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おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、そして英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。
英語の語源が身につくラジオheldio。英語史をお茶の間におもっとうに英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく毎朝6時に配信しています。
本日は1月9日月曜日です。世の中は成人の日ということで休日になっているかと思います。私はですね、日々大学生と接していまして、
典型的には大学2年生あたりが20歳というケースが多いんですね。 法律上は18から成人ということになりましたけれども、
成人式自体はまだ20歳で行うということで、名称と法律上のギャップがあるということで20歳の集いというイベントにしましょうというところも出てきているようなんですけれども、
いずれにせよですね、普段授業の場で会っている非常に多くの20歳の皆さんがですね、今日お祝いの日を迎えるということで、私にとっては割と毎年身近な祝日という感じではあるんですね。
大学の授業その他も休ませていただきはしますけれども、この成人の日というのは英語ではcoming ofage dayというふうに表現するんですね。
come of age、成人するという表現ですけれども、これなんかもなかなか面白い表現ですよね。いずれ取り上げてみようかなと今話しながら思った次第なんですけれども、
さて、今日お届けする話題は成人式とは関係ないんですけれども、この数日間でいろいろとですね、問題というか話題になってきたテーマの続きということです。
本日お届けする話題はネイティブスピーカーとは抜き差しならない問題に入り込んでしまったかもです。どうぞよろしくお願いいたします。
本題に入る前に新著のお知らせです。もう週が変わりましたので、今週出ることになるんでしょうかね。
1月12日あたりに発売となっているんですけれども、開拓者より出版されます。文献学と英語史研究という本です。
京都大学の家入陽子先生と私、堀田隆一との協調です。英語史研究のガイドブックという位置づけの本で、レファレンスとしても使えますし、通読する本としてもご利用いただけます。
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この40年ほどの英語史研究の動向を振り返って、そして今後の英語史研究の展望を示すという趣旨の本です。
英語史研究をしている方あるいは英語史研究をこれから志す方に向けての本ということで、決して入門的な本ではないんですね。
英語史研究の入門という言い方にはなるかもしれませんけれども、それなりに専門性が高い本になっております。
英語史研究というのは本当に幅が広くて、しかも深いということで、私もこの研究分野に足を踏み入れる時点では、
こんなに英語史という分野がカバーする領域というのが広いものかというのは知らなかったんですね。英語の歴史でしょというぐらいの認識でしかなかったんですね。
もちろん英語の歴史なんですけれども、それは英語を時間軸に沿って見る、通時的に見るということを意味しているわけで、
実際その方法論であったり、扱う領域であるとか、パースペクティブというのは本当に広いんですね。
いろんなものを総動員しなければいけないということで、とてもじゃないですけれども、一人でカバーすることができないぐらい広くて、かつそれぞれが深い領域の集合体がある意味英語史分野ということなんです。
この本でも全く全てを扱うに至ってはいないわけなんですけれども、それでもなるべく広く見渡して、この40年ほどの研究の動向をカバーすると、そういう趣旨で2名の著者で書き上げたというものです。
この1月12日より発売となります。開拓者より文献学と英語史研究として上司されています。このチャプターに本書を紹介する記事へのリンクを貼っておきますので、そちらより詳細をご覧ください。
以上、新聴のお知らせでした。
今日の話題はネイティブスピーカーとは抜き差しにならない問題に入り込んでしまったかもと題しまして、いったいネイティブスピーカーっていうのはどんな存在なのか、何なのか、誰なのかということですね。
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これを考えてみたいと思うんですけれども、なぜこの問題に到達したかと言いますと、この数日間の話題の延長線上にあるからなんですね。
振り返ってみますと、まずですね、数日前ですが584回、旧優語の言語事情という話題で始めました。そしてその翌日585回、ウクライナ人がウクライナ語を学び始めてるってどういうこと。国家と言語の複雑な関係ということで、母語とは何かというような話題になっていたんですね。
その際に、もっと古い会なんですけれども、346回に母語と母国語は違いますと題して話しています。そしてですね、この母語と母国語は違いますという364回、ぜひぜひ皆さんに聞いていただきたいということを強く述べまして。
そんな流れでですね、昨日の放送です。587回母語をめぐる諸問題というふうにどんどん議論、話題が発展して、ついに母語という用語概念にたどり着いたということなんですね。
これ半ばですね、狙っていたんですけれども、半ば予想外の展開になったというのが本当のところでして、私も過去にいろいろ母語に関してヘログの方で記事を書いてきてですね、それに沿ってお話しするということだったんですが、いろいろとわからなくなってきたということで、皆さんのコメント、ご意見、疑問等を寄せていただいて、
改めてじっくり考えてみなければいけないなという気になってきたっていうところなんですね。そして昨日の放送で皆さんに、この母語についてですね、連想するところでも結構ですし、知っている情報バイリンガルの方の実態であるとかですね、何でもいいんで教えてくださいというふうに呼びかけましたところ、いくつかですね、リスナーの皆さんからコメントが寄せられてまいりました。
なのでそちらを紹介しつつ、さらにどこまで私自身で議論発展できるかわかりませんが、少なくとも現段階でのいろいろと議論してきた結果と過程ですね、議論の過程を皆さんと共有しておこうというのが今日の趣旨になります。
ですので、もしですね、今日のこの放送から聞き始めているという方はですね、ぜひ過去数日の放送会、具体的に番号で言いますと584回、585回、587回、そして古く飛びますけれども346回、この辺りを聞いた上でですね、
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今日の放送に臨んでいただくと議論についていけるというか、皆さんも参加していただけるのではないかということでご案内しました。
さまざまなコメントをいただいているんですけれども、この議論に関係するコメントに限って、今日に関してはですね、紹介させていただきます。
まずマイママさんからいただいたコメントです。
私の友達は日本語と中国語のバイリンガルですが、おそらくどちらも母語に感じていると思います。
小学5年生の時に中国から日本に移住し、高校生の時には普通に日本語を話しておりました。
小学校から高校まで同じ学校に通った友人です。
その後関西圏の大学に進学し、高校の時にはわからなかった関西弁も初めて身につけたようです。
ちなみに彼女の両親とは常に中国語を話しています。
社会人になってからは日本と中国を行き来しており、中国に行けば中国語が話しやすく、日本に来れば日本語が話しやすくなると言っていました。
ということで、バイリンガルのお友達の具体的な事実ということで紹介いただきました。
これも母語というのが必ずしも一つとは限らないという、昨日の放送の最後で紹介した考え方ですね。
これをもしかしたら具現化する例と言いますかね。お友達はそういう方ということになるのかもしれませんね。
ありがとうございました。
次にケンゴさんよりいただきました。
こんにちは。私自身最初は日本語で育ちましたが、小中高がインターで学校で英語、家で日本語でした。
また最初の大学4年間は講師ともに英語のみで日本語がおかしくなったと言われたこともあります。
その後は仕事では英語、家庭は日本語、プライベートは人によってのパターンが多いのですが、どのタイミングで英語がネイティブになるのか疑問に思っていました。
どんな考え方や基準があるのでしょうか。適切な言葉が出なかったり表現力の良し悪しは日本語でもあるので。
ということでケンゴさんありがとうございました。ご自身のお礼ということでお話しくださいまして。
確かにケンゴさんはバイリンガルということですけれども。
では日英語どちらが母語なのという質問についてやはり考えてしまうところがあるということかとお聞きしました。
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これ本当に難しくてですね今日のお題はネイティブスピーカーってそもそも何なんですかっていうどういう人のことを言うんですか。
これを知るにはですね結局ネイティブラングウィッチっていうものがそもそも何なのか。
これはですねまさに昨日お話した母語ですよね。
なので母語って結局何なんだっけという話と直結する問題なのでものすごく悩ましいんですよね。
昨日お話しした通りで母語を定める基準というのは少なくとも2つあるし。
しかもですね個人の観点から見ると自分の母語が1つではない2つ以上あるであるとか。
あるいは2つ以上あった場合にどれが真の意味での母語なのかが完全としないっていう例があったりするんではないかという。
つまり母語って実は相対的なものなんではないかというところで昨日はですね話が終わったわけなんですけれども。
その後を少し調べてみますと時間的に最初に覚えた言語ですね。
順番的に生まれてまず最初に覚えた文字通りファーストラングウィッチっていうことですが。
これをですねいわゆる母語と考える1つの生き方があると同時に時間的順番的なところとは別軸で。
やはり自分にとって最も重要で最も自然な言語こそが母語ではないかと。
この場合ですね社会言語学ではちゃんと用語違う用語が用意されているようでプライマリーラングウィッチっていうふうに言うようなんですね。
プライマリーっていうのはラテン語で結局英語のファーストの意味なんですが一応ですね違う単語を使っているということでファーストラングウィッチっていうのとプライマリーラングウィッチというのを分ける。
そういう用語遣いがあるっていうことをですね少し調べて発見しました。
なのでここでまず報告させてあげたいんですけれどもその上で結局母語とは何かとかネイティブスピーカーとは何か。
さらに言えばモノリンガルとは何かバイリンガルとは何かというような問題に全部つながっていってこれはただことじゃないと抜き差しならない問題だと。
大きい問題に手をつけてしまったという感がですね皆さんの議論を聞きながら思ってきたんですね昨日あたりから。
言語学っていうのも非常に広い領域で私自身は英語史とか歴史言語学という分野なんですけれども専門家ですね。
おそらく我々が今入り込んでいるですね泥沼のようなこの問題ですけれども抜き差しならない問題はですねバイリンガル研究という大きな名前でですね称されているような一分野だと思うんです言語学の中でも。
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これはですね非常に学際的でもちろん言語学がメインにあるんですが心理学もあれば社会学もあればおそらく文化人類学っていう問題であるとか様々に関わっている。
そして脳科学認知科学なんかにもつながっていくっていうところで私も片足の小指ぐらいは突っ込んだことはありますが本当に専門的な分野でですねこれは手に負えないぞってところですねもう一つですねコメントいただいておりますので読み上げたいと思います。
海塩さんからです。母語と母国語。的外れ各語でお茶の間から一言。母語は何母国語は何という問いが有用性を持つのはどんな時と考えてみると1言語習得のプロセスが焦点になっている時に純粋に言語履歴が問われている時くらいのような。
であれば母語とは何の意図各国家他人本人意思なしに自然に習得した言語母国語とは国籍など外部要員から規定される使用言語ではどうでしょうか。
両者の定義からスタートすると迷宮入りするような知らんけどというコメントをいただきましたありがとうございました。
おっしゃる通りですね日常的に母語と母国語の違いが問題になるケースっていうのは少なくとも日本で日本語をですね単一言語として生活しているものにとってはやっぱりあまりないと思うんですよね。
むしろ特殊な状況を想定しないとこの2つの違いですね母語と母国語の違いっていうのが表出してくる機会そのものが少ないんじゃないかっていうその点には大変賛成ですね。
一方で世界に出ますとあるいはですね時代を異なる時代に設定するとですねこの2つ一致しないことの方がむしろ多いんではないかっていう風に考えているっていうことと。
もう一つはですね今回の議論の中で私自身も考え直したことなんですけれども母語と母国語というのはやっぱり古今東西混同されやすいものなんではないか。
そしてある意味で両者の混同と言いますかねすり替えみたいなことですねこれはかなり頻繁に起こっていることなんではないかというふうにも考えるようになってきました。
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このあたりは混乱しそうですので私自身ももう少し整理してからお話できればなと思っていますが大変重要な示唆与えていただきましたコメントありがとうございました。
さて今日はですね議論を発展させるというよりは少しですね足場を固めたいということで昨日の放送の最後にちらっと要約する形で触れたに過ぎないんですが。
クルマスという言語学者がこのネイティブスピーカーという問題あるいは母語という問題について文章を残してるんですね。
フロリアンクルマスという言語学者で世界民族百科辞典の中で母語の校を執筆していますこちらですねこれを引用しているヘログからの記事にリンクを貼っておきますのでぜひ読んでいただければと思いますが。
この放送でもですね少し省略した形で重要な部分を引用読み上げしたいと思います。
では引用始めます。母語とネイティブスピーカーを結びつけることは様々な形で批判されてきた。
それはこうした概念が現実に即していない理想化された2つの考えに基づいているからである。
1、言語とは普遍であり明確な境界を持つシステムであり。
2、人は一つの言語にのみネイティブスピーカーになることが可能であるというものである。
こうした思想は初期法が人々に広く普及し、実用言語がラテン語、ギリシア語、ヘブライ語といった伝統的な書き言葉からその土地固有の話し言葉に移行した。
初期ルネッサンスのヨーロッパにおいて顕著だ。この時こそ言語文脈において母のイメージが初めて現れた時である。
フランス革命後の数世紀、義務教育の普及は母語を学校教育における教科として、そして政治的案件へと変えた。
かつ無意識のうちに獲得すると考えられていた母語を話す技能は、意図的で意識的な学習となったのだ。
征来の能力であるものを学ばなければならないという明らかな矛盾をはらみながら、完全な母語能力は征来の話者にしか到達し得ないという排他意識が強化されたのは国民国家の世紀である19世紀であった。
中略
明治時代このイデオロギーは日本でも定着した。多くのヨーロッパ諸国と同様、日本も国民の単一言語主義を理想的なものとして支持した。
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近代の始まりにヨーロッパで国家の統合のために使われた排他的な母語のイデオロギー構成概念が、こうしたものとは違った伝統を持つ、つまり多言語が普通である土地の言語学者によって批判的に脱構築されたのは不思議なことではない。
だからインドの言語学者D.P.パッタヤナックは、人は実際に話すことができなくてもある言語に帰属意識を感じることが可能な一方、他方でそれが家庭で使われている言語であるかに関わらず、一番よくできる言語を母語として選べると指摘した。
多言語社会の人間にとって、安らぎかつ自分をきちんと表現できる第一言語は必ずしも一つである必要はない。
多言語社会では言語獲得の多種多様なパターンが存在する。母語は自然に身につくというヘルダーの単一言語の安定性を重視するイデオロギーに対し、2つまたはそれ以上の言語システムが存在する社会では、母語能力とネイティブスピーカーを単純に結ぶイデオロギーも覆されることになる。
引用を終わります。
少し長い引用でしたけれども、大変重要だと思いましたので、あえて読み上げました。
このような考え方に接しますと、母語とは何かであるとか、今日の話題であるネイティブスピーカーとは何かという問題もですね。
まず一度、クルマスの言うような相対的な視点に立って広げてからですね、改めて考えた方がいいという問題なのかもしれないなと思いました。
マイママさんのお友達であるとか、ケンゴさんのようなバイリンガルの方、世界としてはですね、少なからず実際非常に多くいるとは思うんですが。
日本社会の一般平均ということを考えますと、圧倒的大多数がですね、母語イコール母国語イコール日本語という非常に単純な等式でですね、生きてるっていうことですね。
そしてそれを当然視しているっていうことだと思います。私自身もまさにそうなわけなんですけれども。
しかし、これは世界ではあるいは時代を越えてという言い方をしますと、古今東西の中ではもしかしたら稀なのかもしれないっていうことです。
この島国では1億2000万の人口の99%までが私と同じ前提というか発想でいるかと思いますので、これはですね、なかなか想像するのが難しいことなのかもしれませんが。
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むしろこの状態、母語イコール母国語イコール日本語という一言語、同一言語というような関係を持っていることの方が、古今東西では極めて珍しい特殊なことなのかもしれないっていうことなんですね。
その観点にもし立つとするとですね、母語とは何かとかネイティブスピーカーとは何かっていうのは、ナイブな問題なのかもしれないというふうにどんどん思えてくるわけですよね。
今日の話は結論がなくてですね、議論がこっちに行ったりあっちに行ったりということでまとまりのない回になってしまいましたが、コメントをいただきながらですね、私自身も改めて考えて、そしてクルマスの母語論、ネイティブスピーカー論を参照しながらですね。
そんな単純な問題ではなさそうだということを改めて感じた次第です。改めて皆さんと議論し、そして私自身も勉強してからですね、これは出直さないとあまりに大きすぎた問題だったのかなというふうにちょっと反省しています。
それでもこういうふうにですね、皆さんとVoicy越しに議論できてるっていうことがすごいなというふうに思いました。大学の授業、対面なんかでこういう議論結構するんですけれども、好きなんですけれども、まさかですね、インターネット越しにしかも非同期でこういうことができるとは思ってもみませんでして、大変これ自体エキサイティングな経験をしていると思っております。
リスナーの皆さんありがとうございました。エンディングです。今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。今日コメントをいただいたケンゴさんなんですけれども、セナミケンゴさん。いつもですね、コメントでネイティブの感覚としてはこんな感じですということを教えていただいておりまして、大変参考になっています。全く私ネイティブ感覚がない英語使用者ですので。
実際別の件につきましてもコメントいただいているんですけれどもね、いずれ紹介させていただきますが、ケンゴさんはこのVoicyのパーソナリティでもあるんですよね。
一つはVoicy News Briefというチャンネルでニューヨークタイムズからのニュースを毎日放送しているVoicyの人気チャンネルがあるんですけれども、その金曜日のパーソナリティと言いますか、記事紹介、解説を務めていらっしゃいます。
それから個人としてもですね、本当は使える汚い英語ということで、スラングを中心に紹介する英語のご本番組っていうんですかね、チャンネルを運営されています。
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先日第145回としてBummerですね。これ私も聞かせていただきましたけれども、What a bummerみたいな言い方ですね。残念だという、このニュアンスですね。スラングのニュアンスって結構わからなくて、そういうことかっていうふうに教えていただくとですね、ああそうなのかって納得することが多くてですね。
ぜひですね、こちらのチャプターにリンク貼っておきますので、けんごさんのチャンネルも皆さんお聞きいただけるとよろしいかと思います。
それにしても連日大きい問題をちょっと取り上げてしまったかなという感じはしていますね。なかなか母語、ネイティブスピーカーあるいはバイリンガルというような話ですけれども、ただ一つの言葉の問題の定期と言いますか、こういう問題もあるんですよねということを皆さんとですね、共有できたかなというところはあります。
この問題、おそらく今後もですね、完全には避けられない大事な問題ですので、私も追いかけていきたいと思いますし、皆さんも注意、注目していただければと思います。そして引き続きですね、皆さんからのご質問、ご意見、ご感想をお待ちしています。
ボイシーのコメント機能を通じてお寄せいただけますと嬉しいです。そして過去の放送会も含めまして、面白い回だったなというところがありましたら、ぜひですね、いいねであるとか、SNSでのシェアなどもお願いできますと幸いです。
このボイシーはリスナーさんの熱意が、熱量が高いということはよく言われておりまして、実際ですね、コメントなどを通じた交流なども大変熱を帯びていて、そして全体としてポジティブだっていうところは、私も本当にこのチャンネルの運営を通じて感じております。
いつもありがたく思っています。今回のような議論もですね、このようにして成り立っていること自体が本当に奇跡的と言いますか、すごいことだなというふうに思っております。
リスナーの皆さんも本当にですね、コメント一つという形でおそらくですね、参加しているという気分に必ずなるんではないかというふうに思います。そして私もですね、すぐではないかもしれませんが、なるべくですね、多くのコメントを番組内で紹介するなどして取り上げていきたいと思っておりますので、
気軽に一言コメントをいただければと思います。
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それでは今日も皆さんにとって良い1日になりますように。ほったりうちがお届けしました。また明日。