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#166 命とは、川の流れの中に一瞬現れる泡のようなもの
2026-08-04 12:06

#166 命とは、川の流れの中に一瞬現れる泡のようなもの

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昨日のあなたと、今日のあなたは、本当に同じでしょうか? 私たちの体は、今この瞬間も作り変えられています。
今日は、命をものではなく、流れとして考えたいと思います。 こんばんは、藤田勇です。
ゆる道ラジオ:耳から整える言葉の鍼の時間になりました。 この番組では、ゆるく、楽しく、自分らしく、
遊ぶように生きるためのヒントとなるようなお話をお伝えしています。 あなたが見る鏡に映る自分は、昨日と同じように見えるかもしれない。
でも、命、生命の内側では絶えず変化が起きている。 今日はですね、このテーマを東洋の創始ですね、このゆる道の中心となる考え方、
と、現代生物学、福岡真一さんという方が捉えた、生命の流れ、動的並行ですね。 今朝ね、ちょっとこのことについてね、ふと思いついたので、これをお話ししたいなというふうに思っています。
まずですね、創始ですね。 創始の中には、人の生というものは、生きるですね。生きているものは、気が集まったもの。
なので、集まれば生となる。で、気が散る。 散ずれば死となるというふうに書いてあるんですけども、
人間というものが固定された物体ではなくて、一時的に集まったそのタイミングに、 人間だけじゃないですね。いろんなものが、生物。
生物だけじゃないですね。物質もすべてそうです。そこに存在しているというのは、単にそのたまたま集まっているっていうこと、というふうに創始は言うんですね。
なので、まあ死んでいる、生きているとかね、そういうのを、もうその区間ぶつぶつに分けるんではなくて、その流れの中で今集まっている、今散じて存在していない。
これフォースです。スターウォーズでいうと、フォースが集まるとね、これ見たことある人はヨーダとかね、オビアン・ケノービーがこう集まって、フォースが集まってね、そこに存在が現れるわけですよ。
で、また散ると消えていく。これまさに仙人です。私のなりたかった。それが本当にできるかどうかは置いておいて、私たちの存在というのはそういうものだというのが、創始の考え方なわけですね。
川というものも流れているわけです。流れている、存在しているけども、中の水というのは常に入れ替わっている。そういうものですね。
人間も固定された、そこに存在する物質ではなくて、流れの中で一時的に形となっているものという考え方ですね。
これはもう私が高校生の時ですね、もともとこの創始の考え方は知っていましたけれども、科学を勉強していた時に原子ですね、炭素とか窒素とか酸素とかね、いろんなものがあるわけじゃないですか。
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それって分子であり、もっと小さくなると素粒子になると。
それってそういうものが私たちの体を形作っているわけですけれども、ずっとずっと入れ替わっているわけです。
となるとですよ、例えば私を構成している炭素の一部が、昔の徳川家康の一部を構成していたこともあるんじゃないかみたいなね、妄想をしていたこともあります。
原子がどれぐらいの寿命があるかとか知らないんで、そんな歴史の昔の人と共有しているかどうかは分かりませんけれども、そんなのを高校生の時に科学を勉強しながら思っていたわけですよ、私は。
っていう過去がありました。
そして時代がちょっとね、遡ってだいぶ経った時にですね、ブームになった動的並行っていう本がベストセラーになったものがあるわけですね。
福岡新さんっていう生物学者ですよ、が書かれた。
生命というのは変化しないことで保たれているものではなくて、絶えず交換しながら壊してまた作り直しているっていうのが生物である。
それがバランスをとりながらね、ギリギリの壊れると作るっていうのがちょうどいい塩梅で、並行として動的並行っていう説明の本なわけです。
まさに創始の言ってることじゃんっていうふうに私は感じたわけですね。
一般的にはね、この、例えば体が壊れる、怪我をするとかね、病気になるっていうことはネガティブに捉えられがちですよね。
でも体、命っていうのは古くなったものが壊れて、また新しいものに作り変えられることで、良い状態が保たれているわけです。
これを新陳代謝っていうふうに言うわけですね。
なので、その状態、人という存在がちゃんとあるために変わり続ける、変わらないために変わり続けるっていうのがこの生命の逆説になるわけですね。
こんなことを考えて非常にね、楽しくなってくるわけです、私は。
変わっていくわけなんで、そこにとらわれるっていうことがおかしいっていうふうになるわけですね。
これもゆる道の、何ですかね、考え方の根幹になるわけですね。
葬死っていうものは、命を木が集まったり散るっていうことで捉えた。
で、福岡産の動的栄光っていうのは分解と合成、交換が続く動的なバランスとして捉えた。
どちらも生命っていうものを固定されたものとしては捉えないわけですね。
絶え間ない変化の中で存在しているっていうふうに考えるわけです。
2000年以上離れたその思想と現代生物学が、生命は流れであるという場所で、
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もうね、同じようなことを言ってるって楽しくてしょうがないわけです、こういうのを私考えるのが。
これはね、私の死性感とか、あとは病の見方にも非常に影響を与えてくれてるわけですね。
性にあっては性を良しとし、死にあっては死を良しとするっていうのが葬死の考え方です。
木がたまたま集まって生まれて、私たちこの世に生きている。
そしてまた散事で消えていく。
大きな川の流れの中でポッと生まれた泡のような存在が私たち、たまたまね。
たまたま今存在している。
だったらですよ、そんなね、病気でなんかね、辛いことある。
それに囚われてる暇があったら、そんなことがあろうがなかろうが、楽しまないとねっていう部分が私の中のベースにあります。
もちろんね、そこの辛いことによってできないこと、制限されることありますよ。
でも心の中では自由に存在すること、考えることができるわけですから、そういったベースの部分ではそれを持つ。
これがですね、心身傷にもつながってくるわけですね。
健康も完璧を目指す、完璧な状態じゃないといけないみたいなね。
で、そこからちょっとでも調子悪いと落ち込むとかね。
そんなのはあり得ないわけですよ。
揺らぎの中で生きているわけですから、川の流れ、揺らぎの中で動的平衡で一時的にこの形、ちょっと崩れるなんてことはあり得るわけですよ。
ちょっと崩れたからってね、そこで落ち込むとか、必要ないわけ。
じゃなくて、その大きな流れの中でのちょっとの自分の人生をいかに楽しむか、生きていくかということが大事になるわけですね。
ここに行けないのが心身傷になって囚われてしまっている方ですね。
もうね、病んでしまうわけです。心から来るわけですから、で、早く治りたいと囚われるわけですね。
そうなることによってより治りづらくなってしまう。
動的平衡というものを取り戻すことができなくなってしまうわけです。
そこをちょっとね、つついて、動的平衡、機の、そうしの機の流れっていう風なところを、なんですかね、元に戻していくっていうのが、私がやっている治療とも言えるかなっていう風には思っています。
なので、治療家として必要なスタンスとしては、外から完成品を作る健康のようなものを提供するわけではないわけです。
その方、患者さんが持っているものをいかに取り戻すか。
でね、その壊れて、そして作り変える、その動的平衡というのをいかに、なんですかね、バランスを保てるようにするかっていうところが本当の意味での治療であるし、それを実現するのが治さない治療という在り方だと言えると思います。
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なので、私がやっている刺さない針っていうのも、本当にそうですね、物理的な強い刺激で外から与えて何とかしようとすることもなく、言葉の針も、なんですかね、説教するわけじゃないわけです。
導いていく。患者さんの持っているものを、本領を発揮してもらうために、言葉を使った心への、壺への治療になるわけですね。
で、それを無理やりなんとかしていくわけではなく、治さない治療という在り方で、患者さん自身が気づいて変化していくっていうのを待つ。
そのために少しこう投げかける、そんな感覚で治療をしているわけですね。
で、自分を固定された存在だと思って、私はこういう人間だとか、こうでなければならないとかね、もう心身傷になりやすいわけですね。
そういう生き方を変えていく、ゆる導になっていくっていうことですね。
変わり続けている、動的平衡な状態である私たち。
その中でゆるく楽しく自分らしく生きるっていうことを、私は気づいてもらいたいわけですね、皆さんに。
そうすることで、大きな流れ。
老僧思想であれば、他王の流れって言いますけども、その他王の流れに逆らわず、自然に生きていく。
これが一番、何ですかね、実は健全な生き方になるっていうふうに私は思っているし、
それを皆さんにお伝えして導けるようになりたいなっていうふうに思っているわけです。
これはちょっと問いかけたいと思うんですけども、もしこれを聞いているあなた、今何を必死に変わらないように守っているっていうことがあるでしょうか。
またね、散らしても良い考えなんかを握りしめていることはないでしょうか。
今の自分というものを固定したものとして考えて、そういうことをやめて、流れに任せるとしたら、
どんなものを手放すことができるでしょうか。
まとめとしてはですね、私たちというのは完成したものではない。
流れの中でうまくバランスを取りながら壊れることと再生することですね、
集まること、気が集まって散事るということをしているわけです。
変わるってことは自分を失うということではなくて、その中で生きている、流れの中で生きているという証である。
命というのは流れであって、私たちも変化を恐れることですね、ことをなく、
緩んで力を抜いてその流れに身を任せて生きていきましょうということなわけです。
それを今日はお伝えしたかったです。
12:02
今日は以上になります。ありがとうございました。
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