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2022-02-19 09:01

#438 コミュニケーションと呪い2 〜ハチマキと横断歩道〜

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ハチマキで目隠しして横断歩道を渡る相手とどのように接していいか分からないの。


脳内議事録】 noteマガジン、認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、音声、音楽などさまざまなかたちで頭の中を晒しています。 サイコパスのラジオ、前シーズン以前のエピソード(Podcast上にないエピソード)はすべてこちらでお聴きいただくことができます。

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、コミュニケーションと呪い、ハチマキと横断歩道というお話をしたいと思っています。
前回の最後にちょっと言おうとして言い忘れたことがあるんですけども、論理派と感情派に対比させてこうお話をしたので、なんか論理vs感情みたいな対立行動になったりとか、
まあ対立行動にはなってたんですけども、別にどっちが戦っているとか、そしてどっちが勝っているとかいうね、その優劣の話ではないと。
本質的には別にどっちが良い悪いではなくて、違うよねということを言っているだけだということはですね、理解してほしいですね。
例えば塔を建てるみたいな例が話として出ましたけども、塔を建てることだけが対話ではないというか、僕はその塔を建てる対話が好きだけども、
手作りするっていうこともコミュニケーションだと思うし、なんなら塔を作るということも論理でね、本当に高い塔を作っていくっていうことにコミットするって方法もあれば、
気持ちでね、塔を建てて、途中で塔が崩れてしまうみたいなことも含めて塔を作るってことかもしれないって考えると、感情で塔を作ろうとするということそのものが、塔は建たないんだけどもコミュニケーションだったりもするかもしれないので、
いい悪いでは語れないということです。どっちかというとそれがちぐはぐになってお互いわけわかんねーよってなってるよねみたいな話なので、そこはね、あらかじめ理解していただきたいし、今日の話はその上で聞かないと、なんか論理派がまたバカにしているみたいな、そういう話に聞こえてしまうかもしれないので、今ちょっと補足をさせていただきました。
その上で聞いてほしいんですけども、僕はですね、よくバカにされているとか偉そうとかいうふうに言われたりするんだけども、その時に僕はいつもキョトンとなると。なぜなら僕は何も僕の意見を言っていない。僕が何か意見をしてその意見が偉そうに聞こえるとか、そのがバカにしているように聞こえると言われるのは、なるほどこれってバカにしてるように聞こえるんだなって受け止めやすいんですけども、
僕がまだ僕の意見を一つも言っていないのに、僕がバカにしているとか、僕が偉そうに見えるということを言われることに対してキョトンとするということがよく起こるんですね。それは何をしているかっていうと、僕は状況整理とか事実を一緒に共有しようとしている時に起こりやすいんですね。
これはちょっとそういう説明をしても、つまりどういうことなのってわかりづらいかもしれないなと思ったので、今日は例題を使ってですね、イメージしてもらえたらいいかなと思って、ハチマキと横断歩道というお話をしたいと思っています。
Aさんと僕が2人でいて、まさに今横断歩道を渡ろうか渡るまいかというところにいると、そこでAさんは
横断歩道を渡ろうとしだしたと。で、僕からするとですね、横断歩道今赤ですよと。
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普通に赤信号だから渡るんですかっていうことですよね。という確認をしていると。もっと言うと、今確かに車は来ていません。
信号はでも赤です。そして横断歩道の向こう側には小学校低学年ぐらいの男の子が2、3人いますという状況だとしますよね。
ということを僕がただ伝えているだけで、けれどもAさんはその時にバカにしていると言い出すと。
よくよくAさんを見てみると、ハチマキを目元に当ててね、目隠しをしているんですね。
確かに視覚情報がなかったら信号が赤か青かなんかわかんないし、向こう側にその小学校の
低学年の男の子たちがいるかなんてこともわからない。車の音がただ聞こえていて、車の音が聞こえないから今渡れるという認識をしているんじゃないか。
というふうに僕には見えるんですね。いやいやいや、でもあなた今目隠しをしているから見えてないかもしれないけども、信号は赤だし向こう側には小学校低学年の男の子たちがいますよね。
これは何を意味しているかというと、国のルールを破るということであるし、仮にルールを破ることに何の抵抗がなかったとしても、向こう側の男の子たちが
その教育上ね、赤信号でもなんか渡っていい、車が来ていなかったら渡っていいんだなっていうような印象を与える可能性もあるよと。
僕は別に赤信号でかつ小学校低学年の人たちにそういう影響を与えることが悪いとも思ってないんだけども、という状況を踏まえて渡るんですかっていうことを確認しているだけなんですよね。
そしてAさんはその3つ、今言ったのはたまたま3つですね。車と子どもと信号という3つの条件を1個の条件だけ、車が来ていないという条件だけを
想定して渡ろうとしているから、今目の前には3つの条件が少なくとも重要な条件があると思うんですけども、どうでしょうかっていう話をしているだけなんですね。
そうすると、その馬鹿にしているという感じになると。これが本当によくある、僕がね馬鹿にされていると言われるシーンなんですけども、
じゃあどういう他の選択肢があるんだろうって考えると、もう何も言わずにAさんと一緒に赤信号を渡るっていう方法とか、
Aさんだけ勝手に渡ってもらって自分は次の信号まで待つとか、そういうことなのかな。でもそれってもうAさんとコミュニケーションが成立しないという前提に立って、
AさんはAさんでっていう勝手にやってくださいっていう話、もしくはAさんとコミュニケーションせずにAさんにただただついていくというパターンなのかっていう、
コミュニケーションしてないですよね。コミュニケーションしないっていうのが正解なのかな。分からないんですよね。でもそれだったら一緒に歩いている意味が分からないですよね。
ついていくの方だったらAさんに責任を取ってもらえるみたいな話もあるかもしれないので、責任を取ってもらって自分は便乗するみたいなやり方もあるかもしれないけど、
僕はあんまりそういうの好きじゃないし、自分も責任を感じるので、よく分からないままAさんのせいにして自分も赤信号渡りましたみたいなことはしたくないタイプだし、
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それは別に正義感からじゃなくて、よく分からない、説明のつかないことをしたくないということですね、という意味だし、
例えてAさんが先に渡ってもらって自分は青になって渡りますとかすると、Aさんと一緒に行動している意味が分からない。一緒に行動せずに現地に集合した方がいいですよね。目的地で会いましょうということで、一緒に歩かない方がいいということになりますよね。
という感じで、コミュニケーションしないっていうのが最も争いにならないんじゃないかって思ってしまう。
でも僕は、その人とコミュニケーション可能な他者と見なすことによって、今こういう状況ですよね、あなたはハチマキを巻いているからとは言わないけどね、
今青か赤信号ですよとか、子供が向こうにいますよってことは伝えると。そうするとバカにしているということになる。
これの構造なんです。基本的には別に横断歩道じゃなかったとしても、今0台で横断歩道を出しているけれども、何かの意思決定をする場面においてとかね、
何かの議論をする場面において、状況整理をすることでバカにされているというふうに言われると。それでキョトンとしているんですが、
確かにキョトンとしている時点でね、僕自身はバカにしているつもりはないんだけども、相手から見るとね、バカにしているような言い方とか、
バカにしているような態度に見える、バカにしているような表情をしているように見えるということで、向こうが抱く印象、感情というのはコントロールできないし、
しょうがないというか、そういうふうに見えたんだなというふうに受け取ることもできるんだけども、ここがまた論理派の厄介なところだと思うんですが、
たとえバカにしているような言い方、顔、声のトーンに見えたとしても、今大事なのは赤信号か青信号か、そして目の前に子供がいるかいないかの話であって、
今バカにしているかどうか関係ないからね、とか思っちゃうんですよね。その辺がやっぱり前回の結局話になってしまうと、論理の壁がそこに立ちはだかり、
そして向こうからすると感情の壁が立ちはだかり、僕には論理の壁が見えてここでつまずいているから一生懸命説明するけども、相手からすると感情の壁がそこに立ちはだかり、感情の壁を一生懸命説明するという感じで、
全然違う話が起こってしまう。もう今横断歩道を渡る話から、お互いが見えていて見えていない壁みたいな壁の説明になってしまって、全然違う話を2人がし始めるというようなことになってしまう。
そして話せば分かり合えるというふうに信じている。そういう呪いにもかかっている。僕たちは呪われているんですよね。
僕はこの呪いに自覚的である方がいいと思っていて、それがなぜかという話は次回しようかなと思います。
本日は以上です。またお会いしましょう。さようなら。
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