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2022-01-31 11:38

今日の10分de1テーマ「一般意思2.0 議論なんかしても声がでかいヤツの意見が通るだけな件」について

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。 ※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください

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はい、というわけで昨日の続きです。
一般医師2.0という本の話なんですけれども、
ルソの言う一般医師というのが、
単純に民意とか世論みたいな話かなと思っていたら、だいぶ違うと。
しかもめちゃくちゃラディカルな意見を持っていて、
議会もいらないし、政党もいらないし、
コミュニケーションみたいなものもいらないと言っていて、
一般医師というのは間違いようがないから、
それに従うしかないのだ、政府はみたいな。
と言っていてですね、ちょっと独裁の感じがするぞみたいな。
ちょっとやべえんじゃねえの?というふうに思われるんですけど、
やべえんじゃねえの?と言われていた部分にこそ、
ちょっと新しい可能性があるんじゃないの?というのは本であると。
そもそも一般医師というのは何かというと、
一人一人が持っている欲求・欲望の違いというのを
総裁して足したものであるというようなことでしたね。
でですね、一般医師・全体医師みたいな話に出た時にですね、
ちょっと余談なんですけど、
つまり一般医師というのが全体主義的なんじゃないの?
みたいな話をしていたんですが、
この特殊医師・全体医師・一般医師みたいな説明を読んでいてですね、
なるほどと思ったんですけど、
全体主義というのはそれぞれ特殊医師をみんな持っているわけですよね。
Aさんだったら子ども手当て欲しいよと、
Bさんだったら老人福祉を充実して欲しいよみたいな欲望を持っていると。
その欲望を一つの目的とか的に向けて集約していくのが全体主義なんだなと思ったんですよね。
つまり、子ども手当てくれ、老人福祉を充実してくれというのに対して、
分かりました、しましょうじゃなくて、
それが少ないのはユダヤ人のせいだとかって言ってですね、
だから立ち上がれみたいなことを言うのが全体主義なんだと思ったんですよね。
一人一人の意思をどういう風に集約して政治に反映させていくかみたいなこととして面白いなと思ったんですけど、
一般医師というのはそれぞれの特殊な欲求というのの違いを総裁して真ん中に残るものであるみたいな、
ざっくり言ってそんな感じだったんですけど、
ルソは一般医師というのを政府が実行していく上でですね、議会も政党もいらない、間接民主主義とか選挙とかもいらないと、
議論とか意見の調整もいらないしコミュニケーションもいらないと言ってるんですよね。
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ただただですね、個人がそれぞれの思い思いのことを言えばいいって言ったんですよね。
つまりここでいう特殊意思をみんな表明すればいいんだよって言ったんですよね。
で、なんでそう言ったのかっていう話なんですけど、
まず一般医師っていうのがそれぞれの違いを総裁して真ん中に残るものって言ったんですけど、
数学的存在なんですよね。
例えばですけど、民議とか、
僕らがですね、30人で一クラスで一つの意見まとめようって言ってですね、
それぞれ議論してですね、
よし、じゃあこのクラスとしては運動会の出し物はこれをします、みたいなことを決めるわけじゃないですか。
で、それってみんなで議論したりとかですね、
誰か声のでかい人が言ったりとかする中で調整とかね、
いろんな議論とかを経て一つに修練していくわけなので、
全然ですね、数学的に存在するわけじゃないんですけど、
一般医師っていうのは人それぞれがみんなバラバラなことを言ってるんだけど、
共通して真ん中にあるのはこれだよね、みたいなものなんですよね。
だから、さっきのクラスの例えで言うと、
クラスがその出し物を一つにやっていこうというときに、
頂上端にいろんな議論とかをしていくっていうのと比べるとですね、
何の操作も加えられてないわけですよね。
そこに一クラス30人いるって言ったらですね、
30人の平均体重っていうのが当然存在しますよね。
平均身長っていうのも30人いるだけで存在しますよね。
そんなようなものと一緒で、調整とか議論を経つと、
一般医師っていうのは厳然と存在するんだと、
物のように存在するんだと言ってるわけですよね。
でですね、一般医師っていうのが調整を経てないデータで、
個人個人の思いがそのまま出たものであると、
その上に成立する単純に数学的なもの、
平均身長とか平均体重のようなものだとしたら、
それはもうそれぞれの違いの数が多いほど、
つまりデータが多いほど一般医師の精度は上がるでしょうって言ってるんですよね。
それは統計学的にそうですよね。
例えば30人の医師というのを探るときに、
30人の意見をバンと全員出してもらって、
それの平均値みたいなのを取った方が、
みんなの思っている医師っていうのに近いはずで、
その30人の意見を誰一人みんなで話をまとめて、
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じゃあ俺がこうやって発表するねっていう内容より、
みんなが思っているものに近いはずだっていうのが、
ルソーの考え方なんですよね。
つまりだから議会政治とかがダメだっていう話になっていてですね。
すごくわかりやすい例で言うと、
アメリカみたいなのが二大政党制っていうのがあったら、
ルソーに言わせるとそれはもう単純に2つの特殊意志があるだけだよねって言ってるんですよね。
しかもその中で議論なんてしようもんなら、
単純に声がでかいやつの特殊意志がまかりとるだけじゃんと。
全然個人の意思とか反映されてないし、
個人が自由じゃないですよねみたいな話をしていて、
だからなんか一つにまとまっていくんだけど、
みんな違うなって思ってるみたいな、
そういうことが発生するよねっていう風に言っててですね。
だからこの一つの意見に修練するときにですね、
僕らって問答無用でコミュニケーションをすごくたくさんしたりとか、
議論に議論を重ねる。
熟議をちゃんとする。
熟した議論をするっていうことはいいもんだっていう風にですね、
問答無用で何かを教わっているのか染み付いている部分があるんですけど、
ルソーに言わせると全然良くないって言ってるんですよね。
力を持っている人の特殊意志っていうのが、
弱い人の特殊意志をただ封じ込めるだけじゃんみたいなことを言ってるんですよね。
だからそこの議論しましょうみたいなことにある暴力性みたいなのをですね、
そこにちゃんと見出してるんですよね。
さらにそのコミュニケーションして議論を減れば減るほど、
合理的な判断ができる理性的な存在なんだっていうそういう人間感みたいなのも否定していると。
でもこのですね、コミュニケーションして議論を減るほど、
合理的な判断っていうのに近づく、
そういう理性的な存在なんだ人間は、
人間はあらねばならないよねみたいなのも、
なんか知んないけど、無意識に染み付いてますよね。
そういうものを僕らは無意識に、
多分ルソーのちょっとこうやばくないっていうのをですね、
後でなんとかかんとか否決して、
ちゃんと今の形持ってた人たちがそういうものをちゃんとたっ飛ぶ思想を入れてったんだと思うんですけど、
多分僕らその影響でですね、
人間はちゃんと合理的な判断ができる理性的な存在だ、
もしくはそれを目指さなきゃいけない。
そしてだからこそコミュニケーションと議論っていうのを大事にして、
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そういういい判断っていうのにつなげていかなきゃいけないんだみたいなのがですね、
なんか染み付いてるんですよね。
染み付いてるんですけど、
それ信じてるかって言われると、
信じてねえなと思うんですよね。
でですね、それをお題目みたいなものをですね、
僕らは信じてるふりして実は信じてないって感じがあるんだと思うんですけど、
ルソーの方はですね、それをものすごく正直に言ってるわけですよね。
それを信じてないから、そういうことを信じてないから、
信じてないという感覚を元に議論を展開してるわけですよね。
だからルソーはもっと人間って非合理的で弱くてですね、
理性なんて当てにならないでしょと。
なんだったら自分が何を欲しいかすら自分でわかってないでしょって感じなんですよね。
だからそういう人間像みたいなことを考えたときに、
一般意志っていうのを元にした政治が行われなきゃいけないんだと。
っていうような感じなんですよね。
一般意志っていうのを導き出すときに、
コミュニケーションも議論もいらないんだと。
そんなことできるような立派な人間なんていねえんだみたいな、
そういう感じなんですよね。
だからですね、これもすごいですよね。
どうもですね、やっぱりそういうこう、
こういう人間感みたいなのをですね、
そもそも持ってた人だったみたいでですね、
すごく引きこもりみたいなキャラクターというか、
すごいね、当時のフランスとかで人気知識人とかね、
この人は小説家としても有名だったんですけど、
でなるとですね、当然サロンへのお誘いとかがあってですね、
みんなでこう議論したりとかおしゃべりしたりとか、
マウンティング取り合ったりとかするらしいんですけども、
それがすげえ嫌だったらしいんですよね。
でも、なんかもう田舎でゆっくり過ごさせてくれみたいな、
こいつらのこのマウンティングを経ないと何かを成し遂げられないのかみたいな、
マウンティングうまいやつの言葉だけが言ってしまうのかみたいなね、
実現してしまうのかみたいな、多分そういう思いがあって、
そんなん絶対嫌だと。
もっと個人一人一人が自由な、
たっ飛ばれている政治ってのはどういうことかって考えて、
多分こういうような考えに行き着いてるんですよね。
ということで、この辺も面白いなと思いつつ、また続きは明日です。
失礼します。
11:38

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