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こんにちは、英会話のトリセツ、星野知事です。お元気ですか?さて本日は、努力は常に報われるとは限らない?を間違えないためにというようなお話をしたいと思います。
ちょっと耳に痛いような内容になるかもしれないんですけれども、何かを批判したくて言っているわけではないということを承知をおきいただきたいんですけれども。
まずはですね、いつもコメントをいただいておりますヨッシーさんのコメント返しから始めたいと思うんです。ヨッシーさんは本当に毎日頑張っている方でね、コメントもたくさん残してくれるんですよ。本当にヨッシーさんいつもありがとうございます。
頭をふかふか下げているところであるんですが、ヨッシーさんのたくさんあるコメントの中から今回一つちょっとね、紹介しつつコメント返しをさせていただきたいと思います。
ヨッシーさんが、短い文であるんですけど書いてもらったのが、毎日頑張っているんだからできないわけがないということを書いてくださいました。
これはですね、225番のところでお話ししたものに関して、お話じゃないですね、アファメーションに関してのところだったんですけれども、アファメーション自体はね、Everyday I'm getting better and betterっていう内容だったんですよ。
毎日良くなるっていうようなところでですね、そこで書いてくださったコメントなんですよね。本当にこのね、毎日頑張っているからできないわけがないっていうのはもうおっしゃる通りでございます。
なんですが、努力が常に報われるとは限らないよっていうのが今回の話なんですが、これはヨッシーさんに話し、コメント返しって言ってますけど、ヨッシーさんに直接向けて言ってるというよりも、いわゆる私がネットとかを読んでいて感じる印象ですね、そっちの方に向けての私は話をしております。
というのがですね、本当に努力ってやってれば頑張ってればできないわけがないっていうふうに、もちろんそうなるんですけど、その行き先を間違えてる場合はどうも毎日頑張ってるんだけど、報われるって100%報われるとは限らないっていうのが現実だよねみたいな、いやらしい話なんですけどね。
そういうこともあるよねっていうところをちょっと頭の片隅に入れておいてもらってもいいかなっていうことを、今回はお話ししたいと思います。なので、ヨッシーさんがとてもいい提言と言いますかね、私にこういうことを話したらいいんじゃないっていうようなメッセージをいただいたようなつもりでですね、私は今話をしているわけなんですけど、本当にヨッシーさん気づきをありがとうございます。
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はい、というわけでですね、行き先を間違っちゃいけないっていうことなんですけど、これ本当にね、あの、いい例がね、学校の英語なんですよ。
なんか、いまだにね、学校であれだけ勉強したのに話せないのはおかしいとかっていう、いわゆる専門家みたいな方たちもいらっしゃるんですけど、あの、学校の英語で話せるようにはならないに決まってるんですよね。
話すためのカリキュラムに全然なってないのに、話すための練習なんか何にもしてないのに、なんで話せないんだ日本人はとかって、もう一回やり直せみたいなことを言う人がいるんですよね。だから、そもそもその学校の英語が話せるためのカリキュラムに全くなっていないっていうその一点だけでもね、
いや、ちょっとやり方変えないとって気づかないといけないのに、それを大人になっちゃった人に関して、その英会話、あ、初心者ですねと、あ、うんと、じゃあ学校の英語も忘れてるから、じゃあまずは学校の英文からやり直してきてくださいって言っちゃう人もいるわけですよ。
でも、振り返ってみると、英語が、いわゆる英文法とか中学校の英文法からやり直せって言われてるそのやり直しの部分ですよね。それってもうやったんですよね。昔でやった時点で話せてましたかっていう話じゃないですか。
じゃあその教える方の専門家、毎年毎年毎年毎年同じように教えてると思うんですよ。その英文法を。じゃあその教えてる英語の先生方がみんなネイティブ並みに話せるんですかね。じゃないですよね。じゃあそれをやり直したところで、それじゃダメってことじゃないですかね。だって当時話せてませんもんね。
じゃあそれをやったとして、その後、はいやり直しました。で?っていうね、なんかこう、そういうのって何でしょうか。無駄になるとは言わないけど、報われるとはちょっと私思えない気がしちゃうんですよね。
子供っていうのは、割とこう、なんかこう、何ですかね。横並びじゃないですか。なんか持ってる知識とか考え方とかも、そんなにまだ大人ほど成熟してはないから、横並びで勉強しても割といける素直に入ってくると思うんですよ。でももう大人になっちゃってたら、もう一人一人がもう個性強すぎですよね。
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しかも会話の目的も違うし、目指すレベルも違うし、目指してるその、今現時点でのレベルも違えば、考え方も違うし、やってきたことも違えば、持ってる一般的な知識も違うし、比べようがないぐらい全然横並びでできないですよね。
となると、人の行き先っていうのは自分の行き先とは一致してないっていうことなんですよね。
子供の頃は、隣の生徒と自分の行き先が割と同じだったわけですよね。だからまあ同じことやってもよかったわけですよ。
話すための英語ではなかったですけれども、文法とか叩き込まれて、いわゆる認識できるパッシブな語彙を増やそうっていうのが学校英語の目的だったわけですよ。
アクティブな話せる方の単語を深く練習して、口から出るように練習しましょうねって、多分やってないってみんな思うんですよね。
だから話す練習、話すためのものなんかやってないですよね。話すためには聞かないといけないしね。あんま聞いてないですしね。
だから何をとっても学校の英語っていうのは、話すためのものではなかったっていうことなのに、それ一つとっても、やっぱ努力って
報われてない気がするんです。こう言っちゃうと身も蓋もないかもしれないんですけど、でもそこを分かってからやるのと、分かってなくてやるのとは全然なんか違いがあるような気がするんですよね、私。
だから、人にとってはいいことが自分にとっては良くないこともあるかもしれないっていうことが分かっておけば、分かってさえいれば、
たまに振り返って、なんかネットで見つけてこれ良いと思ったとか、ここの英会話がすごく良いと思って入ってみた、体験もやってみて、入ってみて、うん、良いと思う、と思っても
やっぱりいつかの時点で、ちょっと振り返りながら、これって本当に私行き先合ってるかな?ちょっと修正してもいいかもしれないっていう、
人の行き先と自分の行き先は違うんだっていうことさえ分かっていれば、たまにやっぱりアップデートというか、バージョンアップというか、やっぱりそれを自分でしていかないといけないっていうことだと思うんですよね。だから、やっぱ最終的には自分、自分だねと、いうことに、まあね、いつも言ってるようになっちゃうんですけど。
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そういうことかな?と思うんですよ。なんか苦労して買ったチケットってね、なんかここの行き先だと思って、もう苦労した分だけ捨てたくないっていう気持ちはあると思うんですけど、無にはならないんですよ。もう分かっただけね、メッケモンじゃないですかね。
あ、これじゃなかったみたいな。じゃあ次これ。いつかそれが役に立つかもしれないし、分かんないですね。順番が逆だっただけかもしれないし。なのでその辺をちょっとこう、時間をちょびっとだけとって、少しだけこう、疑う目を常に持って、やってることは私の行き先と合ってるかなっていうのを気をつけながらやると、
うん。割といい方向に行くんじゃないかなって。割とその、ファジーな話をしてますけど。うん。言いたいことが分かってもらえればいいんですけどね。うん。はい。では本日は以上です。
うん。ですね。良かったら、99番の思考停止に関するところもちょっと、あの、まだ聞いたことがない人は99番でもお話をしてて、結構かぶってる内容があるかもしれないんですけども。はい。聞いてもらったら嬉しいです。はい。では本日は以上です。またねー。