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#194 頑固になるのは、歳のせいじゃない
2026-09-01 12:35

#194 頑固になるのは、歳のせいじゃない

今回のテーマ:頑固になるのは、歳のせいじゃない。

年齢を重ねると、若い人と話が合わなくなる。価値観が違って、理解できなくなる。そんなことがよく言われます。

でも本当に問題なのは、年齢そのものなのでしょうか。

僕自身、今は20代・30代の若いスタッフたちと一緒に働いています。世代はかなり違いますが、比較的いい関係を築けているのは、若い人に無理に合わせているからではなく、**「自分の価値観だけが正解ではない」**という感覚を持てているからかもしれません。

その背景には、老子の「樸」や、荘子の斉物論といった老荘思想があります。

経験は増やしていく。
でも、決めつけは増やさない。

年齢を重ねても、柔らかく変わり続けられる自分でいたい。

そんなお話です。

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年を重ねると、どうしても頑固になってしまう。 そんなふうに思っていないでしょうか。
老害という言葉が出たりもしますしね。 頑固じじいとか。
私の地域では、因合じじいって言うんですけども、 知ってますかね、皆さん。
でも、私はそれは違うと思っています。
人は年をとるから頑固になる、ではなくて、 自分の考えが正しいと固めたときに心が固くなる。
だから年齢は関係ない。 若い人でも頑固な人はいる。そう思っています。
今日は、私の委員のですね、 20代、30代の若いスタッフたちと働いている中で感じたことを、
老死とか早死の専任の哲学思想から、
年齢を重ねても柔らかく生きるということについて お話をしていきたいと思います。
こんばんは、藤田勇です。
ゆる度ラジオ、耳から整える 言葉の針の時間になりました。
この番組では、ゆるく楽しく自分らしく遊ぶように 生きるためのヒントとなるようなお話をお伝えしています。
今ですね、私、スタッフが5人いるんですけども、 20代、30代が中心です。
私、もう57で、そろそろ官歴が見えてきたっていうところで、 30歳から40歳ぐらい差があるわけですね。
もう子供から孫の世代ぐらいの差があるんですけども、 かなり空いてるんですけど、
私は全然そういう感覚がないんですよね。 離れてる、遠くな感覚がなくて。
実際、関係としてもそんなに悪くないと思ってるんですね。
一応、みんな続けて働いてくれてますんで。
これですね、以前ですね、 まだ私が人を雇っていなかった頃ですね。
人を1人、スタッフを雇いたいなって思ってた時に、
ある方からアドバイスをね、 そういう考えがあるんだけどみたいなお話をした時に、
40代でしたかね、その時。
何歳ですか先生、みたいな感じで言われてね。
もう40いくつ、みたいな答えだと思います、 その時ね。
いやー、それちょっときついですね、とか、 若い20代のスタッフさんとか、
そうやったら世代違うし、うまくいきませんよ、 みたいに言われたわけですよ。
もうダメなの?みたいな感じで、 ガーンってなったわけですよ、その時ね。
でもね、実際今、先ほども言ったように、 世代が違ってるスタッフたちですけれども、
話もまあまあできてますし、一緒に働いてて、 若い女の子のスタッフとかも、
ずっとここで働きたい、みたいなことを 言ってくれたりもしているわけです。
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さらにね、私自身もそういった若いスタッフたちと 一緒にいることで、
新しく知る価値観とか、教えられることとか、 あるなというふうには感じているわけですね。
その若者の文化を全部理解しようとする っていうつもりもないですし、
無理に合わせようとするつもりもないですし、
逆にね、私自身の価値観が絶対だとも 思っていないわけですね。
なんかね、自分の価値観で昔はこうだった、 普通はこうするとか、
若い人は分かっていないみたいなことをね、 いう老害、いわゆる老害の在り方。
自分の経験をね、そのまま普遍的な 正解にしてしまう。
これこそが老害になるわけですよね。
私が比較的ね、そうならずに、 陥らずに済んでいる理由というのが、
私はあるなと思っています。
それが、先人の思想である、
これもね、以前もここのポッドキャスでも お話を何度かしていますけれども、
老僧思想ですね、他王の思想が 私の中にベースであるからだと思っています。
それは、老僧思想はこれが絶対だというものを疑う。
反、なんですかね、
アンチテーゼの反、正当派を反対から見るみたいな、 そんなポジションが老僧思想です。
で、老僧の中の老子ですね、の中に僕。
僕、私の僕って人面ですけども、 それが起変になったやつ。
僕って言うんですけども。
これはですね、まだ削られていない、 切り出された木ですね。
彫刻とか何か作るときに、
まだそこを加工していない木っていうのが、 僕って言うんですけども、
そこの尊さを老子は言っているんですね。
要は、型にもはまってしまったとか決まってね、
要は彫刻で素晴らしい彫刻ができたとしても、
もうそれは彫刻になってしまったので、 可能性がなくなったわけですよ。
でも僕、削り出された木、 削られていない木、切り出された木っていうのは、
もう無限の可能性を持っているっていうふうに 言うわけですね。
人間の在り方としても、 こういう人間だと決めつけるっていうのは、
もう削ってね、彫刻になって固まってしまった状態。
社会とはこういうものっていうふうに考える、 っていうのもそれも同じです。
そこじゃなくて、その手前の僕っていう在り方、 状態っていうものにいましょうよ、
っていうのがこの老子の主張ではある。
そこが尊いよっていうふうに 言ってるわけなんですけども、
これは脳の過疎性っていうお話が ちょっと問いますけれどもあります。
脳っていうのは、一時期はね、神経細胞とか脳っていうのは、
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もう死んだらそれで終わりみたいな、 言われてたんですけども、
いろいろ代償作用っていうのがあるわけですね。
脳の過疎性っていう本が、 ノーマンドイジっていう人が書いた本がありますけれども、
非常に面白かったですね、その本。
生まれつき脳が半分しかない。
でもこの子は長く生きられないだろうって 言われた子がですね、ずっと長く生きて、
じゃあ脳どうなってんのと、 普通に生活してるわけです。
人として脳どうなってるのっていうふうに、 成人になった時に調べたら、
その半分しかない脳が少し大きくなってたらしいんですよ。
そしてその半分しかない脳で、
全部の脳がある、やるべき領域があるわけですね、脳の中の。
それを全部代償してるわけです。
その半分の脳で、 全部の脳の仕事をやってるっていう状態だったと。
それだけ脳っていうものが柔軟性を持っている、 可能性をずっと持っている、
変化ができるっていうことを過疎性って言うんですけども、
ここに私は、老子の僕と脳の過疎性っていうものを、 そこに繋がりを感じるわけです。
人間っていうのは、完成して固定された存在ではなく、
まだ変われる余地がある。
私も57年生きてきて、こういうもんだという価値観というのができてきてますけども、
これが全てではないっていう価値観ですね。
これが絶対ではないっていう価値観。
でも私はこういうふうに生きたいっていう価値観を持っているっていうことですね。
もう一つ、創始の方ですね。
でも、細物論っていうのがあります。
これ見方ですね。
私から見て、これですね。
私の近くにある物体。
私から見るとこれだけ、あなたから見たらそれになると。
逆もしっかりになると。
なので、正しいなんてないと。
生きる死ぬも同じだと。
生にあっては生を良しとし、死にあっては死を良しとする。
すべて見方とか立場とか立ち位置で、
同じものが違うふうに見えてくるみたいな。
すべて一緒であると。
美しいと見にくいっていうのも、
人間にとって美しい女性は美しい男にとってはね。
でもそれがか弱い動物から見たら、
それは美女だろうが何だろうが人間だから、
うわーっと言って逃げるわけですよ。
っていうところ。
固定した捉え方をするな的な意味合いがあるわけですね。
この辺りが私の中にあるので、
いわゆる老害的な思考とかあり方になりにくい部分はあるんじゃないかなというふうに思っています。
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若いスタッフはね、なんでそんな考え方をするの?ではなくて、
このスタッフからそのものはどう見えてるんだろう?っていうふうに捉える。
これだけで関係っていうのはかなり変わるわけです。
なんでそんな考え方をするんだ?みたいなね。
一方的にね、そんなのダメだろう?みたいな。じゃないわけですね。
私は経営者であり、認証経験もない。
知識も経験も当然多いわけですね。
でもだからこそは自分が正解を教える側っていう固定になりやすいけれども、私はそうはなっていない。
それは僕とかね、仮想性とかゾウシの細物論の考え方がやっぱりあるからだと思っています。
経験が長い人ほど、若い人から学べなくなった瞬間に成長は止まると思っています。
それは僕でなくなる、仮想性が薄れてしまうっていうことでもあると思います。
私はずっと成長したい、高みを目指していきたいっていうのがあるんで、今が全てではないっていう思いもあるわけですね。
今ここまで来たけれども、さらに先があるんで、そこにはいろんな人の考え方も取り入れてもっと上に上がって成長していくっていうその気持ちもあるので、
そんな感じでいられるのかなっていうふうに思います。
ですからね、歳を重ねれば重ねるほどむしろ柔らかくなる。
体はね、固くなっていくわけですよ。脳だけでも柔らかくしましょうよ。
体もね、そのまま固くなるに任せないんで、柔らかくできますからね。
どちらもそうです。体も心もこれでいいんだと思った時点で固まっていきますから。
もっと柔らかくなっていこうとすると、さらに人生が軽やかになっていくっていうふうに私は思います。
経験は増えるけれども、でも決めつけをしない。
知識は増えるけれども、でも分からないことは分からないって言える。
これが非常に重要かなっていうふうに思います。
歳を重ねるっていうのは固くなることではない。
経験を増やしながら、それでも柔らかくあり続けること。
これこそが、そうですね、引用のバランスであり傲重相殺とも言います。
あなたは最近、若い人に普通はこうでしょうと思ってしまったことはないですか?
その普通は本当に絶対でしょうか?
また相手から見た世界はどう見えているでしょうか?
まあね、若い人と分かり合うために若者になる必要はないです。
若者に言語をする必要はないです。
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自分の価値観を捨てる必要もありません。
ただ、自分の正しさ、自分がこうだと思っているそれが正解ではない。
それだけが正解ではないと、少し余白を残しておくっていうことが大事だと思います。
年齢を重ねても、僕、老人が出てきたね、僕のように柔らかく、また形を変えられる自分でいたい。
そんなことを若いスタッフたちと働きながら感じています。
今日は以上になります。ありがとうございました。
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