリカ社会でここまで広まったかっていう
結構古い20年くらい前の論文なんですけど
それまでお母さんが乗る車と
お父さんが乗る車って
自動車社会のアメリカでも結構
違ってたって言うんですよね
お父さんが結構でっかいピックアップトラック乗って
お母さんはちょっとミニバーみたいな
日本でいうミニバーみたいな乗って
それがちょっとフェミニンな車で
マッチョな男性から揶揄されるんですよ
サッカースクールに子どもを連れて行く
サッカーマムカーとか言って
ちょっとちっちゃい車で
それがSUVっていうのが誕生することで
女性も結構それに乗るようになった
その理由はミミシェラーっていう人によると
結構でかいじゃないですかボディが
だから家族を守れるっていう
すごく健吾なニュアンスがあるので
母親的な愛情と父親的な強さを
お母さんが同時に達成できる
それがSUVだったんじゃないかってことを
分析してるんですよ
だから子どもを守る脆弱
子どもっていうのはすごく弱い存在だから
存在をどうやって守るかっていうときに
車を乗るっていう選択肢が多分
日本の人たちでもないわけじゃないと思うんですよね
その辺はどうですか
競争的な車社会と「車格」
いやでも僕も免許持ってないんですけど
でもちょっと取りたいという気持ち
まだ持ち続けてるんですよ
それで免許ない
妻をしおりさんは持ってて
ただ乗らないんで
乗れるようになり
ペーパードライバー状態を出したいとは言ってるんですけど
自分も免許ないけど
車を仮に持つとしたら
みたいな感じで
たまにこう
そういうサイトとか見たり
パパともママともみたいな人から
車の話聞いて
どういう基準で選んでんのみたいな
やっぱ結構
硬い車?
あるんですよね
樋口・ヤンヤン・深井・ゴツイ車みたいな
ヤンヤン・深井・オディーが硬いというか
そういう発想をまず持ったことがあったんだけど
車同士でもガチャンとぶつかったら
こっちのが強いみたいな
あるらしいじゃん
で例えば軽自動車と呼ばれるものは便利だけど
そういうのは弱いと
だからぶつかった時に
強い車の方がいいよみたいな
でなんかボディの硬い車とか
でそういうなんかなんだっけな
ボルボ?
ボルボがいいよとかいろいろ聞いて
そうなんだみたいな
買うとしたらそういうのがいいなと
妄想レベルではあるんですけど
樋口・ちょっと競争的になっていくんですよね
こっちの方が健康で
こっちの方がかっこよくて
こっちの方がステータスが高くてっていう
ちょっとその車社会って
車を巡る話って
ちょっと人よりもステータスの高さっていう
競争的なところが出てくるので
ちょっとそこがあの
ヤンヤン・深井・マッチョですよね
深井・草サッカーチームに所属しているんですけど
みんなやっぱ車で来るんで
あいついい車乗ってるとか
やっぱそういう話してるもん
あんまりこっちにはわかんないんですけど
あいつの車は高えとか
やっぱなんかありますよねそこでの
ヤンヤン・深井・そうなんですよね
だから必要性っていうだけでは語れないことが
車にはかなりあると思う
多分それって自転車にも言えるところはありますけどね
グレーゾーンの広がり:電動アシスト自転車
高級な自転車とそうでないものの違いっていうのは
利便性だけでは語れないし
ヤンヤン・深井・確かに
深井・最近その自転車も
なんかグレー自転車みたいあるじゃないですか
ヤンヤン・深井・速いやつね
ヤンヤン・深井・バイクみたいなやつ
ヤンヤン・深井・あれはもう結構脱法だったり
ヤンヤン・深井・脱法の
ヤンヤン・深井・すんごい速いじゃん
ヤンヤン・深井・モーペって何て言うんだっけ
モーペってなんかそういう名前じゃなかった
ヤンヤン・深井・ナンパついてるんですか
ヤンヤン・深井・いやついてないんですよね
ヤンヤン・深井・バッテリーで駆動してるんですよね
車輪がぶっといやつ
そうそうそうそう
普通の電動アシストって
多分20何キロまで
アシストが効いて
それより速くなると
アシストが切れるっていう
あと回してないといけないとかも
確かあるような気がするんだけど
あれは絶対違うよね
すんごい速さで
そういうのも規制が緩いんですか
規制は緩いですよね
やっぱりループっていうのが
そもそも規制の観点から言うと
割と
位置付けがよく分からないもので
そういうものがやっぱり
電動バッテリーの
リチウムイオン電池が広がることで
すごくグレーゾーンが広がっていきましたよね
なるほど
それまでは手動のアシスティックを漕ぐやつと
それからエンジンが付いている
原付のようなものの
境目って明確に境界線があったところに
今すごくグラデーションですね
そうですよね
自転車と歩行者の関係性
最低限の
免許っていうものがある世界
原付以上は世界なんだけど
それすらない世界が
ここに一方で広まっていて
だからすごい怖いよね
あの太いタイヤの太い
怖い自転車とかは子育てしてると
特に怖いなっていう風に思うし
自転車の世界もさ
いわゆるママチャリと呼ばれる
シティサイクルが
昔はしかも電動付きじゃないやつ
か車みたいな
中間にバイクがいるみたいな
でも自転車もなんか速い自転車が
どんどん一般化してってさ
自転車側からも
そうね
レベルが上がって
どんどん速くて
スタイリッシュで
みたいな乗り物
増えてったよね多分この20年
そういう印象は
歩くのだけは変わんないけどね
そうだから子供
20代30代の頃は
子供って
すごい遠い存在だったんで
あんまりその自分が
自転車乗ったりしてても
子供を連れてる人から
どう映ってるかなんて発想を持ったことは
正直なかったから
以前の感覚では
自転車って歩行者寄りだったんですよね
今でもあの
青い交通標識でね
道路標識でありますよね
自転車とは歩行者はこちらですよみたいな
車両っていう感覚がないっていうことですよね
ないよね乗ってる人は
タクシー利用と「受動的な消費者」
もう
免許がある必要なわけじゃないから
練習で
乗るっていうことになってます
富永さんも都心で自転車
ヘビーユーザーですよね
タクシーに乗ってたんですけど
自分の性格が
すごい悪くなるのに気づいたんですよね
なんかその
基本的に自動的な消費者っていうのは
性格悪いと私は思ってるんですけど
そのなんか金を出したの
いいことに
結構イラつくことを
自分に与えるじゃないですか
まだつかないんですかみたいな
言わないにせよ
そういう空気感みたいなのをめちゃめちゃ出して
運転手さんを
嫌な思いさせるし
これもある種の減り下りなのかもしれないけど
じゃあ自分で動いた方が早いなって思う
というか
多分そこは自転車と車で
歩行で考えると思うんですけど
自分で動かした分動いた方が
なんつーのかな
自立性は上がりますよね
他人に
あれを預けてるよりだから
満員電車の中で起こるおじさんとか
多分電車を自分で運転できたら
そんなに起こってない
そこがすごく
私車を考える上で
車や自転車を考える上で重要だと思ってるんですよ
富永さん言った
地方と都市における車の価値
自立性ですよね
自立性とか主体性とか
特に東京は
ともかく地方に行くと
車と
一人前の主体性っていうのは
すごく連動するんですよ
自転車で移動できる範囲ってそもそも
ノーサンソンとか
離島に行くと本当に限られてるわけなんですよね
坂もあるし遠いし
隣の町まで遠いしっていうので
そうなるとみんなともかく車に乗りたいんですよ
車に乗ると自分が
家とかバス路線とかに
縛られた存在じゃなくて
どこでも自分の力で
行くことができる人になれるんですよ
本当にね
だから車っていうのが
単に移動手段とか
単に利便性があるとかカッコつけるものじゃなくて
自由な生き方にすごくつながってくるんですよね
なるほど
だからさっき言ったように免許返納の話も
そこにかかっていて
免許返すってことは自分が
自分の力で自分の意思で動けなくなる
まだ俺運転できるんだよみたいなことを
言ってばあちゃんに止められるみたいなのは
一人前じゃないんじゃないかと
見なされちゃうっていうちょっと恐れもあるんですよね
なるほど
それはやっぱり鉄道があるような
鉄道網とか
公共交通が
すごくある東京との
違いですよね
地元が北海道札幌市なんですけど
修士号取って一旦
規制した時に
ここでは修士号より
車の免許の方が価値が高いから
京子ちゃん取ったものの優先順位っていうのは
分かんないけどみたいな
早く車の免許取れみたいな
思っていたと思うんですけれども
そうですねだからやっぱり
絶望感すごかったですよね地元にいる時は
札幌はそう言っても
そんなに田舎じゃないわけですけど
自分たちはたぶん
車の免許を取らない限り
どこにも行けないんじゃないかみたいな
実際そんなことはないわけですけど
だからそれは感覚すごい分かりました
高校生ぐらいの世界って
本当に学校の
範囲だけなんですよね
その範囲をやっぱりこうなんか
ドームに包まれた
丸いすごい狭い世界に包まれてる
っていう感覚にいるんですよ
やっぱり私の子供とか中学になって
電車で通うようになると
世界がすごく広いんですよ
どこだって自分で行けるし
電車代ちょっと払えば
その世界観と地方において
自分の力だけで行ける範囲が
免許がないとめちゃめちゃ狭いっていうのは
結構絶望の感覚が違うと思う
確かに
親の権力と車の必要性
どこ行くにも下に頼まなきゃいけない
やっぱりそれって
身近な大人になるわけで
親の権力加不調整が強くなる
だろうなって感じはします
いやすごい分かります
子育ても
地方だと結局
車がないとすごい
きついだろうなっていうのは分かる
だって
東京に住んでたら
別に子供連れて
電車やバスやタクシーで
どこにでも行けるけど
これもしなかったら
これ家から全然
出れないだろうなみたいな
感覚がやっぱりあって
だからそういう意味でも
ただの移動集団以上のものっていうのも
よく分かるし
あとだから自分がすごく
強いネガティブ感情を
抱いているのはやっぱり
東京に住んで車のない生活を
してるからよりっていうのも
あるのかなっていう気はしますね
運転時のメンタリティと「煽り運転」
車の免許
自分で撮る時にさ
技術とかルールを
学ぶっていうのはあるけど
メンタリティ的な
車に乗ると
どうしても強くなっちゃうから
やっぱ強い人って
強い
自精神が
必要じゃないですか
おのれの持つパワーを
ちゃんと立して使いましょう
とか歩行者より強くなっちゃうから
免許になりましょう
そういうのはある?
そういうのはあんまりないけど
そもそもルールの中に埋め込まれてるはずなんだけど
それはだって歩行者優先とか
そうですねルールに埋め込まれているし
免許更新とか行くと
歩行者に配慮しましょう
とかって言うんですけど
だけど人間はやっぱルールと
自分の中の欲求と言いますかね
俺はこうなんだよとなりたい
っていうのが必ずしも連動するわけじゃなくて
だからこそ
歩行者よりも俺が偉いんだとか
ちっちゃい車よりも大きい車持ってる方が
俺の方が上だみたいな
やっぱり出てくる
だから煽り運転とかですね
必ず生まれてくるんですよね
やっちゃいけないですよっていうのと
やりたくなるってのは別なんですよね
煽り運転ってそういう欲求が
「車格」と煽り運転の関係
あるんですかね
煽り運転でよく出てくる話としてはですね
煽り運転についてのデータをいろいろ集めてると
研究されてるんですよね
車の車格っていう言い方があるんですよ
車の格
車の大きさですよね
一つには大きさとか
車の値段とかですよね
それで車格が低い車が煽られやすい
っていう言い方がよくあるんですよ
例えば軽自動車とかですね
だけどそこに
高齢者のマークがついてると
なかなか煽られないとか
だから煽り運転してる側にも一定の配慮があるんですよ
そういう初心者マークとか
高齢者マークとかがついてない
軽自動車が右車線を走ってると
制限速度を守って走ってると
煽られやすいっていう話があってですね
それは俺の方が上なのに
こんな下のやつが
自分を邪魔してるっていう感覚になると思うんですよね
逆にその
輸入車の高級な大きい車に乗ると
煽られにくいので
こういう車はやっぱりいいんだという
やっぱりそういうですね
上か下かみたいな人との競い合いの中に
車ってあって
それがやっぱりそこに歩行者が
組み入れられるとですね
こっちが優先っていう感覚になっちゃうんですよね
その煽り煽られの変数に
煽り運転と「不可視性」
乗ってる人の
世代とか性別とかって聞いてきます?
あの
後ろから煽る場合は見れないじゃないですか
どういう運転者が乗ってるかっていうのは
ただ見えた場合
やっぱりこう
女性とかが煽られやすい
若年層とか
弱い者いじめやってる人ってのは
人の顔見てやるわけなんですよ
ただなんか後ろから見えない
不可視化の作用みたいなものも
興味深いと思いますよね
なんか割と
サウジアラビアとかだったと思うんですけど
女性が免許取れないみたいな
状況があってだから
それを破るためにデモをしたっていうか
やっぱりそのための
フレーミングの一つとして
女性こそ安全にというか
その
応う害非というかなんて言うんでしょうね
不可視化させる
夜道を一人で歩くとかが大変なので
車が必要なんじゃないかみたいな
フレームっていうのは結構
自動車の権利を運転の権利を求める
運動では出てきたりしますよね
そうかさっきの子育ての
安全を求めるために
安全に移動するために
車で行くのと
似てるのか
それは大事な生活を
運営していくため家族をね
アルファードと煽り運転防止アイテム
ちゃんと子供を守るとか
っていう意味では権利として
大事なのも分かるし
あれだね
煽り運転の話だとさ
この間桃山障子の
ワッコが言ってた
アルファードっていう
あれは舞台?
そう統括スポーツというラップ演劇の
作品で
最新作アルファードっていうタイトルで
劇作家の本谷幸子さんという方が
主演で
その中に出てきた実話のエピソードとして
本谷さんはアルファードに乗ってるけど
煽られないように
極実機を
シールを
貼ってて
アルファード自体がそういう煽られにくい車だと思うけど
そこにさらに
自分が女性だから
っていうのはすごく
エピソードがその芝居に出てきたっていう話
まさにそういう話ですよ
アルファードを乗ってるだけで煽られない
ですけど極実機を貼ると
煽るのを控えるというか
近寄らないように
なりますよね
それが煽り運転の
防止のアイテムとして
結構売れてるらしいんですよね
ありますあります煽り運転防止の
ステッカーっていろんなバリエーションがあるんですよ
最近流行ってるのは
任意保険入ってませんっていうステッカーで
そうなんですか
当てると保険
効かないからお金
おしまいだよみたいな
そんないろんな
発展してるんですよね
それぐらい社会問題みんなの意識の
いやもう
煽り運転映画とマスキュリニティ
結構SNSとかでも
煽り運転のX大好きだから
煽り運転専門チャンネルとか
いっぱいあるじゃないですか
見ちゃいます
コンテンツなんですよ
煽り運転を
わざとさせて
屈強なドライバーが
出てくと煽ってきた奴が逃げる動画とか
そうなんだ
そういうの見てちょっとスカッとする
ちっちゃい
結構アメリカだと
70年代とかから煽り運転映画ってあるんですよね
怖いドラッグが追いかけてきて
最後そいつやっつけるとかですね
やっぱそうなんです
一種のジャンル化されてるんですよ
日本だけに限った話は全然ないんですか
かなりやっぱり
マッチョなマスキュリニティと
関わってくるのでだいたい煽ってる
悪役はマッチョのおじさんなんですよね
それを最後
みんなでやっつけて終わる
タランティーノの映画でもありますけど
そういうのがやっぱり
社会でそういう意識があるからこそ
そうやってスカッとするジャンルの映画が出てくるんです
YouTubeもそうですけど
スカッとしますよって
強者(車)と弱者(子供)の関係性
それで言うとやっぱ
圧倒的な強者である
車っていう道路において
と一番弱い子供っていう存在を
考えるっていうのはやっぱそこの関係
考えるっていうのは結構大事だな
大事ですよね
してきますね今の話聞いてると
でもその
そういう力関係ももちろん
あるベースの上に
そのなんつーのほら
経済的合理性じゃないですけど
コスパタイパーみたいな
感覚がこれまで
これだけ社会に染み付いてるとやっぱ
大事な時間を
このとろい歩行者が
奪い上がってとか
そういう感覚って起きても
おかしくないなと思うし
あとドライバーの
その
被害感情というか
迷惑かけられた
損させられたみたいな
でその歩行
すごい自分の生活の中では
保育園に行く道
「お金を払っているのに快適でない」という感覚
一部指導みたいなのが
なんていうのが
絡んでる道があって
そこのちょっとこう
指導からピュッと入ったとこに
ちょっと立派なお家が
あってそこの人が
車をその
ちょっと道に出して
ちょっと保育園児が通る道を通って
大きい道路に出るみたいな構造になってるんですよ
そこを
信じられないぐらいのスピードで
そのおじさん走ってるんですよ青い車
いつもみんな
青い車ねみたいな
そのおじさん
喋ったこともないから分かんないけど
あっちは多分
毎回なんで
こんなとろいエンジンのために
俺の大事な時間を
奪われてんだってかもうイライラが
車からほとばしてて
なんでそんなスピードを出すのみたいな
危ないんだよ
だけどなんか俺の道なのに
俺の全部こう迷惑
かけられてる側の
ちょっと想像ですけどこれは
感じもぶんぶん
伝わってきて
もうかなりみんなから警戒されてる
青い車があって
信じらんねえとか思うんだけど
多分向こうは
エンジンビビらせてやるぜとかじゃなくて
もういつもいつも
俺迷惑かけられて
ふざけんじゃねえみたいな感じ
しかも俺ん家だぞみたいな
そのなんか被害感情とか
でそういう経済合理性みたいな
コスパタイパーク的な
観点から言う
損させられてるみたいな感情
だから1秒
2秒が待てないとかっていうのは
他のところでもあるじゃないですか
全然電車がちょっと遅れただけで
みんなイライラしちゃう
ああいう感覚がさらに車をこう
なんていうんですか
荒ぶらせるっていうか
なんかグリーン車に乗ったのに
子供が騒いでる
ちょっと近いですよね
せっかく俺はこんなお金を払ってきてるのに
性質な環境求めてるのに
それが侵害されてるっていう
ちょっと損してるっていう
似てるかもしれません
あの感じね
分からんでもないけど
怖いんだよな
イライラが車からも伝わってくるよね
でもこのせっかちな感覚って
全然自分も
これってあれじゃないですか
富永さんがさっき言った
タクシーにせっかくお金出して乗ってるのに
うまくいかないことのイライラみたいな
消費社会の根源的な構造の
消費者
でも実際
東京とかだと
タクシーに乗ってるのと
自宅から
下したからここまで来ましたけど
渋谷まで来ましたけど
タクシーに乗るのと半蔵坊村に乗るのは
そんなに違いはない
ですよね
そこは経済的な
投下量と
得られる快適さは
違うんだよみたいな話になるんだけど
なんかそれを混同してしまう人
自分も含めているんですよね
お金を払ってんのに
快適な目に会ってない
会ってないみたいな
確かに車って意外とそういうところ
運転しててあるのかな
お金を払って
特に高速道路なんか
そうですよね
首都高なんかすごい
距離単位で言うとすごい高い道路なんですよ
なるほど
今乗ると普通に2千近く行くような
それで渋滞ですから
高速じゃないぐらいの
渋滞渋滞で
すごく衝突事故が多いんですよね
渋滞の中でせっかくこんな高い
お金払って乗ってるのに
進めないなんてっていうところが
フラストレーションになって早く行けよとか
って思ってぼーっとしてるとぶつかっちゃう
さらにそれで渋滞っていうのが
この風の連鎖っていうのはすごくあるんですよね
それってやっぱりお金払ってるのに
っていうのはあると思いますね
歩行と車の感覚の違い
歩いてって損したって思わない
いやいやそうですよね
損したって思わないですよね
時間がぐらいでお金を損したっていう感覚って
車乗らない人って
ガソリン代とかにも
無頓着でドライブを
モヤモヤさせるみたいなのあるじゃん
お父さん乗せてよとか言って
それはお父さんの
時間とかを
奪ってるぐらいの感じはするけど
ガソリンも減らしてるっていう感覚
あんまり中車状態とか
だからもっといえば
今おっしゃってた
高速道路で確かに
お金払うの
分かるけど感覚的に
車乗ってる時に
お金払ってるって感覚が
やっぱ大金どころか
散歩しててね
前の人がゆっくり歩いてるからといって
イライラしないですよね
少しでも早く行きたいし
早く行く権利を持ってる
っていう風に思うわけで
車を乗った時点で
混同しちゃうんですよね
それってそういうものでしょうね
多分 自転車はどうなんですかね
自転車における「格」とマナー
例えば早い自転車って今
話あったじゃないですか
すごく高級な自転車を乗ってる時に
だけど自転車が通れる
幅ってすごく狭いので
前にそんなに早くない自転車がいた場合って
俺の方が上だみたいなそんなのってあるんですか
いやあんまり
別物っていう風に
思うような気はするんだよな
なんか
そういう趣味っていう感じ
より趣味性が
高くなるような気がして
自転車の場合は
だからロードバイクとか
スポーツみたいな感じだから
イライラする人はイライラするかもしれないですね
自分の上っていう風に
思ったりはするかもしれないけど
どっちかだよね
本当にさめちゃくちゃマナーをさ
自転車として
なんかいるじゃん
ちゃんとハンドサインとかしっかり出したりさ
そういうちゃんと止まる人とさ
赤信号になるとさ
自転車から
歩行者が
マインドに切り替えて
ちょっと進んで
また車メンタルに戻って
歩道を爆走するみたいなさ
そういう人とさ
本当きっちり
車両です私はみたいな感じで
やってる人と別れる
自転車
ロードバイク乗ってる人は
どっちかっていうと自分の印象だと
そっちの方が強い印象はあるけど
車両として
走っているのが
それはずっと
一応そういう文化を作ろうっていう
認識は
ロードバイク乗りとかの中ではあるけど
でも必ずしも今の
電動機付きの速い自転車乗ってる人とかは
そうでもなかったりするから
あとは
「財」としての自動車と身体性
ロードバイク乗りの中にも
いろんな人がいるから何とも言えないですけど
なんかサイクルアクティビストの人の
論理とかをよく聞いてると
自分の足で動かせる動力です
だから自立性が
担保されるんですみたいな
多分車になるとそれがだいぶ自動化というか
メカニカルになって
動かしてる人の
やってる
動かしてる人が頑張れば頑張るほど
速く走るわけではないじゃないですか
だからそういう自立性と切り離されるから
割と財としての価値が前傾化しちゃって
金は出せば出すほど
本来そこは関係ないんだが
なんか優先されるような
気がしてくるみたいなとこなんでしょう
身体性は下がりますよね
車の場合
むしろ空間移動の方に重点がありますよね
自分が好きなところに
行けるというか
だからこそ歩いている
生身の身体で歩いている
歩行者のことを
あまり考えられなくなっちゃう
っていうことは
あるんでしょうね
土地からは切り離されますよね
車って早ければ早いほど
移動先のことが
運転すると人が変わる?
重要であって
その途中のことってあまり関係なくなる
風景でしかないってことになりますよね
昔免許ないくせに
トヨタの
メディアで
女子席ダンスっていう連載をやってた
いつも女子席に乗ってる
ちょっと男性性と
車の
女子席に座るってことの
ミスマッチ感を
その時に読んでた本で
車に乗ると
身体が拡張するみたいな
書いてあったかな
身体能力がさ
車にまで拡散してさ
強くなるみたいな
運転すると人が変わるみたいな
昔からよく言うじゃないですか
確かに女子席に乗ってると
運転手が怖くなって
昔だったら今はカーナビだけど
昔なんか地図見る係とかすごいやらされて
ちょっとこっちが
なんかこう
指示出しが悪いと
なんかこう不機嫌な感じになって
怖いなとか
なんかあれ撮ってとか
そういうのあったんですよ
そうですよね
自転車と違うまた身体性っていうのは確かに
おっしゃる通りあって
車と一体化になるっていうのは
車が速ければ速いほど
有能だっていう感覚をもたらす
なりそうですよねでかい車
高い車
攻撃性が出てしまう
自分家の
ダイニングルームみたいなのがそのまま
車で移動してるみたいな
あそこも部屋だみたいな
そういうことを書いてる本の中で
見て
なるほどみたいな
車会社
自動車メーカー自体がそういう思想で車を売ってるんですよね
プジョーなんかそうですけど
コックピットに入って一体化するみたいな
そういうことを売ってるので
やっぱり書斎っていうか書斎と言いますかね
部屋と自分が
そこで再現されてるっていう感覚なんでしょうね
それはやっぱり自転車のような
自転車とか
バイクもそうですけど環境に開かれた
移動媒体とはやっぱり
車って全然違いますよね
区切られてるってところが大きいんだと思います
区切られてるまあそうですよね
部屋みたいな感じですもんね
あそこ入ると
持ってる所有してる車だったら
消費者運動と「自分で作る」
よりその人の
プライベートな空間に
お邪魔するみたいな
レンタカーだとまたちょっと違うかもしれないけど
大体消費者
ちょっと話が上になるんですけど
大体消費者運動って二つのルートがあるというか
一つは変わらない
自動車なんかもそれで
70年代とかアメリカで非常に
強くなったというか買わないか
あるいは財を健全化するというか
なるべく商品テストとかして
安全になる
方向になっていくということですよね
ただこれをやればやるほど
消費者なんですよねつまり
消費者として財を点検して
消費者として買うか買わないか
決めてるにすぎないとでもう一つの
アルターナティブな方向として
自分で作るっていうのがあるんですよね
自分で作ると自律的に機構が
自分の頭で機構が分かるし
さっきの他社化じゃないんですけど
自分のものにちゃんと
なるわけですよねただ多分
自動車を作る運動っていうのを
高校とか大学の
自動車部は別ですけど
おそらくすごい高度な
財高度に専門的な
財だから
自分たちとはある種非常にこれだけ
身近なのに他社化して
他社化専門化した機構として見てきちゃった
わけですよね住宅ですら
自分で作る運動ってありますもんね
車はねそこはないですよね
もちろんDIY
の感覚で今動画とかで
古い車をリノベーションするっていうのは
すごくあるんですよ特に
田舎の方にほったらかされているような
車庫にずっと入った何十年前の車を
レストアするっていうのはあるんですけど
それってやっぱり自動車整備の
資格がないと全然
立ち打ちできない話ですよね
むしろ移動手段を
自分で作るっていうところに
もうちょっと拡張すれば
自動車以外の移動手段も含めて
自律的に移動するっていうのは
例えばバイクだともう少し
メカニカルに単純なので
できますしそういう
作るっていうのも広い意味ではないわけじゃない
と思うんですよね
そうですね車は分かんないですもんね
何がどうなっているのか
車における「優しさ」の工夫
何がどうなっているのか
だからルールを守る
子育てでいうと
もうチャイルドシート
ベビーシートみたいなのを
ちゃんとつけて
っていうことで
工夫の余地はあんまりない感じはしますよね
そういうのも含めて
そこがやっぱり面白いところで
例えばトラックドライバーの人って
いろんな装飾作るじゃないですか
特にインドとかものすごいきらびやかな
お寺か神社みたいな
トラックいっぱい走ってるんですけど
日本ののもやっぱり
装飾をすることで
プライベートだとか自分の工夫をしてるんですよね
余地がないところにも余地を作っていく
ミャンマーとかだと
あそこに仏像があって拝んでるんですよね
信号待ちの時とか
ジョザ仏教の世界では
だからそういう
全く余地がないわけじゃないところは
家に近いんですよ
家の中にカーテンをつけるみたいなのと同じで
カーテンつけたり
いろいろ工夫は面白いですよ
見ていくと
そういう工夫やなんやを
していけばしていくほど
強くなっていくではなく
優しくなっていく
ってないですかね
確かに
宗教が根付いている国だったら
仏像があれば
歩行者が
子供が歩いている
仏像とともに
待つ気持ちになりそうだけど
優しくなっていく方向って
やっぱり探求しないといけないな
と思ってるんですよ
車が優しくなっていく方向って
例えば自動車メーカーが打ち出すのって
ちょっと可愛いパステルカラーを
使った小っちゃな
軽自動車とか
女性向けみたいな形のジェンダー化された
優しさってのは
ないわけじゃないんですけど
マッチョなおじさんでも優しさを出せる
車の方向性ってたぶん
なかなか私たち見てないと思うんですよね
まだきちんと明確に発見できてないかなという
気がしますね
工夫
僕の下町の方が地元なんですけど
都市と地方の車の違い
よく
タチションしちゃうおじさんがいるんで
あれじゃないですか
神社マークみたいなの描いてあるみたいな
鳥居を描いておくと
ああいうのでも
いいから
パッと見た時に
いかんいかんみたいな気持ちになって
子供がいますよみたいな
標識ではなく
もっと根源的な
倫理感とか
まあでもなんか
なんだろう
区切られてるっていう
部屋であるっていうのがいいこと
ではあるとは思うんだけど
それがだから車の価値っていうのは一つ
空間として仕切られてるっていうのが
車の価値なのだとしたら
でもそれによってすごく多車性が
出ていて
歩行者とか自転車に対して
すごく
威圧的になったり
するわけですよね
だからその区切り感みたいなものを
なくしていくっていうのは
一つニーズはなさそうだけど
ニーズはなさそうだけど
方向性として
そこに
いるんだっていう
どういう世界に自分が走っていて
みたいな
あなたにとっては移動の一部かもしれないけど
ここに住んでる人いるし
歩いてる人いるし
っていうのをうまく
伝わるような設計みたいなのが
あるといいなと
外部の音を取り込むとか
それはでも乗ってる側からしたら
そういうことを
独立
空間として仕切りたいから乗ってるんだよ
っていう風に言いそうな気がするけど
でもこっちからしたら
そういう風になってほしいなって
気持ちはありますよね
今日の話はやっぱり車っていうのをすごく都市的に
見てるので東京ほど
こんなきらびやかな車がいっぱい走ってるところって
世界でもなかなかないんですよ
ヨーロッパ行くとボロボロの車とか
めちゃめちゃ弱れた車がいっぱい走ってるんですよ
バコバコでこれで走るの?みたいな
段ボールで張ってるみたいな
そういうのもあるし
日本だって離島とか行くとですね
車ってもっと
もっとフラジアルというか
壊れてないけど壊れる寸前みたいな
車ってあるんですよ
塩でサビサビとかですね
窓ぶっ壊れてるみたいな
車検撮るんですかみたいな
いう車もありますし
今ちょっと
ちょっと前また飲酒運転とかいっぱいありましたし
おじいちゃんが乗ってるですね
昭和の半ばぐらいからずっと乗ってますよ
みたいな車って結構あるんですよね
ナンバーが今のちょっと形と違う
みたいな
車検を通し続けてるので
一応まだ乗ってますけどみたいなのが
90歳のおじいちゃんとか乗ってるんですよ
深井・それはいいですね
ちょっと窓というかドア開いたまま走ってる
軽トラとかいるわけなんですよ
そういうの見るとほっこりというか
これは生活の延長上に車があるんだな
っていうのはよくわかる
そういうのを見れば違うな
そういうのはね
生活の延長線上ね
下駄でコンビニ行くのと同じで
下駄やサンダルと同じで
車も桃引きみたいな
そんなにかっこつけてない
子育てと車の送迎事情
庭とかに
適当に止めてる車とかありますか
ありますあります
いいですよね
庭どころかその辺止めてます
庭どころか
適当な感じ
なんか緩くなるのもいいですね
そうですね
競争はそこにはないんですよ
確かに競争はないですよね
車で競争したところでみたいな
速い車買っても里ヶ島で
速く走るとこないしみたいなのがあるんですよ
そうかそうか
確かにあまりにも車向けのね
道路も整備していくと
走りやすくなるからいっぱい走る
確かに分離っていう方向に
それは一つの
最適解になるような気はするけど
できるだけ分離するっていうのはあれだけど
根本的にあれじゃないような気はしますね
想像力を欠いたまま世界が済んじゃう
クラスター化されるっていうのは
そうですね
なんかね
また子育ての方に話をちょっと戻すと
去年か去年の9月に
1週間だけ保育園留学みたいなので
後藤 長崎の後藤に
ワイちゃんを入れて
自分はその間ちょっと仕事したり
観光したりしてたんですけど
その時にやっぱ
みんな
車でお迎え
送りも迎えに来るから
すごいびっくりしたんだけど
だけどまあなんか
別にそれに対してネガティブなことなんて
別にないしやっぱり
生活なんだなっていう風に
すごい思ったというか
保育園にバンバン車が来て
どこは止めていいです
みたいなのがしっかり決まってて
やっぱりそういう
ものでもあるなっていう
23区でも保育園に車で
お迎えっていうのはないですか
あんまり聞いたことないですけど
同じ電車
ちょっと郊外行くと
あるっていう風には聞きますけどね
私大田区なんですけど
車止めが全くないのに
車でお迎え送り迎えする
親御さんって結構いて
そうなんですね
これは割とグレーゾーンというか
微妙なところなんですよ
駐停車禁止のところは絶対ダメですけど
運転士がもう一人
旦那さんとかいたら
奥さんとかいたら下ろしていいとかで
ただそれって路中やるわけなので
かなり住民からすると
あれなとこなんですよね
それが例えばその
子供の中学受験の塾とか
そういう塾のお送り迎えも
結構車で来る人が
多分都心もいると思うんですよね
それはいるかもしれないですね
やっぱ夜遅く終わるので
小学生が夜の9時半とかに終わるから
止めちゃいけませんよ
ってもちろん警備員さんとか言ってるのに
かなりたくさんいるんですよ
それは多分
オフィシャルには出ていないけれども
東京の自動車社会
かなり中学受験の塾だと
サフィックスみたいなところで
高級車がずらっと並ぶわけなんですよ
すごそう
受験の日なんかも
見えない生活と車の所有
止めちゃいけないところにみんながずらっと
集まってるっていうのは
私子供受験があったんで見に行ったんですよね
だからなんだかんだ東京もそうやって
電車で行けるのにもかかわらず
車で行きたいっていろんな都合があるんですよ
これ今行かないと
仕事間に合わないとか
何かあるんですよ
それぞれの事情があって
事情の中には黒白つけがたい
事情もあるんですよね
保育園で
それなりに車で
送迎したい人は同様にいるんでしょうけど
保護者同士の相互監視が
割と効くというか
先生も非常に頑張ってくれてるので
あまり嫌な顔
させたくないじゃないですか
多分塾とかになるとスパッと切り離されて
消費者なんで
だからじゃないかな
相互監視で
大人しくしてるところないですか
保育園はありますね
自治性がまだ強いのかなと思いますよね
なるほど
東京にもそういう世界が
おそらくそれは
後ろの方の見えないところで
送るまで来てる人います
もちろんもちろん
それはいるし想像もできる
ただそれを見えないようにする
ということは一つの自治じゃないですか
その通りですよね
そっか
表だって堂々とはやらないぐらいの
気遣いはまだ
なんか私の勤務先
立教大学の年配の先生が
言ってるんですけど
昔立教小学校の
下校次回になるとずらっと
高級車が立教堂に並べた
みたいなことをよく言うんですよね
居そうっすね
居そうですよね
そこなんか浮かびますね
今一通になったんで難しいですけど
以前は相互通行だったんで
ずらっと一車線になってたみたいな話をよく聞くんですよ
多分それが
富田さんが言ったように相互の了解で
なかなか今できなくなってる
もしかしたら裏にいるかもしれませんが
多分それは私立の小学校とかで
いろんなところである光景かもしれませんね
なるほど
生活
東京だとね
地方でさ
そうやって生活と車が
密接なんだなって
感じたようなのって
逆に東京だと感じづらいから
ちょっとイライラしちゃうというか
いうのもあるけど
生活が不可視化されちゃいますもんね
生活が見えないから
生活が見えないからね
あるいはすごいお金をかけて
見えないようにコーティングするかも
なるほど
私の近所に
私が駐車場借りてる
公屋さんというか土地の駐車場を持っている公屋さんが
お寺さんなんですよ
お寺さんは
お寺さんも当然車があるんですけど
普段すごく
廉価な安い
車を置いてるんですよ
お坊さんが
それは報時の時なんかそれで行くみたいなんですよ
ところが
お坊さんのプライベートな車っていうのは
本堂の下に自動シャッターが出てくるの
私何回か見たことある
高級車
ボルボでした
これ私の知り合いの
別のお坊さんに聞くとですね
やっぱ段下さんの手前
なかなかボルボでお寺行かないと
道も狭いとこあるので
だからこう
ヤリスで行くという話を
していました
そうですよね贅沢してる
なかなか表には出せないところがあるんですよね
見て分かっちゃいますもんね
今の場合は
うちのオフセデみたいな
そういう風に感じちゃいますよね
どうしても
それで競争みたいなのに
やられちゃうっていうのはよく分かるし
ヤリス 車格
ヤリス 車格ってすごいな
すごいな
車格
歩行者と車のヒエラルキー
でもそのあらゆる
車格の下に
遅い歩行者がいるってことは
本来は別カテゴリーなんですよね
本来はね
ヤリス そのヒエラルキーの中に歩行者は入らないはずなんですよね
歩いてる人と車っていうのは
ところがどちらから見ると
やっぱり自分たちのヒエラルキーの下にあるんじゃないか
みたいに見ちゃう
視線があるので
こういう対立になってしまうんですよね
だけどやっぱり別物だと
そもそも目指してるところが違う
目的も違うじゃないですか
ゆっくり歩いてもイライラしないのに
ゆっくり走らされるとイライラするっていうのはやっぱり目的が違うから
そのカテゴリーを
別として考えるような
仕組みとか意識って必要だと思うんですよね
ヤリス 全然ないですか今は
未来の車社会:人口減とウォーカブルシティ
だから少しずつ
現れつつあるんだろうなっていう気はするんですよね
さっきの横断歩道の話もそうですけど
そうなった方がいいですよね
ヤリス 未来
人口減とか
少子化みたいなことに
向かっていくじゃないですか
そういう風になった時に
少しこの空気が
緩むんですかね
やっぱりこれから
東京で育ったような若い人が
車運転する人の率が増えるとは思えないんですよね
お金もかかりますし
利便性もあるし
あと少子高齢化していくと
高齢者もどんどんと手放していくわけなので
車社会が
強くなっていくみたいな
そういうものは
あんまり考えられないので
むしろ例えば街づくりでも
歩車分離したり歩行者優先の
ウォーカブルシティを作ろうとか
いう動きがすごくあるので
むしろいい方向に
動いてるなという風に私は思ってるんですよね
車作ってるメーカーさんの側も
そういう社会の中で
どう車があるかっていうのは当然考えてると思うんですよ
そうでないと生き残っていけないですよね
あとはカーシェアみたいなものが
広がっていけば
個人所有の財としての自動車っていうのは
その分存在感が下がるので
そういうなんか
金銭投下的な性格みたいなものが
薄れるかもしれないですよね
純粋に移動手段ですよね
そうなると
車の価値と「瞬間的・顕示的消費」
そうだね
あるいは二極化するかなのかもしれないですけどね
車って財としての
価値の維持って
すごく難しくて
例えば高級な腕時計って10年経っても
高級なままなんですけど
車って10年経ったらだいたいどれも価値がなくなるんですよ
よほどの有名人が乗ったような
車とかだとともかく
そうでなければただの中古車なんですよね
だから本当に
瞬間的な顕示的な消費っていう感じがありますね
なるほど
走行距離がどうとか言いますもんね
そうなんですよ
自動運転と衝突回避システム
まったく車のことを知らない人間から
最後
聞きたいな
自動運転的な世界は
今後広まっていくのかとか
そうなった時にまたさ
子育てと車っていうのはさ
確かに
変わっていくのかなとか
ちょっと気になったんですけど
結構今は自動運転すごいんですよね
ただ完全自動運転ってやっぱり
まだ日本で実現されてなくて
アメリカとかだと
まだ100点中80点ぐらいなのに
もうバンバンやってるみたいな
ところもありますよね
何かデリバリーとかだと
だけど日本でまだ70点80点なんだけど
やるっていうことには絶対ならないですよね
デリバリー
全く無人の
自動車を届けてくる
やってるっていう留学した学生が言ってました
だけどそれって
大丈夫なのかな
責任の問題とか
凄まじいですね
運転サポートの技術って
今日本の車でもあって
例えば衝突を回避するとかですね
それはもっと広がっていくとは思うし
それを例えば
人を運ぶような車だと
義務化していった方がいいんじゃないか
という声が当然あるんですよね
トラックにも衝突を回避するシステムを
義務化した方がいいんじゃないかっていう
そうなって
私も高齢、父が高齢なので
そういう車に乗ってほしいなと思ってるんですよね
意思だけで回避することを
なかなか無理ですからね
ワイちゃんがさ
遠くに子供を見てさ
車を見てさ、止まんなきゃダメだよ
って言ったようにさ
車の中に技術が埋め込まれてさ
子供が見えるから
ちょっと車がゆっくりなるとか
優しくなるとか
そういう技術
優しくなるなんかいいですね
優しくなる
本当に優しい車ってのは
いいと思うけどね
優しさで言うと
車の「巨大バッテリー」としての可能性
車って今
ハイブリッドとか電気自動車が増えてるんですけど
巨大バッテリーだと思ったら
災害時に
すごく助かる存在ではあるんですよ
なるほど
どんだけ携帯の
バッテリー持ってても
車の巨大電池には敵わない
特にハイブリッドってちょっとガソリンがあれば
いくらでも発電できるわけなので
完全EVだと
電気停電すると困りますけど
ハイブリッドはガソリンが
発電の材料ですから
巨大電池を持ってると思えば
地震の時なんかは
割と助かると思うんですよね
そういう視点は
確かに
全く
そこに食材とか
ちょっと入れておくと
車ヘイターとしての整理と今後の展望
倉庫にもなりますし
いろんな観点が
こうね
どうですか車ヘイターの
ヘイターとしては少し多角的な
多角的な
なんでそうなんだろうとか
自分の感情がどこから来てるのかなみたいなのが
なんとなく整理された
ような感じはしますね
本当になんか今日はね
むちゃくちゃな
無茶振りに近い形で
車のお話に
お付き合いいただきましたけど
まあ歩行
子供を連れる歩行者としては
車はちょっと怖くて
横暴な存在に見えるが
もちろんその背景には社会や
なんだろうね
本当に技術の問題
いろんな心理的な問題
本当にあって
いろんな視点で見るとこんなにも
車の話が広がるんですね
ずっと森さんが
恨みを
ひたすら吐く
そういう回になるのかなと思ってたけど
なかなか本当に
お二人とも広げていただき
本当にありがとうございます
ありがとうございました
ゲストの感想と今後の研究
お感想最後いただいていいですか
えーなんだろう
なんか
車よくわかんないし
中は開き直って言ってたんですよ
私も免許ないし
ただなんていうか
私たちが知らないということでもあるよな
という気がして
つまり向こうも知ろうとしないんだけど
私たちもどう動いてるか
どういう罪としての性質があるかっていうのを
なんとなく多釈して喋ってたなと思ったので
今日はすごいいいなと
色々
ヘイター寄りなのかもしれないけど
偏見がかまわされた
いやいやそっかそっかめっちゃわかりました
ありがとうございます
はいあの私の周りのですね
文化人類学者たちは
割とあの車ヘイター
多いんですよね
やっぱりその環境
とかを考えて
車に乗ること自体を
オルタナティブな方向で
考え直そうという人が
かなりたくさんいる中で
ただそうは言っても車が
じゃあそこまでなぜ広がっているかとか
やっぱり
立場によって車がいいとか
自転車がいいとかっていうのは立場によって
様々なので
いろんな意見をもう少し
広く見ていくと
自分が置かれている状況を客観的に見て
自分がイライラしているとか
自分が楽しんでいるっていうのを
もう一回見つめ直す機会になるんじゃないかと思って
今日は都心のお話を聞けて
私も一応
私も23区に住んではいるんですけど
自動車的な生活をしている人間からすると
すごくいろんな視点を
いただいてよかったなと思っています
ありがとうございます
そう言っていただけて
こんなに車のことを
考えた時間はなかった
カズット先生の
煽り運転の研究とかは
論文って形になるんですか
これからですねちょっと
仲間たちとモビリティの民族学
っていうのを共同研究で
やっていく予定で
そこで煽り運転とか
免許返納の民族学
っていうのをやろうかと
めちゃくちゃ面白そうです
なんで免許返納しないんだろうかとか
結構年配の
おじいちゃんとかでもやっぱりいますので
免許返納しようと思ったら
実は無免許だったって
おじいちゃんの方もいたりするんですよね
長年
昭和っぽい話ですけど
そういったことを
やっていきたい
一つ子育てっていうのも
加えてほしいですね
誰かやってほしい
子育て車の民族学
メンバーに呼びます
結構地方に
それこそ
おびっくり迎えしやすい車と
そうじゃない車とかがあったりとか
ありますスライドドアとかですね
フリードとか
隣の車を
ドアバンって言うんですけど
子供が当てたら大変なことになるので
あと日本海側だと
風が強いので
ドアがスライドだと
風で煽られることがないんですよ
そうなんですよ
普通のドアってのは風でバンってなるんですよね
気をつけても
だからスライドドアってのは実はいろんな
環境に良かったりするんですよね
そういうことも研究していきたいと
深井・いやーちょっと
子育てと車の民族学
話が
本当にこんなに車の話を
外を考えた
あと車会社の人とかね
コラボ
ヘイターとコラボする
逆コラボ
ヘイターのほうがいいんじゃない
コラボするなら
料理ヘイターの輪っ子さんとね
まとめとエンディング
好き同士だと分かり合っちゃうから
嫌い同士のほうが言語化する
そうだね
ご興味ある方は
お待ちしてます
というわけで
今日は車と子育てを巡る座談を
お届けしました
車の中で
お聞きいただいてる皆さんもありがとうございました
深井・重要
深井・結構多いっていうね
深井・今まさに車で
運転しながら聞いてくれてる人も
多々いて
ちょっともやもやした
気持ちになるんじゃない
今は自分にとっては
この今
この車が
ライフラインなのに
リラックスタイムで
ヘイターたちがいい
でもそういう内容にならなかったから
良かったなと思ってる
深井・たくさん車で
お聞きいただいてる方も
いると思いますけど
また是非
ご感想などお寄せいただけると嬉しいです
というわけでここまで
お聞きいただきありがとうございました
深井・山山翔司の清太でした
ヤンヤン・深井・森太でした
深井・加藤太でした
深井・みなさんまた次回も
よろしくお願いします
ありがとうございました
01:12:34

コメント

スクロール