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2022-01-13 08:45

#426 自分を含め世の中の全員をすごいと思うか、それとも全員をすごくないと思うか

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自分を含め、世の中の全員をすごいと思うか、世の中の全員をすごくないと思うか。どちらでもよいけど、どちらかの目で世の中を見ると大変気楽に生きられます。というか、このような目で見ていないのだとすれば、他者のことを優劣で見ていることになるのではないでしょうか。


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・1/19(水) 輪 十六周目(Clubhouse) 


脳内議事録】 noteマガジン、認識の解像度を上げるための思索の旅の記録です。エッセイ、音声、音楽などさまざまな表現方法で頭の中を晒します。サイコパスのラジオ、前シーズン以前のエピソードもすべてここでお聴きいただけます。


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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、自分を含め世の中の全員をすこいと思うか、それとも全員すこくないと思うか、というお話をしたいと思っています。
本題に入る前にお知らせをさせてください。 1月19日水曜日夜10時からクラブハウスにてリンというルームを開催します。
秘密結社サブという、秘密結社を運営しているんですけれども、事故を再定義することを目的とした秘密結社を運営しているんですけれども、その秘密結社のおしゃべりする部屋ということで、
別にその秘密結社の人しか入れないということではなくて、誰でも参加できるお部屋です。毎回テーマはその場で決まるんですけれども、結構深い話をしていくような場になっていますので、
日常会話が退屈だという人はぜひ来てほしいですね。何か語り合いたいという方はぜひ遊びに来ていただけると嬉しいです。概要欄の方にリンク貼っておきますので、よかったら1月19日水曜日夜10時クラブハウスでお会いできたらと思います。
というわけで本題に入りたいんですけれども、自分を含め世の中の全員をすごいと思うか、それとも全員すごくないと思うか、という話なんですけれども、
そういうものの見方が大事なんじゃないかと僕は思っているという結論なんですけれども、何でそんなことを思うかというと、
世の中の誰かがすごくて誰かがすごくないと思っている人が結構多いなと。
どういうことかというと、上か下かということをすごく意識して人と接している人がいるなと思うんですね。
優劣みたいなね。優劣がない、みんな平等だなんてことは僕は言うつもりはさらさらなくて、
例えば50m走った時にどっちが速いか、僕とあなたどっちが速いか、僕の方が速かったとしたら、僕の方が足が速い、優ですよね。
負けたあなたは劣なわけですね。50m走の足の速さという意味では。
ただ50m走が速かった僕が人間的にあなたよりも優れているかというとそんなことはないということなんですけれども、
この辺が何が言いたいかというと、ある限定的な場面においては優劣というのはあると。
50m走どちらが速いかという場合においてどっちが優でどっちが劣かってことは分かるんだけれども、
そういう条件を変えれば優劣なんてものは変わってしまうよねっていうことなんですよね。
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それは僕がそう思うということではなくて、事実そうですよねということをここでは言っております。
いくつかを比較するのにもう少し分かりやすい例を出すとすると、学校のテストなんかがそうかなと思うんですよね。
国語のテストで100点取って数学のテストで20点取った人がいると。
その人がAさんだとしたときにBさんは国語のテストで20点を取って数学のテストで100点を取りました。
どっちが頭いいんですかって言ったときに国語においてはAさんの方ができているし、数学においてはBさんの方ができているということですよね。
ここに国語20点数学20点でも面白さ100点の人がいたときに、確かに学業という意味ではAさんにもBさんにも負けているけれども
今言った人がCさんだとすると、Cさんは学業では確かに点数的にはるかにAさんBさんには劣るんだけれども
面白さ、この人面白いなみたいなところではAさんBさんを圧倒しているということがあると。
このAさんBさんCさんを並べたときに誰が人間として優れているのかみたいなものは分からないですよね。
分からないというかないというかね場面によるとしか言えないんですよね。
面白い方がいいよねっていう場面のときにはCさんが最も優れているし国語力が問われるのであればAさんが優れているし
ちょっと今これ計算してほしいというときにはBさんの方が優れてますよね。
場面によって誰が輝くかってことが変わってくるのであれば
場面に多様性があることによって人に優劣なんてものはなくなるよねっていうことなんですよね。
ところがこの社会っていうのはかなり合理化が進んでいるというか
システムとしては合理化が進んでいて評価軸みたいなものがかなり限定されていると。
4万7千通りの評価軸で評価したと思ったらとてもじゃないけど評価できないから
もう5つの評価軸で評価しますみたいな感じでだいぶ添い落として評価すると。
だからその5つの評価軸に当てはまらないと評価されないと。
例えば国語で20点を取ったBさんっていう人は
例えば漢字は満点取ってるかもしれないですよね。
漢字書くところで20点まるまる取ってるけど文章代全部間違ってるみたいな感じで
漢字を知っているという意味では彼はめちゃめちゃ優れているかもしれないんだけども
読解力がないとか文章がよくわからないとかっていう話になっちゃうとかすると
まあ難しいよねってところで評価軸を細かくしていくと
また輝く人と輝かない人が出てくるということで
軸作ってしまえば自分輝けるよみたいな話でもあるし
軸変えてしまえば輝いてる人を全く輝かないようにもできるよっていう
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そういう話でもあるんですけれども僕が言いたいことは
優劣で見るのやめようよっていうことなんですよね。
そのためにも全員すごくない大したことないっていう風に思うのを僕は結構進めてるんだけど
それだとちょっとなんか批判的で嫌なやつだからちょっと嫌だなって思う人もいると思うので
全員すごいと思う見方もあるよねということを
どっちも提案してるって感じですね。
全員すごいと思ってもいいし全員すごくないと思ってもいいよねってことです。
だから数学100点取ってBさんすごいねって言って崇拝する必要はなくて
でも国語できてないし面白くないじゃんっていうことなんですよね。
Aさんに関しては国語100点か知らんけども全然計算できてないし
全然面白くないじゃんってことなんですよ。
Cさんね面白いかもしれないけども国語も数学もできてないよねってことなんで
いわゆるすごくないと思えばすごくないという見方もできるし
逆にね国語100点取ってすごいな国語できるってすごいよと
数学できるってすごいよ面白いってすごいよっていう風に見ればみんなすごく見えると
だから結局自分が見たいようにしかものを見てないんだよなってことでもあるわけですね。
AさんとBさんとCさん誰が優れていますかみたいなことは
ある条件下においてしか機能しないっていうことを自覚しないと
人間的に優れている人間的にすごいみたいなものの見方をしている人が結構世の中に多くて
僕は結構その辺にげんなりするというか
誰もすごくないし誰もすごいですよ
それをね改めて気合の話ではなくてすごくロジカルの話ですね
評価軸の話ですねとか条件の話ですね
条件変われば誰かすごく変わるし評価軸変えれば誰かすごく変わっちゃうので
そんな恣意的にねじ曲げられるようなものにですね左右されて
あの人はすごいこの人はすごくないみたいな盲目的な人の見方をするのは
とても馬鹿げているしそしてとても危険であるということを
僕は言いたいなと思っています
言いたいことは大体言ったんですけども
もう一つ例題を出したかったんですがちょっと時間の都合上ですね
それをしゃべると尺超えそうなので
次回にちょっと繰り越してですね
今日と全く同じ話を次回またしようと思います
本日は以上ですまたお会いしましょう
さよなら
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