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2021-01-25 06:45

#256 いつもと違う自分になる

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イレギュラーの経験を重ねてこそ視点が増え、人は寛容になるのだろう。「そういうのもあるよね」と。逆に言えば、レギュラーな経験に埋め尽くされて生きていると、イレギュラーが「間違い」「野蛮」「異端」という感覚になってしまうのかもしれない。/サイコパスのラジオは、サイコパスうえみずゆうきがサイコパスな視点で語るラジオです。斜め上の視点に触れたり、サイコパスについての理解を深めるきっかけとなることを目的としています。うえみずゆうきが、ほぼ毎日更新中のnoteマガジン【脳内議事録】もぜひご購読ください! https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5 マガジン購読者限定の特典として「サイコパスの裏ラジオ(音声)」を毎月プレゼント!

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、いつもと違う自分になる、というお話をしたいと思っています。 いつもと違う自分、わかりやすいところでいくとですね、まあ風邪をひくとか
怪我をするってなると、いつもの風邪をひいてない時、怪我をしてない時に見ているいろんなものと、ちょっと見え方が違うと。風邪をひいたとたんね、なんか周りの人に急に感謝し始めるとかね。
ありますよね。今まで自分は、いかに不節制をしてきたかとか、みたいなことで、日頃の生活に対する見方が急に変わったりとか、
という感じで、体調崩すだけで全然見え方が変わるみたいな感じ。とか、あとはその外国に引っ越すとか、わかんないけど、あとは付き合う人が変わるとかって感じで、
そういう環境が大きく変わることでも、見え方が変わるというのはあるのかなというふうに思います。 で、先日ですね、僕がコップを洗ってた時にですね、コップが欠けていることに気づかなくて、手をね、切ってしまいました。
具体的にはですね、薬指の、あ、薬指じゃない、小指の内側ですね、薬指と接している面をですね、結構グサッといってしまって、
結構血がドバドバ出ちゃってですね、これヤバいのかなと思ったんですけど、まあね、その大人になってからですね、外で遊んだりしない、もう運動もしないからですね、
怪我もしないんですよね。血を見ることも少ないし、こんなドバドバ血が出るなんてことは想像もないから、これ結構ヤバいのかなと思って、インターネットで調べてみたら、
まあ骨が見えてなかったら一生、みたいなことが書かれてあって、まあよく洗って、心臓より高い位置に手を置いて、で、30分ぐらいしたら血が止まって、
で、まあ、絆創膏を貼ってください、みたいに書かれてあったんで、その通りにしました。実際ね、めちゃくちゃ血出てたんですけども、ほんと30分とか1時間すると、
血が固まって止まってっていう感じで、人間ってすごいなぁと思いながら、で、まあ、絆創膏を貼ってっていう感じで、まあ、なんとか大丈夫でしたと。
ただね、仕事中だったんですよ。なので、そのまま仕事をしなきゃいけない、どうしようと思って、で、パソコンの前に座るわけですけども、
小指の内側切ってるんで、パソコンでこうなんだろうな、キーボードをタイピングしようとすると、小指が開きますよね、傷口が開くんですよ。だから痛いし、血出るし、できないと。
これどうしたもんかなと思ってですね、まあしょうがないので、スマホでね、メールを返信したりとかっていうことで、スマホでできることは一通り終わらせて、
まあそれでもね、パソコンでどうしてもやらないといけないことがあったんで、で、パソコンの前に座ってやるんだけども、
指開けないから、このチョップですよね、えーと、5つの指をこうくっつけてこう、チョップでね、チョップの形でね、パソコンを触るっていうよくわからない状態で頑張ったんですけど、
まあそんな感じで、パソコンをそんな状態で触るなんて人生でね、また経験もないし、そう考えたこともなかったって感じで、面白い体験ができました。
で、なんていうのかな、そうやって普段の自分じゃない体験に、まあ要は自分じゃない自分になってみるっていうことは、
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とてもね、自分を再認識する上で重要なことなのかなというふうに思ったんですね。
で、しかもその自分じゃない自分になろうと思うときに、意識して自分じゃない自分になることって結構難しいんですよね。
まあ行かないところ、普段行かないところに意識的に行くとか、普段見ないものを意識的に見るぐらいはね、できるかなとは思うんですけども、
まあ例えば、ちょっと普段慣れない自分になってみたいから、ちょっと指を切ってみようとはならないわけじゃないですか。
だからちょっと自分の頭で考えている時点で、自分じゃない自分になるっていうのが結構難しいんだけど、要はイレギュラーの中で、
自分じゃない自分を見るというか、普段見ない自分を見れると思うんですね。
普段経験できない自分を経験することによって、まあ物の見え方が変わるというか、まあそういうのもあるんだねっていうことを知れると。
自分のパターンじゃないパターンを知れるねっていうことなんですよね。
で、なんかそういうイレギュラーの体験を積み重ね続けることによって、
そういうのもあるね、そういうのもあるねっていう感じで、いろんなものを認めていける認識というのは作られていくんじゃないかなというのが僕の考え方ですね。
多くの社会人というのは、どんどんレギュラーの体験が増えてくるんじゃないかなと思っているんですよね。
小さい頃ってことで、生きてるってことがまず、なんで自分はここにいるんだとか、これ誰だろう、親かとか、兄弟ってなんだろうとかということで、
すべてが新しい、すべてがイレギュラーで生きていたわけですけども、どんどん社会人になって経験を重ねていく中で、
イレギュラーな体験が入ってくる、レギュラーが増えてきますよね。よほどチャレンジし続けている人じゃない限り、レギュラー体験の方が増え続けるんですよね。
イレギュラーであっても、例えば初対面の人に会うみたいなことも、その人と会うのは初対面なんだけども、
今まであった膨大な何千人何万人って人のデータベースから考えると、このパターンだねって感じで、パターンに当てはまったりだとかして、
完全にその人と出会うことも新しい体験にもならなかったりとか、見たこともないタイプの人に出会うってことも難しくなってきますよね、年を重ねれば重ねるほど。
っていう感じで、どこかパターン化されてしまって、どこかレギュラー化されてしまうということで、イレギュラーの経験がどんどん減ってくると思うんですよ。
それでも頑張ってイレギュラーを作っていくとか、イレギュラーが起こりやすい生活をしていかないと、レギュラーで固まってしまった瞬間、
イレギュラーなものが間違ったものとか、野蛮なものとか、異端であるとかっていう感じで許せなくなってしまうと思うんですよね。
だんだんレギュラーで世界が成り立ってしまっているから、生活が全て成り立ってしまった瞬間、イレギュラーっていうのがこの世界の外側であるものであって、
とても怖いもので、悪しきものであるみたいな、ちょっと錯覚を起こすこともあるんじゃないかなと思ったりするので、イレギュラーがむしろ主流だよということを、
自分の心の中で持てれば、いろんな人をもっと認めていけるんじゃないかなというのが僕は思うところでございます。
なので、積極的にケガをしていきましょうみたいな話ではなくて、積極的に普段やらないことをやるというか、新しい自分を発見するためのイレギュラーな体験を、
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どう生活の中で起こりやすくしていくか。イレギュラーをやろうと思っても意識的にイレギュラーをやることは結構難しいので、イレギュラーが起こりやすい環境にどう身を置くかということは、
とても大事なことなんじゃないかなってケガをして思った次第でございます。皆さんもですね、レギュラーに閉じてしまうと、イレギュラーを認めづらくなると思いますので、
イレギュラーな経験を生活の中でどうデザインしていくかということをですね、ちょっと考えてみていただけるといいんじゃないかなというふうに思います。
本日は以上でございます。またお会いしましょう。さよなら。
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