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  2. 公衆電話の場所をご存知ですか..
2023-09-01 16:01

公衆電話の場所をご存知ですか?というお話

今日9/1は防災の日です。
前から配信したかった、私が東日本大震災で経験した出来事についてお話しています。

公衆電話の場所、ご存知ですか?
携帯電話以外の連絡手段として、普段から場所を把握していたいです。心のお守りにもなりますよ✨

こちらのサイトでも検索できます。
NTT東日本の検索ページ
https://publictelephone.ntt-east.co.jp/ptd/map/

NTT西日本の検索ページ
https://www.ntt-west.co.jp/ptd/map/

#防災の日 #電話 #震災
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40代から始める居場所づくりラジオ。
このチャンネルでは、心と暮らしを整えて、自分自身を第一の居場所にしようと考えている私、いとうゆうこが、日々の暮らしやお仕事で感じたことなどをゆるっとお伝えしています。
平日は朝8時30分頃までには毎朝配信していますので、ぜひフォローしてくださいね。
みなさん、今日はですね、なんと珍しく2本目の放送になります。
朝配信させていただいたので、これが2本目なんですが、
というのもですね、今日は防災の日、9月1日は防災の日だそうで、
私は防災の日にどうしてもこの話をしたいというのがあったんですよね。
それをすっかり忘れていて、朝普通にいつも通りの配信をしたので、
明日にしようかなと思ったんですけど、
明日は土曜日だし、コメント開始をしてとか、いろいろね、この先のことを考えて、
今日、9月1日防災の日だから2回流してみようということで放送させていただきます。
また週末にでもね、時間があるときに聞いていただければと思います。
みなさんは今いる場所の近く、歩いていける距離に、どこに公衆電話があるかってご存知ですか?
私はこの話をしようと思って、改めてね、インターネットで検索して、
あんなとこに公衆電話あるんだっていうのをね、何個か知って、ちょっと覚えておこうかなと思いました。
今回のこの放送の概要欄に、NTTかな?のホームページ、公衆電話の場所を検索できるページのリンクを貼り付けておくので、
もしご興味あればね、またお時間あるときに自分の住んでいるところの近くにどこにあるかななんて調べていただければと思います。
まあね、最寄りの駅とかそういうところにはね、よく電話はあるかと思うんですが、
実はね、自分の近くにあるかどうかってご存じない方もいるかと思うのでね、はい、よければ見てみてください。
で、なんで私がこの電話の話をしようかと思うと、
約12年前の東日本大震災の時の私自身の経験からちょっとお話をしようかと思うんです。
なので、あのちょっとね、震災の話っていうか、当時の私の気持ちとか、少し触れる場面が出てくるかと思うので、
震災の話はちょっとっていう方は、ちょっとね、ここでもうストップしてもらって、また明日以降の放送を聞いていただければ嬉しいです。
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はい、ということで、12年前くらいですかね、東北、まあ私の地元も宮城県ではございますが、
東日本大震災っていうね、大きな大きな地震がありました。
当時私は結婚して2年目、新潟に住んでいたんですよね。
3月12日、なんとその日はですね、私の夫がたまたま友人の結婚式で仙台にいて、私は新潟に一人でいたんですよね。
で、その数日前にも大きな地震があって、その時も地元の地震だったので、3月12日のあの大きな地震があった時もすぐ、
あ、宮城で地震があったなっていうのはわかりました。
私はその時、会社勤めをしていて、まあね、新潟もすごく揺れて、
でもすぐ、あ、実家の方が絶対揺れてると思ったので、すぐ携帯で電話をしたら、
あのその時ね、父がすぐ取って、とりあえず第一歩、大丈夫だから、母さんと2人で家にいるから、
家にいるからっつったっけな、ちょっと忘れちゃったんですけど、まあ大丈夫だっていうのを聞いて、とりあえず安心はしたんですけれども、
でもね、もう皆さんご経験がある方はね、覚えてらっしゃる方もいるかと思うんですが、
当時ね、大変でしたよね。で、私ももう会社はね、もう帰りましょうということで、
どうだったかな、ちょっとね、私もパニックになってしまって、
うーん、まあ、いろいろあって家に帰りましたね。
で、ただ家に帰ったとしても、テレビから出てくるのは津波の映像だったり、原発の映像だったり、
唯一ね、特価な局で、お笑い番組をね、そのまま放送していて、正直私はあのお笑い番組に救われましたね。
あの、うん、ちょっと非常にパニックになっていたので、しかもね、家で一人だったので、お笑い番組は、なんかありがたかったです。
それで、私の持っている携帯電話がね、繋がらなくなってしまったんですよね。
で、後で知ったんですけれども、当時私が持っていた携帯電話、AUだったんですが、
ちょっと古かったっていうのもあって、私の携帯電話のなんか電波を感じる、電波塔っていうのが地震で倒れてしまったらしくて、
もう繋がらなくなっちゃったんですって。
で、もう唯一の通信手段が携帯しかないし、まあ夫とは連絡もついてないし、
06:03
ということで、もうこれは公衆電話しかないっていうので、公衆電話を探しに来ました。
でも私の頭の中では、あ、公衆電話は駅にあるって思ったので、
当時住んでいたところから車で10分くらいのところに駅があったので、
駅に向かって車を駐車場に止めて、ダッシュで走って公衆電話のところに行ったんですよね。
ちなみになんですが、皆さん、改めて公衆電話のかけ方って分かりますか?
いや分かるよってね、同じ世代の方。
いやでも、もしかして30代とかの方は分かんない方もいらっしゃるかな?
いや、どうなんでしょうか。
あのね、今のちっちゃい子、若い子は知らないと思うので、
もし機会があったらね、お子さんと公衆電話の使い方っていうのはやっぱりやってみてもらいたいと思うんですけど、
通常であれば、受話器をあげて、10円玉を入れて、電話番号を押すっていう感じですよね。
私はね、ちょっとねパニックになっていて、
ただ、こういう大きな災害の時は、お金はいらないっていう噂はね、聞いていたから、
お金はいらないんだろうなって思いながら受話器を取ったんですよ。
そしたら、プーっていう音だったかな、ちょっとどんな音かわからないけれども、
これがもう通じるのかどうかがわからなくて、お金を入れた方がいいのか、みたいな。
だからお金を入れると、でもね出てきちゃうんですよ、チャリンって10円玉が。
で、何回も繰り返しても10円玉が出てくるから、どうしようと思って、
とりあえず番号を押したら通じたんですよね。
ま、コールした。プルルプルルって。
まあ、おそらくその公衆電話の側にはね、使い方とかが書いてあったと思うんですが、
まあ、慌てていたっていうのもあるし、夜で外だったから、あんまり見えなかったかな。
まあでもいちいちそんなの読む余裕はね、あんな災害時には私にはなくて、ちょっとね慌てふためきました。
なのでね、あの本当に災害があって公衆電話を使うときは、本当に受話器をただ持ち上げて番号を押すだけで繋がります。
大丈夫ですよ。で、もちろんお金もかかりません。
ただ、まあその日は、あのもちろんね、その被災地はもう停電で、
一切電話は繋がらないので、コールだけなるんですよね。
で、まあ今考えれば、冷静の、冷静な頭で考えれば、
コールなってるっていうのは、もう一切つ、なんていうの、繋がってない状態だな。
全く相手はこう遮断されてるっていうのがわかるんですけど、
私はそのコールされてるからね、プルルプルルっていうのが。
電話は鳴ってるのに、取れてない状況なのかなって勘違いしてしまって、
なおさらこう焦っちゃってね、倒れてるんじゃないかとか、津波が、
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まあ私の実家はちょっと山の方にあるので、まさか津波が来るとは思わないけど、
何があるかわからないし、津波が来てるのかなとか、
ね、もういろんなことをいろいろ考えて、パニックになってですね、
ずーっとあの、公衆電話にへばりついていましたね。
夜中の1時ぐらいまでかな、ずっと一人で駅で、
まあ今考えると怪しいですけど、まあでもきっと、どうだったんだろうね、
そういう人もいたのかな、でも公衆電話にへばり、ずっと、
いる人は私以外なかったような気がしますね、当時の新潟駅。
うんうん。で、結局その日は繋がらなくて、
で、次の日、家に帰って、また朝一で、何時頃かな、すぐ起きて、
また駅に向かって、また電話をかけました。
そこからいつ通じたかな、おそらく次の日の、
午後ぐらいには電話が繋がったんじゃないかな。
母、だったですかね。
どんなふうな会話をしたかは覚えてない、
まあ覚えてるけど、ちょっとこう振り返ると、
ちょっと感情的になるのでそこは省略しますが、
まあまあ無事でした。
で、あの、
おかげさまでね、あの、なんだ、
私の身内も怪我もなく、
でね、夫がまさかの実家にいたっていうね、
なんだかんだ苦労して実家に行ってくれたんだったかな。
どうだったかな、違うかな、
夫と携帯で連絡が取れたのかな。
あ、そうだそうだ、ごめんなさい、間違った。
夫とは携帯で連絡が取れて、
ごめんなさい、間違った。
夫とは携帯に電話して繋がったのかな。
いやー、ちょっともうそこら辺覚えてないですが、
最終的には夫も私の実家に行ってくれて、
だからまあ連絡は実家にすれば夫とも話せるみたいな感じでしたかね。
まあそれからは、
1日に2回、結構電話したような気がします。
公衆電話から。
で、なんで電話したかというと、結局私自身が不安でしかなくて、
すぐ助けにも行けないし、
何か物資をお届けたくても交通とかも全てストップしているし、
家の中にいても悲しいニュースしか流れてこないし、
自分の携帯電話は繋がらないしね。
だから携帯電話の電話会社がね、再開するまで
しばらく駅の電話ボックスに張り付いて、何度か電話かけてね、
12:00
どう?とか、大丈夫だよって励ますような電話をしたりとかしてましたね。
で、何日かして携帯電話ショップ開けてくれて、
おそらく携帯電話会社さんも大変だけど、
困ってる人のためにって早く開けてくれたんじゃないかな。
そこに駆け込んで電話を急いで新しく買い直してね。
それで家にいても実家の両親とか夫と話をすることができました。
なのでやっぱり、
何だろう、ああいう災害の時で、
自分たちが被災した場合はまた別ですけれども、
被災地に家族がいる場合っていうのはやっぱり
できることって、ほんと直後って、
連絡を取るぐらいしかできないですよね、やっぱりね。
ご家族がなおさら本当に被害にあって、
大変なことになってるってなると連絡すらもとかできないこともありますが、
何もとにもかくにも電話連絡手段っていうのは必要だったですね。
私自身の経験として。
で、まあ時は経ちですよ。
何年後かな、2,3年後?いや1,2年後ぐらいかな。
少し震災のショックが落ち着いてね。
家に、家族で車で帰る途中に、
ふとね、めっちゃ家の近くに公衆電話があったことを知ったんですよ。
それにびっくりして、ここにあったの?って思って、
だったらあんなに毎日車でね、
毎晩毎晩行かなくても歩いて行ける距離に公衆電話があったんだって思って、
それで、公衆電話の場所ってちゃんと把握しておいた方がいいなっていうのに
本当に身につまされた出来事でしたね。
なんか当時、私が公衆電話を掛けに夜中、
毎夜毎夜駅に向かっていた時に、
夫の会社の上司の方が、私が新潟のアパートで一人いるから心配してくださって、
何度か家に訪ねてこられたそうなんですよね。
でも私は電話を掛けに駅に行っていたので不在で、
そうして上司の方が本当に心配されてね、中で倒れてるんじゃないかみたいな。
それで、旦那の同期、同僚経由から旦那に連絡がいたかな。
それで私が駅の電話で、なんか上司が家に来てるけどお前が家にいないって心配してるぞみたいな。
そんなことでね、なんかそんな風に新潟にもね、
自分を心配してくれる人がいるっていうのはね、
15:00
ありがたかったですね、本当に。
はい、というわけで、
今日は私が東日本大震災の時に経験した、公衆電話どこ?っていうようなね、お話から、
ぜひ今住んでらっしゃる場所、身近な場所に公衆電話がどこにあるか、
そして実際の使い方とか、運用方法とか、
どなたかの何かの参考になればとってもとっても嬉しいです。
今日も聞いていただきありがとうございました。
それではまたお会いしましょう。
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