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こんにちは、ドキンちゃんです。ドキンちゃんのお金と豊かさ研究室へようこそいらっしゃいました。
皆様、新年明けましておめでとうございます。
2024年もね、ラジオをたくさんの方に聴いていただけて嬉しかったです。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今日の話題は、男気がなくて良かったねっていう話をしてみたいと思うんですが、
前半戦は、年末年始のゆるっと雑談トークをしつつ、後半にさっきのテーマでお話をしてみたいと思います。
年末年始、皆様何して過ごしてみえますか?
はい、私はいろいろやっております。
家の中のちょっといらないものとかをね、大量に処分をしたりね、
あと、年末の過ごし方として、我が家はね、毎年ね、初詣に年明けに行かずに、年末に行くんですよ。
初詣ってね、何かお願い事をしに行くっていう感じではなくて、
今年1年ね、本当にお世話になりました。ありがとう神様っていう感じでね、ちょっとお礼を言いに行こうということで、
我が家では毎年初詣、年明けにはせずに年末にしています。
なので今年もそうだね、紅白歌合戦が始まる前にね、お世話になっている神社に家族3人で行って、
もうね、ほとんど誰もいませんよ。夕方の5時とか6時で、5人ぐらいしか会わないかな。
だからすごくね、この時間帯おすすめだから、皆さんもしよかったら、覚えてみえたら、
今年の年末、神社に行かれる際は年明けじゃなくて、年末に行かれるというかと思います。
神社に行って、今年もね、1年本当にありがとうございましたと。
家族がさ、みんな、誰一人かけることなく、そして大きな病気をすることなくね、
過ごせているのってね、当たり前じゃないじゃないですか。
本当にありがたいことだし、嬉しいなと思って、
そういうふうにね、過ごさせてくださった神様だとか、後のご先祖様だとかね、
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に感謝をしつつ、年をね、占めました。
毎年、年越し蕎麦をね、夫の会社の同僚がね、送ってくれるんですよ。
蕎麦屋の息子がいてね、毎年送ってくれるんですよ。
ただ今年、夫が退職したんです。
長年お世話になった会社を夫も実は辞めてまして、
なので夫がもう今年会社を辞めたから、
同僚からの蕎麦は届かないだろうね、なんて言っていたら、
もうね、やっぱり律儀な蕎麦屋の息子の同僚がね、
わざわざね、郵送でね、我が家に蕎麦を送ってくださって、
なので、茄子のいただいた蕎麦を食べて、
紅白を見ながら年越しをし、
年を越したら、近くのね、女爺の鐘つけるところに夫と二人で行って、
女爺の鐘をついて、
そこの寺ではね、お膳剤とかをね、振る舞ってくれるわけですよ。
そう、新年早々ね、
あの膳剤をいただき、
で、なんかね、その女爺の鐘をつきに来た人たち、
その近隣の住民のためにね、
寺のその、あのなんていうの、その境内を解放して、
そこにね、お茶とかお菓子とかも自由にどうぞ、みたいな感じで置いてあるのを、
ちょっといただいて、膳剤もいただいて、
で、鐘ついて帰ってくるという、そんなね、素敵な年越しでした。
なんか、そういうのもさ、その地域の人たちとさ、その坊さんが、坊さん、お坊さんね、
その寺の坊さんがさ、その地域に根付いて、ずっとそうやってあの活動をね、させてもらってて、
ありがとうという感謝の気持ちで、きっとそういうこともね、やってみえると思うのでね、
なんか地域社会とのつながりだったりしますよね。
そうそうそう、という感じでね、皆さんはどんな年末年始を過ごしてみえるでしょうか。
で、ここから、本題ここからです。すいません。
本題は5分25秒からと、後でタイムスタンプを入れとく、5分25。
でね、そんな中、私はね、年明けあるね、ドラマを見てたんですよ。
そう、それ何かというと、大河ドラマってあるじゃないですか、大河ドラマね。
今年は何でしたっけ、光る君へ、去年か。が2024年。
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で、私が見てた大河ドラマは、なんと一昨年のドラマでございます。
2023年に放送されていた、どうする家康っていう徳川家康の一章を描いた、
はい、大河ドラマストーリーなんですけれども、それを見てました。
なのでね、もうすごいよね。
1年の時を超えて、昔の大河ドラマ、しかもあの途中で見るのを放棄してしまったドラマの、
残り15話ぐらいがあったので、それをね、見てました。
ずっとね、見てたんだよ。
どうする家康の大河ドラマをずっと見てて、途中でね、やめちゃったんだよね、見るの。
なんでやめちゃったかっていうと、家康の生涯っていうのが、これね、見たことある人だったらわかると思いますし、
どうする家康に関するトークレビューっていうのは、私の過去の配信にも一本撮って出してありますので、
もしよかったらそれね、聞いてください。
その中でも私はね、強く言ってるんですが、徳川家康の人生に関してね、何ていうのかな、
ずっとね、うだうだしてるの。
なんかね、スパッと物事を決めきれなかったり、
強いリーダーシップを発揮できないタイプの人、そういうタイプの将軍、将軍、都のなんですよ。
そういうタイプの都のなんですよ。
なので、家中のいろんな部下の人たちに支えられて、チームを牽引していくタイプのリーダーさん、そういう都のだったわけなんですね。
なので、2023年にずっと見てたんだけど、ドラマをずっと見てたんだけど、
なんかね、何ていうのかな、もうずっとさ、徳川家康がずっと松潤が演じてるんですけど、
もうずっとうだうだ、うだうだ、でもない、こうでもない、私にはそんな決断はできるのとか言ってさ、
ずっとうだうだしてるのが、もう逃げ切らなくて、
もう途中で、なんかもう、観音袋のほうが、こうね、切れちゃって、
もう見なくなっちゃったわけ。
こう1年間っていう大河の中で、主人公があまりに見え切らなくて、
視聴者である私が、もう見なくなってしまったという、そんなドラマだったわけなんですよ。
ただ、そういえばさ、夫とね、あのドラマ、あの後どうなったんだろうねって言って、
ふと気になって再開したわけですよ。
ちなみにどんなところまで見てて、どこから見始めたかっていうと、
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私が一昨年見てたのは、家康が生まれてから、いろんな苦難を乗り越えてね、
織田信長にね、いいように使われて、なんかいろんな戦に最前線でさ、戦わされてさ、
部下を何度もひどい目に合わせて、見栄を飲まされ、いろんなことがうまくいかず、
で、ずっとずっとずっと過ごしてきて、
で、ついに織田信長が、その覇権を取り、天下統一っていうのかな、
その、そうそうそう一番ね、偉いポジションについて、
で、っていうところまで見てたわけですよ。
それに至るまでさ、ずっとこううだうだうだうだ家康がしてて、
なんかね、家康っていうのがね、あまりにこう、逃げ切らないから、部下の人に何度もね、
こう、あの、こんなトロにはついていけぬみたいなことをね、言われちゃうシーンも何度もあったりしてたわけなんですが、
ただ、まあなんかその家康の、そのメインとなる、こう軍隊のそのトップの人たちっていうのは、
まあ、家康を見限らず、こんな殿でもというか、こんな殿だからこそ、
支えていこうということでね、その人情に厚い殿だったので、見限られることもなく、ずっと関係性が続いて、
でね、びっくりしたんだけど、あの見始めた、その私、視聴を再開したじゃないですか、そのここ数日。
そのね、なんかあの私はもう殿があまりにうだうだしてるから、視聴者である私は視聴を止めちゃったんだけど、視聴を再開したのがちょうど、
本能寺の辺あたりからだったんですよね。
だからね、なんかちょうどいいところでね、見始めてまた、
本能寺の変化が起きて、もう天下統一して、もういざここからだっていう時に信長が、
明智光秀に撃たれてしまって、っていうところから視聴を再開したんですね。
で、1年の時を越えて、またもう1回見始めて、私がさ、何を思ったかっていうと、1年前とは全く違う感想を抱いたわけですよ。
何かっていうと、あ、織田信長、男気なくてよかったねっていう、一番最初の今回のタイトルの、
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織田信長じゃない、家康ね、ごめん言い間違えちゃった。徳川家康がね、織田信長はさ、ドラマの、何だっけ、岡田くんが演じた通り、
もう冷酷無比の、もう何でも即決即断、私が一番何でも決めるっていうタイプなんだけど、信長じゃなくて家康。
家康がね、男気がなくてよかったねって私は思ったわけですよ。
そうそうそうね、家康が男気がなく、何でも自分一人では決めきれず、部下や周りに支えられるようなタイプの人だったからこそ、
生き延びられたシーンっていうのが、今まで幾度となくあるわけですよ。
そうそう、あるわけなんですよね。で、今回も、家康にとって恩義を感じる人、
本来であれば、助けなくちゃいけない人、援軍を出さなくちゃいけない人と、
そういうシーンでね、ちょっとうだうだ考えつつ、結局援軍を出さないっていうシーンがあったんですね。
それは何かというと、信長が撃たれた後にキオス会議があって、その後に、
秀吉と旧小田軍の柴田勝家とが対立をして、そこがバチバチやってる間にどっちにつくかみたいな話題の時に、
柴田勝家の奥さんっていうのは、小市の方っていう信長の妹さんになるわけなんですけど、
小市さんと家康っていうのは、幼少期からずっと仲良くしていて、
家康が自分をすごく支えてくれた女性だったわけですよ、小市の方が。
だから小市さんが所属している柴田勝家の軍に、援軍を出しましょうっていうふうに、
信長のチームの部下たちは言ったんだけど、なんかうだうだ悩んでいて、結論、援軍を出さなかったわけですよ。
最終的にどうなったかっていうと、秀吉が戦に関しては勝ったので、出さないっていう選択肢がベストだったわけですよね。
もしあそこで、男気がある家康の片鱗がニョキニョキと出てきて、
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ここは勝負するべきところだろうとか言いながら、もし援軍を出していたら、
江戸幕府というのは生まれなかったかもしれないし、徳川の政治っていうのはうまくいかなかった。
そもそも家康がそこで死んでいた可能性の方が高いので、
どうする家康を見ていて、あらゆるシーンで、こいつ本当にもっと男気出してくれよっていうシーンがいくどとなくあるんだけれども、
裏を返せば、そういう短期目線での英雄的なかっこよさっていうのはないんだけれども、
どちらかというと長期で、何か人を育てていく、文化を育てていく、チームを育てていくっていうようなことに長けていた人だったんだなぁと。
だから江戸幕府っていうのは、260年以上続く、かなり長命の政治になったわけじゃないですか。
だから何か、何ていうのかな、その何かさ、一時のかっこよさとか男気とか儚さとかは、人は心惹かれるけれども、
そういう華やかさはないけれども、長期で見た時の成功、長期で見た時の自分のチームの最良の策を練っていく、そういうタイプのチームリーダーっていうのも、
刺激的ではないけれども魅力的だな、なんて思った。そんなお正月でございましたね。
すごく長く話しているついでにもう一つだけ言うと、
信長さんがちょうど撃たれた後に、家康っていうのは大阪にいたわけなんですけど、大阪から自分のお城である岡崎城まで戻るわけなんですね。戻らないといけないんだけど、
その道中でも、
あけち光秀が、信長の弟分である家康を何とか撃とうとして、いろんな死角を向けてくるわけですよ。
そこの時でも、三重県の伊賀を経由して岡崎まで戻るんだけど、
自分のお月の者たち数名と一緒に岡崎を目指している時に、
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お金も尽きて食べるものも何にもなくて、
お月の人たちがこんなものしかないですがって言って、その辺で取ってきたしなびれた野菜とかを持ってくる時に、
片付けないって言って、野菜をもらいながら、半分忍者の人たちっていうのかな、
くらいが低かったんだよね、当時。
侍よりもくらいが低い忍者の人たちに、忍びの人たちに、
あなたたち持って行って、野菜をそっと自分だけがお腹を満たすんじゃなくて、周りの人に持って行って、
そういう風にあげるシーンとかもあったりして、それをすごく忍者の人たちが恩義を感じるわけ。
だから、いがの忍者に捕まっちゃうっていうシーンがあったんだけども、それでいよいよ家康が首を取られるぞっていうね、
いがの忍者に捕まって、もう打ち首になりますっていうシーンでね、
そこの一緒に、子供がうるさい。
そこの一緒に岡崎を目指していたそのお月の者たち、忍者たちがね、我先にとその人は家康ではありませんと、
私が家康ですと、私の首を跳ねてくださいっていう風に、そのお月の者たちがね、こう言って手を挙げていくわけですよ。
で、その人は人格者だからその後世に残すべきだ、その人は家康の不良死で家康ではない、私の首を跳ねて
明智光秀に献上してくださいっていう、そんな胸熱なシーンがあるんですけど、
なんかさ、人としての温かさもやっぱりあるからこそ、
なんていうのか地味な、地味なリーダーでも、そういう風にチームを作っていくやり方とかもあるよねって思ったりしました。
そんなに胃が声をね、テレビで見て、なんか胸熱な、そんなお正月を過ごしていましたが、
皆さんはどんなお正月を過ごしましたでしょうか。
という感じで、今日は以上でございます。
はい、すみません、お家がなかったですね。
最後まで聞いていただきありがとうございました。
2025年もけんちゃんのラジオにぜひ遊びに来てくださいね。
それではありがとうございました。失礼します。