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はい、というわけで始まりました。
本日はですね、諸子百家の掃除って言いますよね。
あの掃除の本を読んだんで、その話をしたいと思うんですけど。
えっとですね、もともと中島隆博さんの書いた
掃除、鶏になった時を告げよっていう本を借りてきてですね、読んだんですけど。
現代哲学とか絡めててですね。
あとなんか、皆さんご存知の掃除なんですけど、ぐらいな感じのですね。
いやまだ掃除のことは知らないんですけどっていう感じだったんでですね。
ちょっとこれから読めないなと思ってですね。
あとなんかこう、何でしょうね。
なんか掃除をこういう細かい論で語ることにちょっと違和感があるっつーかなっつーか。
なんかあんまり僕にとってはちょっとピンとくる本ではなくですね。
これ普通に原点読んだ方がいいかって言ってですね。
原点読んでたんですけど、まだどれくらいだろう。
3分の1か4分の1かしか読めてないんですけど。
すごい面白くてですね。
で、その話をしたいと思うんですけど。
なんかその面白さって何かって言うと、単純にお話なんですよね。
お話、ストーリーが面白くてですね。
で、かつなんかこう、そのどのストーリーもですね。
ちょっとこうフリスクみたいな清涼感があると。
例えばですけど、僕がこの話が面白いなと思った話で言うとですね。
船の話があってですね。
なんか2隻の船が川を渡ろうとしてですね。
反対、両岸から渡ろうとして川でぶつかってですね。
で、なんか片方がプンプン怒ってんのかな。
ごめんなさい。全然話す前に下調べ物もしないんでうっすらした記憶ですけど。
プンプン怒っててですね。
で、あいつぶつかってね。
で、なんかその時にこう、どう思うみたいなこととかごめんとか言ったんだけど何のリアクションもなく過ぎ去ってて腹立つみたいなことを言ってると。
で、なんかそれを聞いた掃除家誰かがですね。
まあ確かにねと。
ぶつかって、船と船がぶつかると。
で、向こうに人が乗ってるなと思って。
で、その人に気をつけてくださいねって言って無言であると。
ちょっと返事なんかしてくださいよって無言であると。
言ったらもう、おいお前って怒ったりするよねと。
喧嘩になったりするよねって言って。
でもその同じことが誰も乗ってない船だったら喧嘩になるっていうのはならないですと。
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誰も乗ってない船にぶつかっても空っぽの船にぶつかったなと思うだけで喧嘩になりませんと。
そうだよねって言って。
そういう風に自分が空っぽの船になれば他人に怒られなくて済むよねみたいな話があって。
すごい面白いなと思ったんですよね。
相手に対して怒りが湧いてくるのは相手がいるからだみたいな感じなわけですけど。
それがいなかったら、非人間的なもんだと思ったらその怒りも湧いてこないよねみたいな話の流れ的に普通ですね。
そんな風に考えてみたらみたいな。
相手に向かってきてもなすびぐらいには持っておけばいいんじゃないのみたいな。
そういう安い方向に話が流れるのかなと思ったらですね。
自分自身が誰も乗ってない船になればいいって言ってて。
そうきたかみたいな。
すごいなみたいな。
どうやってなるんだろうみたいな感じなんですけど。
そういう話がめっちゃいっぱい載ってるわけですよね。
だから普通に読んだと面白いんですけど。
漏走思想って漏死が先で掃除が後なのかなと思ったら実は逆らしくてですね。
掃除が先で漏死が後らしいんですよね。
しばせんの書いた式に漏死の教えを掃除がわかりやすくしたみたいなことが書いてあって、
時系列が逆に書いてあるんでそのイメージが定着して漏走思想とか言うらしいんですけど、
実は掃除と漏死である、掃除が先であるということらしいんですけど、
両者に共通している思想として道って書いてタオってやつがあるわけですよね。
このタオっていうのは宇宙の道理みたいなものなんですけど、
全ての存在の根源で無であり有でありみたいな、
そこから一つがでその一つが二つになるみたいなですね。
全然わからないですけど、とにかく全ての存在の根源なんだと。
それを感じなさいみたいな、それに身を委ねなさいみたいな、
そんなような考え方なんですよね。
それを聞くとちょっと仏教に近い感じがする。
特に初期の仏教に近い感じがして、
悟りとかのそういうものに近いのかなっていうふうに思ってたんですよね、この本を読むまで。
実際に仏教が中国に伝来したときに、
結構中国人としてはこれ俺ら知ってる漏走思想と近いぞってやっぱり思ったらしくて、
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それとミックスされて中国では漏走思想と仏教で思想的にミックスされたらしいんですよね。
その状態で日本にも渡ってきてるんですけど。
なんですけど僕が読んだ漢字で言うと、
その相似を読んでると悟りみたいな、
仏教においての悟りとかともまたちょっと違うなっていうふうに思ってですね。
自分の本のまだ全部も読んでない状態なんで、
尻尾の先っぽくらいしか捕まえてないんですけど、
自分の読んだ漢字の理解で言うと、
物事を区別して上下をつけたりとかするのが多分諸悪の根源というか、
だとどうも思ってるみたいでですね。
でも一方で人間というのはその坂からはなかなか逃れられないでしょう。
何か世界とか物事を分けて上下つけたりする、
差別したりとか区別したりするっていうのからは、
本性的なものでなかなか逃れられないでしょう。
別にこんなこと書いてないんですけど、
おそらくですけど、
だからタオってものがあることとしてですね、
全ての存在の根源とかですね、
無であり有であり宇宙の通りみたいなですね、
そういう絶対的なもの、
絶対的な上位概念みたいなものを仮想するというか仮定してですね、
それを仮定するとですね、
それとそこから生まれたもの、
我々、世界みたいなものっていうような対立というふうに捉えると、
対立というか区別、その2つがあるというふうに捉えると、
こっち側のですね、世界とか自分とかですね、
そういうこと、全てどうでもよくならないみたいな。
で、その全てどうでもよくなるっていうことは、
なんかその世の中のですね、
いろんな区別したり上下つけたりみたいなこと、
なんかみたいなことが、
まあどうでもよくなると。
だから、タオってものがあると仮定する考え方をすれば、
物事を区別つけて上下をつけたりするような、
まあ諸悪の根源のような人間の坂からですね、
逃れられるんじゃないの?というような思想なんじゃないかというふうに、
まあ僕は理解したんですよね。
つまりですね、ちょっと方便に近い、
そのタオってものが方便に近いもので、
だからですね、まじでというかある種本気になってですね、
タオとは何かみたいなですね、
というよりもそれぐらいの、
なんかもう絶対的なものっていうものを仮定することで、
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現実のですね、その世界っていうのを区別する、
人間の坂から逃れられる、
みたいな考え方なんじゃないかなと思ったんですよね。
まあ例えばですね、
有名なエピソードで、
虎鳥の夢ってありますけど、
ソウジが寝ててですね、
蝶になって夢見てひらひら飛んでて気持ちいいと。
で、目が覚めて、
ああ、なんか蝶になって飛んでたなと思ってるんだけど、
これは、
ソウジが蝶々の夢を見たのか、
それとも蝶々がソウジの夢を見てるかどっちでしょうね、
みたいな話が、
短い話があるんですよね。
でですね、これも別になんかこう、
なんていうんですかね、
果たして俺たちが生きている世界は、
誰かが見ている夢なのかと、
そういうことじゃなくですね、
なんかこう、
それぐらいなんていうか、
地続きなものというか、
夢を見ている人間からすると、
夢のリアリティとかみたいなものは、
嘘ではないですし、
あれは夢で、こっちは現実だよね、
みたいなことでもなくですね、
別に夢の中で自分が感知したことっていうのは、
現実ではあるわけで、
それらが区別っていうのも、
そんなつけらんないよね、みたいな、
ぐらいの話だと思うんですよね。
でですね、
そういうようなエピソードをたくさんですね、
船のエピソードやら、
蝶のエピソードやら、
みたいなことをたくさんですね、
手を替え品を替えたくさん出してですね、
それで、
なんかまあ、
こんな感じだからさ、
区別しててもしょうがないよね、
区別なんてつかないよね、
上下とかつけらんないよね、
とかみたいなことを、
そういう思い込みみたいなものをですね、
デトックスしていくみたいな、
多分そういうような本なんだと思うんですよね。
で、
一箇所ですね、
なんかこう、
その、
ソジの中で、
生物論っていう、
斎藤さんの際に物の論って書いてですね、
全ての物が同じである、
一つである、
みたいな論っていう意味なんですけど、
っていう、
その、
ほとんどこの、
ロジックなくですね、
だいたいストーリー、
エピソードの羅列なんですけど、
これだけすごいロジカルにですね、
えー、
なんというか、
その、
えー、
他をの考え方だったりとか、
その区別をつけるってことが、
まあよくないんだよ、
みたいな話をですね、
あの、
めっちゃロジカルに、
めっちゃ難しく書いてるんですけど、
難しすぎてよくわかんなかったです。
あの、
よくわかんないけど、
まあ多分ですね、
そこに書いてある、
まあこういう理屈ばっかりって言っても、
そんなに面白くないんだよね、
みたいな多分感じでですね、
いっぱいエピソードを用意して、
まあそれを語っていると、
それで感じてくれと、
えーと、
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いかにその区別がどうでもいいか、
みたいな感じだと思うんですよね。
というわけでですね、
まあそんな内容なんですけど、
まあそれを読んでて、
まあいろいろ思ったこともあったのでですね、
ちょっとその話を、
また明日話したいと思います。
よろしくお願いします。