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健康、お金、人からの評価、将来への不安。 あなたは、これを失ったらどうしよう、こうならなきゃいけない、と、知らないうちに自分を縛っていないでしょうか。
でも、本当の自由は、何も失われないことではなくて、何かを失うことへの恐怖に、自分の人生を支配されなくなることだと、私は思います。
今日は、私が中学2年生の頃から憧れてきた、仙人という生き方と、今日初めて開催したゆる塾のエピソードから、心が自由になるとはどういうことかをお話ししたいと思います。
こんばんは、藤田勇です。ゆる堂ラジオ、耳から整える言葉の針の時間になりました。
この番組では、ゆるく、楽しく、自分らしく、遊ぶように生きるためのヒントとなるようなお話を、いつもお伝えしています。
そうですね、冒頭にも言いましたが、健康ですね、健康を失うということ、お金、持っていたらね、それを失う、もしくはお金を手に入れられないとかね、仕事を辞めさせられるとかね、仕事がなくなってしまうとか、人間関係とか、将来とか、
全てね、この失うということに対しての恐怖ですね、それをずっと持っていて苦しくなってしまうなんてことはないでしょうか。
これをね、もう守りたい、失いたくないって思えば思うほど、人生というのは不自由になってしまいます。
不安にね、ずっと支配されてしまうとか、それを失うことを失いたくないっていうふうに囚われてしまう。
人生が窮屈になってしまうわけですね。
で、自由っていうところは、例えばね、外的に実際、自由な時間が持てるとか、お金がいっぱいあるとかもいいですね。
あと、ファイヤーで仕事をしなくてもいいような自由。
でもそれってね、それがあること自体が一部、外的な部分としての自由としてはあるかもしれないですけども、本当の自由ではないっていうところですね。
だってね、最終的にはみんな死ぬわけです。死というところから自由にはなれてないわけですよね。
で、いつね、それを失う可能性もあるわけです。
なので、それを手に入れていたとしても、先ほども言いましたけども、それを失う心配、不安を持っていたら、そこに不自由さが存在するわけですね。
本当の不自由っていうのは、外的な部分ではなくて、自分の中にあるわけですね。
こうでなければならないとかね、そうでなかったらダメなんて、もう不自由の極みですよね。
失いたくない、失っちゃダメだ、失ったらまずい、病気になりたくない、なったらもうアウトだと、
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なってしまったら今度は治りたい、治らなくちゃいけない、なんで治れない、治らないんだと、死にたくない、嫌われたくない、
全部不自由な、自分の人生を不自由にしていく要素になるわけですね。
私は中学2年の時に仙人になりたいと思ったわけです。
仙人というのは、気を扱って人を治したりとかね、人をハーッと倒してしまうとか、
そして最終的にはその気を練るんですけども、気を練って不老不死の体になっていくみたいな、
それが仙人だっていうのを中2の時にムーというオカルトの雑誌にそれが書いてあって、これになりたいと思ったわけです。
ただね、その仙人という存在は今はそういった超能力者的な存在ではないんですが、
何者にもとらわれない自由な存在として、私は今でもその仙人の生き方に憧れているし、
そこに近づくように生きてきています。
でもね、振り返るとね、その自由というものをずっと求めていたのかもしれないかなっていうふうにも思うわけですね。
仙人の思想、他王の思想ですね、老僧思想というところ、特に私の大好きな僧詩の中にはこういったお話がよく出てきます。
生と死。生が良くて、死になったら終わりだというふうに絶対的なものにすると、死というものから逃れたいと思うわけですね。
昔の神の始皇帝はね、そのために仙人の秘薬を黄金の国、ジパン国にあるっていうのを聞いてね、派遣したわけです。
それを見つけてこいっていうふうに、というような話もあります。
でもね、本当の死から自由になるっていうのは、その生も死もない大きな流れ、道の流れですね、他王。
人というのは川の流れと同じだと、これ他王の思想ではよく言うわけですね。
ビッグバンですね、宇宙始まったところから宇宙が膨張していって、やがて銀河系が生まれて、銀河系の端っこに太陽系が生まれて、
またその中で地球が生まれて、地球の中で無機物から有機物が生まれて、
で、プランクトンみたいなのができて、それを食べる魚ができて、
で、両生類から爬虫類に丘に上がって、で、哺乳類になって、
で、猿ができて、類人猿ができて、人ができて、そして人の歴史も何千年もあって、
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そして私たちの60年か70年か80年かの人生につながってきたというその大きな川の流れのようなもの、
これは他王というふうに言うわけですね、仙人の思想では。
そして私たちのこのちょっとの時間の人生というのは川の流れの中でポッと生まれた泡、
ポッと生まれてパチンとすぐ割れちゃう泡。
これが私たちの人生だというふうに言う。
で、そのね、ポッと生まれてパチンと割れるようなそんな人生の中で一気一流しても意味ないわけですよ。
じゃなくて大きなタオの川の流れというものをしっかりとそれと一体化するっていうのがこのローソー思想の非常に大きなところ。
で、そんな大きなところのタオと一体化していたら自分の人生の、しかもね、その人生80年とか生きたら、
その中の今現在こうね直面している悩み事とかってもっと短いちっちゃなものになってしまうわけですね。
そこに一気一流しない、とらわれないっていうところ。
そうすることによっていろんな日常の悩みというのも大きさが変わってくるわけです。
仕事で失敗した。
まあその時失敗したんでしょう。
でもそれやめないで、またね、フィードバックとして改善していけばいいだけ。
人からね、なんか変なふうに思われた。
知らんがなと。
その人にそう思われただけだ、ということですね。
これがね、全員、自分が生きている間、周り全員からね、それはダメだろって言われた。
そんな生き方はまあまずいと思います。
でもね、自分らしく生きていく中でね、それに対して俺はスカンと言われたって知らんがな、というところですよ。
予定どおりうまくいかなかった。
今回予定どおりうまくいかなかった。
だからどうだっつーのよ、ということですね。
私の専門でいうと症状が出てしまったと。
まあそれはまあそういうふうな生き方したのが出たんでしょう。
とりあえずしょうがないよね。
そこから改善していって、症状が消える、そういった生き方をする、体を整えるっていう指摘はいいんじゃないの。
大きな流れを見るっていうところ、そこから自分の人生を見ていくっていうところですね。
この大きな視点っていうのが、自由につながっていく生き方になるっていうのを私はいつも感じています。
心身症ですね、私の専門。
この症状がなくならなければと囚われる。
早く良くなりたいって囚われる。
健康じゃなかったら幸せじゃないって囚われる。
思いっきりその心身症の罠に、ドツボにはまっていってしまうわけですね。
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もっともっと身体も自理神経も心も乱れていって、状態は悪くなっていく。
健康であるとか健康になることから、囚われから外れることによって自由になりましょうというところにもつながるわけですね。
これは今日私初めてこういったお話をゆる熟というのを以前からスタートしたいと思っていて、
ここでも計画は始まりましたみたいなのをだいぶ前に放送したことあるんですけれども、やっと今日初めてゆる熟がスタートしました。
ゆる熟でもこういう話をしたわけです。
今日参加してくれた方たちはほとんど私の治療院で、私だけじゃなくてうちのスタッフの患者さんとかもいましたし、
その知り合いの方が連れてこられてっていう方もいましたし、
だいたい皆さんも身体に問題を抱えている、心身傷的な問題を抱えている方たちで、
そうなってしまうということは自由じゃない生き方、ゆるく楽しく自分らしく生きていない窮屈に行かなければならないというような生き方をしているからこそこの話をしたかったわけですね。
治療中もこういう話をするんですけれども、治療の中でではなくこのゆる熟という中で、
それを人生の一部としての日常生活に取り入れていってほしいなというところでのゆる熟はスタートしたわけですね。
話だけもしても頭に入りませんので、それにつながるワークとか、気のワークとか、気を感じるワークとか、
身体を整えるためのワークとか、そういうのも一緒にしたんですけれども、
ゆるく楽しく自分らしくみんなで遊ぶように生きるためにもこのTAOの思想というのを知っておいてほしいということでお話をしました。
でね、この1000人になるっていうことはね、古の私だったらフロフシになる。
当時ね、ノストラダムスの大予言が思いっきり流行ってたわけですよ。
1999年7の月、アルゴンモア大王が空から降ってきて人類を滅亡すると。
私は1000人となってそれをサバイバルすると。
もう本気で思ってました、10代の頃。
でも今はそんな風に考えてないわけですね。
そこじゃない。
それもね、思いっきりフロフシっていうのも、創始の思想から言ったら1000人、それ違うんじゃんっていう話になるんですけどね。
生にあっては生を良しとする、死にあっては死を良しとする、生死の対立から離れたメタの視点ですね。
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そこに存在することで、まあ死ぬ、最終的に死ぬのは当然なんでね。
それまで生きる、自分の人生を楽しく生きようということなわけですよ。
そこから死にも死からも自由になるっていう、心の在り方になるわけですよね。
なのでですね、今あなたを一番縛っているものですね。
こうあらねばならないとか、こうなりたくないとか。
失ったら嫌だと握りしめているものとか、なんかないでしょうか。
もしあったとしたらそれをね、パッと手放してみたら何が変わるでしょうか。
一つだけ絶対と思っているものとか、こうしたいとか、こうならないとかって思っているものですね。
それに対して本当にそうなの?絶対健康でなきゃとか、絶対失敗しちゃダメだとか。
絶対嫌われたくないとか。
そういった絶対があったらですね、そこに本当と一回ちょっと入れてみてほしいんですね。
本当にそう?っていう風に。
自由になるために周り、世界を変える必要はないわけです。
お金から自由になるっていうのも、思いっきりお金を稼ぐから自由になるわけではないわけです。
お金にとらわれない。
その中でね、お金をだんだんと貯めていくっていうのはありですよ。
お金を捨てろっていうわけじゃないわけですね。
外側を変えるっていうのは、ずっととらわれから逃れられない状況になるので、
内側でそのとらわれを外していくことによって自由になっていく。
自分の中から自由というものは作っていくことができるわけですね。
ゆるどっていうのは、究極的には何者にもとらわれず自由に生きる道ということですね。
これが私の本当のゆるどですね。
ゆるく楽しく自分らしく遊ぶように生きることをやって何者にもとらわれない。
自由ですね。
あなたは自由に生きるその覚悟はあるでしょうか。
今日は以上になります。
ありがとうございました。