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おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、英語のなぜに答える初めての英語史、英語語源ハンドブック、言語学ですっきり解決英語のなぜの著者の堀田隆一です。
去る6月10日、NHK出版新書、英語史で解く英文法の謎、なぜ三単元のSをつけるのかが発売されました。
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英語の語源がミニツクラジオヘルディオ、英語史をお茶の間におもっとうに英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく、毎朝6時に配信しています。
本日は2026年10月28日水曜日。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
本日の話題は、ハドリアヌスの頂上、ヘイドリアンズウォールと呼ばれるイギリスの史跡についてお話したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
1900年前に築かれた壁。この壁は英語をイングランドの中に閉じ込めておく壁だったのでしょうか。
今日はそんな問いを、実際に現地を訪れた体験と合わせて考えてみたいと思います。
この8月にイギリスの各地を訪問しておりました。旅ヘルシリーズですね。このヘルディオでもちょくちょくとお届けしておりますけれども、
今日はそのスコットランド編ですね。イングランドというべきかスコットランドというべきか、その国境に関する話題なんですね。
イングランドから車で北へ向かってスコットランドに抜けていくという途中で、ヘイドリアンズウォール、日本語でハドリアヌスの頂上と呼ばれる壁の跡地の一つに寄ってきたんですね。
前にですね、駆け落ち結婚で有名な町ということで、スコットランドの入り口にあたるグレットナグリーンという町のトイレのお話をこのヘルディオでしたと思うんですが、
その町に訪れたのと同じ日だったんですけれどもね、このヘイドリアンズウォールの方にも寄ってきました。
そのハドリアヌスの頂上の跡地に訪れたんですけれども、そこに到着するまでの最後の区間、本当にひなびた田舎道でですね、1マイルぐらいですね、まっすぐな道が続いてですね、
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普通の道路なんですが、前にも後ろにも車もいないし人もいないということでですね、時速100キロ以上で到達したその先、ビジターセンターみたいなものがあるんですが、すでに夕方だったのでそのセンターも閉まって
いたんですね。
本当に滞在中すれ違ったのはハイカーが何人かだけ歩いていましたね。それぐらいひっそりとした何にもない草原ということです。
ビデオを回しまして写真も撮りました。
ですがその場で肉眼で見てもですね、今写真を見返しても特に壁の痕跡は写っていないんですね。
かつて壁があったはずの草原がただ広がっているという、かつてあったということでですね、史跡になっているんですね。
頂上というくらいで非常に長いものですので、部分的に残っている箇所などはあるのかもしれませんが、今回訪れたところではですね、痕跡らしきものはない。
ただここにありましたという草原なんですね。
まあこの何にもない感じがですね、かえって哀愁を誘うっていうんですかね。
かえって想像が膨らむということにもなるのかもしれません。
さあこのハドリアヌスの頂上とは何だったのか、簡単におさらいしておきましょう。
ローマ皇帝ヘイズリアム・ハドリアヌスの命令で、紀元122年頃から作られ始めた防壁です。
ブリテン島の東側、タイン川の河口付近から西側のソルウェイという湾までですね、島を横切るように約120キロにわたって築かれた頂上です。
東の海から西の海まで島をぶった切るような壁ということだったんですね。
ローマ軍は1世紀半ばからブリテン島に本格的に攻め込んだんですけれども、島の南部から中部にかけては順調に支配下においていきました。
こうしていわゆるローマンブリテンと呼ばれる時代ですね。
ブリテン島がローマの支配下にあった時代が始まったわけです。
ところが北への進出はおおむねこのラインで止まったんですね。
ここにハドリアヌス皇帝が国境のつもりで防壁を作ったということです。
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その後一時期はさらに北にアントニヌスの頂上という別の壁も築かれたんですけれども、こちらは長くは維持されなかったんですね。
結局のところハドリアヌスの頂上のラインがローマの支配の北限として落ち着いたということになります。
この話は英語がブリテン島にやってくる5世紀よりもまだだいぶ前の話ですので、あくまで英語史とは間接的な関係ということになるんですが、どのような関係なのか考えてみたいと思います。
ハドリアヌスの頂上は現在のイングランドとスコットランドの国境線にかなり近いところを走っているんですね。
ピッタリ一致しているわけではない言い訳なんですけれども、おおよそ重なっていると言っていいんですね。
そして南のイングランドの影響力がこの辺りから北へはなかなか及ばなかったということは、アングロサクソン時代以降ですね。
つまりアングロサクソン人が5世紀にやってきて以来のこの島の歴史ともですね、やはり関係はしているということなんですね。
古代よりこのラインから北というのは簡単に南側から攻め入ることができないという、そういうラインとして早々と固まっていたということになるわけですね。
ローマンブリテンの時代にはこの頂上の北側はピクトジンの土地でした。
ここが後にスコットランドと呼ばれる地域になっていくわけですよね。
では言語の面ではどうでしょうか。
5世紀以降、大陸からアングロサクソン人がブリテン島に渡ってきますね。
彼らが話していた言葉が後に英語と呼ばれることになる言語だったわけですが、この英語はですね、このハドリアヌスの頂上のラインを越えて北へも入っていきはしたんです。
つまり言語的にはですね、この頂上を北側へ乗り越えてはいったんです。
ところがこのラインの北で育っていったのはイングリッシュというよりもスコッツといった方が良いような英語の一編集なんですね。
広くは英語の仲間と言っていいんですが、別の発達を遂げたスコッツと有名で呼ぶ方がふさわしい。
そのような南側のイングランドの英語とは一線を隠した英語編集となったんですね。
なのでこのラインを挟んで全く通じない言語が話されていたというわけではないものの、やはりこの線が英語の編集を分ける線、つまり方言線と言いますか、言語境界ということもできるような線であり続けたというところ
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がポイントなんですね。
このスコッツと呼んだ言語なんですが、ヘルディオで詳しくこのあたりお話したことはあったかと思うんですけれども、スコットランドの低地地方、南側の、つまり頂上に近い側のエリアですね。
ここで話されてきた言葉で、英語と同じアングロサクソン人の言葉に遡るという点ではですね、いわゆる英語、イングリッシュと近い関係にあります。
先ほども議論で示唆したようにですね、スコッツというのはイングリッシュとは別の言語なのか、あるいは大きくイングリッシュとまとまった中の一変種に過ぎないのかというのは、ある言語変種が方言なのか別の一言語な
のかという問題ですね。
社会言語学の古くて新しい問題なんですけれども、これは簡単に決めることができない。
なぜならば言語学の問題ではなく、いわば政治であるとかアイデンティティの問題だからなんですよね。
今回は2つを別言語としてと言いますか、少なくとも呼び方は変えて、イングリッシュに対してスコッツというものがあるという考え方でですね、お話し続けていこうと思うわけなんですが、
この今から1900年前のローマの進行の北元と5世紀以降、現在に続く現在のブリテン島でのイングリッシュとスコッツの分布とはですね、重なって見えるというのがなかなか興味深いんですね。
改めてローマ軍の北進の限界線ということと、これは2世紀の話ですよね。
そして英語なりスコッツ語なりが関与してくるというのは、アングロサクソン人がこのブリテン島にやってきて以来のことですから、つまり早くても5世紀以降のことということで時代はずれています。
しかし地理的にはやはりこのラインが境界であり続けているというのは、やはり何かあるだろうということなんですね。
もちろん地形の制約ということはあるかもしれませんが、古来からの政治の境界、文化の境界、言語の境界だったということ。
これはですね、どうもローマンブリテンからアングロサクソン時代を経て、そして今に至るまで変わっていないというのがですね、面白い現象なんですよね。
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この壁が境界を作ったというよりも、もともとその他の条件によって境界となりやすい場所に壁が作られたというふうに考えてもいいのかもしれません。
21世紀の今もスコットランドはイングランドから独立したいという思い抱いているスコットランド人少なくないわけですよね。
そして私がこのハドリアヌスの頂上、跡地を訪問したすぐ後にですね、スコットランド側に抜けていったわけなんですが、やはりイングランドとスコットランド、現在でも文化が異なる。
街の温度感が異なるって言うんですかね。なかなかうまく表現できないんですけれども、現在でもこの2つの区別というのは、国境線の両側の区別というのはしっかりと存在しているんですね。
何にもない草原に立って、ここがかつて国境だったんだなぁ、そして今もある意味国境なんだよなぁと思いながら景色を眺めていました。
1900年という時間の長さと、それでもどこかに残り続けている境界線、英語史を考える上でもなかなか味わい深い体験でした。
なおこのハドリアヌスの頂上と英語史というテーマについては、実は3年ほど前、調べてみましたら、2023年10月3日のヘルワでですね、お話ししていたことを思い出しました。
英語史の話36回、ハドリアヌスの頂上と英語史という回、お話ししていたんですね。
今回の旅ヘルのお話と合わせて聞いていただくと、また違った角度から楽しめるかと思います。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
2ヶ月半ほど前に訪れた記憶とメモをベースに今日お話しいたしました。
ハドリアヌスの頂上、ぜひ皆さん記憶に留めておいていただければと思います。
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それでは今日も皆さんにとって良い一日になりますように、英語史研究者のほったりうちがお届けしました。
また明日!