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  2. 【Yumiさん後編】 一番つらか..
2025-10-31 1:27:01

【Yumiさん後編】 一番つらかった30代の話 & 夫婦関係談義

▼前回の前編はこちら▼
【Yumiさん前編】 歩けることの幸せ、生きられることの幸せ
https://stand.fm/episodes/68f0caf3d76a9d9c2de801ae


◼️タイムスタンプ
美容師店長時代からの休職理由、「独立」への話

2店舗目をオープンした頃の苦悩と、「倒れた話」

「やっぱり経営よりも職人気質」。一店舗に縮小し直した話

コロナ禍の夫婦話からの「夫婦間談義」

「死にかけベテラン」の話



[BGM: MusMus]
#コラボ収録

▼▼ 過去のチャモリ回はこちらから ▼▼
 #チャモリのテレフォンショッキング
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サマリー

このエピソードでは、ゆみさんが30代からの独立や子育てにおける葛藤について語り、特に夫との離婚や仕事の厳しさに焦点を当てています。彼女が周囲の環境を乗り越え、美容業界での成功を目指している姿が描かれています。 ゆみさんは、美容室の経営において直面した厳しい時期について語り、店舗を増やす過程でのストレスやパニック障害の経験に焦点を当てています。自己の精神的な健康を取り戻す過程を振り返っています。 ゆみさんは、過去の仕事での責任感から心身の疲労を経験し、最終的には一人で仕事をする決断をしました。その中で、コロナ禍が彼女にとっての転機となり、顧客との信頼関係の重要性を再認識しています。 このエピソードでは、コロナ禍における人間関係の変化や元旦那との生活の苦労についても触れています。ゆみさん自身の経験を通じて、相手への思いやりの重要性が浮き彫りになっています。 過去の辛い経験について振り返ったゆみさんは、特に30代が一番大変だったことを強調しています。コロナ禍や健康問題を背景にしつつ、自己の時間を大切にする姿勢を示しています。また、彼女は自身の辛い時期を振り返り、今後の再会を期待する様子が伺えます。

ゆみさんの過去の苦労
お昼休みはウキウキウォッチング あっちこちそっちこちいいとも
テテテテテン テン
こんにちは、チャモリーです。 今日は、前回お話が途中だった
あのゲストの登場になります。 後編としてお楽しみください。
それでは、どうぞ。 それでは、今日のゲストは
2回目の登場で、この方です。どうぞ。
こんにちは、ゆずけです。
こんにちは、ゆみさん、お願いします。
ご無沙汰ですというか、この間取り切れなかった。
長すぎた。
前回、この間2週間くらい前でしたっけ、2、3週間前か。
僕聞き直したんです、あれを。
そしたらもう、最後のほうを、僕めちゃくちゃ多分あれ酔っ払ってたんだと思うんだけど。
え、あれ酔っ払ってるの?
多分酔っ払ってて、本当に最後、すごいしか言ってないんですよ、僕。
言葉ない。
インタビューですごいしか出なかったら、もうやっぱり終わりだなと思って。
よくあそこで僕、一旦止めましょうって言えたなと思って。
そうなの?
すごいしか言ってないんだけどね。
なんだそれと言う。
なので今日は、前回聞けなかった話がまだちょっと残ってたんで、
またお願いをして、後編という形でお話聞ければなと思って、
この機会をいただきました。よろしくお願いします。
前回のおさらい、聞いてくれた方はたくさんいると思うんですけど、
結構な反響でしたよ。
再生数もすごかったし、コメントがめちゃくちゃすごかったね。
いやー、それすごい嬉しかった。
ねー、みなさんすごかったですよ。
すごい嬉しかった。
60件ぐらいついたんじゃないかな。違ったかな。
なんかいっぱい入ってましたね。
すごかったです。
やっぱり僕のスタイルを聞いてくれてる方も、
僕のスタイルを普段コメントくれない方たちもいたから、
やっぱりゆみさんのことをご存知な方とかいらっしゃったなと思って。
みなさんすごい聞いてくれたなと思っていましたよ。
いやー嬉しいです。
すごいお話だったと思うし。
普段のゆみさんからは想像が難しいようなところも多かったと思うから。
たぶんそういう印象なんだろうなーってコメントを見てて思いました。
ですよね。
だからいい意味で、「あ、そんな苦労されてたんだゆみさん」っていう、
みんながもっとより親近感が湧いたみたいな、
そういうところがあったんじゃないですかね。
美容業界での挑戦
より好きになったというかね。
そうしたら嬉しいです。
一応前回のおさらいとしては、2回の死にかけたお話があって。
死にかけたって僕が言うとあれだけども。
大変な思いされて、そのあと離婚の話もお話しいただいて。
そのさらに一個前。だから死にかけたっていうのは40代って言ってましたっけ。
そうです。
さらに前にもう一個お話があるというか、すごいトピックがあるということで伺ってたんですけど。
どんな感じで伺いましょうか。
これ実際に日がちょっと空いちゃったんで、
流れとしてはどんな感じでいこうかなと思うんですけど。
話しやすい流れとかあったりしますか。
振り返りつつというか、何かからつながるようなお話とかあったりしますか。
つながるのかな。
お仕事的なところとか、それかその当時の環境とか。
難しいかな。
結局30代は、結婚して子供を産んでから始まるスターみたいな。
ご結婚はもうそのときはされてたんだ。
独立のとき?
独立のとき。あ、30代が独立のとき?
そう。27歳で結婚して、31で独立してるので。
あ、そうなんですね。
で、お子さんがその頃。
独立の頃?
は3歳。
あ、もうお子さんは3歳だったんだ。
でも3歳って結構まだ大変な時期じゃないですか。
本当はちゃんと見ていたかったし、
仕事はしたくなかったけどやらざるを得ない状況に陥るっていうところからスタートするので。
それはどうして?
私、出来婚で、そういうふうにならざるを得ないって言ってしまったほうが早いんですけど、
仕事を働いてたお店は強制的に一旦お休みしなきゃいけなくなり。
それはお子さんを産むためってこと?
そうです。その店で、私は店長でバリバリやってたんです。
ああ、そうなんだ。
なんなら一番売り上げのある、一番任された役職でやってたところにそういうことがあり、
その当時はまだ受け入れ体制がなくて、子供とか。
あー、預けってこと。
子供ができましたってことに。
あー、それ自体。
そう、男性だったんで。
でもオーナーもお子さんいたんですけど、
そんな店長っていう大事なときに子供を作り上がってぐらいな感じのことを言われたんですよ。
そうなんですよ。おめでとうもなく。
ええー。
そうなんです。そこからきつかったんですけど。
でも8ヶ月ぐらいまでは頑張ってそこにいまして、
で、復帰っていう形で一旦終了するんですけど、
まだその当時そこのお店では、出産して復帰するとかそういう人が誰一人いなくて、
私が第一号みたいな感じだったんですよ。
まだそういうのは普通じゃなかったかもしれないですね。
時代的にもまだ美容業界ではあんまりそういうのを受け入れがなかったと思うんですけど、
だから遠回しに、ゆっくりしたほうがいいんじゃないのみたいなのを結構促されてたんですよね。
あ、要は来なくてもいいよみたいなことを。
やめようかっていう促しはあったんですけど、
でも私は仕事大好きだったのに突然辞めなきゃいけなかったから、
やっぱりそこの葛藤もあって、どうしても続けていたくて、
いや、戻りたいですっていう意向でとりあえずお休みっていう形をとって、
お休みして、市の保育園って6ヶ月からしか預けられないんですよ。
あ、そうなんですね。
しかも入れたらの話なので。
街が空きがあればと。
そうですそうです。
運よく入れました。
でも6ヶ月から預けなきゃいけない。
私としては子供を見ていたかったんだけど、
でも仕事もしたいから預けるんですけど、
一旦は元の職場に行ったんですよ。
復帰したんですけど、
まあやっぱり冷ややかなですよね、正直周りの雰囲気が。
それは店長さんだけじゃなくてってこと?
もう店長じゃなくなってるんで、下の子が店長に代わっているんですけど、
そうではなくて、途中で帰るって人がいない状況なので。
あーでもそうか、保育園にお迎えとかもあるから。
いらっしゃらないから、わからないじゃないですか。
で、私は時間で帰ります。
何なら呼び出されて、熱があるから帰れって言われたら、
途中で帰らなきゃいけないし、
でもお客さんを放置しては帰れない仕事なので、
予約をそうやってあんまりたくさんも取れないし、
自分的にもなんか、うわーっていう感じでやってたんですよ、申し訳ないなって。
そんな中、ちょっと怪しいけど預けて行ったら、
お店に着いた途端に電話が保育園からあって、
ちょっと熱があるっぽいんで、もう一回行ってくださいって言われるとかあったんですよ。
うんうん、行ってすぐとか。
でもごめんなさいとか、もうほんとそういうのが嫌で、ごめんなさいが多かったんで。
トラブルは絶対つきものなんだけど、行かないといけないし、
他の人にその予約を変わってもらわなきゃいけないとか、
いろんなのがあって、わーってなってるところに、
コロナに、ちょっと、なせなくていいんじゃないか、みたいな、
要はクビですよね。
宣告をされまして。
そこではもうちょっと働けなくなっちゃったんですよ。
いや、続けますというのはもう聞かれない感じだったってこと?
やっぱりそういうのは迷惑っていうか、
周りの人たちも何にあの人みたいになっちゃうわけですよ、わからないからやっぱり。
まだそんな時代だったので。
いろんなストレスもあって、そんな目立ったし、もう無理かなーって諦めて、
辞めて、じゃあもう今住んでる場所の近くで探そう、みたいな。
新しい生活の始まり
まだ自分でお店じゃなくて、どっかで。
そう、まだ本当にゼロサイズで預けられてもいなかったので、
とりあえず探して、半年後というかそのときには、
保育園に入れますっていうことを伝えて、何とか探そうと思って探し出すんですが、
やっぱり難しくてですね。
ゼロサイズ。土日が働けないみたいな状況だったんですよ、その当時。
由美さんが、当時。
私がですね。預けられないみたいになってて。
サービス業だから土日が一番じゃないですか。
だからそれはちょっと無理だなってことごとくいろんなところで断られ、
しまいには最後が2番目に行ったお店の女性の店長さんに言われた言葉は今でも残ってるんですけど、
私より多分若い子だったんですけど、
私も子供がいて、子供預けてるんだよねって。
で、私は普通の市の保育園も入れながら、もう1個その後に、
次も預けて仕事してんだよねって、そういう覚悟とかあんの?みたいなこと言われたんですよ。
私はそこまで子供に負担をかけても仕事したくないし、
しなくたって絶対できるはずって思ってたから、
なんかこの人の言うことはちょっとびっくりしちゃって。
で、そこはもちろん働かないですけど、帰りました。
で、最後に行ったお店が唯一、2ヶ月後にはもう土日も働けるようになるんですけど、
今は土日働けませんっていうので行ったら採用してくださって。
あーよかったですね。
で、そこから始まるんですけど、そんな美容生活が。
とにかく美容の美容師っていうか、美容の空気を吸っていたかったんですよ。
あ、そうなんだ。
なんでかって言うと、世の中から取り残されるの怖かったから、
少しでも仕事できなくてもいいし、アシスタントでも何でもやるから、空気が吸ってたかった。
その場の?
そう。しがみついていたかったって思いだったんだけど、
でも今考えたら、あの頃が一番過酷でしたね。
子供小さすぎて、本当にもういろいろ、
自分で歩けないから抱っこしなきゃいけないとか、荷物みたいに持たなきゃいけないし。
しかも初めてのお子さんですもんね。
そうです。振り迎えして、お風呂入れてご飯食べさせてとか寝かしつけてやってから自分の仕事でとか。
いやー大変。
そうそう。もうそれやってたら、寝かしつけて朝自分も起きるみたいな感じで、何もしてないみたいな。
寝不足続きの生活をしてでも空気吸ってたくて。
今考えたら、あのときが一番つらいと思う。
いやーきついですね。
でも実際どうなんですか。
もし戻るとして、でも空気は吸いたかったっていうのもあって、
今だったら空気は吸わなくていいから、お子さんだけ見ていたほうがよかったと思います?
いやーそれは思わないかも。やっぱり仕事場にいたいって思うかな。
大変だったでしょうね。
やり方はいろいろあるでしょって思うぐらいで。
それはもうちょっと預けてみようかとかそういうこと?
子供をちゃんと見れる状況にしてもできるはずと思う。
あーそうか。何かしらは。
預けっぱなしとかは私の中にはなかったから、たぶんそこは変わらないんだけど。
でもじゃあそこを一旦お休みして、新しい家の近くのところに一応一回就職したみたいな感じになったんですか?
そうですね。
自分でやってる間に、今住んでる場所っていうか、区画整理に引っかかってて、
取り壊しとかも回ってきたんですよ。
前から決まってたんだけど、いつかわからなくて。
もともとはそこは元旦那のお父さんの持ち家だったので、
下でお蕎麦屋さんやってたんでしょ。
あーそうなんですか。
そうなんです。
取り壊して、本当だったらまたお蕎麦屋さんを建てて、上にお家なんだろうけど、
たまたま区画整理をした際に、
うちの向かい側が小学校ができるってなったんですよ。
で、家族会議になって、お蕎麦屋さんもいいんだけど、美容室をやったら小学校だし、いいんじゃないかみたいなのを元旦那が持ちかけて、
でもね、私なんかまだ嫁にきて早々なのに、お父さんたちなんかどこの馬の方かわからない人にお店をやらせて稼げるのかと思うんですけど、
その当時ね、元旦那さんは、大丈夫だからみたいな感じで、絶対こっちのほうがいいからみたいな感じで美容室をして、
それで美容室をすることになったんですよ。
それはすごいじゃないですかね。
そう、だから予期せぬ感じで美容室決定になったんで、
もう待つとかもなく、区画整理に合わせてどんどんできあがっちゃうって感じだったんですよ。
家とセットだから。
あ、もうお店と自分のスタートもどんどん準備が進んだんだ。
そうなんです。そこで決断しないと家立たないんで。
うわーってなって、その当時まだ2歳とかだったんで、
美容室の開業と成長
私はもうめちゃくちゃ子供可愛くて、ずっとこう見ていたいし、成長を一瞬でも見逃したくないって生活してたんだけど、
決まったから、これ覚悟決めなきゃいけないじゃないですか。
結構どっぷり主婦になりつつ会っちゃったから、
うわーどうしようって、仕事も離れちゃってたし。
そのときはお店は別の雇われお店でやってたんだよね。
そうやってるけど、そんなに仕事なんてそこまでさせてもらえてないから、
主力でやってるわけじゃないので、
ただ半分ぐらい空気吸いに行ってるぐらいな感じだったんで、
ちゃんとやってないから、昔みたいにすごくやってるわけじゃないので、
どうしよう、大丈夫かなっていうちょっと不安もありながらも、
もう決断したらやるしかないので、っていうのがそこからスタートし、
であれよあれよで、1年ぐらいでお店ができるんですけど、
その間に、セットメン5面も作ったんで、
セットメンっていうのは、椅子ってこと?
そうです。鏡と椅子のお客様をお通しできる席が5つ作ったんでしょう。
なので一人だと大きいじゃないですか。
やっぱりスタッフを雇うことを考えてたんで、
そうやって作ったんですけど、さてじゃあどうしようってなって、
でもうお店を作ってる間に、今働いているお店、そこの、
でスカウトをして、
あ、それは怒られなかったんですか?
いやでもその子が来たいってなったんで、それはもう怒る怒らないじゃないですか。
でみんなねやっぱりそこのお店ってちょっとね、ちょっとぬるい感じのお店だったんですよ。
で私があまりにもこう意欲固まりでずっと居続けたんで、
そこにいた女の子が、私の下で働きたいって言ってくれて。
あーよかったんですね。
そうなんです。それでじゃあお店オープンするって言って、行きたいですってなってくれて、
でその子と二人でオープンしたんですよ、お店。
あ、そうなんだ。
でももともと5面にするっていうのも、そういう設計にしようっていうのも、
ゆみさんが原案作ったんですか?
なんでしょうね、もう忘れちゃった。
でもスタッフを雇って、大きくしたいっていう目はあったので。
あったんだ。あったんだ、ちゃんとそういうのが。
はい、ありました。
それはよかったですね、ほんとに。
最初は二人から始めて。
でもおかげさまでオープンしてから、トントン拍子に
全然困らず売り上げどんどん伸びてって。
あーすごい。
そうなんですよ、ここの私の住んでる町に、その当時まだ美容室ほとんどなかったんですよ。
あ、そうなんだ。
だから一人が実態で。
すごい、それ、うん。
結構だからもう最初からボーンって感じで。
えーうらやましい。
行って、そうです。
そこからスタッフも徐々に増え始め、そんな感じで。
何人ぐらいになったんですか?一番でかいとき。
一番でかいとき15人ぐらいです。
え!?15人!?
そうなんですよ、そのときはもう2店舗目オープンしてて15人ぐらいです。
そんなに広げてたんだ。
そっか。
そうなんでしょ。
そうなんだ。
それまでの間にね、ちょっといろいろあってみたいな感じだったんですけど、
経営のプレッシャー
こっちでそうやって頑張ってやりました。
で、3年目ぐらいで次の店舗考え始めて、出そうかなみたいな。
で、店舗探して見つけて、出したんですよ。
そのときぐらいからちょっと私も様子がおかしくなり始め。
それはどういう?
そうなんですよ、結局もう、1店舗目でもそうなんですけど、
続いてる子は続いてるんですけど、入ったらやめちゃう子もやっぱりいっぱいいるんですよ。
この仕事って教えてなんぼなんで、入って教えてやめて、入って教えてやめてとか、その繰り返しになるし、
あと、自分と同じ考えの人はいないからやっぱり、そこを少しでも一緒の思いになって頑張ってもらうっていう努力もしなきゃいけないですし、
とか、スタッフの生活がかかってるから、そのために売り上げあげなきゃいけないしとか、
仕事以外のそういうものとかの圧がかかってきちゃって、ただ楽しく仕事ができなくなってきてたんですよね。
オーナーとしての責任ってことですか。
そうそうそう。お客様を携わってて楽しいだけじゃなくて、経営のほうが私の中に入ってきたら、ものすごく重くなっちゃって、楽しく仕事ができなくなってたんでしょうね。
自分だけじゃなくて、人のことを考えなきゃいけなくなっちゃってるから。
そんな中で、でも2店舗目指して、またどんどん大きくなるじゃないですか。
さらに大きくなっちゃう。
そうです。私がいない店舗だとどうしても目が行き届かないから、好き勝手することもする子も出てくるし、
お金を済むとかいう人も出てきたりとか、予約を見えないところで切って帰っちゃったりとか、そういう子も出てきたりとかしたことがあって、
だんだん人、人間不振になっちゃったりとかして、いよいよ精神崩壊しちゃったんですよ。
あ、その2店舗を出した後?
その辺がどこの辺でなったか、ちょっと自分ではもう忘れちゃったんだけど。
あ、そうなんだ。
でももう人を使うっていうことが、もう私の中で最大のプレッシャーというか、になってきちゃってたんでしょうね。
疲れちゃったっていう。
そう、あちこちで考えてて、自分の仕事を楽しくしたいけども、それすらもできないぐらい、つらくなっちゃってたんですよ。気がつかなかったんだけど。
で、ある日、お店で仕事してたら突然倒れちゃったんですね。
その場で?
はい。仕事中に。
ドーンって。
目前が急にして、もう立ってられなくなって、全身がしびれ始めちゃって。
そうなんですよ。もう頭以外全部しびれてるから、私死んじゃうのかなみたいな。
本当にもうバタンって倒れて、動かないんですよ。
意識はあるんだけど、体中、頭以外が全部しびれて、手とかもひっ曲がっちゃったりして、私どうにかなっちゃうのかなみたいな。
脳梗塞とか、脳がそういうのかなみたいな、思うぐらい、死んじゃうのは私って思うぐらい恐怖の、そういうことが起こり始めて、救急車で運ばれたんですよ。
そしたら、パニック障害みたいな。
可換気象工具って最初言われたんですけど、呼吸もできなくなってたんで。
でも結果、パニックも入ってる感じで呼吸ができなくなるタイプだったんですよね。
その年はもうね、4,5回仕事中に倒れて、
あ、仕事は続けたんだ。
そう、でも結局仕事場に行くとそれになるんですよ。
そのうちもう、仕事行こうってすると目前が起きるようになっちゃって、行けなくなっちゃったんですよ。
行くと絶対それになるんで、って思ってるからまたなっちゃうし、迷惑かけちゃうし、みたいな悪循環になってて、
その当時はまだスタッフがいっぱいいたから、そのときの店長にしてた男の子が、
ちょっと休んだほうがいいんじゃないですかって言ってくれて、
1週間か2週間ぐらいはちょっとお休みさせてもらったんですよ。
でも結果、パニックだからそんなすぐ治らなくて、
普通に休みの日とかでも、電車とかも閉まっちゃって具合が悪くなったらどうしようで乗れない。
エレベーターもこの中で具合が悪くなったらどうしようってなって乗れない。
映画館も閉められちゃったら途中で出れないからどうしようってなるとか、
もう外に出られなくなっちゃったんですよ。
あ、そっから元気な感じであってもう出れなくなっちゃった。
健康回復の道
怖くなっちゃって。でも結果なんかちょっとフワフワしてたんですよ、ずっと。
気持ちがってこと?
なんかめまいが起きそうなフワフワ。
常になんか。
精神科とかも行ったりして、安定剤もらってはいたんですけど、
でもこれには頼りたくはなかったから、なるべく飲まないようにしてたんだけど、
でも開け方もフワフワしてるし、
そう、なんかもう歩くとめまいがする気がしてるし、
1年ぐらい外出れなくて、
怖くて、だから閉まっちゃった、閉じちゃったっていうのがすごく怖くて、
ここで具合が悪くなったら私どうしようみたいなパニックになっちゃうんで、
1年ぐらいは本当に公共の場に出れなかった時期があって。
なんか電車乗れなくなるとか言いますもんね。
そうなんですよ。だから満員電車が苦手なんです、今でも。
今でもそうなんですね。
具合が悪くなったらどうしようと思っちゃうんで、
ダメ、すごい苦手なんですよね。
あとはもう克服して大丈夫なんだけど、電車だけダメですね。
ダメなんだ、大変ですね、それね。
だから空いてる、なんでも空いてるのが好きで。
ゴミを見せちゃってるとかがきついの?
そうなんです、そういう圧迫感があるのが苦手で。
ぎゅうぎゅう詰めみたいなのとか。
そう、怖くって、そう。
お店とかは?
お店?
満席のお店とか、たとえば。
あ、嫌いです。
それはまた別で嫌いってこと?
たぶん待ちたくないとかそういうのもあるんだけど。
基本あんまり混んでるのは好きじゃない。
本当は?そうか。
あとライブとかも、スタンディングってあるでしょ?
あれダメです、怖くて。
え、でもじゃあ今度のスカロケフェス1122大丈夫?
ぎゅうぎゅうじゃないでしょ。
去年は僕行ってないけど、結構な人数だったって聞いたよ。
でも箱的に、普通の大きいところとはまた違うじゃないですか。
ちっちゃめだからこそ、去年百何十人の店員で百何十人ぐらい行ったとか言ってたよ。
ぎゅうぎゅうで将棋倒しみたいになるようなのは怖い。
でもそんなぎゅうぎゅうじゃないと思うけど。
ああいうのが苦手で、そういうのは予約取らない。どんなに好きなアーティストでも。
ああ、そうなんだ。いまだになんだ。
怖くてダメ。ちゃんと席指定のところじゃないと嫌だって感じは言うのはね。
そうなんだ、いまだにっていうのはきついですね。
たまにね、たまに出るときがある、そういうのが嫌だなっていう。
でもそれは自分で察知はできるの?ちょっとこれダメかも。
そう、だから苦手なところには絶対行かないし。
誰かに何を誘われても苦手なものは迷惑をかけることもあるから行かないし。
周りの人で気をつけてもらったほうがいいこととかあったりするんですか?
それは大丈夫だもん。
大丈夫だし、事前に自分でもそういうことは行かないし、
行けるときのものしか行かないようにしてるし。
でもお店は1年間外に出れなかったっていうのは、その間はお店はどうしたんですか?
いや、うーんとね、知ってたんだろう。
もう記憶にないぐらいな感じなの?
でも、復帰してからは自分の店なんでね。
予約の調整しながらやってるし、スタッフもいるから、
もし何かあったら救急車呼んでもらえるし、みたいな。
一応そのぐらいに思えるぐらいまでは1年かけて回復したってこと?
たぶんやってたなと思う。
すごいね。
でも、2店舗は2店舗のままでやってたってこと?
そう、その後もやってて、だけど私が公開しちゃったから、
やっぱりちょっと無理そうだよねってなってきて、
私はやっぱり自分で現場に出てるほうがいいし、
見えない店舗ってやっぱりちょっと不安になっちゃうし。
ということで、当時2店舗目で店長してくれた子が、
ゆくゆく独立したいって言ってたので、
それでその子に話を持ちかけて、お店を譲りました。
ああ、そういうことなんだ。
で、1個だけにして、もうちょっと自分がやりやすい。
ちゃんと自分が楽しく仕事できるように、迎えるように、
1店舗にして、またやり始めたって感じで。
ああ、そうなんだ。それがまだ30代の頃?
そう、30代の頃ですね。
すごい怒涛の30代ですね。
そのあとも結局メニエルとか、精神的にやられてて、ずっと。
メニエルって耳の…
そうそう、耳鳴りと、これもめまいなんで突然襲ってくるから、
そっち系で結構30代やられてた。
結構重たいやつですか。
うん。
僕もメニエルやりました。
やっぱり、薬屋のとんぷくみたいな液体のやつ。
液体の長い液体のやつ飲んでた。
まずいやつ。
まずいやつ飲んでた。
いつも冷蔵庫に常備しておいて、お守りみたいに置いておいて、
うわー、なっちゃった、となったら、もう即効飲んで、お店でちょっと寝て、やったりとかもしてたし。
ああ、そうだったんだ。
たまに出るからまだ。
今も?
本当に疲れちゃうからね。
だからあんまり疲れないように調節はするんだけど、でもだいぶ良くなった。
ああ、良かったですね。
仕事の責任と心身の疲労
でも今も続いてるので、結構重たいですね、きちんと。
たまにね、本当に。
なんかもう、いっぱいいっぱいになっていると目眩が起こりやすい。体質?わかんないけど。
でも若い頃って、もっと若い頃はそうなかったんじゃない?
何にもなかったの、20代の頃は。
だからやっぱりそういう仕事をね、自分でし始めてから、いろんなことを全部自分でしょうじゃないですか。
なので、もうそっからおかしくなっちゃって、今まではただ楽しいで仕事してたのに、責任になっちゃったから、今度。
他の私以外の子たちの責任を背負ったからこそ、私にはちょっと身が重すぎちゃったみたいで、そうなっちゃったみたいな感じだったんで。
そっから途中から、もう仕事だけすればいいよっていう感じで、経理とかを元旦那さんが受けよってくれるようになったんですよ。
数字考えたらまたなっちゃうから、立てなくなっちゃうから、もう気にしないでいいからとりあえず仕事しようかみたいな。
そのお客さんの対応をオータニスで引出してってこと。
とりあえず売り上げとかもいいから、とりあえず仕事すればみたいな感じになって。
そこから数字を意識しないでやり始めてから、ちょっと回復が早くなって。
なんですが、甘えすぎちゃったから、確かに回復して仕事楽しくなって、またちゃんと元に戻り、
とりあえず売り上げも安定してくるんですけど、必然的にね。全然見てないけど。
でも全部任せちゃってたから、ここから起きることが想像を超えちゃうわけですよ。
要は離婚っていう形になったときに、全部任せてしまってたので。
今度は自分で一人やらなきゃいけないじゃないですか。
今はってことか。
そうですそうです。
で、結局全部また降りかかってくるっていうね。
ちょっと話、現代に戻ってくるけど。
うん、戻っちゃうけど。
それ、今の流れから全員たぶん聞いてる人は思っただろうけど、「大丈夫?」って思うけど。
30代のそれに戻ってきちゃいません?大丈夫ですか?
大丈夫。今一人なんで。
お店を大きくしようとしてないからってこと?
誰かの気を使わなくていいってことか。従業員の誰か。
結局その売り上げとか、もう人は関係ないじゃないですか。
例えばですけども、究極で売り上げダメだったら、私が困るだけじゃないですか。
なので人は絡んでないから大丈夫なんですよ。
一人での仕事への決断
誰かのことの責任まで背負わなくてもいい状況だからってことね。
そう、自分自身なのね。ただ自分自身に帰ってきたっていうか。
大丈夫ですか?
物が倒れました。
気をつけてください。倒れたわけじゃないですよね、自分がね。
私では倒れないです。
コップが倒れてお水がバシャーってなりました。
一回止めますか?大丈夫ですか?
大丈夫です。
これ収録だから一回止めれますよ。
大丈夫です。流れできますぐらいのやつです。
わかりました。
いやでも、たぶんあれかもしれないですね。
ゆみさん、責任感が強い人なのかもしれないですね。
なんかね、こんな風貌だから誤解されてますけど、
私すごい真面目みたいで。
真面目すぎるがゆえに、たぶん全部背負っちゃうタイプみたいですね。
なんかそんな気がしました。
自分ではそんな感覚はないんだけど、結果そうなっちゃったみたいな。
しっかりしようとするというか、できちゃうからそうしちゃうんでしょうけど。
いや、できてないのにしちゃうんですよ。だからそうなっちゃうんだよ。
自分の中ではできてないと思ってても、誰かと比べたりすると、たぶんできるほうなんじゃないですか。
で、それがある程度、まだまだ自分が思ったりするとさ。
ああ、でもそういうとこあるかもしれない。
僕も似たようなとこがあって、
僕はサラニマンで行ったんだけども、
今までの働き方って、出世しないとダメみたいな空気があって、
僕ももちろん出世しようとしていたんだけど、
僕も部下を持ったときに、僕が全部を背負ってる感覚になっちゃって。
みんなで仕事を進めて成果を出さないといけないのにチームだから。
でもできてないところは、僕がやったほうが早いとこは僕がやっちゃってたし、
なんかそんな感じかなと思った。
で、僕はやりすぎる人だから、朝から晩まで仕事をどの日だろうと関係なくやって行ったときに、
僕も体壊して、精神的におかしい感じ。
僕は病院は行かなかったけど、
僕は精神的に強い人って自分で思ってたの。ずっと。
自分では?
自分では。
たぶんかなり強いほうだと思ってたんでしょ。
でもその僕がおかしいって自覚が出るっていうのは、よっぽどおかしいと思って。
だからもう辞めたほうがいいって、この働き方はと思って、
僕は部下を持つ仕事から外れたんですよ。
2年、3年前かな。
今はもう一人一人のサラリーマン、会社のサラリーマンだけども、
一人で仕事をする。
まあ一人というか、誰かの下で仕事をするみたいな、スペシャリストみたいな感じかな。
でも最近その会社によっては、出世する道を行くのか、
スペシャリストみたいな、技能に特化した方向に進むのか、
どっちも同じようにちゃんとしっかり評価しますっていう会社も結構出てきてて。
すごいですよ。
だから上司部下の上に出世していく道を選ばなくても、
例えば、言えば給料が変わりませんみたいな。
会社もあったりするから、僕は誰かの何かを背負うみたいな。
人生を背負ってはいないけど、サラリーマンだから。
でもその人の活動とか能力とか、成果とかを背負うのは僕はやっぱり合わないと思って。
で、辞めましたね、その道を。
今辞めて楽しく仕事できてますか?
幸せ。幸せしかない。
ものすごい幸せ。楽というか、気楽。
あってたんだ、そっちの方が。
あってた。
僕今だからわかるけど、このスタイフでみんなに僕を評価してもらってわかったけど、
僕は誰かのために何かする人じゃないんだと思った。
それをできる人、自然とできる人はいると思うんだけど、
僕はたぶんね、もともとそういう人じゃないのに、仕事になるとそれをやろうとしちゃってたから、
不慣れな中で勝手な責任感で余計背負っちゃってるみたいな。
それが大きかったなと思ったんです。
だから精神的に僕は本当に強かったと思ったけど、もうダメだって限界を感じたって感じだったんですよね。
それがあったから自分のことに気づけたっていうのも。
ある。
あるし、それがあったからだから今スタイフ始めるきっかけになったり、
こうしてゆみさんとお話できたりっていうのもあるし、
みんなと出会えたっていうのもあるから、2,3年前かな、僕にとっては。
大きなきっかけになりましたよね。
見つけたんだね、自分の手が。
まだでも新しい発見あるけどね、毎日の。
いや、まだまだ絶対あると思う。
ある、すごいある。面白いですけど。
なんかちょっと似たようなところを感じたので、こんな話してるんだけど。
結構きついですね。でもね、でもよかったですね。
よかったっていうのかわかんないけど。
やっぱりね、美容師さんの中でも経営者機質の人と職人機質とあって、
私はやっぱり職人機質のほうだったんだよなって思いました。
現場が好き、経営とかしちゃうとダメになっちゃうタイプ。
広げたいわけじゃなかったっていう。
私はもう一人一人の局様と対応してるのが幸せだから、
なんか大きく広げちゃうと、自分は現場にないとかなるじゃないですか。
そういうのは嫌だって思った。
生涯現役タイプだった。
でも今はそれを叶えられてる感じ?
そう、今一番叶えてるかもしれない。
よかったですね。
じゃあ今は一番幸せな感じですか?
いや、もう一番楽しく仕事をしてるかも、人生の中で。
よかったですね、それね。
自分らしく。
生き生きと。
そう。
いや、それよかったですね、ほんとにね。
あとコロナ禍がまた一番いいきっかけだったかもしれない。
お、何かあったんですか?3、4年前でしたっけ、これ。
そう、でもだんだん私は人と一緒にいるとつらいかもってなってきて働いてて、
それでもね、一緒に頑張って働いてくれてるからもちろんね、やっていくんだけども、
でももうこれで最後にしようと思って、人を求人とかかけずに、もう一人でやっていきたいって決断をした時期があって、
この子たちが卒業したらもう人は雇わないって決めたんですよ。
卒業っていうのは?
この子たちが辞めたときにはもう他には雇わない。
もう一人でやっていきたいって。やっていきたいってなっちゃったの。
わざわざ辞めてとは言わないけれども。
今って言えないじゃないですか。
切るのはできないから。
辞めてたあとはもう一人でやりたいってずっと思ってて。
たまたまこれも本当に偶然なんだけど、
コロナ前ぐらいに結婚とかそういったものが続いて、
ああ、その従業員の人たち。
退職が最後の2人が続いたんですよ。
それで辞めるが続いて、
でもたぶんあっちは、2人になり1人になっていくと辞めづらくなるじゃないですか、だいたいは。
ごめんなさいってね。
本当はね、思ってると思ったけど、でも私はありがとうって思ってたんですよ。
言いはしなかったの、それ。ありがとうとは言わなかったの。
さすがに言えないよね。
えーって、残念って。辞めちゃうのって言いはしてた。
そうだね、結婚おめでとうって言って送り出すって感じだったんだけど、
そこでいよいよ1人になったのが7年前ぐらい。
コロナって7年前でしたっけ?
5年ぐらい。
5年ぐらいか。
コロナ禍と信頼関係
いやいや、1人なったぞってなって。
その前から、ちょっとタレ巻きじゃないけど、1人になってもいいように自分のお客様には、
いろいろ個人の公式LINEを作って、ずっとそれで作り始めて、
そこに登録してもらって、1人になったらもうそこから予約を取ろうみたいな、
動きは始めてたんだけど。
あ、そうなんだ。
うん。やってて、そう。
で、いよいよ1人になったら、その辺から動き始めて、
で、やり始めて、私のお客様は変わらず来てくれるから、
何も変わらないんだけど、スタッフがやってた子は当然いなくなるとか多いから、
それはもう全然いいと思ってたから。
そんな中、コロナ突入して、
なんだけど、あのときってもう死んじゃうとか、
そうやったじゃないですか、最初の頃。
だから人と接するなんて、みたいな状況になってきた中、
美容室もたぶん、すごい困ってたはずなんですよ。
来れなくなっちゃって、お客さんが。
ことごとく潰れていくお店も多かった中、
うち全然変わらなかったんですよ。
よかったですね。
なんでかっていうと、1対1だからです。
他のお客さんはいないから来やすかったってこと?お客さんが。
そう。1対1で、1人帰ったら次の人が来るだから誰とも会わないし、
なんならもう20年代とか長いお客様が多いから、
お互いの生活、ライフスタイルとかはもうわかってるんですよ、いっぱい話してるから。
なので、私が遊び歩いてないってこともわかってるし、
お互いの信頼関係があるから、安心して来てくれた?
あ、そっか。
これが例えばだけど、すごい若い子が働いてたとしたら、
どこで遊んで帰ってきたかわかんない子だと、コロナうつったらどうしようとか、怖いのあるじゃないですか。
なんか当時、余計にそういう感覚がありましたよね。
うん。だし、お隣で誰かいたらとかもあると思うけど、それもなければ、
なので、その信頼関係があったからこそ、全然申し訳ないけど普通に来てたんですよ。
あー、そっか。
だから全然困らなくて。
うん、よかったですね、それ。
そうなんですよ。
そこで本当に私の運がよかったなと思ってて、
あのタイミングで一人だったから、この感じで行けたみたいな。
確かに、そのとき2店舗あって15人とかだったら大変だったかもしれないですね。
だったし、人がいたら多分、お客さん来ないなって思うんだけど、
それないから普通に来てくれてたし、何も困らなかったし、
だからすごいラッキーだと思ってて。
むしろ長いお客さんだと、毎月行くよ、ちゃんとって思ってくれて、そこ。
そう、だからそこは安心して来てくれてたし。
お互いの生活できなくなったら大変だしって思うしね、たぶん。
うん。そこの信頼関係とあってよかったなって思うし。
あー、よかったですね、本当に。
コロナ禍の影響
だって私だって怖いわけじゃないですか、そのお客様が、
たとえばご親戚とかだったら、この人はどんな生活してるかわかんないから、
怖いなってあのときはたぶんなると思う。
うんうん、なってたと思う。
そう、だから親戚はもちろんあのときは取らなかったんだけど、
お互いに安心できる関係性だったから、来てきたみたいなのがあったから、
あの期間はすごくよかったなと思うし。
そうか。
あれ、そういえば僕、自分で覚えてないな、紙切り行ってないかもしんないな。
何ヶ月か。
そうでしょ?
うん、行ってなかったと思う、たぶん。
たぶんそういう声しか聞かなかったよ。
そうだと思う。
行きたいけどなんでやら、みたいな。
嫌だったっていうか怖いもんね。
そう、怖いだよね。
どうなるかわかんないっていう状況だったから。
そうだ、いやーそっか。
だって僕、仕事で海外の人とのミーティングとかやってたとき、
海外の人全員がもじゃもじゃのヒゲ伸ばして、むしろそれを笑いにするってやってた、そういえば。
めちゃくちゃ生やすの、何ヶ月って、だからもういいやって。
オフィス行かないって言ってみんな辞めたのよ。
そっか、会社に行かないんだ。
そう、会社行かなくしたのすぐ。2月ぐらいだったかな。
リモートでみんなリモートって一気に切り替えたから、
だからヒゲをどんどん生やしてみんな、社長から全員、
昔のすごい長いヒゲみたいなのをやって、髪もボサボサとかもみんな、
誰?みたいな。
そうそう、ほんとに誰?って。
そんなのを笑って楽しくやろうよみたいなのをやってた記憶が思い出しました。
だから僕も髪切れなかったな。僕ヒゲ生えないから、生やさない。
そういう人いますよね。
全然伸びない。かっこよく伸びたらヒゲ生やしたいけど、全然伸びないんだけど。
髪の毛は棒棒だった気がする。
髪の毛棒棒だった。
でも当時は怖かったですもんね、ほんとに。
あのときは命が命がって言われてたぐらいだから。
だって実際芸能人とか何人も亡くなってたしね、志村けんとか。
すごい恐怖だったよね、あのとき。
恐怖。何が起こるかって感じだったね。
そんな中ね、普通に来てくれてたから、すごい感謝。
よかったですね。でもそういう、なんか小さくしたからこそお客さんと深くつながってるみたいな感じですか。
そうそう。
でもそれが、だから5年前か。コロナ。
5年前ぐらいかな。
コロナがあって、元旦那は飲食業だったんで、飲食業こそ打撃を受けてたじゃないですか。
関係の悪化
ああ、そうだ。
なので家にいるんですよ。
もうお店を閉じちゃったってこと?
来ないから、お客さんが。
だからやっても早く帰ってきたりとか、常に家にいるんになっちゃったんですよ。
あとお店開けてると叩かれたりしてましたっけ。
もうあったし、あの当時そうね、ほんと家にいない。
いつも絶対に朝9時ぐらいに出てったら夜、私が寝てる頃に帰ってくるとかいう生活なんで、
もう家にいない人がいるんですよ。
っていう生活が初めて続いて、そこから結構悪化したのもある。
関係があったこと?
そうそう、今までいない人が家にいるから、お互いに私もえ?ってなるし、
向こうもこっちの日々の生活のルーティーンなんか知らないじゃないですか。
そんなの気遣おうともあっちもしないから、自分の好きなように動くわけですよ。
そうするとこっちがまたイラッとするじゃないですか。
っていうのの繰り返しが続いちゃったりもしてて、
こんなに歯車あってないんだ、私この人とみたいなのがその辺で出てきて。
思いやり、お互いにたぶんその当時欠けてたからだと思うけど、
もういがみ合いになってっちゃって、どんどん。
あーちゃんにこうじゃねえと、お前がこうじゃねえと、あーちゃんにこうじゃねえとなっちゃって。
だからコロナ禍ですんごい悪化したんですよ。
あ、そうなんだ。
そっからたぶん女を作り始めたんですよね。
前回伺ったやつですね。
そうですそうです。たぶんそこでお客様、自分のお店のお客様とできちゃったんだろうなーと思って。
帰ってくるの嫌になっちゃって、たぶんそういうふうになってるんだと思うんですよね。
思いやりの欠如
そうなんだ。
でも女に逃げるっていうことはちょっとよくないんだけど、
でもまあたぶんそういうのがたぶんの理由かなと私は思ってるんですけど。
今を振り返ると?
知らないけどないよなーって。
でもコロナのときはみんな思ってる。
そうだ、コロナ離婚って多かったらしいよね。
多かったんだ。そうなんだ。
やっぱりほら、いつもいない旦那さんがお家にいるっていうの。
今でも聞きますよ、お客様とかの声で。
あのときでリモートに切り替わって、いまだにそうなっちゃってるから、
家にいるんだよねって、嫌なんだよねっていうのがすごい聞く。
まあそうなんだよね。
別にいても自分で好きにしてくれたらいいのに、
お昼はこの時間に出せとか、
そういう指定のある旦那さんも結構いたりするんでしょうね。
なんなの?って思うけど、
自分でやれよって私は思っちゃうけど、
でもそれをちゃんとやってあげてる方も多いから、
でもやっぱそれストレスになってて、っていう人もいまだにいますよ、やっぱり。
そうなんですね。
いやもう耳が痛いけども、僕は。
いやでも僕はコンビニに買いに行ってましたね、自分でね。
そうですよね。
うん、ご飯、適当にカップ麺とかパンとか買ってましたね。
そこも思いやりじゃないですか、お互いの。
思いやりかが、僕の場合は思いやりなのかどうかは、聞いてる人を察するところがあるんだろう。
いや思いやりかはわからないけれども、結果的には思いやりかもしれないですけどね。
結局そこも普段からのコミュニケーションで、そこに出てきちゃうと思うので、
ちゃんとしてたら、そんなえ?って思うことはないんじゃないですかって思うんですよ。
いやーでも、そこは難しいところじゃないですか、どうですか。
多分言い方が変わると思うんですよ、例えば。
家になっちゃって、お昼なんとかって言われても、ちゃんとコミュニケーションとってるお家だったら、
でも私だってこうだよとかいう意見をして、
真ん中から取れそうな気はするけど、
相手のことを思いやらないで自分の意見だけぶつけると、お前がやって当然だろってなるわけですよ。
いやいやいや、私だって働いてんのに、っていうぶつかり合いで終わっちゃうわけじゃないですか。
確かに。
だから関係性ですよね、普段のって思った。
そっかー難しいですね。
そう、だからそういうときに出てきちゃうんだなって、私も経験して思った。
いざね、そういうことが起こったときに、やっぱりこうなっちゃうってことは、
普段から何にもコミュニケーション取ってきてなかったからぶつかるんだなと思って。
そっかー、それはもう僕は何も言えないですね。
そういう話題になると、もう僕は何も言えることはない。
力さんを取り詰めるときはそれが一番いいのかな。
僕はコミュニケーション、たぶん一番取ってない人だと思う、スタイフの中で。
投げてください。
いや、無理なんですよ、コミュニケーションは。
無理とかあんの?
えっとね、一言発すると嫌悪を返されたら、一言も発せなくなりませんか。
嫌悪?
嫌悪。嫌いに悪と書いて嫌悪ですよ。
あー、嫌悪ね。
そうそう。もう一言で話すと。
だからゴキブリ見たら嫌悪するでしょ。そんなもんじゃない。
そんなもん出されてコミュニケーション頑張ろうとしても、ゴキブリはコミュニケーション頑張れないです。
ゴキブリは殺されちゃうよ。
でしょ。だからもう姿を見せないほうがいいんですよ、ゴキブリはたぶん。
ゴキブリって何言うの。そんなひどくはないんだけど。
でもいや難しいですね。
でもこの話をすると誰も理解できないので、この僕の周りのスタイル風の人たち。
みやけんさんぐらいですから、みやけんさんぐらい。
まあ難しいですね、でもね。
難しいテーマなんですね、ここがね。
難しいテーマですね。
お互いだとは僕は思うんですけど、その中でも。
そうそう、お互いなんですよ。
でしょ。片っぽだけじゃないやん。
そう、鏡って言うじゃないか。
鏡って言う。それは夫婦かってこと?
そうです。
じゃあ片っぽがイラついてるってことはもう片っぽもイラついてるよとかそういうこと?
自分のしてることは相手のしてることも同じってことなので、
自分はちゃんと思いやりを。
そうですそうです。
ということを最近は深く感じますね。
いや深いですね、それはね。
それはもう経験したからなんですけど、
その当時はもうお互いに思いやりのかけらすらないぐらい憎しみあってましたね。
憎しみが出ちゃうんですか?
もう知り合ってたっていうか、もう嫌味しか出てこないっていうか、
だから会話一個しようとすると、もうなんかそういう嫌味ったらしい言葉が出てくるんですよ。
だから会話したくないから切っちゃうじゃないですか。
で、私も言ってしまうからあっちも切るじゃないですかっていう、お互い同じことしてたもん。
一言言葉が来たなと思うと嫌味なんで、
ああもう嫌だってなって、ああそうですかみたいな。
で、それに返すとまた大きくなっちゃうし。
そうそうそう。
だから返しちゃうから私もそれで、はーってなるから返すじゃないですか。
で、あっちもはーってなって返すの、日々ってすっごい苦痛でもう、もう嫌だみたいな。
そりゃ女作るよねっていう感じですよね。
いやでも女作るよねって男は作ってないわけでしょ。
そうですよ。
だから鏡じゃないんじゃない?
私はちゃんと息子と一緒に生活してますし、息子がいるからなんとかそれでもいいやって頑張ってきてたけど。
私はね、逃げ道がいっぱいあったので、誘惑に負けちゃったんでしょうね。
いやー、それは大変ですね。
話し合いができない人だったんで。
ああ旦那さん、元旦那さん。
そうです。もう自分でシャッター下ろしちゃう人だったから、
もうめんどくさいと思うとシャッターすぐ下ろすから、話し合いしなかったんですよね。
それはなんか聞いてよ、この話って。もしゆみさんが言っても、何それ?みたいな感じ。
あんまりなんか無関心っていうか、私のこのノリではなくて、聞いて聞いてって言っても、あんまりだったんですよ。
全然、えーと、なんで聞かなきゃいけないの?
いいじゃん、楽しそうだねとか、よかったねとかって人じゃなかったんですよね。
だからやっぱ話さなくなるし、
そういう楽しみ、仲間との楽しみとかそういうのがあんまりわからない人。
結構一人が好きな人。
自分のルーティーンで生きてる人っていうのかな。
だから仲間、なんか小学校からずっと友達とかはずっといるけど、
なんか広く浅くもしないくて、行動範囲もめちゃくちゃ狭いから、電車に乗ってどこかも行かないから、
もうほんとこの地元で動くぐらいの人なんで、もう全く、全くもって楽しいこと知らないだろうなっていう。
どっか行こうって言ってもめんどくさいとか、そういうタイプでした。
でも自分の好きなことはボッとできるみたいな感じ?
そうそうそう。だからもう休めてたらパチンコ行ってる人でしたよ。
あーそうなんだ。パチンコは好きなの?
一人でぼーっとやって、で、いつも休みの日は別行動で。
あ、そうなんですね。
私はボクシング行ったり、やりたいことを昼間がーっとやって、
向こうは一日パチンコ行って、夜ご飯、外食で落ち合うっていうのが休みの日課でした。
それは、まだ仲悪くなる前からってこと?
そうですね。私も休みの日ぐらいしか手を抜けないから、
休みの日は外食したいなって言って、普段やってるから。
っていうので、休みの日は外で食べようかっていうスタンスになったんですよ。
それはずっと来てて、それ変わらずずっとなんだけど、仲悪くても良くてもずっとそうで。
なんとなくだから、お互いに昼間は一緒にいないけど、
夜6時になったらご飯パチンコで落ち合うみたいな感じの生活。
そうなんだ。結構バラバラ、それぞれで楽しんで。
そう、現地集合みたいな感じですね。
なるほどね。
だからあんまり共有はしてきてない。
はいはい。
そっか。耳が痛いというか、僕はたぶん元旦那さんに似てるかもしれないね。
共有できない思い
だからなんかね、楽しみ方が違いすぎちゃって、
共有ができないかったのが、私は寂しかった。
それを、ゆみさんは共有はしたい人だったんだね。
一人で自分は一人で。
共有はしたかったけど、楽しいねとか一緒に楽しめない人だったんで。
それが残念でしたね。いいよ、行ってきなよとか。
それは、行くなよって言われたほうが良かったってこと?
俺と一緒にいろよ、みたいな。
なんで勝手に別々の時間を過ごそうとするんだって言われたら、嫌じゃないの。
どういうことですか?
土日もバラバラに過ごさず、一緒の時間にしようよっていう人だったとしたら、
共有全部共有して一緒の時間にしようっていう人だったとしたら、そっちのほうが良かったってこと?
いや、それは良くない。
それはやっぱりゆみさんも、
全部が全部は嫌だ。
ちゃんと自分は自分の時間も欲しいってことね。
だけどなんか、興味を持って欲しかったのにっていうのもあるんだよね。
こういうのあるけどどう?って言っても、いや、いいとか、鼻から断られちゃうんで。
あー、そうなんだ。なるほどね。
耳が痛い。
だからやっぱり、もともと一人行動は好きだけど、
さらに一人で行動することが多くなったかな、私は。
全然一人は好きなんで、いいんですけど。
どっかですれ違いが始まっちゃったっていうことか。
まあそれがコロナのきっかけだったかも。
健康問題との闘い
うん、それは一番大きかったかな。
そこのいがみ合いになってからもう何もないよね、本当に。
しょうがないというか、なんとも言えないですけど。
もう話もしなくなってましたね、そのころは。
あ、そう。
これ何の話でしたっけ?
コロナ禍は仕事大丈夫でしたって話かもね。
コロナ禍は仕事大丈夫でうまくいってたってこと。
うまくいってましたっていう感じで。
ですね。
そこから一人でやり始めてるうちに、離婚っていうのが襲ってきてみたいな。
話ね。
でもその間に、命を落としかけ…。
そうそう、そうだ。
ちょうどその間に2回ありました。
そっか、コロナに7年前に一人のお店になったんでしょう。
そう、今から5年前に…違う。
7年前って言わなかった?
7年前、7年前に…そうです、あの辺で1回…
死にかけた?
うん、そうです。
お店一人になったころに…
一人になる、ちょっと手前です。
ちょっと手前。
ギリギリ手前でなって、
で、単位制一人でやり始めようかなっていうぐらいにスタッフがいなくなったから、
ちょうどそこでです。
これでむしろ一人でやろうって。
一人でゆっくりやっていこうってなって、
そこから5年経った、だから今から言うと3年前。
3年前にもう一回なるっていうのが襲って、
もうそのとき自分でもちょっと笑いましたけど、
お腹おかしい、痛いってなったときに、
あ、これこないだと同じ感じがするっていう予感がしました。
で、救急車呼んでって息子に言いました。
その間にやったことは、スマホと予約票だけ持って救急車に乗りました。
どういうことそれ。
次の日に予約が入ってたんで、
エレベーターしなきゃいけないじゃないですか。
もう察してたんだ。明日は出れないだろうと。
そうです。意識飛びそうなぐらいお腹痛くて、
防症もないのに携帯と予約票だけ握りしめて救急車に乗って。
お客さんから連絡が来るように。
もうどっかのタイミングで何か贈ろうと思って、とりあえず持ってたんですよね。
えらい。
すごくないですか。
もうあのとき無意識でした、それ。
そうなんだ。
もうほんとプロ魂ですよ、これは自分の中で。
いやー、そっか。
で、湿点抜刀してる状態で、
先生もすぐ来ないから、病院でも待機しなきゃいけなくて、
もう本当につらかったでしょ。
もう死にたいって思っちゃうぐらいつらいんですけど、
寝ても何してても痛いから。
そんな中でもがきながら明日のお客様に、
明日ごめんなさいっていうLINEを送ってるっていう。
連絡が取れたんだ。
とりあえずやっとかないと。
だって明日来たらお店開かないってとんでもないことだと思ったんで。
とりあえず明日のお客様だけには連絡したくて、
そんな状態のまま連絡を遂げ、それで手術を終えて、みたいな。
いや大変でしたね、それね。
でももう流れわかっちゃってるんで、前回やってるんで。
それは手術の流れってこと?
一回同じことを経験してるんで、
でやっぱ同じってわかった瞬間に、なるほどねってなって、
ってことはここから2週間は入院ねってなったね。
ここからどのくらいで復帰して、このぐらいで仕事ができたなそういえばっていうのは、
もうインスタとかに全部記録してあったんで、
それを見て、入院中に手術して、
まだ間もない頃に予測をして、いつごろ復帰予定なのでっていうのをお知らせして。
そうそうそうそう。やってました。
あ、そっかー。
すげーな私って思って。
2回も同じ病気で死にかける人なかなかいないもんね。
そうなんです。
すごいですよね。
復帰予定までもわかっちゃうっていう。
死にかけベテランじゃないですか。
自分らしく生きる
死にかけベテランですよ。
私もうちょっとベテラン入れるの、死にかけベテランで入れるの。
もうぜひ死にかけベテラン入ってください。
ベテラン入れるメンバー。
他にいないから、そんな人。
でもそっか、それで前回の話につながってくるわけですね。
そうそうそうなんですよ。
大変でしたね、でも。
30代がたぶん一番つらかったかな。
本当は?その後も大変だというように感じたけど、やっぱり振り返ると。
その後も大変なんだけど、その後の大変は自分だけのことなんで。
やっぱりスタッフの食べていく責任っていうところが一番大きいから、
私が具合悪いとか関係ないしとか、そっちのほうがつらかったかな。
でも仕事しなきゃいけないし、っていうので。
なんか重たい感じかもしれないですかね。他の人が重たいというか。
私にとってはたぶんあれが一番負担だったんだなと心ではね。
なんか背負っちゃうというか。
楽しくなかったから、何もかもやだとか思っちゃってたし、
めまいとかパニックがすぐ起きて、あれが本当にしんどくて。
人と会えなかったしね。具合悪くなったらどうしようっていうのが常に頭にあるから。
たまーに、ほんとたまーに出ちゃうんだけど、本当に去年、一昨年出たんですよ。
久しぶりにびっくりした。
それはどこで?
私はやっぱりね、寝不足が結構引き金になるっていうのを自分でわかってたんで、
だから睡眠すごく大事にしてるんだけど、とりあえず疲れたら寝る、やってるんだけど、
なんかそのとき、一回具合悪くて友達との約束をキャンセルしちゃって、
で、次ももう一回約束をしたお友達がいたから、その日ちょっと体調悪かったんだけど、
2回目はさすがにって思っちゃって、無理して行っちゃったんですよ。
そしたら向かって電車の中で、ちょっと動機がし始めちゃったんですよ。
うわ、これってもしかして?ってなって、でも久しくなってなかったんだけど、
そのなんか感じってちょっとわかっちゃったんで、
うわー、ちょっと怖いなーって思いながら向かって、
それがしかも昼飲みをするっていう休みの日に、新宿でだったんだけど、
で、一応待ち合わせ場所まで行きました。
だけども、なんか具合が本当に悪くなっちゃったから、お酒も進まなかったんですよ。
これ飲んだら、たぶんやばいなと思ったからこそ余計に飲めなくて、
そんなときに限って飲み放題みたいな予約をしていただいちゃってて、
うーん、どうしようってなって、食事も喉通らなくなっちゃって、
どうしようどうしようと思うとどんどん具合が悪くなってきて、
しまいには視界が真っ白になって、結果そこで倒れるんですよ。
え?その友達の前で?
ごめんね、ちょっとなんかおかしいかもしれないって言ったらもう意識飛び始めちゃって、
で、また目前起こっちゃうんですよ。
それとどうしたんですか?
でもあんなね、ほんとにランチタイムのクソ忙しいときに倒れちゃって、
大抵もう忘れもしない新宿のあのど真ん中のところで救急車を呼びましてですね、
救急車で運ばれちゃって、
で、どこの病院に運ばれるかもわかんないじゃないですか。知らない土地だし。
とりあえず運ばれて、また点滴とかして、よくはなるんですけど、
でも先生にもたぶん疲れてたよね、みたいな感じで。
たまたま駅がその遠くない病院に運ばれてたみたいだったので、
足で帰りましたけど、
久しぶりになってちょっと怖かったですね。
2年前だ、ちょうどそう。
そっか。
だからもうやっぱりね、寝てないとかダメなんですよ。
じゃあもう寝てもらったほうがいいですね。
とにかく寝といてもらったほうがいいですね。
そうなんです。それはね、自分でちゃんとしてるんで。
いやーもうそっか、大変ですね。
でもまあ付き合っていかなきゃいけないのかもしれないけどね。
でもわかってるんで、自分がこういうことをし始めたら具合悪くなるっていうのはもうわかってるから、
ちゃんと予防はできるので、無理はしないし。
本当に無理をなさらないようにしてください。
ぜひ寝てください、じゃあ。
はい、寝ます。
僕もしばらくね、昼寝してましたよ。
もう絶対昼寝なんかする人じゃなかったけど。
あ、そうなんだ。
しばらくなんか瞑想するとか、お昼寝15分でも30分でも。
会社だろうとお昼寝30分とかやってましたね、おかしかったとき。
今はもうしないけど。
自分でわかるからでしょ、それが。
そうそうそう。
でもわかる人だから大丈夫だと思います。
うーん、ね、たぶん。
急になんかドンっていうのはないと思うけど、たぶんね。
やっぱり迷惑かけたくないので。
そう思いますもんね。
いろんなお話また今日も聞かせていただきましたけど、
結構いいお時間になりましたね。
今日もまたびっくりするお話ばっかりだった気がするけど。
いやでも、またさらにゆみさんの人と何か伺えた気はします。
だいぶさらけ出しましたけどね。
はい、ありがとうございます。
ちょっと聞いていただいてる皆さんもまた、
新たなゆみさんの発見があったんじゃないかと思いますが。
いろいろコメントお待ちしてます。
逆に今後のゆみさんとしてこんなことしたいとか何かあったりしますか、最後ですけど。
いやでも、自分らしくいたいですね。
人の目とか気にしないんで、自分らしくいたいですね。
誰かのためとか頑張りすぎとかじゃなくて。
うん、もう自分のためにちょっとここから生きていきたいなと、思ってるかな。
前回も言ってましたもんね。生きてるだけで。
そう、丸儲けなんで。
もう先もそんなに長くないんでね、自分のために。
あと半分ぐらいあるでしょ、まだ。
1分1秒、今回ないように日々生きたいなって思って生きてます。
はい、ありがとうございます。
いいお言葉いただきました。
でも本当にね、ゆみさんのその話とか聞くとマシだなと思うから、前回の話もあったけど。
だからやっぱりちょっと影響を受けますよね。
ほんと?
無理もせず、しすぎず、無駄もせず。
健康に。
気を使って。
そうですね。健康第一なんで。
睡眠はちゃんととってと。
そうです。
ということで、そんな感じですかね。
今日も長くお話いただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
今日はありがとうございます。
一応じゃあ、締め方今わからなくなっちゃった?
どう締めたの?
はい、ということで、今日はいろんなお話をまた聞かせていただきましたが、ゆみさん。
いかがでしたか。
振ってみちゃう。
なかなかね、前も言ったけど、自分の話を話すっていう機会って、たぶんゼロに等しいので。
話してみて、自分が何してたとか、
このとき、こんなことしてたっけっていう振り返りにもなれて、よかったです。
またじゃあ、こういう茶盛りはたまにはやったほうがよさそうですかね、どうですか。
Yumiさんとの別れ
そうですね、なんかいいですね、こういう振り返り。
うれしいですね。
ちょっとまたどっかで。
たぶんまだ叩けばいくアイテムが出てきそうなんで。
じゃあまた、タイミングを見てぜひお声掛けしますんで。
はい、よろしくお願いします。
またぜひお参加、茶盛り来ていただければと思います。
じゃあ今日のゲストは、ゆみさんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
01:27:01

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