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こんにちは、coharuです。今日も聞きに来てくださってありがとうございます。
私はですね、朝5時台に収録をすることが多いんですけども、
最近は下の娘が起きてしまうことが多くて、たくなか思うように進みません。
今日ももしかすると、途中中断されてしまうかもしれないんですけども、
お話ししていきたいと思います。
今日はですね、最近読む話、読解力の話をしたので、
今日は、読む、聞く、書く、話す、4技能って言いますけども、
そのベースとなる言葉のお話をしていきたいと思います。
今日はその言葉について、私の苦い経験を皆さんとシェアして考えていけたらなと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
この番組は、教育リサーチャーでコーチである私が、学歴や偏差値といった数字だけでは測れない学びについてお話ししていきます。
改めまして、語彙力、言葉って単純に言葉の量を増やすことじゃないと私は思っているんですよね。
自分が感じたことだったり、経験したこと、その感情と言葉が結びついて、初めて自分の言葉になる。
今日はそんなお話をしていきたいと思っています。
ちょうど1年ぐらい前なんですかね。
新しく担当になった生徒の保護者から1本の電話がかかってきました。
今年度よろしくお願いします、みたいな形で簡単なご挨拶を済ませた直後に、開校一番こう言われたんです。
何だと思いますか?
インチキじゃないの?どう対応してくれるの?
という喧嘩越しの口調でいきなりクレームが始まったんですよね。
正直、開いた口がふさがらない状態ですよね。
これまでもクレーム対応っていうのは何度かやってきてるんですけども、今回は直感的に、これはただただ謝って終わる話じゃないなと思ったんです。
でもやっぱり私としてもいきなり攻撃的に来られるので、どうしても構えてしまいますよね。
何か言われるぞとか攻撃されるぞ攻められるぞっていった体制で、防衛反応が働いた状態で話を聞いてしまったっていうのが、まず反省点ではありますよね。
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それよりも何よりも一番答えたのが、実は一緒に働いている講師への暴言だったんですよね。
授業を一度も見ていない保護者が、まるで商品レビューをするみたいに先生のことをボロクソに言ってきたんですよね。
何かもうそれはね人格否定、いわゆるカサハラに近い状態だったんじゃないかなって思います。
でね、私その瞬間にスイッチが入ってしまったんですよ。
私もすごく大人げないなと思ったんですけども、私もカチッと入ってしまって、ついそんなことをおっしゃらないでくださいっていう話をしてしまいました。
そしたら今度は私に矛先が向いてきまして、子供っぽい話し方ね、学生あがりなんでしょうとかっていう、私に対する否定がもうどんどんどんどんあふれてくるっていう状態だったんです。
でも私はいろんなことをたくさん言われてしまって、とにかくとっさに言葉が出てこない、フリーズしてしまっている状態。
なおかと私が反応しないものだから、相手の言葉がどんどんどんどんエスカレートしていくっていった状態だったんですよね。
大人として毅然と対応できなかった自分っていうのが、ものすごい悔しい経験となりました。
その後もお母さんとのやりとりは、あれ何分ぐらい電話続いたのかなって思うんですけど、私のことが気に入らなかったので、担当者を変えてほしいっていう要求があったんです。
私はまだ生徒とは一度も面談をしたことはなかったんですけど、その後担当者を変えました。
ただね、そのやりとりが私の時だけではなかったんですよね。
変わった後の担当者との面談の中でも、アドバイザーのことを人格して否定するような言葉を使われたりして、結局担当が2度変わった。
3回目の担当者で落ち着いたかと思いきや、その担当者と今度は本人が少しトラブルになってしまって、最終的にその子も塾に来れなくなってしまったんですよね。
死亡後どうなったのかっていうと、それだけが原因ではないとは思いますが、死亡後にもわからなかった。
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誰も得してないですよね。一番得したのはその子自身だったんじゃないかなと思います。
別の公認の担当者のところでは、面談の場所なので本人もいる場所で、保護者の方が人格否定をするようなことを言ったので、
お子さんとしてもアドバイザーの顔を見づらくなってしまった。
でも後になって、私はそのお母さんのことをよくよく考えてみたんですよね。
あの時の必死さの奥にあったのは、子どもを合格させたいとか、子どもに頑張ってほしいっていう、ただそれだけの気持ちだったんですよね。
なのにそれがどんどんエスカレートしていってしまった。
怒りは二次感情って言われますけども、本当の感情を守るための仮面だと思います。
なので、あの怒鳴り声の奥には、もしかすると必死な愛情があったのかなと思います。
そしてその時の私も、どうしてもいきなり攻撃されたっていう思いだったり、一緒に働いている先生を守りたいっていう気持ちが先走って、
お母さん側の気持ちに立てていなかったな、対立の構造で見ていたなっていうのを改めて考えさせていただく機会となりました。
でも本当は、私もあのお母さんも同じチームのはずで、子どもを真ん中に置いて一緒に応援する立場のはずだったんですよね。
なので決して保護者と対立する場面ではなかった。一緒にもうちょっと考えていくべきだったんですよね。
そしてもう一つ気づきがあって、あの電話で怒鳴られた瞬間、なぜ私は言葉が出てこなかったんだろう、ここからが本来です。
多分、語彙力というか、自分の感情だったり状況を整理する言葉が足りなかったんだろうなって、今は思っています。
言葉がなければ考えられない。考えられなければ相手の気持ちを代弁することも、自分の気持ちを正確に伝えることもできないんですよね。
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もしあの瞬間、もっと私が言葉を持っていたら、お子さんのことが心配で必死なんですよね、ってちゃんと言えていたら、何か解決の糸口があったかもしれないな、と感じています。
どう伝えるか、言い方の部分はもちろん大事なんですけども、その前にどう考えるか、そしてどう考えるかは、どんな言葉を持っているか、どんな問いを受けるかで決まってくるよなと思います。
これ考えてみると、子供の頃から始まっているんですよね。小さい子供が泣いたり怒ったり、時には手が出てしまうのって、言葉がないからなんですよね。
悲しい、悔しい、怖い、その感情はちゃんとある。でもそれを言葉にする手段がまだない。だから体で表現するしかない。
私の2歳半の娘もよく私のことを叩いたり、お兄ちゃんのことを叩いたりしています。そのたびに、こういう気持ちだったのかな、こういうふうに伝えてみようね、っていうことは何度も何度も振り返し、お話をするようにしています。
この言葉を覚えていくにつれて、悲しい、悔しいって言えるようになっていく。言えるから考えられるようになる。
これってやっぱり大人も同じなんですよね。言葉にできない感情が積み重なって、どこかで爆発してしまう。
そうするとニュースで見るような悲しい事件の背景には、そういったことがあるんじゃないかなとふと思うことがあります。
そしてもう一つ、言葉があってもその言葉の定義がお互いでずれていると、今度は疎後が生まれる。
例えば、頑張るっていう言葉。ある人にとっては毎日コツコツやることが頑張る。
でもまたある人にとっては、寝る間も惜しんでガムシャラに全力を尽くすようなことを頑張る。
同じ言葉を使っていても、全然イメージで話をしていることってよくよくあるんですよね。
この言葉があれば伝わるわけではない。この言葉の解像度が上がって始めて、本当に伝わるようになります。
これを考えていた時に、ちょうど私がとても好きな、茨城佳林さんのライブ配信を聞いていて、ハッとしたんですよね。
佳林さんが、感情をそのままぶつけるのは衝動性であって、自分らしさじゃないっておっしゃっていて。
こちら、チャプターにリンクを貼っておこうかなと思いますので、ぜひよかったら聞いてみてください。
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この自精神って、意思の強さじゃなくて、鍛えられるものだというお話だったんですけど、それを聞きながら私が考えたことです。
言葉の解像度が上がるって、自精神ともつながっているんじゃないかなと思いました。
自分の感情や状況を言葉でちゃんと把握できているから、衝動のままに動かず、一度立ち止まって考えることができる。
言葉の力って、相手に伝えることだけじゃなくて、自分自身をコントロールする力にもなるんですよね。
あの電話口でスイッチが入ってしまった私には、まさにこの言葉と自精神というのが少し足りていなかったなと反省しています。
そして、これは以前お話しした、読む力とも実はつながっていて、文章を読むって、書いた人の言葉の背景や文脈を読みに行くことっていうお話をしました。
相手がどんな意図でその言葉を選んだのかっていうことを考えていくことなんですよね。
読む時も話す時も結局やっていることは同じなんですよね。
言葉を通して相手の世界を理解しようとすること。
だから、四技能の全部の土台に言葉があるんだと私は思っています。
だから、私が今子どもたちに育てたいと思っている力はこれです。
経験すること、失敗すること、感情を持つこと、そしてその感情を言葉にする力。
この力を育てていきたいなと思っています。
親が先回りして全部失敗を取り除いてしまったら感情が生まれないですよね。
感情がなければ言葉も生まれない。
言葉がなければ考えることも伝えることも自分をコントロールすることもできない。
AIがどれだけ進化しても、あの時悔しかった、あの時守りたかったという一時情報はその子の中にしかないんですよね。
それがその子だけの言葉になる。
そして最後に先日大学の先生とお話しする機会があって、こんなことをおっしゃっていました。
頭を殴られるような体験をした子の言葉には説得力がある。
これまさにって思うんですけども、クルエームの体験とその言葉がピタッとかまりました。
言葉ってうまく話す技術じゃない。
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うまく話すことも大事かなとは思うんですけども、
それ以上に経験して感じてそれを自分の言葉にする。
その積み重ねから生まれるものなんだなって思っています。
私自身も新卒の会社に入社した時に採用してくれた支店長に後々話を聞くと、面接での言葉があなたらしいものだった。
それがすごく良かったんだよねっていうことをおっしゃってくれました。
まさにそういうことだったのかなと今は思っています。
私のあの時のしんどいクルエームがなかったら、たぶん私はここまで考えられなかった。
考えられなかったし、あの経験があったからこそ、
受験生の保護者の方に自分の感情だったり気持ちを整えるっていうことをしてほしいなっていう思いというかコンセプトにつながっていったなと思っています。
頭を殴られた体験が言葉に深みを与えてくれる。
私自身もあの経験を糧にもっと自分の言葉を磨きたいと思っています。
はい、ということで今日はちょっと熱が入ってしまって長くなりましたけれども、言葉と経験についてお話をさせていただきました。
今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。またお会いしましょう。小春でした。