#35|イマイチな食パンが人生を変えた?証券会社員からベイカーへの転身
2026-09-12 30:37

#35|イマイチな食パンが人生を変えた?証券会社員からベイカーへの転身

「パンを仕事にする」なんて、最初から考えていたわけではありませんでした。

今回のゲストは、パンとお菓子のアトリエ「Fermentation(フェルマンタシオン)」を主宰するベイカー、茂木恵実子さん。幼少期を過ごしたサンフランシスコでの食の記憶や、食べ物の話が大好きだった家庭での原体験を伺います。

慶應義塾大学卒業後、外資系証券会社を経て、衣食住ブランドを展開する企業に勤務していた茂木さんが、郊外への引っ越しをきっかけにパン作りを始めたのは30歳の頃。ホームベーカリーで焼いた「イマイチな食パン」から、研究に研究を重ねて酵母や手ごねのパン作りに夢中になっていきました。

人生の予定表にはなかったパンとの出会い。

人はどんな瞬間に、心から夢中になれるものに出会うのでしょうか?

今回は、茂木さんの食の原体験から、パン作りとの出会いまでをゆっくりお話しします。

#FIKA日和 #茂木恵実子 #パン作り #ベイカー #Fermentation #フェルマンタシオン #働き方 #人生の転機 #食の原体験 #ポッドキャスト

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サマリー

今回のゲストは、パンとお菓子のアトリエ「Fermentation」を主宰するベイカーの茂木恵実子さんです。幼少期をサンフランシスコで過ごし、食への関心が高かった茂木さんは、大学卒業後、外資系証券会社やアパレル企業での勤務を経て、30歳を機にパン作りを始めました。郊外への引っ越しで美味しいパンが手に入りにくくなったことがきっかけでホームベーカリーを購入しましたが、その「イマイチな食パン」に満足できず、より美味しいパンを追求するようになります。この探求心が、天然酵母や手ごねのパン作りに没頭するきっかけとなりました。 茂木さんは、パン作りへの情熱を深める中で、通信教育や料理学校「ル・コルドン・ブルー」での本格的な学びを経て、パン職人の道を目指します。しかし、自身の家庭の事情や、パン屋での厳しい労働条件を考慮し、パン教室という形での独立を選択しました。東日本大震災という困難な時期も乗り越え、パン作りへの情熱を仕事へと繋げていった茂木さんの、人生の転機とパン作りとの出会いについて語られています。

フィーカとは?ゲスト茂木恵実子さんの紹介
フィーカとは、北欧スウェーデンの日常に溶け込んでいる、コーヒーを囲み、ほっと一息語り合う大切な習慣。このポッドキャストも、そんなフィーカのように。
東京🇯🇵世田谷から宇住裕子が。 そして、スウェーデン🇯🇵浦原から長谷川優子が。
暮らし、心と体、子育てのことなど、緩やかにお話しする、約25分間のトーク番組です。
また、あなたの日常をちょっと心地よくするヒントが見つかりますように。
はい、本日はフィーカビオリゲスト会をお届けいたします。
今回のゲストは、私の学生時代からの友人、もぎえみこさんです。
もぎもぎ、今日は来てくださってありがとうございます。
よろしくお願いいたします。もぎえみこです。
はい、ずっともぎもぎと呼んでいるので、今日ももぎもぎと呼ばせていただければという風に思っております。
もぎさん、もぎもぎは大学卒業後、外資系証券会社や異色住ブランドを展開する企業でのお仕事を経て、
郊外のお引越しをきっかけにパン作りを始められました。
現在はベーカーとして、パンとお菓子のアトリエフルマンタシンを主催されています。
そして、なんと9月25日であってますよね?
はい、あってます。
はい、9月25日には初めてのご著書、初めての茶パタ、外はパリ、中はうるうる、もっちり、
砂糖も油脂も使わない、一番身近な食事パンが発売されます。おめでとうございます。
ありがとうございます。
これはもう、フィーカーにお招きしなければということで、今日はたっぷりお話を伺っていければと思います。
学生時代とキャリアの始まり
すでにおいしそうなパンの香りがするような台面。
めちゃくちゃおいしいの。
一番初期から、本当に初期からひろこは食べてくださっています。
本当にね、持ってくるパン、持ってくるパン、もう何年もある?
あれが15年前です。
15年前、持ってきてくれるパン、持ってきてくれるパン、全部おいしくて、
でも、わーってやってたら、気がついたら本出すと子供になる。
そうやって育てていただきました。ありがとうございます。
今日はまず、食の現体験からパンとの出会いまでっていうところ、
もともとすごいパンパンっていうことでは全然なくて、
私との出会いで、もぎもぎ一緒に本の会やってたんだよね。
その頃は別にパンパンとか言ってなくて。
全く作ってなかったです。
パンって言うと、もぎパン。
はい、違うパンだったんだよね。
そうそう、すごいパンチ力の高い言葉をすごい繰り出すっていうので。
いやー、パンチのパンが、もぎパンの。
そう、ブレッドのパンに変わった。
もぎパンと言われてたところから、最近はえみパンと呼ばれてます。
えみパンキッチンさん。
はい。
そう、当時は学生だったよね。
私、大学4年生でした。
私、1校上。
1年目だったんだかな。
で、
でも私、
いや、アメリカに行く前。
そうだね。
私がアメリカに行く前。
ひろこちゃんがね、アメリカに行く前。
サンフランシスコでの食の原体験
そう、私がね、学生だったのかな。
2001年の4月なんじゃないかな。
かなくなっちゃったね。
だいぶ、まあ、似てるね。
似てるね。
4月じゃないのか、直前なのかな。
入社直前とかだったのかも、1校上の台が。
そうかもね。
そうかもね。
で、ちょうどもぎもぎが内定するかしないかぐらいのときに。
私が内定直後だったので。
めっちゃ怖くて。
一番たぶん、なぜか戦闘力高いみたいな感じの。
戦いモードを。
面接を戦ってたみたいな。
あの時代ってそうだよね。
就職であるし、なんかもう学生から別なものになるみたいな。
そうそうそうそう。
ちょうどたぶんね、さなぎから長になるタイミングのすごいエネルギーの高い頃に、たぶんもぎもぎに会って、
この人絶対友達になれないと思って。
そんな最初。
超怖かった。
そんなことを言われ続けながら、20何年間一緒におります。
普段すごいね、だんだん柔らかくなって。
ほぼほぼ20代、30代、40代ほぼ一緒にいるよねみたいな。
なんかあるとしゃべるもんね。
25、6年一緒にいるんじゃない?
そうだね、ほんと長いんですけど。
もともともぎもぎはアメリカで育ったんだっけ?
1か月でアメリカ、サンフランシスコの米エリアに行って、
そこから小学校1年生の6月に日本に帰国しました。
アメリカで結構ショックのいろんな体験みたいなのをしたんだっけ?
普通に向こうで育って、1年生だったんですけど、
普通に現地校に入って、土曜日だけ日本人学校に行く。
ただそれも本当に数か月しか行ってない状態で、
家では普通に日本食も食べるし、何でも出てくる。
でもホームパーティーがアメリカはやっぱり多くて、
持ち寄りが多いので、みんな何かしらを持ってきて、
そういうご飯を食べたり、
あとはアメリカ人、ヨーロッパ人もだと思うんですけど、
オーブンがだいたいお家に2段、上と下2台あって、
片方でお料理、お肉とか焼いてて、
もう1台でケーキとか焼いてるっていう、
そういうのが日常的でワクワクって見てるのが好きな子供でした。
オーブンって夢があるよね。
大好き。
その前に人とって変わっていく様子を見るのが好き。
今でも好き。
パンとかではなくて。
パンは母と姉が作ってくれたことはあるし、
生地まで作ってくれたのを動物の形にしたりぐらいはあるけれど、
本当に自分で作ったのは、
きっとこの後話すことになる、
30歳の時に作るまでは自主的にはなかったです。
パン作りへの転機:郊外への引っ越しとホームベーカリー
ちなみに、もぎもぎって大学時代とか、
自分でパン的なもの作ったりとか、ベイクしたりとかはしてたの?
お菓子ぐらいですよ。
高校の時の友達は、
お菓子持ってきてたよねって言われて、
そうだったっけなみたいな、
パンの本を出すと知ってくれた友達から連絡が来て、
そういえばお菓子作ってたよね、
そうだっけ、みたいな感じ。
小学校3、4年生ぐらいの時には、
自分でクレープとかスポンジケーキ焼いて、
スポンジケーキそのまま蒸して食べるみたいな、
デコレーションするんじゃなくて、
それはとても好きでした。
就職活動の時もまだ作ってないよね?
作ってません。
作ってないよね。
あの時は全然ね、
ベイクをする人っていう意味がなかったからね。
お菓子作りは時々するけれども、
何しろ戦闘モードだったので、
そんなに日々焼いてる感じではなかった。
しかも大学も遠かったので、
通学で往復4時間弱かけてたので、
割とそんなに余裕がなかったんじゃないかなと。
そこからどういうきっかけで、
パン作ろうみたいな感じになったの?
パンは2社目、
私1社目が証券会社で割と早々に辞めまして、
2社目で異色住関係の会社の。
でも業種としては経管理部なので、
数字周りのところに移り、
そこから家庭の事情で仕事を辞めて、
父の実家のある郊外の方に引っ越して、
その後、仕事を辞め、郊外に引っ越し、
通勤がなくなり、美味しいパンが日々買えないと。
都内とかって美味しいパンいっぱいあるよね。
頑張らなくても、それなりのパンが買える。
引っ越したら、電車に乗らないで買えるマシなパンが、
大手スーパーのインストアベーカリーで焼いてるパンぐらいになっちゃったと。
それ食べても美味しいとは思わないと。
でも食のレベルがむちゃ高いんですよ。
駅まで歩いて、電車に乗って百貨店に行って、
でも買えるパンがこれって。
都心の百貨店のパン屋さんだったら、
それなりに結構美味しいって思うんだけど、
これを買うためにわざわざ私30分固めて移動するのかなって。
それはさすがにちょっとできないなと思い、
そんなところに誰かから、
ホームベーカリーで作るパン結構美味しいよと聞いて、
そうなんだって買ってみました。
届いて付属のレシピを開いて、
近くのスーパーで普通のカメリアとかを買ってパンを作りました。
当然焼き上がった香りも焼けてく美味しそうって思って、
開けて美味しそうって思って。
パンのどこどこの香り、あるよね。
焼き上がった後のね。
さぞ美味しかったと思っていただきました。
母にもどうぞってあげた。
あれって、悪くはないけどわざわざ作りたいかと言われると、
みたいな感じに私はなってしまいました。
ホームベーカリーも難しいんだね。
いや、難しくはないんです。
難しくはなくて、その後のことを経ての感想は、
ちゃんと良い材料と良いレシピ、自分の口に合うそういうものを使えば、
それ結構美味しくできる。優秀です。
難しいのは、すごい熱くなった時とか寒くなった時に、
探求心と天然酵母への挑戦
年間通じて同じレシピでやってると、
そこでちょっと温度の変化とかがあって、
微妙なレシピを使っていると膨らまなかったりとか、
通常に付属の本で作るのだとイーストが割と多いので、
夏場だと発酵してすぎて、ちょっと爆発したような感じになるとか、
ホームベーカリーの天井にくっついちゃうってことはあるけど、
意外と良くできてます。
当時、もぎもぎからオススメされて、
ホームベーカリーを義理の実家から持って帰って、
パン作ってたよ。
私レシピあげたかな?
普通にホームベーカリーに付いてる付属のレシピで作ってたと思う。
でも私はそんなご著書を出す方向にまでは全然パンには行かず、
やっぱりすごい一気にもぎもぎ。
何か特別な興味が湧いたっていうか、
例えばオーブンとか買っても付属のメニューとかは作ったりするじゃない?
そこからより一層自分の好みを追求しようっていう風になるって、
なかなかいろんな家電がある中で、何か特別なきっかけがある?
というか、きっかけというより、
あんまりおいしくないなというのが、せっかく買ったのに。
ちょっと若干悔しいというか悲しいというか、
絶対おいしいパン焼けるようになるでしょ、材料とか買えればと思って。
もともとレシピの本とか料理の本大好きなので、
この前一応自分の本ベーカリーいつ買ったんだっけとかを、
過去の購入利益を調べたら、その直後すっごいパンの本を買ってるんですよ。
そうなんだ。
記憶でもそうなんだけど、
とにかくこれを生かすために、いい知識、情報、材料を手に入れたらきっとできるでしょうと。
でもやってるうちに、インストから始まり、
いわゆる星の天然工房って売ってる?
培養する天然工房があって、それを培養し、
その後レーズンにお水を入れて、金をレーズン工房種を作るみたいなのがあって、
それが最初からうまくいってしまったんです。
センスがあったってことだな。
気候もいい時期で、真冬か真夏だったらうまくいかなかったかもしれない。
気候的に金が活発に働きやすい時期に、かつ腐敗するほどではない時期にできて、
その時に友達に食べていただき、ちょうど30歳の時だったので、
バースデーパーティーがとても多かった。
いっぱいあって、しょっちゅうあって、
何かしらどっかでご飯食べたり、持ち売りをしたりしてる中で、
学びへの投資:通信教育とル・コルドン・ブルー
ある友達のベスっていう子の誕生日に誕生日会がありますと。
レストランで開催しますと。
どうしよう、プレゼント何にしようと思って、
パンを持ってこうかなと思ったけど、レストランじゃないですか。
これ大丈夫かなと思って、電話して聞いたら持ち込みいいですよって言ってくださって、
いろいろ焼いて持って行ったんです。
そしたら、なんとこのレストランの人は事前にいろんな種類のパン、
今思うとよく食べてくれると思うんですけど、ちょっとずつ食べて、
この料理にはこのパンを合わせようって言って、
それぞれに全部一気にじゃなくて、
ちゃんと焼き戻していい状態で提供してくれたんですよ。
全部終わった時に、こんなにいろんな種類のパンを上手に焼いて、
すごいですねって言われて、
そのレストランの人に褒められ、友達にも褒められ、喜んでくれて、
なんか嬉しいなって。
実感強いよね、きっと。
多分、食べ物を作って、人をもてなしてというか、
喜んでもらうことが小さい時から好きというか、人がよく来る家。
なので、それが普通だし、嬉しいとか、
そういう環境はあったのかなと思います。
で、気づいたら、なぜかハマりにハマり、どうしようって思って、
ただ、事故流だったので、そこから最初は通信教育を、
辻調理師専門学校の通信に申し込み、
ただ、1回目だけは手ごねなんだけど、2回目以降、全部機械になっちゃうんですよ。
機械ごねになると、この機械で何分何分って言われても、
同じことはできないと。
で、1年目、それが30歳の時の6月に本ベーカリーを買って、
で、10月に通信始め、12月に始めて、
で、本でいいなと思ってた先生の体験レッスンに当選をし、行ってみて、
当選って感じなの?
とても倍率が高い人気教室だったんです。
それで、そこに行って、こねようとしたら、もちろん先生もこねるけど、
結構同じタイミングでこねてて、自由にこねてくださいって言われて、
え、自由に?自由にというほど自分の流儀はないと。
でも周りが大手クッキングスクールのパンの先生とか結構多くて、
いわゆる本当の初心者みたいな人があんまりいなかったんですよ。
え?どうしようかな?
で、その後、次の4月に先生のところに入会をし、
でも、自由にって言われてる中で、私の自分のベースで来てきてないし、どうしようって思った時に、
ルー・コルドン・ブルーという当時大和山にあった料理学校、
フランスの料理学校の東京校に行ってみたいなと。
行けたよね。
はい、行きました。
実は大昔から憧れてはいて、オードリーヘップバーの麗しのサブリナで、
サブリナが通う料理学校だったりもしまして、
実は証券会社時代に、たぶん私生活の充実のためにいいなと思って調べたら、
すっごいとてもじゃないけど日程的に行けるような学校じゃないことがわかって、
憧れだけが残って、
会社の教室の先生もそこ出身だったので、
一応いいんじゃないって言われ、
かつ、コルドン・ブルーに一応行ったらこれを仕事にできるかもしれない。
私は家の仕事は完全にはやめられないから、
その代わり多少自由があるから、
自分でやるんだったら何か仕事ができるかなと。
一応単なるパン教室に月1回のに、
例えば10年間行っても仕事にするまではなかなかいかないし、
そこを出ましたって言った時の信頼性というか、
ここ出てれば最低限のことはしてきたんだなっていう品質保証、
大学卒業ぐらいの最低限ここぐらいはっていうことにもなるのかなと思い、
それで行きました。
東日本大震災とパン職人の道
結構週何回ぐらい行ったんですか?
週2回で丸2日です。朝から晩までで。
電車遅延してもダメで、
コースのうちに3回出られない時が、
遅刻も含めて出られないと卒業試験が受けられないんですよ。
厳しい。
結構厳しくて、しかも実は卒業政策を作る頃に東日本大震災が起きまして、
卒業政策作りに行かなきゃいけないんだけど、行けなくて1回だけ。
千葉の方の家にいたので行けなくてどうしようって
ここから先動くのどうにもならない。
電車が動かない。
電車が動かなくて帰って、だから台下山まで歩いて、
なんとか歩いて行ける子は歩いて行って、
他の人は行かなかったっていうのが1回か2回ぐらいだったのかな。
それだけはもちろん一応3回休むとダメから除外をされた。
さすがにね。
でも当時計画停電とか、電力をこんなに使っていいのかと、
こんなかっかていでパンを焼くって、
極めて電気の無駄、贅沢な行為なので、
この先パン焼けるのかなみたいな不安もあったんだけども、
結果的にそれなりに安定をして、焼ける日々が戻ってきたという感じでした。
無事ね、卒業されて。
しました。
そこから一応、地震が落ち着いた頃に、
パン屋さんに1ヶ月間研修に行かせていただいて、
それが当時三原茶屋三宿にあったシニフィアンシニフィエンという、
高加水長時間発酵、水分量がとても多いパンを時間をかけて、
味わい、香り、高いパンに仕上げていくというような作り方をしている、
志賀克英さんのところで1ヶ月間研修させていただいて、
その1年後にパン教室、フェルマンタシオン、
フランス語で発酵という意味なんですが、それを始めました。
おー、なんかすごいね、一気に20代から。
そうですね。
そうだよね。
だから、今から考えると、パン作りを始めて、
本当に3年以内に教室を始めてしまったので、
怖いと言えば怖い、いいのかなっていうぐらいの、
後にも先にも、あんなにギュインと成長カーブの角度がすごかったことは、
ないんじゃないかなと思います。
素晴らしい行動力だよね。
パン教室という働き方の選択
すごい行動力だよね。
でも、頑張った記憶があんまりない、実感がないっていうか、
たぶん楽しくて楽しくてしょうがなくて、やってこうなったっていう感じです。
なるほどね。
ちょっと聞いていいですか。
研修終わったと、もちろんパン屋さんに勤めるみたいな考え方もあったかもしれないけど、
パン教室にたどり着くっていう、
それってなかなかみんな、意外とパンを作る方、
作るっていうか、お店で作る人の方が多いような気もするんだけど、
どうしてその…
家の会社で働いている状態で、
パートで本当にちょっと働くぐらいはできるかもしれないけど、
職人としてがっつり入るほど、
私が入りたいようなパン屋さんにそのような形で入ることはほぼできないだろうなって思って。
週に朝から夜まで、
例えば3、4日は最低働かないと職人としては入れないんじゃないかな。
例えばサンドウィッチの具材の処理とか、
それこそスーパーのインストアベーカーで冷凍されたものを解凍して焼くみたいな、
そういう仕事だったらできるかもしれないけど、
私がやりたいような仕事は、そんな働き方は許してもらえない。
パン屋さんってすごい朝早いイメージあるよね。
そうだね、なんとなくね。
しがしんっていうところは何時スタートで仕事を?
日勤と夜勤があって、私両方2週間ずつさせていただいたんだけど、
しかも一般的には日勤2週間やって、夜勤2週間とからしいんだけど、
そうすると復習ができないじゃないですか。
日勤やって夜勤やって、何をやるのかわかったけど、
あれどうすればいいんだみたいな復習ができないなと思って、
私日勤夜勤日勤夜勤って1週間後退にしたんですよ。
それでちょっと体内ドッキリ的にぐちゃぐちゃになったんだと思うけど、
それで一応、夜勤は夜の10時ぐらいに行って、
そんな遅く行くの?
そういう感じなんだ夜勤って。
新夜勤なんだね。
ごめんね、看護師帰ってきて。
すごいガチ夜勤だね。
今の時代は多分変わってるかとは思いますが、
当時私が研修という、一応労働者じゃない状態で行ったのは、
夜の10時ぐらいに行って、店のオープンが11時なんですよ。
店のオープンをして、
私はオープンより後に帰るのが多かった気がします。
だから13時間ぐらい。
すごいね。
日勤の時は6時とか7時とかだったんじゃないかなと、
そっちの方があまり記憶になくて、朝が早くて。
夜勤の人が来るか来ないか、会わない時もあるけども、
閉店が7時だったのかな。
7時とか8時ぐらいから、
閉店8時ぐらいまでいる感じだったのかな、な気がします。
激しいね。
それを家業と一緒に並走してやるっていうのはやっぱり難しい。
家の仕事というベースがあって、
でも仕事として自分が一番やりたいこととか、
自分の成長とかにつながることではないから、
これだけでずっと続けるのはなぁと思っていて、
どこかで仕事って思ったこともあるけれども、
私がやりたい仕事って、
だいたいすごく働く人が多くて、
そうするとあれ、できないなっていう結論に至る。
そんな中でやるなら自分かなって思って、
自分でやるんだったら何だろうみたいな、
一応その可能性を探りつつ、
好きでやりたいことを探したっていう、
これだったらありかなっていう。
割とパン教室をやるって、
人が集まるかは別として、資格がいらないんです。
免許もいらないんです。
自分で販売する場合には免許がいります。
営業許可が必要で、
保健所がちゃんと設備を見に来てっていうのがあるんだけども、
始めるのが簡単、始めやすい。
で、当然やめやすい。
ある意味制約があったからこそ、
生み出した今の働き方の形っていう感じなのかもね。
もしかしたら、いろいろできますよ、
時間の制約もありませんよ、
もしかしたら今の形じゃないかもしれない。
全然違うことをしてると思う。
言い方が変かもしれないけど、
もう片足つながれた状態で、
どこまで動けるかの中で動けることを。
相当飛んだね。
人生の目標設定と今後の展望
そう考えたら、よく頑張ったよね。
私、ずっとプロセス見てるからさ。
そうですね。
それでもやりたいことをちゃんと実現させていこうっていう。
さすがモギモギの担任力の強さ。
いや、でもなんか、
大学時代とかに、
私、大学2年の終わりの時に、
エグゼキティブサーチ、
いわゆるヘッドハンティングの会社みたいな、
NBAから帰ってきた人たち。
帰ってきた人たちを仕事を見つけるみたいなところの
社長に就いた時があって、
目標から逆算して、今何をするって。
それをその頃から聞いて、
そうだなって思ってるのは、
私の人生全くそうなってない。
でもいいじゃん。
そんな感じです。
いいと思います。
では本日はですね、
モギエミ子さんの熱中が仕事の形になるまでの
途中のところまでをテーマに、
パン作りへの熱中がどのように学びや
仕事につながっていったかっていうのを
次ですね、お話を伺えたらなっていう風に思っています。
エンディング
はい、今日のピーカー日和はここまで。
今を生きる私たちの日々の小さな発見や気づきが
皆さまにとっての今日の暮らしを
ほんの少し軽やかにするヒントになれば嬉しいです。
この番組ではリスナーの皆さんからの
メッセージやご感想もお待ちしております。
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東京からうつみひろこ。
米電から風川ゆう子。
そして今回のゲスト。
東京よつやからもいえみこ。
はい、また次回もコーヒー片手に
ホッと一息、ピーカーの時間を。
たくそみっけん、びせーす。
See you soon.
ありがとう。また次回お会いしましょう。
30:37

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