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おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、英語のなぜに答える初めての英語史、英語語源ハンドブック、言語学ですっきり解決英語のなぜの著者の堀田隆一です。
去る6月10日、NHK出版新書、英語史で説く英文法の謎、なぜ三単元のSをつけるのかが発売されました。
発売前増殺がかかっておりまして、今、第2版が全国、つつ、うらうらの書店の書棚に並んでおります。
英語の語源が、ミニツクラジオヘルディオ、英語史をお茶の間におもっとうに、英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく、毎朝6時に配信しています。
本日は、2026年7月20日月曜日、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
本日の話題は、聞かせて、なぜ三単元のなぜ、7月のジムパート3、ファイナル回です。
おととい、昨日とこのシリーズ続けてまいりました。
おなじみ、ヘルディオリスナーの川上さん、現役英語教員の川上さんが、なぜ三単元を熟読された後に、著者である私に質問を投げかける、ぶつける、というようなシリーズなんですね。
おととい、昨日と配信会をお聞きいただいた方にはお分かりかと思いますが、とんでもなく深い質問、英語教育×英語史、研究と教育の関係について、私もじっくりと考えさせられました。
一週間ほど前の土曜日に生配信でお届けしたということで、生配信ばりの緊張感みたいなもの、そして言葉を選びながら話している様子が伝わったかと思うんですが、
今日の第3回目なんですが、生配信中に実は私のネット環境の都合で一度落ちてしまいました。
そこでですね、実は今回3回ですね、非常に貴重な機会としましてね、なぜ三単元の編集を担当されましたNHK出版の編集者、田中奈々さん、これまでもヘルディオに何度もおいでいただきまして対談してきましたが、
実はこの生配信会の聞かせてなぜ三単元のなぜの後半に田中さんがご出演されることに決まっていたんですね。そして田中さん実際に生配信でご出演いただきまして、私、著者にですね、田中さんの目線から、編集者さんの目線から一つ質問を投げていただきました。
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ちょうど質問投げていただいたところまではうまく取れたんですが、その後ですね、私の生配信のボイシーが落ちてしまったということがあるんですね。そこで大変申し訳なかったんですが、その後ですね、質問まではちゃんと録音できていましたので、それを受けて私が独立して別にですね、川上さんはいらっしゃったんですけれども、
その別の機会に収録して、これを後から編集でドッキングさせたという形になっております。なので田中さんは質問された後にですね、私が今日皆さんがお聞きになるこの回で答えているんですが、それに対する田中さんが納得いったかいないかというところはですね、実は収録できていないということで、
その点、不自然になっているかとは思うんですが、この事情をご理解いただきまして、今日の配信会を聞いただければと思うんですね。
改めてこちらを田中さんに聞いていただきましたね。納得いったかどうか、またお知らせいただければと思うんですけれども、そして私がひとしきり田中さんからの質問に答え終わった後ですね、
同席いただいていたヘルメイトの皆さんにもご感想等を伺ってですね、3回完結のこのシリーズを閉じることになったという次第なんですね。
さあまずはですね、どのような質問で、そしてそれに対して私がどのように答え、同席された皆さんとさらにどんな議論が交わされるのか、こちら聞いていただければと思います。
聞かせて、なぜ3単元のなぜ、7月のジムパート3です。どうぞよろしくお願いいたします。
今ですね、NHK出版の田中七香さんがこの生配信中に訪れていただくということでお願いしておりまして、お越しいただきました。田中さんよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
はい、今ですね、司会の川上さんにですね、かなり突っ込んだ疑問、なぜ3単元に関する疑問をいただいてですね、1時間ほどお話ししていたんですが、一区切りつきまして、ちょうど良いタイミングで田中さんにいらっしゃったということでですね、これは川上さんに司会ということでお任せしてよろしいでしょうかね。
はい、わかりました。田中さん、初めまして。川上と申します。
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初めまして。いつもお名前はかねがね。
ありがとうございます。最近露出低めでやっておりますけれども、大変光栄でございます。知っていていただいて。
それもそうなんですけど、田中さんのほうから、今回のなぜ3単元に関して一社ホッタ先生に質問、疑問をぶつけてみようというようなことがもしあればいただきたいなと思って、時間も限られている中、申し訳ないんですけどもお願いしたいと思います。
ありがとうございます。私、担当編集者としましては、納得いかないことなどないというのが基本的なスタンスではあるんですけれども、少なくとも私が納得いくまで書いていただいたという状態ではあるんですが、せっかくなのであるんかいって感じですけど、
今回書き下ろしで参考本に書いていただいた、there is thereの説から、今回のなぜ3単元の紙版でいうと50ページにさらに進む文法化というところで、
本来はthere areが用いられるべきところで、there isが使われるように交互ではなってきてるかも、みたいなことが書かれてると思うんですけど、
これ全体的には、動詞第2というもともとのルールがあってっていうお話で進んでいってたと思うんですけど、
here comes the verseとかso am Iとかは、あくまでthe verseが主語だから動詞はcomesだよねとか、Iが主語だからbe動詞はamとかいうのは、今でも全然崩れてないような気がする。
私そこまで英語ペラペラの人じゃないので、あまりわかってないかもしれないんですけど、
なのにthere is thereについては、主語に合わせるというのがもう由来できてる。
それはなんでなんですか?っていうのが質問です。
ありがとうございます。
嬉しい質問を、私ではなく堀田先生に答えていただきたいと思います。
田中さんよりいただきました、there isのお話なんですけれども、私からの回答と言いますかね、
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冒頭で田中さんおっしゃったように、
大体の編集構成の時点で、いろいろと田中さんが不思議だと思ったことには程細かくチェックを入れてコメントを残していただいたんですね。
それに対して解決していく。
一読者代表として編集者さんがいるので、田中さんが投げてくださったことには大体答えて丁寧にしていったということなので、
田中さんの立場からは、これはもう残っていないというのはそういうことだと思うんですけどね。
残っていたら仕事のタイマーみたいになっちゃうので、残っていないという立場なんだと思うんですが、
その上で改めて読んでみて、考え直してみてということで、there isの話題ですね。
英語詞の観点からいろいろと対応はあると思うんですけれども、
本来、there isの後にくるものが主語なので、それが単数だったら、xだったら、aとなるのが筋でしょう。
英語は数というのが非常にこだわるので、統治されたとはいえ、これまでちゃんとstopは、is、are、使い分けてきたのに、
統合で最近、図が変わってきているということとの違和感と言いますか、矛盾みたいなことですけれども、
この本の中でも売れてはいないんですが、この数の一致ですよね、あるいは不一致という問題は、
実は、古英語、中英語の昔からずっとあってですね、昔からちゃんと守られてきたのが、
最近ダメダメになったという流れではないというのが一つ、まずあるんですね。
状況はあまり変わっていない。
thereに限らず、主語が単数の時でも単数に一致した動詞の形が使われていないという、
いわゆる主語の不一致問題というのもあったので、昔から用例を集めれば、
古英語、中英語、当たり前のようにあったんですね。
私もあのテキストを読んでいて、それは感じるんですけれども、
つまり、thereに限ればthere isなのに複数が来ているという状態。
これはいくつかの説明があるんですね。
一つは、特に交互というのは、まずthereですで始めちゃう。
1個ぐらいのことを言うつもりだったんだけれども、後で複数のものが頭に浮かんできて劣化するという場合、
結果としては複数の主語になるんだけれども、先にもう口走ってしまったthere is、
これは当時という特殊な環境において、ついつい出てしまうタイプのエラーというか不一致だと思うんですけど、
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そういうのを除いても、昔からやはりあるんですね。
現代でもあるので、実は何か現象として大きく変わったわけではないというのが一つなんですよ。
ただ、昔はちゃんとしていたという印象は、昔をいつに置くかなんですけれども、
やはり18世紀ぐらいの規範文法ができた時に、この問題はうるさく言われたんですね。
主語が関数の時は関数1でしょ。複数の時は複数。ここはちゃんとしましょうねという規範が生まれ、
別の言い方をすると、そうでない、エラーと言いましたね。不一致がたくさんあったからこそ、
言葉のうるさい教員であるとか文法学者が、これは良かった、この辺でしっかり改めようみたいな趣旨になって、
その流れ、18世紀にできた流れで、今の英語文法もあるので、
これ間違えたら罰だよという強い意識が刻まれているのは、この2世紀半ぐらいのことなんですね。
ただ、その前はゆるゆるで、そういう言う人もいなかった。
これが正しいとか間違えていると言う人もいなかったというだけで、
実はゼアズ問題も昔からあるということなんですね。問題というか問題にもしなかった。
それが連綿と続いているというのが1つ。
あと、先ほど言ったように、まずゼアズが先に出てしまって、
これゼア・イズの時はやっぱりないと思うんですよ。先ほど田中さんはゼア・イズを連鎖しましたが、
やっぱり省略されたゼアズなんです。
もうこの形で、イズは、いわゆる移動詞のイズという意識が飛んでいて、
ゼアズの形で一つ存在を表す方文なんだというふうに再解釈される。
あるいはこれを文法化みたいに呼んでもいいと思うんですけれども、
これが一人歩きしだしたというのは、確かにおそらく現代的な、
もうちょっと古い、近代あたりかもしれませんが、それはあると思うんですね。
なので、いくつかの側面から多分、ここの問題はアプローチすることができて、
一つは、昔でも数の不一致というのはザラにありました。
これはゼアズ方法に限らずという流れですね。
批判文法の18世紀というところがあって、現代では意識が高い、エラーに対する。
だからこそ、田中さんのような質問、疑問、意識が湧くんだろうということがあるんですね。
もう一つは、比較的新しいと思うんですが、文法化ということで、ゼアズが一人歩きしだした。
ここではもう、志望と同志の数の一致という問題から離れてしまって、
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別の話題、文法化という話題へと移り変わっていっているのではないかというような答えですね。
今、思いついた2つの方向性から議論していくことができるのではないかということがありますかね。
これも答えというよりも、今起こっていること、あるいは昔から起こってきたものの整理ということなんですけれども。
このくらいでしょうかね。
よろしいですか。
そしたら、それに続けてなんですけど、ゼアズの後ろに複数名詞が来るのが、ゼアズの文法化というふうに理解できるということだと思うんですけど、
その数の不一致という現象はずっと前からあったというお話も先生されました。
そうすると、ゼアズの後ろに複数名詞が来たものは、数の不一致とも解釈できる。
つまり、これが数の不一致じゃなくて文法化ですよというような現象と理解できる境目というか、何らかあるのではないのかなというふうに思うんですけど。
難しいですね。そこは確かに、かつての時点でも文法化が起きていたのではないかということですよね。
これが数の不一致の問題を扱う際には、まさにおっしゃる問題が出てきて、これはミスなのかエラーなのか。
本当はちゃんと規則として、算数複数、きっちり一致させるんだよってのがあるのに、こう間違っていた場合に、これはエラーであるというふうに考える立場と、
もう一つは文法化ですよね。だから意味に引きつけて考える立場なんですよ。
例えば、ハム&エッグというと、2つのものが並んでるんですが、普通はハムと、ハム&エッグという料理なんですよ。
1と数えるわけですよね。というような問題があったり、これよくあるんですが、例えば、100人は文字通りは複数なんですけど、
これを一つの単位と考えた場合には、いわゆる集合名詞と考えた場合は、isでokなんですよ。
いわゆる意図が単数であれば、これは許されるというのが、これ昔からそうなんですね。
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形式的には100people、100menとかなんで、これは明らかに複数なんですが、これを一つの単位と数えた場合に、話している場合にはthere'sというのはokなんですね。
これが意図によるものなのか、せいのふいっちというエラーの問題なのか、微妙なんですよ。非常に。
つまり、わしらの意図がかなり優先されているんですね。
せいのふいっちの過去の例が出たときに、これは本来isのところがisになっているという場合に、この問題が必ず立ち上がるんです。
これエラーなんじゃないの。エラーというのは正しい規則があって、ここをちょっと間違えちゃいましたというのがエラーですね。
正しいものがあると考えると、その裏にはエラーがあると考えたんですね。
一方、そんな正しい規則が全然なかったよ、特に18世紀以前なかったよという前提に立つと、これはエラーではなく、意図であるというふうに解釈できる例がたくさんあるんですよ。
明らかにミスだなというような文脈もあったりするので、両方実はあるのが多分現実だろうなと思っているんですが、
意図というわしらがそれをひとまとめにして1と数えているんだということが、この問題を分析する際に常にひまとって、今でもそれがある様況なんですね。
そうすると見なせば、全体として1である。要するに集合名詞のファミリーにあるんだそうですよね。
1世帯、この団地にありますという言い方と、my family are 5という時は、私の家族は5人ですという時は、
イギリスとアメリカでも使い方は違うんですが、集合名詞は、isで受けたり、areというのはファミリーの意味によって変わるというのがあるわけですが、
それがある意味任意の名詞でできてしまうという、つまり意図が勝る場合には、それは今でも可能だし、
かつてはもっと緩くあったので可能だったということがあるので、ミスなのか、あるいは数の不一致という規則への違反と見るのか、
また、そもそもひとまとまりで1と数える集合名詞的な取り上げ方、これがワチャンの意図によって操作できるものであれば、
それが発言しているだけなんじゃないのという問題は常にあった。なので一見形式上不一致に見えている例がたくさん上がるのですが、
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それがどっちの理由によるのか、ミスなのか、意図なのかというものが古い英語の場合はだいたいあって、
会話文というのがあまりないので、なかなかわかりにくいのですが、現代の場合はthere isとまず出ちゃうという、
このあたりいろんな研究ができると思うんですね。ネイティブの方に聞いてね、インフォーマントがいるんで。
そうすると書き言葉とやっぱり異なっていて、まずは頭出ししてしまう。その後に思いついたかのようにみたいな例が増えてくると、
もうthere isが一つの存在マーカーですね。それはthere isではなく、決まってthereisという省略された形で、形が省略されることによって文法化が起こるというのは定番で、
文法化の一般的な流れとピッタリ一致しているので、文法化の例であると言いやすいというのはありますね。
昔はそれがなかったのかというと、確かにわからないですね。昔から文法化の兆しみたいなものがあったんじゃないのと言われればそうかもしれない。
それがあったとしたら、第3のオプションですよね。先ほどの単なる3つなのか、あるいは集合名詞的に考えているから、これはこれで合ってると考えるか、文法化も始まっていたのかね。
3つぐらいになっているので、ややこしくはないですね。
わかりました。3種類、同じ形式も3種類のどれか。
文脈が確かめられるところがあったと言っても、それほどリッチな情報ではないので、
2者あるいは3者のオプションのどれで現代的に見るとピッタリ一致が起こっているときに、どれの理由なんだろうというのは難しいですね。
これは割と沼の現象なので、私も入りたかったことがあるんですけど、研究していません。
ではこれぐらいで田中さんの質問、お答え聞いていただけましたでしょうか。
田中さん、もしこの答え、何らかリアクションいただけましたら幸いですので、
ボイスコメント欄でもお書き、何かちょっと言う人が違う感じになってますけども、お願いしたいと思います。
1問目が重かったので、エネルギーとしてはかなり重かったですね。
質問を振っていただけなければ、なかなか自分からはここまではお話しできないことだったかなと思いますし、
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川上さんらしい大きな選ばれた質問ということで、ちっちゃいERから入ってどうするんだろうと思ってたんですが、ここに来ましたかというのは、さすが川上さんだと思います。
海塩さんみたいな人も参加してと言ったんですけど、海塩さんいなくなっちゃいましたかね。
いますよ。
本当ですか。
めっちゃコメント取られたじゃないですか。さすがコメント職人。
ほどよく海塩さんコメントいただきたいと思います。
何コメントしたらいいよ。
内容については全然書いてません。ノート記事に。
でも今はだいたい読みました。
例えがすごい中学生向けに書かれてたのかもしれないんですけど、例えのみようが文房具の話とか、例えがすごくわかりやすくて、例えが面白いし、
多分リスナーさんって先生の文章っていうのは結構好きな文章じゃないかな、例えが入ったりとか。
エルヴィオ・リスナーですか。
リスナーさんが好きな例えとか、最後の方ではやっぱりかなり研究者らしい掘り下げ方が出てるので、読む方としても一生一生満足して先に進めると。
ちょっと予定調和的な感想しかできないんですけど。
ありがとうございます。
そちらの本、図書館で貼りたのですが、大丈夫ですか。
図書館じゃないよ。
貼ってたんだよ。
貼ってました。
貼ってましたよ。
俺はどこでもシール貼ってないよ、シール。
貼ってました。
普遍の鬼と言われてますからね。
そうそう。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
田中さんからの質問、こちらを受けて私がお答えしまして、そして司会の川上さん、他と議論させていただきました。
最後はですね、海塩さんにもご登場いただきまして、笑いながら楽しくこのシリーズ終了したということになりますが。
聞かせて、なぜ三短言のなぜ、このシリーズは今後も続いていきます。
川上さん、司会の下、読者代表としてですね、なぜ三短言にいろいろと突っ込んでいただくという趣旨ですね。
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これは私にとっても実は非常にありがたいことなんですね。
なぜ三短言のご紹介にもなりますし、
改めて読者の方からの独語感であるとか、突っ込みを聞かせていただけるというのは、これ以上ない、町長さんにとっては幸せこの上ない機会なんですね。
そしてこれをヘルディオという媒体に載せてリスナーの皆さんとも共有できるという、素晴らしい時代になったなというふうに思っております。
企画発案から、そして今回司会まで務めていただきました川上さんには本当に心より感謝申し上げます。
そして今後もシリーズ続けていただけるということで、どうぞよろしくお願いいたします。
さあ、このなぜ三短言ですけれども、発売から1ヶ月ちょっとが経ちますが、大きな反響をいただいております。
さまざまな媒体でレビューをいただいているほか、今走っておりますなぜ三短言目撃マップ企画、こちらにも大いに皆さんにご協力いただいております。
この企画は全国のリアル書店でなぜ三短言が置かれているのを見つけた皆さん一人一人がドコドコ町のドコドコ書店で平積みでありました。
情報をお寄せいただくというそういう企画なんですね。
情報をお寄せいただくと、私がですね、Googleマップ上にその書店の位置にピンを立てていく。
そして日本地図をなぜ三短言のピンで埋めていくというそういう企画なんですね。
実際ですね、これまでに47都道府県の大方が埋まってきております。
まだ完全ではないんですけれどもね。
ピンの数としてはもう100本近く立っておりますね。
これぐらい皆さんにご注目ご協力いただいているということで本当にありがとうございます。
まだまだですね、この企画は続いていきます。
空白地帯にピンを埋めるほかですね、
すでにピンの立っている地域でももっとですね、濃厚な密度でなぜ三短言の目撃情報があるとするとですね、
これは英語詞がお茶の間に届いているという証拠になりますのでね。
私としてもですね、大変嬉しい事態となるわけです。
またこの本、独領された方も多くなってきていると思います。
ぜひAmazonレビューなど各種のプラットフォームで本書の感想やレビューをお寄せいただければと思います。
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それでは今日も皆さんにとって良い一日になりますように、英語詞研究者のホッタリウイチがお届けしました。
また明日。