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はい、というわけで始まりました。
最近、高杉晋作、吉田松陰にハマっていて、
前からね、もちろん大体が知ってたつもりだったんですけど、
なんか詳しくちゃんと本たくさん読むことないなと思って、
結構いろんな本読むようにしてですね、
していたらやっぱすげー面白いんですよね。
あのー、なんて言うんですかね、
すごい何が面白いかなと思ったかというとですね、
どうやったらこんなことできるんだろうということをやってることなんですよね。
そのやってる、なんでそういうことが可能なのかっていうことの、
説明がつかないところがすごい面白いなと思ってですね。
吉田松陰だったら、例えば、
村のね、片隅で消化村塾を始めたわけですけど、
その村の片隅に通える範囲の子ども、
農民とかね、下級物資の子どもとかが、
1年間か2年間ぐらいの間に100人足らず通っただけなんですよね。
全然こう、いろんなところからエリート集めてるとかね、
勉強できる子集めてるわけでもないのに、
その中からね、大臣とか総理大臣とか、
まあその経済界の偉人とかをですね、
ボコボコ排出してると。
大臣とかで5、6人、総理大臣一人、
本当に経済界の偉人とかも含めたらもっとめっちゃいるわけですけど、
なんでそんなこと可能なのかなってやっぱ思うわけですよね。
あとですね、高杉晋作とかだったら、
最後にですね、もう死ぬ1年ぐらい前に、
空データを電撃的に成功させるわけですけど、長州藩で。
あれもですね、なんで成功したのかわかんないですよね。
なんか、あのね、
完全に超指名とかでね、幕府は、
超敵にはされるわ。
幕府はね、その朝廷の命令を受けて、
長州藩を討ちに来てるわ。
4つの外国の連合軍から攻められるわですね。
むちゃくちゃなんですけど、しかもね、
高杉晋作じゃない方の、
政治勢力が長州藩を乗っ取って、
高杉晋作は1人牢屋の中っていう、
ちょっとこれ以上ないんじゃないかぐらいのピンチから、
1人で空データを成功させるんですけど、
それもすごいなと思ってですね、
なんかその、じゃあすげえ上手いことやったのかって言ったら、
全然上手いこともやってなくてですね、
1人でいろんなところを説得して回るんですけど、
誰も説得できず、
で、1人だけね、渋々伊藤博文だけ、
分かりました、じゃあ一緒に死にましょうみたいな感じで、
加わるわけですけど、
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でね、長州藩の久芸のね、
三条真根富とかの前で馬に乗って、
これより長州男児の腕っぷし、
お店捕まつるみたいなことを言ってですね、
よっしゃあ、じゃああそこ攻めようって、
最初に攻めたところはですね、
まあなんか武器庫かなんか攻めたんですけど、
武器庫がね、すでに攻められるんじゃないかって言って、
空っぽだったとかね、
下調べまんましてないっていう、
で、その後ですね、
でもまあ粘ってるうちに、
いろんな人が仲間になっていって、
最終的に空データが成功するんですけど、
じゃあその仲間になった人たちに上手いこと、
根回ししてたかって言ったら全然そんなこともなくてですね、
なんか唯一残ってる記録が、
ね、説得しなきゃいけない、
タイの人に向かってですね、
農民出身のタイ町に向かって、
このドミンツって、
悪口を言ったっていう、
それ全然説得の逆だろみたいなことしかしてないんですけど、
まあですね、
大きなうねりを作って成功させちゃって、
そのまま倒幕までさしちゃうっていう、
なんでこんなことできんだろうってやっぱ思うわけですよね、
でですね、そんなことを見ていたらですね、
まあガンディとかもやっぱそういうところあるなっていう、
なんでこう、なんすかね、
ガンディの性的みたいなのが来て、
ガンディに本位を翻しに来たんですけど、
30分くらい2人で話したらもう味方になってるみたいな、
そういうことが起こるわけじゃないですか、
で、どうしたらそういうことが、
そういう人間的魅力というか、
人間がどうやったらそんなことが可能なんだろうと、
やっぱちょっと考えてたんですけど、
それはですね、
まあ本読んでるうちに、
高杉、新坂、吉田松陰の考えをものすごく、
なんていうか忠実に履行してるだけなんですけど、
吉田松陰とガンディの考え方っていうのはですね、
似てるってことがだいぶ分かってきたんですよね、
でですね、その話なんですけど、
吉田松陰はですね、
ざっくり言うと、
私を捨てて公に使えろみたいなこと言うんですよね、
でもそれはなんかこう、
自分の心をですね、押し殺してこう、
何か全体の部品になるとかそういうことではなくですね、
志ってこう吉田松陰は言うわけですけど、
自分にですね、どことも向き合って、
自分が心を赴くところっていうのを知っていて、
それを社会に対して生かすこと、
生かすぞと考えることっていうのを、
志って呼んでるみたいなんですよね、
なんでそのためには、
自信っていうのを捨てなきゃいけないんだと、
自分に向き合ってその心が赴くところを知るっていうのは、
じゃあ自分の好きな通りにやるのかっていうと、
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ちょっとそれとも違っていて、
自分の利益とかのためにやるとか、
そういうこと、孫徳栄に対して執着しないとか、
そこを捨てると、
私を捨てきって、
でも自分の心の赴くところを見て、
それを社会に生かすんだって言うんですよね、
これはガンディもほぼ同じようなこと言っててですね、
ガンディはあの、なんて言うんですかね、
まずこの孫徳栄執着しないと、
あのなんて言うんですかね、
まあ向こうもうちょっとね、
インドの古代哲学とかヒンズ教とか、
ああいうのの宗教の考えも入ってるわけですけど、
基本的にこう、
人間は終わらない輪廻を生きさせられていて、
肉体にその魂が閉じ込められていると、
本当は魂っていうのはもうそのなんていうかな、
心理とともに荒れるものなのに、
肉体にかわいそうなことが閉じ込められていて、
しかもそれが永遠に続く輪廻、
終わりない輪廻っていうのの中に、
あの自分は囚われているっていう、
まあそういう考え方ですよね。
でですね、そのためにそこをどうやって脱するかっていうのが、
まあその仏教とかの考え方なわけですけど、
ガンディはですね、
その孫徳にとにかく執着しないと、
その欠陥への執着っていうのを捨てるんだと、
損しようが得しようがみたいなことに対して、
まあ捨てると、
これさっきの私を捨てるに近いですよね。
で、そうやって捨てることによって、
心理と共に在れるようになると。
心理と共に在るっていうことが、
まあその唯一のこの幸せな生き方なんだってことなんですよね。
で、そうやって心理と共に在るとですね、
あの、あとは自然と体が動くって言ってるんですよね、
オートマティックに。
で、その結果ですね、
完全な自分を滅した状態で、
他者へに対して、
もうその人間以外に含めた世界に対してですね、
奉仕をし続けるようになるって言ってるんですよね。
それこと自体が幸せであると言ってるんですよね。
で、まあそれをですね、
まあヨシハショイもガンディもものすごくこう、
実践してるわけですけど、
まあそうやってこう、
私の心っていうのをですね、捨てて、
自分というものをですね、
大きな何かの一部として生かすっていうことを、
ま、ガチで実践してる人はですね、
あの、そういうこう、
え、なんでそんなことできんの?っていうことを多分できるようになるってことだと思うんですよね。
まあ多分その、
実際にね、そういう人が目の前に現れて、
まああの、たら、おそらく、
まあ例えば高杉晋作とヨシハショイとか、
ね、ガンディみたいな人が目の前に現れたらですね、
おそらく、
あ、この人本当にこう、
自信がないんだって思って、
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で、そしてマジで自分が正しい、
やりたいと思ってる、
まあ心の赴くことを、
やろうとしてんだ、
それをマジでやってんだって思ったらですね、
まあ多分、
気持ちが変わるんでしょうね。
で、そういうふうにですね、
まあ自分の心の赴くことっていうのを、
え、阻害されずにですね、発揮できるようになったら、
まあそれこそ村の子供、無作為に、
確認足らず1年間ちょっと一緒に話しただけで、
そこから大人が5、6人生まれたりとかね、
偉人がボコボコ生まれるみたいなことも、
まああるんだなと、
いうふうに思いました。
なんでまあやっぱり、
これからも、
まあそうですね、
まあそういう多分難しいことだと思うんですけどね、
まあ自分の心の赴く場所とか、
赴くこととか、
あとそれは何が邪魔してるのかっていうのを、
まあちょっと意識してですね、
やれると、
まあ面白いのかなっていうふうに思いました。
以上です。
ありがとうございました。