言葉と現実の関係
こんにちは、えりむすです。
この番組では、自分らしく幸せに生きるための学びについて発信しています。
先日、精神分析学の研修を受けていたんですが、
今日はその精神分析学の話ではないんですが、
その研修の中で先生がこういうことを言ってたんですね。
言葉が現実を作るのであって、現実があって言葉が作られてるんじゃないから、
それは大事なポイントです、みたいな言ってて、
皆まで語らなかったんですよ。
それが大事だからっていうので、その話は終わったんです。
それから、何が大事なんだろうって考えてたんですね。
自分なりに投げかけられた問いをずっと反数して、
まだ咀嚼して飲み込めてるわけではないですが、
自分なりにいろいろ思うことを感じたことをまとめたいということで今撮っています。
今日の話はどちらかというと心理言語学とか、
そんなものになっていくんですが、
言語相対性仮説っていうのがあってですね、
言語が人間の思考とか認知にどんな風に影響を与えるかというところで、
その仮説っていうのは、言葉こそが人間の思考に影響を与えているんじゃないかっていうものなんですね。
これはどういうことかというと、
使う言語によって人の認知の仕方とか思考は変わっていくという研究があってですね、
例えば英語って主語を大事にするじゃないですか、
でも日本語って結構省略しがちですよね。
日本語で来たよとかって言うけど、
英語だったら彼女が来たと表現しないと成り立たない言葉がそもそも。
ってなった時にその人が誰なのかっていうのに英語だとすごく注目するんですよね。
例えば、エリムスが花瓶を壊したっていうのが、
英語だったらエリムスブログだベースなんですよね。
でも日本語だったら花瓶が壊れたっていう風にも表現できるんですよ。
英語を話す人はだから出来事の責任とか原因っていうのをより明確に記憶しておかないと状況が説明できないから、
誰がっていうところとかをよく見てたりするんですね。
スペイン語も主語を持たずに説明したりとか話したりできる日本語と同じ性質を持っているんですが、
スペイン語を使う人と英語を使う人が同じように、
エリムスが花瓶を壊したっていうシチュエーションを見た時に、
英語の話す人の方が誰が壊したかっていうのはよく覚えてるっていうような研究結果もあるんですね。
なので、使う言葉によってやっぱり考え方だったり、何を重視するかっていうのが変わっているんですよね。
色とかも、虹とかって日本だと七色って言いますけど、
本当は七色かどうかわからない。いろんな色がグラデーションになっていて、
色ってとても恣意的というか、ここからここまでが赤ですって勝手に決めてる。
だいたいそうだよねーみたいなところで、なんとなく決まってるものですよね。
犬を犬って名付けたのも人間であって、犬っていう文字と、
私たちが呼んでいる犬というものはイコールではないんですよね。
でも共通認識を測ったりとか、犬なのか犬ではないのかっていう差異をつけるために言葉が付けられているとかですね。
いつの間にか自分の言葉で作り出した世界があたかも真実であるかのような状態になることもあるかもしれないんです。
視野が狭くなっている時とか特にですね。
なので今日は非常にわかりにくいお話ではありますが、
私たちはとても曖昧なものの中で生きていて、
何が真実なのかというところは、やっぱりこう自分の中の思考の世界でしかないから、
いろんな視点を持って物事を考えていくっていうことが大事なのかなーっていうふうに思いました。
結局、こういう落とし所みたいなのが見つかったわけではないですけれども、
先生のおっしゃった現実の中に言葉が存在するのではなくて、
言葉が現実を作り出しているっていうことが大事なんだよっていう、
その発言を受けて自分なりにあれこれ考えてみたというお話でした。
多様な視点の重要性
ここでお知らせです。
明日12月1日日曜日朝9時より人の数だけ学びがある第3弾を行います。
ゲストは秋音さんです。
行動分析学についてわかりやすく発信されている秋音さん。
秋音さんのお話が聞けるのがとっても楽しみです。
お時間がある方ぜひお越しください。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。
エリムスでした。