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毎度お疲れさんでございます。黙れ!ヤドロクでございますよ。
元気ですか?
いやー、元気やったええね。言うてね、また戻っておりますが、
元気な事ってね、大事ですわな。
自分が元気なくても、周りが元気やったらだんだん元気になってくる時もあるし、
そうでない時もあるしね、周りが元気すぎてなんかひいくわ、みたいな時もあるわな。
あるある、分かる。嫌な事もある。嫌な事1個でね、ぐっと落ち込んでしまう事もあるわなと思うけども、
まあね、相対的に見てこう、何やろね、7割ぐらい元気でおれるように、
半々がええんやろうけど、なかなか半々言うたら、ちょっと辛いの多いわな、言うてね。
まああの、適当な話しておりますけども、皆さんお元気ですか?というような事でね、
お元気ですか?って言うてましたね。
特に今日何話すってことはないんですけども、
自分という人間というのをね、ふと考えますわな、たまにね。
自分はどんな人間?自分は普通の人間やと思っとるんですよ。
大抵の方がね、思ってるんです。自分は普通や基準やと。
それはそうなんです。自分が基準なんですよ。当たり前にというような事なんですね。
まあそれは分かります。みんな自分が基準ですわ。
だから70億ぐらい地球に人間がおったら、みんな自分が普通や思ってるんですよ。
自分の基準ですから当たり前に。何遍も言ってますけども。
自分を自分たらしめることというのってね、
わずかな肉体の遺伝の中にあるものと、幼少の頃からの記憶というようなことなんですけども、
なんか考えたらね、自分のおじいさんおばあさんとか、親もそうですけどね、
どういう流れで自分という人間が生まれてきたというところを考えるわけです。
まず親を見ますわな。父親、ろくでなし。
いや自分が言うとあかんねん。いや僕が言うとあかんねん。
僕もろくでなしですから、当たり前に。父親もろくでなしなんですよ。
考えたらおじいさんもろくでなしなんですよ。ひいじいさんは違うんですよ。
という父方で言うとこうやって遡っていけるわけです。
父親がなぜろくでなしか言う説明はもう全然できへんし、
おじいさんがなんでろくでなしか言うのも全然できへん。配信に耐えられへん。
というようなことがございましてね。そんなことがございますわなと。
母方と見ますと、母親は末っ子ですね。
可愛がられて育った末っ子ですね。
そのおじいさんはというと、このおじいさんね、母方のおじいさん立派な方ですね。
半分の嫁妻のような方ですから。額があるわりにはちょっと荒っぽい。
口数が少ない方ですね。
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そこのおばあさんと言うんですかね。この子を言うとあかんね、おばあさんのことね。
この人もええとこの娘やったらしいんですよね。
だからあんまり何もできへんかったというような話を聞きますね。
いわゆる片付けもできへんかったというようなことを覚えておりますね。
全部押し入れに入れたって。押し入れ開けたら崩れて出てくるっていうようなおばあさんでしたね。
料理も下手くそやったって聞きますけど、確かにね。
あんまりおいしかったようなイメージはない。こんなん言うと怒られるな。
悪い人じゃないですよ、たぶんね。悪い人じゃないけども、
内孫と外孫を偉い比喩するわけで、比喩する方やったなって。
印象ないな、これね。そういう方やったなという記憶があるんですけど。
母方のおじいさんのお父さんや学者さんやったらしいですね。
それはなんとなく覚えてるんだよ。
おばあさん方のおばあさんおじいさんっていうのはあんまり聞いたことないですね。
父方の祖母ですね。この方がうちの父方を支えた屋台骨、ゴッドマザーとして。
僕も何度か前の番組でもお話しして、おばあさんがいてなかった僕は、
本当に人間としてもっと質の低い。今も低いんですよ、もちろんね。
低いんですけどもっと低い人間になってたやろうなというのがわかる。
この方が一番自分の人生にとって影響を与えた方やと思いますね。
何度かお話し出してもらってるんです。
おばあさんの話するとグッとこみ上げてくるものがあるので、なかなかお話しできないんですけども。
そのおばあさんの親っていうのはひどい親なんですね。
言うたら自分の娘、父親ですけど、自分の娘をドマの下でご飯食べさせような人ですから、
ろくでもないなと思うわけですね。
そのろくでもないおばあさんの父親をどずき回したのがひいおじいさんですからね。
まあ結局どずき回してるからろくでもないんでしょうけどね。
この方、父方のひいおじいさんはとても立派な方ですよ。
やっぱりお一族の中でも憧れの的と言うんですかね。
この人が中共の祖と言うんですかね。
なんか立派な方やなというふうに思います。
その分豪快やったりとか荒っぽいとこももちろんあるんです。
僕も少し記憶に残ってるおじいさんですけどね。
逸話もたくさん残ってる方でございます。伝説の方でございましてですね。
亡くなったおばあさんもこのおじいさんに拾われた方ですから、
拾って長男と結婚させたということに神様へというとありましたからね。
このひいおじいさんは豪快で荒っぽい分でも立派な部分も持ってはったというような方。
結婚間のおじいさんですわな。知事方のおじいさんですけど、
このさんもろくでなしでございます。仕事もしないというようなことで。
あんま変わらんなと思うんですけど、自分とね。
このおじいさんも家族を放り出して旅に出るような人ですから。
長男なんですけどね。旅に出て帰って、いろいろあるんですよ。
もうこれ以上言わない。これ以上言うんやったら違う番組で言わなきゃ。
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もう説明ができへんねん。だから一番面白いところをね。いろいろあるんです。
父親も三乱暴なんですよね。
幼少期にいろいろあったことが原因で暴力的になっている。
これはちょっと暴力的な家系ではあるんです。ある程度ね。
時代も時代ですよ。もちろん今とは違いますからね。
昭和、大正昭和というようなところを駆け抜けてきての、
1050年ぐらいに生まれてる人ですから、もうちょっと暴力の中で育ってる感じはあります。
土地的なものもあったんでしょうけども、暴力的な感じは感じますね。
コーヒーのドリップで言うたら一番コーヒー出るところですよね。
そこからしずくとしてポンと出たのが私ということですからね。
割合としてろくでなしが多いんですよね。
やっぱり遺伝情報というのはあるわけですよね。
ろくでなしが生まれるのは大概ね。
真面目な人間も生まれてますよ、もちろんね。
いっぱい他にもいてますから。
その割合で出てくるだけではないですけど、
その周りのいとこであったりとかね、兄弟であったりとか、
そんなんでは無茶苦茶ではないです。僕ほどではないですけども。
僕も濃いところもろたんかなというような感じであって。
そう考えますと、幼少期からどういうふうな影響を受けて、
どういうふうに育ったと考えたら、
このようになるのは仕方ないなというふうな部分はもちろんあるんですよ。
仕方ないなと諦めてはいけないんですよ。
どっかで誰かがこれを断ち切らなあかん。
それともそのままでいってもその下の台で、
あれはもう本当にあかんって言って、
違う方向に行ってくれなあかんわけですね。
本来ならおじいさんがろくでなしだったら、
息子はA方に行くと言ってもおかしなかったんですよ。
行かなかったんですよね。
その親父もおかしかったなら、
僕がこれはだめだって言って、違う方へというふうに。
僕的にはやったつもりなんですよ。ある程度。
ある程度やったけどやっぱり影響っていうのは大きいもんですね。
なかなかこの抜け出せん部分っていうのを持っとるんですよね。
やっぱりものの解釈。時代もあると思います。
生まれたのが昭和ですからね。
やっぱりその世相というものもありますけど。
あとは僕の子供と考えますとね、
これがね、やっぱりね、えらいもんで、
時代も変わったということもあるんですが、
長男もね、もう親父みたいになったらあかんよって、
もう家から離れるってポンと離れて結婚してね、
真面目に会社員になっておるわけですよ。
これが素晴らしいなと思うわけで、
よっしゃと、やっとここでやと。
三代続いたろくでなしが、
やっとここで途切れてくれたというふうになってるわけです。
次男もね、就職決まりましたし、
もうやっとここでね、
呪縛から解放されるんじゃなかろうかと。
ろくでなしの呪縛からね、解放されるかもしれん。
これはまあ誠にうちのザ・ボス奥型の家系の真面目な方多いんですよ。
家目というかね。
結構家目で真面目に仕事してある人がものすごく多い家系なので、
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それの血が入ってくれたことで、
遺伝的に真面目なのが出たんかなというのはありがたいなと思って。
本当にボスの弟さんとかも真面目やしね、
お父さんももう科目な方やしね、
もうずっと職人みたいなことやってあった人やし、
おじいさんも、
おじいさん、非おじいさんになるかな。
非おじいさんとかになると、
もう京都で鍛冶屋さんやってあったりとかね、
ちょっと鉄に関係する家系なんですよ。
ずっと遡っていっても。
その前は岐阜になりますから、
岐阜のもうちょうど刀鍛冶のあった里のほうでやったり、
それを遡ると熊本になるんですけどね。
そんなのがあって、結構鉄好き。
ボスもね、今のお仕事とは違いますけど、
前のお仕事は結構鉄関係の仕事に行きたがるというのがね、
面白いもんですな、遺伝中のはね。
今の長男も、
まったく鉄関係じゃないけど鉄をいらう仕事といえば、
鉄の設計やったりとか鉄を使う職場には行ってますからね。
次男は全然関係ないですけど、
それでいうと、ちょっと遺伝的なものはやっぱあるん、
面白いなというふうに思うわけでございます。
自分の質次というのを考えるときに、
遡っていって考えてみて。
近代でいいんですよ、2代3代のぼると。
自分を構成する要素っていうのは出てくるかもわからない。
もっと飛び抜けて違う線でのものが出てきてるもんもあるでしょうけども。
まあまあやっぱり影響を受けてますな。
仕方ないと諦める部分もあればね。
分かってダメだと違う方向へ進もうというふうな、
向き不向きは別としてというような考え方ももちろんありますし、
僕もここでちょっと、僕なんかは家と距離を置いてるんですよ、当たり前に。
そこの距離が近いからあかんのやということは分かったにしろ、
なかなかそれができへんかったのが、今この年にして、
ちょっとそこから離れてみたらやっぱり感覚変わってきてると思うんですよね。
好き嫌いじゃなくて、
いろんな状況を踏まえて距離を置くこととかね。
今なんていろんな言い方するじゃないですか。
親に対して毒親であったりとかね。
ネグレクトですか、面倒見な親とか、
いろんな社会問題として上がってきておりますけども、
やっぱ親は親ですから。
言うても絶対的によっぽどのことないと、
いやーというようなことはないかもわかりませんけどね。
やっぱり影響家というんですか。
多大なる影響を受けてしまうというようなことがあったら、
距離を置くというのは重要なことかもわかりませんね。
大事なことかもわかりません。
価値観の変化を指すには、環境を変えないでやっぱりね、
ダメなんやというようなことっていうのは、
なんとなくやっぱり自分も思いましたね。
距離を取ること、会わないことで、
自分なりに考えることがあったりとかしてっていうのがね。
吉原氏というよりは、それまでとは違う歩み方というのには、
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距離を取ることってあるんじゃないかと思うんですけども。
もちろん長男なんかも僕と距離を取ることで、
真面目に会社員ができてるということで、
よかったなと僕は思ってるし、
あんまりうちのザ・ボスなんかもかかわっていったらあかんというふうに、
直接的にかかわっていったらあかんというようなことはよく注意されますよ。
ボスもね、この人みたいな影響を受けたかって思うんでしょうね。
ため切れるわ。いやわかる。でもね、わかるね。
自分が親に対して距離を置いたことっていうのは、
もちろんこれは有効な手段だと思ったというのがあるので、
長男が自分と距離を置くっていうのも、
嫌いとかやりとりしてないってことはないんですよ、全然ね。
ないんですけど、物理的距離を置くことっていうのは、
意外に重要なことやねんなというふうに思います。
よく仕事の関係で遠くへ親と離れていくというのも、
ありやなと思うのはそこでしょうな。
娘さんがとつぐというのもそれ一つのことでしょうけど、
今の時代もあんまり家に入るとつぐというような考え方ではないにしろ、
親との距離感っていうのがどうかというようなことですね。
女性の方でも自分のご両親の近くに住むという方もおられますわな。
これがものすごくいいときありますやんか。
うらやましいと思うことあると言いましたもんね、うちのザ・ボスでさえ。
子供がちっちゃいときちょっと見てもらえるとか、
ちょっと助けてもらえる、教えてもらえる、
そばにおってなんかしてくれるというようなことは、
ちょっとで助かるというようなことがおったら、
もうべったりお世話になってる方もおられるのを見たら、
そういうふうに考え込むというようなこともあるわけでございますね。
だから自分にとって、いつまでも成長していかないから
人間は考える足であるというようなことは言葉としてありますが、
そういうので、自分という人間が本当に確立できるのかって、
ボスなんて本当になんとか自立しようというふうに
頑張ってる方やと思いません。
それともボスのご両親には大変お世話になってたりするんですよ。
うちの親には全然お世話になってないんですよ。
それで考えたら、やっぱり親御さんを大事にせなあかんなと思うところも、
もちろん持ってますね。
自分の親よりも、どっちか言うたら、
ボスの親を大事にせなあかんような気がします。
それはお世話になってることが身に染みてわかってるからですね。
やっぱり人間ってどんだけ世話になったかというのを
頭の中で考えたときに、
まあまあボスの親御さんのほうにお世話になってることが多いなというふうに
僕は判断を下してます。
それ家によるで。
みんな冷静に考えて、そこは気分的なもんじゃなくて、
全部ちゃんと物理的なもんも含めて、
全部割って考えたときにどっちにお世話になってるかというのは
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冷静に考えなきゃいけませんよ。
これは人間ですから、言葉だけじゃなくてね。
ええこと言ってもらっただけではダメなときがあります。
そういうのを考えながらっていうのは大事なことだと思います。
うちのボスなんてね、僕にさらわれて結婚してね、
自分の実家を頼ることができず子供を育てましたから、
それこそ物理的なことですよ。
例えば面倒を見てもらうとか、ちょっと扱ってもらうとかっていうのは
一切したことないんです、実は。
うちの親は同居してても一切預けたことないんです。
預からないんです、うちの親はね。見ないんですよ。
はっきり言いますけど、そういう人たちなので。
もちろんボスの親御さんは、たぶん預かってくれと頼めば
見てくれはったんやと思うんですけども、
自分がやっぱり反対をしきって家を飛び出てきてるというのがありますからね。
違う、僕にさらわれてるっていうのがありますからね。
それは頼まれへんという自分のプライドというんですかね。
そういうものがあったんやと思うんですけどね。
だからものすごく簡単に親に預けて食事に行ってる人らを見ると、
うーんと黙ってしまう、考え込んでしまう。
本来はそうあるべきだとはやっぱり息抜きしてね、
ストレスをなくすことは大事だと思うんですけど、
いとも簡単に預けてしょっちゅう出かけてるという人も中にいるじゃないですか。
そういう人を見ると、本当にボスはすごい機嫌悪かったんですよ。
いやわかるよ、気持ちはわかる。気持ちはわかるよ。わかるんだ。
わかるけどもね、彼女らの生き方だからと。
それはボスもよくわかっててね、別に怒って言うたりとかそういうのはないですよ。
ぐっと黙ってしまうぐらいのものね。
うらやましかったんやろうなという部分ももちろんあるんですけどね。
彼女の抱えてたストレスっていうのは多大なるものがあるなという。
今だってよく夫婦で話しますけども、
いや私はこう思ってた、あのときはこうやったというのはかわいそうになというふうに思います。
本当にそのとき、そのタイミングでわかってやれてたら、いろんなことが変わってますよ。
それは僕の今の扱いも全然変わってますよ。
彼女の僕の見る目がね、変わってるんだと思います。
でもね、男はアホやから、男じゃない、僕がアホやから、
今彼女が僕を見る目はこのクズ野郎という目で見られるわけではないですよね。
気を付けながらや、もう同年代の人ね。
若いときにね、一番しんどいときで元気やけどね、
お互い奥さんも若いから大丈夫やろうという高くとってあげないんで、
ほんまにね、今なんぼやってもね、お互いにも歳ってしんどくなってきてるから、
お互いにももうええわってなってるとこもあるでしょう。
でも若いときにストレスをぐっと持った恨みはよーく残ってますし、
これは気を付けなきゃいけない。ほんまにね、言うときますね。
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せやけどそんな事が煩わしいと言うて結婚とかな、
自分には幸せにできるやろうかとか、子供生まれたらお金かかるしな、
こんなんやったら育てられへんわ、言うて悩んでる方も大勢おると思います。もちろん。
せやけど、やっぱり子供で生きてみたらわかること、できへん方もおられますからね、
そういうご夫婦なんかは本当に羨ましい、言うてお話聞くこともやっぱりあったし、
なんとかその人らに子供できるようにというふうに本当に心から願ったこともあったし、
でもできへんかったらできへんで、もう全然全然ええやんかと、
何が残る、何をやれるということは一生懸命考えてあります。
二人で過ごしていく日常そのものが大事やというふうに一生懸命やってありますわ。
それは見てて美しいですわな。
子供できるだけが人生やないと思うし、結婚だけが人生やないと独身貴族でね、
まあ独身貴族という言葉もないんでしょうけど、
独身で一生懸命生きてある方ももちろんおられてそれが悪いとか、
そんなのは全然思いますね。思いませんわ、そこまではね。
せやけど、やっぱり子供できることの良さというのは、
育てるのにいくらかかるというようなお金のことね、大事なことだっせ。確かに。
せやけどね、やっぱり自分の息子が立派に成人して結婚してやってくれたら、
まあかわいいんだ。二十歳超えてますもちろんね。
その嫁さんもかわいいと思うんですよ、僕は。
結婚してくれたなという気持ちのほうがやっぱり強かったりします。
よかったよかった、何とか二人で楽しくやってくれと。
そう思ってるんやけど、僕が関わろうとするとあんたが関わったら楽しくならへんかなと。
言わんといて、そんな言わんといてと。でもよかったなと思いますよ。
次男もうまいこと言ってくれたらいいな。
三男ももちろんね、それぞれに幸せに暮らしてくれたらいいなというのがありますね。
できればお父ちゃんから離れるというようなことはあるんですけどね。
昨日一昨日ですけど、長男が働きに行くときに、
ちょうど僕らが引っ越しが重なったもんで長男と離れたでしょう。
三男がね、上野お兄ちゃんと離れて寂しいなって言ってポツンと言うんですよ。
それ聞いたら胸が痛いね、家族はみんな一緒に住みたいなと思って。
これは英語だっせえ、僕の。表回るなと思って寂しい。
確かに僕も寂しいんやと。もちろんたぶんボスも寂しいんですよ、なんだかんで。
でね、自分がお腹痛めて生んだ子ですから。
それまで離れて暮らすことも、どっかの寮に入ったこともないわけで、
突然18からポーンと終わらへん。やっぱり寂しいですね。
で、次男が働きだしたら、家から現状はまだわからないんですけど、
現状は家から通うからっていうので、
三男がね、就職次男が決まったということをわかってますから。
今朝なんですけど、三男がね、
兄ちゃん仕事行くんやったらおらへんなんのかっていうふうなことをポロッと言って、
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それやったら寂しいなってまた言うたんです。
俺もそれにやられてまうね。そんな言うなと。
いや、兄ちゃん家から通うかもしれんからな、
寂しいなのかどうかはまだわからんよって。
はっきり決まるまではないって。
でももしかしたら、どっか遠いとこ仕事するかもわからんけど、
たぶん家から通うと思うから大丈夫やでって言ったらちょっと安心した顔してたんですけど。
三男はね、上二人寝ない、かわいがられて育ったもんで、寂しいんでしょうね。
今でも上の兄ちゃんのこと、正月お盆とかね、
お休みあったら帰ってくるもんや、ちょっと帰ってきてたんですよ。
それもあったんで帰ってくるもんやと思ってね。
帰ってきたから言うてね、ずっと一緒におるわけないんですよ。
ないんやけどね、正月とか冬休み春休みの中でね、
お盆とかあったときに、兄ちゃん来えへんのかって電話に聞いて、
いやちょっと今回来えへんらしい、忙しらしいわって言ったら、
ああそうかって言うて、寂しいなというふうに言うんですよね。
それ聞いたら、お前来たれよと思うんです、上男に。
じゃけど上男は上男の事情があるわけですよ。
当たり前に仕事もあるしね。
そんな子どもの春休みならに合わせて遊びに来ることは不可能なわけで、
奥さんもできてね、奥さんとの兼ね合いもあるしもちろん、
保護猫かなんかを飼いだしたらしくて、
猫を出たらね、そんなパンパンパンパンの一泊二泊できへんからっていうのもあって、
なかなか難しいなというふうになっとるわけでございますけど、
弟がちょっと寂しがっとんねんでと言うのは、
伝えたらそれも苦しいやろうから言わんとこうとは思うんですけども、
なかなかね、難しいもんです。
ちょっと会えばね、嬉しかったり、
おるというだけでね、いいみたいですね。
別に喋ってなんじゃ、ゲーム一緒にするとかそんなことないんですよ。
じゃけどね、そこに兄ちゃんがおるというのが、
やっぱり赤ちゃんとからね、上二人ずっと見てもて育ってますから、
そういうのがあるんやなと思ったら、
これがいいなと思うんです。美しいなと思うんですよ。
ついと自分の兄弟とはもう縁が切れてしまってるんです、僕はね。
いろんな理由があるんです。
当たり前に僕は悪いところもありますけど、
兄弟が悪いところももちろんあっての、
もう縁が切れてるという部分。
親ともそうですからね。
それがありますから、
もう自分の子供らがそうやって言葉に出して、
寂しいな、痛いなと言うだけでももうちょっと嬉しかったりするんですよ。
それでいいね、それが普通やと。
そうであってくれ、ずっとというふうに思うわけでございますね。
だから余計にわかるというかね。
もちろんボスの兄弟は仲良いんでね、
LINEグループでやりとりしてるので、
いろんな話題でやりとりしてますから、
それはそれで微笑ましい、僕は好きなんですよ。
それ兄弟でやり合いしてんのね。
大人になっても、ああでもない、こうでもないというのはね、
いいじゃないですか。
僕はそれは大歓迎で大好きなんですけど。
僕もボスの弟さんとか妹さんとは仲悪くないですから、
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当たり前によく喋る感じがありますからね。
で、弟さんの奥さんなんかもええ子でね、
これももうほんまに、
なんていうんですか、僕とか兄弟絡みのとこ、
ボスの兄弟絡みのとこ仲良いんで、
それだけが唯一救いと言うんですかね。
ありがたいこっちゃなと思うわけです。
だから人間ね、捨てる神あれば拾う神ありという部分もありますから、
もちろんそういう流れというんですか、
バランスというのがあるんでしょうね。
全部がオールオッケー、
みんな笑顔で幸せやというようなことはないわけです。
やっぱり暗い部分があって明るい部分があるというのが、
バランスやなというふうに思ったわけでございます。
それを招いてるのも自分の執事というようなところは、
もちろんあるんでしょうというようなことでございましてね、
皆さんも一旦ね、自分、親、母親、
父親の母親、父親の父親とか、
たどってどんな性格やったとか、
どんなんていうのは気からわからんところもありますから、
もちろん聞いていただいて、
今のうちに情報収集をしとかんとね、
としとっていって、だんだんオーラ変になってきますと、
その情報さえ入れられなくなりますから、
性格的な細かい情報中が、
いでこそ伝えてもらえるようなことがあるんでね、もちろんね。
そういうのやってもらうと、
自分というものが何で構成されてるかの一部が、
わかってくるんじゃないかなと思うわけでございます。
ぜひぜひいろんな方に、
お葬式とかね、結婚式とかいろんな祭事がありますが、
そういうときにお見打ちの人にね、
昔はどんな性格とったんやとか、
若いときどんなやったんやとかっていう話を聞いていただければ、
今の自分につながる何か、
同じようなとこも出たりとかね、
するんじゃないかなと思うわけでございまして、
ぜひぜひそんなこともしてもらいたいなと思う、
今日このごろでございました。
まああんまりね、適当なこと言うとおりまして、
またお前ごときが誰にも言うとんねんと言うてね、
黙ろよドロップ言うて、怒られそうですけども。