オープニングと今日の言葉「無」の紹介
おはようございます。 そらめぐの「明日はきっと晴れ。」
コーヒーとチョコレート、そして歌が大好きなそらめぐこと、ライフデザインコーチの砂川めぐみがお送りします。
今日の言葉は、「無」です。
ことばの地図シリーズでは、ご縁のある人たちから寄せてもらったそれぞれの大切な言葉を、人生の地図に残る言葉としてご紹介しながら、
その言葉から、私が思い浮かべた景色や感じたことをお話ししています。
それでは、今日のことばの地図を開いてみたいと思います。
無限大の無。唯一無二の無。
漢字で一文字、「無」と書いて、ひらがなで「む」とだけでも良いのですが、そうご本人もおっしゃっていました。
この言葉をくださった方は、「一つ選ぶなら何だろう?」と丁寧に考えてくださいました。
世の中には素敵な言葉がたくさんある。その時々によって受け取る言葉も違う。
そんな中で、今回選んでくださったのが、「無」という一文字でした。
「無」との出会い:石川県の小学校での体験
この言葉との出会いは、その方の出身校である石川県の小学校だったそうです。
哲学者西田紀太郎さんにゆかりなる学校で、道徳の時間にはその伝記や教えに触れる機会があったとのこと。
小学校の前には銅像があり、毎朝登校時に、「おはようございます。」と頭を下げて挨拶するのが決まりだったそうです。
ただ、子供の頃はその銅像がどなたなのかよくわからず、校長先生の銅像かなと思っていたそうです。
このお話がなんだかとっても可愛らしくて、私は思わず笑顔になりました。
そして校舎の壁面には大きくひらがなで無と書かれていたそうです。
でも子供の頃のその方には、それがどうしてもひらがなで寿司という文字にしか見えなかったそうです。
なんで寿司?と思っていたそうです。
このエピソードもなんとも可愛らしくて、その方が子供の時どんな表情で見ていたんだろうと当時の姿を見てみたくなりました。
また子供の頃に見ていた景色が大人になってから意味を持ち直していく感じもして、とても印象に残りました。
大人になってから教科書やふとした場面で西田紀太郎さんの名前を耳にするようになり、
ああ自分はそんな方にゆかりのある場所で学んでいたんだと嬉しくなったそうです。
子供の頃は意味がよくわからなかったもの、ただそこにあったもの、毎日見ていたもの、それが大人になってから自分の中で静かに意味を持ち始める。
「無」の哲学的な意味と解釈
大人になってからああそういうことだったんだってことってありますよね。
西田紀太郎さんの無という考えはとても深く哲学的なものです。
ご本人も、哲学というのもなんとなく思考有為の私には興味深く、わかったようなわからないような難しい教えではあるけれど、と書いてくださいました。
私自身もここで正確に説明するのは難しいのですが、この方は西田紀太郎さんの絶対無について次のような解釈にも触れてくださいました。
単なる空っぽではなく、それ自体は何も持たないけれど、すべてのものを受け入れることができる場所。
そしてご本人はこの無という言葉が、候補として迷っていた余白という言葉にも通じるかもしれない、とも書いてくださいました。
何もないのではなく、何かを受け入れられる場所。決まっていないのではなく、これから何にでもなれる場所。
手放しているからこそ受け取れるものがある。そんな感覚がこの無という言葉の中にはあるのかもしれません。
「無」が示す原点回帰とオリジナルの自分
この方にとって、小学校時代は、私が私だった頃、オリジナルの私のような感覚があるそうです。
その後、大人になってお利口さんで真面目で社会人としてちゃんとしていられる自分もいる。
でもあの頃のオリジナルの自分もやっぱり大事だよな、と思い出させてくれる。
この無という言葉には、そのような原点に帰る感覚があるそうです。
この言葉から私が思い浮かべた景色は、広い、白い、余白のような場所でした。
何も置かれていない静かな白い部屋。まだ誰の言葉も予定も役割も持ち込まれていない真っさらな空間。
そこには何もないように見えるけれど、だからこそ、これから何かを置くこともできる。
何者でもないからこそ、これから何人でもなれる。決まっていないからこそ、新しいものを受け取ることができる。
そんな景色です。
大人になると、私たちはたくさんの役割や、こうでなければならないという思いを、いつの間にか自分の中に書き込んでいきます。
仕事の自分、家庭の中の自分、ちゃんとしている自分、期待に応えようとする自分、それももちろん大切な自分です。
でも、その奥には、まだ何にも決めつけられていなかった頃の、もっと自由で、もっと素直な自分がいるのかもしれません。
この方にとっての無は、オリジナルの自分を思い出させてくれる言葉なのだと感じました。
「無」から広がる未来の夢と成長
そして、近い未来の夢として、西田喜太郎記念館や、仏教学者・宗教哲学者として知られる、鈴木大節の記念館をめぐって、自分とつながるリトリートのような時間を作りたいということも教えてくださいました。
自分の原点にある場所から、また誰かが自分自身とつながる時間を作る。
それは、本当に素敵な夢だなと思います。
今回の言葉が、差し示している方向を、私なりに表現するなら、余白に戻り、オリジナルの自分を思い出す方向です。
何かを足していくことだけが、成長ではないのかもしれません。
肩書きや役割や、ちゃんとしなければという思いを、少しだけ横に置いてみる。
そして、自分の中にある静かな場所に戻ってみる。
そこには、まだ言葉になっていない可能性や、これから何人にでもなれる余白があるのかもしれません。
リスナーへの問いかけとエンディング
それでは、最後にあなたに問いを。
あなたにとって、原点に戻れる場所はどこですか?
大人になる前の、オリジナルの自分を思い出すとしたら、どんな景色が浮かびますか?
そして今、少し手放して、余白を作るとしたら、何を手放してみたいですか?
何もないように見える場所にも、これから始まるものが静かに眠っているのかもしれません。
あなたの言葉に、私が景色を添えていきます。
聞いているあなたには、違った景色が見えたり、違った音が聞こえてくるかもしれません。
この放送を聞いて感じたことや、ふと浮かんだ気づき、あなたの中に見えた景色や音や音楽があれば、
コメントやレターでそっと届けてくださると嬉しいです。
コーヒーでも飲みながら、ゆっくり聞いていただけますように。
それでは、今日はこの辺で、
明日はきっと晴れ、空めぐでした。また次回お会いしましょう。
空はどこまでも自由。晴れの日も曇りの日も雨の日もあります。
でも心のどこかで、明日はきっと晴れ、そう思えたなら、また一歩を踏み出せる気がします。
この番組では、日常の中にある小さな幸せや、心が少し軽くなる言葉、人生を豊かにする気づきの種をお届けしています。