ネガティブであるという人がポジティブな心の動きを増やすためにはどうすればいいかみたいなことだよね。
そうだね。ネガティブに考えちゃうと。
でもそれって、もしかしたら自分の捉え方の問題だけかもしれないという風になった時に、
どうしたらポジティブな方にそれを変換できるのかっていう。
かべちゃんの仮説はあるんですか?
仮説は、ちょっとアドラー心理学っぽくなっちゃうけど、決めの問題。
そういういい未来が訪れる、できるって思い込むっていうのと、
こうなる、私はこうであるっていう風に決めるか決めないか。
なるほどね。
っていうのが一つともう一つが、現状の自分の状態だけ見ないっていう。
決めの問題と付随する話だけど、現状に何かしらこういう状態、何か悩みを持っている、不満を持っている、ネガティブな状態が何かしらあるっていう風になった時に、
その点だけ見ずに、線で見るというか。
っていうのが、ポジティブに心を動かしてくれて大事なのかなって。
なるほどね。
結構抽象的な感じになっちゃってるけど。
決めきるということと、将来よくなるよってことを信じるみたいなことだよね。
そうね。
それはありそうだよね。
俺ポジティブってさっき言ってくれたけど、俺はそんな意識してない気がするけど。
かべちゃんはそれ結構考えてるの?
自分でポジティブになるって決めきるのと、あとさっきのことを信じるみたいな。
最近できるようになりたいと頑張ってるとこって感じかな。
自分で意識してるから、それがいいんじゃないかって思ってるってことね。
そうだね。
それを意識しないと、私もすぐに自信ないとかほざいちゃうから。
なるほどね。
でもそれって、なんか発信というか、自分の現状を肯定するための守りの行動というか。
って思っちゃうなって思った時に、それだと良くないなって。
思って頑張って意識をしていると。
なるほどね。
決めるっていう、今話しながら思ったけど、決めるっていうのに何が要素として働くかなってなった時に、
私の場合はだけど、将来自分が心の底からワクワクする情景を描くっていう妄想力というか。
それを絵で描くと脳が勝手に錯覚するというか、そうなってない今がおかしいっていうふうに錯覚させて。
その妄想は自分の心の中から生まれたものだからワクワクするもの。
だからそれを妄想しきれちゃえば、その描けた絵は自分のものなのよ。
そういう時に、それになるって決めやすくなるのかなって。
なるほどね。
例えばで言うと、ダイエットしたいですと。
今から20キロ痩せて、美ボディになってめちゃめちゃおしゃれなワンピースを着て、
例えばなんだろうな、すごいおしゃれなところに彼氏とデートしに行くっていう例えば。
それをもう、例えもうちょっとないかな。
そんな感じかな。
理想状態を作ってそれとのギャップを自然と見に行くようになるみたいな。
そう。
だとポジティブにも心が上振れていくのかなと。
なるほどね。面白い。
それも一つあるだろうねっていうのは前提としつつ、前回せっかく哀れな話したわけだから、物事の解釈みたいな。
一つの物事は360度いろんな視点で見れるよねっていうことの話だと思うけど、その中でわざとあえてポジティブを選択してるのか、ネガティブを選択してるのかみたいな。
触れる指揮地みたいなところっていうことだと思うんだよね。
まさに。
それが自分の意思の問題で、将来をイメージできてて、それを信じれるかどうかみたいな。
結構俺自動的じゃなくて自発的なポジティブな感じだと思うんだよね。
本当にそんな感じは。
それは意識しないと無理じゃん。
そうね。筋トレって感じがする。脳の筋トレというか意識の筋トレというか、そんな感覚。
俺が知ってる限りポジティブな人はそういうふうに筋トレしてる感じではない気がするんだよね。
自然とそうなってる状態みたいな。
それにはいくつか仮説があって、まず前提として、自分がある程度満たされていること。
自分が苦しい中で、明日食うもの困ってるみたいな状態で、誰の頼る人いないみたいな状態でポジティブに捉えようって無理じゃん。
まあそうだよな。
でも全てが何も苦労しなくて生きていけるし、周りの人にも認めてもらってるし、みたいな状態になったら、
それだけで、そこからネガティブになるの結構きつそうじゃない?
まあ確かに。土台としてそこがないとポジティブになろうにもなれないってことか。
経済的に高さとかじゃないね。人との繋がりとか、自分の好きなことができているとか、
まあそういう状態、これはニワトリ卵なんだけど、ポジティブな人がそうなるのか、
そういう人がポジティブになれるのか、みたいなのはどっちも存在すると思うんだけど、
でもそういうことはあると思う、前提として。
自分が満たされているかどうかっていうのがまずベースラインであると。
逆に言うとそれはできていると自然とそうなるよね。
ポジティブになるよねっていうことが一つ。
いわゆる自己肯定感みたいなもんだよね。
そうだね。
もう一つが、さっきの人との繋がり認められているみたいなところに繋がってくるけど、
さっきのかべちゃんの将来の話と似てるんだけど、
ビジョンを描いてそこに向かっていけるみたいな。
要はそれを信じるというよりは、私ならできるでしょって思ってるって感じ。
いわゆる言葉をいかく変えると、自己効力感みたいな。
自己肯定感の上の自己効力感。
私ならできるよねっていうふうに周りに行ってもらったりとか、自分が信じている状態だと、
それもすごくいい状態だよね。ポジティブになるためには。
あともう一つこれは別の視点でとても重要だなと思うのは、
これはある意味努力でなんとかなる系の話だと思うけど、
そもそも何が起こっても大丈夫っていうボトムを知っていること。
うわー、確かに。それすごい強いわ確かに。
だってもうさ、私のあれ以上したわないなって思える状態とか、
あの苦しみを知ってるからとか、
あとはあんなに苦しかったお父さんお母さんを見てるからとかもそんなんでもいいんだけど、
その状態には今からどう言ってもいかないし、言ったとしても乗り越え方知ってるみたいな。
状態だと最悪そこになるんだよねっていう風に。
まあでも一回やってるしみたいな。
そういうのは、辛いこととか苦しいことがあるタイミングはどうしてもそんなことは思えないけど、
時間が経ってそことを比較できるようになってきた時にそういう風になる。
あーなんかいろんな、今までいろんな人と出会ってきて話を聞いてきてて、
すごいこの人強いなって思う人にはそれがある感じがするな私。
確かにさ、目の前に谷底があってさ、
ただ真っ暗だとさ、それが何十メートル何百メートルの谷かわからなかったら、
未知だったらすごい不安で怖いけど、一旦そこにさ降りてさ、
下のどれぐらいの長さで、どんな下にはどんなものがあってっていうのが地理的なものがわかってたらさ、
谷は怖いけど対処方法をしているっていう感覚というかさ、そんな感じがするかも。
谷降りるのに、見たことあるっていう景色もそうだし、一番いいのはエレベーターで行けたらいいじゃん。
エレベーターがあるっていう。
エレベーターがなくても、せめて命綱ついてたり、バラシューのあったらよいじゃんっていう意味で、
ちゃんとその対処方式。
あとは意外に飛び降りたら全然下めっちゃ水で、ただ単に気持ちよかったみたいな。
下にいっぱい宝石があるかもしれないしね。
岩が開けてみたら全然2メートルぐらいしかなかったみたいな。
その可能性もある。
可能性もあるっていうのがあるから、そもそもそのボトムというか、
日本に生まれた時点でそのボトムなんて、全人類からするとたくさん知れてるわけ。
確かにそうだな。
知るだけで気が楽になることはあるよね。
今の話に通ずるけど、4つ目が、世界を広げて自分の知ってる世界の外側があるっていうことをちゃんと知ること。
無知の知とか言われることもそうなんだけど、
勉強してたりとか授業をやったりとか、いろんな活動的に行動してる人に共通する点は、
それをちゃんと知覚してることだと思ってて。
知れば知るほど知らないことの輪郭だけが増えていくっていう。
それが知らないことが怖いっていう、さっきのそこが知らないと怖いみたいなものと逆説的なんだけど、
知らないことが多いっていうこと、知らないことが何かっていうのをどんどん言えるようになっていく。
勉強すれば知るほど知識が増えるんじゃなくて、その外側の知識が何なのかっていうのが分かっていく。
難しい?
いや、マジでそうなんだろうなと思いつつ、多分ガンちゃんの方がその辺りの解像度は高いんだろうなっていう。
自分の体で知っている感覚なんだろうなってのは思っていて、私も今それは勉強中というか、そんな感じがするけど、確かに。
あんま分からんけど、そうっぽいなって思ってるってことね。
あと、しゃべり口調も変わってくる気がする、そういう人たちは断定的に白黒で物事を見ていない、決めつけないっていう、何か事象が問題があったときに、
こうかもしれない、ただこういう見方もあるかもしれないっていう風な柔軟な捉え方をしようと努力しているような気がする。
それもね、多分努力してない。
自然と見方を。
だって知らないことが多いってことを知ってるわけだから、知ってたらさ、それで、
やあ、君はこうだよねっていうことがさ、おこがましいことだってもう知ってるわけじゃん。
もう当たり前のように、そういうことか。
決めつけることの方がきつい。
今4つぐらい話したけど、
自己肯定観、自己効力観、そしてそこを知っている。
知らないこととかの世界を知っていく。
この4つを言ったけど、
全部なんかさっきのかべちゃんの言ったように、自発的にポジティブになろうっていう動きとちょっと違うんだよね。
環境起因のものが多い。
自分以外の。
だから最初のやつだと、自己肯定観高いかどうかなんて、
究極親によるし、周りに恵まれてる友達にもよるし。
たしかにな。
あとは、例えば成績とか単一指標だけど、
それ以外の指標とかで、子供の時からめっちゃスラックラインできて世界大会行きましたみたいな。
たしかに。
そういうのとかも、自己肯定観は上がるじゃん。
私勉強は数学はできないけど、世界一だしみたいな。
強すぎ。
それはもう自己肯定観上がるでしょ。
そうだな。
だからそういう環境が結構、指標ってコロコロ変わるわけじゃん。
スラックラインなんてさ、ゴムの紐の上でピョンピョン跳ねてるだけなんだよ。
それをさ、江戸時代とかにやってみ?お前切り落とすぞって言われるかもしれないわけじゃん。
でも今こんだけ多様になったからこそ、そういう競技とかが生まれて指標が生まれたりしてるわけじゃん。
たしかにね。
いろんな指標を持つことで、そういう自己肯定観とかは含まれるかもしれないけど、
それって自分じゃないのよ。
究極センサーがめちゃくちゃ良かったら、今日も朝ごはん食べれて良かった、私偉いみたいに思える人いるかもしれないけど、
それは結構難しいから。
特に最初の方は。
哀れセンサーが働きづらいの。
なるほどな。
自己肯定観、自己効力観も、結局ありがとうって言われた回数とかじゃないと。
人との作用で起こるってこと。
自分で折り紙作ってて、めっちゃできたみたいな。
それで、いやもう私社会変えれるかもって思う人結構珍しいじゃん。
それ自己完結で思えたらやばいね。
そこまでいけたら相当すごい人だと思うけど。
でもやっぱそれも環境要因とか人との関係性によって否定されると思う。
さっきのボトムを知るみたいなのも、それは自分の経験かもしれないけど、
でもそれは逆に言うと、逆境を、これはなかなか言葉が難しいけど、
逆境を与えてくれた人の環境とかのおかげでそういうことを知ることができる。
短期的にはきついかもしれないけどね。
あとその谷を一緒に乗り越えてくれた誰か。
自分の存在とかね。
そういうのも結局自分で意識してやろうみたいなのは無理なわけよ。
ほんとそうだね。
最後のやつだけはちょっと自分でできるかもしれないけど。
知らないことを知る。知らないの輪郭を知っていくってことか。
分からないものを分からないって言える。恥ずかしいことだと思わないっていう。
むしろ分からないの量が多い人の方が俺すごいと思う。
ここまでは分かってるっていう。
それは自分の成長にちゃんと努力し続けられるかとか別途し続けられるかっていうことだと思うから。
現状を打開するためにやるべきことは、世界の解像度を上げて自分の解像度を上げていくっていう。
そういうことなんだろうなっていうのがあるから。
物事一つ一つにポジティブに私にならなきゃっていうのは結構難しいレベルが高いことをやろうとしてるのかなって思う。
構造的に結構難しいことなんですよと。
多分。分かんないけどね。
どうでしたか?聞いてみて。
最初の問いはなんだっけ?
ポジティブになるには?
いろいろ話してきて、ポジティブに心を動かそうってテーマで最初言ったけど、
自分一人じゃポジティブに心を動かせないよっていうことがわかったかな。
でも、俺が言いたいのはどちらかというとポジティブになることはできると思ってて。
自分でも。
要はそういう環境だよねっていうふうに言ったのは、要は自分がそういう環境に行かなきゃいけないよ。
ポジティブに心を動かしていくためにそういう環境に飛び込むことは自分でできるよねっていう。
だからポジティブになろう。心をいい方向に動かそう。だから心をこっちに向けるんだみたいな。
心に向き合うと結局難しいよねって話で。
心じゃなくてどちらかというと行動とかにひも付いてやる必要があるよねっていう。
それ環境っていうのはどっかの組織に属するとかそういうものも含めるけど、
もっと簡単にできるのは日頃から目の前のことにありがとうって発するとか。
そういうところだと思う。
あとは、できるっていう言葉とか大丈夫っていう言葉に触れるとか。
あとそういう言葉を自分でも増やすとか。
そういう発信をしている人を見るとか。
そういう行動ベースにしないと心を意識してどうじゃらするみたいなのは何も変化を生まずに終わる可能性があって。
だからちゃんとどんな環境でも感謝できる人は感謝できるしポジティブな人はポジティブなんだよ。
それを知るっていう努力をする。
なるほど。
っていうことの方が意識をするとかよりも大事なのかなとは思いますね。
はい。
どう思いますか。
今までの私の自分のいろんな人生を振り返って、自分の心ばっかりに意識を向けて頑張って、
どうにかしようってすごい躍起になってた時期あるなーって思ってちょっと反省じゃないけど違うよって言いたかったかな。
でもそれは家中にいたらわかんないし。
そうだよな。
年齢上の人がそういうこと自然にできてると思うんだよね。
それは自分でいろんな経験してきたからわかってることでしかないから。
確かに。
だから年齢を通してわかっていくものもあるっていう前提の中で、だからさっきのボトムを知るみたいなところで言うと、いずれわかるって信じるっていう。
わかってる人だろうなっていう人と話すとか一緒にいるとか、それがそれでいい。
いいね。いずれわかると信じるっていいな。
それ強いな。
いずれわかると信じることができてればいいんだけど、それを信じようともしなければ、ずっとわからないわからない私なんてって思い続けてる。
そうね。
そうすると10年経っても20年経ってもわからない可能性は全然あるよね。
それで言うとさ、めっちゃ長くなっちゃうからもうそろそろ最後にしようかなと思うけど。
いずれわかると信じれるようになるために、周りの人がどういうふうに声かけをすべきかするといいかっていうので、
私は今でもめちゃめちゃ感謝しているケアマネージャーさんの言葉があるんだけど、
介護給食してもマジで本当にもう人生もういいやと思ってた。
何も考えられない思考もできない家族もこんなになっちゃってっていう時に、ケアマネージャーさんが声かけてくれたのが、
なんとかなるから大丈夫っていうのを文字に書いて渡してくれた時に、
多分無意識にその時に、今は思えばだけど、私はその時に、多分いずれどうにかなるだろうなってちょっと信じれるようになったのかなっていう。
そういう声かけなのかなと、具体、超具体のさ言葉で言うとか、それを言い続けるとかかなって思ったかな。
それも環境だったり、人との関係性の話だよね。
だからそういう受け取ったパターンを渡すっていうことが大事だと思いますね、僕は。
過去を受け取ったものを誰かにまた送っていくと。
そうやって大丈夫っていうふうに言ってくれたものをまた自分だけに閉じずに広げていくと。
広げていく人たちを応援するっていうこと。
が大事だと思いますね。