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【19-2】料理ができなさすぎて履修した授業で雷に打たれた五十嵐可菜。「モノを作り出して人の心に残ろうとするが、料理は消えることによって人の心に残る」。【料理人_Guest:五十嵐可菜(中華可菜飯店)】
2026-09-08 28:14

【19-2】料理ができなさすぎて履修した授業で雷に打たれた五十嵐可菜。「モノを作り出して人の心に残ろうとするが、料理は消えることによって人の心に残る」。【料理人_Guest:五十嵐可菜(中華可菜飯店)】

■中華料理
健全でヘルシーな中華料理「中華可菜飯店」(東京/永福町)のオーナーシェフの料理とその周辺の話。“健全”は作る自分にも向けられた言葉。
“芸大ラジオmymy”は京都芸術大学の開学50th(2027)を記念して始まった、芸術・デザインをひもとくラジオです。

関連URL
五十嵐可菜
https://www.instagram.com/kanaigarashi_/
京都芸術大学空間演出デザイン学科
https://www.kyoto-art.ac.jp/department/spatial/
オレンジデイズ
https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d1165/ TBSチャンネル
いろは出版株式会社
https://hello-iroha.com/
棚橋俊夫
https://www.zecoow.com/

木崎公隆(Yotta)

https://yotta-web.com/

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サマリー

本エピソードでは、中華料理店「中華可菜飯店」のオーナーシェフである五十嵐可菜さんをゲストに迎え、彼女が芸術大学から料理の世界に進むまでの道のりを辿ります。北海道出身で農業を営む家庭で育った五十嵐さんは、ファッションを志して京都芸術大学に入学しますが、そこで食の起源を学ぶ授業に衝撃を受け、料理人になることを決意します。料理は「消えることによって人の心に残る儚い芸術」という言葉に感銘を受け、卒業後は厳しい修行を経て、コロナ禍という困難な状況下で自身の店をオープンさせました。彼女の情熱と、困難を乗り越えてきた強さが語られます。

五十嵐可菜さんの生い立ちと芸術大学への進学
こんにちは。芸大ラジオまいまいです。改めまして、七葉です。よろしくお願いします。 そして、デザイナーの坂井先生です。
はい、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
前回に引き続き、料理人の五十嵐さんをゲストにお招きしてお届けします。
前回は、中華可菜飯店についてお店の魅力やこだわりについてお聞きしました。
口頭で料理を作っていただくっていう、なかなか聞いたことない。
はい、僕のね、天才的な発明。
休憩中には、えがちゃんがこんなこと喋って面白いんかなと思いながら喋ってたことが発覚して、いやいや、面白いだろう。
面白かったです。
今回第2話では、京都芸術大学の空間演出デザイン学科に進んで、そこからどう中華料理の道に進まれたのか。
お店をオープンするまでのお話をたっぷり伺っていこうと思います。
五十嵐さんは北海道の阿波市出身だそうですね。
はい。
自家が農業されているんですかね。
はい、そうです。
両親は脱サラして農業を始めて、阿波市で始めたので、そこで私も小さい時から育って、
野菜とかはだいたい作ったもの、自分たちで作ったものを食べながら、近くに漁師さんがいたりとかするので、
小餅の鮭と夏野菜を交換したりとかして、鮭のお腹からイクラを出して、それを家でイクラの醤油漬けにしたりして食べてます。
いいなあ。やってみたいんですけど。
俺今思い出したけどさ、えがちゃんが流氷に乗ってる写真持ってるわ今も。
めちゃくちゃ前じゃないですか。
それはもちろん学生の頃か、なんかあれですけど、阿波市って流氷がね、冬になったら今も来るのかどうかわかりませんけど。
いや、今温暖化で、前は流氷が来たらずっと2週間ぐらい氷があってっていうのが普通だったんですけど、今すぐに流れていっちゃうんですよ。
1日とかでなくなっちゃうんです。
ロシアの方に。
ポタルより短いね。
めちゃ短い。ポタルより短い。だから、前は2月のこの辺りに行ったら流氷が見れるっていう風にわかるぐらいだったんですけど、今はラッキーって感じです。流氷見れたら。
見れたら。
その流氷に乗ってるえがちゃん。
いいですね。
なんか突っ立ってるみたいな。
本当はダメなんですよ、でも。危ないから。
そうだよね。
家が本当に海の横というか海が見えるぐらいのとこなんで、みんな流氷に乗ったりして遊んではいたけど、本当はダメなんです。
ワイルドな少女だったと思います。
芸術大学での学びと料理への目覚め
そこからなぜ京都の芸術大学の空間演出デザイン学科に行ったんですか?
もともとはファッションをやりたくて、東京の文化服装学院っていうところにずっと入りたかったんですけど、
見学に行ったときに文化服装学院がビルだったんですよ。
私はそのときオレンジデイズっていうドラマを好きで見てたんですけど、男女が3人ずつでキャンパスライフを楽しむ。
柴崎幸とつまぶきくんのドラマなんですけど、それを見てたせいで大学というか専門学校とか大学ってキャンパスライフだってかなり思い込んじゃってて、
ビルじゃなくてキャンパスじゃないとってそこでまずなって、それでファッション化がある大学を探し始めたんです。
そのときに京都造形があってパンフレットを取り寄せたらそのパンフレットにすごい感銘を受けて入学したいなって思ったのがきっかけなんですけど、
じゃあなんでファッションじゃなくてっていう風になったときにギリギリで迷って、もうちょっと広く学べそうな学科に行った方がやりたいことが探せるんじゃないかと思って、
ギリギリで空間演出デザイン学科のファッションコースじゃなくて空間デザインコースにしたっていう感じでした。
えかちゃんその感銘を受けたパンフレットっていうのは俺が作ったやつ?
はい、そうです。
それを言うよ。違うんかなと思っちゃった。
そうです。
はい、ありがとう。
これが坂井先生が作ってた、ウェルカムトゥアウアホームタウンっていうパンフレットで、
もういいよそれだけで。説明しなくていいよ別に。
ちょっとドヤ顔してました。
してたわ。いいよ。
空間演出デザイン学科って具体的にどういうことを学ぶ学科ですか?先生。
今とえかちゃんがいた時代はもう全然違う。
全然違いますか?
全然違う。
あの頃は椿先生が学科長だったし、その後大永先生が戻ってきてみたいなことで、
多種多様な学生が何したらいいかわからない。
空手の学生って空手って何を勉強してんの?って言われると一番困るんじゃないかなっていうぐらい本当にいろんなことをやってたんで。
だからえかちゃんみたいな人とか、以前に来てくれたビールの大村さんとか、
ああいう人たちが今活躍してるってことなのかなと思うんですけど。
入学した当初はどういう進路を考えていたんですか?
あんまり決まってはなかったけど、そのさかい先生がデザイン部の部長を務めてたいろは出版っていうところにインターンとして出入りしてたんですけど、
その時はグラフィックデザイナーになりたいかもって思いながら行ってました、一応。
えかちゃんがグラフィックデザイナー?
そんなこと言ってた?
いや、言ってはなかったです。
心の中では?
心の中で。
デザイナーになりたいな。
恥ずかしくて言ってなかったです。
当時は京都に住まわれていましたか?
そうですね。
料理の道に進もうって決めたきっかけは何だったんですか?
京都造形の食芸プログラムっていう選択性の授業があって、
棚橋敏夫さんっていう精進料理をやられてる方が講師として来てくれて、その方のお料理を食べたり一緒に手伝ったりしながら、食の起源を学ぶっていう授業を受けて料理人になりたいなと思いました。
なんで?どういうところが惹かれたの?
そもそも料理ができなさすぎて、その料理の授業を取ってたんですよ。
家では美味しいものが出てくるのが当たり前で、そのあばしりの実家では。
いざ自分でやるとなったらすぐにできるって。
美味しいものは簡単に作れるんだって思ってたら、一人暮らしになった途端に全然できなくて。
で、それが困ってその授業を取ってたんですけど、思ってた授業とも少し違くて、家庭科みたいに色々料理を作らせてもらえるのかなと思ったら、その棚橋先生が、
例えばお米の起源とか、正しいスーパーの選び方とか、実際にスーパーに色々行ってどういう風に食材を選ぶかとか、お酢はどこから来たのかとか、
そういう料理を作る以前のものの学ぶ授業だったっていうので、まずそこがきっかけで興味持ったんですけど、その座学の授業の中で棚橋先生が、
君たち、私たちの学生さんは、物を作って作り出して人の心に残ろうとすると思うんですけど、料理っていうのは消えることによって人の心に残る一番儚い芸術なんですよっていうお話をされて、
その時にまた、私の雷が落ちたような衝撃に撃たれて、かっこいいみたいな料理になりたいってなって、でした。
めっちゃいい授業ですね。
そうなの?今、永賀ちゃんから聞くと。
めっちゃいい授業。
めっちゃいい授業だね。
ほんと素晴らしい。
ありますか、そういう授業は。今はありますか。
ないないない。ないんですけど、その授業を受けたから、めっちゃ素晴らしい授業だと思うけど、それの影響を受けた人がこの世にいるんだ。永賀ちゃんのようにね。
確かにいるんだけど、なかなか見えてこないやん。大学からは。だって、芸術大学がなぜ料理の授業をするか。今はね、どっちか。食文化がデザインだとか、アートだって言っても、何言ってんのっていう人はあんまいないかもしれないけど、
たぶん永賀ちゃんのその時代は、もっと遠かったと思う。デザインと食っていうのは。完全に分かれてたような時代に、そういうことを提供してたうちの大学偉いなと。
いや、それは本当に私もそう思います。しかもその時に、雷に撃たれて、料理やりたいって思ったけど、本当にこれっていいのかなっていう気持ち。
今、坂井先生が言ったように、料理とアートが遠いと思われてて、自分も遠いと思ってて、だから恐る恐るみんなに相談した感じだったんですよね。坂井先生をはじめ、空手の先生にも相談したら、結構否定されると思ったら、みんなめちゃくちゃ応援してくれたっていうのが、結構大きなことで、私の中で。
坂井先生も、もう絶対やった方がいいって言ってくれたの、すごい覚えてるし、否定されると思ってたから、なおさら覚えてるんですけど、空手の木崎先生にも確か相談して、恐る恐る相談したら、
一食十で、今、一と十は芸大で教えてるけど、食だけは教えていなくて、だから、もっともっと食に興味を持つ人は出てきていいはずだし、頑張ってって言ってくれて、結構それで後押しされたっていうのはありました。
それでさ、えがちゃんって、やっぱりすごい素直やし、嘘がないし、まっすぐなんですよ。で、えがちゃんその中、俺は覚えてないけど、授業で感動したっていう話をすごいしてきて、
料理への情熱と周囲の応援
ほんまに自分も何言ってんねんじゃなくて、すごいよく同意できるような内容やったんで、やっぱりデザインってやってから相手に届くまでに結構時間かかるし、
例えば前々やったら作り始めてから1年半後ぐらいにやっと読んでほしい人に届くんやけど、料理って作ったらそのすぐ相手が食べて、美味しいなのか忘れられないなのか、とにかく感情を揺さぶることができるよねみたいな話もたぶんえがちゃんはしてくれたような気がするんだけど、
それをね、俺は自分も同意できるから、みんなの前で喋ったのよ。料理はねっつって、えがちゃんから聞いた話を。そんならえがちゃんがそれにめっちゃ怒って。
え?本当に? 本当本当。これが俺はすごく面白かったんだよ。なんか俺としては何の悪気もなく、別に先生の俺がパクったみたいな気持ちはなくて、料理ってデザインだよねっていう話をしたら、えがちゃんがめっちゃ怒って。
話し終わった後にテカテカテカって来て、先生あれはあの話じゃないですか?なんでそれを喋るんですか?みたいな。確か泣いてたのよ。すぐ泣くからえがちゃん感情的になったの。
覚えてない。 号泣すぐするからね。俺はそれすげえ覚えてて、なんでこんなことで俺は怒られなかったのかな?俺はむしろいいと思って言ったんやけど、なんかすげええがちゃん怒ってるし、これをいちいちまたいやこれはパクリじゃないんだみたいなことを解説するのもなんかもうバカバカしくなってきて、もういいえがちゃんもういいわみたいな感じになったことをすっごい覚えてるのよ。
なんで怒ったんだろう? えがちゃんって面白いなってその時も思ったんですよね。覚えてないんですね。
それ言って、覚えてないですね。なんで怒ったんだろうっていうのを今聞いてて自分に対して思いました。
いやなんかその時はたぶんそのパクるみたいなことに怒ってたのかな?たぶんね。わからん。なんかとにかくすごい感情的になった。
基本的に感情的だったんで、学生の時私なんか。
今は違うの?
いや、今も忘れないようにはしようとは思ってるけど、その学生の時よりかはやっぱり落ち着いてる。落ち着いてる気がする。
だけどその、やっぱり不動産にもう一回行くみたいなところは落ち着いてるとは言いがたいけどね。大人とは言いがたいからね。
大人にならないようにしたいなって思うから、なんか大人になりすぎないようにしたいなと思うから。
そうだね、俺たち油断したらさ、本当に大人になっちゃうから。
はい、本当に。
もう絶対油断したらダメなんだよね。
今こう思ってるけど、この場を収めるために言わない方がいいなみたいなのって、やっぱ仕事してるといろんな場面であったりするけど、
そういうのを場はわきまえつつ、ちゃんと言うべきことは言ったり、感情的になりたいって思った時はならないとっていうのは、確かに大人にならないようにしようと思ってます。
かっこいい。
かっこいいですね。結構響きました。
中華料理店での修行とキャリア
大学を卒業した後の修行の話を聞きたいね。
それはもうひどかったですよ、やっぱり。
ひどかったですよ。
えのちゃん、すげえ大変そうだったなと思う。
1年ぐらいは、もう本当1年間勤めたところで、たぶん一生分怒られたかもしれないぐらい怒られてました。
打たれずよ。
それ中華ですか?
中華です。
限界がきて1年でやめたけど、打たれずよいんですかね。
私の中ではその時よく3年は店に行ったほうがいいとか、結構周りの料理人の先輩とか言ってたんで、1年でなんかギブアップしちゃったっていうイメージであったんですけど、
まあでもとにかく怒られてしかなかったですね。
何に怒られるの?その切り方があかんとか?
そうですね、あと皿を割るとか、遅いとか、準備ができてないとか、細かいこと。
怒られ尽くして、1年でやめた後は何を?
1年でやめた後は別の中華料理屋に入りました。
3年半ぐらいいたんですけど、その時は店舗が何個かあるところだったんで、その店舗をいろいろ回って、3店舗とか回って、その後に勤めてたところをやめた後は、
中華料理屋じゃなくて、デザインを母体で会社でやってるところが手掛けてるケータリング事業の料理長になって、コロナが始まるまで。
何年ぐらい?
3年弱ぐらいですかね。その間間でちょっと仕事を探すのに半年ぐらい空いてた時期とかがあって、それでコロナになってそこが事業を畳むっていう風になったんで、やめてその後中華かな反転をオープンっていう流れになります。
修行で学んだことは?修行っていうつもりで言ってたの?それは。
言いましたね。修行で学んだこと。
結構10年ぐらい修行してた?
ケータリングの時に関しては料理長だったんで、修行っていう感じでもなく。
そうか、自分の作りたいというか。
そうですね。あといろんなコーディネートっていうか、私だけではなかったけど、料理を提案して、空間も提案して、テーブル全体をコーディネートするみたいな仕事をちょっとしてたので、修行っていうと5年、6年とか。
修行ではやっぱ、何ですかね、無駄なことが最終的に自分の力になってくるみたいな、毎日毎日本当に同じ作業を繰り返してて、ネギを何十本も切ったりとか、肉を大量に仕込んだりとか、
でも、それってずっとルーティーンでつまんねえなと思ってやってたんですけど、でも実際は、例えばその日の気候とか、いろんな要素で少しずつ変わってくる部分があるけど、
それをルーティーンとせずに、自分でいかに作業に単純作業にせずに、いちいち考えながらやる大切さみたいなのは、たぶん修行をちゃんとしたから良かったなと思ってます。
そしてこのデザイン会社に転職されて、土日は個人の活動として中華かなのポップアップなどを開催されていたんですか。
独立への道のりとコロナ禍での開店
そうですね。自分でやりたいという気持ちと、まだまだ技術が追いついていないという気持ちが両方あったから、それをやりながら勤めていたような気がします。
中華かな飯店の元になるこの中華かなっていう名義っていうんですかね。それができたのがこの転職の後っていう感じなんですかね。
そうですね。つかはこの修行というものが辛すぎて、でも料理は絶対にやりたい。でもずっとこの辛い修行を続けたら、料理が嫌いになっちゃうかもしれないっていうぐらい辛くて、なんかいろんな要素が。
だからここから抜け出すための独立っていうので、自分ができることをしっかり身につけてやっていきたいという気持ちがもうまず最初からあって、ここじゃない場所に行きたいという気持ちでやってた。
そこからお店をオープンするまでって何年間くらいだったんですか。
そこからケータリングをやりながら。
やりながら3年ぐらいですかね。
でお店ができたっていう感じですか。
そうですね。
3年ぐらいの土日には自分のポップアップをどっかでイベントに参加したりとかってことをやってたってことね。
やってました。
その時に自分で考えたアユの春巻とかもその辺で登場してきてる。
登場してると思います。
でこれ結構いいぞって感じになってきて、お店を出そうって決めたんよ。
でも満を持してっていうよりかはコロナでクビになったっていうのがきっかけで。
それが終わっちゃったし。
それ終わっちゃって、今じゃなくてもとは両親とかからも言われたんですけど、
その時のコロナの時の飲食店ってやっぱり誰も人を雇う雰囲気じゃなかったり、むしろ断る。
一人で一旦やるっていう感じになってたので、なんか就職って結構難しいかもと思ってきて、
その時にいろんな人と話したけど、今結構どん底だから、今始めれば上がる以外はないから、始めてみてもいいんじゃないって言った人がいて、
じゃあそれだったら一回やってみようかなっていう気持ちになって物件を探し始めた感じでした。
すごい。その時何歳?
29歳。
すごいね。えがちゃんって背小さいんですよ、皆さん。
すげえちっちゃいんですよ。何センチ?
152センチとか。
ほらすごい小さい、そんな29歳がコロナ禍で自分の店を東京に。
身長関係ない。
関係ないけど、それ想像した方がいいってこと。
なんか堂々となんかしてるわけじゃなくて、なんかすごい人気のお店なんで、なんていうのかな、ポンポンポンといったかのように見えるかもしれないけど、こんな小さいのにすごいぞっていうことをね。
ありがとうございます。
開店当初の苦労と現在の心境
結構オーナーなのにアルバイトに見られることとか多くて、オーナーさんいますかってよく言われてました。始めた当初は。
今は言われない?
今は意外と言われないです。
じゃあえがちゃんやって思われてるんや。
ちょっと貫禄出てきたんですかね。
服はどんな服なの?エプロンしてるの?
エプロンしてます。
頭は?
頭はもうそのまま普通に何もせず。
帽子とかかぶらず。
帽子とかかぶらず、コックコートではなくてエプロンでやってます。
私150センチから151なんですよ。
あ、なるほど。
じゃあ同じくらいなんですね。
そうですね、結構希望を持ってます。
はい、オープンしましたね。
さてたくさんお伺いしたのですが、そろそろエンディングのお時間となりました。
今では中華貨物販店がオープンするまでの道のりを伺うことができました。
そうですね、えがちゃんのことは学生の頃よく知ってて、卒業してしばらくも知ってたけど、
ちょうどオープンする前あたりは全然知らなくてたぶん。
えがちゃんもたぶん連絡とかしてくれてなかったような気がするんですけど、
その辺のこととかも含めてなんかやっぱりちっちゃい体ですげえ頑張ってきたっていうことが感じられました。
はい、身長が近くて嬉しいっていう気持ちで全部飛んでしまったんですけど、
えがらしさんの打たれ強いとおっしゃってた、すごい滝、まっすぐに落ちてる滝っていう印象があって。
えがちゃん?
滝に打たれてたってこと?
違います。滝そのものっていうか。
えがちゃんが?そんなことない。えがちゃんちっちゃいから。
いやいやいやいやいや、そんなことないです。身長は関係ないです。
あんまりイメージがダッチしないです。
いやなんかこのまっすぐに落ちてる滝で、他の人がその滝にパンチしようとしてもそんな意図はないというか、
そういうなんか強さっていうのを感じて、なんかすごい勇気づけられる回だったかなって思います。
一生分ね、一年で一生分怒られてるからな。なかなかないよね、そんなことは。
次回の予告とエンディング
第3話では、2025年から始まった木の咲と東京の2拠点生活について詳しく伺っていこうと思います。
番組が面白かったという方はスポーティファイやアップルボットキャストなどお聞きのアプリでのフォロー・高評価をお願いします。
それではまた次回。日枯さんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
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