#57   東日本大震災   福島第1原発の復旧工事に従事して
2021-03-11 08:37

#57 東日本大震災 福島第1原発の復旧工事に従事して

3.11 東日本大震災から10年経ちますが、当時、震災復旧工事に従事して、当方が感じた事と思った事について話しております。

被災され亡くなられた方々へ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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はい、フォーニッツ大山レイディオ、大山です。 いつもですね東方のレイディオをお聴きいただきましてありがとうございます。
はい、今回はですね、
2011年の3月11日にですね、東日本大震災が起きまして、
ちょうどね10年ということで、 東日本大震災
についてですね、ちょっとお話ししたいと思います。
はい、実はですね、私10年前と言いますと、まだ現役の勤め人でして、全国に勤務しておりました。
で、その際ですね、東日本大震災が起きた際にですね、 私もですね、
復旧工事ですね、震災の復旧工事の方にですね、
私も従事したことがありました。 震災が起きてからですね、3、4ヶ月経って、約2週間ぐらいですね、
現地の方に行きまして、 福島第1原発ですね、そちらの方の仮設のですね、除染作業の
に従事しました。
はい、それでですね、 まず現地に行って思ったのがですね、
まずその第1原発に入るまでがですね、道のりがJビレッジというその拠点にしているね、
ところから、ずっとその作業に従事する人間は、
工事車両で行くんですけども、 その間ちょっとそれまで生活してたであろう
町がですね、一人一人いなくなって、 でいるのが牛とかですね、
家畜がですね、野放しになった状態で、 その辺りをうろうろしているような状況がありまして、
あのちょっと言葉悪いかもしれませんけども、 本当にゴーストタウンというようなね、
印象を受けました。その時ちょっと車で現地に向かう、 第1原発に向かう時にですね、思ったのが、
ここにね、生活されてた方っていうのは、この時どうされているのかなというふうに、 非常にそう心配というかですね、
気になって気になって仕方なかったですね。 それまであった日常がですね、急になくなって、
本当に映画化なんかの世界であるような、 人がもう本当に一人一人工事関係者以外全くいない状況というのが、
すごいなんか、 違和感をね、感じました。
はい、それでですね、仮設作業で現地に行ったんですけども、 まず一番最初に目にしたのが、
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テレビのニュースとかでね、見ます。 福島第1原発の1号機と3号機の屋根がね、全部その
飛んでね、 建屋が破壊されている状況をですね、実際目の当たりに、数百メートル前に
目の当たりにしまして、その当時ですね、まだ3ヶ月4ヶ月でしたので、 線量も相当ちょっとまだ高かったんですよね。
近くまではちょっと寄れない状況ではあったんですけども、
なんていうんですかね、非常に衝撃を受けまして、 なんかその
屋根屋、その大きな建物の屋根が破壊されて、建屋の方が
ニュースでね、報道されているような状況をね、見まして、すごい
壊滅的な状況で、 心が痛くなったのをすごい覚えています。
実際にですね、仮設の作業に入るにつきまして、 線量高かったもんですから、線量計をっていうのをつけまして、
1日多分2時間か3時間で、その線量、1日受けられる線量のですね、 マックスまで作業してたらもう作業は終わって1日終わりっていう形で
作業に従事したんですけど、全身当然タイベックスーツを着てですね、 ゴーグルというよりはもうあれですよね、マスクをつけてですね、
顔全体をマスクをつけて、非常にフル装備でちょっとね、やりました。
で、実際にその線量計がブブーっとつけて、なるまでが2,3時間ぐらいなんで、
本当に1日できる作業なんていうのは本当に高々知れてまして、 そういう中で繰り返し毎日作業をしました。
で、1日大体そこに作業で従事されているのが当時2,000名ぐらいっていうふうにちょっと聞いたんですけども、
それだけ全国のね、ゼネコンとか建設関係の業者さんが入って、 復旧工事にね、携わってたということになります。
そういう中でですね、国家の一大事ということを非常に認識いたしました。強くね、そういうふうに認識しました。
そういった形で町はちょっと死んだようなゴーストタウンみたいな形になり、
実際現地行ってみると、原発のニュースで見ているような絵を目の前に見て、
非常にね、カルシャーショックを本当に受けたというのがありました。
震災の復旧工事から私、ちょっとまたね、神奈川の方に帰ってきまして、
その当時3歳だった次男がですね、やっぱりその震災のニュースとかの大きな船が陸の方に座礁している写真とか絵とかですね、
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あと、津波が丘の方にずっと押し寄せてくるようなニュースでの報道とか、そういう映像を見て、
その当時3歳だった息子がですね、私が家族でいろんなところに出かけるときにも、「パパ、ここ津波来る?」って、どこ行っても言うんですよね。
それぐらい3歳の小さい子から見ても非常に衝撃的で、怖い印象を受けたんだなということで、私も強く印象に残っています。
今、その次男も中学2年生になりまして、時の達能の経過は本当に早いなというふうに思うんですけども、
以前、阪神大震災の件もちょっと話したんですけども、こちらの東日本大震災につきましても、
実際に福島第一原発の方の復旧工事に従事してみて、非常に何と言うんですかね、
いつ何時どういうことが起こるかわからないということをですね、本当に強く感じました。
ですから、自分の人生も、いつ何時こういうことがあるということもわかりませんし、
そういったことを感じまして、強く衝撃を受けた。
それとですね、併せてたくさんの方が命を落とされたりとかということで、
本当に心からですね、お悔やみ申し上げます。ご冥福の方をお祈り申し上げます。
今回は3月11日で東日本大震災から10年ということでですね、
震災に関する東日本大震災の特に仮設のですね、復旧工事に従事してみて感じたことをですね、
お話ししてみました。いつもですね東方のレイディをお聞きいただきましてありがとうございます。
またですね放送させていただきますので、ぜひお聞きいただければと思います。
ありがとうございました。
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