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2021-07-09 08:07

今日の10分de1テーマ「諸子百家に見る何が正常で何が異常か」について(後編)

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。第6回目は引き続き「諸子百家に見る何が正常で何が異常か」について話してみました。 #孔子 #荀子 #韓非子 #諸子百家 #中国古典

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前回の続き
2つの側面のうちの、語りにしかついていなかったと。
法律はあるんだけど、道徳っていうのがなかったからですよね。
だから力が弱まったら、あ、じゃあもう罰されないんだったらいいや、みたいな感じだよね。
ぶっ壊しちゃえ!みたいな感じになるわけですけど。
で、それの反省をもとに、カンがその後にね、
儒教の考え方っていうのは、じゃあ結構いいよね、もう語りにはいいよねって話になって、
上を敬いなさいとかね、
お神を敬いなさい、みたいなのを思想的な論拠に使ったわけですよね。
それでその儒教の考え方っていうのがめちゃくちゃ、
中国とかもう東アジアにめっちゃ広がるわけですけど、
まあやっぱそれはちょっと、まず一つは孔子の言ってることが骨抜きにされてるというか、
まず違う形にはなっちゃってますよね。
あとその、心を支配するのに使っているわけで、やっぱ恐ろしいことでもあるわけですよね。
だからまあ、その後ね、さらにそれが進んでいって、
宗の時代だったかな、朱子学ってね、朱子っていう、
おじさんが言った朱子学っていうのがすごい、
これもっと支配にいいねってなって取り上げられていって、
朱子学って言ったら、力に言論とかね、なんかいろいろ理屈をこねてるんですけど、
まあざっくりと言うと、偉いものは偉い、以上みたいな感じで、
それ偉いものは偉いんだから、もう偉いんだみたいな感じで、
なんて言うんですかね、
まあ身分差別の肯定にめちゃくちゃいいわけですよね。
だからまあそれを江戸幕府とかも取り入れていって、
やっぱりそれが学ばれていって、
みんなの道徳化みたいなのにすごい自然と浸透していって、
まあ支配がすごく安定したわけですけど、
まあそういうことをね、朱子学の本を読んでると、
ミシェル・フーコーの言ってたことがやっぱり思い出すなというのがあって、
まあちょっとね、ざっくりというかね、
フーコーの言ってること難しいんで全然理解できてないんですけど、
まあざっくり言うとね、何が正常か何が異常かっていうのは権力が決めてると、
権力が決めて、それによって心を支配しているんだと、
それによって権力っていうのは支えられてるんだみたいな、
まあそういうような話なんですよね。
フーコーってね、いろんな監獄だったりとかね、
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精神病院だったりとかね、そういうのの歴史を調べて、
つまり監獄だったらその時監獄に入れられてる人っていうのは、
その時に社会から悪いと思われてるから監獄に入れられてるわけで、
じゃあ精神病院に入れられてる人っていうのは、
その時社会から狂ってると思われてるから入れられてるわけで、
じゃあ何が悪いのか、何が狂ってるのかっていうのをジャッジを見ると、
権力構造っていうのがどういうふうに変遷していってるのかとかね、
それによってどういうふうに何が正常で何が異常かと、
みんなが自然と思ってしまってるのかっていうのが分かるよねっていうような、
まあそういう手法なんですよね。
例えばですけど、貧乏に対する考え方っていうのの変遷の話が面白かったんですけど、
もともとカトリックが支配、プロテスタントが出てくる前って、
カトリックって製品の思想っていうのがあるんで、
貧乏人っていうのは清いもんだし、
あとお金持ってる人っていうのはお金を貧乏人に分け与える貴社ですよね。
貴社することによってより天国に近づくよみたいな、そういう考え方があって、
なんで貧乏な人いると哀れなとお金渡すっていうのがあったわけですよね。
でもその後、宗教改革があって、カルバン派っていうのが出てきたときに、
カルバン派っていうのはお金儲けするっていうのは、
神に与えられた仕事をちゃんとやってるってことだからいいんだって言って、
お金儲けをすごく肯定したんですよね。
ってなるとですね、今度は逆にお金儲けしてる奴は偉いし、
神の意向にかなってるんだけど、
お金儲けできてない奴は良くないよね。
貧乏とか不老者みたいになってる奴って、
ダメだよねって感じになって、
貧乏人を逮捕して収容するようになるんですよね。
そこでもやっぱり、何が正常で何が異常かっていうのが、
いろんな社会とか権力のあり方で変遷していってるんだと。
あとは、強人に対する扱いですよね。
強人って言い方がいいのかどうかわからないですけど、
昔はね、わーっつって妄想で、
妄言みたいなことを言ったりすると、
精霊が取り付いてるとかね、神の言葉だみたいな感じで、
ありがたがられたりとか、
共同体とかでね、みんなで面倒見ようかみたいな部分があったわけですけど、
例えば資本主義みたいなのがどんどん発達していくと、
資本主義だから、働いてお金稼ぐっていうことが正常な人間なんだと。
それができないっていうことはちょっと異常なことなんだと。
なんで、病院に入れて治療をしてあげないといけないと。
その治療っていうのが、医学的な治療というよりも、
ちゃんとお金稼げるような正しい人間にしてあげないと可哀想だよね、
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みたいな感じなわけですよね。
そうじゃないと、可哀想だから戻してあげなきゃいけないっていう、
みんなそういう道徳心で治療をしてあげようっていうような考え方に変わっていってるわけですよね。
今もね、基本的には精神科とかね、
そういう考え方の延長線上にあると思うんですけど、
ちゃんと働ける状態に戻してあげないと。
だって働けるってことがちゃんとしてるんだから、みたいなことなわけですよね。
そうやって考えると、やっぱり時代時代の権力によって、
権力構造とか社会のあり方によって何が正常か異常かっていうのは変わりますし、
最初はね、これ便利やなとか言って権力者が用いたとしても、
その状態が長く続くと、そのこと自体がもう完全に、
みんなの中で内面化しちゃって、本当に心の底からそれを正しいと思ってしまうんですよね。
だからやっぱり、儒教っていうのはちょっと骨抜きにして取り入れて、
それの状態が長く続いたことで、やっぱり僕らの中に、
儒教のちょっと、孔子が言ってたのとは違う形での儒教の考え方っていうのが根付いちゃってるんですよね。
だからそういうパッと見て、なんかおかしいなとか、
なんか正常だなみたいな風に思うっていう感覚って、やっぱりそういう部分に少なからず支配されてるんで、
こういう思想の本とか歴史の本を読むと、割とその辺がデトックスされて、
面白いなという風に思いました。
そうですね、これで以上です。
なんか初の前後編になって、あんまり尺の感じとか感覚とかはまだつかめてないんで、
こんな感じなんだという風に思いつつ日々やっています。
ということで、これからもよろしくお願いします。
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