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2021-01-19 10:45

#250 よくできたシステムの弊害

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システムを俯瞰し使い倒せるような優秀な人間を除いて、日本のサラリーマンの多くがぼんやりして見えるのは、システムがしっかりしているからではないかと思う。自分の頭で考えなくても何となく仕事が成立してしまっている(ように見える)のだろう。/サイコパスのラジオは、サイコパスうえみずゆうきがサイコパスな視点で語るラジオです。斜め上の視点に触れたり、サイコパスについての理解を深めるきっかけとなることを目的としています。うえみずゆうきが、ほぼ毎日更新中のnoteマガジン【脳内議事録】もぜひご購読ください! https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5 マガジン購読者限定の特典として「サイコパスの裏ラジオ(音声)」を毎月プレゼント!

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、よくできたシステムの弊害というお話をしたいと思っています。
システムね、あのうるさいですけども、僕は割とその合理的な人間なので、合理的に物事を考えようと思ったら、システムで管理するっていう方向についついね、思考が行きがちなところがあります。傾向としてですね。
ところがですね、合理的なシステムに依存して生活を営んでいるうちにですね、要はシステムが合理的であればあるほど、考える余地がなくなるというか、
より自動的にというか、自然に物事が行われていくというので、人がね、考える必要がなくなってくるということなんですよね。
例えば生活レベルの話でいくと、洗濯をすると、たとえば昔洗濯板で洗濯してたと思うんですけども、実際やったことがないんでわからないんですが、
たらいみたいな容器にどのくらい水を入れて、どれくらい洗剤を入れて、そしてどれくらい1個1個の洗濯物に対して、
どれくらいの強さでどれくらいの回数をゴシゴシすればいいのかとか、そしてどれくらい水を洗ってすすいでとかをやればいいのかみたいなのを、
試行錯誤をしないといけない。しないといけないというか、自然とするだろうと。自然と頭を使うだろうというふうに思うわけです。
ところがですね、洗濯機を回すようになってしまうと、モードを選択してとか、洗剤を入れてとかっていうところぐらいですよね。
あとスイッチを押したら、もう仕上がりを待つだけみたいな感じで、考える余地がさっきの洗濯板で洗濯するのと比べてね、全然ないですよね。
もちろんそういう合理化のおかげで、洗濯にすごく時間がかかっていたのが、ボタンを押してその間他のことができるようになったということで、
いろんなものが合理化されたおかげで時間ができて、時間ができたおかげで、その時間で自分のやりたいこととか意味のある時間を過ごすようになったというのが、
合理化された後の合理的な生活だと思うんですけども、多くの場合、合理化されて生まれた時間を、
なんかダラッとYouTube見て過ごしちゃったとか、ネットフリックス見てお菓子食べてましたみたいな感じで、
頭を使うんじゃなくて、娯楽を消費する時間になってしまっているパターンって多いんじゃないかなと思います。
なので洗濯機ができたことによって、洗濯している間に筋トレするとか、洗濯している間に読書するみたいな意識高い人はいいけども、
多くの場合、暇だから今の間に一本動画を見ようみたいになっちゃうと、
どんどん人間っていうのが考えなくなっていく、堕落していくということなのかなというふうに思ったりしています。
もちろんそれがいいか悪いかで言うと、別にどっちでもいいかなと僕は思っているんですけども、
状態としてはね、自分でやってた時よりも頭を使わなくなっていっているよね。
どんどん考えなくてよくなっているよねっていうことを言いたいということです。
これをね、生活レベルでは確かにある一定のお金があるという前提で、生活費があるという前提で考えたら、
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今みたいにいくらでも堕落してもいいんじゃないって思うんだけども、
今度ね、それを仕事に対しても全く当てはまるなと思っているんですよ。
例えば、ビジネスの小取引のルールがあるというのは、システムがあるっていうことだし、
それはまだ大枠すぎるので、例えば自分が働く会社にシステムがあると、ルールがあると。
小さい会社だとちょっと感じづらいかもしれないんですけども、
大きい会社になるとそれが結構ガチガチのルールが当然ありますよね。
なぜなら何万人とかいう人が働いている中で、
その何万人とか何十万人とかの人たちが共通の目的とか、
共通の円滑な仕事をするためにはやっぱルールがないとぐちゃぐちゃになっちゃいますよね。
クオリティが担保できないですよね。
というところで、自ずとそういうシステムを作らないとみんなが仕事ができないという状況になると。
そのときにクオリティとかいろいろコントロールしようと思ったら、
2つ選択肢があると思っているんですよ。
1つは今言ったみたいにバリバリのシステムを作って落ちこぼれを出さないようにする。
いわゆる最低ラインをクリアできるようにみんながみんなパフォーマンスを60点以上出せるようにしようね、
みたいなシステムを組むと。
もう一方はパフォーマンス低い人をどんどんクビにしていくみたいな感じで、
不適合者を減らしていくことで、別にシステムじゃなくて、
不適合者を排除して適合性数だけを残していくという形ですね。
という感じでシステムに依存するか、
人の能力で、能力ベースで判断して能力のない人を排除していくかという、
大きく似たことで考えたときに、
日本の働き方でいくとクビとかできない製車員をね、
全社の落合者を出さない、60点以上取れるシステムを作ろう、
となっていると思うんですね。
そうなったときにですね、
さっきの洗濯板と全く一緒の現象が起こっているんですよ。
やっぱり大企業であればあるほど洗濯機がたくさんあると。
ボタンを押すだけで仕事ができる、
押すだけじゃないね、
押すまでの段階だけで仕事ができてしまう、
みたいなことがたくさんあると。
小さい個人事業主とか、
ちっちゃなベンチャーみたいに洗濯板みたいな感じで、
自分で考えながら仕事をする領域が狭いはずなんですよね、
おのずと。
じゃないと大企業であるはずがないから、
いわゆるクオリティをコントロールできないから、
ということですね。
システムは埋没せずに、
システムを俯瞰して使い倒すみたいな優秀な人間は、
どんだけシステムが張り巡らされていようと関係ないんですけども、
いわゆるそれを使って、
むしろ成果を出せるのでいいと思うんですけども、
多くの場合ですね、
システムの中に埋没していると、
自分で考えなくても右から左に流せば、
なんとなく仕事が成立してしまっているように見えるだろうな、
というふうに思うわけです。
要はシステムに埋没した歯車になっていると、
完全な没個性的な歯車だという状態だと。
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別にね、最初の方にも言いましたけども、
それが悪いとか否定する気はないんだけども、
単純に没個性的な歯車になっているな、
というふうに私は感想を抱くわけでございます。
そんなふうに考えると、
働くということを一つとっても、
実は、創業間もないベンチャーとか、
仕組みが整っていない、
システムが整っていない場所で働くって、
めちゃくちゃ人間らしいんじゃないかな、
と思っているんですよね。
さっき言ったね、
ボタンを押す、洗剤を入れてボタンを押すって、
人間らしいかというとよく分からないし、
よりも、たぶん洗濯板で洗濯しているほうが
人間らしいというのは何か思いませんか?
それは何なんだろうね、
身体性というところにあるのかもしれないし、
自分の頭で考えているというところにあるのかもしれないし、
その答えはまだ僕は分からないんだけども、
やっぱり人間が人間であるみたいなところというのは、
そこら辺の自分が活性化している状態にあるのかなと
ちょっと感じていて、
それでいくと、やっぱりシステムがしっかりしているところほど、
その人じゃなくていいとか、
人じゃなくていいという要素がたくさん改ざんしてくるので、
どんどん人間が歯車化してくるというか、
非人間化してくるという課題というか、
特徴があるなと思っているんです。
なのでやりがいとか、
人間らしさというところで言うんだったら、
どんどん仕組みがないところ、システムがないところに行ったほうが、
おのずと人間らしく働ける、
生きていけるんじゃないかなというのが僕の考えです。
だってシステムに埋没しようにも埋没できるシステムがないんですから、
人間であるしかないというところで、
おのずと人間としてのパワーみたいなものが
高まっていくのがそういうベンチャーで働くということなんじゃないかなと思っています。
さっき言ったようにシステムを俯瞰して、
システムさえも器用に操れる優秀な人に限っては、
システムが張り巡らされているところで活躍できると思うんですけれども、
そういう人は本当数%のエリートというか、
学歴エリートとかじゃなくて、
能力としての本気のエリートでしかないと思うので、
自分はそういう人間だという自信がある人はそうすればいいけれども、
そうでない大多数の人はですね、
意外と小さなところで働くというか、
仕組みがないところで頭を使いながら脳トレですよ。
脳トレしながらお金をもらえるみたいなものですよ。
って感じで日々頭を使って会社を改善していくみたいな、
働き方というのが実はね、
人間らしくていいんじゃないかって最近は思っているんです。
ところがこのルールがないカオスな状況で働いていると、
なんかこれルール化した方がいいよねとかっていう感じで、
だんだんシステム化されていくんですよね。
いわゆる無秩序から秩序の方向に向かっていくんですよ。
という感じで結局成功したのが大企業というか、
最初は多分大企業も大ではなくて無秩序から始まって、
だんだん秩序に向かった結果が今のガチガチのシステムということであって、
ガチガチのシステムになると今度そこからまたカオスに向かっていくっていう感じで、
まさに今の時代っていうのは大企業とかなんとかっていう、
なんなら資本主義かとかっていろんなものが無秩序から秩序に向かった結果、
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もう飽和しているというか、これ以上もうないよねと、
このシステムだともう限界だよねっていうのを迎えているという状況だと思うので、
新しいカオスの中で新しい価値を作っていくっていう時代なんだろうなっていうことはすごく思うので、
あんまりシステムに、
数日前にもシステムの外側から見てみるみたいな話はしましたけども、
そんな感じであんまりシステムに飲み込まれて、
システムに埋没して歯車になって、
どんどん人間として考える力を失っていくっていう生き方ではなくて、
今そのシステムがね、限界を迎えているからこそ、
そういう生き方はとても危険だと思いますので、
システムの外側から見てみて、
システムを作る、作る、
作ることはいいともわからないけども、
システムがないところで人間らしく、人間のパワーを使ってね、
なんかこう、生きてるって感じられるみたいな、
そういう生き方をですね、少なからずしていくってことがね、
とても大事なんじゃないかなと思います。
いきなり仕事辞めろとは思わないけども、
副業でもいいし、趣味でもいいけども、
そうやってシステムに飲み込まれないとする自分というか、
自由であろうとする自分の活動みたいなのを担保しておかないと、
どんどん人間として劣化していくんじゃないかっていうのが、
僕の危惧しているところというか、思っているところでございます。
システムと人間の関係っていうのは、
探求するに十分値する闇の深いものだなというふうに、
思っているところでございます。
皆さんシステムについてですね、
もっと自覚的になった方がいいんじゃないかと、
今日この頃でございます。
本日は以上でございます。またお会いしましょう。さよなら。
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