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あなたは何があっても、「あそこがあるから大丈夫」と思えるような安心できる場所はあるでしょうか?
今日、9年間通ってくれている患者さんから、「せっせくここがあるから安心できるんですよね。」と言っていただきました。
開業21年目、今日は私が理想とする、症状を治すだけではない治療院の役割についてお話をしたいと思います。
こんばんは、藤田勇です。
ゆるどうラジオ、耳から整える言葉の針の時間になりました。
この番組では、ゆるく、楽しく、自分らしく、遊ぶように生きるためのヒントとなるようなお話をお伝えしています。
今日は、1日現場の日で、朝から先ほどまでずっと治療をしていました。
今日来ていただいた患者さんの中で、1人印象的な方がいたので、そのお話をしたいなと思っています。
その方は、もう9年通っている患者さんで、長い付き合いになりますね。
今日治療している時に、「先生、ここがあるから安心できるんですよね。」と。
昨日、無理するような場面があったらしいんですけども、
明日、体制動産に行くから、何かあればここに来ればなんとかなるっていつも思えているみたいな、そんなような話をしていただいたんですね。
その話を聞いていて、非常に嬉しく思ったんですけども、
なんで嬉しく思ったかなっていうのを振り返ってみたりして、今日のテーマになったというところですね。
もちろんね、痛みがなくなりました。先生、楽になりました。症状が、めまいが良くなりました。
あそこに、もうどこ行っても良くならなかった耳鳴りがだいぶ楽になりましたみたいなのもね、
もちろん嬉しくないかって言ったら嬉しいですね、治療家として。
でも、私の中ではそこってウエイトとしては非常に今はもう軽いっていうんですかね、重要ではないっていうところです。
でもね、今日言われたここがあるから安心できるって言葉は、すごく嬉しかった、深く染みた言葉でした。
なんかね、自分とかこの治療院そのものがその方の人生の中に大きく存在してるっていうふうに感じたわけですね。
今年でも21年開業してたちますけれども、長く続けているとね、長く通ってくる患者さんが増えてくるわけですね。
この数回とか数ヶ月では見えない、その人の人生の変化というのをずっと見てくるわけですね。
ずっと家族のように一緒にいてっていうわけではないですけども、
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治療院に来るその都度、その都度でその方の人生というものを見るわけです。
治療科っていう仕事の意味がですね、そういった長年やってくるとですね、なんかちょっと変わってきたわけですね。
当時小学生だった患者さんとかもね、今もう大学生で看護大学に通ってるなんていう子もいます。
もうね、来る最初の頃はね、いろんな症状でなんか自信期乱れて泣く大変みたいなだった子が、今看護科で勉強してる、そんなこともあるわけですよ。
もうね、中学生、高校生、大学生になって、いろいろそこまで、そんなに頻繁に来てるわけではないんでね、
でもその時その時でいろんなことを聞いて関わっているっていうことになるわけですね。
その患者さんではなくて一人の人間の成長を見ている感覚になるわけですね。
親として子供を見るに近いけれどもちょっと違う、そんな感覚でしょうかね。
治療院という場でしかないですけれども、その人の節目、人生の節目にいろいろと関わることがあるわけです。
新学とか就職とか、結婚とか出産とか、独身の女性がね、パニックで通われてて、それが良くなって、
でね、なんか付き合ってるかしらみたいな話をしていたかと思ったら、今度結婚しますみたいになって、で出産されて、
で出産後、育休的な感じで治療院に来てなかったですけれども、先日ね、出産した後、もうちょっと手が少し離れるようになったんで、
で来ましたっていう方もいましたね。
そういうふうに人生のいろんな節目とも関わることができるっていうところが、私の中では何ですかね、症状そのものを治すっていうのと、
また違う関わり方で、そっちの方が私としては楽しいって言うとなんか変ない、ちょっとおかしい、ちょっと違うんですけども、
有意義、何て言うんですかね、私の中ではすごく存在意義、治療家としての存在意義を感じるわけですね。
最初はね、もう皆さん痛いとか、めまいがするとか、パニックがとか、食べられないとかね、
そんなんでそれを何とかしたくて、LINEはするわけですけども、
でも私はね、このラジオでよく言いますけれども、症状というのは結果でしかない。
その結果を生んでしまう体の土台が乱れている、構造が乱れていると。
それを整える。もっと言うとその構造を乱してしまうその方の人生ですね。
それをいかに整えるかっていうのが私の治療の真の本質と言いますけれども、
症状を、体を何とかするっていうのではなくて、
その方の体をそういう状態に至らせてしまった生き方、人生を見て整えていくっていうところが私の中で重要で、
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今回のね、この患者さんからの言葉っていうのはそこをしっかりとできて長く関わってきたからこその言葉だった。
だから嬉しかったんだなっていうふうに思うわけです。
症状を治す場ではなく、何とかなるっていうよりどころ的な存在っていうんですかね。
これって依存させたいわけではないわけですね。
ここがないと生きられないとかいうのではなく、逆にここがあるから自分の人生が安心して進んでいける、歩いていけるっていうようなそんな存在ですね。
安全な基地、安全基地、避難して安心安全できる場。
そういう場があることによって、外にも出ていけるわけです、人は。
頼れる存在っていうんですかね。
治療家の役割っていうのは、治す人、それもあります。
でもそこだけになってはいけないものだと思います。
病気を治す人、体を整える人、体の声を代弁する人、このあたりは重要ですけども、その先ですね。
その方のいろんなものを聞く人、人生の節目にそばにいる人、伴奏する人ですね。
そういう状況を作れることによって、存在そのものが治療になるわけですね。
技術そのもの、治療する技術だけではないわけです。
あそこに行けばもう大丈夫って思ってもらえれば、実際よくあるのは、先生の顔見たらなんか楽になっちゃいましたと。
毎回ここに来るとなんか楽なんですよねとか、安心できるんですよねみたいな。
そういう存在になるということが、実は魔法のように症状、痛みを一瞬で消したなんていうのよりも、
私は重要だと思っています。
患者さんというものはね、もうもちろん症状がつらいと、その症状中心の人生になってしまうわけです。
それをいかに症状中心から、そこを、これが消せれば、それで症状がなくなって、症状中心じゃなくなるかっていうと、
そこの生き方とか心の在り方が変わっていなければ、またそういう状況が復活する可能性は高いわけですね。
だからそういうのがあったとしても、そうじゃない。
自分らしく仕事をしたり遊んだり旅行をしたり、家族との時間を楽しめる、そんな風になってほしいわけですね。
だからこそ、ゆるく楽しく自分らしく遊ぶように生きるということを、私は皆さん、患者さんたちに押し付けるというふうに言いますけれども、
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この生き方、症状があってもなくてもこの生き方をする、生きられるようになるということを、私は伝えたい。
その生き方をすれば、症状も自ずと軽減していくというものです。
特に私の得意とする心身症では、これも確実です。
私も21年、治療院やってきましたし、治療家としてはもっと長いですね。
25年、四半世紀ですか。
今やってきましたね。
その中で、以前は治す、治さないの世界、治せないの世界、いかに治せるようになるか、そのためにもっと学ばなくちゃ、もっと経験を積まなくちゃ、
という世界で生きていたわけです。
でも今は、そこは全くないと言うとちょっと公平がありますけれども、そこを中心にしていないし、史上名台主義にもしていないわけですね。
それよりも、その人の人生の中に伴奏して、ゆるく楽しく自分らしい人生に導いていける。
そして安心、その方にとって安心できる。
そういった場になる。
そういった先生になる。
これができるということが、私の中では一番の喜びになるわけです。
だからこそ、今日の言われた言葉というのが、非常に染みたと思います。私の中でもね。
あなたには、あそこがあるから、もう大丈夫だと、そんな安心できるような場っていうのはあるでしょうか。
逆にですね、またあなた自身が誰かにとってそんな存在に慣れているとしたら嬉しいと思いませんか。素敵だと思わないでしょうか。
治療院というのは、症状を治すだけの場ではない。
世の中でね、SNSでもそうです。
治した、治さなかった。
これだけ一瞬で治したみたいな。
それが目を引くというところがあるので。
うちの治療院でもね、よくなりました的なものもホームページに載ってますけれども。
でもそこは本質ではないし、そこだけで生きてしまう治療科だったら、そこが浅いかなというふうにも思います。
うちとしては、そこの症状をどうこうよりも、その方の人生を伴走して、
人生の途中で少し休める場所、整える場所、そしてまた歩き出せる場所、そんな場所であり続きたいなというふうに思うわけです。
今日は以上になります。ありがとうございました。