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こんにちは、私のラディオ、大山です。
いつも、東京のラディオを聴いてくださってありがとうございます。
本日は3月11日ということで、東日本大震災が発生して15年となりました。
改めて、その当時に被災された皆様、ご冥福をお祈りしたいと思います。
この震災については、いろんな思いが私自身もあって、今回は3.11の記憶ということでお話ししたいと思います。
15年前の3.11ですが、その当時は私もサラリーマンでまだ勤めをやっていました。
神奈川県内の大きい工場で、私は改修工場を主にやっていました。
敷地内が非常に大きい工場で、ずっと何頭もあるような工場の中で工事をやっていました。
その工場は、いわゆる乳製品、牛乳やヨーグルト、バターなどいろんな乳製品を扱って製造していました。
震災が起きて建物や外壁などの鉄骨が多く、痛みも多く、その後も改修工事に携わりました。
その工場自体は、一般の電気の供給というよりは、緊急用の別ルートで電源を確保されていました。
それでも使えない期間がありました。
ヨーグルトや冷蔵庫を使うような、製品が出来上がったものを出荷するまでに保存しておくような冷凍庫などがありました。
電源がないために、全部製造した商品を廃棄していたり、そういうのがあったわけです。
私がこの工事をやっている中で、すごい記憶に残っているのが、震災が起こった後に、色々な場所で改修工事を行うのに、
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仮設の電気をいろいろ設置するのが難しい場合には、発電機やゼネレーターをリース屋さんから借りて、色々な場所で使ったりしていました。
震災が終わった後は、ゼネレーターや電源に関するものが、リース屋さんでどこを探してもなくなりました。
仮設のハウスもなくなりましたから、そういうのが仕事をしている中では非常に印象に残っている部分でもありました。
後に2ヶ月か3ヶ月かして、私が大手のゼネレーターに勤めていたので、職員を福島第一原発に短期間発見して、2週間ほど行ったのです。
テレビの報道で見ている福島第一原発の1号機や3号機の屋根のぶっ飛んだものを目の当たりにして、第1原発で仮設の復旧作業をしていました。
全身タイベックスーツを付けて、線量計を付けて放射線をどうしても浴びてしまうので、時間を長い時間は入れませんでした。
そういうのがあって、1日たしか3000人ぐらいに従事している建設関係の復旧工事に従事される方がたくさんいらして、
福島のJビリッジという日本サッカー協会の施設が広い敷地のものがあるのですが、今は復旧していると思います。
その当時、除染したいろんな参拝をJビリッジに集積して、我々も福島のいわきの宿舎からJビリッジに寄って、そこでタイベックスーツを付けて、マスクとか保護具を全部付けて、
第1原発に行ったことをすごく記憶していますね。
行く道中、双葉町でしたかね、そのあたりは人がこれまで生活していた状況が、いきなり人がいなくなって、生活しているゴーストタウンみたいな感じでね。
家畜で飼われている牛なんかが野生化していたりとか、そういうものが歩いていたりして、
映画で見ているような世界で、ものすごい記憶に残っていますね。
その当時、そこに住まれていた方が避難して、どこでどういう生活をされているのかなと思いながら、
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Jビリッジから第1原発に行く道中、車に乗りながら、すごい何とも言えないような気分になったのを、今でもやっぱり覚えていますよね。
実はですね、私も大学生の時に阪神大震災を経験していまして、
東日本大震災が起きた時というのは、阪神大震災のことがありましたので、
本当に自分がこうやって生きているというのは、本当にありがたいなというのを感じたんですよね。
人生2回目の大震災だったんですけど、やっぱりその時に感じたね、今生きて生活できているというのがありがたいなと。
日々生活しているとね、忙しさとかいろんなもので忘れてしまいがちな部分を改めて気づかされたりとか、
そういうのがありますよね。
その当時ですね、幼稚園生だった次男がですね、神奈川県内でどこか行く時にね、車に乗せて移動している時に、
その当時やっぱり震災の時の船が座礁するニュースで映像がありましたね、津波が迫ってくるような、そういう映像がありましたけど、
やっぱりあの映像を見てですね、次男もすごい衝撃的だったようで、いろんなところに行く際にですね、
パパここ津波来るとかってね、幼稚園生の次男がですね、どこ行ってもそういうことを言ってたんですね。
それだけやっぱり小さいね、子供にとっても衝撃的な震災だったと思いますよね。
今、次男がですね、今19歳で、
去年ですかね、うちの次男が高校を卒業する際にですね、青森から神奈川の方に戻ってくる道中ね、
陸前高田とか、そういう震災の記念館とかね、実際に残っている施設とかそういうのを訪ねて、
幼稚園生だった次男が今高校を卒業して、1年前になりますけどね、
その震災の記憶とか、資料館とか、被害の大きさとか、いろんなものを見て、
スーパーテイボーみたいなものが新たにできて、いろんな状況が変わったのと、
その当時の記憶となどって、やっぱりもうそんなに経ってしまったんだなと思う。
本当にね、時の経つのをね、あっという間だなと実感しますよね。
ただ、こういった3.11とかですね、1月17日の話に大震災、
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毎年迎えるたびに、生きていることへの感謝というか、ありがたみというか、
そういうものはやっぱり感じますよね。
それだけ大きい、自分自身も衝撃を受けた出来事でしたので、
そういうのって記憶が薄れないのが本当に不思議ですよね。
阪神大震災なんかで話すとね、もう95年ですから、
軽く30年以上経っているわけですけれども、
それでもやっぱりその当時、私大学生でしたけど、鮮明にやっぱり覚えているんですよね。
やっぱりそれぐらいなんか、自分の人生においても非常に衝撃的で、
インパクトのある出来事だったなというふうに思いますよね。
そんなことを毎年毎年、記憶がよみがえって、
生きていることへの感謝とか、日々の生活に関するありがたいとか、
そういう気持ちが持てるのもね、
震災とかそういうものがあって、
命の大切さとか、そういうものを教えていただいたのかなと感じたりしますね。
今回の放送ですけどね、
改めて3.11で被災されたり、お亡くなりになられた皆様にご冥福、お祈り申し上げたいと思います。
それでは今回はこちらでお出しをいたします。ありがとうございました。