はい。ということでね、前日は岡山市の中心部にホテルをとっているという想定でおります。
はい。 岡山駅の東口の方面、岡山城がある方面ですね。中心地のどっかにとっているということなので特には指定はしていませんが、そこを出発するということにしましょう。
はい。 二日目はですね、結構盛りだくさんでありますので、ちょっと早めに行動を開始したいというふうに思っています。
8時頃にホテルを出発したというふうにして、早速ねまず朝ごはんをちょっと食べに行きたいと思うんですね。
はいはい。 それがですね、スタンド1-1-3です。
これはベーグルかな? そうです。 なんか本当モーニングに気持ちよさそうなお店ですね。
そうですね。ベーグルとスープとかジュースもあるんですけれども、まさに朝ごはんにぴったりというね、スタンドになっているわけですね。
スタンドと言いつつもちろんイートインの席もありますから、席に座ってしっかり食べることもできます。
はいはい。いやいいね、美味しそうだね。アンバターとかね、卵サラダ、ハーフ&ハーフとかできるんだね。
これがポイントなんですよ。やっぱどうしてもベーグルってまあまあボリュームありますから。
結構ね、ズシッとくるよね。 ズシッときますよね。バンズが結構しっかりともちっとズシッとっていう感じですから、いろんな味を楽しみたいなっていう方がいらっしゃったら是非ハーフハーフにしていただいて、僕も実際そうしました。
僕は一つはちょっとお惣菜系、一つはデザート系という感じでしましたけれども、どっちも美味しかったですね、非常にね。
このベーグルスタンドなんですけれども、岡山市の本当中心部の交差点にありまして、目の前をね、丘電っていうまあその路面電車が行きかかっているような形で、なんか本当におしゃれな、だからちょっと忙しい、いい意味で忙しい感じのね。
ベーグルって多分そういうやっぱりビジネスとかに生きている人の結構用途があるのかなと思うんですけれども。
ちょっとサンドイッチ的なね、手軽に食べれるって感じ。
そうですそうです。なのでゆっくり喫茶店モーニングというわけではなくて、とりあえずでも美味しいものを朝パッと食べて、一日のこれからをシャキッとしたいっていう方にまさにぴったりなのかなと思うんですね。
で、このスタンドイッチの市さんはね、いろんなラインナップがこうやってあるわけですけれども、旬のフルーツだったりとか、岡山のチキンだったりとかっていう地元の食材を使いながら、特にね、このパンがやっぱりこだわりがすごくあるそうで、これね、後々行くんですけれども、宗寺市っていう美中の国の山間にある市があるんですけれども、そこのねパンだけを使っているというね、そこのパンに惚れ込んでっていう感じらしいんです。
だからやっぱりバンズのこだわりがすごいんですよ。実際やっぱりこれもね、小麦の風味がやっぱり結構しっかり効いてきて、やっぱり美中美前のね、このキビの国のなんとなくその小麦の漂う感じっていうのはね、この辺からもうかがい知れるような感じがあるわけですよね。ただ言っておくとこれラブソングさんとは関係ありません。
いやでもいいね、すっきりした朝を迎えられそうな感じがしますね。
それはもちろんこういったメニューからもうかがい知れるところではありますし、店舗の写真が非常に綺麗だと思うんですよね。
店内がすごく木組みの骨が見えてて、クラフト感もあるというか、でガラスもすごい広く作られてるので明るいしね、気持ちいいよね。
これはね、やっぱりポイントが実はありまして、なんとこのお店を運営されてるのはね、デザイン事務所さんなんですね。もうそっちのプロなんです。
なるほど。
そもそも。その方々がこのお店をプロデュースして、自らのデザインの知見を生かした店舗設計とブランド化をされてると。
で本当にね、中心繁華街の目の前にありますから、本当に岡山のこう忙しいね、都会の朝っていうのをね、こう南からね、美味しいベーグルをいただけるっていうね。
やっぱりちょっと旅行者というよりは地元の方が多かった気がしますね。
ああ、なるほどね。
僕ここね、こないだ1月に出来たばかりでして、岡山その日ね、異常なぐらい1年のうちの極寒日っていう日に出ちゃったんですよ。珍しいんですよ、岡山あったかいんですよ。
なのでね、僕はたまらずね、スープをいただきまして、それがまた美味しかったですね。スープセットみたいなのもできましてね。
今月のスープみたいな形で色々と変わるみたいなんですけれども、ガスパチョだったりね、ミネストローネだったりね、その時々のスープがあって、それをセットにできますから、そういうのもいいんじゃないかなというふうに思いますね。
いいね。ベーグルってちょっと水分欲しくなるよね。
そうそう、そうなんですよ。ちょっとやっぱり重いんですよね、もちっとしてね。だから手軽でありシャキッとするね、新しい朝をちゃんと迎えるというね、岡山先生の詰め込んだモーニングをいただきたいと思うわけですね。
スタンド1-13は本当にスタンドっていう感じで小さなカフェなので、駐車場は多分なかったと思います。ですからホテルから歩いて行って、またホテルに歩いて帰って、そっからね車をピックアップしていよいよ本格的な観光に入っていきたいと思うわけですね。
まずですね、今回のタイトルにですね、土と炎と鬼の記録っていうふうにあるんですけれども、鬼はおよそそのね、鬼滅神社のちょっと触れたんですけれども、他の2つについてはまだ全然触れてないと思うんですね。この辺を今日ちょっとね深めていきたいと思います。
はい。 そのためにですね、実は岡山城のすぐ近くなので前日でもいいんですけど、この校庭場は今日ここで話しておいて、出場所にまず行っておきたいと思うんですね。それがホテルで車をピックアップしてから車で5分ほど岡山交絡園方面に行ってください。そこでね申し訳ないんですけど駐車場ないので、どっかコインパーキングに停めていただきまして、岡山市立オリエント美術館です。
オリエントって古代の文明のオリエントですか? そうです。世界史でやりましたよね。 そうそうそう。やっぱあの時代はね、一番最初から覚えるんだよね。
そうですね。まだ怠けてないよっていう人で。今の国で大体どの辺かっていうのは。 中東の方ですよね。 はい。要はメソポタミアも含む辺りなんですけども、中東地域全体、西洋とアジアの間って言っちゃざっくりしすぎてますけれども、メソポタミアももちろんそうですし、アシリアとかイランとかイラクとかあの辺もそうだし、トルコの話だったりとか。
はいはい。 いわゆる中東アラブ系のところに栄えた文明というものがざっくりオリエントって括られるところですよね。の美術館なんですよ。 それが岡山にあるの? そうなんです。ちょっと概要を話してしまいますと、これね、日本で唯一古代オリエントを専門とする公立の美術館なんですね。
へー。 あくまでも岡山市立になりますので、岡山市が運営している公立美術館なのに、古代オリエントを専門としてるんですね。 なんで? はい。およそ5万年前からの資料5000点を約収蔵していて、3000年前ほど前のアシリア、イラクですね、の非常に貴重なレリリフとかの実物を見学できるっていうね、すごい美術館なんですよ。
はい。 で、これができた経緯というのは非常に面白い話でもあるんですけれども、俗人的なんですね。これね、1967年といいますか、今から約60年前ですよね、に岡山に巡回してきた、つまりいろんな日本の主要都市でやっている展覧会の一つを岡山でやった、これがメソポタミア展というのがあったそうなんですね。
うんうん。 いわゆるメソポタミア文明の遺物とかっていうものを日本で巡回したのがあったそうなんですけれども、その時に岡山に来たとみたら、この岡山に問われた実業家の方がいたそうなんですが、その人が今まで見たことのないこの美だということで胸を打たれてしまって、もうドハマリしてしまったの。
実業家ということである程度経済的な余裕もあったということもあるそうなんですけれども、そこから自分でいろいろ探求し始めたんですね。で、そのメソポタミア展のゲストスピーカー的に携わっていた研究者のオリエントの方といろいろ話をしているうちに、実は日本というのはオリエントに対する研究の素材というのが非常に不足しているんだと。
西洋とかがいろいろオリエントから持って行っちゃったものもあるからあれなんだけれども、残念ながら日本には物がなさすぎて研究が滞っているんだみたいな話を聞かされたそうですね。
まあもう土地的に離れてるからね。しょうがないっちゃしょうがないんだろうけど、研究したい人にとってはちょっともどかしいところだよね。
私、個材のことを考えれば、要はあの辺のペルシャとかアラビアの方からシルクロードを通って日本に渡ってきた文物っていうのもあるわけで、必ずしも無関係ではやっぱりないと。
宗教のところとか言ってもね。なので、そういったところもあって非常に惜しまれるんだっていうことを研究者の人から聞いたと。
したらですね、なんとこの実業家の方がですね、ならばということで、自らこのオリエントと言われていたあの地域に当時行って、そこでねプライベートのお金としてこのコレクション異物を集め始めてしまった。
それを収集してこれを研究のたちにしてくれっていうことでね、コレクションしたって言うんですね。
へえ、すごいね。
で、当時というのはやっぱりあの辺の地域っていうのはまだ観光地としても認知されていなかったりとか、日本も戦後復興でオリンピックやってっていう状況で海外旅行も一般的じゃないですから、その地域との繋がりっていうのは全然まだやっぱり今と比べてないものだったわけですよ。
その中で、だから逆にメソボタミア展っていうのはインパクトが大きかったんだと思うんですけど、ただそういう中でオリエントに取り付かれたとあるこの実業家さんがいたおかげで、そのコレクションというのは日本全体を見ても非常に学術的に高いものになったということで、これの美術館を作った方が良いんじゃないかということになったんですね。
残念ながらその実業家の方はですね、途中病に倒れてしまって岡山市にそのコレクションが寄贈されて、岡山市の方でちゃんとこの美術館をただ作りましょうというその価値を認めたんです。別に岡山とは何の関係もないですよ、はっきり言って。
またね、この三笠宮さんっていう後続の方がいらっしゃったわけですけれども、この方はオリエントの研究家でもあった方で、そういった方々の講演も得て、公の力としてやっぱりこの私から始まって公が後からフォローするっていう、すごい異例の美術館の設立の仕方で、この日本有数の美術館ができたんですね。
すごい情熱だね。その展示を1回見ただけで、そこまでの行動力に行くのがすごいね。
ただ実際ちょっと展示物を見てもらうとね、取り憑かれるにもわかるかもしれません。
壁画というか、なんていうんだろう、石碑みたいなことだね。
いわゆるレリーフですよね。これがさっき言った約3000年前のイラクにあった実物なんですよ。この和紙がね、人の形をしているっていう異形ですよね。
要は多分日本の文化的な経費では散在し得ない。まず和紙を擬人化するという発想がないわけですよ。
確かにそうだね。なんか日本の芸術だと、和紙は和紙のまま描くのが多い気がするね。
それこそ駅員の絵とかね、時代全然違いますけど。
なぜ和紙が王になるのかっていうふうな、これはちょっとオリエントの詳しい人にぜひ聞いてほしいんですけれど。
やっぱり気候風土条件によって全然人々の発想とかっていうのは変わってくるような、それは今でも同じですよね、自然のことなわけで。
そういうのにやっぱり日本人っていうものが普段目にしていても全く違う思考を持った人っていうのが世界にいるっていうことにやっぱり胸を打たれたそうですよね。
確かにその当時だとそれに触れる機会っていうのがなかったのかもしれませんね。
今ほどはなかったはずですね。
まあやっぱり今これ見るとオリエントの方のものだってわかっちゃうけど、それに触れてきてない中で急にこれがバッて出てくると、なんだこれはっていうことになるわけだね。
それはだからこれまでの先人たちの知識の蓄積、もちろんこのオリエント美術館もその一つなわけですけど、っていうのがあってから我々のある意味知識のハードルというものが少し上がっていったりとかっていうのはあるんだろうと思うんですよね。
なので本当に俗人的な熱情からこれを成し遂げていったっていうものなんですけれども、この美術館結構すごいです。
やっぱりこの励ましのレリーフっていうのが非常に一番有名で、これ美術館のロゴにもなってるやつ目玉なんですけれども、それ以外にもやっぱりちょっとゾッとするようなね、なんかやっぱり西洋とは日本とは違うっていう、何か神秘的な力を感じるっていうのはよくわかると思うんですよね。
そうだね。なんか我々日本人の感覚にはない感じがすごくあるよね。
ありますよね。
それがなんか怪しさみたいなものになってるような気がするね。
怪しさ。まさにそうですね。怪しさと美しさとっていう。
で、こういった美術品が展示されているわけなんですけれども、同時にこのね、神秘性だったり怪しさを高めてくれるのが建築なんですね。建物の内観もぜひ見ていただきたいんですね。
なんか全体的にはコンクリートで、で、日の光が入って明るい感じになってますね。
うん。石作りというかね。
そうだね。
感じもありますよね。
うんうんうん。
この神殿みたいに。
はいはいはい。
うん。
確かにこの水が溜まってるなんかオッケーじゃないけど。
うんうんうん。
もうなんか洗礼でもできそうな感じがね。
うんうんうん。
やっぱりちょっと宗教的でもあるような感じ。
そうだね。
うん。
これはやっぱり日本にはないような佇まいの神秘性を感じますよね。
これがですね、設計したのは岡田真一さんという方でした。
はい。
この方は実際に設計をするにあたって、オリエントを自ら訪ねたというんですね。
うーん。
当時まだなかなか難しかっただろう。
はい。
で、その中にバグダッドってあると思うんですけれども。
はいはい。
あそこにあったモスク、イスラム教の宗教施設なわけですけれども。
はいはい。
へえー。
だからやっぱりオリエント美術館なわけですから、
そのところの実際の人の光の加減だったりとか、建物の質感だったりとか、
そういったものの中でこそオリエントのものが生きるのはなんだろうと。
ということで、自然光、やっぱり今言ってくれましたけれども、
岡山瀬戸内なんですけれども、散々とした自然光をだけを可能な限り取り込める。
だけどその一方で石造りのシックなね、重厚感のある佇まいですから、
その陰影がめちゃくちゃ巧みについて、
それがさっきのハゲワシのレリーフの一個一個浮き彫りにしていくようなね、
そんなものがあるわけですね。
これも名建築と言われる本当に美術館の一つです。
結構ね、ゾッとしますね。
そしてね、この岡田信一さんなわけなんですけれども、
小田原市民の方、この方名前聞いたことある方はいらっしゃるんでしょうか。
我らがね、小田原市立中央図書館の設計者ですね。
鴨宮にある鴨目という通称、
先日海の始まりという有村霞さんのね、
主演したフジテレビのドラマの舞台になりましたが、
あの小田原市立中央図書館を設計した方です、この方は。
のでね、そういった方がね、オリエント美術館を設計している方なんです。
なんでじゃあ、ここをこんな最初に行ったのかってことなんですけれども、
ここのね、オリエントとのつながり、
そして石とか土とかっていう、ジオロジカルですよね。
要は日本の文化とか建築って、やっぱ基本は木なんですよ。
木造物であり木造建築であるわけですよね。
それはなんで日本には木造が増えてしまって、
そしてなぜオリエントとかで栄えた石の文化は栄えなかったのかっていう謎があるわけですよ。
日本で石造のものって思いつきますかってことなんです、古代の建築物とか。
いやーなんだろうね。
まあ石物とかはあるのかもしれないけど、建造物ってなるとなかなかなさそうだね。
そうですよね。今のまあいわゆる世界遺産になっているような、
奈良の文化財、京都の文化財を見ていただいても、
法隆城筆頭に木造建築の傑作って世界遺産となっているわけなんですけれども、
不思議だとは思わないですか。
日本にも石もあったし土もあったのになぜ木造の方は栄えて、
他の文明で栄えていて、しかも堅牢だったはずの石とかは栄えなくなってしまったのかっていうことなんですよね。
まあでも山がたくさんあって木がいっぱいあるっていうところからなのかなっていう、
まあ簡単な想像はできるけどね。
もちろんそうですね。それは間違いなくやっぱり資源の問題ありますよ。
ただですね、ここに一つ大きな誤解というのはちょっと言い過ぎですけれども、
別の視点を持っているとあるんです。
石のものが。
日本にも古代の石造建築ってのが実はあるんです。
ただそれは知られてないんです。
なぜかというと奈良と京都にはないからです。
どこにあるのか。
岡山なんですね。
それを見に行きたいと思うんです。
ということで、岡山市立オリエント美術館から駐車場近くでピックアップをして、
その駐車場から車で約1時間弱、熊山遺跡です。
ほんとだ、石だ。
なんかこの四角のピラミッドみたいな。
マイクラで作ったピラミッドみたいな感じですね。
これはいつの時代のものですかね。
謎です。
分かんないんだ。
いや、おおよそ推定はされているんですけれども、
飛鳥時代から奈良時代にかけてのものだというふうに言われていますね。
やっぱり木造建築がたくさん作られている時代で、この石の遺跡があったってことですね。
そうなんです。
これちょっと異形だと思いませんか。
いわゆるこれが日本のものって言うとちょっと違和感を覚えると思うんですよ。
確かにね。
これだけを見せられるとマチュピーチョとか、
そういう文明のような気もする感じだよね。
あんま日本ぽくはないね。
これがね、熊山というリゼンの国の中でも特に高い山の中にね、忽然と現れるんですね。
これ結構ゾッとするんですよ。
ほんとに山の中で、他にはそんなに施設とか何もないところなんですけれども、
駐車場から15分だか20分くらい山道の中を歩いて行って、途中にほこらみたいなのがいくつかあるんですけど、
急に開けたと思ったらこの樹林の中にこれがね、ただこれだけが立ってるんですよね。
うっそーとした樹林の中に。
謎だらけだな。これは何なのかとか。
そうなんですよ。
この熊山遺跡なんですけれども、行政記名で言うと岡山県赤岩市というところに入っています。
岡山市からすでに移動していますが、ビゼンの国の中の一部です。
実はこの熊山遺跡というのは、熊山という山があるんですけれども、その中に約30の石像遺跡というのがあるんですね。
さっきの画像だけじゃないんだ。
そうなんです。
たくさんあんだね。
ただしその多くはもう破壊されてしまったりとか、朽ちてしまっていたりして、ああいうようなまともな形状をとどめていない。
ただその中でも、この今熊山遺跡といって出てくるさっきのピラミッドみたいなやつっていうのは、その四方がおよそ11メートル四方。
高さは約3.5メートルに上るという非常に巨大な遺跡なんですね。
これもだいぶ破損していたんですけれども、それを戦後に復元したというものがこれになっているわけです。
ただ場所とかは以前のままです。
先ほど見た通りなんですけれども、これを誰が何のために築いたかわかりません。
全くわからないんです。
ただし、現代の研究が進んでいくと、おそらくなんですが、奈良時代の仏教遺跡なんじゃないかっていうのが今有力な説になっています。
それなぜかというと、この3段に分かれていたと思うんですけれども、この3段目のところに穴が開いているのわかりますかね。
入り口みたいなね。
そうそうそう。
ついてますね。
この中に収められていたものがあったんですね。
それが、まず一つが奈良三祭という、奈良時代に栄えた陶磁器みたいなものですね。
っていうのがあったのと、筒型の容器みたいなのがあったりして、何かしらの人間が糸を持ってここに何かを納入したのが間違いないんですよ。
同時に、仏様を安置するような小さな祠みたいなのがこのピラミッドの中にあったのも間違いなくて、
恐らく、もう今は姿形もないんだけれども、ここに仏様が収められていたんじゃないかと推測されてるんです。
これは奈良神も実はこの似たようなものがあるんですね。
石像のものっていうのは数少ない残っている例があって、それもやっぱり仏教の教えに基づく建造物だったっていうのがあるんですよ。
頭の塔っていう図塔っていうものなんですけども、やっぱり似たような石を積み重ねてできたようなものなんですね。
ただ、もちろん法隆寺、薬師寺、幸福寺のような世界遺産の面々に比べれば全然マイナーで、住宅街の中に謎に突然と現れる不思議なところなんですよ。
そこがやっぱり仏教の仏様を収めるところだったっていうのは史実として証明されている部分があるので、恐らく同じ用途だったんじゃないか。
同じような作りの場所がこの遺跡の中にもあったから、だから仏教の施設なんじゃないかと。
そういうことですね。同時にこの熊山っていうのは、この子にも昔はお寺があったということは分かっているんですね。
山岳信仰から由来する仏教だと思うんですけれども、この山自体がまず信仰の場所として多分崇められていて、その上で仏教のエッセンスが入っていったときに、ここにお寺を築いて修行者たちがいたことは間違いない。
そのお寺の敷地と一致するので、おそらくお寺の中の中心的な施設を果たしていたんじゃないかってことは推測はされる。ただそれが誰が何のために築いたかはもう全く分からないです。
私なんで石で作ってるのかも分からないね。 分からないんです。
知りてえ。
みんなやっぱり知りたいわけですよ。そしたらですね、これ現代のSNSの力というのはすごいんですけれども、とあるめちゃくちゃ似てるものが世界にあることが最近分かったんですね。
同じじゃんこれ。
はい。
武安仏教遺跡っていうのがあるんですか。
うん。
タジキスタン。
そうなんです。タジキスタンってどこでしたっけっていうね。
中東ですね。
そうですね。中央アジア、旧ソビエト連邦の国ですよね。
ウズベキスタンとかアフガニスタンとかあのあたりのいわゆるトルクメニスタンとかあります。
そこと同じようなものがあるんだ。
これ同じですよね。
同じですね。なんかもう組み方も同じな気がするもんね。
三段で、ちゃんと四角でっていう形がもう本当同じですね。
これはタジキスタンの写真なんですよこれが。
はいはいはい。
さっきの写真は岡山県赤岩市の写真なんですよ。
すごいな。なんで同じものがあるんだろうこれ。
そうなんです。なんで同じものがこの距離感であるんでしょうか。
うん。
これわかりませんごめんなさい、結論として。
そうだよね。
うん。
はあ、え、でもこのタジキスタンのこれも仏教遺跡なんだよね。
そうですそうです。やはりこの中央アジアは今でこそあんまり盛んじゃないけれども、
当時は仏教が広く、むしろ日本より早く広がったはずの地域ですから、そういったものがあったのは間違いない。
へえ。
だから仏教遺跡だったのはおそらくやっぱり間違いないと思うんですよね。
ただここで謎なのは、奈良とか京都で当時栄えていたアスカデラとか法隆寺とかっていうものは、
五重の塔とかを築いている仏教なわけじゃないですか。
そうか。
そうだね。我々が今より覚える仏教ってそういうことだと思うんですよね。
木造建築で木の香りがして、五重の塔があって混同があってみたいな。
これを見て仏教って人多分いないと思うんですよなかなかね。
そうだね。日本人だとなかなかね。
じゃあどこと似てるんだったらタジキスタン。
つまりタジキスタンとなぜか岡山が共通して、奈良京都と違うものがあるんですよ。
これが大いなる謎なんですね。
そうだね。
なぜわざわざタジキスタンと似せて作ったんですかっていうことなんですよ。
はいはいはい。
うん。
じゃあまあ答えがないわけですね。
だから言い放題ですよ。別に誰も否定もしない。正直何の推測もできるんですけど。
まあでも当時ね、仏教ではこういう遺跡がたくさん作られてたので、
まあタジキスタンでも日本でも作られてて、
まあでも作り的にはね、これ結構壊れそうな気がするから、
それでたまたま残ってるのかなと思うけど、
でもだったらもっといっぱいあってもいいしね。
そうなんです。
だし火に焼かれないっていう意味で言うと、石ってむしろ堅牢なはずなんですよ。
そうか。
今の木造建築だってね。
確かにね。
何なんだろう。
いやもう今考えても何もわかんないよね。
まあこれ結論は本当にわかんないんですよ。
今後の壁待つしかないんですけれども、
事実としてタジキスタンと岡山県っていうのがむしろ類似してるんです。
ああでもこの記事見ると各地にいろいろあるのはあるんだね。
そうですね。韓国とかにも微かにあるんです。
つまり仏教っていうのも大きく分けて木造の寺を作る文化と石造のものを作る文化があったんじゃないかと。
本来ならば。
ただ日本ではその木造を作る文化っていうのが栄えて石造文化がいつしか忘れ去られてしまっていった。
そのかすかな痕跡がこの岡山の山頂にひそかに残ってる。
これも推測です。あくまで僕が言ってるのは全然。
ただぜひ生き方の授業を思い出してほしいんですけれども、
大乗仏教、小乗仏教というのがあったっていうのを習ったはずなんですね。
やったけど俺らだけなのよ。
そうですね。我々仏教校になるんでね。
生き方の授業とかいうソッソーな名前ちょっと。
まあ事実なんで仕方ないですけど。
一般の人には分かんないからね。
ヤバいんじゃないかな。
大乗 竜波があったと思うんですよ。
謎だね。
大乗 謎なんですよ。
これね、ちょっと今この場でもお礼も言っておくんですけれども、正直に白状しますが、僕もこの熊山遺跡当初全く知りませんでした。
観光スポットとして最近は実はちょくちょく注目されてるらしいんですけど、全くごめんなさい、僕はこの存在を知りませんでした。
これを教えてくれたのは、北区でも情報提供してくれた僕の会社の同期なんですけれども、彼女は中高を岡山で過ごしていて、この岡山、この熊山のすぐ麓にあるとある学校に過ごしていたんですね。
この学校に通うと、なんか遠足みたいな要領でこの熊山に登るそうなんですね。
あるときも僕が歴史オタクだっていうことになって、何回小田原飲んでたときに、そういえばみたいな昔ピラミッドみたいなの見たことがあるみたいな話を聞いて、どういうことっていうので初めてそれを僕がこれを教えてくれたんです。
現にこの遺跡の近くにはビジターセンターみたいな山越えみたいなのがあるんですけど、そこに行くとこの熊山遺跡の中に誰かが納入した室型容器の模型があるのと同時に、
その某高校の皆さんの寄せ書きみたいなのもあったりして、本当にローカルな話なんだなっていうのがあるので、本当にその子の協力によってこの熊山遺跡も知ったし、タジキスタントの類似性というのも知ったし、
それでいうとさっきのオリエント美術館はっていうことになってくるんですよ。まさにオリエントなんでね。
そうだね。
っていうことなんですね。
不思議。これはもう本当にみんなが妄想を膨らませてもらうしかないですね。
もうぜひ自由に。まずやっぱり行っていただくとね、これ車があった方がいいと思います。
あらかじめ言っておくと、西と東からそれぞれ登り口があるんですけど、東の方が道路が舗装されてて綺麗で運転しやすかったので、ちょっと遠回りしても岡山市が西、この熊山が東側なんですけど、一回東の方に行ってから行く方が車だと楽だと思うので、この時ぜひ注意深く行っていただければいいかなと思います。
運転慣れてないとちょっと厳しいかもしれません。
そして、この熊山遺跡からさらに次のスポットに行くんですけれども、山を降りてください、車でね。
そっからね、車で20分ほどのところにあるのが、旅前おさ船東京博物館です。
県の博物館ですか。
そうなんです。
これなかなかね、このポッドジャンルまだ扱ってなかったジャンルなんですよね。
そうね、なんかここまでうちの番組で扱ってないジャンルの博物館とか史跡に行ってる感じがするわ。
そう、それが岡山の深さなんですよ。
なぜ岡山にこんなものが集まるのかっていうのは大いなる謎なんです。
どうですかね、この博物館について。
いや、俺、刀剣の神秘感というか、知識もないし、なんかもう単純にかっこいいなっていうだけなんですけど。
それの博物館がこれまた岡山にあるっていうのがまた不思議だよね。
正直な話をすると僕も同じです。
僕もね、いろいろ歴史館とか美術館とか行ってるんですけど、刀剣と書道はね、なかなか見方がまだわからないんですよ、はっきり言って。
だからごめんなさい、刀剣ファンの方はもっといい解説ができると思うんですけど、
一旦概要というかね、歴史的なところをむしろなのでフィーチャーしてお話をできたらというふうに思います。
今、内田はね、なぜこれが岡山にあるのか謎だというふうにおっしゃったんですけど、
これは刀剣ファンの人からするとね、岡山にあるべくしてあるんですね。
というのは鎌倉時代、要は武士の時代ですよね。
っていうのは当然刀を持ってる人たちの時代ですから、刀剣というものの注目度もあるわけですが、
鎌倉時代から戦国時代にかけて、日本刀の名産地というのは日本にいくつかあるんですけど、
もうその筆刀としてね、挙げられたのが微前尾狭舟なんですね。
微前尾狭舟といえば、うわーってなるレベルの。
そうなんだ。
刀剣の産地として最も有名といっても囲んではない。
そうなんだね。
でもじゃあなぜ、はっきり言ってなぜ岡山に。
まださ、鎌倉とかだったら武士がたくさんいましたから、京都だったら術家たくさんいましたから、
分かるじゃないですか。
なぜ微前尾狭舟にこんなものがあるんでしょうか。
鉄が取れるとか?
そうなんです。今の正解です。
これは中国産地というものが、非常にこの刀剣を作る上で大事な資源を持っていた数少ない地域だったんですね。
具体的に言うと、まず砂鉄です。
そして鋼です。
そして燃料資材。
これどういうことかっていうと、刀剣を作っている場面って見たことありますかね?
なんとなく。
刀剣じゃなくて鉄の製品を作っている場面。
昔の人たちが。
鉄を熱して赤くなっているところを叩いて、それで形を作っていく。
おっしゃる通りです。
もののけ姫とかでまさに再現されていたのがありますけれども、
タタラとかでも持って、まさにガーって熱量でグワッと上げて、それを叩いていくわけですね。
あれをやるためには、当時電気ガスはありませんから、木材を持ってなきゃいけないんですよ。
そうか、木材でやるのか。
そうなんですよ。
まず火を起こして、どんどんどんどん油を含んだ木材を投げ込んで、火を保たなきゃいけないんですよ。
には莫大な燃料資材が必要なんですよ。
それが持っていたのがこの中国産地だ。
そしてあと水です。
叩いてその厚みをどうするんですかって話になりますので、
当然冷却しなきゃいけないんです。
それも変な不純物が入っている水だと困るわけですよ。
せっかく叩いて綺麗にできたのに、そこで変な模様がついちゃったみたいなのを、一気にブランドが既存される。
そういった条件をベンズベンズで掛け合わせていったときに、
ビゼン・オサフネっていうのが最適な場所だったんです。
まあそうか、それだけの要素があると、それが全部集まってる場所が少なくなりそうだね。
そういうことです。
結局オサフネは、そういうわけで中国産地ビゼンとか、もっといえば出雲岩見とかあっちの方まで広げてたと思うんですけれども、
とにかく中国産地、山陽山陽を駆け立てる産地から、そういった砂鉄みたいなものを大量に持ってきた。
そして同時に木を伐採しても、どんどんどんどん、赤松なんですけれども、燃料を持って火に投げ込むこともできる。
そしてヨシー川っていう川がね、ビゼンに流れているんですけれども、この川の水の目の前なんですね。
川べりでみんな作るんですよ。
それは、いざとなればすぐに冷却できる綺麗な水があると。
そしてその作った刀っていうのを、ビゼンの人たちだけで当然まかないものじゃないですから、輸出するんですね。
そのためにはヨシー川をそのまま桃源を乗せていって、瀬戸内海に下っちゃえばいいんです。
なるほどね。
そしたらもうこれまで散々言いましたけど、瀬戸内海を行き交う船たちが勝手に運んでいってくれるので、防衛的ができるんですよ。
なるほど。
そういった諸条件を諸々合わせて、鎌倉時代に三田田という当初が現れたと言うんですけれども、これも何者かよくわかりません。
三田田という人物がとにかくいたらしいんですね。
この人が刀剣作りに目をつけて、おさ船でやり始めて、当時は武士たちの鎌倉時代ですからね。
みんな武士がこぞっていい刀剣っていうのを集めるわけですよね。
というのでそのトレンドにも乗って、おさ船派、あるいは福岡一文字派、これね福岡ってのはおさ船の中の地名です。
なるほど。
というものを形成して、鎌倉時代以降室町時代とかにかけて、かっこたる地盤を築いた刀剣ブランドをこのおさ船で作ってたんですね。
でもすごい作りやすそうな土地柄なんだね。
なかなかこういう条件がなかったんですね。
そしてもちろん土地の条件に支えられていたのもあるし、彼らおさ船はもちろんマーケティングも得意だったんですね。
でも企業だったんです、さっき言えばね。
どういうことかというと、鎌倉時代の武士たちはそういうわけで自分たちの生業のためにやっていたわけですが、室町幕府が成立すると、
まがいなりにも一応統一政権ができて、一旦戦乱が収まる。
一方で中国には民が建国されました。主原商によって民が建国されて、貿易が盛んになるんですね。
日民貿易です。
あったね。
ありましたよね。
民というのは常に他の郷土とかあっちの方の郷におびえてるわけなんですよ、異民族たちの。
西側のね、山の民みたいなやつ。
そうですそうです。まさにオリエントなんですかね。
で、領域の東権というのを非常に欲してるんですよ、武器というのを。
足利義満というのが金隠し作った人ですけれども、それに目をつけたんですね。
そして義満はこの日本刀っていうものが、日本の室町幕府の財政を支えるキーになると見込んで、
長舟の職人たちに大量生産を命じて、これをガンガン目に輸出したんです。
つまり民は民で、もちろん金属で刀を持ってたんだけど、
日本刀の精度と切れ味っていうのは、やはりこれは長舟とかその他の職人たちの成果にもよって、
非常な世界水準のものになってたんですよ、いつの間にかね。
そしてこれはね、あまり言うとあれなんですけれども、長舟が上手かったのは使い分けたんです。
企業を分化したんですね。
一つはこれまでの鎌倉時代の武士たちのように、要はもうブランドですよ。
超高級の一品ものっていうものを作って、名のある武士とか貴族とかが大金を払って宝物として持っていく。
を変わらぬ長舟伝承の技術である。
もう一方は防衛品です。
もう日本人は見向きもしない防衛品を作ったんです。
つまり粗悪と言っては嘘になる失礼なんですけれども、安価なコストで大量生産をするオートマティックに一方で切り替えたんです。
それはなぜかというと室町ブックがそれを望んだからなんです。
もういっぱい作れと。
そう、とにかく大量生産の日本刀っていえば民が買ってくれるんですよ。
っていうんで、吉光だか大内だか細川だかっていう代名が載せる船に日本刀を大量に運び込んだ。
それを大沢船の使い方もどんどんどんどん巻かれていくんです。
一節に日本では数十万円くらいの価値だったものを民国はその何倍でも活やして買ったっていうんです。
それでも日本刀をみんな求めたんですね。
民は。
というので、莫大な組織力と金銭力をこの大沢船は蓄えてるんです。
ただ大沢船がすごかったのは、大量生産を一方に振り切るんじゃなくて、日本の人たちはやっぱり迷惑的なので武士たちは。
莫大な資金力とかを持って確かなものもちゃんと作っていくんですよ。
っていうのを同時にやってた人たちなんです。
本当に今の企業みたいな考え方で。
メーカーのうまい考え方ですよ。
ちゃんとマーケティングもした上で部署を分けて。
だいぶ先進的だね。
そうなんです。
だからもう、美善大沢船、三田だか何だかだかっていういっぱい当初の名前があるのは、今の国宝に何本も指定されてる。
多くは失われてしまったんですが、残ってるものでさえ国宝とか重要文化財とかすごいんですよ。
だからこそこの大沢船にあるべきなんです。
全然知らなかったな。
この大沢船の博物館に行くと、大体収蔵品は400不利ですね。
刀不利ですね。
ほどと言われていますが、その中の大体40点ほどが展示をされています。
展示品をもちろん見るのも楽しいんですけど、見方が分かればね。
こういった刃の紋がすごいとかさ、こしらいがすごいとかさ、すごい解説もしてくれますし、実際何がすごいのか、大沢船の技術は何がすごかったのかってのは分かるんですね。
いわゆる美善刀です。美善大沢船の美善刀。
っていうのがあると同時に、大沢船はですね、実はちょっとネタバレになるんですけれども、この世の映画を極めたはずだったんですが。
ところがですね、これも本当に人間の運命の資料思うんですけれども、1590年、天章18年、これはまさに豊臣秀長たちが活躍をして、小田原豊臣を下して、秀吉が天下統一を果たしたその年なんですね。
つまりこの世から、日本から一旦戦いがなくなるはずの年だった。
この年に、この吉井川、吉井川あってこその刀だったわけですけど、これが大洪水を起こしました。
そしてさっきの熊山というところがありましたけど、熊山が中流域で、そっから吉井川が流れてるんですね。
熊山は山津波、これ土石水ですみたいなことを起こしちゃって、川がおかしくなっちゃって、おまけに大洪水。
みんな冷却水を求めているから、吉井川のめっちゃ近くで刀を打ってたわけですけど、その鴻毛とか素材とか一気に流されてしまった。
このたった1年の自然現象によって、小沢船の刀は歴史から姿を消したんです。
えー、もったいないというか、残酷だよな。
これは結局自然の産物だったと、いくら人の手を返しても。そして同時に戦いがなくなったよりもあったわけですよ。
そうか、だからそこから復興の波もちょっと起きづらかったのか。
正確には復興はしてるんですけど、やっぱり以前のようなもの、そもそも刀というものの需要というのがやっぱりなくなってきてしまう。それも事実だったと思うんです。
そうか。
うわー、なんか。
でもそれね、洪水がなければまだもうちょっとね、勢いがあったかもしれない。
そうですね。
ただまあ、もちろん今はね、その中世の最盛期には登校及ばないでしょうけれども、それでもやっぱり美善小沢船が日本あるいは東アジア社会で最も優れた刀を作っていた時代があったのは間違いないことなんです。
ですから、この博物館では、やっぱり事実この辺りにまだ刀を作る人たちがいっぱいいますので、博物館にはね、実演工房みたいのがありまして、そこに地元の職人さんたちがね、必ずいるんですね。
城中の職人さんが基本的に毎日作業を公開しています。
はい。
刀匠、塗り師、創券金工師ですかね。
白金師、研ぎ師、鞘師。
鞘師。
塚巻師。
まあまあ、これいうように、これホームページに載ってることは今はられずしてるんですけど。
刀というのはみんながみんなで一人で全部やるわけではなくて、分業制ですね。
三田田みたいな刀匠というのはもちろん名を残しましたけれども。
その刃の部分を作る人もいれば、それに彫刻を施してブランド価値を高める人もいれば、さらにその装飾を施す人もいるし、実際に実装部分の最後のシステム開発をする人もいたわけですよ。
この分業制というのを今でも大阪府には文化を守り続けて、かつそれをちゃんと公開してるんですね。
すごいなあ。
分業なんだろうなとは思うけど、このそれぞれの職種を見ると、やっぱそこに人がいるんだなっていうのはよくわかるし。
何より刀を作ってるとこなんて見ないですから。
見ないです見ないです。
それを間近で見れるのはいいね。
さらに言うと、ここからは僕も見たことがないので、ウェブの情報でしかないんですけれども、毎月第2日曜日かな、古式炭造というのの実演があります。
これちょっと調べてみてよっていいですか。
以前大阪府古式炭造ですぐ出てくると思う。
だからいわゆるこの鉄を叩いて剣にしているところですね。
火花がすごいなこれ。
半端じゃないですよねこれ。
どうやったらこれで作業できるのか僕も不思議なんですけど。
これはだから一人が押さえてて二人で叩いてるのかなこれは。
そう思われますね。
剣を作るっていうとこういうイメージですよね。
そうですよね。
これは古式だからなんですよ。
つまり中世に映画を誇った大阪府の職人たちはおそらくこれと同じことをやっていた。
これを毎月一回だけ実演してくれる日があるんですね。
これ見れるのすごいな。
これ大人気です。
そうだろうね。
これ見てみたいね。
これすごいですよね。
すごいだろうな。
これは見てみたいですね。
YouTubeに動画もありますんで興味ある人は。
いやすごいですよこれやっぱ。
このビジュアルもだけど多分音もすごいだろうしね。
そうですね。
そしてちょっとさらに付け加えると、
最近この大阪府東京博物館は非常にとんでもないニュースになったんですね一個。
これ何かと言うとですね、
ヤマトリゲ里帰りプロジェクトというね、
ウィゼン島の最高峰上杉謙信の相と国王ヤマトリゲを生まれ故郷のウィゼンを押した船に。
これね、
偶然の巨大クラウドファウンディングをやったっていう大ニュースになったんですよこれ。
いくらですかこれ。
100万1000万10万100万1000万。
5億。
さらに下もです。
13009万。
達成してるわ。
すごい。
えーとだからこの5億っていうのがそのヤマトリゲを買うためのお金ですね。
でその13009万は、
それの博物館の整備の予定金額。
これがちゃんと集まってるわ。
しかもですね、寄附額だけ見ると、
これいくらですか。
8億8095万6472円。
8億集まってるのこれ。
そうです。
てかほぼ9億だわこれ。
はっ。
偶然のクラウドファウンディング達成したっていう大ニュースになったことです。
なんだこれ。
8億8000万円のクラウドファウンディングを達成したっていうんで、
尋常じゃないことができたのをやったんですね。
これめっちゃビッグニュースになりました。
このことは。
何年か前ですけど。
詳しく話しますと、
なんでこんなことをまずやったのかということなんですけれども。
問題はこのヤマトリゲという刀なんですね。
これ刀の名前なんです。
山の鳥の毛と書いてヤマトリゲなんですけれども、
そういうわけでビゼン刀なんですね。
オサフネで作られた刀なんですけれども、
これはね以前から何度か出てきてますが、
あの上杉謙信の相手なんです。
へー。
上杉謙信というのは奥さんもいなかったし、
カリスマでねっていうのは以前川中島でやりましたけれども、
ガチな刀剣オタクだったんですね。
へー。
そして謙信の養子に入った枯れ葛という人物がいましたけれども、
上澤藩初代ですね。
こいつもとんでもない刀オタクだった。
へー。
上杉家の家宝にしたんですね。
でもやっぱり戦神であり大の刀オタクだった謙信も、
秘蔵っ子として抱えたのはやっぱりオサフネのビゼン刀だったんです。
へー。
これが大刀家だったんです。
っていう風についたんですね。
で謙信は死にました当然。
はいはい。
で上杉家はまあ廃藩地権で寄れ沢藩はなくなるわけですけれども、
その他ね岡山県にいらっしゃる個人の方、これはどなたなのか僕は知りません。
個人の方がそれを所有していたそうなんですけれども、
その個人の方が売却の意向があると。
はいはい。
ビゼンとこの大刀家となった時に、
瀬戸内というのがこのオサフネの行政区なんですけれども、
買うことにしたんです。
はい。
なぜかというとやっぱりオサフネというね、
このビゼン刀のふるさとなわけですよ。
この大刀家にとっては。
はいはい。
っていうのもあると同時に、
現在国宝に指定されている刀券111ありますが、
そのうちの47がビゼン刀。
でしかしながら、
ビゼン刀の生まれ故郷である瀬戸内、
オサフネの刀券博物館には、
国宝あるか重要文化財の刀券も残されていませんと。
つまりみんな大名たちを持っていっちゃうから、
オサフネは生産者であって、
その後はないんですよ。
そうか。
なるほどね。
とはいえやっぱりこのオサフネがなきゃ、
みんな国宝の刀って生まれなかったわけであって、
というのがまず一つ。
かつね、瀬戸内が買わないとどうなりますか。
所有者の方は売却の意向を持ちて、
瀬戸内が購入できなければ、
他に売却されるものと考えています。
はいはいはい。
これ実際のところを下手したら、
海外に流出した恐れがあったんですね。
あーそうか。
そうだね。
5億円の価値の刀ですよ。
そうだね。
それは海外にも欲しい人はいるだろうね。
それはちょっと嫌だよね。
日本の国が海外行くっていうことが、
あり得るかもしれない。
でもそれには巨額の、
この購入が5億円の根拠は、
つまり、
私として事業でやったんですよ。
刀を買うっていうことを、
私の事業としてやったって、
異常なところでやったんですよ。
めっちゃだから市民の方には、
税金の無駄遣いなんじゃないかってことが、
指摘もあったのかもしれません。
まあね。
ってことで、わざわざこのね、
Q&A書まで作ってまでやったんです。
これだけやって、
それに賛同してくれる人がたくさんいたから、
8億もあるわけだよね。
そう。
だって目標も100%どころか、
120何パーなんですよ。
125パーだったかな。
ということをやったっていうね、
まあ、
空前絶後の、
グランドフォンディングをやったんです。
これで実際に買えて、
実際今はこの博物館にあります。
常時公開じゃなかったと思うんですけど、
さすがに国庫でね、
やっぱり色々指摘も多いんでね、
制服も多いんでね。
ただ買い物とかできたんですね。
そしてふるさとに帰ってきたんです、
この大和家って。
良かったね。
なのでもしね、
タイミングが合えば、
この8億円集まった刀というものをね、
見ていただけるといいんじゃないかと思いますね。
ここはね、
もうお昼になっていると思いますので、
お昼ご飯を食べに行きたいと思います。
東京博物館はすぐ近くなんですけれども、
車で5分ほど行ったところにあるのが、
美善福岡一文字うどんさんです。
これまた小麦だ。
これです。
これか。
前日のですね、
ラブソングさんの話、
聞いていただければと思うんですけれども、
ラブソング駅という、
尋常じゃなくうまい粉物を出してくださる、
岡山のワインバーがあるんですけれども、
そこのラブソング駅の小麦が甘いということに、
僕は初めて気づいたんです。
というのを聞いて、
どうやったらこの小麦って甘いものが作るんですかって言ったら、
実はって言って教えてくださったのが、
この大阪船にある一文字うどんさんという、
うどん屋さんがあるんですが、
そこが作って、そこに政府をお願いしているんですと。
オーダーメイド的に作ってくださっている、
うどん屋さんにお願いした小麦粉でもって、
作るから美味しいんですって言って、
翌日の昼に実際に行ってみたんです。
これがこの美善福岡一文字うどんさんなんです。
え、じゃあ小麦も作ってらっしゃる。
そうなんです。
小麦作りの部分見てもらっていいですか。
うどん作りその前に小麦作り。
一文字うどんさん自体は、
1980年代に総領しているそうで、
初代の方はね、当時珍しかったセルフうどん、
これセルフうどんでもあるんですけれども、
導入したとしても有名な方なんですけれども、
2代目の方が日本伝統食であるうどんなわけですよね。
佐野駅とか隣なわけなんですけれども。
だけどほとんどが輸入小麦に頼らざるを得ない状況だったと。
やっぱり小麦というものはアメリカとかね、
中国とかの方がやっぱり盛んに、
やっぱり規模が大きいですからね。
っていうことが、
国産小麦ってのは本当はできないんだろうか、
っていうことを疑問に思ったそうなんです。
そこでこの一文字うどんさんは、
うどん屋さんやってる傍らなんですけれども、
小麦っていうものの今の生産の形態だったりとか、
日本で作っているものって何なのかっていうのを探究したそうなんですよ。
そしたら、なんとね、
岡山県下において、
白砂利小麦というものを見つけたと。
岡山というのはね、
観宅事業でさっき稲が育たなかった問題を話をしましたけれども、
この間に小麦とかの栽培は盛んなところだったんですね。
っていうので、
この白砂利小麦というのは、
わずかに県の中であったというものを見つけて、
その苗を分けてもらって、
自分たちで土地を広げて、
そこに小麦畑を作っていったっていうんですよ。
そして結局のところ、
この白砂利小麦というものと、
あとやはりこの国産小麦の品種である、
フクホノカというものを使って、
なんとですね、このうどん屋さんは、
地元小麦100%で作るという、
めちゃくちゃ珍しいうどん屋さんなんです。
すごいな。
だから僕たちが普段9割9分食べている小麦とは、
違うものをまずそこから作ってるんです。
はいはいはい。
だから、もしかしたらラブソングさんの小麦も、
僕が知らなかった味だったのかもしれません。
うーん。
うん。
いやこんなうどん屋さんないよね、きっとね。
うん。
すごい気になるなこれ。
ここのうどんがね、
でもやっぱりラブソングさんの感動と結構近くて、
小麦食べてるって感じなんですよ。
ほうほうほう。
だからうどんの出汁とか、
僕はつけうどんをいただいたんですけれども、
甘いんだよねやっぱ。
小麦って甘い植物なんだっていうのを僕は知らなかったんですよ、
昔ながら全く。
ほうほうほう。
だからかけうどんも美味しいだろうし、
つけうどんのつけ汁も美味かったんですけど、
小麦を味わうっていうことのね、
新たな食事の在り方を僕は教えてもらった気がするんですよ、
この2つのお店によって。
ほうほうほう。
うん。
いや正直うどん食べてて、
小麦を感じることはあんまりないんですよ。
そうですよ、うどんも食べてますよね。
そうそうそう。
うん。
うどんになってもやっぱ小麦の風味みたいなものを感じられるんだ。
そうなんです。
これだからやっぱりちょっとうどんではないような感じ。
うどんなんだけど、
一文字うどんのうどんなんですよね。
はいはいはい。
ちょっとこれね、結構びっくりしました。
うどん、僕らが知ってるうどんではなかった。
はあ。
うん。
へえ。
うん。
はい。
というわけでその小麦もすごいし、もちろんうどんのだしとかも美味しいし、
あとはこの小麦を作るにあたってもね、
小麦だとそれ以外の作物、お米とかね、サイドメニューももちろんあります。
野菜とかね。
このお店ね、決定的に無農薬栽培というものにこだわっていらっしゃって、
お米とかも全部そうなんですね。
はいはい。
だからアイガモ農法って聞いたことありますかね。
ああ、なるほど。
田んぼにカモを放して虫食べてもらったり、水かき混ぜてもらって作るっていうやつですね。
そうです。
それをずっと貫いていらっしゃる。
へえ。
まずはその作物から自分たちで作ったものをうどんにして料理にして、
お客さんに提供するっていうね。
で、このアイガモたちもね、ある意味家畜でもありますので、
カモうどんとかにね、要はされるわけなんですけれども、
ワンストップでただ尋常じゃないこだわりでやってらっしゃるお店なんです。
だからラブソングさんがどうしてこの一問十問を知ったのかは僕は存じ上げないんですけれども、
やっぱり何らかのつながりがあったんだと思うんですよね。
へえ。
料理に対するリスペクトとかオマージュとかめちゃくちゃ強い方々で、
まずこの一問十という名前なんですね。
はいはい。
これは先ほど申し上げた大阪船の東府省たちが成した流派、
福岡一問十派というのはね、大阪船の流派なんですけれども、
そっから取っているんですね。
ああ、なるほどね。
っていうのもあるし、
このね、微善福岡の市っていうのを見ていただきたいんですけれども、
これあのね、以前リオンさんだと思うんですが、
お便りをいただいたときに僕が話した一遍承認絵巻、
一遍ひじり絵ですね。
中世の鎌倉時代に活躍した自習の回想一遍というのが、
全国いろんなところで説法をするのを描写した絵巻があって、
これがおもろいって話をしたんですけれども、
これの名場面として出てくるのが微善福岡なんですね。
この福岡というのは、
この吉井川ですわけで桃源を積み出したりとかっていうんで、
山陽道を代表する商業地でした。
昔の市みたいなのが超立って、吉井川でもって瀬戸内川に渡すっていうんで、
すっごく栄えた場所だったんですね。
で、今でこそそのにぎわいというのは失われてしまったかもしれないけれども、
それだけの歴史とか文化があるってことで、
この一文十堂さんが発起人となって、
月に一回この丸市みたいのを本当に当時の一遍さんも訪れたであろう、
その下半に開くっていうのを主催されてるんですね。
それが微善福岡の市。
中世の絵は再現じゃないけれども、
今で有福岡の丸市だったのをやると。
それをこのお店が主催してんの。
そうなんです。
だから地域貢献とか地域でも非常に強い方々なんですね。
なんかその歴史も大切にしてる感じもあるしね。
そうそうそうそう。
なんか全体通じてすごく紳士な感じが伝わってきますね。
だし、そういう背景知ったらなおさらいいんですけど、
それ以前にまずやっぱりこれ食べてみるとわかんない魅力があります。
なんとも言えないんですよこれ。
でもおいしいですもん。
で当然うどんだから安いし。
メニュー的には柿うどん、ざるうどん、冷やしうどん、かもねぎぶっかけうどん、
ここら辺でさっき言ってたかもがね。
割といろいろなメニューがあるという感じですね。
そしてとどめせっていうのもあるんですけど、
これ僕も食べてないんですけど、
これねこの福岡に伝わった郷土食だそうです。
それを復刻したりもしてる。
そしてぜひ見てほしいのね、小麦の違い食べ比べセットっていうね。
ほんとだ。
てかよく見ると柿うどんでも福穂の丘小麦と白鷺小麦で分かれてるんだ。
そうなんです。
だからうどんじゃなくて小麦を味わうんですよこの店っていうのは。
そんな見たことないわ。
これめっちゃおもろいですこの店。
言うてでも1000円切りますからね。
そうだね。
450円だけどね。
福穂の丘っていうのが割と現代的でもっちりとした食感って書いてあるんですね。
で白鷺は今では皆無に近い昔ながらの風味豊かなうどん。
そして今のメニューはお店の方に作っていただくものなんですが、
僕が言ったときも地元の方がひっきりしながら来てたわけですけども、
皆さんはですね下のメニューを言ってたんですね。
セルフ。
あーなるほど。
サヌキの意見はよくわかると思うんですけど、
これ自分で茹でて自分で揚げるやつ。
あれさらに安くなって、
なんと生2つとも300円という。
やっぱ安いねうどんは。
セルフのやつは福穂の丘のうどんなんだね。
ここだからもう一回僕も行きたいんですよ。
すごい気になるもんなこれ。
こことラブソングさんはダブルで行っていただいた方がいいと思います。
経費をわかってみると面白いと思うんです。
っていうねめちゃくちゃ面白いし美味しいうどん屋さんで地域食も強いんですよ。
なのに地元の人がもうひっきりしながら来てて地元地域超密着型のお店なんですけど、
ここでしか味わえない日本唯一のお店だと思います。
いやーいいなー食べてみたいなこれ。
ここまでは福岡の主にやった統建とかの話なんですけれども、
ここからちょっと別のパーソンに行きたいと思います。
ビゼン福岡一問十問さんから車で約15分ほど東の方へ行ってください。
そこにありますのがビゼン市美術館です。
すごい建物はすごい近代的なスタイリッシュな建物ですね。
先ほどまでのビゼン福岡とか大阪船については瀬戸内市というところだったんですけれども、
その隣町にあたるビゼン市に入りました。
ビゼン市聞いたことあるでしょうか。
ビゼン焼きとか焼き物はありますよね。
はいまさにビゼン焼きの聖地です。
そして今このビゼンというのは世界規模の人を排出しました。
山本芳信さんですね。
山本芳信さんはこのビゼン市の中でもこの美術館が建っているインベという、
本当にこの地区で育った方です。地元ですガチな。
今ちょっと話してしまいましたけれども、
ビゼン市というのはビゼン焼きのふるさとです。
そしてビゼン市の中でもこのインベというのは伊藤さんの意に部屋の部って書くんですね。
これでイベと見れるんですけどインベと読みます。
インベというのがビゼン焼きの産地そのものなんですね。
インベの駅からもうほぼ直結みたいな要領でこのビゼン市美術館はありまして、
これはつい最近リニューアルされためちゃくちゃ新しい美術館です。
いや綺麗だもんね。
そしてやっぱりここの魅力というのは、
1階からいろいろ展示室があるわけなんですけれども、
1階の展示室は無料で入れます。
歴史展示室っていうものがありまして、
ここはいわゆるこのビゼン焼きの変遷というものをギャラリーで辿ることができるんです。
ビゼン焼きが作られてからどういうふうに世の中の技術に応えてきたのかっていうのを、
その秘書の作例とともに見学できる。
ので歴史を学べるということですね。
その隣にある1階の展示室もビゼン焼きの展示室になってて、
これは現代の作家たち、現代アートとして見られるビゼン焼きみたいな独創的な作品を収蔵していたりします。
2階以降については有料のエリアになってて、ここは企画展がやっています。
企画展が何やってるかその時々なんですけれども、
ビゼン焼きを見たいよっていう方は1階で行っていただければ大丈夫ということですね。
いやでも、まずは無料で見れるのはいいね。
そしてね、3階にはお茶室があるんですね。
このお茶室で何をするかというと、当然ことは茶会があるわけです。
その茶会なんでここにあるんですかっていうと、
ビゼン焼きを使ってお茶をいただくと。
おっしゃる通りです。
ビゼン焼きを使って実物でこのオープンなお茶室で飲むことができる。
すごいね、ガラス張りでね。
お茶室って結構暗くね、こじんまり楽しむ感じがあるけど、
景色を見ながら明るく楽しめそうだね。
そうですね、これがやっぱり現代的なちょっと新しい試みのお茶室なんだと思いますね。
その実際展望エリアとしても非常に見渡しが良くて、
ビゼンというのはインベの町は窯元が集中していますから、
高層ビルとかほぼありません、一切ありません。
昔ながらの窯元の変わらない風景とか、土を採掘するような山の感じだったりとか、
昔のビゼン焼きを作っていたら大きな窯の跡とかも見ることができるので、
本当に変わってないんですね、街並みが全然。
それをやっぱり見る価値というのはある。
そして手元にそこで作られたビゼン焼きがあるとか。
焼き物は使う体験があると全然変わってくる気がするから、いいですね。
そして1階のエントランスにはモニュメントとして、
土と炎の記憶という、どこから聞いたことのあるものがあるわけですけれども。
概要欄見てもらって。
これもビゼン焼きの人間国宝の保持者で伊勢崎さんという方がいますが、
この方がビゼン焼きで作ったモニュメントがこの階層にあたって展示されたということなんですね。
めちゃめちゃでかいねこれ。
この2階分の吹き抜けのところにある壁みたいなモニュメントですね。
そうなんです。
超でかいなこれ。
これがビゼン焼きの当番でできてるんですね。
というのもビゼン氏美術館なんですけれども、
うちは焼き物に非常に興味があるわけですが、
ビゼン焼きというのはどういったものでしょうか。
興味あると言いつつね、詳しくはないんです。
割とこの茶色というか土色が残ってて、
そんなに装飾もあんまりないようなイメージはありますね。
おっしゃる通りですね。
ということでぜひこれをご覧いただければと思うんですけれども。
ビゼン焼き作家・鎌本名刊。
現代のビゼン焼きを知る一冊。
だから今作られている作家さんとか鎌本が、
図録的に載ってる本ですね。
意外と厚いですよ。
厚いですよ。
それぞれのお名前、写真があって、作品が載ってると。
全然スタイル違うな。
そうなんです。
武骨なやつもあるし、結構装飾が細かく入ってるのとかもあるし。
様々ですね、これ。
器じゃないのとかもあるしね。
逆に言うとこれだけの鎌本があるわけですよね。
作家さんがいらっしゃるわけですよね。
そうだね。
でも見ててもやっぱりその土色というかニビ色みたいな、
そういう色味のものが多いですよね。
そうですね。
武骨というのはまさにそのまま当てはまるかもしれませんね。
こちらね。
西洋新聞社さんね、地元の新聞社さんが作った本なんですけれども、
どこで買ったんですかっていうとね、
当然のことながらあのヒズストーリーでね、紹介してもらって買ったんですね。
繋がってるんですよ、こういうところで。
翌日ビゼンに行く話としてはこれを教えてもらいました。
今でもたくさん作られてる盛んな焼き物っていう感じなんですかね。
そうですね。
ここでね、ビゼン焼きというものがまず何なのかというのを抑えておきたいわけなんですけれども、
ビゼン焼きはですね、日本の六湖洋にも数えられるような焼き物の産地なわけなんですけれども、
そもそもはね、平安時代あたりから作られたというのが定説になっています。
そもそもはあの熊山から陰部にかけての平野場にかけて築かれた窯がそもそものだったというふうに言われるんですね。
地理関係をちょっと見ておきたいんですけれども、
ちょうど熊山遺跡がありますね。
熊山があって、その川が西に流れてるでしょ。
それを下っていくと、吉井川が流れていくと東京博物館があって、これがおさ船の里です。
陰部はおさ船から東にそのまま行ってください。
JRの駅に陰部駅がありますね。
つまり我々ね今ね、行政湖をまたいでるんですけど、めちゃくちゃ近いところをトライアングルで回ってるだけなんですよ。
だから熊山は今赤岩市になっていますが、この熊山から陰部っていうのもすごい近いです。
車で10分15分の距離なので、ここにかけて熊山からなだれこむようにして窯ができ始めたって言うんですね。
なんでじゃあこういうことになったのかってことなんですけれども、
微善薬の特徴は土の使い方です。
僕もこれねすごいそんなに詳しくないんですけれども、微善薬はね特殊な土を使っていまして、これがね日寄せってものなんですね。
日上がるの日に寄せると書いて日寄せと言うんですけれども、これ何かって言うとですね、流紋岩というものに由来して、
鉄分をすごく多く含んでいる粘土という特殊な条件で生まれた粘土が、この熊山からこの陰部の一帯にかけて散出する土なんですね。
鉄分が多いんです。そして流紋岩なんです。さっきのあの熊山遺跡の石、あれ流紋岩なんです。
そして鉄分といったらさっき見てきましたよね。
東絹ね。
リンクしてるんですよ。このトライアングルが全部このあたり。
同じその石とか土っていうものからそれぞれに派生してきて。
そういうことなんです。かつねこの特殊な粘土、粘り気の多くて鉄分の多い粘土っていうものを使って、約1200度の高温で2週間かけて焼き占めると。
そんなに焼くんだ。
らしいんですね。これが一般的なやつって多分人によって違うと思うんですけど。
ただそういうことをすることによって非常に強固な焼き物ができる。にもかかわらず彩色、絵付けを施さないんですね。
これさっき内田も言ってましたけれども、土の絵を土のままにやるというね。
これがね、美人焼きの特色であるから、素の美なんですよね。
素のまま、土の材質の素のままを作って、ある意味武骨でありシンプルな焼き物というのがこの美人焼きの特色ですよね。
同時に見かけ上はもちろんこの絵付けがないっていうのはわかると思うんですけれども、この日寄せっていうのがやっぱり非常にキーワードになっていて。
これは鉄分が多いからもあるんですけれども、この焼き方に問題あると思うんですけれども、気泡とかが直接現れるんですね。
肌触りがザラザラするんですよ、美人焼きって。めっちゃ幼稚なことを例え言うと。
そうだね、表面がそれこそ土っぽい感じのザラザラしてるものがありますね。
つまり粒子を粒子のままそのままつけてるんですよ。
これが特色なんです。
これは当然のことながら外も中も同じなんですね。
何が起こるかというと、美人焼きいろいろあるわけですけど、タンブラーがめっちゃ有名なんですよ。
なぜかというと、粒子の出ているタンブラーにビールを入れると、ビール発泡なわけですけれども、粒子自体も接触面でツヤじゃなくてガサガサするじゃないですか。
泡を擦るような要領になって、泡のクリーミーさが増すっていうんですね。
かつその土の材質の問題があるらしいんですが、温度が変わりにくいという特色もあるそうで、うまいビールは美人焼きで飲むという、そういった流理もあるそうです。
なのでビール愛好家の中で美人焼きってのは非常にマストアイテムだそうです。
あれね、シャンパングラスの内側も傷が入ってて、それで泡が出るとか言うけど、そういう要領でね。
そういうことです。
えーそうなの。ビール等の私は買わないと。
そうなんです。
これが美人焼きなんですね。今話したのはおよそ一般的なものなんですけれども、今この図録で見ていただいた通り、現在の美人焼きはね、
本当にこう作家さんによって様々な技法だったりとか装飾、あれは彩色ですね。
作られているんですけれども、やっぱりその土の材質だったりとか焼き締めの方法だったりとかっていうのは一定の流理を保っていて、
ビゼンシー美術館でももちろん見られますし、あとはビゼンシー美術館の周りのインベの街並みには本当に多くの窯が今あります。
それぞれギャラリーだったりとか窯を持っていらっしゃいますので、そこをゆっくり見学するのがいいと思うんです。
で、このスノビっていうのがまさにこのビゼン焼きのコンセプトになるわけですけれども、
ビゼンシー美術館も非常にコンセプチュアルな美術館で、かつそのビゼンの風土に根差していまして、空間デザインの基本コンセプトとして美術館を描けているのは、
風は風の教えるままに、石は石の語るままにというね。
すごい、かなり詩的な。 詩的な。
ただやっぱり素なんですよね。余計な装飾とか施さない、加工しないっていうのがね、ビゼンの美学なんですね。
インベはですね、本当にゆかしい街です。というのもビゼンシー美術館のあたり、インベの駅のすぐ近くなわけですけど、
車で行きますと本当に15分圏内のあたりにたくさんのかもっとがあります。
中にはビゼンの土を掘る山みたいなのがまだ残ってるわけですけれども、そういった中から霧が立ち上ってくる、ちょっと盆地風になっているので、
僕行った時は雨だったんですけれども、雨の中の霧が立ち込める中にね、窯元の煙突みたいなのがボンボンと出てきて、
ちょっとなんか日本の風景とは思えないようなね、不思議な石像の街なんですね。
石の窯とかが描かれているので、ちょっとなんか独特の雰囲気を持った幻想的な思いもある街ですね。
ここの美術館ではその展示がされているのを見て、それで周りの窯元だったりギャラリー見て、気になったものがあればっていう。
おっしゃる通りですね。
観光駐車場とかも近くにありますから、車を置いてゆっくり窯元を散策する。
ちょっと今回はね、他の目的地もあるので1時間くらいしとってませんけれども、
ぜひね、ビゼン焼きに興味ある方はここインベだけで1日使うべきですね。
しっかりここだけ見た方がいいと思います。
ランチとかもね、ビゼン焼きで提供するカフェとか結構ありますから、お昼は困らないんじゃないかと思いますね。
まあね、それだけ窯元があるので、いろいろ巡りたいですよね。
そうです。このぜひね、産業新聞社さんの本を片手にね、やってもらうといいんじゃないかと思います。
ただね、その中でも特筆すべき、僕も実はここで買ったっていうギャラリーがあって、ここがまた面白かったんですよ、非常に。
ちょっとここだけピックアップさせてもらいたいと思うんですね。
それがですね、ビゼン市美術館から大阪船の方に西側ですね、車で10分ほど戻ったところにあるクワイエットハウスさんです。
こちらでビゼン焼きを売っていると。
そうです。
いわゆるギャラリーショップですね。
ただね、これはインベの町からちょっと離れていまして、本当にね、熊山に登る途中なんですよ、場所で言うと。
山の中、山の山陸にあるね、なかなかちょっとすぐにはたどり着けない場所。
まあ車があればいけるんですけど、離合はできないようなところをちょっと行く感じなんで。
本当に静かなね、山の中にある小さな窯なんですね。
まさにクワイエットハウス。
そのビゼン焼きの窯元が広がった地域、まさにそこにあるっていうか。
そうですね、古代のビゼン焼きが多分流れてきたあのあたりにあるはずなんですけど。
このクワイエットハウスさんがね、なんでこうちょっとピックアップするかということなんですけれども、
ビゼン焼きはさっきの伊勢崎さんしかりなんですが、結構作家勢でもしっかり求められるところがあるんですが、
このクワイエットハウスさんが特色なのはアノニマスデザイン、無名声ということですね、デザイン。
ビゼン焼きでブランド?一見すると似合わない言葉の組み合わせにも思えますが、
私たちがなぜこのような器作りを始めたのかということが書いてあるわけなんです。
ここのビゼン焼きの特色というのは、あえてなんでもない器を作ってるっていう特色なんですね。
つまり人間ごっこだれだれさんとかじゃなくて、なんでもない器なんです。
なるほどね。さっきのビゼン焼きのメーカー見てても、それぞれの作家さんのインカ、マークみたいなね、
多分その器の底のところに掘るやつだと思うんですけど、それもちゃんと併記されてて、
だからやっぱりその作家、この人が作ったよっていうのが大事にされてるんだなっていうのはわかるんですけど、
それの逆だよね。
逆バリですね、ある意味ね。
これは一人の作家さんではなくて、このビゼン焼き作家の若手の4人の作家さんが共同で立ち上げたブランドなんですね。
ですから一人に固執することなく、みんなで作る。
ただそれは生活に寄り添う、人々の生活に寄り添うなんでもない器であるべきだという、逆にそういった考えを持ってらっしゃる方が多いですね。
これもね、オンラインショップ見てると面白くて、何々作タンブラーとかじゃなくて、
まっすぐな器、丸い器、オーバルの器とかね、あくまでも用途とかシチュエーションに応じて提供されるものなんですよ。
そうだね。
まあ当然ね、誰が作りましたみたいなのも書いてないしね。
この辺りちょっと思想としては温帯機に近いかもしれないなと思ったんですけどね、文庫の。
ああそうだね。
いや確かにその器の形とかはね、独長がある感じではないですよね。
普通に日常で使いやすい形になってるという感じですね。
そうですそうです。だからこそその人を選ばず、場所を選ばずに役に立つ、それが微善薬なわけですよね。
だからお土産とかを買うの、もちろんいろんなかもと言っていただいてね、気に入ったのがあればいいんですけれども、
意外とこういうところの方が想像がつくかもしれません。自分が微善薬を使うという想像がね。
確かにね。これだったら全然使いやすいし、多分日常で使うだろうなっていう感じだよね。
そうですそうです。
で、それはねギャラリーのね雰囲気にも現れていて、これなんですねクワイトハウスのギャラリーは。
ああ真っ白だ。そこにもう器がただ並べられていると。
本当にその器だけを見てくださいみたいな感じのデザインですね。
超シンプルです。
確かにその白になっているから器がよく見やすいしね。
それでいてね僕が行った時は雨が止んだ後だったかな。でね日が少し差してきた頃だったので、ギャラリーの南側にちょうど窓が開けられていたんですけれども、
そこから斜めに差し込んでくる夕日みたいのがね、美人焼きをちょっと照らしてね、またこれがすごく味のある光景だったんですね。
いやいいな、なんかオシャレな感じもするし、ちゃんと美人焼きも投注されてるし、なんかいいですね。
それを岡山の市のホテルでずっとヒズストーリーで買って夜読んでた時に、どこ行こうかなギャラリー見ててちょっと目を引いたんですよ。
他の鎌本さんとちょっとなんか違う雰囲気を感じたので、ちょっと興味深いでどういうところなんだろうって見に行ったっていうのがまあそもそもだったんですけど。
確かにね他のギャラリーの写真とか見てても、やっぱなんか木造で温かみのある空間の中で美人焼きが並べられてるみたいなのが多いですねやっぱり。
それはそれでねもちろん素敵なんですけど、ちょっと他にはないデザイン性だったんですよね。
目引きますよね。だから意外とこの焼き物に触れてきてない人とかにとってはとっつきやすいかもしれない。
そういうことなんです。そしてそのシチュエーションにあくまでも応じてね、アートじゃなくて実用のものとしてしかもう売ってないので。
すごくシンプルな根付けと作り方でもあるので、やっぱりさっき言ったと重複になりますけどね。
やっぱ自分の使う場面が想像しやすくて僕は使うとできたんですよ。だから買ったんですよね。
例によって焼酎飲むようなやつを買ったんですけど。
いいね。
ここはね、そういうわけで4人の若手作家さんが共同で運営されているギャラリーになるわけなんですけれども、
その中の代表の方のお師匠さんがもともとこの熊山の山陸で窯を開いていて、それを受け継がれた形だそうです。
なんでこういうことを言ってるかっていうと、その4人の方のうちのお一人女性の方がね、その時僕がいた時にはギャラリーでお見せ場されていたんですが、
その時僕しかもういなくて、ゆっくり話すことができて。
このクワイトハウスさんの話ももちろんさせてもらいましたし、ビゼン焼きの子を作る話だったりとか。
したあたりは器を買った後に帰ろうとしたら、よかったら窯見ていきますかっていうふうになんと声をかけてくださって、
その隣に併設されている、その時は焼いてなかったんですけど、普段使っていらっしゃるその窯をですね、なんと見せてくださったんですよ。
かつその、見せてくださるだけじゃなくて、入ってもいいですよってなんと言ってくれて、なんとね、ビゼン焼きの中に僕入ってきたんですよ。
土の中の本当にこうひんやりとした空間で、段がこう構えてあって、ここに器が並べて、ここは実はこういう機能があって、ここに何をつけてっていうのを作家さんが全部説明してくれて、めちゃくちゃ軌道の体験をさせてもらったんですね。
っていうやっぱりその山の中の寒着な空間で、ちょっとインベの中心部から離れているからこそ、作家さんとゆっくりね、タイミングが合えばですけど、話ができるっていう意味でもね、すごくやっぱり僕はビゼン焼きっていうものに印象をここで深めてもらった気がします。
いいな、窯とか見てみたいね。
いや、なかなかね、私入れはしないですよ普通に。
へえ。
さらに言うと、熊山に行ってきた後に行ったんですけれども、話をしたら、よかったら古墳見ていきますかって言ってくださって、なんとですね、敷地内に古墳があったんですね。
はあ。
何でもない段々畑の中に穴が開いてて、これは誰かの古墳ならしいんですよって、古墳だったんです。
誰かはもう分かんない、穴が開いてるだけなんですけど、ちゃんと石でできた石像の、やっぱりユーモンガンだと思うんですけど、で、ちょうど穴が開けられてて、確実に誰かが意図的に何かを作った跡なんですよ。
うーん。
で、そこも灰の富も入れるらしい、ちょっと危険そうなんでやめたんですけれども、というのもまさかの敷地内に古墳もあるし窯もあるしというね、やっぱり熊山のミステリアスな文化圏の中に位置しているものが、このクワイトハウスさんに今なってるんだと思うんですね。
うーん。
なので、本当にインベの街、本当にゆっくり見ていただいていいんですけれども、ちょっとこのクワイトハウスさんはやや毛色が違うけど、非常に僕はいいなと思って、実際ここの器を買わせていただいたので、ご紹介させていただいたという次第ですね。
はい。
で、ここまで来るとね、もう本当に夕方になっていると思いますので、これで日中の観光を終わりにします。
はい。
ビゼン市も去るし、ビゼンの国も去ります。
ああはい。
クワイトハウスさんから車で1時間ほど西へ行きます。岡山市を通過してください。そしてビゼンを去ってから、日中に入ります。
はい。
日中の国は先ほど申し上げたように、岡山県西部が今の日中の国です。そしてそこの首都であるのが、クラシティですね。
おお。
これは知ってる方多いんじゃないかと思います。
はいはい。
ということで、クラシティ近くのホテルにチェックインをしてください。
はい。
観光地としてめちゃくちゃ栄えてる街です。クラシティ駅の南側にぜひホテルをとっていただきたいというふうに思うんですね。
はい。
クラシティ美観地区のある方なので、こっちが飲食店が盛んなところです。
ほうほう。
で、そこでね、ホテルにチェックインして車を置いていただいたらね、今日の飲みに入るわけですね。
はい。
で、先日はね、ビゼンの飲みをしたわけですけれども、今回日中の飲みをしたいわけですね。
はいはい。
ということで、ホテルからだいたい10分ぐらいで行くんじゃないかと思うんですけれども、民芸茶屋神水さんに行きたいと思います。
ほう。
なんか古い雰囲気もありつつ、でもなんか小切れというかね。
うん。
なんだろう、ふれやすい感じの雰囲気ですね。
はい。これはまさに今ホームページ見ただけですけど、そのコンセプトが伝わったわけなんですね。
うん。
まさになんですよ。
なんか伝わってきたもん。
うん。お店の話を先にしてしまうと、1919年ですからね、まさにアラカオホースビルとか作ってる時代なわけですけれども、100年以上前ですよね。
に創業した活泡旅館の建物がそもそもだったと。
へえ。
その後レストランというのを一回経て、現在のこの民芸茶屋という居酒屋さんなんですけれども、になっています。
翌日詳しく話しますが、倉敷っていうのはもう本当に昔ながらの街並みが残っている日本でも有数の地域です。
ですので、この建物自体がそもそも伝統的建造物として受けているという貴重なものなんです。
へえ。
っていう古建築の中なんですけれども、僕がいたときはジャズが流れているといった状態でして、モダンなソフト古風なハードといったね、そんな感じだったんですね。
はいはいはい。
うん。これが外観ですね。
ああ。
いやなんか、何なんだろう、ちょっとこれが具体的にっていう感じじゃないんだけど。
うん。
でもなんかとっつきやすい、なんか開かれた雰囲気がある気がするな。
そうですね。
うん。
まあ倉敷というのはやはり観光客の方も非常に多い街ですから、そういったところもあるかもしれませんけど。
はいはい。
でも一人で僕もここに行ったんですけれども、本当に一人で入りやすいところでしたし、なんかやっぱり古建築なんだけれども、
ちょっと店の中の余計な柱とかがあんまりなくて、ややこう開放的にも感じるような、そういったところもあったかもしれませんね。
はいはいはい。
このオープンキッチンも柱がないんですよ。客席側に。
本当だね。そうだね。
うん。
ああ、それが割と開放感になってるのかな。
うん。でも何が食べれるかということなんですけれども、和食です。和食の居酒屋さんです。
うん。
で、創作料理もありますが、またかという感じなかもしれませんけれども、おでんですね。
ああ。
はいはい。
そのことですね、おでん異常にいいんですよ。
好きだね。
はい。
うん。
おでん美味しいんですよ。
へえ。
僕まあ普通に9月とかに暑かった日なんですけど、おでん美味しかったんですよね。
はいはいはい。
醤油を使わない、出汁だけで出してるおでんという。
へえ。
結構絶妙な味わいのものなんですけれども、
はいはい。
大変な苦労がありましたっていうね、ぜひ聞いてみたいようなことが書いてある。
ちょっとどういう苦労だったかわかんないんですが。
はいはいはい。
ただこのおでん非常に美味しかったです。
へえ。
ちょっと小田原おでん近かったですね、味わいが。
なるほど。
で、これをその要はオープンキッチンでいきますと、その目の前のね、
おでん鍋からこう一口一口取り出してくれるわけで。
はいはい。
味わい深くていいですよね。
うーん。
この卵のカットとか、まあそれ以外のネタ、種もだけど。
うん。
濃く綺麗な感じするね。
そうなんですそうなんです。
だから本当に、様つかもしれないけれども細やかなところにね、
多分いろいろこう配慮されているんじゃないかなと挨拶をします。
はい。
婚約の巻き方とかもね。
そうだね。
うん。ちょっと文章学じゃないけれどもね。
はいはいはい。
うん。一方でこういうね洋食の創作料理とかもあるので、
はいはい。
本当にあの人を選ばない、まあ和食がメインではありますけれども、
うん。
そして忘れちゃいけないのがやっぱりこの岡山の名産品ですよね。
はい。
今まさに出てきましたけれども、ママカリというね小魚、瀬戸内の小魚があります。
はい。
これ岡山のもう名産の魚として有名なものです。
うん。
これのスズケ、南蛮漬けみたいなものですけれども、
はあ。
これとまず日本酒をちょっと合わせるとかね。
へえ。
めちゃくちゃいいですね。
はあはあはあ。
そしてやっぱり瀬戸内の魚といえばサワラ。
はあはあはあ。
これの最強焼きですとか。
はあいいなあ。
うん。これうまく僕もいただいてないんですけどめっちゃうまいですやっぱ。
サワラの最強焼きうまいよなあ。
うまい。
はあはあはあ。
うん。でこれも一人用のサイズみたいなのも全然いける感じなので、
はいはい。
お腹を変に溜めることなくね、それぞれしっぽに飲むっていうのがやっぱり一番いいかもしれません。
ジャズを聴きながら古建築の中で。
はあこれはなんか居心地いいだろうなあ。
そうですね。でまさに民芸チャイの名の由来になってるわけですけど、
はあ。
まあ翌日詳しく話しますが、キルシティというのはね、これまで何回か出てきますけど、
民芸運動というのが非常に盛んだった土地でした。
はあはあ。
で、その民芸運動の要の美っていうのを受け継いだお店なんですね。
はあ。
だからこそ旅行客もね、馴染みやすいというのもあるだろうし、この一方で伝統的な古建築にもよく馴染むというね。
やっぱりバランスがすごい良いお店だと思いますね。
へえ。
そしてここに行くまでのね、ホテルがある方はおそらく結構現代的な都市なんですけど、
これ美観地区の中にありますから、ここへ行くまでも夜のね、人があんまりいないこのなまこ壁のライトアップされた昔の街並みをね、江戸時代ほんとさながらに歩いて行って、
それでちょっとこの浸水山のね、赤い蝶泉をめがけて入るっていうね。
いいね。
この行きと帰りも含めて新しくも行きなんですよね。
はあ。
うん。
はあ、いいね。ちょっと下駄とかで行きたくなる感じの気持ちですよね。
まさにまさに。そうですね。
はあ。
という行きなんですよ、ほんとに。
なので何人かで行かれる方は前もって連絡をしたほうがいいと思いますが、僕は一人で行ったのでカウンターに入ることができました。
はい。
というお店で、ここでメインにしていただくのがいいんじゃないかと思います。
はい。
ただですね、これで終わらないんですね。
はは。
というのがですね、人間茶屋浸水山から徒歩で7分ほど行っていただいたところにあるのが、
美中の地酒バル水曜日というね。
はあ。
行きに酔う日と書いて水曜日なんですね。
はあ。
この名前からして、美中の地酒バル水曜日。
うんうん。これはだから日本酒をいただくということですね。
はい。日本酒バー、まあバルですね。
はいはいはい。
で、まあ日本酒居酒屋と言っていいぐらい明るい雰囲気なので、ラブソングさんとかよりも割と開放的な感じ。
うんうん。
どちらもいいんですけれど。
はいはいはい。
明るいお店ですね。バーというよりも。
はいはい。
で、ここでちょっとね、岡山のお酒の話をちょっとしておきたいんですけれども。
はいはい。
岡山農業高校レストランさんでね、学生の皆さんが作った夢美人というものの話をしましたけれども。
はいはい。
その時にさらっと流したんですけれども、岡山というものは実は今の我々が美味しくいただいている日本酒の発展に欠かすことのできない絶大な貢献をしたところなんですね。
うんうん。
特に美人なんですけれども、日本酒を頼むときに、ヒネモスでもいいし、ハッカイさんでもいいし、何でもいいんですけれども、銘柄を見る方もいると思います。
うん。
あるいは浄従の方法、純米酒であるとか、純米銀杏であるとかあると思うんですけれども、もう一個の基準として、酒米というものがあると思うんですね。
はいはいはい。
これどうでしょう?この辺うちの好みの酒米とかあったりするでしょうか。
いやーあんまり意識はしてないですね。
うんうん。
でもまあ有名なのだと大町とかですかね。
うんうん。
あと、いやーいくつかは見たことあると思うんだけど。
うんうんうん。
その酒米であんまり比べて飲んでないかもしれないね。
うんうん。
まあ例えば山田錦とかね、有名なのあると思うんですけども。
でもいきなり出たんですけど今、大町ってありますよね。
はいはい。
大町ってどういうお米ですか?
いやー全然わからん。
はい。これは岡山の地名です。
ああそうなんだ。
大町という地名があるんです。大町って見つかったから大町なんです。
へえー。
つまり大町を生んだのはこの備全なんです。
はあはあはあ。
うん、まあ今回は備中で今暮らしにいるんですけれども、岡山で見つかったのが大町なんです。
いやー結構今でも広く使われてる酒米ですよね。
そうですそうです。ただ実はね、これ江戸時代幕末の頃に見つかってるんですけれども、
この備全とある農民がこれを見つけたと言うんですね。
それ栽培したら酒米に非常に好適だと言うんで評判が広がって、
お町を使った日本酒がバリうまいっていう評判が広がって、林国である晴間とか節の方から、今兵庫県ですね。
いろいろ買い始めたと。それで山田錦に分かれていくんです。
つまり山田錦の先祖はお町なんです。
はあ。
つまり今日本酒で使われている酒米というものの本当に先祖に当たるのがお町なんですね。
へえー。
そうなんだ。
そうなんです。ところがお町というのは非常に脆かったって言うんですね。
つまり雨とかに頼りやすくなっちゃって、おいしいんだけど栽培が難しい。
そういったところ弱点を補って日本の酒米というのを品種改良を重ねていって、
今の山田錦だったり何があったりっていう風になってくるっていうのはそうなんです。
ただそれでもやっぱりお町は本場が岡山ですから、今でも日本産のお町はなんとシェアの9割以上が岡山県産です。
へえー。
なので我々飲んでいるお町はほとんどが岡山のお米で作られてるものなんです。
はあ。
うん。
ええ、すごいね。
うん。
いやでもなんか弱いお米なのに岡山ね。
前日か。
うん。
田んぼが作りづらいっていう話あったけど、作れるようになったっていうことなんだね。
そうですね。
うんうんうん。
だからいわゆる普通の稲が育ちにくい環境だったと思うんですよ。
うんうんうん。
でもあとはでも観宅事業が半ばも結構進んできたから幕末の頃はね。
はいはい。
っていうのも多分あったと思うんですけどもね。
へえー。
で、でも今東京とか神奈川の居酒屋でいうと、岡山のお酒って正直パッと思いつくかってことなんですよ。
あんまり。
まあ申し訳ない話なんですけど。
まあ見ないかもね。
うん。どうしても酒どころって言うと奈良とかね。
はいはい。
カモニシキとかね。
ああ。
うん。けど実は岡山っていうのは日本でも一桁台に入るレベルの日本酒の生産量があるんですよ。
うん。
そしてその半分くらいは実は備中のね、国にあるんですよと。
へえー。
そういうのを伝えていらっしゃるのがこの水曜日さんなんですね。
はあはあはあ。
だから備中の地酒に超こだわってる。
うんうんうん。
岡山の中でも。
なるほど。
っていうまあそういった岡山全体の大町を生産してきた日本酒の事情もあるし、その中でも備中酒ってのはどういった酒なのか。
はいはい。
そして岡山県というのは水の話さっき出てるんですけど、これまで出てきた旭川、これは岡山省の近くを流れていた川ですね。
はいはい。
吉井川、これはおさ船の刀貸たちが使っていたあの川ですね。
うんうん。
そしてもう一つ備中に高橋川というのがあるんですけれども。
はい。
だから岡山県というのは水資源も非常に豊富な国なんですね。
はいはい。
全体で見ると。
いやさっきね地図見てて岡山市のあたり見ましたけど、こんなに太い川が密集してるんだってちょっと思ったもん。
そうそうそうそうなんですよ。
それが中国産地から成立の水を流していたから刀も作れるし酒も作れるし。
はいはい。
そして官宅もできたっていう。
なるほど。
沿岸の備前備中の発展の根拠になったのはこの水なんですね。
へえ。
うん。
酒の観点から教えてくれるのがこのお店なんです。
うんうんうん。
でまぁもうねメニューを見ていただくとまぁあれなんですけれども、まずお料理のメニューもねたくさんあるわけですが、
はい。
この店主さんは本当に実は元々河豊料理店とかで働いてたキッシーの料理人なんですね。
へえ。
ですから和食が特に美味しかったんですけれども、
はいはい。
出汁を使ったね創作料理をたくさん出してくださいます。
うん。
例えばチーズの味噌漬け。
はいはい。
自家製塩鯖、この辺り僕いただいたんですけれども、
はい。
この防腐力高めなものを持ってね、ゆっくりゆっくりいただくと。
はあはあ。
うんうんうん。
っていう使い方もできるし、バーではなくてバルなので、
うんうん。
お食事をここでしたいよっていう方はオムライスとかもありますけれども、
うん。
僕はねその日のねパスタをね創作パスタをいただきまして、
へえ。
これが美味しかったんですね。
はあはあ。
またこれが日本酒合うんですよ、なんか妙にソースが。
へえ。
うん。
そのパスタはどういう味付け?
トマトパスタですよね。
はあはあ。
最後に締めのなんかまかないみたいな感じで出してくれたトマトパスタだったんですけど、
はあはあ。
これがなんかそれに合わせる日本酒をまた選んでくださったんです。
ああなるほど。
うん。
へえ。
なのでお食事をここだけで済ませることもできるというね、使い勝手のいいお店でもあります。
でお酒、気になるお酒なんですけれども、
はいはい。
あのもうね、もうコミュニケーションで頼むのが基本です。
はいはいはい。
で、要はもう本当にお酒のプロなので、美中酒のプロなの特にね、
もう何をフード頼んだとか、何をどういう気分だとか好みはなんとなくって、
全くね気兼ねなく頼みます。
はあ。
お酒を楽しむでこそお酒だから、なんかその知識を無駄にこうつけたり格好つけたりっていうのは一切いらないから、
もう本当に単純な感覚で話してくれてそれでいいんだと。
ああ。
笑って楽しめるのがお酒のあり方だから、
はいはい。
全くその細かい難しいことは知らなくても何にも問題ないと。
ああ。
で、全部美中酒をね、ちゃんとバッチリ決めてくれるんですね。
はいはいはい。
で、我らが北条総合の故郷も美中ですから、そんな話もしたりしたんですけど。
うん。
うん。
へえ。
いや、粋ですね。
粋ですね。
うん。
粋な曜日で水曜日とか。
はいはい。
うん。
へえ、いいね。いやもうこっちもこっちで、まあ雰囲気は全然違うけど、
うんうん。
なんか居心地よさそうというか、
うん。
遅く行ったんですよ。
うん。
多くなかったので、僕もまあパスタ締めで食べるくらいで行って、あとは日本酒ばっか飲んでたんですけど。
うん。
とあるまあ日本酒を出してくださったんです、冷蔵オークエアスの中から。
はい。
で、それがめっちゃうまかったんですね。
うん。
本当に。
うん。
で、これめっちゃ美味しいですね。これめっちゃ一番、このなんか飲んだくらい好きだなって言ったら、
うん。
店主さんがね。
はい。
ああいっつって、聞いた?みたいな言ったら、あざーっつみたいなめっちゃカウンターの奥の方で3人くらい男の人と女の人が行って行ってたら、
なんとね、その酒蔵の当事さんたちがいたんですね。
へえ。
クラシティのお酒の当事さんたちがそこに来てて。
はいはい。
めっちゃ、ただ美味しいだけなんですけど、お礼を祝ってください。
へえ。
本当に当事さんたち通ってきてるんです。
はあ。
あそこに酒蔵関係者いるかとかじゃなくて、美味しければ美味しいでいいし、美味しくなければ別にそれを酒蔵否定したことじゃなくて、
単純にその日にこの人にこのコンテンツは合わなかっただけだから。
はいはい。
でも本当に美味しかったんですよ。
へえ。
で、そしたらすごく話が弾んで、その酒蔵のこととかも色々教えてくださって、
まだね、若手の当事さんで、僕らとあんまり変わんないぐらいの人だったんですけど。
へえ。
なんかいい雰囲気が流れてるんだろうなあ。
流れてますね。
すごい陽気なお店ですね。
はいはい。
明るくて。
いやあ、なんかこの二つのお店がそれぞれにいい雰囲気を独自で持ってる感じがすごくありますね。
そうですね。しっぽりゆっくり飲みたい、デートとかだったら浸水さんがいい。
うん。
で、ちょっと一人で、ただやっぱり日本酒があってよかったら水曜日さん。
うん。
一人旅の面白いのがやっぱりこっちもあるかもしれないですね。
そうだね。
なので本当にそれぞれの皆さんのお酒の好みだったり、味わいたい雰囲気によって変わればいいと思いますし、
クラシティもね、本当に美味しい店多いんですよ。
はいはい。
でも本当はこんなもんじゃないんです。もういくつも紹介した店あるんですけど。
うん。
削りん削ってこの二つかなという感じでしたね。
なるほど。
ちょっと前日が洋風だったっていうのもあってね。
ああそう。
ワインとかだったのも。
確かにね。
で、別注の地酒バラ、水曜日さんから10分ほどでまた美観地区とかぜひ散歩していただきながら、
ホテルに帰っていただければいいのかなと思いますので。
といった感じです。
それでは2日目を振り返っていきましょう。
前日は岡山駅の周辺ですね、のホテルに泊まっているという想定で、
8時ごろそのホテルを出発します。
一旦車とかは置いておいて出発という感じですね。
徒歩5分ほどスタンド1-1-3で朝ごはんをいただきます。
こちらはね、ベーグルと飲み物、あとはスープとかですね、
そういうものを明るい雰囲気の店内でね、いただくことができるということなので、
割と手軽にこの朝ごはんをいただくという感じですね。
そこから徒歩5分ほどホテルに戻りまして、車をピックアップします。
そこから車で5分ほど岡山市立オリエント美術館に向かいます。
こちらがね、駐車場がないということなので、近くの駐車場に泊めます。
日本で唯一の古代オリエントを専門とする公立美術館。
ただしその起こりは個人的な感動から生まれたものというのが、これ面白いストーリーですよね。
またこの建物自体もね、岡田新一さんが設計されているオリエントの雰囲気も感じられるような石造りの建物になってますので、
そちらも併せてね、見学していただくといいかなと思います。
そこから徒歩5分ほど近くの駐車場に泊めている車をピックアップしまして、
車で55分ほど、1時間弱ですね。
熊山遺跡です。
こちらは日本の中で珍しい石造りの遺跡になっております。
おそらく仏教施設なんであろうというところまでは分かっているけれども、
いつできてなぜここにあるのか、もう諸々すべてが謎に包まれているという不思議な遺跡ですね。
なのでここはもう本当に正解がまだないのでね、
皆さん訪れていただいて自分なりの考察をしていただくのが楽しいんじゃないかなと思いますね。
そこから来るまで20分ほど、ビジェン・オサフネ刀剣博物館。
日本トップレベルの刀の産地として知られるこのオサフネでこの刀剣の博物館があるということですね。
所蔵しているのは400振りあると。
ただその中から40点ほどが展示されていて、
ここのトピックとしてはやっぱりヤマトリゲーですかね。
植杉謙信そして影勝が愛用していた国宝の剣を8億円を集めたクラウドファンディングで買い戻したというね。
それが展示されているかどうかはちょっと時期によるんですかね。
そうですね。ちょっと僕も見たことがないです、実は。
こちらの博物館に所蔵はされているということなので、
もしタイミングがあればこちらで国宝ヤマトリゲーを見ることができるかもしれませんね。
実演とかもね。
そうですね。刀作りの実演も毎日なんですか。
そうですね。個式は月に1回なんですけど、職人さんたちが作業されているのは毎日見られる。
刀ファンの方はもちろんですけど、刀あんまり知らなくても楽しめる要素がたくさんあるのかなと思います。
そこから来るまで5分ほど、美善福岡一文寺うどんさんですね。
こちらが前日振っていた小麦の謎というか、その重本人という感じですね。
こちらうどん屋さんですけれども小麦から作っているというかなり熱のこもったうどんを出していらっしゃる。
特にこの白鷺小麦というのは、今うどんに使われているような小麦とはまた違う品種で作られているので、
この小麦の味を存分に感じられるうどんをお昼ご飯にいただきます。
そこから来るまで15分ほど、美善寺美術館ですね。
こちらはわりと新しいリニューアルされた美術館と企画展などもありつつ、無料のスペースには美善焼きが展示されているということなので、
美善焼きの歴史をこちらでまず見ていただくのがいいのかなと思います。
そこから来るまで10分ほど、クワイエットハウスさんですね。
このインベの地域にたくさんある鎌本の中の一つ。
こちらのクワイエットハウスさんは、作家の色がとても強く出る美善焼きの中では、わりとカウンターというかアノニマスデザインブランドということで、生活に使いやすい美善焼きを作っているギャラリーですね。
焼き物にそんなに親しんでない方でも、とっつきやすい美善焼きになっているのかなと思うので、見ていただいて、気に入ったものがあれば是非買っていただければと思いますね。
そこから来るまで60分ほど、美善を出る形ですね。
倉敷市の方に向かいます。
まずは倉敷駅近くのホテルどこかお好きなところにチェックインをします。
そこから徒歩10分ほど人芸茶屋神水さんですね。
こちらは美観地区の中にある落ち着いた雰囲気の居酒屋さんということで、新しくも生きな店というコンセプトのもと、歴史も感じる雰囲気ありつつ落ち着けるちょっと開放感もあるような店内。
そしてお料理ですね。
名物はおでんということなので、ゆっくりといただきながらお酒と楽しむという感じですね。
そこから徒歩7分ほど、美中の地酒バル水曜日さんですね。
こちらは雰囲気が打って変わって楽しく美中のお酒を楽しむという感じですね。
バルでもあるので、こちらで料理をしっかりめに食べるということもできるということで、この美中の地酒をすごくたくさん取り揃えているお店ですので、こういう雰囲気で飲みたいというので注文をしていただければそのままそのものが出てくるということなので、割とライトに気軽に楽しんでいただけるんじゃないかなと思いますね。
そこから徒歩10分ほどホテルに戻りまして、2日目が終了という感じですね。
この番組ではお便りを募集しています。
番組の感想・質問・リクエスト・旅の情報・普通とはなど何でも結構です。
番組概要欄に記載しているお便りフォームのURLから投稿お願いします。
また各プラットフォームのフォロー・レビュー・コメント、それから我々の関連SNSアカウントのフォローなどよろしくお願いいたします。
ぜひハッシュタグ音旅をつけて投稿してください。
そして我々のマイマップ・年表・ノートそれぞれございますので参考にしてみてください。
そして我々が主催している今日は旅の話というポッドキャストの配信イベントでございます。
こちらの申し込みの締め切りが明日となっております。
17日金曜日まで。
1杯だよね。
そうですね。17日1杯まで参加受け付けておりますので書き込みでぜひ旅の話をしていただける番組さん、申し込みをよろしくお願いします。
Xで引用リポストすればいいだけど。
そうですね。我々のアカウントで固定しているホストがございますのでそちらを引用リポストして参加しますというふうに言っていただければ大丈夫です。
よろしくお願いします。
午前中はビゼンの方にいまして、リュウモン岩に由来する遺跡と刀剣とビゼン焼きという一つの岩から生まれたそれぞれの文化を見たという感じですね。
それが一つの岩っていうので集約されているのが面白いなっていう感じがしますよね。
地学の産物なんですよね。
確かに。
人間の以前の土地というものの本当に生の土地の魅力というのが人間の手が加わることによって芸術になり武器になり宗教になりそういったところがありますよね。
これがジオロジカルなわけね。
そして午後は午後というか夕方ぐらいからか。
そうですね。
日中の方に移動してこの日は夜お店を楽しんでっていう感じですね。
クラシティというのは岡山でおそらく最も混む観光地であります。
夜、雲河皆さん見たことあるかもしれないんですけれども、あそこのライトアップとかもありますから、やっぱり泊まったからにはその血ノリを生かして夜そぞろ歩きをする。
酔いざましにちょっと腰掛けて雲河沿いでこう少しぼんやりとするみたいなのも楽しみ方としていいと思うので。
夜のクラシティの風情っていうのもお酒を飲みながら楽しんでもらうといいんじゃないかという、そんな気がしますね。
泊まらないとその夜の雰囲気は楽しめないですからね。
さて、じゃあ3日目はクラシティが中心になるんですかね。
やはりね、岡山県の最も有名な観光地でしょ、クラシティ。
3日目はしっかり回りたいと思いますので、ちょっとミステリーのところから離れると思いきやという感じで最後。
一体この土と炎と鬼の記憶がどうやら何だったのかというのを最後に落とせればいいかなと。
なんとなく土と炎はわかったんですけど、鬼がまだ回収されていない感じがありますね。
最後にちょっとまたそのミステリーの回収もできたらと思いますが、メインはクラシティを明日はいきたいと思います。
ということで今回はこの辺で。ありがとうございました。
ありがとうございました。