針供養の意義
こんにちは、ちじゅ|です。12月8日、今日は針供養です。
折れた針とか古くなった針をねぎらって、豆腐とかこんにゃくとかそういった柔らかいものにね、刺して供養をする針供養です。
長く働いてくれた道具に感謝をして、物を大切に扱う心を思い出す日というわけでもありますよね。
12月8日は、【針供養】と呼ばれる日です。日本では、壊れた針や縫い出した針を供養する日です。
柔らかい豆腐やこんにゃくで休ませる日です。
という感じでしょうか。針供養、私はしたことはないんですけれども、
いろいろなところで、お寺とかで今されているということなんですけれども、
この風習はね、道具にも魂が宿ると考えた、昔の日本人の価値観から生まれたものなんですよね。
細かい作業を支え続けてくれた針を、最後に、ちょっとハードだった生活に、柔らかい場所で休ませてあげようというその静かな儀式には使わせてもらっていたという感謝が込められていますよね。
この小さな針一本ですら見えない、たくさんの人の手を得て、ようやく私たちの手元に届いているということなんですよね。
なので、普段は気づかないその重なりにね、一度でも目を向けてみると、道具との距離というものが少し優しく近くなるんじゃないかなというふうに思います。
まあだから今日は壊れたものとか古くなったものとかそういったものにでも静かにありがとうというものをちょっと伝えてみる日なんじゃないかなと思います。
道具との関係
感謝っていうのは、まあ私たちの使っているものを優しく休ませてくれて、同時に私たちの心も柔らげてくれるということです。
針一本は、道具が魂を持っていると信じられることに基づいています。
人々は古い針一本を柔らかいものに置き、静かに感謝することを祈っています。
これを認めるための一瞬で、日常物との関係が優しくなります。
私たちが使ったことに感謝するだけで、私たちの日々が少し柔らかくなります。
感謝は私たちの使っているものを柔らかくし、私たちも柔らかくなります。
では、またね!