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英語史をお茶の間に、おもとに、英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく、毎朝6時に配信しています。本日は5月11日、木曜日です。いかがお過ごしでしょうか。
本日は対談です。 ケルフメンバー3人、青木くん、寺澤さん、藤原くんと言う、すでにおなじみのメンバーと4人で、激論しています。激論時代区分。 もちろんこれは英語の歴史、英語史の時代区分をめぐる問題ということで、このヘルディオでももうすでにですね、
少なくとも2回はこの話題でお届けしています。 1つはですね、教科書的な英語史時代区分の紹介ということで618回です。 つまり英語史の時代区分というタイトルで話しています。
それから677回、英語史の時代区分を語る和田先生との対談ということで、こちらもですね、対談会ということでお届けしたんですけれども、この618回、そして677回に引き続き、今度はまさに激論に近いものになりました。
ケルフメンバー3名との対談です。 激論時代区分。ではお聞きください。
おはようございます。
おはようございます。
今日はいっぱいいますね。いっぱいって言っても3人ですけれども。
今日の対談ゲストはですね、まずケルフ会長の青木くんです。
会長になりました。
会長になってからは初めてですかね。
そうですね。
こないだ3月でしたっけ?
でしたね。3月ぐらいに来て、まだその時はホームページ担当っていう感じで。
ホームページもやってるんですよね。忙しい会長。
まだ会長なのにホームページ担当をやってる。電話対応してる社長みたいな感じ。
そんな感じですよね。4月になって年度代わりに前の会長、まさにゃんからケルフ総会で選ばれるという形で青木くんになりました。
そしてもう一方は3度目のご出演になりますかね。
寺沢志穂さんです。よろしくお願いします。
前のアルファベットの回、それから語源的綴り字ダウトの回ということで大受けだったと思うんですけれども。
このメンバーで今日は何を話そうかということなんですけど、タイトル激論時代区分ということでですね。
もちろんこれ英語史の時代区分ということなんですけれども。
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ちょうどこの間議論する機会がありまして、これについては10人英語史研究している人がいれば10の異なる時代区分があり得るというような議論を論文を読みながらしたという機会があったので。
ではここでちょっと各自の時代区分を戦わせてみようみたいなそんなノリですね。
まず青木くん。
私ですか。
はい、いきましょう。
基本的に伝統的な区分で言うと、古英語、中英語、近代英語、後期近代英語、現代英語という5つの区分があると思うんですけど、私としてはまず古英語っていうのはやっぱり設定しておこうと。
いつ始まったかみたいな話も入れた方がいいでしょうね。
はい、区分と言うよりまず始まりね。始まりをどこに置くか問題っていうのがありますよね。
以前先生も和田先生とお対談でお話しされていた内容かと思うんですけど、私も古英語の始まりっていうのは449年。
例のね、アングロサクソン人あるいはジュート人がプリテントに入った、侵入したっていう。
ここ伝説的な数字ですけど、やっぱり和田先生と同じ考えで、一つ象徴として449っていう数字をきちんと決めておきたいっていう私のこだわりがあるので、ここはこの数字にしようと。
なるほど。
割とね、450に丸めたり、なんとなく5世紀とか言ったりしますけど、ここは決め打ちしたいと。
私はもうズバッといきたい。
そこは私もそうかなっていう感じですね。
じゃあ、その辺からみんな行きますね。一人でまず時代組み全部解禁するというよりは。
行きますか?
じゃあ、寺澤さん、今の問題どうですかね。いつ始まったのかみたいな。
そうですね。私も449で始めておきたいかなと思います。
なるほど。
まあ、象徴としてということでね、分かりやすいとかよく知られている年なので、そうなりますかね。
あと、英語史の始まりとしてはもう1個触れておくのが700年ぐらいっていう説がありますかね。
これは文字通りに文字資料が英語で書かれたものが現れ始めるのが700年ぐらいで、いわゆる歴史を厳密にとるとね、これ書かれたものっていうことなんで、
そうすると700年ぐらいが厳密に言うと歴史の始まりだという理屈は1つね、あると思うんですよね。
これもね、捨てがたいと思ってるんですけど。
本当ですか?
そうなんですよ。で、なんで捨てがたいかっていうのは、今の理屈というよりは別にあってですね、
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これは後で機会があったら、機会って別に伸ばせばいいだけなんですけど。
ここで言わないんですかね。
言わないことにしておきたいと思うんですけども、後から振り返りたいなみたいな。
気になりますね。
一応449年ということで、ここはピタッとあった感じですかね。
一致しましたね。
次の区切りっていうのは、そうすると青木くんどうなるんですかね。
私は中英語の始まりは、基本的に1066で生きたい人間ですね。
ノルマン制服。
そこで置いておきたくて、これも割れるじゃないですか。
1066なのか、1150なのか、あるいは1100なのか。
私ね、1100。
先生は1100だと思うんですけど、私はこれはもう1066でいいかなと思っていて。
やっぱり象徴としてわかりやすい。
確かにね。
っていうところですよね。
やっぱり英語の地位が色々と変わった時代なので、
単純にその言語の内的なね、言語それそのものに影響を与えただけじゃなくて、
やっぱり社会としても大きく変わった時代だし、英語っていうものが地位を落としていくっていう、
そういう時代でもありますから。
そうですね。
そう考えると切れ目として1066でいいのかなっていう風に私は思ってますね。
うん、そうか。
じゃあちょっと発数タイプですね。
発数大好きタイプっていう感じですね。
キッチン行きたい感じ。
そんな感じね。
じゃあそこのところ、寺沢さんどうでしょうか。
私も区切るとするならば、1066年で区切っておきたいですね。
やっぱり中英語、1066年から始まると言われている中英語までだと、
割と現代の私たちでもなんとなくの雰囲気は分かるというか通じ合えそうな言語なんですけど、
やっぱり小英語の時代になると、
現代の人たちが見てもまるで別の言語のように感じられてしまうっていうところではやっぱり大きな転換期なのかなと思う。
一方で、1066で発数で区切ってしまうことによって、
1065年はもう1066年以降と全然違う言語なんだみたいに思われてしまうのはちょっと難しいところだなと思っています。
結局、もし区切るのならばというのが我々の前提ですよね。
本当は区切れないもんなんだみたいなことは前提としてあって、
言葉ってゆっくり変わるんでね。ある年に一気に変わるわけじゃないので。
だけど、便宜上区切るっていうことは行われていて、
もし区切るんであればという前提付きの今日は議論ということですけどね。
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そうですね。
ということですよね。
この辺り1066なんですね。
私は丸めちゃって1100というね、これを主張しているわけなんですけれども、
発数多いと分かりにくくないですか?
初学者に。
449だってそんな感じがするんだけど、
ここは一貫してないですからね、私も。
そこからが中英語ということになるわけですね。
次の時代への区切り、次のステップはどの辺りになると青木くんは考えてます?
中英語の次に来るのは、一般的に近代英語、あるいは初期近代と呼ばれる時代ですけど、
私はこれはまた具体的になるんですけど、1476年。
やっぱり発数タイプだったね、最後までね。
これは何があった年ですかね?
これはイギリスに活版印刷がもたらされて、
ウィリアム・キャクストンという人物が初めて書物を出していった時期ですよね。
印刷ですかね。
やっぱり一つの大きな発明ということで、その後の文化というか在り方を変えたみたいな、
一つの契機としてよく言われていますけどね。
また自分としては近代英語って何の時代なんだろうっていうふうに考えると、
真っ先に浮かぶのが標準化の時代っていう意識なんですよね。
じゃあその標準化っていうのがどういうふうに始まっていったかっていうと、
これはまた別の問題として議論しなきゃいけないところではありますけど、
やっぱり一つ大きな意味を持っているのが活版印刷。
なるほどね、標準化と。
というところで、1476年。
やっぱりシンボリック。
シンボリックに期待という感じですね。
確かにすごくわかりますね、これはね。
やっぱりいかんせんね、あの半端。
しょうがないってっていう。
そんな感じですね。
寺沢さんはどこあたりに置きますか?
私はここは波数に行きたくないなと思っていて、
1500年ぐらいと置いておきたい。
あれ、さっきは1066年って置いたんですよね。
じゃあ、いろんな波数も使う時もあれば、使わない時もあるっていう立場ですね。
では、チャプターを継ぎます。
1500年という区切りですが、これは何でですか?寺沢さん。
私も青木さんと同じくこの初期近代、
近代英語というのは標準化に向かっていく時代だっていうところは青木さんと同じなんですが、
私、前回の回でお話をさせていただいた語源的つづり字というのをテーマに研究をしていると、
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語源的つづり字っていうのも始まりが曖昧で、
標準化の動きっていうのもパキッと分かれないんじゃないかなと、
中英語からの微妙な流れの中で起こってきたものだっていう感覚を持っているので、
ちょっと波数で分けたくないなっていう気持ちです。
だけどあれだね。
みんな、先ほどもお話しましたけど、前提としてはつながっているもので切れないって言った時に、
切れないんだけど切る時の態度、方針は、
切れないから分かりやすく繰り上げるなりしておこうっていうのか、
どっちにしろ切れないんだから正確性を出そうみたいなある事件が起こった年ですかね。
私みたいなタイプですね。
これは何の違いかというと、実は前提はやっぱり一緒なんだっていうことを再確認はできているのかなっていうね、
今議論しながら思ったんですけどね。
あとは結局好みとかどうなんだろうね、理屈を最後まで通すとか、
こだわりとかね。
なので激論になりやすいっていうことなんですが、
この区切りはね、私も1500ですかね。
スッキリ、さっぱりっていう感じで、分かりやすくいきたいなみたいな立場なんですが、
ここが中英語と近代英語、あるいは近代の中でも分けるのであれば初期というので、
ここ時代からネーミングのね、ラベルの話にもなってくるんですよね。
区切りの年代だけじゃなくて、何とその時代を呼ぶかみたいな話も出てくるんで、
近代英語の始まりと言ったり、初期近代英語の始まりというのが今の1476とか1500と。
じゃあ次のステップですね。
青木くんいきましょうか。
ここから私は今でも悩んでるんですけど、
どこに置くかっていうと、私はこれは1795年。
それ逆にさ、避けてる感じじゃない?1800とか。
たまにこだわり事件があったとしてもさ、それは避けるぞぐらい。
多分避けるぞぐらい。
こだわり持ってる感を出したくて、逆に具体的な数字をポンと。
それはどういう年ですか?
これはリンドリー・マリーっていう人物が規範文法書として文法の本を出した年なんですよね。
これは標準化っていうと、これ一つだけで結構議論になっちゃうのであんまり深入りはできないですけど、
やっぱり標準って一言言ったときに、規範っていうものも重要になってくるわけですよね。
そういうふうに考えていくと、1700年代、18世紀ですよね。
この時期って英語の規範が確立していく時代ではあるんですけど、
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その中で最後の時期に来る1795年のマリーの文法書を終わりの部分に設定しようかなと。
これが大売れに売れた本で、次の半世紀だけで何ミリオンだっけ?
とにかくものすごいバカ売れしたっていう本ですね。
それが出た年っていうのが1795年で、やっぱり象徴的ではないかという。
それも聞くと確かにそれあるなという。
これ唱えられていたりします?
どうなんですか?
あんまり聞かないかな。
私は意外ですよね。
1800っていう数字は見るんですよ。霧翼、1800。
もしかしたら1800に引いてる人はそういう考えもあるのかなっていう気はしますけどね。
広く近代英語、初期近代かな。
これを私と一緒に標準の時代と捉えて、
その中で規範の確率の起こった時代を最後の切れ目にして、
1800っていう風にしてるのかもしれないですけどね。
でも私は1795ですね。
これについて寺沢さんはどういうお考えでしょう?
私は近代英語はまだ悩んでいるので、
悩んでいるからこそ、波数で言えないっていうところはあるんですけど、
とりあえず近代英語を初期と後期には分けておきたいなと思っているので、
1800年ぐらいまでを初期近代英語として、
1800年以降を一旦後期近代に、
現代語だほうがいいのかもしれないですね。
こう言っておこうかなと思います。
そうですか、なるほどね。
その後とも関係してくるんですけど、
私は近代英語記というのを置いて、
1500年から1900年という風に考えて、
真ん中で呼び分ける時は呼び分けるという感じで、
初期近代英語と後期近代英語、真ん中の1700年という感じなので、
その呼び方とどのくらい細かく切るかとか、
その辺も含めてですけれども、
青木くん、その後はどういう風に考えますか?
私はさっき1795年というところで切ったんですけど、
ここから先の時代をもう一つ切ってもいいかなと思っていて、
現代までの間にもう一回切ってもいいかなと思っていて、
1795年から本当にモダンイングリッシュですよね、
本当に近代英語という風に呼んだ上で、
1945年からこれをグローバルイングリッシュとか、
そういう呼び方してもいいかなと思うんですよ。
本当の現代の戦後ってことですよね。
戦後ね。
そういう切り方はあり得ますよね。
ありますね。
グレイムリーからそういう学者さんいらっしゃるんですけど、
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その人は1945年以降グローバルイングリッシュという風に置いていたと思うんですね。
本人がこういう風に区切りますっていう風に明確に示してるわけではないんですけど、
本のチャプターとして1945からグローバルイングリッシュになっている。
切っているってことがわかるっていうことですね。
それも魅力的ですよね、確かにね。
非常に現代的な区切り方かなっていう気がするんですけど。
個人的にはグローバルイングリッシュと呼ぶか、
イングリッシーズと呼ぶかっていうところで悩んでて。
そこもだいぶ英語感、英語史感出ますよね。
出ますね。
どっちでいきたいのかみたいな話ですね。
これはまた激論になっちゃうんで、とりあえず置いておいて、
寺沙さん、1800年でしたっけ、さっきの区切り。
ここからの展開は?
まだここで区切りますは言えない、まだ答えはないんですけど、
私も現代英語と1800年以降の近代英語のどこかで区切ってもいいのかなとは思っていて、
ワールドイングリッシーズだったり、最近だとインターネットだったり、
そういうものが入ってきた現代とそこまでの近代は、
どこかの時点で分けたいなっていう気持ちはあります。
私は1900年っていうところで近代英語が終わって、
それ以降を今までは現代英語と呼び分けて、
全体をすっきりさせたい派ですね。
最初の449年以降は全部何百年っていう感じでぴったり分けるっていうことで、
一ついいですか、さっきの話に戻るんですけど、
1900年からが現代英語っていうことで今まで続くっていうことで、
私の区切りの一つ利点、利便性っていうのは400年区切りであるということで、
1500年、さらに1100年、そうすると700年っていうのが出てくるわけですよ。
しかも歴史書じゃなくて英語で書かれたものが出てくるのが、
これは700年頃っていうことにはなるんですけど、
そうするとピタッとうまくいくんですよ。
なるほど。
で、かっこして700、だけどかっこして449も大事ですよねみたいなイメージなんですよ。
そうすると綺麗にいくかなということで、
どちらかというと私はあえて100とかいうことで、
うさくさいじゃん逆に、この時にピタッと何か変わるわけではないっていうメッセージも送れるかなと逆に。
波数だと本当にリアルっぽいじゃないですか。
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そこでやっぱ変わっちゃったみたいな。
この思惑はシンボリックっていうのが青木くんだと思うんだけど、
この思惑が伝わればいいんだけどシンボリックっていうのは、
もしかすると逆にこの時代に何かやっぱあったんだ、この歳にとか。
誤解を与える。
何百年とか行ったほうが綺麗すぎてうさくさいみたいなことを考えさせるかなと思ったりはするんですけど。
まだ次チャプター行けそうですね。
行きましょう。
さて2チャプターを通じて、
一応それぞれの考え方、時代区分っていうのを解陳したっていうことになりますので、
ここからは自由討論になりますかね。
何か青木くんありますか。
そうですね。今回の放送ですごい私尖ってたんですけど。
めちゃくちゃ尖ってたよね。
ハス大好き人間みたいな。
でも一応先生の1100、1500、1900みたいなピタッと切れ目よく切るっていうのもこれは私は分かって、
だからこれ使い分けたいなっていうふうに思うのが私の正直な感想なんですよね。
やっぱり自分の英語主観が反映されるものですから、
やっぱりそこはちょっとこだわって細かい数字出したいっていうのもあるんですけど、
でも一般の方に向けた時に分かりやすさとか、
そのあたりを考えると1100とかで切れ目よく切ったほうが伝わりやすい部分もあると思いますし、
あとは誤解を与えないっていう話もあるんでね。
だからここはやっぱり状況に応じて私は使い分けたいっていうふうに思ってますね。
この辺どうですか?寺沢さん。
そうですね。すごく難しい話題だと思うんですけど、
外説書、英語史の外説書っていう本があったとすると、
この本って章がまずあって、その中にいくつかチャプターがあるじゃないですか。
私も大きくざっくりと捉えるんだとしたら、
その大きな章立ては1100とか1500とか分かりやすい数字にしてと言いつつも、
やっぱり1066とかその象徴的なものは入れてはおきたいので、
より小さいチャプターの題名とかにしれっと入れておきたいなっていうのもあります。
そうですよね。確かにこう外説書みたいな本を自分が書くんだといった場合と、
あと何ですかね、口頭で講義みたいなもので出すときと、
新書とか一般向けですね。もうちょっと軽めの書き物ですよね。
あと例えば発音の変化っていうような話題が決まっている文脈で考える場合には、
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また別の時代区分ってあり得ると思うし、文法とか語彙とか、
その分野によってどこで切るのがベストかっていうのがあったりするわけじゃないですか。
なので、私はフレクシブルに、対象とか目的に合わせて、
割と自由に動けるっていうことの方が、時代区分の区切り目を動かせることの方が、
むしろ重要なのかなと。
それを常にやっていれば、結局流動的なんだよねっていうのがまた再確認できることになるので、
一つにこだわるっていうのも、なんかこだわりすぎもいけないのかなみたいな。
今日聞いたのみんなわかるもんね。
そう、それね、みたいな。そういうところはあると思うんですけどね。
これどういう問題なんですかね。
何の問題なんだろうっていうところは、やっぱり英語史観が反映されるので、
とりわけ現代の話題はあんまり深く考えたことなかったんですけど、
さっきのグローバルイングリッシュ、イングリッシーズか。
どっちにするかですよね、これを。
1945年以降にするとか、この辺はあれですかね、
最近に近づくと細かく分けたくなるんですかね。
どうなんでしょうね。
それともやっぱり劇的な変化がこの100年で、
全てが変化が著しい時代ですから、言葉もそうなんじゃないかとか。
この辺、何か考えありますかね。
もしかすると、現代が私たちが生きていてよく知っているので、
少し前の時代とはやっぱり違うんだっていう意識は、
現代人の中にあるんじゃないかなと思うので、
近い時代であればあるほど、現代とは区切っておきたい。
それを区切ると、割とぼんやりとした考えになるので、
時代区分もある意味ぼんやりとするのかな、
長いスパーになるのかなっていう気はしますね。
そんな気しますね。
現代のことってよく知っていて、いわゆる次世代美記っていうか、
自分の世代は特別なんだみたいな、
親の世代とは違うんだみたいな発想って常にあるじゃないですか。
生きてる人間。
だから自分の特別な時代を一つの呼び方っていうか、
区切りたいというようなところから、
割と細切れになりやすいっていうか、新しい方が。
それは一般論としてありそうですよね。
昔わからないからね。
400年とかざっくり。
400年って結構長い時間だけどね。
その間でも言葉変化してるので、
例えば英語でも449とするんであれば、そこから1100年なんて、
400年どころじゃないじゃないですか。
だから数百年の間で、最初の頃と最末期、
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同じ時代の中でも相当実は違ったはずじゃないですか。
それを一つの呼び方でまとめてしまうっていうのも、
これはこれでやっぱりミスリーディングなところはあるんですけど。
ただ最後の議論にしたいんですが、
じゃあなんでそもそも時代区分するんですかみたいな話になってこないですかね。
そうですね。
これはどう考えます?
しないっていう人もいるんですよね、本当にね。
立場の人。
今話してきたような議論を受けて、
どこに時代区分を設けても結局ミスリーディングなんだと。
であればやめてしまおうっていうような言い方ですかね。
だから114世紀の調査の英語とかいう言い方で、
これめんどくさいもんね、だけど。
考え方はわかるけど、
これなんで区分したいんでしょうかね、多くの人は。
やっぱり研究する上での便宜上の存在ですよね。
便宜上ということが、
少なくともこの3人では了解なときに便宜上をやるやり方が
多数だったり、ちょうどだったりっていうのも、
そこも便宜上とはいえこだわりがあるわけですよ。
だから激論と大したわけです。
区切り。
これはね、本当に一人一人違うとか、
少なくとも背景にある考え方が違うみたいなのって割と出るので、
このヘルディオでも、
こないだ尾田先生とこの話しましたけど、
その前に時代区分の話って何回か関係するのはやってるんですよね。
標準的なものを、私が考える標準的なものを解陳する回もあったし、
こないだの尾田先生との回もあったし、
今回も激論みたいな感じでね。
ですので、ある意味どこでもいいんだっていうようなことにもなるので、
これお聞きのリスナーの皆さんにも、
私の英語史時代区分。
これ集めると面白いかもしれませんね。
たぶん青木くんの尖ったのに対抗して、
もっと尖ったのが出てきたりとかね。
なんかありそうですけれども。
またこれ、他のメンバーも含めて、
こないだチラッとそういうことやったんですよね。
別の機会に、このラジオとは別に。
それは面白かったので、今回やってみたということです。
長く議論してきました。
お二人、今日はどうもありがとうございました。
30:00
ありがとうございました。
エンディングチャプターですけれども、
お二人、青木くんと寺沢さんには、
ちょっと居残りいただいているんですけれども、
さっき議論し忘れたっていうか、
あえてというところもあるんですが、
スルーしたことありますよね。
ありますね。
これは?
これ、アメリカ英語を無視されていないっていう問題ですよ。
確かにイギリスベース。
そうなんですよね。
例えば、私の文法省云々の話とかも、
これ全部イギリス内での出来事ですよね。
この時点で一つのバイアスとか、
一つの見方が反映されていて、
そこはこの三人で共有されていた、
ある種のバイアスみたいなところはあったりしますよね。
そうですね。
本当に英語誌なんですよね。
ベーが入ってないっていう。
そうですね。
これを言い出すと、
カナダ英語もあるし、
オーストラリア英語もあるし、
さらにネイティブじゃない、
インド英語の英語誌っていう見方もできて、
遡っていくルーツは結局一緒なんですよ。
449とか、
あるいはさらに遡って、
仁王祖母とかなんですが、
どこをゴールというか、
現在地点をどこに置くかみたいな問題は、
今回スルーしてきた感じですかね。
ですね。
やっぱり英語っていうものが、
どんどん世界に広がっていくわけじゃないですか。
だから英語の言葉そのものの問題、
発音の変化とか、文法の変化っていう視点、
言語内的な視点っていうものもあれば、
それだけじゃなくて、
私の尖った見方みたいに、
社会の変化の切れ目のところに置くっていう見方、
言語外的って呼ばれる視点もあると思うんですけど、
それだけじゃなくても、
本当に英語そのものが枝分かれしてるから、
そこをどうするんだっていう軸が増えすぎてるっていうのはね。
そうですね。
ありますね。
なので、悩ましいというようなところはあると思うんですけどもね。
今の話題どうですか、寺沢さん。
そうですね。
やっぱりそこもワールドイングリッシーズ問題と関わってきそうですよね。
だからワールドイングリッシーズは英語史研究者が結構やるのは、
そこも関係すると思うんですよね。
そうですね。
まさに英語史感が一番出るタイプの話題なのかもしれないなと思う。
広がっていった過程もあるわけですしね。
そうですね。
これは止まりませんね。
アメリカ英語の内部でも時代区分ってなされていて、
それもやっぱり微妙に外説書によって違っていたりするので、
またのこれは話題ですかね。
ですね。
今日は散々長くね、ワンチャプターで終わらないだろうなと思ったら、
3、4とかいっぱいになっちゃいましたけど。
激論って言ってますからね。
激論だからね。
33:02
また類似した議論やりたいと思います。
改めまして、青木くん、そして寺沢さん、今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
すみません、追加なんですけれども、大事なことを忘れていました。
こちら、青木くんから紹介していただきましょう。
はい、また宣伝です、これは。
今、ケルフでは英語史コンテンツ50という企画を全然進行しておりまして。
ほぼ毎日ね、休日を除く毎日、
一つずつケルフメンバーが何か英語史ネタ、コンテンツを上げていくっていうね、
ウェブ上に。
ということなんですけれども、ちょうど今ホームページも更新をしていて、
このコンテンツ50、2023の第4回ですね。
このコンテンツがですね、時代区分を考えるということで。
まさにね。
今日のテーマにぴったりなコンテンツがありまして、
ちょうどこのコンテンツでですね、言語に線を引くっていうことですよね。
この難しさとか、やっぱり学者によっても違うんだよっていうところ、
これ2ページ目ですかね。
触れている問題ですので、この辺りぜひ皆様ご一読いただければと思います。
これは青木くんが書いたということでいいんですよね。
そうですね、匿名になってるんですよね。
匿名になってるんですけどね。
ここで話せばそういうことかなということはわかると思うんですが、
実はこれを受けてって言いますかね、議論などもしてきたし、
今日もこういう形でやったということでした。
最後に言おうと思って忘れましたが、これで本当に終わりですかね。
そうですね。さよなら。