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お届けする話題は、「沈黙の民族誌学」です。 どうぞよろしくお願いいたします。
本題に入る前に、新著ならぬ旧著のお知らせです。 既に数日前にですね、2回ほどこのheldioでもお知らせしたんですけれども、
いつも冒頭で読み上げています、「英語のなぜ?」に答える初めての英語史。 こちらの本がですね、私の主要な著書の一つとなっていまして、英語史の入門書なんですけれどもね。
2016年に研究者から出たものとなっています。 そしてその前にですね、2011年なんですけれども、
中央大学出版より、英語史で解きほぐす英語の誤解、納得して英語を学ぶためにという、やはり英語史の入門書が出版されているんですね。
この最初に出たものの方がですね、ずっと優しい内容となっていまして、文字通りの入門書ということなんですね。
これがですね、新商家と言わんばかりの値段で880円定価ですけれどもね。ということで、2011年に出たものがあるんです。
この本を数日前にheldioで紹介したところですね、「買いました!」という声がいくつか届きまして、ありがとうございます。
全然高価だったということでですね、大変嬉しい限りなんですが、なかなか手に入りにくくなっているようで、Amazonでの在庫も切れているということのようです。
何せ12年ほど前の本ということで、増撮したにはしたんですけれども、私も数年間これどうなっているのかなというふうに情報が入っていなかったんですけれども、
もしかしたら在庫もですね、だいぶ限られた状態になってきているのかなという感じがします。
この英語史で解きほぐす英語の誤解という本ですけれども、関連するリンクをですね、こちらのチャプターに貼っておきます。
そちらに私自身が作成したホームページなんですけれども、詳細な情報があります。
省立の目次、それから省の一つ下の節というレベルの目次までですね、そのホームページで上げておりまして、しかもですね、関連するその省節で扱っている話題と関連するヘログ英語史ブログへの記事のリンク、こちらも豊富に備えております。
ですので、この目次からたどっていくだけでですね、いろいろと英語史の入門が勉強できるという形にある程度なっているのではないかと思いますので、この本をお持ちの方、それからこの数日で購入された方はもちろんなんですけれども、それ以外の方もですね、ぜひこのページを訪れていただければと思います。
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ということで、急遽のお知らせでした。今日の本題は沈黙の民俗史学という話になります。これは3日前の放送なんですけれども、624回沈黙の言語学という放送会の続編と考えていただいて結構です。
その624回の時にですね、コメントをいろいろいただきまして、沈黙というのが言語学研究の対象になるというのがですね、なかなか面白い観点だということで、コメント欄でもたくさん盛り上がっていただきました。
その中でグレイスさんからいただいたコメントを読み上げたいと思います。過剰書きで申し訳ないのですが、今回の放送で感じたことは、1、沈黙の良し悪しは文化や相手との関係、また会話の場によって捉えられ方が異なると思うので、比較すると面白そうですね。
2、沈黙を貫く、沈黙を破る、沈黙を守る等慣用表現がたくさんありますね。
3、沈黙の意味はどのように学ぶのでしょうか。会話はキャッチボールと言いますが、話してと聞き手は沈黙も含めて意図を確認し合い次に進んでいく。なかなかですよね。
ということで、大変面白い沈黙に関する3点を挙げていただきました。
2点目の慣用句っていうのは確かにそうですね。色々調べてみると出てきそうな気はしますね。
3点目のどうやって学ぶのか、沈黙の意味というのがあるとどう学ぶのかっていうことは、今日の話題とも恐らく関係してくると思うんですが、
とりわけですね、今日注目したいのが第1点目に挙げていただいた話題なんですね。
沈黙の良し悪しは文化や相手との関係、また会話の場によって捉えられ方が異なるという点。
なので、文化比較できるんではないかということですね。
これ非常に的いた指摘でですね。
実際、沈黙の民俗思学。民俗思学というのは、
Ethnographyという英単語を無理矢理訳すと民俗思学ということになるんですが、
実はですね、社会言語学であるとか、語用論の分野ではですね、
Ethnography of Speaking、おしゃべりの民俗思学というような研究領域があるんですね。
領域としては人類言語学の領域にも深く入り込んでいると思うんですけれども、
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世界の様々な言語社会に入ってみるとですね、フィールドワークなんかで行ってみると、
本当に様々なタイプのおしゃべりの作法っていうのがある。
その社会ごとに、おしゃべりについて何が良しとされているのか、あるいはおしゃべりそのものが良しとされている社会であるとか、
あまり良いことでないとされている社会とかですね、むしろ沈黙が尊ばれる社会だとか、いろいろあるわけです。
ですので、Ethnography of Speaking、おしゃべりの民俗思学の中には、沈黙もどう扱われるのか。
どういうふうに評価付けられているのかということも当然話題になるということなんですね。
実際、いろいろと研究がなされて、私自身はこの分野のフィールドワーカーではありませんので、
すべて教科書や本から聞きかじったものだということを、今日はまず断らせていただきたいんですけれども、非常に面白いんです。
まず、我々が生活しているこの社会、言語、環境ですね、日本です。
日本においては伝統的に沈黙というのは尊ばれます。
おしゃべりな人いますけれども、伝統的にはさほど尊ばれないということですね。
それと比べますと、欧米圏、欧米圏と一区切りにしていいのかも分かりませんね。
少なくとも英米圏に関しては、基本的にはおしゃべりすること、あるいは主張することというのが非常に価値の高いものとされます。
発言を求められている場で、例えば会議の場で沈黙している日本人という風景は非常によくあるわけですが、これは尊ばれないわけですね。
英米の発想から見るとということではありますけれどもね。
ただこれは個人差というものもありますし、あくまで平均的に見ると日本と英米とでは逆向きであるというくらいのもので、
昔からですね、欧米社会にもゴールデンイッサイレンス、沈黙は禁という言葉はありますし、
一方でこれはフランシス・ベーコンが言った言葉なんですが、
沈黙は愚か者の美徳であるという反対の見方もあったりして、なかなか一筋縄ではいきません。
しかも先ほど欧米という風に広く述べましたが、欧米の中でもやはり沈黙に対する見方、おしゃべりに対する見方というのは温度差があってですね。
例えば割と推しが強いアメリカ人と割と推しの弱いというか静かめなデンマーク人がおしゃべりするとですね、なかなかみじめなことになったという事例報告もあります。
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もちろんこれも個人差というのは非常に大きいタイプの話だと思うんですけれどもね。
今日は沈黙の民族史学ということで、とりわけ沈黙が尊ばれる言語社会いくつか紹介してみたいと思うんですね。
尊ばれると言いますか、沈黙がデフォルトであるというような社会なんでしょうかね。
一つはですね、アメリカアリゾナ州中東部のウェスターンアパッチ族の人々です。
彼らは場に不安が感じられる場合、何か雰囲気がですね安定していないというようなそういう空気が感じられる場合に基本的に沈黙を選択するということなんですね。
つまり何らかの問題が発生した場合は、それを喋ったり議論して解決するというような、いわば英米風の欧米風のやり方というふうに我々が理解しているものとは対局でむしろ沈黙を選択する。
そして同族の人であれ外部の人であれ見知らぬ人に会うと基本的には沈黙するというのが規範となっているということなんですね。
彼らは容易に新しい社会関係を作るっていうことをしない。
さらに面白いのが家族でもです。子供が寄宿学校から寄生してきた場合ですね。
どうだった元気かぐらい最初に声かけて挨拶するもんじゃないですか。
ですが家族の挨拶は沈黙でなされます。
そして子供の存在が場に馴染んでくるまでは会話がなされない。
さらに子供が例えば親に叱られた場合、この場合もどう反応するかというと沈黙によって反応しなければいけないという規範みたいなものがあるわけですね。
それが叱りつけであっても言葉で応答する。むしろ事態を悪化させるというふうに考えられているからなんですね。
もう一つ例としてあげたいのはプリア族。これは南インドの民族のようなんですけれども。
彼らはですね個人を遠飛ぶという文化を持っている。
それ故にあまり人に干渉しないっていうことがあるんですね。
そしてフィールドワークに入った研究者の報告によるとある男性ですね。
あるプリア族の男性が40歳になるまでには事実上喋るのをやめるというんですね。
それぐらい他人と交わらないっていうことなのかと思うんですね。
それがいわばその社会での社交と言いますか人付き合いの一つのパターンなんだということなわけですね。
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もう一つコロンビアのアリタマ族というんでしょうか。
彼らは基本的に過目である。あまり喋らないっていうことなんですけれども。
口を開く時にもですね、あえて捉えどころのない表現を用いるのを好むっていう。
なかなかいろんな文化が世界にはあるもんですね。
一方でめちゃくちゃおしゃべりな言語社会っていうのもあるわけですね。
とにかく喋ってなんぼだという考え方です。
そして沈黙している人間がいたらそいつは頭がおかしいとかですね。
何か具合が悪いんじゃないかと疑われたりするくらいいいというふうに常に何らかのことを喋っていないと気が済まない民族。
そういう個人は我々の身近にもいると思うんですけどもね。
個人差というのはいくらでもどの民族文化でもあると思うんですけれども、
平均的にその社会の慣習ということでいうと、ある程度おしゃべりな文化とある程度沈黙な文化というのがどうもあるようで。
本当に世界は広いというふうに考えさせられる、そんな沈黙の民族史学をお届けしました。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
この数日間もたくさんコメントをいただきまして、私自身もコメントにたまに参入するようになったんですけれども。
3日ほど前にですね、ボイシーの今月の注目度ランキングが発表されまして、語学部門に限った話ではあるんですけれども、
第3位というランキング、注目度って言うんですかね。
いただいたことになります。
今までいただいてきた中での最高位ということで、
本当にリスナーの皆さんが熱心に聞いていただいて、そしてコメントなどで盛り上げていただいているおかげだと思います。
ということで、みんなに拍手。
ありがとうございました。
そのランキングのインパクトはあるようで、
昨日一昨日あたりでもですね、非常に多くグッとフォロワーの方が増えまして、このチャンネル、ますます多くの方に聞いていただくようになってきているようです。
ますます盛り上げていくために、ぜひ皆さんにはコメントを寄せいただければと思います。
そして最新回に関わらず、過去の回でもですね、聞いてみて面白いなと思ったものがありましたら、ぜひそちらにもいいねをいただき、
そしてまたSNS等でシェアもいただければ、ますます英語誌の話題が世の中に広がっていくのかなと思っています。
冒頭で述べているようにですね、私のモットー法として、英語誌をお茶の間にという、この分野を広くしてもらう、そんなチャンネルになるといいなという思いで、毎朝放送しています。
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この数十年に寒い日が続いていますね。
皆さんに音楽をお過ごしください。
それでは今日も皆さんにとって良い一日になりますように、ほったりうちがお届けしました。
また明日。