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#225 【一休さん】に学ぶ「こうあるべき」に縛られない生き方
2026-10-02 08:29

#225 【一休さん】に学ぶ「こうあるべき」に縛られない生き方

「ちゃんとしなきゃ」
「この立場なんだから、こうあるべき」

そんなふうに、自分で自分を窮屈にしていませんか?

今回のテーマは、実在した禅僧・一休宗純。

一休さんは、ただ常識破りだったわけではありません。

**形や肩書きより、本当に大切なものを見ようとした人。**

だからこそ、当時の「僧侶はこうあるべき」という型にも縛られませんでした。

これは、ゆる道の「自分らしく」にも通じると思っています。

型を全部捨てるのではなく、
型に自分を支配させない。

この放送を聴くことで、**自分の中にある「こうあるべき」を少し見直し、本当に大切にしたいものへ戻るきっかけ**になればと思います。

**型に縛られず、本質を生きる。
それが、自分らしく生きるということ。**

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サマリー

実在した禅僧・一休宗純が、当時の僧侶や仏教にあった形式や常識に縛られず、本当に大切なものを見つめて生きた人物として語られます。破天荒な行動の一方で、仏教を深め、修行を重ねた土台があったことから、単なる好き勝手ではなく、型を持ちながら型に支配されない姿勢が示されます。親や先生、社長、性別や年齢に応じた「こうあるべき」が自分を窮屈にし、心身の不調につながることもあると説明されます。自分らしく生きる際にも他人の自由をないがしろにせず、自分を縛る型を少し離れて見直し、本質に戻ることが勧められます。

一休宗純の破天荒な生き方
この橋渡るべからずという縦札の橋を、中央をね渡って、いや、これ橋じゃないから、真ん中だからといって、その縦札を建てた人にギャフンと言わせたというエピソード。
これね、私と同年代の方はよくわかると思います。トンチの一休さんというのが、まあ有名ですね。
その一休さんのモデルとなった、実在したお坊さん、一休総順という人がいます。
この方はですね、僧侶でありながら、室町時代なんですけども、当時の常識とか形式に、かなり縛られずに生きた人です。
でも、ただ好き勝手に生きたわけではない。
その一休さんはね、形よりも本当に大切なものというものを見つめて、それを選んで生きたと。
私はね、そこにですね、ゆる道の自分らしくというものと通じるものを感じるんですね。
今日はですね、その一休さんから、こうあるべきに縛られない生き方について考えてみたいと思います。
こんばんは、藤田勲です。
ゆる道ラジオ、耳から整える言葉の針の時間になりました。
この番組では、ゆるく、楽しく、自分らしく、遊ぶように生きるためのヒントとなるようなお話をお伝えしています。
一休さんですね。知らない人もいるかと思うんですけども、私が子供の頃はね、トンチの一休さんということでね、アニメで流行ってました。
イメージとしてね、かわいい小坊主でね、トンチが上手で、何かね、意地悪をするお殿様のところにね、トンチで色々とやりとりをするみたいな、そんなエピソードがいっぱいのアニメでした。
でね、実際その一休さんのモデルとなった一休壮順という人がですね、諸町時代に生きていた。
型を持ちながら型に縛られない
で、その一休さんはですね、自らをですね、狂った蜘蛛の子とか言って、狂運師と名乗る、自分で名乗るほどね、かなり破天荒な、堅破りな人物だったと言われています。
当時ですね、その禅ってね、座禅をして、悟り開くみたいな、そういう修行をする仏教ですよね。
でもですね、形とかね、外側の決まりきった、窮屈な業界というか、そういう風になっていたようです。
そしてね、またこの、しっかりと自分を見つめてね、禅をして修行していくっていうところから、もう本当にもう、今のね、ある意味、宗教でも一般的な宗教はそうですけどもね、
一般的な世俗化をしてしまった仏教になっていたっていうところに対して厳しく批判をした人物だったらしいですね。
非常にね、この行動が奇抜で、何かドクロを持ってね、街をねり歩いて、お正月の時ですね、正月何がめでたいんだと、またみんな死に一年近づいただけじゃないかと、
いうようなことを言ったというような話もあるし、かなりロックな人だったようです。
その一休さんがね、嫌ったものっていうものは、もう外側の決まりきった形っていうんですかね、型ですね。
で、そこにこうね、振る、なんですかね、振り回されるというか、はまってしまうんですよね。
自分が自由ってなくなってしまう。こうあるべきとかね、いわゆる完璧主義とかね、こうじゃなくちゃいけないみたいなね。
そういうところから本当にそうなのかっていうところを、いつもいつも世間にこうね、行動、奇抜な行動をして、こうね、カウンターを食らわしてたような、そんな人物ですね。
「こうあるべき」が心身を窮屈にする
人ってね、どうしてもね、こうあるべきっていうふうに知らないうちに自分を縛ってしまうっていうことが多々あります。
特にですね、うちの治療院に来られるような方たちは、そういう毛がある方が多いです。
そして結果的に心身傷に至ってうちに来られてるみたいな流れの方は結構います。
親なんだからこうあるべきとかね、先生なんだからこうあるべき、私社長だからこうあるべきとかね、
男だから、女だから、この年齢だから、もう歳とったんだから、こうね、そうやって自分で自分を型にこうはめてしまうっていうところですね。
そこからですね、それが型じゃなくて折になってしまうと窮屈な人生になってしまうと。
そんな窮屈な人生ではなくて、自分らしく、ゆるく楽しく自分らしくの自分らしい人生を生きましょうというのが、
ゆるの一つの、この自分らしく遊ぶように生きるっていうところに繋がるわけですね。
一休さんもね、自分らしく遊ぶように生きているわけですよ。
でもね、型に縛られないその破天荒な生き方だけではないわけですね。
ベースとしてしっかりと仏教も深めて、修行もきっちりやったわけですよ、この方は。
で、その中でそういった型から、こうね、飛び出たそんな生き方、型に縛られず、でも型、ベースとして型があるわけですね。
ここがね重要ですね。何でも自由に自分勝手に好き勝手にっていうわけではないっていうところを、
ここはね、自分らしくっていうところ、これも前回ちょっと覚えてないですけども、
自分らしく生きるために他人の自分らしくをないがしろにしてはいけないという、これは非常に重要なポイントですね。
他人の自由を尊重して自分の型を見直す
ゆるく、でね、自分の好きなように楽しく生きていいわけですよ。
自分らしく生きていいわけです。
でもその中に他人の自分らしくを侵食しないというかね、ないがしろにしない。
楽しくもね、周りを楽しくない状況にしながら自分一人で楽しんでいるっていうのは、これどうかなっていうところになってくるわけですね。
遊ぶように生きるもそうですね。
ただ、これはね、うちに来られる方たち、ほとんどの方はそうじゃない窮屈に生きてしまうからこそ、
もう何も考えずにゆるく楽しく遊ぶようにいきましょうと、自分らしく遊ぶようにいきましょうというふうに言うわけですね。
で、一休三に学べってちょうどいいわけですね。
高田順次に学べもちょうどいいです。
高田順次的にもういい加減以上に自分勝手に生きている人に高田順次に学べとか、一休三に学べとは言わないわけですね。
そして一番いいのが栗まんじゅう。
昨日のちいかの回でお話ししましたけれども、栗まんじゅうのあの自分のペース。
ここがちょうどいいっていうふうに私は感じるわけですね。
これを聞いているあなたですね。
あなたの中にこうではなくてはいけないとかね、そういう型、自分を縛っている型っていうのはないでしょうか。
ちゃんとした親でなきゃいけない。
人に迷惑をかけちゃいけない。
言わねははいちゃいけない。
もうこの年齢だからこんなふうにしちゃいけない。
それは本当にそうであるものなのでしょうか。
いつの間にか自分で身につけた型なのかもしれません。
少し離れてそれを眺めてみるっていうのも大事なのかなっていうふうに思います。
最後に今日の言葉の針です。
型に縛られず本質に生きる。
それが自分らしく生きるということ。
今日は以上になります。ありがとうございました。
08:29

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