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ゆるみのある空間の作りかた【街と子育てをめぐる座談】w/富永京子 from 仕事の合間
2026-08-11 58:12

ゆるみのある空間の作りかた【街と子育てをめぐる座談】w/富永京子 from 仕事の合間

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ウィーン←→東京の子育て/子供に同じ思いをさせたくない/ダブルスクール/インターナショナルスクール/移動の自由/思ったより適合させちゃってる?/聞き分けがいいことが少し心配/アナちゃん/大人の目線/自立性が足りなくて怒られる/別れのコントロール難しい/創作はどこも同じ/パークの遊具/子供に歓迎的/日本と欧州のインフラ/失敗して覚えさす/設計の哲学/サスケのそり立つ壁みたいなの/危険だから、迷惑だから/行動制限/車と子育てはまた改めて/クリティカルマス/政治信条と子育て/子供を連れてデモに行く/教育に無色透明を求めてた?/子供は勝手に社会化されていく/子供は脆弱なもの?/デザインを超えてきた/「プリンセスになるのやめる」/パーティーとかに出るの恥ずかしい/自由がない/皇室?/ほくろを見られたくない/そんなやわな子に育ててない/日本の保育はサービス提供的過ぎる?/消費者とサービス提供者/差別化/幼稚園と子ども園/「保育園落ちた日本死ね」/自治運動なのか、消費者運動なのか/保育士さんへの負荷/自治と共助/僕見ますよ/甘えと共助/「わがまま」は日本的な言葉/むしろ誇りに思うべきこと/甘えられない我々、消費者になっちゃう我々/子供に対してウェルカム/長いスパンでの共助/中華料理屋は子どもウェルカム/「ウェルカム」と「子供OK」はちょっと違う/「自分のことは自分でやれよ」文化/迷惑かけんな文化/適当に許容しているだけ/コミュニティにおける無関係で脆弱な主体がいる/でかい犬がいる/弱いロボット/適当さが人をつなぐ/シェルターでのモルモットの存在/モルちゃんのためなら何でも言える/ケアが必要な主体がいる/高級ブランド店とでかい犬/これがOKなら…/空間の空気感/町の北側と南側/緩みがない/子供スペースのメッセージ/台風の日のファミマ/用途のずらし/親の体面/立派な大人を演じてる/虫の居所悪いやつを増やす/我慢社会/見えない仕切り/異質性に弱い/ヤーンボム/適当な存在や適当なスペース増やしたい/車批評回お楽しみに!/

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サマリー

このエピソードでは、オーストリアのウィーンに滞在中の富永京子さんをゲストに迎え、海外での子育てや、日本とヨーロッパのインフラや教育、社会のあり方の違いについて語り合いました。富永さんは、4歳の子供をウィーンのインターナショナルスクールに通わせつつ、日本の保育園にも籍を置くダブルスクールというユニークな子育てを実践しています。子供が現地に驚くほど早く適応していく様子や、言葉の壁を超えたコミュニケーション、そして「自立性が足りない」と指摘されるなど、日本の保育園とは異なる教育方針に触れました。また、ヨーロッパの街づくりに見られる「失敗して覚えさせる」という哲学や、子供連れでのデモ参加、皇室を思わせるような「プリンセスになるのやめる」という子供の言葉など、多様な視点から子育てと社会の関係性を考察しました。さらに、日本の保育がサービス提供的になりすぎている現状や、地域社会における「共助」や「甘え」のあり方、そして「適当さ」や「緩み」がコミュニティを繋ぐ役割を果たす可能性についても議論が深まりました。最終的には、意図的にデザインされた空間ではなく、意図せぬ「異常さ」や「緩み」が、多様な人々が共存する社会にとって重要であるという結論に至りました。

ウィーンでのユニークな子育てと異文化体験
皆さんこんにちは、オトコの子育てよももやまばなし。
この番組は、現在6歳の双子を育てる清太と、
3歳の子供を育てる森田が、育児のよもやまばなしを雑談していく番組です。
メンバーシップサービス、メソン桃山のサポートでお届けします。
はい。今回もスポーティファイにお邪魔して収録しているわけですけれど、
今回もゲストかい。
はい。
ゲストなのか。
順位ぐらいの勢いで何回も遊びに来ていただいています。
富永京子さんです。
お邪魔いたします。よろしくお願いいたします。
4歳の子供を育てる親、富永でございます。
ありがとうございます。
何回もこっちでも、あ、ももやまばなしでもお世話になって、
帰国の旅に。
帰国しすぎ説もあるが。
本当ですよね。前回ね、親番組の方で創価学会員の恋花をやった時に出ていただいて、
その収録の最中にね、もうすぐ帰国のこともあるんで。
そうですね。翌日帰国なんだよみたいな。
さっそく去って行って。
家って戻ってきた。
戻ってきてここにいるっていう。すごい実質日本で。
日本にいた時より頻度が高いっていうね。
普通に友達よりもそんなに合わないですからね。
ちょっとね、富永さんをゲストにおしゃべりしていくわけです。
ちょっと富永さんの現在の状況がね、今日のテーマに関係してくるので、
ちょっとだけ紹介していただいていいですか。
そうですね。4月からオーストリアのウィーン大学というところで客員研究をやってまして、
当然子供とパートナーもいるので、どうするか問題っていうのは出てくるわけです。
私大学教員でして単身で行かれる方も、単身で海外に行かれて1年研究される方もいらっしゃるんですが、
うちはせっかくなのでパートナーも大学教員ですし、一緒にウィーンで過ごそうというふうになるわけですよね。
ただ一方でじゃあ子供どうするかっていうと、この場合子供連れてくしかないわけですけど、
現地の幼稚園に通わせるっていうんですが、ただ私結構こういった仕事に呼んでいただくこともあるので、
日本と海外行き来することになるだろうっていうのも考えてたんですよね。
かつ私結構転校して人間性が悪くなったんで、なんか子供に同じ思いをさせたくねえなっていうので、
結構その転校嫌いで転勤嫌いなので、子供にもいつ戻ってもいいように、
かなり異文化ですから適合しない可能性もあると思って、今東京都の千代田区の保育園に通わせてるんですが、
千代田区にも席を置いてるっていう状況で、だからあの多分東京の区立というか、
区の保育園って2ヶ月席を外すと席がなくなっちゃうから、2ヶ月に1回は通園させて、
まあダブルスクールみたいな、経済学部の友達みたいな言い方になっちゃいましたけど、
ダブルスクールさせてるっていう感じですかね。
日教典でダブルスクール。
ウィンがメインですよね、幼稚園で。
幼稚園に通い、たまに帰ってくる。
そうそう、曜日みたいな。
すごい。
面白いなあ。
幼少期からそんな。
ウィンは現地校ですか?
インターナショナルですね。
いろんな国のお子さんがいるってことなんですかね。
そうなんだ。
すごい。
その現地での生活やら、子育てという視点でどうですかって話を聞いていきたいんですけど、
結構ね、富永さんがやられてる仕事の合間。
ポテキャスト。
ポテキャスト、ウィン在住。
時々東京に帰る、時々じゃねえじゃん。
しょっちゅう東京に帰る。
ということでね、よく合間合間に話されてることもあるかと思うんですけどね、
実際に、もうちょっと今日は海外での子育て、
森田さんも憧れているかもしれない。
でもなんか英語教育とかね。
英語教育、そう。
ひっそりと、こっそりか。
こっそりとね。
すごいざっくりですけど、
どんぐらい期間、もうどんぐらい経ちましたっけ。
3ヶ月ですかね。
3ヶ月。
お子さんの様子どうですか。
いやー、我慢させて、なんていうか、
なんか、親って移動の自由が、というか大人って移動の自由が聞く。
ここ合わねえなとかになったら引っ越せるじゃないですか。
で、子供と、これうちの母親とか見てても、
基本的に経済を他の人に依存してる人。
うち専業主婦だったんで。
移動の自由がないことに慣れてるから、文句言わないんですよね。
たまに帰りたいとかは言うんだけど、
思ったより適合させちゃってるなって思います。
他の新聞記者さんであるとか、
研究者さんで海外に子供連れてった人とかの話も聞くんですけど、
半年毎日泣かれたとか、
だだこねて保育園に行かなかったとか言われたんですけど、
うちはそういうの全くなくて、
行くって言ったらスンってして、
スンって地下鉄に乗って、スンって一緒に行くんですよね。
なんか、このスンに罪悪感。
なるほど。
妙に、むしろ妙に聞き分けがいいことが若干心配というか。
そうですね。
どんな感じなんだろうね。
言葉はどうなんですか。
言葉は英語で聞いてて、
先生の英語を聞いてて、
なんとなくはわかるみたいなんですよ。
お絵かきしましょうとか、ご飯食べましょうとか。
ただ、本人は何にも喋んないですね。
日本とか東アジアのお子さんと、
でも最近ちょっとイタリアのアナちゃんと遊ぶようになったので、
ちょっとずつ兆しは見えてきたんですけど。
なるほど、なるほど。
なんか仕事の合間の中で、
心配してたけど、
言葉じゃないコミュニケーションで遊んでるみたいなことをおっしゃってましたよね。
アナちゃんとも水遊びとかしてるし、遊具で遊んだりお絵かきしたりして、
それは大人の目線で見すぎちゃってたなとは思いました。
だから言葉じゃないレジャーがいっぱいあって、
そんなに先生も言葉ができないことそのものに不安に感じてはいないんですよね。
むしろ自立性が足りないみたいなところで怒られたりはするんですけれども。
怒られるんですか、ちょっと注意されるところですか。
結構ね、他のアメリカ式の教育なのか、
お子さんとその親にガッツリ言ってくるんですよ。
なんかそのちょっと元気な子に対して、
元気すぎるからちょっと隔離したりしてるから、
家でもそうした方がいいんじゃないみたいなこと言われた人いるらしいんですよね。
で、うちの子もちょっと指しゃぶりとかがまだある時があって、
なんか精神的に自立してないみたいなこと言われましたよね。
たぶんオーストリア的な教育ではないんだろうなと思いますね。
オーストリアはもうちょっと自由だとオーストリアの先生たちからは言われてますね。
そんなことを言って、あんまりね、日本の教育園幼稚園の感じで興味想像つかないけど。
それはなんかそのインターナショナルスクールという場は、
基本的にその国に仕事で来ている人とか、
そういう人の子供たちが通うとかそういうことなんですか?
そうですね。ある国際機関があって、その近くにあるもんですから。
で、天候とかが結構激しいんですよ。
なんかある日行ったら何々ちゃんがいないみたいな。
相乗りかよみたいな感じなんですけど。
だからそういう意味でなんか別れに慣れさせちゃってる。
でもそれも大人の基準かもしれないですね。
だから仲良くなった子が翌日いないみたいなことがあって。
なるべくなるべく別れみたいなものを経験させたくないから、
両方の幼稚園、保育園に通わせてるんですけど、
結果としてそういうコントロールはできないなっていうのは感じましたね。
そうか。本人だけじゃないそうね。周りもね、あれだから。
若干、期間限定で来てるとか、
そういうことでまたその期間経たら他のに行ってしまうとか。
じゃあずっとこのクラスのメイトはずっといるよねっていう前提ではあんまりないんですね。
ない。思ったよりない感じが。だってうちだって2年限定ですもんね。
すごい想像つかない環境だけど。
なんつうか、やることっていうか、
保育園とか幼稚園って、幼稚園は聞けないですけど、
何か過ごすとか遊んで過ごすとか、
遊んで食べて寝てみたいな感じだと思ってるんですけど、
何かやるんですか?向こうの。
多分ね、思ったより一緒だと思いました。
例えば紙皿とかで何か作ってくるじゃないですか、
お父さんの似顔絵の何とかとか、お母さんの母の日のプレゼントとか、
結構工作の感じ近いなって。
よく手形とかで葉っぱを埋もしたりするじゃないですか。
あれが結構同じで、結構同じなんだなって思いましたよね。
教育の多分そういうメソドロジーが近いんですよね。
そうなんでしょうね、多分ね。
なんとなくね、例えばヨーロッパや海外、
全然違う接し方やら、教育の仕方やら、コミュニケーションの取り方が、
本当に日本と全然違う何かがあるのかな、みたいな勝手なイメージを抱いてたけど。
寝室に一人で寝かせるのが早いとかね、そういうのは言われてますよね。
確かに教育的なことで言うと結構標準化されてるのかもしれないですね。
そういうメソッドっていうか、そういう芸術的なことをやるんだったらこういうのっていうのが、
なんか厳選がありそうな気がしますよね。
できることが限られ…いやそれも子どもの可能性を低く見てるかもしれないでしょうけどね。
ヨーロッパと日本のインフラ・教育哲学の違い
あれはどうですか、その子育てっていう意味で言うとウィーンって子育てしやすいですか?
日本に比べてとかあります?なんかそういうの。
子どもは連れて行きやすい場所多いなぁと思いますよね。
それって雰囲気なのかなぁ。
そうですね、幼稚園が4時に終わるんですよ。うち、保育園は6時までだったんですけれども、
だからちょっと早くて、その後パークとかで遊ばせたりするんですけれども、
あとカフェに一緒に行ったりとか、ただ子どもには結構なんでしょうね、あれって雰囲気なのかなぁ。
歓迎的な感じがありますよね。
公園の感じとか、町の感じとか含めて、東京じゃないですか、東京の都市部で育てしてると、
なんかゴミゴミしている感じもあるし、車もいっぱい通るし、
子どもにちょっとそっち行かないで止まってとかって行動制限をしちゃう瞬間も多かったり、
公園に行ってもなんか狭いしとかっていう感じは今あるんですけど、
勝手なイメージだと広いのかなとか、ゆったりしてるのかなとか。
どんな感じなんですか、ウィーンは。
なんかこれ、ある建築学の先生が言ってて、なるほどなって思ったのが、
日本のインフラは柵とかをつけて落ちないようにすると。
これアムステルダムの事例の先生だったんですけど、
アムステルダムの場合は例えば運河に柵をつけないんだと。
じゃあどうするかっていうと、子どもの方が学校で泳ぐトレーニングをするんだと。
つまり、なんか落ちても大丈夫なようにするみたいな感じのインフラは確かに多くて面白いなと思いますよね。
だから公園もなんていうか、木のチップみたいななんていうか、落ちてもなんとかなるようなふわふわした、
ふわふわっていうか、多少柔軟性のある素材を敷き詰めたりしてるので、
そういうところはちょっと興味深いなと思いましたよね。
事前に静止するっていうよりは失敗して覚えさすに近いのかな。
根本的になんか設計の哲学が違うんですね、なんとなく。
とは言われてるようですね。
失敗させないとか。
だからサスケの反り立つ壁みたいなんでいつも遊んでるんですよ。
多分元々スケートボード用のあれだと思うんですけど、
もうスケートボード誰もやってなくて子供がサスケの反り立つ壁にしてるんですよね。
それって結構確かに東京の都心の公園で見ると、規制がかかるんじゃねえかなっていうタイプのあれではありますよね。
危ないか、確かに。
でもそういうもので遊んでも、万が一転んでも、とりあえず。
落ちても安心だよみたいな感じ。
あるいは落ちてもなんとかなるよっていうほうが近いのかな。
ちょっとそれはいいですね。やっぱりどうしても。
規制規制でね。
ボールで遊ぶな、何々するな。
こちらのマインドも結構そうなってるところは。
そうなんですよね。危険だから迷惑だから。
そればっかり言ってるって最近すごい思った瞬間があって。
ダメとか危ないとか。
行動規制でしょ。
そう行動規制気づくとそればかり発していて、言葉を。
一回テーマにしたくらいだよね。
確かに。
行動制限。
行動制限、本当にこれっていいことなのかなとか思う。
すごい言っちゃうもんね。道歩いてても。
そこ右に行って左に行って止まって、そっち行かないで、触んないでみたいな。
危ない危ない危ないとか。
そんなに危ないでもわかんない。
車のせいだから、これはやるんですよこれね。
今度は車については車と子育てっていうテーマを
これはもうですね、アサインしてあるんです。
来ていただけることになってるんでですね、とある先生に。
すごいね。
日程調整とか全然してないんだけど。
交互期待。
そのヘイトが、多分森田さんのヘイトが。
そういう車関係、自転車の往来やなんやっていうのは環境的にはどうなんですか?
確かに道が広いですもんね。
あとなんていうか、これ結構ヨーロッパの街に特徴的だってその研究者の方がおっしゃってたんですけど、
照らす席があるじゃないですか。道に競り出して照らす席があるんで。
イメージある。
結構道を邪魔するものっていうのが多いんですよね。
道にある障害物が多いっていうことが結果として、これちょっとデモの参加感覚とも関わってくると思うんですけど、
なんかそれもあって道が割と高速道路とか幹線道路は別ですけど、歩行者のものになってる感がありますよね。
それなのかもしれない。
いやそれですよね多分ね。歩行者のものじゃないもん道が。
歩道は歩行者のものだけど、それ以外の道って歩行者のものじゃないよね日本は。
しかも今日本だと自転車という存在がすごく曖昧な車のとこで自動車レーン走ってねえだけど、
そこはそこで若干危ないからどうしても歩道に入らなきゃいけないシーンもあって、
そうすると歩道にとっては自転車は危ないものみたいなさ、なんかすごい。
なんか自転車のデモでしたっけ行かれてましたよね。
キリカルマスってやつで、もともとクリティカルマスっていう自転車に乗ってる人が自転車移動の権利を求める運動なんですよね。
でそれにその子供版なんですけど、でも子供がそんな政治的理念わかるわけがないから、
とりあえず親について自転車でいっぱいいろんなところ本来車道になってるところも走れるよってデモだから、
そういうなんか楽しさを求めるデモみたいなところがあって、
なんかシャボン玉吹きながら走ってる子供とかいるんですよ。
絶対これ政治的主張ってわかってないけどみたいな。
なんかそれ見て思ったのは、子供に主体性とかを求めず勝手にデモとか連れてきてもいいんだみたいな。
なんかその子供になんかそういう心情、もちろんリベラルに育ってほしいけど、政治心情とかを教えずにどっか連れてくのって罪悪感ないですかね。
たしかに。勝手なね。
洗脳とまで言わないけど。
ちょっと洗脳感あるっていうか。
でもなんかあんまそれ気にしなくていいのかもしれないなっていうのはちょっと思いましたよね。
私たちだって完璧にわかって言ってる政治行動ってないじゃないですか、主張って。
たしかにね。なんかイベントっぽい楽しさもあるし、真面目な考えもあるし、誰かと会えるからとか。
なんかありますよね、そういうの。
それもあって、なんかデモはどっちかっていうと苦手で調査のためにしか行ってなかったんですけど、
子供連れてデモとか、社会運動の研究者なんで行くようになったのも多分ウィーンに来てからですね。
そうかそういうのも、そうですよね。
もう選挙とかね。
なんか街頭で応援してる候補者が、きょうの何時から演説やるみたいなときに、ちょっと一緒に自転車ふーっと行って聞いたりっていうこともあったりして。
別に真剣に聞いて、夜ぐらいの感じで。
でもやっぱり、この人のこと応援しているとか、この人は苦手だみたいな感じで、ちょっとポロッと言っちゃうもんだから。
で、ポスター貼ってあるじゃないですか。
そしてやっぱりこの人は悪者とか、そういうことで。
ちょっと素朴、うん、なるほどね。
素朴にこう、この人は良い代表が好きな人だとかっていうのは、もうちょっと伝わっちゃってて。
それが良いか悪いかっていうのは、そこまで気にしてはないですけど、若干こうやって自然に何となく伝わっていくんだなみたいなのは。
しょうがないよね。
まあね。
だからなんか自分は結構、教育に無色透明を求めちゃってたんだなって感じる部分は多いですよね。
子供の選択の自由を与えたようでいて、つまり東京都とWINCで教育を受けられるようにしたっていうのは、こっちのエゴというか無色透明を貫きたかったわけですけど、実際どっちか、子供はなんかそれとは関係なく社会化されていくわけじゃないですか。
政治的にも無色透明にしちゃおうとしてたんだなと思いましたよね。
子供は脆弱なものだと思ってたかもしれない。
確かにね。確かに確かに。
まあ結構勝手にいろいろ吸収していろいろ見て、自分なりに揺れたりしながら自分なりの何かができていくんですよね。あんまりデザインできるものじゃないじゃないですか。
日本の保育のサービス化と共助の課題
それを感じる時ってあります?デザインを超えたなっていう時。
いやありますあります。特にジェンダーの問題で言えば、やっぱりそういう男の子だから女の子だからっていうのはなるべく離れて欲しいなっていうのはあったんですけど、
なんかこう、例えば最近プリンセス、ちょっと前までやっぱラプンツェルとかディズニープリンセスに憧れて、そういう色の服や柄の入ったグッズやなんや欲しい、ラプンツェルになりたいみたいなこと言ってたんですけど、
でもまあそれは女の子はみんな紫のみたいに流行って、ランドセルの色とかにもひと紋着あって、あんまりそっちの紫はどうかなーみたいな感じの中で、
でもこっちはなんかちょっと茶色っぽい、ネュートラルな感じしたいけど、ピンクと水色に落ち着いたんですけど、
でそういう時期を経て最近はプリンセスになるのやめるみたいなことを言ってたらしくて、これはしおりさんから聞いた話なんだけど、
え、なんで?って言ったら、なんだっけな、なんかパーティーとかに出たくない、出るの恥ずかしいからか。
なんかそこは花丸さんっぽいんだよね、理由が。
あとなんかね、なんか自由がないみたいな。
公室の話?
すごい公室の話っぽいね。
映画というか作品を見ればそういうシーンが多いじゃん。
後ろから出られない。
結婚する間に置き戻してみたいなね。
そういうのを見て、なんかそのふうに思ったらしくて、プリンセスになるのやめたーとか言って、
なんか言ってたらしいんですよ。それは俺直接聞いたわけじゃないですけど。
こうやってなんかいろんなこの人たちなりに、なんか感じながら憧れたり、なんかやめようみたいな。
こちらの思惑とは全然違う、その拒否の仕方じゃないですか。
パーティーで出たくないから悲鳴にならない、なかなかですよね。
女性らしさみたい、男らしさ、女らしさみたいなのの危機感から、そういうのは嫌だっていうふうにはさ、
清太とかは思うわけじゃん。俺も思うけどさ、そういうのさ。
そういう思惑とは全然違う回路で嫌だっていうのは面白いですね。
なんか注目されたくないみたいな。
なんかね、ほくろを見られたくないみたいなことを言ってたらしくて。
なんでそんなこと言うの?そんなに嫌なのかなみたいな。
ルッキズムみたいなあれかと思ったんですけど、
でも双子って顔のほくろの位置で、花ちゃんだ丸ちゃんだってすっごい見分ける一つの手がかりになって、
みんなほくろを見るんだってこう。
そこまではっきり言ってないけど、なんでこんなにほくろに対してこだわりが結構前からあって。
だからもしかしたらすごいしょっちゅう、これ花の方にほくろあるから花ちゃんだとか、こっちほっぺにあるから丸ちゃんだとか。
嫌な見分け方だね、でも。本人的にはさ、
本人的にはね。
印じゃん、印。
だからなんかその、こんなにほくろ、時々ほくろ嫌だほくろ嫌だっていうのは、
そういうことなのかもという最近気づいて、
でもそういうのもなんかよくわかんない。むしろこっちはすごいかわいいところにほくろがあるなぐらいに思ってるんですけど、
そういう角度で、そういう言い上がり方があるんだとか、要するに読めないですよね、全く。
だから、あんまりデザインやコントロールっていうのはできないのだろうなとは思いますけどね。
でもやっぱりヨーロッパ、勝手な想像ではちょっとその、コミュニケーションの仕方とか含めて、
ヨーロッパなんか勝手にですよ。ヨーロッパでちょっとかっこいいものだと、いいものだと思っちゃってるんですよ。
例えばなんか、ヘルシンキ生活の練習って本とか読んでると、あれ結構子供、お子さんを連れて渡って向こうの保育園とか幼稚園とかに通って、
そこの先生たちがすごく子供との接し方が、なんていうの、ざっくり言えばすごく個人としてリベラルに接してくれる、
その感じがすごく伝わってきていいなと思って、
カタヤ日本はってすぐ管理的なんじゃないかとかすぐ考えちゃうとこもあるんですけど、
そういう実感で言うと、
ぶっちゃけ日本の方が、と私は自分、もちろんこれは縁への批判とかではなくて、
私もそういう幻想ちょっと持って、ヨーロッパの幼稚園も経験した方が、もちろん本人が嫌ならすぐに戻れるようにはしてますけど、
あったけど、でも日本の縁の先生方は本当にお世話になってますよね、今の状況でも。
一度すごい印象的だったのが、3月にお別れ会みたいなのやるじゃないですか、
その時に、正直不安なんですけどって園長先生に言ったら、
大丈夫ですよと、私たちとなんて言ってたかな、そんな柔な子に育ててないですって言われて、
あ、そうだったって、別に私たちだけが育ててたんじゃなくて、この子が一人でいたわけでもなくて、
3年間ですかね、3年間4年間この園でずっと見てもらってた、この子を育てた人っていうのは、日本の社会に地域の社会にいっぱいいるんだよなと思って、
だからなんか、かえって日本の縁に対しても深まるものがありますね、時々帰った時のコミュニケーションなんかでも。
でもそれって日本の園が非常に、やっぱり日本の保育者とか教育者がサービス提供的でありすぎるっていうのはあるかもしれないですよね。
そういうイメージはありますけどね、手厚いですよね、やっぱりね。
確かにね、保育園、安心できる感じあるもんね、本当によく見てくれるし、危ないことはしないしとか、細かく報告してくれるしとか、
確かにそういう安心感と、それをちょっと斜めから見たら、すごくそれが先生たちにも、事業者としてちょっとプレッシャーがかかってて。
なんかね、ちょっと傷ついたりしてると、気づかないでくて、すいませんみたいな感じで、
そう言われて、いやでもそんな子供なんだからさ、多少はさ、あるじゃんって思うけど、そうそう。
なんかそのダブルスクールって言葉使ったのは、日本の方の園の先生が言ってるんですよ。
つまりその、東京都千代田区なんですけど、結構やっぱり他の園と掛け持ちしてるとか、そういう子が多いみたいなんですよね。
多分海外ルーツのお子さんとかだと、インターナショナルにも念のため通って、語学を担保しておくとか、そういうことだと思うんですけど。
ダブルスクールの子多いから、何々ちゃん、うちの子が特殊なわけじゃないんで、安心してくださいって言われるんですけど、
でもなんか、それっていよいよ、なんていうか、てしがわらさんのおっしゃるような状況に近いというか、
なんかその、ある種、保育みたいなもののサービス化に、常時てというか、ある意味サービス化を作ってるのかもしれないですけど、
なんか教育を、なんて言うんでしょうね、少なくとも公立保育園がそれに応える理由ってないじゃないですか。
ダブルスクールなんか勝手にやってるのに、その子その子の状況に応じてサービス提供する必要はないじゃないですか。
うちもしかりですけど、ただそれをやっちゃってる、やらせちゃってるっていうのは、あまりに我々は消費者だし、向こうはサービス提供者ですよね。
すみません、ちょっと伝わってるかわかんないんですけど。
そうするとやっぱり多少、お金持ちというかその格差が生まれてくる。
それもありますよね、当然。
こっちでは語学を、こっちではなんとかって、いろいろな。
選択肢があるっていうか、そういうね、こちらに消費者側に選択肢があるっていうか、
まあでも構造としてはそうなりますよね、少子化だし、手厚くはなってるから。
その園児、そういうふうにして評判を高めて園児をちゃんと獲得しなきゃいけないみたいな、
そういう資本主義的な圧は別に公共の。
ないはず。
でも、保育園としてはあるんじゃない、人数は確保しておいたほうが。
だってその人数によっていろいろ決まってくるからね、たぶん。
予算とかもね。
予算、そうそう。
定員はちゃんといたほうがいいよね、定員っていうことだと思うけどね。
そう考えると確かに、なんか公共行くっていうか、その公共の不律や私律や何やっていうところも
差別化や特化した何かとかを用意しておかないと人が来てこないとか、評判に関わるとかってなってるんですかね、もう。
いや、もうなってると思うよ。
なんかいろいろ考えてるみたいなことで、最近ね、近所の幼稚園の話を聞いたんだけど、
3月までワイちゃんと同じ保育園に通っていた子が近所の幼稚園に、ちょうど年少のタイミングだから幼稚園に移ったのね。
お姉ちゃんがもう幼稚園にしてたからその子もそうしたっていうふうに言ってて。
で、お姉ちゃんは2つか3つ上にいるんだけど、定員ぐらいの20人くらいいて、でもワイちゃんと同じ年の子はもう12人しかいないんだって。
だから手厚くていいんだみたいなことを言ってたんだけど、子ども園にするっていう話が出てるんだって。
要は子ども園に、子ども園ってわかる?
子ども園って要は幼稚園と保育園を合体させたようなものがざっくりと子ども園なんだけど、
だから保育園が多分両方のニーズに応えるのかな一応。幼稚園的にも通わせられるし保育園的にも通わせられるみたいな。
ハイブリッドみたいな。
ハイブリッドみたいなのが子ども園で、結構都内はそれなりに増えてると思うんだけど。
だからそういうふうにしないと、それこそ専業主群も減ってるしさ。
だからなかなか確保できないっていう話で、じゃあそこを子ども園にしようっていう話がちょっと進んだりしたんだけど、
反対もあるんだって。
それは幼稚園で通わせている保護者が自分たちが不利になるからって言って反対したりするんだ。
不利になる。
結局点数とかになるから、そうすると点数化されると保育園の人の方が点数高い。
子どもを預けるための点数。
だからそれで反対の声もあってなかなか進まない部分もあるみたいな。
なんか結構ね、やっぱりいろいろ立場が違うとその人たちの気持ちもわかるしっていうね、そういう状況みたいな。
なるほど。
そんな風になってるんだ。
だから結構そういうシビアなんじゃない?
都内とかでも子どもの確保っていうのは一つだと思うけどね。
そういうことで仕事と資質が高まっていってしまうというか、保育士さんもやっぱこうしましょう、こうしていきましょうってどんどん、
それは別に悪いことではないんだけど、
そうだね。
確かに現場の先生に係るタスク量とか、背負わされる責任やリスクが上がっていくとも言えますもんね。
なんか保育園系の運動はやっぱ保育園落ちたら日本死ねとかだいぶうまくというか、運動としては成功してるわけですけど、
それって自治運動なのか消費者運動なのかって思う時があって、つまり保育の消費者として日本死ねって言ってるなら、
いつまでもサービス提供者として労働してる保育士さんに負荷をかけていることには変わらないわけですよね。
だからそういうことでいいのかなっていうのは思いますよね。
なんかすごい消費者っぽいなとも思ったんですよ。
たぶんその話聞いた時に自分が気持ちはわかるけど、
めっちゃそういうことを言う幼稚園のお母さんってすごい消費者っぽいなみたいな風に思ったし、
それでそっちも立てなきゃいけないからみたいな感じでなかなか進まないっていうのは結構難しい状況だなと思うけど、
確かにでもそうですね、ずっと子供のことだとね、また
そうなんですよね、切迫性が上がるから。
無料だしね、実質。そういう問題もいろいろあるような気がする、ここには。
たとえば土曜保育とか使わなくても隣の保護者さんと迷惑かけ合ってというか、お互い様で見合うっていうのはそれは非常に自治っぽいですよね。
ただ土曜保育があると土曜保育あるからいいじゃん使おうよみたいな消費者的になるところを高めてしまう部分もありますよね。
そうですよね、確かに確かに。
自治ね。
まあお互いに持つもたれつでみたいな感じの環境がね、
構築できるというか、最近やっぱ双子も初めてお泊まりに行ったんですよ。
仲良いお友達、すごい近所で。
初めて本当に人の家に、俺らなしで泊まるっていう。
なんかこういうこといいじゃないですか、すごいとか。
まあ本当に1,2時間同じマンションに住んでる子が家に来てご飯食べてとかっていうのも前にあって。
なんか自分は結構下町育ちなんで、割とこういう感じだったなみたいな。
なんかこういうのって本当にあるとね、すごい助かるじゃないですか。
ちょっと今2時間ちょっと見ててくれないとかね、学校から帰ってくる。
でその時間に基本的にいるけど、今日なんか5時に帰れないみたいな時に、
どこそこのお家でちょっと2日2時間過ごしててみたいな感じ。
がまあなんとなくチャンネルが少しできてきたなっていう感じは。
でもなかなかあれですよね、運もあるじゃないですか。
同じマンションにたまたまそのおばあちゃんも住んでて、仲良くてとか。
まあそこには多分こうコミュニケーションの、ある意味で器用さとかも必要じゃないですか。
なんかその小魅力と呼ばれるものとか。
だから誰だってこうすればいいじゃないと言えるものではないけど。
そういうのいいね。
そういうの言うとすごい、まあヨーロッパ社会がそうって言われる。
そこどうなのかってちょっと気になりました。
自治とか共助っていうのはマインドが違いそうだなっていうふうに思ったんですけど。
一つすごい覚えてるのは、子供、やっぱり私たちも研究者で結構反応期がかぶるんですよね。
そういう時にウィーン大学の日本語学科の日本学科の学生さんに子供を見てもらって。
時給何十ヨーロとか出して見てもらってるわけですけど。
それを聞いた若手研究者の人が、同世代の若手研究者の人がびっくりして。
そのいや僕見ますよって同世代の子供もいるし、その子と一緒に遊ばせますよって言うんだけど。
それがやっぱできない。甘えるっていうことができないと、共助ができないなって。
私が甘えて、そしたら彼が忙しい時私たちが見ればいいって、その子を見ればいいって思えるんだけど。
いざ忙しくなってその方に連絡取るかっていうと取れないですよね。
確かにね。流れの中でね。
全然いいっすよみたいな今1時間見てますよとかだったら、ありがとうございますって言えるけど。
まさか電話して、例えばね、今日ちょっといいですかとかは、一個ハードルありますよね。
あともう一つ思い出したのが、これは7年前にドイツとオーストリアに滞在した経験で、
当時みんなのわがまま入門っていう本を出して、これは日本社会がわがままというか主張することとか要求すること、
助けを求めることをわがままだと思ってしまう社会だっていう本を出した時に、
ドイツの友人が、わがままっていうのが極めて日本的な言葉だねって。
つまり、誰かに何かを要求する、その要求される相手であるっていうことは、ある意味非常に強い関係性というか、むしろ誇りに思うべきことなんだよと、
その人に甘えられる存在であるっていうことは、その人の大切な存在だってことじゃないと言ってて、
そうなんだけど、それはわかるんだけど、みたいな。そういうことも非常に思い出しましたね。
甘えられない我々、消費者になっちゃう我々。
そうですよね。やっぱり全然違うんですか、その感覚って。当然じゃないかみたいな、全然頼り合って普通じゃないかみたいな感じなんですか。
どうなんだろう。いや、なんかそれを実感できるほどに、まだ頼り合いのスタートを我々ができてないんだろうなって思いますよね。
でも、例えば一番最初に言ってた、子どもに対してウェルカムみたいなのも、多分そういうことだと思うんですけどね。
いや、いいよっていうことじゃないですか。聞くよとか受け入れるよって、多分そういうマインドなんだろうなっていう感じが、なんかちょっとしてる。
そうですね。迷惑かけ合ってなんぼで、自分たちも子どもの頃こうやってカフェで迷惑かけたから、
次は迷惑かけるのを受け止める方だよっていう、長いスパンでの強情みたいなものがあるのかもしれないです。
なんで日本にはその感覚がないんだろうっていうのはずっと、自分も含めてだけどね、なんかすごい持論があって、
「緩み」と「適当さ」がコミュニティを繋ぐ
これなんかいつかテーマにしたいと思ってるんだけど、中華料理屋でね、中国人の方がやってる中華料理屋で、子どもを温かく受け入れてもらわなかったことがないわけよ。
絶対にウェルカムな。OKの店とウェルカムの店って違うじゃないですか。日本人がやってるところでももちろんそれあるけれども、
なんかね、中国の人がやってる中華料理屋でウェルカムじゃなかったことがとにかくないんですよ、自分の体験として。
だから、あくまで自分の経験だから、一般化するつもりはないんだけど、なんかそれって、これってどういうことなんだろうってずっと思ってて、
なんでこういう感じがこの国にはすごい薄いんだろうみたいなことはちょっと思ってて、
それってなんとなくその教助とかそういうものと通じるところがあるのかなっていう、通じるっていうか、そういう関係するところがあるのかなっていうふうにちょっと思ってるんですけどね。
自分のことは自分でやれよ文化というか、自分で完結しろ迷惑かけんな文化みたいなものが、結果としてケアを要するような主体。
つまりケアを要する主体っていうのは他人の気をかきさせる主体ですから、まあ障害をお持ちであったりとか、お子さんだったり老人であったりに冷たい目線を浴びせてしまうのかな。
なんかね、別に過度にウェルカムであったりしなくても、なんか適当な感じもあるじゃん。
そうそう、放置感がありますね。
何も気にしてないっていうこともある。
あるあるある。
いいよね。
いや、いて当然でしょみたいな。であと、多少暴れて当然でしょみたいな感じがすごいあって、何なんだろうこれっていう。
確かに。近隣の中華屋さんに中国の方が多分やってる店だと思うんだけど、なんか普通にそこのうちの子供とかが店の中で漫画読んでたりYouTube見たりしてるじゃん。
ああいうのってやっぱ、なんか自分にとって下町の感じはすごいああいう感じなの。別にみんな大人が子供に優しいとかでもないし、厳しいとかでもないし、
そんな、まあ適当に、なのよ。かといってそこにいることを言ってくるわけでもなく、適当に許容してるだけで、だから楽じゃん、いる方も。
すごい手厚くされちゃうとそれはそれでなんかちょっと申し訳ないし、冷たいわけでもなく、本当に適当に放っておいてくれる感じがまあいいなとは。
いや、そうなんだよね。
なんか空き家を改築した、私自身の研究で言うと、なんでウィーンにいるかっていうと、空き家を改築して作るシェルターであるとか、貧困者の方向けのシェルターであるとか、コミュニティハウスとか、日本で言うと子供食堂を研究してるんですけど、
割とうまくいってるところって、なんか無関係で若干脆弱な主体がいるというか、なんて言うんでしょう。ケア、そういうところって大概ケアを与える側と受ける側、まあ管理者と支援者と居住してる人とか利用してる人がいるんですけど、なんか関係ない人みたいなのがいるんですよね。
近所のおばあちゃんがずっと座ってるとか、でかい犬がいるとか、なんかその放置するしかない人みたいなのがいて、多分そういう無関係者みたいなものが必要なのかなと思ったりしますよね。そうすればなんか無関係、無関心でいることになれるわけじゃないですか。
たしかに、たしかに。なんかいいですよね。よくわかんないけどいる人とか。
誰なんだって。
そういう研究されてるんですよ。
あ、そうですね。
ウィーン独特の何かがあるんですか。そういうわけじゃない。
日本に帰って今も調査してるわけですけど、日本でも結構無関係者のいるコミュニティスペースって、なんかいいですね。なんかぼっちってわけでもないんだけど、いるみたいな放置を可能にさせ、放置というコマンドを取ることを可能にさせてくれる第三者みたいな。
何いうコマンドとか。
とか場とかの研究をするじゃないですか で例えばそういう存在がどうもなんか実は
鍵になっていてなんとなコミュニケーション発生しているみたいなって例えばの 弱いロボットって
長いとかあるじゃないですか無能な能力なつとりわけ機能のないロボットがいると みんなが
ねどうしたのとかってコミュニケーション発生するその弱さの力がっていうようなことを論じ た大変面白い方があるじゃないですか
ああいうのを読んでてもそのメカニズムをこう 紐解いていくとこんなところに鍵があるんだ
こういうのが結構実は重要なんだとかね 適当さやゆるさがそこを人をつなぐ何かになってたんだとかこういう環境的な構造が
実はとかっていっぱいあるじゃないですかそういう読み解けるもの こういう研究から
解き明かされた何かそういう知見って今度なその実際に場を作りましょうみたいな時に こう
それを何かこう デザインや何やに埋め込んで作っていくみたいなことになるんですか
そうですねそれまさに社会実装の領域で我々がやろうかなとしているところですよね
例えばそうですねあるシェルターでモロモットの存在が結構でかい役割を果たしてい たとその
あの困窮者とか割と精神に障害のある方の入るシェルターなんですけど 自分が助けてとは言えないけど
モルちゃんのためなら何でも言えるとモルちゃんが寒そうだから暖房を入れてとか 実は自分が寒いんだけど
でそうなるとモルちゃん的な存在っていうのを別のシェルターにあの 備え付ければいいまあモルちゃんじゃなくてもそのハムちゃんでもいいかもしれないし
だからそういった形で社会実装していくっていうのは結構やってたりしますね
理論というか化していくっていうか
そうなんかねその研究分析をしてたまたまそこにいるおじちゃんがいい仕事してたみたいなことまでは分かっても
たまたまいるおじちゃんをそこに移植できないじゃないですか
そういうのってどうやってやるんだろうみたいな
おじちゃんの何が大事なのかっていうことですよね
それをエッセンスを注視して
エッセンスを注視して
そういう的なる機能をこのモルちゃんやらないようにここでちょっと置くことで果たしてもらおうみたいな
面白いな
中華料理屋のさあの漢字をさ
あの漢字をさ
作れってどうやって読むの
あれはマインドだからな
なんか中国人の友達になんでそうなるって聞いたら
いやみんなそうやって育てられたからじゃないっていうか
もう当たり前だから子供はそういうもんだからって
みんなで育てるもんだからみたいな
そういうマインドがやっぱり共有されてるんじゃないかみたいなことは言ってたけど
だからなかなか実装は難しいのかもしれないけど
まあでも子供を置いとく
youtube見てる子供を置いとくのは手かもしれないですね
いや確かに確かに
客でも店でもない第三者みたいな
なんだかよくわかんないよね
それぞウェルカムだよね子供ウェルカム
流行る流行ると思うけど
子供ウェルカムなら子供を置いておけみたいな
でかい犬いっぱいいる店が結構ウィンは多くて
それが実は地味に重要かも
なんかでかい犬飼ってる人多いんですよ
でかい犬
でかい犬
でかい犬
うん
でかい犬がいい仕事してたりするんですか
たぶんでかい犬がブランドショップとかに入ってることある
なんか飼い主と一緒に
だからこれなら子供入れていいだろうって
確かに確かに
でかい犬って大体できるかもしれないですよね中華料理屋も
でもなんかそれが緩めてくれますよね
これがいいんだったら大丈夫っしょみたいな
その感じを
なんかうまく
なんか絶妙な何かで
かもし出しておいてくれれば
なんなんすかね
ここはなんか大丈夫そうだとか
ここはなんか緊張するなとかっていう
あるあるある
空間が生み出すなんか空気感ってあるよね
あるあるある
これはほんとなんか街歩いても
なんかこの街の北側はすっごい緩いのに
なんか南側はすごいギュッと
緊張感がある
緊張感があるみたいなと思ってよくあるんですよ
なんか北側緩めみたいな勝手な統計だと俺の中の
とかあのなんか街に漂う
それこそ真ん中の方
都心の方に行けばいいこと
なんかすべての土地の用途が決まってて
デザインされてますね
デザインされてここには座んなよとか
走ってるじゃないですか
立ち止まんないよとか
緩みがないよね
あの緩い街ってなんかそういうのはいいなって思う
適当どこも適当で
でかい犬とか入れないですもんね東京はね
入れたら結構嫌な顔されるだろうなって思っちゃいますよね
実際どうかはともかく
確かにそう考えると
神経質すぎるのかな
神経質すぎるのかな綺麗好きで
でもそうなると戻れるのかな
多分そこにでかいのを連れてくっていうのがある種の社会運動っていうか
禁止されてないからいいでしょって言って
でかいのエクセルしおるとかに入れたら
子供も入りやすくなるしみたいな
確かにそうですよね
そういうサウンドでもすごいそういうことな気がする
そうだね
なんか一攫に子供スペースとか作るよりも
それって結局子供はここで遊んだやつか
ここ以外にはいかないでねってメッセージもなるじゃないですか
それでもなんかすっげー適当に
前富永さんが来たとき言ったんだけど
なんかすごい台風の日に
家の近所のファミマの店員さんが
外国人の自分の子供をもう連れてきちゃってて
それでもなんかぐるぐるぐるぐる
ファミマの中をその外国人店員さんの子供が動き回ってて
でも外出れない台風がすごいから
でなんかぐるぐるぐるぐる回って
でもやっぱコンビニに客が来る一定数
なんか和んじゃっててすごい
いいねすごい良かった
ファミマでってのもいいね
そうそう
ダメそうじゃない
でもめっちゃ良かった
ぐるぐるぐるぐるぐる
退屈そうに男の子がぐるぐるぐる回ってて
それはそれでなんかいいなと思って
和んじゃってる感じとか含めて
ああいうのにね
でも一発クレーム入ると終わるじゃないですか
だから真面目すぎるってのもあるんですかねやっぱりね
こうしろっていう用途と空間を決めちゃってるんですよね
ただコンビニっていう商業空間を男の子がレジャースポットに変えてるみたいな
その用途のずらしなんでしょうね
そうなんですよ本来は別に
子供はすんの関係ないですからね
そういう存在でもありますよね
そういうものを壊す存在でもあるよね
だからさっきの行動制限じゃないけど
それ商品の売り物の中を触っちゃダメだとか
言っちゃうよね
そうね
ダメだよあっちーちゃん触んない
スーパー行ってもやっぱ花丸さんなんか
いろいろぐるぐる回って楽しそうなんですよ
家にあるこれがここに置いてあったとか
なんか切ってやる?カット野菜とか見て
昨日もなんか切ってやるとかって
なんかよくわかんないけどいろいろ楽しんだろうなと思いつつ
売り物だから触るな
別に俺は触るなってきっと触らせてる親?
っていうので言ってるだけで
なんとも思ってないんですけど
店とかでも結構
食事するところとかでさ
こう言ってる俺の方が絶対
あのなんていうのかな
この場のリラックスムードを壊してるなみたいな
時ってあってさ
まだ子供がわーわー遊んでた方がさ
なんか別に音としてはいいっていうかさ
いろんな人がいるからわかんないけど
俺がダメとかやめろとかってさ
いう方がさ
なんていうのかな音としてはさ
緊張感を上げてしまう
だからこれって
そうだよね別にカット野菜の袋を子供が持ってて
何か思う人なんかきっといないな
親同士の大人同士の相互監視なんですよね
つまり空間が
下手したら誰も俺のこと見てないのに
勝手に自分でカメラを自分に向けて
立派な大人を演じようみたいな
まあでもそういうこと言う人もいるからね実際
いるはいるよね
一発でも具現化する
そのクレームみたいな形でね
ちょっと一言
例えばファミマの本社とかに
なんかを何々言ってんのファミマで
子供がウロウロしたんですけど
なんか総武線乗っててさ
空いてたから
結構好きなようにさせちゃうんだよ
ワイちゃんがさはしゃいでて
そしたら
なんか一緒に乗ってた女性が
あんまりその存在俺気づいてなかったんだけど
織様にうるさいんだよみたいな
ふうに言われて
そういうのを一回経験しちゃうとさ
いや気づいちゃいますよね
そうだね
それはビビンってするもんね
ビビンってする
そういう意味で虫の居所悪いやつも
もっと増やしていいのかもしれないですよね
なんかいつ怒ってる人みたいな
そしたらまぁ怒られたとしても
そういう人はいるかなみたいな
怒られのあれを薄める
それはそれであるかもしれないですよ確かに
なんてことなくなるっていうね
そっちはいいですよね
全体的にやっぱうちに秘めちゃう我慢社会ですよね
全員怒って全員遊ばせて
全員でかい娘って
そうなるといいけどな
確かに
そういうおっさんおばさんとか
いっぱい昔いたもんな
やたらと待ってる人とかいて
誰も別に気にしてないとか
そういう方がなんか
結果的にね
空気が緩むというのはありますね
みんながそれぞれの場所に行っちゃったんでしょうね
キッズスペースと大人のおじさんおばさんのスペース
ファミリースペース
スペース社会ですね
確かに見えないしきりでね
そっか影響してくんなよっていう圧が
だから自分は今大丈夫だろうか
踏み外してないだろうか
踏み越えてないだろうかって気にして
緊張感が高まるというのがあるかもしれないですね
質性に弱くなってここの方が安心で
確かに
いやぁなんか思わぬところに
謎の劇場を聞く話が
空間におけるなんかそうね
でも緊張感を緩める感じに
なんかなっていくといいなってのはすごい
いやいやそうそう
職場とかでもなんかそうなんだろうなっていう
そういうの大事だなと思ったら
なんか社会運動でヤンボムっていう
路上に毛糸のわけわかんない人形置いておく運動があるんですよね
それはなんかその道に異常なものを置いておくことで
道の多様性の総量を増やすというか
さっきの中華料理屋のお子さんとか
わけのわかんないおじいさんに近いと思うんですけど
なんかそういう異常さをもっと路上空間に増やすべきかもしれない
いや本当ですね
そういうのがないと
整然としてね緊張感が高まるばっかりですもんね
確かに適当な
存在や適当なスペース増やしていきたいですね
今回はちょっと話が広がりまくりで楽しかった
車ヘイト会も
車社会の批評会をいずれ
今後の展望と番組告知
いつか富永さんとはまた別の先生に
別の参加したいですけどね
またね
確かに
一緒に
いいんですか
一緒にいればいいな
めちゃめちゃ
4人でやりましょうか
やりたいね
そしたらまた富永の事情とか
そうかそうか
酒井のこととか
じゃあ次帰ってくるね
またぴゅーって帰ってくる
すごい頻繁にレギュラーにさせられます
全然全然ありがたいことですが
リスナーの皆さんがお部屋じゃなければ
まだね3ヶ月ぐらいの富永生活の中で感じた話から
いろいろ広がるお話をしていただきました
告知というか最後に番組の富永さんも
私が読んで面白かった漫画本論文などなどを紹介する
ワクワクコンテンツ
仕事の合間発信しておりますので
もしお嫌でなかったら聞いてみてくれると嬉しいな
ありがとうございました
今日は富永京子さんを紹介していたかなと思います
ここまでお聞きいただきありがとうございました
山山翔司の清田でした
森田でした
そしてゲストの富永京子でした
また次回もよろしくお願いします
よろしくお願いします
58:12

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